2009年11月12日木曜日

魔法にかけられて


※アマゾン商品へのリンクになっています。

★★★☆☆
~Blu-rayの付加コンテンツがすごい~ 

 
森で暮らす美女。
運命の相手を探すたくましい王子。
二人の中を引き裂こうとする、王子の継母=魔女。

おとぎ話の定番の展開がまずはアニメーションで描かれる。一線を画すのが魔女の取った妨害の手段。
なんと、結婚の妨害のために女を現実のニューヨークへと送り込んだのだ。
以上ような展開を見るとディズニーからの著作権的なツッコミ大丈夫かいなと心配になるが、この作品自体がディズニーの作品。

非常に大胆だと思う。
おとぎの国の女の子が現実世界でたたきのめされ、おとぎの国なんて所詮作り話で価値はない、と結論づけやしないかと不安になるが、うまいこと切り抜けている。
少々打ちのめされるも、持ち前の明るさで現実をおとぎ話のようにしていくのだ。
また、二つの世界を隔絶された別世界としていないのもうまい位置づけで、現実とおとぎ話の人物が入れ替わるなど、別の世界というより、別の国くらいの距離感
このようなバランス感覚なくしては、この企画が実現することはなかったのだろう。

視覚的な試みも面白い。
おとぎの世界は、そのままアニメーションで描かれる。それも今や見かけることのなくなった手書きアニメである。
CGアニメばかりとなったディズニーだが、手書きの最新作であろうこの作品のアニメパートの出来は実に出色。絵を描くスタッフの力量はもちろんのこと、CG技術をうまく組み込んで、ダイナミックな画面展開を実現している。
実際、このクオリティでもう一度ディズニーアニメをつくって欲しいと思うほどだ。CGアニメの精緻さももちろん良いが、手書きにはそれを描いた者の気持ちがより直接に乗っている。暖かいというありきたりの表現が、やはりしっくりとくる。

現実パートでも見所が多い。
ディズニーアニメの代表的なイメージを、実写でやってのけているのである。
音楽に乗せて、動物たちが女の子の家事を手伝うシーン。
女の子の歌が周囲を巻き込んで、登場人物達が美しい動きで踊り、歌うシーン。
これらをうまく実写に持ち込んで実現している。おとぎ話といささか異なっているのも面白い。

ただ、後半の展開はいささか唐突で強引に感じるし、ご都合主義が鼻につく。
深刻になることはないが、物語の重みも無い。これは制作者の意図通りなのであろうし、とやかく言うのも野暮だろう。
おとぎ話だと思えばそれまでだ。 

見終わった後、Blu-ray向けに追加されたコンテンツを眺めてみたが、これがすごい。
ディズニーマニアではない自分はいくつかしか気がつかなかったが、この作品、従来のおとぎ話系ディズニー作品のオマージュに満ちあふれているのだ。特典モードで鑑賞していると、突然にクイズが出題される。たとえば、このシーンはどのディズニー作品を参考にしているでしょう、など。
正解すると、参考とされた別のディズニー作品の該当シーンが再生されるのである。これが思いの外うれしい。
オマージュ部分が多いため、クイズの出題箇所も多く、さまざまなディズニー作品のダイジェストを楽しめるのである。
ああ、これは見たな。まだ見ていない、といった具合に、懐かしかったり、新たに見てみたくなったりする。
なるほど「魔法にかけられて」をより楽しむことのできるコンテンツでもあるし、ディズニー作品のプロモーションにもなっている。一石二鳥を無理なくはめ込んだ太っ腹に乾杯だ。

ディズニーはBlu-ray作品の付加コンテンツにかなりの力を入れており、「パイレーツ・オブ・カリビアン」も手間暇かかった特典付きだった。そういったものは子供向けのおまけだと侮っていたが、そうとばかりも言えないようだで、思惑通り、ダイジェストを見ているうちに、リトルマーメイドと美女と野獣が見たくなってきた。

2009年10月5日月曜日

サブウェイ123激突

★★☆☆☆
~低予算がにじみ出る~

デンゼル・ワシントン、ジョン・トラボルタ主演のニューヨーク地下鉄を舞台にした犯罪映画。
予算不足なのだろうなあという気遣いをせずにはいられない、苦しいカットが頻出。

地下鉄をジャックする犯人達。その交渉窓口にされてしまった、不運な地下鉄職員。
二人のやりとりで物語は進展していくが、絵的な魅力に薄いため、どうにも没入しにくい。
このお膳立てで、もっとも見栄えのするシーンが、カースタントだという点で腑に落ちない。しかも本筋とは関係ない部分なのである。

列車の暴走シーンも望遠で捕らえたイメージ映像。ヘリを使用した移動シーンでさえ、ストップモーションで雰囲気を出さねばならない始末。
監督やスタッフの苦しい事情が画面からにじみ出てしまっているのが裏寂しい。

物語もどうにも中途半端。交渉を中心にした、犯人と職員の駆け引きが見所かと思えば、全然そのようなものではない。
途中で中途半端にアクションになったり、メロドラマになったり、ふわふわと腰が落ち着かないまま話が進む。

主演二人の演技が映画全体の気品を辛うじて保っているが、それがなければもうテレビドラマと言って良い内容。
が、(おそらくは)低予算や(おそらくは)状況の不利の中で、きちんと努力して、一定の仕事をなし遂げているスタッフの皆さんには、人ごとではない同情と、敬意を表する。
※二人の主演のギャラが圧迫しすぎているのなら、笑えないことこの上ない。

最近とみに感じるが、予算のかかった映画とかからない映画の二極化が激しい気がする。
アクションやラブロマンスといった、ジャンルによっての差ではなく、同じような内容の映画が、方や心配なほど金をかけ、方や気をもむような低予算。
むろん画面から勝手に予算規模を感じ取っているだけなので、なんの裏付けもないが、無茶な予算で無理矢理作らされた映画が増えたように思う。どうにも不幸なことだが、低予算だからこそ、そこでくじけずに仕事する人々の姿も垣間見えて、個人的には嫌いではない。

ワールド オブ ライズ

★★★☆☆
~嘘の機構~

CIA工作員が中東に潜むテロリストを捕らえるために粉骨砕身する姿を描く。
現場で苦心惨憺する主人公と、それを電話一本で操る上司のやりとりが滑稽かつ象徴的。

上司は子供の世話をしながら、休日の地域イベントに参加しながら、携帯で話す。
主人公は中東で血を流し、命を危険にさらしながら、携帯で話す。

携帯の電波がつなぐ、日常と非日常。
遙か彼方で起こっていることだが、すぐそこにある異世界。
それが、現代の戦争なのかと感じる。

実際にどうなのかは分からないが、物語に立ち現れるディテールが非常にリアル。
最新の機器を使って神のチェスのように物事を進めようとするアメリカ。
それをアナログな手段でうまくはぐらかしていくテロリスト。
アメリカのいらだちと限界。テロリストの未来のなさ。
そういった空気の中を、主人公はおぼれるように泳ぎ進む。

題名が表するように、「嘘」がこの作品の焦点、キーワードになっている。
さまざまな規模の、さまざまな嘘が交錯する戦いの世界で、殉じるべきものがあるのか。
あるならば、それは?
二転三転する物語が最後にあぶり出す、主人公の選択。
複雑な筋書きは途中で分からなくなるかもしれないが、大きな流れとして現れる、このテーマがぼやけることはない。
戦闘シーン満載の映画だが、基本的な構成は単純明快なため、見終わった時の気持ちを大切にすればよいだろう。

画面は陳腐になることのないクオリティを保ち、戦闘シーンの迫真はさすがリドリー・スコット。
中東のほこりっぽい空気、異なる臭いに満ちた空間が画面にみたされている。
※もっとも中東が本当にそのようなのかどうかは分からないが、それっぽく見えるのだ。

気になる点があるとすれば、主人公の位置づけ。
このような一人の能力に頼る、エージェント達の戦いが今もあるのだろうか。
その人物の一喜一憂に国の重要な事件が左右されているのだろうか。
大規模な戦闘とは違うのだからこういう戦いも実際にあるのだろうと思うことはできる。しかし、交渉から実戦まで、あまりに主人公の活躍が八面六臂のため多少嘘っぽく感じられてしまうのも仕方がないだろう。

テクノロジーが変える戦いの姿。
その中で変わらぬ人間達のやりとり。

結局、本当のことは、携帯では語られない。
携帯は、すぐそばでささやくのに、本当は場所も世界も異なっている。
それは、お互いの世界をだまし合う、嘘の機構だ。

最近の戦争物には珍しい、悲惨と人情のバランスがとれた良作だと思う。

2009年10月4日日曜日

ディパーテッド

★★★☆☆
~見るなら家庭でDVD~

アメリカ、ボストンを舞台に繰り広げられる、警察と犯罪組織の水面下の戦い。
犯罪組織に潜り込んだおとり捜査官。刑事となった犯罪組織の(ボスを父親のように仰いでいる)青年。
お互いがお互いの致命傷になり得る、心臓に刃を突けあった二人の物語。

演出は冷徹で人情で引っ張るような湿っぽさがない。
替わりに立ち上るのは、利己と打算が支配する世界の、残酷に乾いた空気。
最初から最後まで緊迫した雰囲気が続くため、見終わった後多少の疲れを感じるだろう。それはまさに、敵地に飛び込んだ二人の気持ちに他ならない。だからこそ、見終わった後の弛緩も、二人の主役と同等に感じられるはずだ。

つくりとしては、オーソドックスで安定的。古くさいという人もいるだろう。
だからといって間延びしているということではなく、むしろ時間内に数年にわたる変遷を詰め込んだ、密度の高い映画である。
話も入り組んでおり、敵味方の錯綜が激しいため、どこかで話を追えなくなってしまうと、残り上映時間を苦痛に過ごすことになるかもしれない。このような場合、DVDやBlu-rayでの視聴はありがたい。
カットつなぎもソリッド、というか、結構容赦なく場面が展開するため、分かりづらい部分が多数。集中してみることが前提になっていることも、古い映画と感じさせるかもしれない。

物語は面白いし、絵になる場面もそこここにちりばめられている。何より主演の三人、レオナルド・ディカプリオ、マット・デイモン、ジャック・ニコルソンの演技が魅力的。特にディカプリオはアイドル俳優と間違えられがちなタイタニックの功罪を跳ね返す、真に迫った演技を見せてくれる。ジャック・ニコルソンもあんなザンバラ禿がなぜあんなに格好良く見えるのか不思議なほどだ。

このように素晴らしい作品なのに、どこかしっくり来ない。
考えてみるに、時間経過がはっきりせず、どのくらいの時間をかけて描かれた物語かが分からないのが一つの原因ではないか。
神経を張り詰めて過ごした時間というものが、どの程度か分からないため、二人の疲弊の強度が伝わりにくいのだ。
また、とってつけたようなご都合主義的な展開が多く、画面の迫真さとかけ離れてしまっているのも痛い。もう少し時間があれば、本筋を補強する細部を描けただろうに、と感じる。
スケール感が思ったより感じられない不満もある。悪役がどの程度の規模なのか、あまり描かれていないため、片田舎のしけた悪党の話と言われても、納得してしまいそうになる。舞台が数カ所に集約されているため感じる閉塞感か。

またこれは直接この映画の責任でも何でもないのだが、Blu-rayの高解像度で鑑賞すると、テレビのドラマのように感じられる事がある。
これまで映画と言えば、テレビ放送にしても、映画館で見るにしても、さまざまなノイズが載った状態での視聴だった。気にしていてもいなくても、それが映画らしさであったのだ。
反対にテレビドラマは趣のない綺麗なだけの画面という印象がある。
したがって、映画の中で気の抜けた画面(これはどのような映画にも緩急として必要だ)や、テレビドラマでも多用されているような構成の画面が出てくると、余りにクリアな印象が、一瞬テレビドラマのように感じられてしまうのである。
このような印象も慣れるまでのことだと思うが、DVDではそのように感じることがなかった訳だから、やはりBlu-rayの高精細表示はこれまでとは異なる次元のものだという証明にはなるだろう。

ともかく、頭脳戦では決してないが、面白い状況設定が生み出す緊迫した物語を楽しむことのできる作品だ。

ところでマーティン・スコセッシ監督はアメリカン・ニューシネマを代表とする一作「タクシードライバー」の監督でもある。

名探偵コナン~漆黒の追跡者~


★★★☆☆
~探偵はつらいよ~

なんとネットで間違えて予約。
しかも公開初日のスーパーレイトショー。
子供向けの作品。こんな時間にいっても大して人はいないだろう。
このような縁もあるかと見に行った。

驚いたことに、席は半分以上埋まっており、他の大作でも深夜ではそうそうない人入りだ。子供連れではない。大人の、しかも落ち着いた夫婦といった人が多かった。
長期連載。定期的な映画新作。なるほど、名探偵コナンは年齢層を違えた「男はつらいよ」なのだ。

漫画で切れ切れの情報は知っていたので理解に苦しむ点はなかった。
人物配置も昔も変わらないし、シリーズを通しての謎は謎のままだ。いや、むしろ連載当初から何も変わっていないのではないだろうか。

作品はお約束に満ちあふれ、正直新参には辛い物だった。
事件の謎も、そもそも謎なのかどうかも分からない曖昧さ。推理の必要性が感じられない。トリックがあるのか無いのか分からない。
そんな状況で、コナン君が突然天啓を受けて謎解きを始める。その謎解きも、お約束と思わなければ失笑物だ。コナン君が悩んだり、意気揚々話すことでああ、謎があるんだ。ああ、それが解けたんだと記号化している。

全編、雲を巻くようなごまかしが多い。

この感触は、やはり子供向けの漫画やアニメと同様だ。
けして悪いことではなく、自分もそういった物を楽しんできた。ただ、大人がきちんと見るものではない。
コナン君の問題は、大人子供どっちつかずのところだと思う。
それは、実際に物語の主人公がそういった設定であることもそうだが、作品のイメージ自体が特にどっちつかずだ。

