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2021年4月21日水曜日

禍つヴァールハイト -ZUERST-

 ◆◆◆300回目のご挨拶◆◆◆

 この投稿がこのブログの300目の記事となります。
 まだ300かという気も、結構書いたなという気も。
 このようなwebの端っこの文章を読んでくださる方、本当にありがとうございます。これからも継続して行きたいと考えていますので、どうぞよろしくお願いします。

―――――――――――――――――――

 

~狂気を引き寄せる呪われた作品~
☆☆☆☆

 2020年のワンクールアニメシリーズ。全12話。「KLab」がサービスしていた(2021年にサービス終了)スマホゲームを原作としている。「禍つ」は「まがつ」と読む。「ZUERST」はドイツ語で「最初の」を意味する模様。英語の「fast」かな。どうやらゲームの前日談を描いているらしい。

 自動車と魔法、重火器と剣、謎のモンスターと人々を死に至らしめる「フリーレンの炎」という災害が存在する世界。
 帝国議会は治安維持のため武器の民間への供給を違法化。だがモンスターに対抗するためには武器が必要であり、武器密輸組織が結成されることになる。帝国軍人としての一歩を踏み出したレオカディオは偶然輸送業で働くイヌマエルと知り合う。イヌマエルは実直な労働者であったが密輸組織の手違いに巻き込まれ、お尋ね者になってしまう。


 序盤あらすじを書きながら、その行為に虚無を感じている。
 映像として生まれたからには、誰が、どこで、何をしたのかは伝わらなければならないが、本作にはそれが欠けている。何となく誰かが、おそらくそのあたりで、こういったことをしたのだろう。そういったあやふやな状態が徹頭徹尾継続され、確かに何かが起こっているのだが、何かはよく分からないま全12話を終えることとなる。
 人をいらつかせる手法として、意味の分からない言葉をまくし立てるというものがあるらしい。捕虜となった特殊部隊員は、なにがしかの言語に聞こえる無意味な音声を発し続けて取調官を挑発、情報取得を困難にさせるというのだ。意味のない言葉だと判断しても、人間の脳はそれを解読しようと働いてしまい、思考を圧迫していくのだろう。本作は、まさにそれである。
 
 きちんと鑑賞したら、頭がおかしくなる作品。
 呪われた作品だといって良いかもしれない。
 そんな作品を、なぜ自分は最後まで見たのか?
 

2021年1月18日月曜日

100万の命の上に俺は立っている

【Amazon.co.jp限定】100万の命の上に俺は立っているBlu-ray BOX(初回仕様版)(2枚組)(アニメイラスト描き下ろしB2布ポスター付き)

☆☆☆☆
~狂人が作り狂人が支えた敵性作品~


 別冊少年マガジンに連載中(2021年1月現在)の漫画を原作としたテレビアニメーション。第一期12話。
 異世界転生とデス・ゲームを組み合わせた作品で、「奥浩哉」氏の漫画「GANTZ」の影響が強いだろう。
  

 人間嫌いの中学生四谷友助はある日の放課後、唐突に異世界に3人目のプレイヤーとして召喚される。ゲームマスターを名乗る未来人から完全攻略まで残り8周のクエストをクリアするように一方的に告げられた四谷は、クラスメイトの新堂衣宇と箱崎紅末とともにクエストに挑む。単独行動しつつも自分より強い2人を死なせないと奮闘しクエストをクリアする四谷だったが、周回ごとのクリア報酬で最終的に東京でドラゴンと戦わされることを知り、自分が頑張らなければ大嫌いな東京を滅ぼせる可能性に気づく。<WIKIPEDIAより>


 見ると時間を損するどころか、世界認識に対して不信を付加することになるので、避けるべき作品。無人島で一人、見られる作品がこれだけという状況でも、見ないで良い。視聴者を馬鹿にしていると思う。この作品のために「☆ゼロ」の評価を新設しようかと考えさせられたほど。
 
