2010年6月6日日曜日

告白

 
★★★★★
~松たか子がすごい~


湊かなえの原作小説を、中島哲也監督が映像化。原作は未読。関連情報はCM以外無しという状況での鑑賞。
非常に刺激的で、熱中度の高い作品。

中学校女性教師の幼い娘が学校内で事故死。
その真相と原因と復讐が関係者の告白によって描かれる。

ともかく女教師の松たか子が良い。
冒頭、とうとうと告白を続ける女教師の緊迫した、達観した空気。これだけで見る価値がある。言葉の速度、強さ、細かなニュアンスが見る者の興味を惹いて放さない。本来の女優とは、プロの演技とは、このような強い吸引力を持つものなのだ。
松たか子が良すぎるが故に、彼女以外の要素が厳しいとも感じる。特に中学校の生徒が演じる部分は驚くほど空気が緩む。張り詰めた場面であるのに、どこが気が抜けているのだ。冷静に考えれば彼、彼女はよくやっている、高いレベルの子役だろう。だが、同じ作品内に同居されると、どうしてもその差異が目立ってしまうのだ。

映像的にも面白い。
監督の中島哲也はサッポロビールのCM「温泉卓球」シリーズや、「下妻物語」「嫌われ松子の一生」でストップモーションやCG合成、恣意的なアングルによる特異な映像表現を行ってきた。
他の作品ではけれんみが強すぎて作品と融和していないように感じたが、今作でもそれら手法は使用しつつ、作品に合う押さえた形に押さえている。緊迫した空気を茶化すことなく、日常風景におり混ざる違和感を映像として感じさせる事に成功。また、独白部分が多く映像的な見栄えの作りにくい画面に十分な魅力を与えている。
特に映画最後のもっとも力の入ったCG表現は、描こうとしたイメージと作品の中での意味、登場人物の心情が一体となり、心に深く残った。

しかし、もう一度みたいかといえば、そうでもない。
情報のない形で鑑賞できた初回に比べ、見返した時は数多くのアラが見えてしまいそうだからだ。だから、自分と同様に今作についての情報が少ない人ほど、ぜひ、そのままの状態で鑑賞してみて欲しい。
ともかく心揺さぶられることは、保証する。
松たか子の最後の台詞。そのまた最後の一言。
その一言の恐ろしさ。
それこそが、最大の「告白」だったと感じる。

夢のチョコレート工場

~これが一作目~
★★☆☆☆

深夜にひっそりと放送されていたのは、ジョニー・デップ主演、ティム・バートン監督の「チャーリーとチョコレート工場」ではなく、1971年に制作されたメル・スチュワート監督の「夢のチョコレート工場」。
どちらも原作は児童小説「チョコレート工場の秘密」なので、ティム・バートン監督の作品はリメークと言える。ティム版がテレビ放映されるのにあわせて一作目が深夜放送されたらしい。

ティム版が猛然と世の話題をさらったときも、一作目があったと聞いた覚えはない。ただの古びれたしようもない映画なのだろうと思いつつ眺めていたが、予想に反してなかなかに楽しい。
特にチョコレート工場にたどり着くまでのくだりが、名作劇場的な地に足のついた絵づくりで好感を持った。ティム版も古びた建物の並ぶ町並みを再現していたが、現代的な要素も持ち込んでおり、どうもすわりが悪い。前作はそのまま1970年代の雰囲気(なのかな? とにかくいい具合に古くさい)。チョコレートに夢中になり、夢馳せる子供達の姿は昔の風景の方がしっくりくるだろう。
工場主はジョニー・デップのように外見上の奇抜さや華やかさはないが、テンションの高いエネルギッシュな人物像という点で一致している。さらに工場を巡りながら見聞きするものの感触は両者とも大差がない。

ただ、特撮部分が厳しいのは確かだ。
チョコレート工場のイマジネーション溢れる部屋の数々。描こうとしているイメージは伝わってくるのだが、魔法の域に達したCGと特殊効果の生む昨今の映像と比べれば、どうしてもあらが見える。それがにじみ出している懐かしい空気も悪くないが、これは本来の楽しみ方ではない気もするし……。
時代を差し引いてみることが出来るとすれば、錯覚の利用、奇抜でどぎつい色彩が生むめまいのような感触など、大胆な映像手法もちいて一定の効果をあげているのは評価すべきだろう。