難しい言葉。多い台詞。子供の動機。子供のトリック。

自分がどちらの立場で見ればいいのか分からず、どうにも傍観者だった。
しかしこれは背伸びしたい子供、息を抜きたい大人にぴったりだとも言える。そしてそういった層は、なるほど、少なくなさそうだ。

ニーズのあるところに、適切な作品が提供される。
これはこれでいいのだろう。
やはり、寅さんなのだ。
作品としては矢継ぎ早の状況変化。見栄えするシーンのバランス良い配置、と慣熟した職人芸。作画も高レベルで安定し、さすがは歴史を重ねたシリーズ。
自分には分からなかったが、ファン受けする定番要素も各種あった様子で、教科書通りの長寿作品と言ったところか。

さて、以降これまでに増して個人的な感想だが、どうにも一言いわずにいられない。

コナン君は、卑怯すぎる。

情報を引き出すときはバブバブと猫なで声。内心は利己的な算段。
極悪なぶりっこっぷりが、胸くそ悪くなる。コナンは自分以外の人間を無知蒙昧として見下しているのではないか。そうでなくてはあのように矜持無い行動がとれるはずがない。正直、生理的な嫌悪感を感じる。きもいのだ。
強烈な臭みは代わりがない魅力にもなる。慣れればこの嫌悪感も楽しくなってくるかもしれないが、無理にその道を行くこともない。

またチケットの買い間違いをするまで、続いてくれるだろうか。

2009年8月19日水曜日

アマルフィ~女神の報酬~

★★☆☆☆
~現地感のある海外ロケ~

織田裕二主演の邦画。
全編イタリアロケで撮られたクライムサスペンス(になるのかな?)。
監督は「容疑者Xの献身」の西谷弘。
主演は織田裕二。

やはり織田裕二はスクリーン映えするというか、華がある。彼自体がドラマの成分を持っていて、全編にその風味を放射しているという感じ。
特別出演の福山雅治とイタリアの路地で振り返り、二人ならんで微苦笑するシーンがあるが、映画中の意味は限りなくゼロなのになんともゴージャスな、ある種の映画が持つお祭り感が溢れている。

映像は、海外ロケ特有の浮いた感触の薄い、地に足が着いた物になっている。きちんとロケした場所はかなり限定されていると思われるが、スナップショット的に撮った町や人々の風景が要所要所で挿入され、きちんと生活感のある血の通った物語舞台となっている。

ただ残念ながら、総合的に見ると大したことのない映画だったな、という感想になってしまう。
物語は勢いを保って進展していくが、どうも納得のいかない展開がそこここにあって、それを無視できるほどの没入感はない。犯人の動機からして説得力に欠け、スケールも大きいような、小さいような……。
細々とした演出には気が届いているが、そもそも何のためのシーンだろうと考えたり、なぜこうなっているのだろうと疑問を感じると、とたんにシチュエーションが並ぶだけのちぐはぐさが浮かび上がってくる。細密画を描いて体を上げてみると、バランスがむちゃくちゃだった、という感じか。
伏線や小道具の使い方。見所を釣り合いよくはめ込んでいく構成など、西谷監督の手腕は近年の邦画にない映画らしさを感じさせてくれてくれるが、向き不向きとして、もっと細々した人情的な作品の方が西谷監督の得意分野なのかもしれない。

脇を固める俳優陣も、いかにも選りすぐりで格調高く、きちんとした映画の範疇で見られる映画であることに間違いはない。

全編なぜかテレビドラマの映画版といった雰囲気だが、よくあるテレビスペシャルを劇場で流しました的ななんちゃって映画ではなく、劇場での上映がふさわしい(お金を払う価値のある)、きちんとした映画だ。

それにしても、題名はなぜこうなったのか、一応関連はあるものの大いに疑問。

2009年8月11日火曜日

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 EVANGELION:2.22 YOU CAN (NOT) ADVANCE.(通常版) [Blu-ray]  

★★★★
~魂の成長へ~

 まず言えることは、今作は現行のアニメーション映画のトップクラスに位置する価値ある作品である。

 物語、画面要素、両者ともに緻密に組み上げられており、決して長くない上映時間なのに満足度が高い。みっちりと餡の詰まった月餅といった印象だ。
 前作に続き展開が非常に早く、密度が高いが、せせこましいかといえば、そうでもない。全体のリズムは早いが、その中での緩急は守られているため、ゆったりした箇所はきちんとゆったりしている。

 その中で描かれる物語は、まさに「破」と呼ぶにふさわしく、旧作とは異なる展開を繰り広げる。差異はあらゆる箇所に数かぎりなく、もはや異なる物語だと断言したくなるが、なお全体の骨格は守られている。
 この不思議な感触。
 物語自体が特定の方向に進んでいこうという力と、登場人物達がそれにあらがおうとする力がせめぎ合っている。
 運命と意志のぶつかり合いを感じるのだ。

 実際、旧作から最も変化しているのは、登場人物の心だ。
 性格が変わっているのではない。
 同じ人物が、経験を積むことで、磨かれ、強く、やさしくなっているという変化。

 魂の成長。

 一度の命ではたどり着くことの出来なかったところへ、繰り返し這いずりながら進んで到達しようとする一途。
 中でも主役たる三人、シンジ、アスカ、アヤナミはみな好感を覚える方向へ歩み、自暴自棄や狂気、虚無から離脱しようとしている。

 見ていて、何かとてもうれしいのだ。
 懐かしい友人が、苦労の末、立派になった姿を見ている。そんな心強さを感じる。

 ネットを見回しても絶賛の嵐だ。それに紛れた批判は、なかなか耳に届いてこない。だから自分は自分で、きちんと問題点も書いておこう。

 童謡を差し込むセンスには、反吐が出る。
 希望のない悲惨なシーンで、懐かしいあの歌を流されるのは、今になってトラウマを植え付けられるようでムカつく。シーンの意味にもつながっているし、雰囲気もあっていると思うが、余りに悪趣味だ。せめて英字歌詞にしてくれれば良いあんばいになじんだと思うが、ぬけぬけと声優に歌われてしまっては失笑せざるを得ない。
 これだけ才能が結集していれば、もっと美しい演出が可能であったろうに、思いつきに捕らわれて、そのまま形にしてしまった感じ。幼稚だ。

 クライマックスシーンの歌も同様に違和感を拭えない。
 率直に言って、歌声が素人臭い。にぎやかな曲ならそれに紛れて気にならないのだろうが、しっとりと聞かせるのには無理がある。映像の完成度に反して歌声が不安定。どうにも気になって仕方がない。
 母が子供に聞かせる子守歌のような雰囲気を狙ったのだろう、とも思える。歌っているのは『彼女』であるし。だけれど、これではせっかくの盛り上がりに水を差すだけではないかと思う。

 そして最後に、どのように見ても、これは「つづく」と出る中途の作品だ。期待は大きいし、延長線上には傑作の二文字が見える。
 だからこそ、絶賛は避けるべきだ。
 きちんと襟を正し、冷静に、続編や完結編を待とう。
 その上で、ああ、傑作だったな、とようやく言いたい。

 ここまで胸躍る作品を見せてもらえたのだから、焦ることは無いだろう。

 物語全体の仕組みにも様々な仕掛けがありそうだし、新キャラクターの活躍もまだまだこれからだと思える。
 つづきを楽しみに出来る作品になってくれたことが、古いファンにとってとてもありがたい。 

 

 

 Qの感想は当時ショッキングすぎて書けなかったのだ……。今なら書けるかな。

◆四部作の一作目『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』の自分の感想はこちら

 Evangelion: 1.11 You Are (Not) Alone [Italian Edition]
★★☆☆☆
~マイナーチェンジ~

◆四部作の最終作『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』の自分の感想はこちら


★★★★★
~一緒に変わってきてくれた~

 

 

 

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

Evangelion: 1.11 You Are (Not) Alone [Italian Edition]
★★☆☆☆
~マイナーチェンジ~

 一時代を築いたアニメーションの一大記念碑的作品「エヴァンゲリオン」。それを四部作に分けて再度新規作成するという壮大な企画の第一作。
 果たして前向きなのか、後ろ向きなのか。

 かなりの急ぎ足で旧版の展開をなぞっていくダイジェスト作品。前情報無くこれを見て、話を理解できるのかどうかが心配になってしまう。旧作を見ている人がターゲットということだろう。横綱相撲というか、超弩級の実績をもつコンテンツだからこそとれる手法だ。

 見た印象は良くも悪くも旧版と変わらない。ただやはり、幾何学使徒のイメージは大きく拡張され次世代感を感じさせてくれる。それがほぼ終劇あたりなので、見終わったときの満足感も余韻もそれなりにある。

 その他気がつくのは、テレビで見たのと同じシーンが多いという点。
 もともと「再構成」を強く押し出していたので、額面通り、嘘偽りがないのだが、同じレイアウトから描き起こしたという割には大したこと無いなあと感じた。が、後にテレビ版を見直してみて驚く。

 テレビ版のクオリティの乱れが目について仕方がないのである。

 当時はテレビ放送されているアニメとは思えないクオリティと安定度にしびれたものだが、再見の印象は(変わらずおもしろい作品だが)20年近く前のアニメーション、という言葉通りの物であった。
 そうしてみると、変わらないなと思った新劇場版のそれぞれのシーン、の完成度は確実に向上し、不安感無く鑑賞できるよう整理整頓されていたと思い知る。記憶の中で思い出が美化されるように、エヴァンゲリオンも記憶の中で詳細が消え去り、すばらしいと感じた印象だけが残っていた。その印象に対抗して「変わらないな」という感想を引き出した今作は、まさに再構築という仕事について非の打ち所のない結果を出したことになるだろう。

 この後、テレビ版とは異なる筋書きに突入していくとのことだが、それが本当ならこれは素直に楽しみだ。次作が同様の再構築に過ぎなかったとしても、それはそれで楽しみだ。
 ただ再構成に過ぎないのだとすると、求心力のない、懐古趣味的作品となってしまうだろう。一線級スタッフの時間と魂の消費をいささかもったいないと感じてしまうことになるのではと危惧を薄く投げる。

 

 

 Qの感想は当時ショッキングすぎて書けなかったのだ……。今なら書けるかな。

◆四部作の二作目『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の自分の感想はこちら

 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 EVANGELION:2.22 YOU CAN (NOT) ADVANCE.(通常版) [Blu-ray]
★★★★

~魂の成長へ~

◆四部作の最終作『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』の自分の感想はこちら


★★★★★
~一緒に変わってきてくれた~

 

 

妖怪大戦争

測定不能(これは吉本新喜劇)
~北極点到達~

寒いギャグ、寒いシナリオ、寒い映像の三つのCoolそろい踏み。
これを気にせず公開する様は、まさにCoolなBusinessStyle。割り切り良すぎて反吐が出る。

ハリウッドに比べ、残念ながら日本映画のCG要素はつたない。
かつて威容を誇った特撮技術も、技術の世代間伝授に失敗したため、すでに滅んだ。
妖怪が大暴れするという性質上、どうしてもCG、特撮が不可欠な今作。予算も低そうだし、映像クオリティに文句をつけても大人げない。むしろ、この程度のクオリティにはすでに慣れているので、悲しいかな特別に腹が立つわけではない。

見ていて厳しいのは、頭にくるのは、吉本の芸人総出演の安っぽさ。
TV番組のコントなら失笑で済ませることのできるシーケンスを最初から最後まで並び立てる。
これが新喜劇ならば、客は皆大前提として笑いに来ているのだから、相当空気が悪くない限り笑ってくれるだろう。

この映画はそれと知らずに入ったお笑い会場だ。
世界に入れない限り、常に忍耐をしいられる一種の修行に取り組むことになる。

たとえば……、
興味もないのに、女性に誘われてほいほいついて行ったアイドル映画とか、
演劇を見慣れてないのに突然見たライオンキングとか、
ちょっと企画説明して、と行ってみたら重役そろいぶみのマジ企画会議だったとか。

そんなの聞いてないよ~という絶叫が響くばかり。
その絶叫はある意味悲壮で、恐怖で、ああ、この映画自体が妖怪だったよ、と思えば納得できる。

ともかくこれは吉本新喜劇であって、映画の範疇で判断するのは難しい。測定不能とさせてください。

2009年8月5日水曜日

ハッピーフィート

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 測定不能(見ていて気持ちが悪くなった)
~素直に気持ち悪い~


今やハリウッドの一翼、CGアニメーション映画。
歌で愛を語る皇帝ペンギン。それなのに歌が歌えない主人公は、タップダンスだけが得意だった……。

……と聞いてもピンと来ない事と思う。そしてその気分は終劇まで続く。
何が致命的なのだろうと考えると、売りであるべきCGアニメーションが厳しいのだと言わざるをえない。
今やCG技術は成熟し、どのようなイメージでも描き出すことが出来る。その中でアニメーションの場合は得に、どの程度デフォルメし、擬人化するのかを決断しなければならない。
この作品は、その着地点を見誤った。

ペンギンの子供のフワフワ柔らかそうな体毛。氷ばかりなのに見飽きることのない様々な表情の世界。歌に合わせて踊る大量のペンギン達……。
それぞれについては素晴らしいCGクオリティだ。それなのに気持ち悪いのは、ペンギンのリアルとデフォルメのバランスが良くないからだろう。

「不気味の谷」という言葉がある。
CGグラフィック技術の進歩に合わせて生まれた言葉で、中途半端なリアリスティックが、見た人に嫌悪感を生むというものである。
つまり、見た目は完全に人間であるのに、動きがぎこちなかったり、瞳に感情や魂がこもっていなかったり……。蝋人形館の人形達が動き出した感じだろうか。
この映画はまさにそれで、不気味の谷の大行進になってしまっている

特に気になるのがキャラクターの動き。半端にペンギンらしすぎるのだ。
ヨチヨチと不器用に歩くペンギンの姿は特徴的でかわいいが、ミュージカルシーンの地味さにつながっている。可動範囲の少ない、ペンギン的な動きのまま、踊っているのだから、どうにも見栄えが悪い。アラジンのジーニー並とは言わないが、もっとアニメーションらしく動かせば良かったのではないだろうか。