 1カット目で「この作品はだめだろう」と強い確信を得たのは初めて。本当に、こんなこと、ありえない。
 誰がどんな判断に基づいたって、新シリーズのワンカット目は重要だ。ファーストインプレッション。初めに感じた印象はその後に長く影響を及ぼすのは自明だ。どんなに台所事情の厳しい作品でも、作品冒頭には細心の注意を払い、なけなしの労力を費やしてクオリティを確保する。ゲーム開発でも序盤には細心の注意を払う。その世界への入口なのだから、無理なく素直に入ってもらえるように丁寧に組み上げる。

 今作はその視点において、本当に失敗している。

 暗闇の中にずらりと並んだ怪物の目が光るのをパン(カメラの水平移動)するファーストカット。いったいどのような物語が始まるのかと期待する視聴者に、不細工なモンスターをただただ見せつけてどうするのだろう。どうしたかったのだろう。しかも見えてくるモンスターのデザインがおかしい。強いのか弱いのかよく分からない微妙なデザイン。色と体躯的にRPG世界観でよく使用される「ゴブリン」なのかと推察されるが、はっきりしないので非常にモヤモヤする。
 他のRPGと同様に既存のモンスターを登場させるのは、説明を省いたり、作品世界に入りやすくする利点を持つが、微妙なデザイン変更を行って共通感を無くすることで、逆に不信と不安を高めている。ここまででこれは相当に厳しい作品だろうと確信する訳だが、さらに畳みかけてくる。
 
 OPが終わったあと本編に入ってみると、映像が全て「いらすとや」のキャラを切り貼りしたフラッシュアニメになっているのだ。
 
 「いやすとや」は商用まで含めて使用料無料のイラスト配信サイトで、どのような用途にでも使いやすいアクのない絵柄ながらきちんと個性的なイラストが豊富に取りそろえられており、町やネットで見かけない日がないほど定番となっている。このサイトのイラストを使用して第一話丸ごとを作っており、「ワケあり版」などと銘打っている。どうやら原作漫画で以前漫画自体のいらすとや版が無料公開されたなどの経緯から、今回のアニメーション化に際しても同じプロモーションを行った模様だが、僕はそんなの知らないんですよ! 普通のアニメーション版も違うチャンネルで公開されたようだが、なぜそういった情報を前提に見てくれると思ったのか……。その自信はどこから……。原作ファンで情報を追っていた人だけを対象にしており、自分などの野良視聴者は無視なのだろうか。
 腹が立つのが、この訳あり版、そりゃそうなのだがただのネタで全然おもしろくない。そもそも漫画での訳ありプロモーションは漫画の5巻として行われたようで、いきなり5巻を見る人はそうそういないだろう。4巻までの前置きがあれば、いつものあのキャラがこんな表現に――、といった楽しみ方が可能なのだろうが、アニメの一話目でこれをやったところで、初見の人がどのような感情を抱くのか、全く想像しなかったの?

 さらに腹が立つのが、二話~十二話の出来も非常に悪いこと。絵はいらすとやでなくなるが、レイアウトも演出もへたくそで、変なプロモーションを行う労力を、少しでも本来のクオリティアップに割り振った方が良かったのではないか。
 ゴブリンに続いて「トロール」「ガーゴイル」などの定番モンスターも、センスを見せようとして滑ったデザイン。常に不協和音を響かせる。
 主人公が5分くらいしか記憶が残らない思い込みの激しいヤンキーといった風情で、その場その場で勝手な思いを御大層に掲げる。一貫性など無い。噴飯物なのが何度も口にされる彼のポリシー。
 
 「いのちは皆平等だ。だから俺は俺より上等ないのちを守るためになら何でもする」
 
 ???。
 平等直後に優劣をつける発言。
 このような自分に酔った近視眼の幼稚性がキャラクターの台詞から、物語の運びから、もう全編からにじみ出ている。
 
 本当に! 頭が! おかしい!
 狂っている! 狂人が原作を書き、漫画化し、編集し、出版し――。
 またさらに狂人が今作をプロデュースしてアニメ化したとしか思えない!
 