映像化の筋道を立てたのが今作で、それを時代に合わせてしっかり積み上げたのがティム版ということなのだろう。

タイタンの戦い

 
★★☆☆☆
~誉めにくい作品~


ギリシャ神話、勇者ペルセウスの物語を映像化。
1981年の同名作品のリメイク。全作ではストップアニメーションで描かれた伝説の怪物達が、限界のないCG映像で表現される。
3D上映の劇場で鑑賞。

元々が神話。大きく改変する事もない忠実な展開のため、物語としてはかなり苦しい。ギリシャ神話は神々の人間くささが特徴だが、特にゼウスの色ボケ具合は閉口せざるを得ない奔放さ。全ての元凶の色ボケじじいが愛を口にしても失笑しか生まれない。
さておき映像はといえば、こちらも残念ながら昨今の目の肥えた観客には及第としか映らないだろう。部分部分で挙げれば、黄泉の渡し守の造形や、クラーケンの圧倒的な巨大感。かつて絶世の美女であったというメドゥーサに残ったその片鱗。みるべき部分も多々あるが全体の印象を覆すほどの力はない。

ならば3D映像としてはどうなのかといえば、見づらいの一言。シャッター式グラスの明度低下を意に介さない暗い画面の多さ。バタバタとカメラのそばで大いそがしするアクションシーン。(3D映像は目前の大きな動きが理解しづらいのではと思う)
通常のバストショットも、人物の輪郭部分に間延びするような妙な立体感があり、質の悪さを感じさせる

およそ3Dを意識しないで作られているかのように感じたが、それもそのはずで、なんとこの映画は平面映画として作られたものを、完成後にデジタル処理で3D化したものだということだ。至極納得したが、後付けの立体化はやはり違和感が強いのだとつくづく感じた。それでも3D化したのは、興行収入の為なのか、監督の要望なのか……。みる方にとってはネイティブ3Dと価格が同じなのだからどうもだまされた気分になる。

今作は一部で張られたポスターに漫画家の車田雅美のイラストが採用されている。一世を風靡した彼の作品、聖闘士聖矢(セイントセイヤ)のイマジネーションが監督に大きく影響しているとのことで、恋われての採用ということである。作中、オリュンポスの神々が光の煌(きら)めく鎧を身にまとっているのもその影響らしい。
第九地区で日本アニメ、マクロスのミサイル表現が模倣されたことといい、世界中の若手監督がどこかで日本のアニメ、漫画の薫陶を受けて育った時代なのかも知れない。

そんな彼なら捨てちゃえば

★★☆☆☆
~映画の向き不向き~

女性の視点を重視した恋愛至上主義のトレンディードラマ。
昨今の過激な女性情報誌の内容をそのままぶちまけた感じ。
欲望をこぎれいな戯れ言とおしゃれな雰囲気でパッケージング。
最後はロマンティックと自己啓発。

あれこれぶっちゃけすぎていて、自分にはきつすぎる。
現実的すぎてきついというのではなく、抜け抜けと欲望まみれな生活を見せつけられて気が滅入るのだ。いや、これこそが現実なのだと認めたくないだけかも知れない。

この世に、真実の愛はない。

日々の生活を安定的に過ごすための楔、重石が多くの人間には必要で、そのために発生した依存関係が愛である。
これが、この映画の主張。
運命など無く、行き当たりばったりの思いこみが、なんだかドラマっぽいものを生むのだよ……。
確かに、反論しようがない。悔しいけれど、きっとそうなのだろう。
でも、だから映画を見るのだ。素敵な勘違いをしたくて映画るのだ。
それなのに、このような残酷を見せつけられるとは。

さらに全ての男女関係はセックスしてからでないと始まらないよ、というルール。
まあ映画だし、大げさにやってんだろうなと考えようとしたが、米国で育った帰国子女の知人曰く、アメリカはほんとにそうだよ、とのこと。
その言の信憑性は不明だが、少なくとも高校卒業パーティーでの経験談や、テレビの過激なお見合い番組の話を聞く分には根も葉もないことではないようだ。
万事米国の後追いが多い日本であるから、やがてこの国もそうなるのだろう。もうなっていて、自分が知らないだけなのかも。

この映画を見ていて、とある映画を思い出した。
「ワンダーランド」
同様に、だんだんと腐っていく日常を描いた作品だ。
今作よりも、わびしい登場人物達。身近で現実的だ。
その分、ラストの小さな救いが際だち、生きていく力をくれる。とても好きな作品。

比べると今作は、やはり痴話話好きのテレビ番組のようで、空々しさは最後まで消えることがない。
構成や展開にみるべきところがあるとも思うが、どうも反感が先に立つ。どうにも向いていない映画、なのだろう。