ここまで来ると、視覚から来る先入観も手伝って、人物像や物語まで気味悪く感じられてしまう。
主人公は子供心(夢?)を捨てない象徴として、最後まで産毛に覆われたままだ。体格良く、色気づいているのに子供の姿。これはもう薄気味悪い怪物だ。冒険を果たして毛が生え変わり、大人になりましたというなら分かるがエンディングもそのままとはどういう事か
主人公が人間に捕獲され、動物園で壁を向いてぶつぶつしゃべるシーンは、絶望の表現としも病的過ぎるのではないか。(なお、このシーンでは人間が実写映像で扱われており、これまた気持ち悪い。)

結局各種問題は主人公のタップダンスで解決してしまうが、正直うまいのかどうかさえ分からない。足元をセコセコ動かして、外れたようなリズムを演じられても、直感的にすごさは伝わらない。絵としても、これまた地味に過ぎる。
一般常識や、伝統文化になじもうとしない視野の狭い若者が、自分ではすごいと思っているタップダンスを周囲に振り撒きながら、人間との意志疎通を果たして成長もないまま故郷に帰る。思い人は何故か彼を待ち、一族は彼を英雄に祭り上げ、大団円……。
夢落ちで、目覚めたら一族のつまはじきでした、というならまだしも、一貫して気分の悪くなる作品だった。
嫌悪の一念を込めて、測定不能とさせて頂く。

2009年7月29日水曜日

トランスフォーマー リベンジ

トランスフォーマー/リベンジ [Blu-ray]

★★★☆☆
~変形シーンの魅力が消えた~

第一作のヒットを受けて、あれもこれも盛り込んだ第二作。
二時間半の時間も気にならない、見所連鎖のジェットコースタームービー。
続編らしい量の増加を基本とし、物語もそれなりにきちんとまとめている。
ともかく見終わった後、チケット代を損をしたとは思わない。誰もが値段分は確実に楽しめる。これこそハリウッドの王道。
冒頭からの圧倒的なつかみですでにある程度満足できてしまうのがすさまじい。

気になる点も多い。
物語に言及するのはそも野暮なのでスルーするが、最も残念だったのが、変形の扱いである。
前作では、変形シーンとそれを取り入れた臨機応変なアクションが最大の魅力だと感じていた。その熱量が今作で低下してしまっている。
変形のなにが素敵かといえば、変形前と変形後、姿が全く異なっているのに、それらは嘘無く可能な変化で、しかもそれぞれが十分に格好いいという点である。変形に説得力と必然性が欲しいのだ。
実際に見かけるオブジェが、とてつもない機構で姿を変えて、人型となる。この驚きが前作の核だった。
今作でも工事現場の建設機器が合体変形して巨大ロボットになったりするが、何というか、変形後の姿がよく分からないのである。うねうねと蠢いて、生物的になったのは分かるが変形前と変形後の共通部分がなさ過ぎて、変形の感動がない。部品をバラバラにして組み直しました、では変形ではなく変態だ。
この変形のがっかりさは、敵側のキャラクター全般に言えるもので、しかも異星人の機械(戦闘機であったり戦闘車両であったり)から変形する。さらに彼らは基本的に銀色ピカピカで、変形前後とも形が理解できず、ただのごちゃごちゃした機械の固まりに見えてしまう。
形が捉えられないから描き分けも理解しにくい。敵は一兵卒とトップでも見分けがつかないくらいだ。 

この無頓着は、何なのだろう。

ひょっとして日本人は輪郭で視覚認識する傾向が強いために混乱してしまうのだろうか。欧米人はボリュームで形状を把握しているため問題とならないのかもしれない。

さらにそもそも、変形シーンが少ない。
今回ほとんどの戦闘が市街以外で行われる。しかも主となるのは砂漠。
つまり、トランスフォーマーの多くがかたどる車両形態の使いどころがないのである。
前作に見られた、変形を織り交ぜた戦闘アクションが、とんと見られない。もしくは、印象に残らない。
高速で疾駆しつつ、人型へ、とか、人型が突然姿を崩して局面を切り抜ける、という一線画したトランスフォーマーならではの戦闘が少ないのだ。
代わりにあるのは、巨大ロボットの殴り合いだけで、これはもう食傷気味。

このように前作のインパクトと比べると物足りない続編だと感じたが、思いついた要素全てぶち込んだ闇鍋のようなボリュームと威圧感は一見の価値あり。
やはり映画館で見るのがふさわしい作品。

とまれ、あれこれ下品なのは閉口だけどね。 

 

GOEMON

★★★★☆
~見るべき価値がある~


本人名より宇多田ヒカルの元配偶者として呼ばれる紀里谷監督。
劇場映画初監督作品「キャシャーン」は、ひどい映画の代名詞のように言われているが、自分にとっては興味深い作品だった。
同じように第二作「GOEMON」も映像表現について考えさせられる作品で、十分に楽しむことが出来たが、一般の評価は芳しくない。

映画の見方は、鑑賞者にゆだねられており、我々が思う以上にその角度は多様なのだ、と改めて思う。
なんについてもそうなのだろうが、評論は自分の意見が絶対ではないことを前提にして語られなければならない。それをきちんと前提に出来る者が「まあ人それぞれだよね」と言う虚無に立ち向かい、共感しあえると信じて語る内容であるべきだ。

GOEMONは実写映画としてではなく、アニメーションとして見るべき作品だ。

人物と背景のなじみや、突拍子もないアクションシーンが「リアルでない」という意見を聞くが、それはおそらく慣れに過ぎない。
あれは、ああゆう表現なのだ。
実写的な素材でアニメーションを作ったらどうなるのか、という表現だと思えばいい。
かの「マトリクス」シリーズもジャパニメーション(日本のリミテッドアニメーション)のイメージを実写化したという要素を含むが、あちらは実写映画の範疇にアニメのイメージを取り込んだ作品で、GOEMONはアニメの範疇に実写要素を持ち込んだ作品だ。似ているが根本相違は大きい。
考えてみて欲しい。
アニメーションは異質だ。
ポスターカラーで描かれた背景の上にムラのないきっちり塗り分けられた人物が乗る。その人物もデフォルメされてけっしてリアルではない。
その違和感を納得した上で、受け取る感触が現実的かどうか、として我々はアニメーションを見ている。
今作も違和感という壁を無視できるなら、ともかく世界観のおもしろさを十二分に味わうことが出来るはずだ。

遊郭での舞踏シーン。
巨大金庫。
西洋デザインが浸食した戦国末期の日本の風景。

どれも豊かなイマジネーションに溢れ、凡百の作品にはない「威容(異様)」を放っている。それらの密度とスケールはキャシャーンを遙かに上回り、紀里谷監督が確かに前進したことを感じさせる。
この絵づくりについては、一定の評価を受けるのが正当だ。

しかし同時につたなさにも溢れている。
物語に、より魅力があれば、違和感払拭のハードルも下がっただろうが、どうにも癖が強くていちいち引っかかる。誰もが自己主張しすぎで、結果物語としてつながることなく孤立。ボーカルばかりのバンドグループという感じ。
画面クオリティの波も気になる。
特に最後の合戦シーンは、描きたいイメージは分かるがどうにも平板で、密度も薄く、クライマックスには物足りない。力つきた感が強い。

物語も相変わらず説教臭く、語る人間に重みがないのでさらに胡散臭い。心に届かない大上段な言説(行動)はどうにも宗教臭くて身構えてしまう。

このように進んだ点、変わらぬ点を引き連れながら、それでも監督の世界観は魅力的だと思う。イマジネーションの可視化という点で、注目に値する才能だろう。
良い点、悪い点を見極めて、それぞれにふさわしい評価をするのが、この作品を楽しむ正しい方法だ。

ところで、キャシャーン、GOEMONは押井監督の作品との比較がおもしろい。
イノセンス、スカイクロラと公開タイミングが同じで、内容的に相似と相反が綺麗だ。
前述のように、監督は実写素材でアニメを作ろうとしている。
対して押井作品はアニメ素材で実写を作ろうとしている。
キャシャーンとイノセンスは二人がすれ違う瞬間でGOEMONとイノセンスはすれ違い、進んだ後だ。
片やケレン味に走りすぎて軽薄だといわれ、片や地味すぎて記憶にも残らない。
次の作品の公開時期もまた重なるのだとしたら、それぞれがどう変化しているのか、単体で考えるよりもコントラスト豊かに示してくれそうだ。

ちなみに自分は、外向きに進む紀里谷監督の方に未来を感じる。

2009年6月30日火曜日

エイリアン4

エイリアン4 [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]

★★☆☆☆
~女達の映画~ 

前作で悲劇的な結末を迎えた主人公、リプリーが再び墓穴から掘り起こされる

一作目から続けざまに見てみると、なにかもう深刻さを越えた喜劇のような気がしてくるから不思議だ。女版ロッキーみたいな感じか。
リプリーが気の毒になるが、そこは飲み込まなければ始まらない。

今作はこれまでのシリーズとあまり関連が無く、単体で鑑賞しても遜色なく楽しむ事が出来ると思う。シリーズ進行に従って、エイリアンの弱体化(人間側の対抗力アップ含む)が進んでいるため、底の知れない恐怖はなくなっているのは残念。
しかし、リプリー自身のエイリアン化、人間の遺伝子を含んだ新エイリアンの登場によって世界観の広がりが生まれている。方向性に好き嫌いはあろうが、前進も後進もしなかった「3」に比べれば評価できる点だ。そこから様々な物語の可能性も膨らむ。 

ただ、こうした追加要素を十分に生かせたとは言い難く、多用の消化不良は残るが、起承転結のとれた物語は無理無くコンパクトにまとまっている
3で下向きになったシリーズの調子に浮力を与えた作品だろうと思うが、その後続編はなく、世の評価は厳しかったということか。

ウェノナ・ライダーの張りつめた美しさが、切ない輝きを発しており、劇場で見た時の鮮烈な印象もいまだ心に残っている。彼女のその後の凋落には胸が痛むが、映画出演もコンスタントに続いているし、たいしたダメージではないのかもしれない。 

見終わって記憶に残るのは、リプリー(シガニー・ウィーバー)、コール(ウェノナ・ライダー)、そしてクイーンエイリアンの見せた母性。 

やはり、エイリアンは女性の戦う映画だ。 

監督ジャン・ピエール・ジュネは日本でヒットした単館系フランス映画「アメリ」の監督であり、接点があるような無いような不思議な印象である。


 一作目『エイリアン』の自分の感想はこちら。

エイリアン [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
★★★★

~遠すぎない未来像~

二作目『エイリアン2』の自分の感想はこちら。

 エイリアン2 [Blu-ray]
★★★★
~相似拡大+α~

三作目『エイリアン3』の自分の感想はこちら。

エイリアン3 [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
☆☆☆☆
~きれいだけど、おもしろくない~ 


 

エイリアン3


 ※Amazonの商品リンクです。

☆☆☆☆
~きれいだけど、おもしろくない~

いまや大御所と言っても差し支えのないデビッド・フィンチャーの映画監督デビュー作。初手でこの有名タイトルの続編。大抜擢と言ってよいと思うし、実際定番の映画監督となった今、その判断は間違ってはいなかっただろう。
ただ、残念なことにこのデビュー作は、佳作とも言い難い残念な出来だ。

 

シリーズの設定に頼っているくせに、シリーズの積み上げてきた要素に対しての尊重を感じない。
2であれほど苦労して生き延びた登場人物達が、着陸時に主人公以外全滅。
過去を断ち切って物語を始めたいという事か。続編までの期間があいているし、精一杯の判断だったのかもしれない。
それにしてもその後の展開が平坦なので、見ている方は特に引き込まれることもなく妙な悪意と残酷だけが吹き荒れる画面を冷静に見つめるしかなくなる。
また、1・2で重要な要素であった、弱者を守るために母性で戦う主人公、という枠組みが無い。(ラストのリプリーの抱擁にそれを求めるのは苦しすぎる) 

 

夜の製鉄所のような炎が美しい風景。
アンドロイドの蘇生。
ぬめぬめとした嫌らしい背景の質感。
宗教に傾倒した囚人の労働施設。 

 

各要素や画面には、監督特有の美学、タブーを軽く越える軽快さがあり、その後のセブン、ファイトクラブ、ゲームといった作品の萌芽を感じる事ができるが、今作では要素が個別に屹立しているだけといった印象。 

 

結果、つぎはぎの印象で、物語る手段の映像ではなく、イメージ映像の羅列となる。
ミュージックPVの監督として頭角を現したフィンチャーが、その殻を破り、孵化するのに必要だったのが、この作品なのかもしれない。 

 

 

2009年6月19日金曜日

スタートレック(2009年)



★★★☆☆
~軽い宇宙~

スタートレックを見るのは初めて。カーク船長とMr.スポックの名前くらいしか知らないので、そういった層の感想として読んで欲しい。

全般にテンポがいいが、何事も軽い。
スケールが大きいといえばいいのか、無頓着といえばいいのか、惑星規模の壊滅もただのワンエピソード。
そこに、情感はない。
登場人物の感情はパキパキときれいに切り替わり、後を引いたり根に持つことがない。皆一様にポジティブで、細かいことを気にもしない。悲しみに捕らわれることもない。
それがバカバカしいかというと、そういうわけではない。
画面クオリティとシーン断ちきりの潔さが、興味を持続させてくれるのだろう。
適度ないい加減さと明るさが、スタートレックというシリーズの特徴なのかもしれない。この感触はどこかで感じたな、と思い起こすと、特攻野郎Aチームであった。

ともかく、あっという間の二時間で、時間がすっ飛ぶ感じを久し振りに味わった。この情報量をこの時間にパッケージする手腕はすばらしい。楽しめる映画であることは疑いなく、娯楽映画として申し分ない。