 全員狂人!

 なにより絶望的なのはこの漫画を購入し、人気のあるものとして連載を継続させ、アニメ化につなげた読者諸兄の存在。
 きちんと鳴かず飛ばずで1巻に満たず終わらせてあげるのが、読者の良心では無いのか!

 作品の欠点をあげつらい、けなし落とすのは間違ったことだと思うが、筆が止まらない。自分はまだ未熟です。
 自分が大切にしているものと、全く逆方向のベクトルで作られたように感じてしまっている。これは、自分の持つ価値観に対しての敵性作品だ。
 第二期がすでに決まっているとのことだが、自分は決して見ないだろう。



2021年1月5日火曜日

アサシンズプライド

アサシンズプライド 1 [Blu-ray]

☆☆☆☆
~第一話は見てみて良いのでは~


 「天城ケイ」氏の小説を原作としたアニメーションシリーズ。2019年、全12話。
 

 瓶詰めの都市国家が大きな枝に連なったような世界。瓶の外側は暗闇の危険領域。人類の世界は瓶の中だけ。(なんかもう捨て鉢に感じる設定)
 暗殺を生業とするクーファは任務としてとある淑女の家庭教師を依頼される。もちろんただの教師ではなく、彼女がその家の跡取りにふさわしくないと判断すれば暗殺を行う事を含めての依頼である。
 織女メリダは能力の欠如から公爵家の血を引いていないのでは無いかと噂され、それを覆すために日夜鍛錬するものの、芽は出そうにない。
 クーファは彼女の決意にあてられ、その努力を実らせてあげたいと強く思うようになる――。


 第一話は見るべきところがある。

 映像作品というものは、時間と空間を自在につぎはぎすることを許されている。誰しもに覚えがあるように、時間の早さというものは至極主観的な尺度であるから、映像作品はそれを自在にして良いのだ。物理的に、理屈としてそれが正しいからという理由で映像を作成するのは基本的に間違っていると僕は思う。
 本作の第一話は非常に時間をかけて主人公とヒロインの関係を描こうと(描けているかといえば厳しいが)しており、名匠「出崎統」監督のような雰囲気を多少なり感じる事ができる。自分の良いと思うテンポで映像をつむぐ傲慢さ(良い意味で)。心象風景が現実を侵食するような脈絡のなさ(良い意味で)。一話全体としての出来は決して良好とは言えないが、演出の意気込みを強く感じるアニメ作品を見るのは久しぶりだ。

 また、一話冒頭にあるアクションシーンは全編通して最もクオリティが高く、フックとして充分に機能している。というか、このアクションシーンだけまるで別物。またあのクオリティ来るかな? という期待感だけで視聴を続けてしまう者もいるだろう。まあ、僕もだ。
 これはすわ良作かとときめいたが、それ以降は全く良いところなし
 
 演出の意気込みは主にカットの長さの緩急に現れているが、ツボを外したぼけぼけの時間感覚を押しつけてくるだけに。原作由来なのだろうが、あやふやな世界観が映像化されることでそのあやふやさを際立たせてしまっており、説得力皆無のままごと世界になっている。エピソードの混線具合も厳しく、シリアスなつもりなのかそうではないのかが常に分からない状態に。キャラクターの心情も筋が通っておらず、シチュエーションをつまみ食いするだけなので、物語を追うのもきつい。

 自分は声優の演技についてそれほど気にしない方だと思うのだが、ベテラン「大塚芳忠」氏が演じる「ブロサム=プリケット」というキャラの演出が明らかにおかしい。自分に酔いしれたいけ好かないキャラクターといった感じなのだが、セリフ量とカット尺が合っておらず、変な間があったり慌ただしかったりの異常事態。何らかの事故があったのか、意図した演出ではないと思うのだが……。

 エンディング曲は母に恋心を問うメリダの独白といった歌詞で作品と良く合っている。こういう雰囲気のエンディングが合ったなあ……、と考えてみると、ああ、一休さんのエンディングだ。母上様、お元気ですか?


