2009年7月29日水曜日

GOEMON

★★★★☆
~見るべき価値がある~


本人名より宇多田ヒカルの元配偶者として呼ばれる紀里谷監督。
劇場映画初監督作品「キャシャーン」は、ひどい映画の代名詞のように言われているが、自分にとっては興味深い作品だった。
同じように第二作「GOEMON」も映像表現について考えさせられる作品で、十分に楽しむことが出来たが、一般の評価は芳しくない。

映画の見方は、鑑賞者にゆだねられており、我々が思う以上にその角度は多様なのだ、と改めて思う。
なんについてもそうなのだろうが、評論は自分の意見が絶対ではないことを前提にして語られなければならない。それをきちんと前提に出来る者が「まあ人それぞれだよね」と言う虚無に立ち向かい、共感しあえると信じて語る内容であるべきだ。

GOEMONは実写映画としてではなく、アニメーションとして見るべき作品だ。

人物と背景のなじみや、突拍子もないアクションシーンが「リアルでない」という意見を聞くが、それはおそらく慣れに過ぎない。
あれは、ああゆう表現なのだ。
実写的な素材でアニメーションを作ったらどうなるのか、という表現だと思えばいい。
かの「マトリクス」シリーズもジャパニメーション(日本のリミテッドアニメーション)のイメージを実写化したという要素を含むが、あちらは実写映画の範疇にアニメのイメージを取り込んだ作品で、GOEMONはアニメの範疇に実写要素を持ち込んだ作品だ。似ているが根本相違は大きい。
考えてみて欲しい。
アニメーションは異質だ。
ポスターカラーで描かれた背景の上にムラのないきっちり塗り分けられた人物が乗る。その人物もデフォルメされてけっしてリアルではない。
その違和感を納得した上で、受け取る感触が現実的かどうか、として我々はアニメーションを見ている。
今作も違和感という壁を無視できるなら、ともかく世界観のおもしろさを十二分に味わうことが出来るはずだ。

遊郭での舞踏シーン。
巨大金庫。
西洋デザインが浸食した戦国末期の日本の風景。

どれも豊かなイマジネーションに溢れ、凡百の作品にはない「威容(異様)」を放っている。それらの密度とスケールはキャシャーンを遙かに上回り、紀里谷監督が確かに前進したことを感じさせる。
この絵づくりについては、一定の評価を受けるのが正当だ。

しかし同時につたなさにも溢れている。
物語に、より魅力があれば、違和感払拭のハードルも下がっただろうが、どうにも癖が強くていちいち引っかかる。誰もが自己主張しすぎで、結果物語としてつながることなく孤立。ボーカルばかりのバンドグループという感じ。
画面クオリティの波も気になる。
特に最後の合戦シーンは、描きたいイメージは分かるがどうにも平板で、密度も薄く、クライマックスには物足りない。力つきた感が強い。

物語も相変わらず説教臭く、語る人間に重みがないのでさらに胡散臭い。心に届かない大上段な言説(行動)はどうにも宗教臭くて身構えてしまう。

このように進んだ点、変わらぬ点を引き連れながら、それでも監督の世界観は魅力的だと思う。イマジネーションの可視化という点で、注目に値する才能だろう。
良い点、悪い点を見極めて、それぞれにふさわしい評価をするのが、この作品を楽しむ正しい方法だ。

ところで、キャシャーン、GOEMONは押井監督の作品との比較がおもしろい。
イノセンス、スカイクロラと公開タイミングが同じで、内容的に相似と相反が綺麗だ。
前述のように、監督は実写素材でアニメを作ろうとしている。
対して押井作品はアニメ素材で実写を作ろうとしている。
キャシャーンとイノセンスは二人がすれ違う瞬間でGOEMONとイノセンスはすれ違い、進んだ後だ。
片やケレン味に走りすぎて軽薄だといわれ、片や地味すぎて記憶にも残らない。
次の作品の公開時期もまた重なるのだとしたら、それぞれがどう変化しているのか、単体で考えるよりもコントラスト豊かに示してくれそうだ。

ちなみに自分は、外向きに進む紀里谷監督の方に未来を感じる。

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