ただ、感情的な掘り下げは無く、登場人物に感情移入することは難しい。
自分はほとんどスタートレックについての知識はないが、それでも耳の形が異なるスポックの顔は知っていたし、エンタープライズ号の形状も知っている。
この超巨大な知名度の影響を受けない、本当に初見の人の感想はどのようなものになるだろう。興味深い。

思い返してみると、特に何も残っておらず、ストーリーも児童小説のように公明正大すぎて影がない。
この後味こそ、ああ、娯楽映画だ。

サンシャイン2057

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★★★★
~恐ろしい宇宙~


最近、宇宙が怖くない。
映画、アニメ、小説……。さまざまなメディアのさまざまな物語が舞台を宇宙にして繰り広げられ、徐々に当たり前の存在になってきた。

「進んだ科学力」の一言で真空、低温、太陽光といった宇宙空間が、ただの物語舞台として固定される。そこには、宇宙が本来持つ底抜けの恐怖、虚無の深淵が無い。

今作は、忘れかけていた宇宙空間の恐ろしさを思い出させてくれる佳作である。

低下した太陽の活動。寒冷化する地球。太陽を再起動させるために、地球のすべてをつぎ込んで作られた限界数の核爆弾。
それを満載して太陽に向かう宇宙船が物語の舞台だ。

地味と言えば、地味である。
別の宇宙に行くわけでもなく、レーザー光線も、ワープもない。
だが、そこで描かれる太陽の恐ろしい事よ。
活動が弱まっているとはいえ、至近の光球は圧倒的なエネルギーで、人類の英知はあまりにもちっぽけで。
鏡面の装甲を傘のように広げて、その陰に隠れて太陽を目指すクルー達。
わずかな事故が数枚の鏡面をずらしてしまうだけで、致命傷なのだ。
数々のトラブルの中、圧倒的な太陽に、宇宙に、精神が飲み込まれていく……。

科学に基づいているのと言えば、怪しい点は多い。宇宙船内に重力が生じているのも、映像化の際の都合だろう。
しかし、ともかく描かれる太陽の恐ろしさに体が焦げそうになる。地上で見上げた太陽でさえ、直視できない存在であることを知っているから、条件反射のように身悶えしそうになるのだ。

それは太陽に飛んだイカロス、神に近づこうとする科学文明の寓話であろう。己の矮小を目の当たりにした人間精神の変遷が、この作品のもう一つの恐怖だ。
圧倒的な存在の前で、人間は、己を省みることを始める。徐々にあぶり出されていくクルー達の深層心理……。

こう書くと何か小難しい印象かもしれないが、むしろこのような意味合いを感じにくいように作られている。直球過ぎないようにうまく重層的に構成して、エンターテイメントのわかりやすさを失わずにまとめている。まとまりすぎて、よくある凡作に数えられても仕方がないほどだ。

例えば、太陽に向かう宇宙船には同型の先行者がいた。初号が謎の失踪を遂げ、再結成された最後の希望が主人公達の乗る船である。
主人公達の精神が、太陽に近づくにつれて変化していく。その変化の予兆を描いておいて、行き着く先としては初号とのコンタクトをえがくのだ。

監督はトレインスポッティング、スラムドッグ$ミリオネアで名を馳せるダニーボイル。今作は低迷期の一本と数えられるが、独特のスピード感とラストの不思議な甘やかさは今作も健在。

自分はダニーボイル監督映画のラストが好きで、どの作品のラストも心に残っている。
どんなに絶望的な状況でも、そばにある小さな希望をつみ取って、掲げるようなエンディングなのだ。
反対に諸手を上げるハッピーエンドも無い。ほろ苦い思い出、といった感触だろう。

あまり過度に期待すると拍子抜けになってしまうと思うが、埋もれてしまうのも惜しい今作。レンタルビデオ屋でふと思い出して、見て欲しい作品。

2009年6月11日木曜日

トランスフォーマー

 

★★★★★

~映像の力ですべてを駆逐~
CMやコピーは「地球はすでに侵略されていた」みたいな感じで、宇宙人の侵略系映画として売ろうとしているが、それは間違い。
正しいコピーは、
「変形(トランスフォーム)かっちょいい!」
もうこれがすべてで、これだけで星五つ。
話はばかばかしく、つじつまも合っていません。人情もばらばらで、どうにもまとまりません。不必要だと思える人物、シーン満載で、適切なカットで30分は短くできます。

このようなダメ要素満載にもかかわらず、それらすべてを覆す力業を披露しているのが、変形シーン、並びにロボットアクションシーンの強烈なインパクトと魅力。
思えば、物体を輪郭ではなく立体でとらえるのが西欧文明だと言われますが、確かにこれまでの洋画に出てくるロボットは基本的に骨格標本のようなタイプばかりです。もしくは油圧パイプが重機をイメージさせる、兵器系。
・ショートサーキット
・ターミネーター
・エイリアン2
・マトリクスレボリューション
この辺りのロボットを想像すれば分かりやすいでしょう。
ひるがえって、日本のロボットといえば、外見のデザインありき。外骨格です。
この違いは、西欧では写実が発展し、日本ではデフォルメした芸術が進展したことと同義です。
ところがトランスフォーマーは元は日本初の玩具とともに生み出されたアニメ。そのデザインを尊重する限り、バリバリのハリウッドなのに「外骨格」の雰囲気をとどめているのです。
もとより、商業主義、ご都合主義によりすぎだと言われるハリウッドですが、最強国家米国の心の拠り所たる文化産業。プロフェッショナルな仕事ぶりは追随を許しません。最先端の技術と最高の人材が作り上げた、日本デザインのロボット映画!
これは今のところ、唯一無二でしょう。
(ガンダムが米国で実写映画化されていましたが、あれはあちらのインディーズみたいなものだと思っています。)

従って、そのコンボイ司令(米国では違う名前になっていますが)の勇姿たるや、心震えずにはいられない、まさにイデアの実写化。
おそらくもうしばらくすれば、この驚異の映像でさえ、相対化され、通常のクオリティとして埋没していくでしょう。だからこそ、陳腐化しない今のうちにみておく一本だと思います。

……ところで、コンボイはフォルムこそ外骨格ですが、その内側には例によって筋骨組み込まれた米国テイストです。それ以外のトランスフォーマー達は、そもそもどちらかと言えば内骨格に近く、米国の趣味嗜好が変わったというわけではないようです。

銀河鉄道999

銀河鉄道999 [Blu-ray]

 ★★★★★ 
~奇跡のラストシーン~

もう何度も見ており、すでに感想も書いている。
以下は2002年の感想文。
----------------------------------------------

松本零士原作のSFロマンを二時間に凝縮。
詰め込みすぎず、足りなすぎず、適度な分量が良い。

謎の美女メーテル。一途な少女クレア。
銀河を結ぶ蒸気機関車。
天に昇って途切れる軌道。

ロマンあふれる断片が数多く心を掴む。
ラストシーン。
別れの時間を告げる時計越しに二人の姿。
同じシーンを何度も重ねる手法が、気持ちと合致する。
そしてゴダイゴのテーマ曲がかぶって。
あまりに綺麗にまとまっているため、この後出た続編が
蛇足的な扱われ方をするほど。
----------------------------------------------
今回は五年ぶり。PS3のアップコンバートで、HDテレビにて鑑賞。
DVDの限界で暗部の階調に難があったり、何より劇場では4:3だったのを、無理矢理上下を切って16:9にしてあるため、いくつか不自然なシーンが目につく。
次世代ディスクでの、4:3登場を切望。

改めて見てみても、この大冒険の起承転結を、なんとうまく一本の映画にまとめてあるものかと感心せずにはいられない。
取るべき所では間を十分に取り、はしょるべき所は一気にとばす。
原作やTVアニメとは違い、どうしてもエピソードが少なくなるため、旅路の重みを多少軽く感じてしまったり、世界の厚みが微妙に感じられたりといった点もあるが、二時間の制限の中でここまでまとめ上げたことに脱帽。

しかし、ともかく。
この映画のラストシーンは、良すぎる。
何度見ても輝きを失わず、すばらしい。
ただただ感動な訳だが、今回は繰り返し分析的に見てみた。

このラストシーンがすばらしいのは、鉄郎とメーテルの、それぞれの心の動きが見事に表現されているからだろう。
表情だけでなく、行動だけでなく、レイアウトや音楽やシーンのつながり、そのすべてで、二人の別れを表現している。
ホームで二人が語り合うシーンからスタッフロールのバックまで、一つ残らずすべてのカットが、完璧に関連して構成されている。
これは、数多くの名画の中でもまれな、奇跡的なラストシーンなのではないだろうか。

鉄郎の心細い語り。
揺るがない、メーテルの表情、その決意。
こくりとただうなずく、決定的な拒絶。
その凛としたイメージ。
母としてでなく、弁解でもなく、愛を込めた口づけ。
その二人をぽつんと写し、画面のほとんどを埋めて鳴り響く発車のベル。
走り出す列車。
ホームの端まで見送り、一度止まる鉄郎。
しかしもう一度、出来る限りの行動で気持ちを示し、メーテルと別れるために、鉄郎は線路ぎわを走る。
客車に入ったメーテルは鉄郎に気づき、窓を開けた。
メーテルの長い髪が踊り、二人は視線を交わす。
この時点で、お互いが求め合っていても、二人の別れは揺るがない。
二人とも、別れは必然と受けとめながら、それでも精一杯の思いを交わしている。
決定的なのは、メーテルが髪をかき上げるカットが、鉄郎の懸命の疾駆を挟んで三度繰り返される部分。
全く同じカットが、三回。
メーテルが、窓から身を乗り出し、髪をかく。
この瞬間、メーテルは固着された。もう犯されぬ、青春の記念碑となったのだと感じた。
そう。思い出の中では、イメージはぶれのない繰り返しなのだ。新たな情報の追加がない状態で、人は愛しい人の記憶を、繰り返す同じシーンとして思い起こす。
飛び去る999を見送る鉄郎。
涙に合わせて、ゴダイゴの名曲が開始される。
スタッフロールの中、鉄郎はとぼとぼとレールを歩き戻る。
その背中は物淋しく、あまりに切ない。
一枚の紙(スローで確かめてみたらハーロックの手配書でした)が舞い飛び、それを追って鉄郎が、振り返る。
そして、そのままじっとこちらを見つめている。
もちろん、紙切れに導かれた視線がそのまま見やっているのは、もう姿のない999であり、それが連れ去ったメーテルである。
じっと、動かない。
その間、鉄郎はなにを思うのだろう。
もう999も、メーテルも居ないことを確かめているのか。
それに連なる、これまでの旅を、一度に振り返っているのか。
最後に、鉄郎ははじかれたようにまた向こうを向き、一心に走り出す。
メーテルを追ったのと同じ情熱に見える足取り。
とぼとぼ歩き、振り返った後だからこそ、その姿は、逃げるのではなく前に進む決意なのだと感じられる――。

やはり、どうにもすばらしいラストシーンだと思う。
昔、なぜメーテルはまた旅立つのか、分からなかった。姿が変わっても、なぜ戻って来る約束をしないのか。
その不思議は、今回の鑑賞で、自分なりには解けた。
メーテルが、なぜ自分で惑星メーテルの中心に起爆装置を投げ入れることが出来なかったのか。その理由と一緒に考えることで、とても素直に理解することが出来た。

メーテルにとって、鉄郎は一人ではなかったのだ。
数多くの鉄郎と出会い、旅し、彼らの人生を操ってきた。
だから、去ったのだ。
メーテルの凛とした態度は、紛れもなく、永遠のヒロインにふさわしい輝きで。
僕は、アニメを見る人種に生まれたことを、深く感謝します。

硫黄島からの手紙



~邦画っぽい洋画~
★☆☆☆☆

「父親達の星条旗」と対になる、二次大戦硫黄島の激戦を日本軍視点で描いた映画。

あまり出来が良くない。

同じスタッフで作ったはずの「父親達の星条旗」と比べても、明らかに出来が良くない。
父親達の星条旗の映画資産の残り物で組み立てました、という程度の映画。

渡辺謙、中村獅童といった配役はぴたりとはまって居るのだが、主役の一人である元パン屋の一兵卒がどうにも厳しい。
演技が下手といったこともなく、そつなく演じているが、役柄が風貌とあまりにかけ離れている。
世を斜めから見ながらも、仲間を大切にする男気ある無頼漢なのだが、重みのない若輩者、北の国からの「純」のイメージに重なる顔つき、演技であるため、ただの粋がったヤンキー兄ちゃんに見えてしまっている。
従って、彼が展開する物語の主題、生きることと死ぬことの意味、戦う意義、といったヘビーな要素が、空回りしきり。
特に痛いのが、回想シーンでヒゲ生やして和服着た立ち居振る舞い。もうアイドルドラマかコントの風情で失笑。
おそらく、アメリカ人の視点でキャスティングしたために起こったずれなのだろう。
東洋人の年齢は分からん、とよく言われるみたいですし。

地下壕のセットが安っぽかったり、表情ポン寄りで回想シーンなど、ちょっと待ってくれという、良くいえば基本的、悪く言えばステレオタイプなカットつなぎ。何か、やる気のなささえ感じてしまうほど。
悪い意味で、邦画っぽい。ださいのだ。
ひょっとして、こちらの作品のスタッフのほとんどが日本人だったのだろうか?
監督だけクリント・イーストウッドで。
※スタッフロールではそんなこと無いようなのですが。
台詞ボリュームが小さすぎて聞き取れない点も、非常に気になる。

物語の展開は行き当たりばったりで、ただの説明要素の羅列。
これは、「父親達の星条旗」と同等の存在として作られたのではなく、父親達の星条旗をよりよく楽しむための副読本的な存在なのだろう。日本人ならどこかで聞きかじったような戦時中の日本の様子を、アメリカ人に説明するための、おまけ。
否定したいが、日本人の感情に配慮し、また、日本での興行収益を上げるための壮大な広告戦略だったのかもしれない。