宝石の国

 

★★★☆☆
~とても幸せな3DCGアニメーション化~


 「市川春子」氏の漫画を原作としたアニメーションシリーズ。2017年、全12話。
 

 あまりに変転した世界で、鉱物から進化した者たちが一つの島に集って暮らしていた。
 それぞれが異なる鉱物の体を持ち、色、硬度、性質なども鉱物を反映させている。
 少年でもなく、少女でもない、若々しい姿だが、鉱物らしい悠久を敵との戦いに費やして生きていた。
 敵は月人。一見仏様のような姿で雲に乗って現れ、宝石達を砕いて持ち去ろうとする。
 宝石の一人フォスフォフィライトは戦闘力が低く、その他の雑務も苦手だが、持ち前の楽観と人なつこさでそれなりに暮らしを楽しんでいた。
 宝石のリーダーである金剛先生からとある仕事を任されたことで、フォスの生活に劇的な変化が生じていく――。

 
 何とも説明しにくい物語で、世界観を理解するのに苦労しそうだが、3DCGで描かれる美麗なキャラクターがスルリとその壁を取り払ってくれる。
 宝石の輝きが圧倒的に美しい。
 生きて動いているが、硬質さを感じさせる。3DCGのぎこちなさ(故意半分限界半分?)が設定と見事にかみ合っているのだ。キラキラと輝くエフェクトも美しく、生きた宝石という存在を見事に映像化させている。原作は未読だが、宝石感の表現は確実にこちらに軍配が上がるだろう。
 戦いの表現も素晴らしい。3DCGが許す自由なカメラワークを活かし、流麗な宝石達の戦いぶりを迫力満点で描き出している。カメラの自由さにおぼれて分かりにくかったり、無駄だったりすることなく、利点をきっちり活かしてクオリティの向上にベクトルを伝えている。
 
 さらに幸せな邂逅といえるのが、物語と3DCGとの出会い。実際何を主題にし、何を伝えようとしているのか正解は知り得ないが、自分は「はかなさから来る切なさ」だと思う。宝石達が思春期の少年少女の姿を持ち、自分の存在意義を探し求めて傷つき、砕けていく様子はまさに汚れを知る前の純粋な魂の映像化である。3DCGの表現力によって、宝石達がはかない存在である事が常に明示され続ける。どんなに華麗に飛翔して、力強く剣戟を振るっても、砕けてしまう存在である事も同時に表現され続けるので、常にはらはらさせられる。一瞬後には死んでしまうのではないかというはかなさを内包した美しさ。コントラストに胸が締め付けられるほどだ。

 原作は今(2021/01)も連載中で、当然アニメも尻切れトンボ。続きが気になって薄目で見るように情報を漁ってみたが、どうやら宝石達には過酷な運命が待ち受けるようで、ちょっともう見たくないな、というのが正直な感想。そういう意味では尻切れトンボで良かったのかも。
 美しい存在がただただ無残に傷ついていき、いびつに変貌していくのを、僕はもう見たくない。

 

 

かつて神だった獣たちへ

 かつて神だった獣たちへ 第1巻(初回限定版) [Blu-ray]
☆☆☆☆
~かつてコミックコンプを読んだオタク達へ~


 「めいびい」氏の漫画を原作としたアニメーションシリーズ。2019年、全12話。
 原作漫画は未読だが、試し読みの折り込みチラシで、達者な絵だな、と思った覚えがある。題名にも何か惹かれるところがあり、哲学的な内容を含むのだろうかと興味を感じていた。間違いだった。
 

 第一次大戦くらいの科学技術の架空世界で繰り広げられる大陸戦争。そこで投入された怪物化した人間兵『擬神兵』は圧倒的破壊力で戦争を終結に向かわせるが、戦争が終わってしまえば危険な化け物。またその技術は不安定であり、英雄だった擬神兵達はもどった故郷でそれぞれに問題を起こしていた。
 擬神兵部隊の隊長であったケインは獣に墜ちた各地の部下達を葬るための遍歴を開始する――。