というわけで、二本一組の映画のように言われるが、ほぼ抱き合わせ販売だ。

父親達の星条旗



★★★☆☆
~現実的な戦争映画~

第二次世界大戦で激戦が繰り広げられた硫黄島。
クリント・イーストウッド監督が日米それぞれの視点から描いた映画のアメリカ視点バージョン。
といっても、まるっきり同じ事象を別視点で描いているだけの、マルチカメラ的な作品ではない。
父親達の星条旗は、硫黄島攻略の象徴として立てられた星条旗の写真を軸に、英雄とは何か、何のために戦うのか、と問いかける。

ともかく時系列が複雑に入り組み、構成が分かりにくい。
現在と過去を織り交ぜることで過去と現在のつながりを描こうとしているのは分かるが、つながりが唐突すぎて理解しがたい。難しいのでなく、分かりにくい。
したがって二度三度と見れば問題ないのだろうが、二度三度見たいとは思わない。

これがどの程度史実に基づいているのか不明だが、アメリカも大変だったのかもしれないな、という印象が新鮮だった。
第二次大戦のアメリカは、たいした犠牲を出すこともなく、物量作戦で楽々勝利したというふうに思っていたが、考えてみれば、そんなはずもない。
多くの激戦で、アメリカ側も大きな犠牲を払い、国内も火の車だったと、その点をこの映画に教えられた。

実際、この映画はアメリカの戦争映画にあるまじく、米軍大活躍のシーンがない。
描かれる戦闘シーンは、米軍不利の状態の物ばかりだ。

総体的には米軍が有利になっていったのは事実だが、その各所では、やはり倒れた者が居たのだし、銃撃の恐怖は有利な戦局でも、不利な戦局でも、変わらず強烈なものであるに違いない。

しかし、全般に冗長で、もっと短くまとめた方が理解しやすくなって良かったと思う。
深い計算なしに即興的にくみ上げられたような全編の構成が、あまりプラスに働いていないと感じる。

2009年6月10日水曜日

ターミネーター4

 ターミネーター4 スペシャル・エディション [Blu-ray] 

★★★☆☆
~大味そして尻すぼみ~

 人間と機械の最終戦争。その勝敗を覆すためにタイムマシンで戦士を過去に送り込む。これが全三作の基本ラインだ。
 今作はこれまで断片のみが描かれた未来の戦争自体を舞台としており、新シリーズといってもいい。事実これを皮切りに三部作が作成されるのだという。

 しかしその基盤となる一作目、このターミネーター4がしっかり出来ているかというと幾分心許ない。そもそもタイムマシンものの常、タイムパラドックスが蜘蛛の糸のようにからみつき、こんがらがらざるを得ない。
 実際ターミネーター3は多くの矛盾が指摘され、正史からはずされているとか。同様にターミネーター2の後を描いたテレビドラマ版ターミネーターも、内外に矛盾をはらみ、結局、直接のつながりはないパラレルワールドのお話ということらしい。いろいろ膨らみすぎて収集つかないのも、アーサー王伝説、三国志のような英雄談がたどる道なのだろうか。

 作品自体は、派手で見せ場の多い、考えずとも楽しめるものだ。
 基本的に細かいことは気にせずぶっ飛ばしちまえ、という単純傾向の作品なのでそういう風に楽しめれば良いのだが、前作までの設定が話を複雑にするのでそうも行かない。なかなか苦しいジレンマである。
 また、序盤の異様な盛り上がり、スケールの大きさからどんどん尻すぼみになっていくのが残念。最初のヘリコプターが爆風に翻弄されるシーンなどは、長尺のワンカットでそれを描き、このCG全盛の現在において、どんな風に撮ったのだろうと考えさせてくれる。

 巨大機械の破壊力。
 バイク型兵器の機動力。
 前作をリスペクトしたシチュエーション。

 見栄えのするシーンも数多く、大作感も十分だが、印象としては標準的な評価となってしまうのが残念だ。 

<追記>
 この4を起点とした三部作は、今作の興業が振るわなかったため取りやめになってしまっ……。

 

◆シリーズ第1作『ターミネーター』 の自分の感想はこちら。

 
★★★☆☆
~演出の教科書~

◆シリーズ2作目『ターミネーター2』 の自分の感想はこちら。

ターミネーター2 4Kレストア版 [Blu-ray]
★★★★
~SFアクションの金字塔~

◆シリーズ5作目『ターミネーター:新起動 ジェニシス』 の自分の感想はこちら。 

 ターミネーター:新起動/ジェニシス ブルーレイ+DVDセット(2枚組) [Blu-ray]
★★★☆☆
~極悪な予告編~

 ◆シリーズ6作目『ターミネーター:ニュー・フェイト』 の自分の感想はこちら。

ターミネーター:ニュー・フェイト [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
★★☆☆☆
~女子会もしくは同窓会~

 

レイン・フォール~雨の牙~

レイン・フォール/雨の牙 [Blu-ray]

★★☆☆☆
~誰が見るのか?~

時々、なぜこの映画が作られたんだろう、という作品がある。
原作が有名なわけでもなく、何か時流を狙ったでもなく、そっと公開されて話題にもならずに過去作へと追いやられていく。

インディーズのような立ち位置の作品ならそれも分かるが、大手配給会社からもそういった作品がポッと配給されることがある。
今作がまさにそれで、配給会社はSPE(ソニーピクチャー)である。

自分は主演の椎名桔平が見たいためだけに映画館に足を運んだが、深夜の回であるにしても、案の定観客は自分ともう一人のみ。
自分も他の映画の開始前予告で知った位なので、存在自体が知られていない作品だろう。

内容も、実に安っぽかった。
見るからに安上がりな撮り方ばかりで、予算の制限が厳しいのだろうとひしひし感じる。ラストのシークエンスでさえ主役二人が別撮りなのが丸分かりなのがつらい。
テレビの二時間ドラマの雰囲気、というのがわかりやすいが、例えば「踊る大捜査線」の映画が予算の増えたテレビドラマだとすれば、今作の予算規模は下手をすれば通常の二時間ドラマよりも少ないのではないかという印象である。(まあさすがにそんなことはないのだろうが……。)

かといって見る価値のない、存在を忌避する作品かといえば、そんなことはない。
椎名桔平に対するひいきを差し引いても、自分は学ぶところ大きかった。
少ない予算で、映画としての雰囲気を出す創意工夫を感じたからだ。

ともかく画面の部分ぼかしが多用されている。

画面手前の事物を大きくピンぼけにして、ピントの合わせた奥の被写体をとる、というのはよく行われる画面づくりだ。立体感が強調され、なおかつ主体を引き立てる事が出来る。ぼけた部分がソフトフォーカスの要素ともなり、全体にふんわりした情感も生まれる。
この映画では、普通に取った画面の一部を後からピンぼけにするような手法で、同様の効果を遠近に関係なく発生させていた。
※上記はおそらく、でひょっとすると撮影時のレンズフィルターにそういった加工を施していたのかもしれない。

きちんと絵づくりしようと持ちこたえている人が、画面の向こうにいる。
どんな映画でも多くの人が関わり、情熱を持って関わる人は当然いるはずだ。
この映画は、シンプルな凡作であるが故に、その当たり前のことを如実に感じさせてくれる作品だった。

画面ぼかしによる画面作りは今後の参考になるし、椎名桔平はやはりいかす。
僕には後悔のない見て良かった映画で、自分のような人間が見る映画なのかと思い至るが、それでは売れないのも自明。

2009年6月4日木曜日

レッドクリフ パート2~未来への最終決戦~

★★☆☆☆
~ジョン・ウーのお笑い三国志♪~

まず言い訳させてもらえれば、この映画は本来見る予定の物ではなかった。
父がテレビでパート1を見て、続きを見たいと誘ってくれたのである。
見事に術中にはまっている。

大層な副題も、各種CMも、もうそれだけで腹一杯という後編。
希望があるとすれば、前編でため込んだ分後編ではスペクタクルの連続だろうという期待のみだが、まるで裏切られた。

素人目にも「これいらないんじゃないの?」というシーンが前編と同様に出てくる出てくる。
なにより初っぱなから目と耳を疑う失笑シーンである。
何というか、音と映像を完全に無視して、この映画のルールばかり押しつけてくる。
これはこれで昨今まれにみる貴重な種類の驚きなので一応伏せておくが、本当に気持ちの悪い導入だ。狂っておる。

この冒頭ですっころぶ展開も、その後の展開への布石なのかもしれない。
「この映画は、そういう映画なんですよ」
「いちいちつっこむのは野暮な、お笑い映画なんですよ」
そういう宣言ではなかったか?

そう飲み込んでしまえば、この作品はとたんにクオリティの高いバラエティに変質する。
最盛期のダウンタウン、そのシュールなコントに匹敵する破壊力をもった「ジョン・ウーのお笑い三国志」なのである。
何しろ本気なオーラを放射しつつ、世界全体がおかしな事を大まじめで行っているのである。多少引き込まれそうな展開があったとて、そのようなシリアスは数分も続かず台無しにされる。
一瞬後になにが起こるか分からない緊張感は、すごい。

このお笑い三国志の主要人物をその線で解釈すれば以下となろうか。

  • 乗りつっこみの名手 曹操
    相手の下手なボケにつきあってつきあって、最後に全力で憤怒。そのつっこみは中国全土を戦渦に巻き込むほど。
    負け惜しみや逃げ口上から下ネタまで、細かい芸までこなせるオールラウンドプレイヤー。
  • 最強の天然ボケ 周瑜
    決断力のないボンボン天然キャラを周囲の全員でいじりまくるという構図が美しい。
    どんな状況も微笑と演舞でクリアするというお約束を生かし、どんなにいじられても品位を守り抜く。
    大量の団子を頬張って気勢を上げる姿は今作中屈指の名シーン。
  • 口はいっちょ前のトッチャンボウヤ 関羽
    偉丈夫の英雄をまさかの解釈で小柄に。
    どんなに良い台詞を発しても、強がりに聞こえる不思議!

このようなお笑い英雄を軸に、名も知れぬ端役がとばすギャグの連発。
劉備、孔明、張飛などは意外なほど地味に目立たないが、舞台の下支えとして映画の崩壊を支える。

見終わって思うのは、これは三国志じゃなくても良かった、もしくはそうではない方が認められる作品だったのではないかという事。
この題材はジョン・ウー監督の悲願だったという事なので、当人は満足なのだろうか。おそらく彼が惚れ込んでいたのは、三国志ではなく、赤壁の戦いだったのではないか。そう思えるほど、「三国志」に無頓着な赤壁だった。

それにしても前編後編に分けた意味不明よ。
海外では分けることなく公開したとのこと。おそらく不要なシーンを削りに削って、短くまとめたのだろう。
監督としては不本意だったのかもしれないが、客観的に見てそれが正解だったと思う。監督の固定ファン以外、かったるいスローモーションと古くさい演出を見たい奇特な人はそうはいない。
前後編を適切に合わせることが出来ていたなら、見所満載の大作映画として、お笑い三国志などという非難を跳ね返すだけの密度を備えることが出来ただろうに。

一つの映画となるはずの物を、水増しして二つに分けたその詐欺的な行為。
評価も半分に扱うのが適切な対応というものだ。

レッドクリフ パート1

★★☆☆☆
~狼の皮をかぶった羊~

男の生き様を真ん中に据えた、暑苦しい映画に定評のあるジョン・ウーが満を持して放つ三国志!

こう聞くだけでわくわくするファンは多いだろうし、実際冒頭の合戦シーンでは名作ではないかという予感を感じさせてくれたが、すべてはそこまで。結局、CMや予告編から受けるイメージに比して貧弱な映画として終わった。

大スクリーンで見たいと思い映画館に足を運んだが、その時点でようやく二部構成の前半なのだと知った。
肝心の赤壁は含まれないのである。
意図的にこの情報を隠蔽していたのは明らかで、自分の見た予告編にパート1といった表記はなかった。直前の予告編から差し込み始めた印象だ。

まあ確かに二部構成と知っていれば足が重くなったのも確かであろうし、プロモーションとしては正解なのだろうが、どうも腑に落ちない。が、エーベックスが関わっているからなのだろうと考えると、不思議に納得できた。
「長い物語だから、ボリュームとして致し方ないのだろう」と最大限の好意的解釈で挑むも、差し出した手は無碍に叩かれる。

無駄としか思えないシーン、完成度の低いシーンのオンパレード。

虎狩りは、人物と別撮りの違和感を隠そうともしない、安っぽいイメージシーン。
孔明が馬の産婆するシーンでどんな感想をもてというのか。
教練のエキストラはやる気なく、役者とのテンションの違いがこれでもかと際だつ。

演出の古くささも強烈だ。
手法が古くても、感性が古びていなければ良いのだが、今作は……。

矢を放つシーンで、飛ぶ矢をアップで捉えて背景が流れる画面など、昨今どこを探しても見つからない手法を平気で使う。

スローモーションも余りに多用されすぎで、また来たかと面倒に感じるほど。
だらだらした映像を、悠長なオーバーラップでつなげているだけといった印象で、ただただテンポを崩す効果に堕している。

亀のアップから戦場シーンへつなげる部分など、意味合い的なカメラつなぎだと分かっても、間抜けさに失笑せざるを得ない。

このように不満は多くあるが、映画としてはありだと思う。
監督はじめスタッフが本気で作っている、その気持ちは伝わってくるし、バカバカしくも懸命さを感じるのだ。
おじいちゃんが、旧仮名遣いの講談調で、漫画を書きました、というのが近い。
その時代錯誤や頑固に辟易もするが、どこか愛しさもこみ上げてくる。

だが、自分はこの映画が嫌いだ。
本来好きな人が見ればいいだけの、マニアックな映画なのに、このように風呂敷を広げて広報宣伝し、その結果非常に多くの人が映画館に足を運んでしまった。
青色吐息の業界には救いの糸だったかもしれないが、根本的には映画産業を傷つけていると考えるからだ。
今作の成功をたどって、また同じような作品が、同じような手法で再生産されるのが、怖い。