 
 世界設定やキャラクターの行動、セリフに至るまで、一言でいうと、拙い。見た目においても動きにおいても演出においても、総じてレベルが低く、非常に厳しい出来になっている。原作漫画がどういった内容なのか分からないが、おそらく基本は同じで、画力で説得力を持たす系の作品だったのでは無いかと思う。そうで無ければアニメ化まで至る内容とは思えない。
 
 漫画には漫画の説得力や魅力があり、アニメーションにはアニメーションのそれがある。例えば台詞回しにしても、読んで理解しやすいものと聞いて理解しやすいものは異なる。画面構成も、静止した画像と動く画像では必要とされる要素が異なるだろう。つまり、漫画原作をアニメーションにするにあたっては、きちんと内容を咀嚼して媒体に合わせた再構成を行う事が必要なのだ。
 今作がどの程度原作漫画と同様なのかは不明だが、アニメーション化という作業に失敗していることは間違いない。背負ったバックパックのジェット噴射で高速移動する装置や、謎の無反動連射機関銃など、動かすと冗談にしか見えない描写が噴飯物の映像になってしまっている。
 
 ただ、みているととても懐かしかった。かつて「コミック・コンプティーク」と呼ばれる漫画雑誌があった。最近の漫画雑誌は読者の趣味嗜好に合わせて細分化が進んでいるが、昔はもっと単純で、少年向け、青年向け、少女向けくらいしか無かった。そこに「オタク向け」の内容として投入されたのがコミックコンプであり、エロ分野までカバーしたゲーム雑誌から派生したものだった。題材がゲーム、もしくはゲーム的な内容だったので、今から思い返してもものすごくオタクぽい内容だったと思う。その雑誌で連載されていた漫画のような雰囲気が、今作には満ち満ちているのだ。
 共通点は、「背伸びしてがんばったけど、子供だまし。薄い内容の雰囲気だけをたのしむ作品」
 でも、中学生の自分には楽しかったし、今のそのくらいの年齢の子達にとっても、ぴったりくる作品なのかもしれない。
 
 年齢に関係なくたのしめる作品は確かに存在すると信じるが、年齢に見合ったその時楽しい作品が大半であり、それをそれぞれの時点で楽しむのが正しい姿勢なのだろう。
 今作は、自分に合う作品ではなかった。いうても漫画でアニメで、若い子向けだ。合わない作品の方がどんどん多くなっていくのだろうな――。

 原作は現在(2021-01)時点で連載継続中で、当然アニメは尻切れトンボである。

 

 

2020年10月26日月曜日

ブブキ・ブランキ

ブブキ・ブランキ Vol.1 [Blu-ray]
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☆☆☆☆
~まずい脚本とはこういうこと~


 2016年のTVシリーズアニメ。第一期と第二期を半年ほどあけて放送の全24話。オリジナルでこれだけの話数を放送は昨今珍しい。

 「肌に合わない作品」という物は確実にある。理屈を立てて理解する前に、感触としてこれは合わないと感じ、視聴を続けてもその印象が変わらない作品のことだ。自分にとって、この作品はまさにそれ。
 

 いにしえから存在し、人間社会の裏で大きな武力として使役されてきた巨大機械「ブランキ」。それを操るのは一体に付き両手両足と心臓の5つの核を一子相伝するブブキ使いたち。最も重要な心臓の核全てが突然機能不全に陥り、世界中のブランキが起動できなくなり、各国のパワーバランスの崩壊から混迷の時代に突入した。
 その原因とされた「魔女」と呼ばれるブランキ使い一希汀(かずき みぎわ)。その息子である東(あずま)は、幼い頃から過ごしていた浮遊島で起きた事件により地上に落下。魔女の息子と呼ばれながら浮遊島に戻る方法を探し、10年を経て日本に帰国した――。