その意味で、後編を見に行くことは無いだろう。

2009年5月20日水曜日

駅馬車

★★★★☆
~ウェスタン満貫全席~


ジョンフォード監督。ロバートレッドフォード主演。映画史に残る記念碑的作品、らしい。
らしい、というのも、革命的作品であったからこそ、模倣者、追随者を多く生んだからだ。それはパクリというのではなく、今の映画文法ではすでに基本となってとけ込んでしまっている。そのため、今、改めて見ても、その先進性が感じられないのだ。

これは、ヒッチコックのサスペンスなどでも感じたことで、こういった意義だけは、同時代で鑑賞していなければ感じ取ることが出来ないのだろう。

この映画のもっとも革命的だったのは、映画の舞台自体を移動させながら、物語を作ったという点らしい。
それまでは、演劇の延長として、舞台を写す、という静的な存在であった映画に、馬車で移動するその車内の様子を、外観を、追いすがるインディアン達をつなぐことで、動的な物語舞台を構築したのがこの映画の金字塔だということだ。

確かに、駅馬車をつなぐ宿場での停止はあるものの、それ以外はすべて動きっぱなしだ。

このような見方をしなくても、今作は魅力にあふれた西部劇である。
さまざまな事情で同じ馬車に乗り合わせた旅客達が、危険あふれる荒野を駅馬車で移動する。もうこのプロットだけで、興味が湧いてくる。
関わる人数は多いはずなのに、見間違いや錯綜は一切無い。しかも、キャラクター付けを台詞一本で行うような不作法はしない。
行動の一つ一つがそのキャラクターを削りだしており、振り返ってみると、細かい説明はなかったはずなのに、それぞれのキャラクターの心情までが感じ取られるのだ。

無法者。
町の人々。
馬車。
騎兵隊。
インディアン。
決闘。
大戦闘。

その後生み出された西部劇のすべての要素が詰め込まれているかのような、満貫全席。なのに、少しも腹にもたれない。
ああ、やはり名作なのだろうと納得しきり。

―――――――――――――――――――
最近500円といった、非常な低価格で過去の名作が販売されています。
これは、映画黎明期の作品達が著作権を喪失し始めたからだということです。同じ映画が幾つもの値段が異なるパッケージで発売されていて、買うにも選びにくい。これには閉口です。

何しろ古い映画なわけですから、値段が高くたって画質が低い物も多いでしょう。安いのが悪いのかどうかも分かりません。
何か、新しい基準が欲しいものです。

著作権が切れた映画が増えてくるわけですから、これまでになかったややこしい問題、状況が発生してきそうですね。

2009年5月17日日曜日

ハリーポッターと不死鳥の騎士団


★★☆☆☆
~つなぎの一作~

良く解釈して、次回作へのつなぎ。物語全体における「ため」の部分。
これ一作では、どうにも魅力に乏しい二時間。

宣伝では魔法大戦争みたいなアピールをしていたが、戦闘は非常に小規模で期待を満足させることのできる内容ではない。
また、キャラクターの心情の流れに不合理を感じる場面が多く、誰に感情移入したもんやら常に迷う。
大人の行動が短絡で子供っぽいため、子供達の子供たる所以の大胆さが埋没する。
絵的な見せ場も少なく、前作の絢爛豪華と比べると明らかに見劣りする。

……などなどあるが、こういった不満はこれまでのシリーズ作品にもあった、それこそお約束のようなものだ。これは、原作が児童小説であるためなのは当然として、かなり私見だが、つじつまを気にしないイギリス系おとぎ話が基本ラインであるためだと思っている。

今回一番きつかったのは、シリアスすぎることだ。
ハリーポッターは、おとぎの国の、不思議なディティールを、アイデアを、その世界観を楽しむ作品だと思う。
その点で、今作の魅力は薄い。変わりに大きな比重を持つのが、ポッターの深い悩みである。
これまでとこれからをつなぐため、腹をくくる過程が描かれている(と思う)のだが、全編その雰囲気に支配され、心から喜ぶシーンは皆無と言っていい。
それを今作内で解消することなく終わるため、後味はひどく陰鬱なものとなる。

子供達が目を輝かせて劇場に入ったあと、うつむいて出てくるような気がしてならないのだ。

まあしかしそれも、次作次第だろう。ここまで長いシリーズで、すべてがクライマックスであることは難しい。従って今作が次作のための「ため」なのだと信じて、楽しみに待つことにする。

それはそうと、今作内では二次創作的においしい展開が大量にあるため、同人云々いわずとも、それぞれの時点で今後どうなるだろう、と想像しながら見ると、より楽しむことが出来ると思う。

ダイハード 4.0

★★★★☆
~「ダイハード1」の相似拡大~

これは良い。
細かいこと無視したハリウッド超大作。まさにエンターテイメント。
重々しくなることなく、ノリに身を流せて一喜一憂できる良作。

ハッキングによる世界支配という、考えてみればスーパーマンでも出てきたような話なのだが、これを良い具合にデフォルメして題材にしている。
あまりに現実に即しすぎて地味になることなく、おおざっぱにし過ぎてみてるのがあほらしくなるでもない、絶妙のいい加減さで事件を起こしている。

もうアメリカ復活不能ぐらいの壊滅的打撃を与えるテロ。そのほとんどが成功しているため、実際考えると主犯を捕まえても無駄だ。もうすでに数千数万の犠牲が出ているという状況。
しかし、描かれる範囲での死人が少ない。しかもほとんどが犯人グループ。

ダイハード1は、ビル乗っ取りのテロリスト達に一人で挑むという話しだが、4は、アメリカ全体を舞台にしているのに、実はこのパタンから外れていない。
主要機関を押さえられたビルと、ライフラインを分断されたアメリカ。これが、規模が違うのに相似形なのだ。

うまいのは、ライフラインを切断することで、本来発動するべきFBIや警察といった、組織的な危機管理機構が、早々に封殺されるという設定。
従って、自立的に判断し、無責任に行動できる主人公は、混乱した構造物の中を縦横に動き回る、一作目と同じヒーローなのだ。

こうなるともうあとはアイデア勝負。ともかく絵的なインパクトから話を作っているのではないかというくらい、無理矢理おもしろい危機的状況にはまりこんでいく。
無理矢理なので、ツッコミどころ多数だが、つっこんでる暇もなく物語は展開。もう途中から、そういう無粋はやめて、ただ単に映画を楽しんでいた。

見終わったあとの爽快感もあり、ぜひ映画館で見ておきたい作品。
しかし、もう次は世界を舞台にするしかないか……。
今回出てきた相棒役に代替わりするのがおもしろいではないかと思うのだが。

2009年3月30日月曜日

裸の島

 

★★★★★ ~映画に台詞は必須ではない~

サイレント映画ではない。
ただ、全編にわたって台詞がない。
台詞のない映画というと、ジェスチャー主体のコメディー、字幕挿入のサイレントを連想するが、今作はただ単に台詞がないだけ。
環境音は入っているし、別に意地でも無声にしたわけでもないようで、うめき声など感嘆詞系のようなものは入っている。
台詞は無いが、それによる違和感は全くない。
それが、あるべき姿であるように、自然体で、ただ台詞が無いのだ。
以前「ユリシーズの瞳」を見た時、全編がすさまじい長回しで、映画全体のカット数が極端に少ないこと、そしてそれが自然であることに衝撃を受けたが、この作品は同様に、台詞の存在について、あれこれと考えさせてくれる。
この台詞が無い、という特徴は、映画全体の印象に大きく作用している。

今作は瀬戸内の小さな島に住む家族の営みを追うという内容である。
島には斜面しかなく、当然畑も斜面に猫の額程度。しかも水は船で別の島に汲みに出なければならないという状況。
その営みを追うのみなのである。
これに台詞がないことを考えれば、まずは退屈で見ていられないのはないかという危惧が沸くのも然り。
しかし、それは覆された。

毎日の生活の緊迫感が、すごい。

台詞がないため、映像から読み取るしかないのだが、特異な生活サイクルは簡単に先が読めない。
一瞬先の展開が想像しがたく、したがって常に不安、怖くて仕方がないのだ。眼前に無口な強面が立ちはだかっているかのように、見通しがきかない。

普段見ている映画において台詞から得られる情報がいかに大きな物であるのか、これほど感じることのできる映画は他に知らない。
この結果、なんと水をこぼさないように運ぶだけのシーケンスが、爆弾解体よりもスリリングで、初恋の物語より切ないのだ。

多くの映画を見るほど、知識や凡例と共に、先入観や理屈重視の姿勢もこびりつく。
そんなときに有効なのは、岩清水のような清涼な作品であろう。
この作品は、まこと、映画という物についての関わり方を矯正してくれる、ドクター・シネマだ。


イノセンス

★★★★☆
~精神のスプラッタ~


映画館に続き、BDで鑑賞。
一言で言うと、とても趣味の悪い映画だと思う。
映像のクオリティ、脚本、実験的な映像の刺激。
これらはどれも高レベルで、きちんと関連し合っているが、そこで描かれるのは、精神的な解剖手術。
もともと精神医学は精神の解剖学だと思うが、この映画はSF設定で特異な状況を生み出し、その術式を現実ではあり得ない、象徴的なものとして展開している。

人間の魂がコピーされ、封入された人形。
そのコピーの人間性は、どこまでが認められるのか。

脳への情報を偽造されうる電脳社会。
現実と虚構はどう切り分ければよいのか。

すべて、人間が自ら生み出した、矛盾。
合わせ鏡のように、光線の届く限り続く不気味な入れ子構造。
未来の、現在と関係のない話ではない。
同じ形をした相似形の問題は、人類誕生以来(「意識」の誕生以来)の課題である。

いわく、人間の意識とは何か。
魂とは、何か――。

かけた労力に見合った効果が発生しているのかどうかは疑問だが、一つの作品として、価値ある到達点であると思う。
ただ、実写のような映像を追求し、逆に実写ではない違和感を増幅しているのは、期せずしてなら失敗であろうし、故意ならばやはり悪趣味だ。

ブルーレイディスクで鑑賞したが、恐ろしいかき込みが行われたこの作品において、高精細画面で見る価値は想像以上に高い。
「現実感」が、作品のテーマと密接に結びついているため、常に圧力をかけられ、高密度に押し込まれたようなこの作品の一場面一場面は、演出要素として欠かすことはできないものと考えられる。

フルメタルジャケット

 

★★★★★
~喜劇のような悲劇~



ブルーレイの高解像度で鑑賞。
当初は通常解像度との差異をあまり感じないが、後半の戦場における臨場感は次世代DVDならでは。
戦場の瓦礫や、兵士の装備のディティールが、戦場の生々しさとなって、窓から覗いている目撃者になったような気分になれる。遠方まで見渡せる砲撃シーンは圧巻。

キューブリック独特の、全編にわたる圧迫感。当たり前の世界が、ひずみ、狂っていく様子が存分に伝わってくる。
音楽センスも一線を画しており、ラストに流れるミッキーマウスの歌には、一体どういう感情が自分の中に生まれているのか把握困難にされる。

こうしてみると、次世代DVDの解像度、情報量はやはり映画鑑賞に重要だ。たとえ白黒でも、フィルムの状況さえ良ければ、DVDとは一段異なる鑑賞を楽しむことができるだろう。
なにより基本的なノイズの少なさが、鑑賞に安心感を与えてくれる。DVDではシーンによりブロックノイズやマッハバンドが見え、興ざめになる瞬間があるが、ブルーレイではその心配がまずない。ブルーレイで出ているソフトならば、ブルーレイで見た方がいい。

現在100本程度しかリリースされておらず、しかも昨今の中途半端な映画ばかり。
名画達にソース化の手が伸びるまで、どれだけ待てばいいのだろう。

PS3はじめ、最近のDVD再生機器はDVD画像を精細化して表示するアップコンバート機能に優れている。エンコード水準も上がっており、ソース自体の素性も良い。
DVDでも一昔よりはるかにリッチな体験をできるのも本当だ。

2009年3月14日土曜日

エイリアン2

エイリアン2 [Blu-ray]

★★★★
~相似拡大+α~

映画の二作目といえば駄作が相場である。
その理由はジンクスと言うよりも、現実的な諸条件の帰結であろう。
いわく、二作目が作られる限り、一作目は一定の評価を得る内容だったということである。
二作目はその高いハードルを越えなければならないうえ、おそらく、評価は前作時点が基準となり、それよりもどれだけおもしろいのかという見方をされる。
これはかなりのハンデだ。

もちろん続編の利点も少なくない。
一から世界観を構築する莫大なコストを削減できる分、他の部分に注力することが出来る。

つまり二作目で重要なのは、どこを残し、どこを発展させるかということになるだろう。

本作の監督ジェームズ・キャメロンは二作目で二度もヒットを飛ばした希有な監督である。言わずもがなの代表作『ターミネーター2』と、本作エイリアン2である。
続編の手本のような本作は、どのように構成されているのだろうか。
ネタバレ前提で書き進めるので、未鑑賞の人は気をつけて。

''This time it's war.''

「今度は戦争だ」というキャッチコピーが示すとおり、前作では一匹だったエイリアンが群をなして襲いかかってくる。だからといって前作の本領であった密室サスペンスの要素がなくなるわけではない。
舞台を惑星上に移しつつも、限定された基地空間のみを活動範囲とすることで、エイリアン増加と比例する程度の舞台拡張を行っている。つまり、密度を変えずにスケールアップを果たし、特有の圧迫感を再現している。

この例のように、2では1の主要要素を取り込みつつ、それを前作から拡張、スライドさせて、続編の魅力にすげ替えている。
気がついた点を見ていこう。

◆守るべきもの
主人公リプリーは我が身だけでなく、守りたいもののために奮闘する。
あまり目立たないが、前作では猫の為に結構な危険を冒している。
今作ではもちろん一人生き残っていた幼い少女。
この要素のおかげで恐ろしい物語の中にウェットな情感が付加され、リプリーの魅力が強められている。

◆未知の生物
エイリアンの生態とそこから生まれる圧倒的な能力はシリーズの魅力の一つである。
前作では卵から孵化し、幼生態となって獲物の体内に入り込みそこを苗床にして成長という恐ろしいサイクルが描かれた。これなどには恐怖とともに、動物ドキュメントを見ているような発見の興味を感じる。
そしてその時点で約束されていた謎「誰が卵を生んだのか」について、群生としての生態が2では描かれ、なぞるだけではない世界観の拡張が行われている。

◆人間同士の不信
人間とエイリアンという対立だけでなく人間側の中でも対立関係が存在する。
前作では乗組員の一人が社命を執行する人造人間という設定だったが、
今作ではその軸もうまくずらして構成してある。
リプリーは1の痛い経験から人造人間に対しての不信感を拭いきれない。これは映画を見ている側にとっても同様で、いつ裏切るかもしれないという緊迫感が流れ続ける。
その注視の脇を抜けるように、最も憎まれるべき行為を行い続けるのは、ただの人間であった。
前作も今作も冷徹に営利を追求する会社が敵だということに変わりはないが、ここもうまく再構成している。

このように様々な点が前作を継承しつつ発展しており、続編作成の一つの手法をよくあらわしている。

このように考えずとも、派手になっておもしろそうな要素が増えていて。
もちろん今作だけを見ても、十分に楽しめるだろう。

浅くも深くも、わかりやすい見事な作品。

 


 一作目『エイリアン』の自分の感想はこちら。

エイリアン [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
★★★★

~遠すぎない未来像~

 三作目『エイリアン3』の自分の感想はこちら。

エイリアン3 [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
☆☆☆☆
~きれいだけど、おもしろくない~ 

四作目『エイリアン4』の自分の感想はこちら。

エイリアン4 [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
★★☆☆☆
~女達の映画~

同じ監督による傑作『ターミネーター2 』の自分の感想はこちら。

ターミネーター2 4Kレストア版 [Blu-ray]
★★★★

~SFアクションの金字塔~ 

 

 

エイリアン

★★★★☆
~遠すぎない未来像~

「ブレードランナー」とともに、監督リドリー・スコットの名を世に知らしめた作品。ぶれのない世界観の描写がすばらしい。

公開年次は1979年でCGの支援も借りられない時代。それなのに画面の密度と完成度は、今見てもすばらしいレベル。

空間を限定して作り込んだ緻密な背景美術を生かし、エイリアンの描写を最低限にとどめることで、技術の限界をうまくスルーしている。

たとえば、本作でエイリアン本体はほとんど動かない。
精密な模型を台座に乗せて水平に移動させたり(これは推測だが、当たらずも遠からずだろう)、腕を広げるシーンが挿入されたり。エイリアンが襲いかかってくるなど、比較的挙動の大きなシーンを改めて見ると、中に人間が入っているチープな香りがするが、そうした部分を出来る限り排除している。

また、エイリアンの一部しか映さない手法がうまい。
ギーガーによるエイリアンのデザインは生理的嫌悪感を引き出す秀逸なもので、全体はもちろんパーツの一つ一つが印象的。部分部分を映し出すことで作り物らしさを押さえている。当然これはホラー映画の手法としても適切で、見る者の恐怖を、その想像の中に増幅させる。

このような作りのうまさが相まって、今でも十分に見応えのあるSFホラーである。
黒字に緑文字の二色ディスプレイが堂々と使われているというのに、なぜ古びず絵になるのか。
おそらくそういった古くさい要素が、描かれる世界全体の中で、違和感なく収まっているためだろう。確かに我々の生きる現在でも、列車はレールの上を走り、数十年前の意匠が取り入れられた町で生きている。

未来の世界も現在の延長であり、変わらぬ風景も多く残っているのだというイメージ。
それがリドリー・スコットのえがく未来の魅力なのだろう。

2009年2月16日月曜日

TROY

★★★★☆
~飛ぶアキレス~

ブラッドピット主演。古代エーゲ海を舞台にした古代戦闘絵巻。
注意すべきは、神話の物語を、史実としてあり得る形で描いているという点。
つじつまの合わない神話を、人間世界の物語にまとめている。

古い物語は、さまざまな口伝によって付け足し、削除が行われる。別の物語の要素が付け加えられたり、エンターテイメントとして成り立つように演出が付け加えられたり。
したがって、そのような物語を忠実に再現することは、無謀であるし決して面白い物にならないだろう。つじつま合わず破綻するからだ。
三国志もそうであろうし、平家物語もそうであろう。
すべての神話も同じく。
この映画はそんな神話をうまく物語としており、語り部によって改編されるという意味で、正しい神話への関わりかただろうと思う。

不死身の戦士アキレスをブラッドピットが演じているが、その強さの説得力がおもしろい。
アキレスは体躯や膂力を誇る他の戦士達と、全く違う方向性の戦い方を行っている。
足を止めることなく動き続け、どこから剣撃が来るのか予測できないトリッキーな動きで相手を翻弄。とどめは小さなジャンプから首元に突き出す一撃。
常識的な戦闘方と異なるセオリーで戦う姿は、勇者の映像化として小気味よい物だった。

さらに特筆すべきは、古代の戦争の空気感。
事実に基づいているのかは不明だが、独特の様式が垣間見られて興味深い。
大軍同士がにらみ合った上、両軍の頭目が話し合って、折り合いがつかなかったら戦闘開始。
代表戦をしてみたり、折り合いつけて今日はここまで、ということにしたり。
完全に命がけの一大事というより、日常に戦闘が組み込まれていて、それをシステマチックに行うような印象もある。
古代中国、三国志の時代、戦闘の趨勢は勇猛な武将の「威」が決定したという。曰く、多くの兵隊は農民が徴兵されたもので、そこそこに剣を交えてチョボチョボ戦い、負けムードが漂ったら、すぐに壊走と相成ったらしい。だからこそ、個人の強さが全体の勝敗を決することになったのだという。
そんな、微妙に牧歌的な空気が、望んでか望まずか滲んでいる。

大軍同士のぶつかり合いも映像的な魅力にあふれ、作品としてのお得感は高い。が、そういった快感以外に得る物があるかといえば……。
基本ラインがお涙ちょうだいの恋愛物であるので、そこまで望むのは酷かもしれない。

2009年2月14日土曜日

ヘドウィグ アンド アングリーインチ

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ [DVD]

★★★★★
~二つの魂と二つの肉体~


すげえ。
心を揺り動かされた。
★四つまでは各要素の積み上げで判断できるが、五つは違う。
人に説明できなくてもいい。共感してもらいにくくても良い。
とにかく好きで、何度も見返してしまうような作品が、自分にとっての★五つだ。

ゲイのロックミュージシャンの人生遍歴を、ライブツアーに重ねて描く。
もとは舞台ミュージカルで、主演脚本監督をかねるジョン・キャメロン・ミッチェルが、そのまま映画化した作品。
通常ミュージカルといえば、まず一点、唐突に歌い出すことを許せるか否かにかかっていると思う。が、今作はロックミュージシャンのツアーが設定なのだから、全く自然。バンド以外のバックコーラスや、その場にいる観客含めたダンスなど、ミュージカルならではの装飾過多もなく、元が舞台だったのだとは思いもよらなかった。
全編の半分以上はミュージッククリップのような演奏部分が占め、それを連結することで物語になっている。このこと自体が希有な構成でまさに唯一無二。

魂のふれあい、人間同士の隔絶。

相反するテーマが、物語設定にも、物語にも、歌詞にも深く織り込めれており、それらが複雑な味わいを醸し出す。
頭で、理屈で理解しようとすると、一貫性をとらえにくく、難解に感じるかもしれない。説明し過ぎない演出だからだ。
しかし、感情を開いて鑑賞すれば、直観で理解できる。伝わってくる。 見終わった時、自分が何か重要な物を目撃したのだと、そう感じた。

その後、何度も見返して自分なりの理解を手に入れた。
「愛の起源」では、呪われたように寂しい心、求める心を、愛の生まれた起源を説明して歌い上げる。それはよくできた絵本のように、単純で、深く、普遍的な物語。
「真夜中のラジオ」では、生きていくことの「ロックンロール」を歌い上げる。すべてが悲しくても、それでも生きていくという決意を、これまでの先達に誓う。
「Wicked Little Town」は物語中で二つのバージョンが歌われる。
それぞれが誰に、なんのために歌われるのかに注目することで、ラストの意味が分かる重要な曲だ。

どの歌も、切なく、それでいて力強く。
生きること自体が、ロックだと。
負けずに、立ち上がることが、どのような人生においてもロックなのだと。
ポジティブな魂のあり方が、ロックンロールなのだと。
自分が見終わった後、残ったのは、人間という存在への強い共感だった。
生きていくんだという、悲しくも素晴らしい、覚悟だった。

波のひいた砂浜に、そっと書かれた言葉のように。

弱々しいような、
力強いような、
祈りのような、
いろんな感情が渾然一体になった、優しい優しい物語だった。


時をかける少女 (アニメ映画版)

★★★ ☆☆
~少女漫画と少年漫画~

尾道三部作に数えられrる、大林監督の「時をかける少女」がノスタルジイを主体に少女漫画の世界を映像化した作品だとすれば、今作は未来への希望を主体に少年漫画の世界を映像化した作品だろうと思う。
主人公は少女であるが、その心根はどちらかというと少年的で、繊細とはほど遠い。
良い悪いではなく、全く別の作品であるということ。
だから実写と比べてどうこう言うことは、あまり意味がない。同じネタを違う時代、違う人物に適応した物語だ。

その上で判断すると、
すべて、問題なく、破綻無く、まとまっている。
笑いもあるし、緊張もあるし、そこそこ情感もある。
きっとこの作品を大好きな人も、たくさんいると思うし、それに同意もできる。
でも、全編にわたり、なぜかどこか冷めている。
画面は生活感にあふれ、背景の人物も生活を営んでいる雰囲気を持っているのに、主人公など、主要人物だけが、浮いている。
ステレオタイプな人物像。その枠を越えない、男二人、女一人の人間関係の機微。
勢いが少し足りず、それぞれのシーンで少しずつ不満がたまっていく感じ。

もうちょっと、くさくて、よかったんじゃないか?
無理してきれいにまとめる必要はなかったのではないか?

そういう欲求不満を抱えて、まずまずおもしろかったね、と映画館を出た。
他に気になるのは、声優のつたなさ。致命的ではないが、やはり不安定で、なぜわざわざ新人起用するのかが分かりません。
素晴らしい新人が抜擢によって出現することもありますが、多くの場合政治力を感じるだけの、マイナス要素です。
今作でも、やはりどこか不穏な空気を感じてしまいます。

ところで――。

これは実写版の「その後」の物語のようです。
かつての主人公の「姪」が今作の主人公で、かつての主人公も重要な役柄として物語に関わっています。
アニメを見て気に入った人は、ぜひ実写版も見て、もう一つの恋物語も味わってみてください。

2009年2月9日月曜日

容疑者Xの献身

容疑者Xの献身 ブルーレイディスク [Blu-ray] 

 ★★★★
~劇画ガリレオ~


◆テレビ版を越えて
テレビドラマ「ガリレオ」の劇場版。
完全新作の最新エピソードは、しっかり「映画」だった。
この手のドラマ映画化にありがちな安っぽさはない。かといって映画全体の中でクオリティが突出しているかと言えばそうでもない。ただ、劇場版であると胸を張って言える安定したクオリティの作品だった。
思い返してみると、物語としてはかなり地味である。
荒唐無稽なトリックが売り物であるドラマ版の雰囲気はなりを潜め、静かだが重みのある人間ドラマが主体となっている。
刺激的な映像が続くわけではないのに観客の興味を維持できているのは、意図ある絵づくり、演出のたまものだろう。
今作には感じ入るところが多々あったので、特にネタバレ前提で分析的にみていきたい。
まず映画冒頭で描かれる派手な爆破シーン。
金をかけただけのはったりともとれるが、そうだとしても非常に有効なはったりだ。
ドラマ版でも実験によるトリックの実証はミステリーにあるまじき「見栄え」のともなった見所である。映画冒頭の証明実験はそのスマートさ、規模、迫力においてドラマ版と一線を画している。観客はここで、心に抱えていた、
「映画化といってもTVスペシャル程度のしょぼさなのではないか」
という不安を早々に払拭される。TVドラマの映画化によく見られる、なんちゃって映画ではないのだと納得するのである。
さらに、このシーンは導入であるが、同時に終了でもある。
・事件の発生
・トリックへの手がかり
・実験による証明
という定番の流れを一気に消化して、TVドラマのいつもの展開に終止符を打っている。
実際、このシーンまでで「いつものガリレオ」は終了していると言っていい。

◆湯川の孤独
これ以降物語や演出からはドラマ版にあったようなバタ臭さ、勢いに任せた展開がなくなる。代わって現れるのは、山田洋次の時代劇のような、古くさいかも知れないが真っ当な演出。重みのある、スケールだけではない、質として深化した「ガリレオ」である。
キャラクターの立ち位置さえも、コメディ色の強かったドラマ版と乖離し、深刻すぎない範囲で現実色を増している。
例えば、女性刑事内海は、ドラマにおいて明らかにご都合主義の単独捜査に従事しているが、映画では警察組織の中でお茶汲みOLのような扱いを執拗に受けている。
お笑い担当の万年助手、栗林も出てくるだけでコメディ色が強くなるためか、映画ではほとんど出てこない。
そして、湯川の孤独。
頭脳優秀運動抜群容姿端麗……。しかも湯川は学究に傾倒するあまり、非人間的、非常識な言動を繰り返す人物である。現実に湯川のような人間がいた場合、周囲がその存在を正当に受け止めるのは難しいだろう。
ドラマではそういったエキセントリックな性格もキャラ付けに過ぎず、コミカルな印象になって問題とならない。見ている方もそんなものだろうと受け入れている。
だが劇場版での彼は、とても孤独だ。
その孤独を描くことが、この映画の一つのテーマになっているとさえ感じる。
湯川の孤独を描くために、彼には(そして観客には)二つの謎が提示される。