 
 あらすじを書こうとすると、何が大切で何がどうでも良いのかを取捨選択することになるが、今作はそれがまるで分からない。もちろん全編を視聴したあとなので大筋は理解しているはずなのに、判別出来ないのだ。
 最後まで見た上での物語の説明をすることは出来る。だがそれは一部始終を知った殺人事件において、犯人の動機、犯行手順のみを説明するようなもので物語をなぞったものではない。どうやらこの作品、脚本が致命的に悪いようだ。
 
 自分の勤める会社の社長は元映画畑で働いていた(助監督)経緯を持ち、映画関連に造詣が深い。月一で押しも押されぬ名画を解説付きで視聴する「映画鑑賞会」を主催しており様々な話を聞く機会となっている。その中で「映画が脚本以上になる事はない」という言葉が紹介された。他でも聞いたことがあるので割と有名な言葉なのかも知れない。様々な解釈が出来るだろうが、自分は「良く出来た脚本はその後の作業の土台となり、上につくる建物をきっちりと支える。悪い脚本は天井となって上限を覆ってしまい、その後の作業の邪魔となり、いびつな建物作りを強制する」というように理解している。
 ゲーム作りでも良いアイデアはその他の面白い思いつき、関連するアイデアをどんどん引き込んでくれるが、悪いアイデアは一見面白そうに見えてもその後の広がりを得ることが出来ない。
 上記のような意味で、今作の脚本は作品のいらぬ縛りになっているように感じる。
 良いケースパタンになるのかもしれないので、自分向けのメモとして二つほど挙げてみる。
 
―――――――――――――――――――

①導入が重い

 物語冒頭はその作品の入り口となるもので非常に重要である。また、視聴者にとって負担の大きいものだ。
 どういった世界がどのようなルールで展開するのか。
 これが視聴者の中で構築されるまで、情報処理の負荷が非常に高い。枠組みが出来てしまえば新しい情報で見えてきた部分を付け足すだけで済むが、それまでは一生懸命に理解しようとする必要があるのだ。これは新しい人に出会った場合も同じで、見た目やしゃべり方などでひとまずどんな人だと決めてしまう。そうしてから長いやりとりを経てその人物像を更新、最適化していくのだ。
 この負担を減らす方法として「続編」「肩書き」「模倣」などがあるだろう。続編は当然気楽だし、人物において「XX会社の役員」といった肩書きは関わり方を決めるのに大きな助けとなる。模倣は「異世界転生もの」のようにフォーマットを共通化させることで負担を軽減している。(異世界転生ものが素晴らしく流行したのは、導入の気楽さが大きいと考えている)

 反対に、情報が足りなかったり、これまでに出会ったことのないような対象だったりする場合、枠組みの構築が上手く行えない。こういった時は、非常にモヤモヤとして気持ちの悪い状態を継続することになる。
 長くなったが、本作の導入がまさにこれである。
 
 まず10年前、浮遊島で起こった事件が描かれ、その後現在の物語が開始される。こういった二段階に分けた導入は良くある手法で、たとえばクライマックスからはじまり、それが夢でしたと本来の物語が始まる。この場合冒頭クライマックスはフックの役割を果たし、本来重いはずの導入の手助けとなり物語に導いてくれる。
 今作では第一段階が牧歌的な雰囲気からはじまり、それから第一のクライマックスに至るためフックの役割を果たさない。一生懸命構築しようとした作品感をクライマックスがぶちこわすのである。そして10年がたち第二段階である本来の物語が開始されるが、第一段階の情報がまったく役に立たないどころか意外な展開(優しい母が魔女呼ばわりされているなど)に持って行こうとして逆に理解の妨げになっている。つまり「構築①」⇒「破壊」⇒「構築①によって困難になっている構築②」となっている。そのため置いてけぼりになった感じが強く、それが継続する。

 プロが作り上げた作品に対して事情を知らない外部が「こうすれば良いのに」というのは非常に失礼で傲慢な事だと思うのだが、どうしても一言申し上げたい。
 
 10年前の下りは無い方が良い!
 