一つは、殺人のトリック。
これはいつものガリレオと同様。理性の問題だ。

もう一つは、動機。
なぜ犯罪を犯したのかという、感性の問題
湯川は殺人のトリックを軽やかに暴く。いつものように。
しかし、動機はどうだ。
いつもの湯川なら、犯罪の動機など、そもそも眼中にない。興味の枠外だ。 だが、この事件は違う。
湯川が天才を認め、知的レベルの拮抗した対等の友人(湯川はそう思っていた)、石神が犯した犯罪なのだ。
湯川は初めて人の心を理解したいと望み(もしくは、理解できる物であることを願い)、石神の心、その深淵をのぞき込んでしまった。理性ではなく感性が構築するその不可思議に対峙してしまったのだ。
実はこの謎は、観客にとっては何でもないものだ。
上映時間の多くは、石神の視点、石神の行動を描くことに費やされており、特に序盤は執拗に石神の日常を追う。そこにはトリックにまつわる描写も含まれるが、石神のさえない毎日を描くことに重きを置いている。
雑然とした部屋。
決まりきった繰り返しの日々。
毎夜続ける数学の研究も、評価された様子はなく、今後評価される予感もない。
そういった日々の中で、唯一世界の広がりをかいま見せてくれる隣の部屋の母子家庭。その女性。
石神の生活を追うからこそ、彼にとってその女、花岡靖子がどれだけ貴重で大切なのかが伝わってくる。
従って、我々にしてみれば、映画全編それ自体が動機の証明なのだ。

◆劇画ガリレオ
 湯川は懸命に石神を理解しようとする。そして理性に基づいて説得もしようとする。だが、その姿は悲しく、もはや滑稽だ。
感性の領域に湯川の才能は皆無で。
直感も想像も働かず、無神経にかき回すだけ。
理解しようともがき苦しむが、
花が美しいということを、湯川は感じることが出来ないのだ。
誰とも感性を共有できない。そんな孤独があるだろうか。
いや、本来なら学究の分野で、湯川にとって石神がそういう存在であったはずだ。この世に生きてくれているだけで、心強く思える、そういう友人だと思っていたはずだ。
だからこそ湯川はその謎を証明し、石神の動機が無意味なものだと説諭して彼を取り戻したかったのだ

これはいびつな三角関係の物語である。
よくある恋の三角関係ではない。
生き様の、三角関係。
しかも多くの三角形が、異なる要素で並立している。

理性←→感性
男性←→女性
光←→影
憧れ←→妬み
大人←→子供

たくさんの向き合う言葉が複雑に入り組んでいる。
この問題はだから、理屈では整理しきれない。割り切れない。
ただ、感じ取って腹に落とすしかない。
だから、湯川には解けない。
映画の最後でも、湯川は言葉の上でしか、石神の動機を解くことが出来ないのだ
この映画は宣伝で連呼されていたような、天才同士がその知性で対決するものではない。
石神の行動を理解しようとした、孤独な湯川の軌跡。
そして、完全な敗北
ドラマ版の要素を引き継ぎながら、異なる解釈を引き出し、新たな魅力を引き出した。
それはまるで、大人になった登場人物を劇画タッチで描いた異色作「劇画オバキュー」のガリレオ版。
切なくも悲しくも、生きることを語る、「劇画ガリレオ」である。

◆以下余談
~~~~~~~~~~~~~~~~
上記のように書き連ねたが、気になる点も少なくない。
雪山のシーンはいかにも唐突すぎるし、事件のトリックは(わざとなのかもしれないが)大した物のように感じられない描かれ方となっている。
湯川も内海もわき役に過ぎず、ドラマの延長を望んだファンには消化不良となるかもしれない。

終わり方も、すべての人が本質的にわかりあえるはずはないという前提の元、一途さがわずかに気持ちを伝えてくれるかもしれない、とした悲観の強いものだ。(これは自分の好みではあるが……)

最後に、ヒロインは誰だろう、と考える。
自分は、花岡靖子の娘、美里だろうと思う。
彼女だけが、石神の献身を、感じ取っていたと思うから。
ちょうど、「オネアミスの翼」のヒロインがリイクニではなく、マナだったように。
彼女の存在が、物語の中でもっとも純粋な輝きである。

2009年2月4日水曜日

サイレントヒル

★★★☆☆
~裏返る世界~

コナミ発のホラーゲームを原作とした映画。
原作ゲームをしたことがあるかどうかで、感想もずいぶん違ってくると思う。
基本的にゲーム一作目のシナリオに忠実。だが、主人公を父親から母親に変えるなど、親子の愛情というテーマをストレートに伝えるための工夫には事欠かない。
感じるのは、制作者のゲームに対する愛情と敬意。従ってゲームプレイ経験者で、このシリーズが好きな者にとっては非常に楽しめる部分が多い。つまり、自分もそうだ。

それを差し引いても、ゲームに+αしたイマジネーションの広がりは特筆の価値あり。
表の世界と裏の世界を渡り歩くのがこのゲームのシステムだが、ゲームで描かれることのなかった、「世界の裏返る瞬間」を見事に描いている。
地獄とはこういうものか、という妙な納得感。

母と子(血はつながっていないのだが)のつながりに比して、夫と妻のつながりが非常に不安定なものとして描かれる。
常に首からぶら下げている携帯電話がその象徴で、ずっとそばにいるのに、間違った言葉しか伝えてくれない。伝わったと安心して、まるで伝わっていない。
これはラストシーンでも象徴的。

もし裏のテーマがあるとしたら、それは男女の求め合い、届かない関係性といえるだろうか。

デスノート(前編)

★☆☆☆☆
~映画で見る意味がない~

まず、最初の一分でこれはだめなんじゃないかと気づく。

ライトの字が下手なのだ。

本人の映像が出てくる前に、文字だけで萎えてしまう。

リュークのCGクオリティが、ハリウッド慣れしてる目には厳しいものであるとか、
路上撮影のためか、ライティングがしっかりされていないところが目立つとか、
役者が下手とか、

そういった点は、色々な都合で致し方なかったのかと思える。
しかし、汚い字をそのまま採用した無神経(原作を一度でも読んでいれば、ライトの字は完全無欠なものであろうと考えるだろう)は、作品への気配り一つで対処できたはずで、制作者の怠惰、もしくはノーセンスを感じる。
それは全編に等質で、「まあいいか」という投げやりなOKがそこかしこに見える。
ちょっとろれつ回らなくても、そのまま流しているし、同録音声でどこもかしこも回しているし。(台詞の時のホワイトノイズが気になって仕方ない)

なんかね、この映画は、映画畑の人ではなく、TVドラマのスタッフが、そのままの意識で作ったような気がしてなりません。
うまい下手以前に、どこまでがんばるかの線引きが違う。
従って、TVドラマに1000円(映画の日でした)払ったと、それだけでがっくりくる。

同時に確信されたのは、「漫画」は、イマジネーション伝達という点において、映画に一歩も譲らない、完成されたメディアなのだということ。
原作と同じことが説明されているのに、まるで説得力が違う。原作漫画は、漫画という表現の利点欠点を把握し、その上でイマジネーションを展開させていたのだと、改めて気づく。
そのまま映像にするとこんなにも極寒なものか――。

原作の良さを再確認できる点だけが、この映画の意味なのだろうと思う。

後編は見ていません。

煙突の見える場所

 

★★★★★
~人生はお化け煙突~


同じ物事も、視点が違えば、全く違った物に見える。
このテーマを様々な被写体に託し、全編に塗り込めた、漆塗りのような映画。
けっして雄弁にテーマを語るわけではないのに、見終わった後には素直にテーマが心に残っている。

「一見関係のない物を連続して映すことで、それぞれの印象の連結を操作、新たな意味を持つシーンとする」

これをモンタージュ手法とすれば、この映画はまさにモンタージュ手法の積層だが、小難しい言葉で理解するより、「良くできた隠喩の集まり」などとした方がふさわしい気がする。
話の展開としては結構悲惨で、物語のどの段階からでも単なる悲劇につなげることが出来そうだが、見ていて笑いがあふれ、ほっとする瞬間が多いのは、小津監督のサイレント「生まれてきては見たけれど」に近い感触。
男と女の人生での役割、という視点で見ても、一貫性があり興味深い考察が得られる。
曰く、男は理屈で人生を整理しようとして身動きが取れなくなり、女は感情で回りを散らかしながら、それでも前進していく。
二つの性が、ぴったりと重なるものではなくとも、お互いに掛け替えのない物として機能している姿が、ラストシーン。
 
一本の煙突なのだろうと、納得した。

緋牡丹博徒 花札勝負

 

★★★★★ ~躍動する静止画~

ローアングル。
フィックスショットのみ。
パンフォーカスではない縦構図。
長回し。
中心を外した画面構成。
フェードイン、アウトを使用しない編集。

ざっと書き出してもこれだけの強い特徴がある、あくの強い映画。
それぞれの効果が組み合わさって、格調の高さと圧迫感を保ちながら、小気味よいテンポの良さを実現している。
この相反する要素を同居させて成り立っていることが、すでに、希有。
フィックスショットのみなのに、画面の狭さや、不自然な印象が無い。ワイド画面を活かした、もはや絵画的なレベルの画面構成。それを動的につなげてみせる各種技巧の積み重ね。
強引なつなぎを堂々と行うことで、そのショックを映画的な効果につなげている。カットの不自然さがその場の臨場感を打ち出している。
緻密と大胆が、見事なバランスで画面に定着された、絵画のような美しい映画。
以下分析メモ。

○画面の品位と美しさのために
・低いカメラ視点
 自然あおりが多いことになり、画面に圧迫感、安定感が生じる。
・フィックスショットのみ
 パンや移動カメラがない。
・絵としての縦構図
 手前、奥にぼけた事物を配置することで画面の広がりを出す。
・ぼけたままの演技
 ぼけたままで事物に演技や意味を持たせる。
 意識の集中点は維持したまま、回りの状況をまろやかに説明する。
・画面左右への要素ずらし
 画面中央に主要素を配置せず、意図的に左右に大きく崩して配置。
 絵としての美しさが際だつ。

○フィックスショットの静的な印象の中でテンポ、緩急をつけるために
・アクションカットの多用
・マルチカメラ
・正面アングルの多用
・イマジナリーラインの無視多用

○独特のテンポを生み出すために
・全てカットつなぎ
 フェードイン、フェードアウトが存在しない。
・唐突なつなぎ
 本来フェードイン、フェードアウトを使う部分を逆に突然の会話でつなげる。
 これでもつながるから不思議。
・相手場所時間で即飛び
 情況が整えば一気に場面を飛ばす。
・時に情緒的
 他の部分をばさばさ端折っているので、丁寧に描く部分が際だつ。
 細切れにならず情緒的な部分がバランス良く入り交じる。

裁かるるジャンヌ

★★★★☆
~彼女は、全うした~

フランス・イギリス100年戦争の聖処女、「Jeanne D'Arc」の最後を描いた白黒の無声映画。
ジャンヌは神の啓示を受け、フランスの新王擁立を目指した少女で、勇ましい甲冑姿に最前線で旗を振り、フランス軍の意気鼓舞に多大な力を発揮した。
しかしその末期は悲惨なもので、イギリス軍に捉えられ、異端審問にかけられた上で生きたまま火あぶりにされる。

この映画は一年半にもわたった異端審問を一日の出来事としてまとめており、現代的な短いカットつなぎ、絵画のように構成されたレイアウトで緊迫感と一種荘厳な雰囲気を放射している。
異様なまでにアップを多用し、演者の毛穴、しわの一本一本まで映し出しており、圧迫感を伴う現実感がにじみ出す。アップ多用なのに画面が平凡にならないことが特記すべき特徴で、あおりや俯瞰主体の画面構成、役者の絶妙な演技が画面を常に引き締まったものにしている。

無声映画のため言葉としての情報量は極端に少ない(無声映画にしては字幕が多い方かも知れないが)。
それなのにジャンヌはじめそれを取り巻く人々の心の動き、それらが織りなす人間の営みの切なさ。単純な善悪対立かと思われた冒頭から、複雑でばかばかしく、しかし愛しい人間達という範囲まで映画の規模が広がっていく。

悲劇なのだが、後味はむしろ暖かく、そしてそれを際だたせる切なさこそが、この映画の肝ではないか。

真偽はともかく、一つの信念を抱き、それをぎりぎり(ここが重要)全うした一人の少女。
彼女を裁いた教会の面々が、火刑のさなかどのような表情を浮かべるかに、良く注意して欲しい。

それは、後悔や自責でなく、羨望、憧れではないか。

東京オリンピック



★★★★★
~夢のあとさき~


1964年の東京オリンピックの記録映画。
巨匠、市川崑がカメラ技法の粋を駆使してくみ上げた、前衛的記録映画。
ただの記録映画ではない、というか、これこそ記録映画だ、というべきか。
オリンピックという祭典の哲学、意義さえも包含した上で、普遍的な映像表現となっている。あの日あの時の記録性という部分は幾分薄れるが、その分時代を越える。

現在のオリンピックに比すれば記録も、規模も、動くお金も小さいであろう40年も前のオリンピック。
なのに、今以上に輝いて見える。
全ての人が祝福しているように見える。
選手と観客が近く、国の垣根を越えた瞬間がたくさんあるように思える。
これら感想も、そのように演出された映像が生み出す幻想なのかもしれない。
それでも、オリンピックの目指すところはここにあるのだと、あるべきだと、封じ込められた声が聞こえる。
「人類は四年に一度夢を見る」
語られるこの台詞が、幸せで、切なくて。
まごうこと無い、名編です。

冒頭、施設建設のため、破壊され、ならされていく町並み。
走る新幹線が富士山の前を走る。
ここでもう、泣ける。

劇場公開版とディレクターズカットですが、公開版の方が長々としているものの、大作感は強いので、自分の好みはそちらの方です。
あまり大きな違いはないように感じました。