 実際これを切り落としてもすっきり感が高まるだけで物語への影響がない。その後に何の変更を加えなくても、おそらく大丈夫だ。
 無駄な物を残して物語を分かりにくくしているという点でこの脚本は良くない制限になっている。どんなに演出や作画が気を吐こうと、カバーできる難点ではないのだ。


②状況が解決する前に別の状況をかぶせすぎる

 大雑把に説明すると本作は色々なシチュエーション、組み合わせのバトルをどんどんつなげていくという展開になっている。
 これ自体はロボットバトルを主軸に据えた物語なので妥当だと言えるが、問題は「バトルの決着がつかないまま次のバトルになだれ込む」事が非常に多い点である。AとBの戦闘中にCが乱入し、BとCの戦いがメインになってAとBの戦う原因は放置状態で物語が続き、BとCも特に決着がつかないまま閑話休題を開始――といった具合。句読点のない延々長い文章を読ませられるのと感じがとても似ている。すべてにおいて決着をつけないので、フワフワと気持ちが悪いのだ。

 なぜこういう構成にしたのか、ちょっと理解できない。どんどん状況を切り替えて興味を引こうとしているのだとすると、うまく働いてはいない。被さってくる状況が前の状況より魅力があるというわけでもないので、途中で無理矢理チャンネルを切り替えられた感じになる。


―――――――――――――――――――
 このように脚本が縛りとなってどうにもならない不愉快を確定させている部分が多く、これほど脚本がダメだなあと思うのも希だ。
 全体に思いついた言葉とシチュエーションを無理矢理つなぎ合わせて物語に使用とした、統一感のない出来の悪いパッチワークである。
 
 脚本云々いうのは、他のパートががんばっているなと感じるところが多いため。
 キャラクター、ロボットは3DCGで作画されており、静止画としてのクオリティが高い。特にキャラクターの輪郭描画は一定の太さではなく適度に入り抜きが表現されており、平板さを感じさせない。アニメーションもセルアニメの良さ、キーフレームを自動補完するだけでは出てこない溜め詰めの気持ちよさを再現。レイアウトも3Dとしての正確さではなく、ゆがみによる見栄えを考慮している。
 この辺り、一期と二期ではまるで出来が異なると感じる。
 一期は上記の様な魂の入れ込みが無く、正確だけどつまらない画面が非常に多い。
 列車の荷台で戦闘するシーンがあるのだが、嘘がないため狭い舞台に感じたり、キャラクターの位置関係がまるで絵になっていない。カットによって広さも、位置関係も変えてしまえば良いのに、カメラの位置を苦労して変えることに終始して苦しんでいる。
 二期はこの手の3D慣れしていないシーンが少なく、一期の様々な経験をきちんとフィードバックしているなと感じる点が多い。
 
 今作は、作品としてはがっかりな物になっているが、スタッフの力量を底上げするという意味では大いに価値があったのだと思う。
 
 ところで「ブブキ・ブランキ」と自分が以前酷評した「文豪とアルケミスト~審判ノ歯車~」のスタッフを見ていると、イシイジロウ氏が重なっている。ゲーム開発を主戦場とするクリエイターのようだが、いくつかの記事をあわせて考えるとどうやら自分はこの人の感性が苦手なのではと思われる。好きな作品で共通のスタッフが居るように、がっかりと感じる作品で共通してくるスタッフも居るのだなあ。多分、避けるべきなのだろう。

 

 

2020年9月24日木曜日

文豪とアルケミスト~審判ノ歯車~

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途中で見るのをあきらめた作品
 ※最後まで見てから評価すべきなので評価なし。
 ※あきらめた理由を書きます。



 二話まで視聴してやめる。
 以下推測の多い文面なので、事実と違う事も多いかも知れない。
 作品感想というより、作品を見て関連事項に対して放談したものと思って読んでいただきたい。
 
 
 2020年のワンクールアニメ。ゲームを基にしたアニメ作品だが物語を基盤としていないキャラクター偏重の、いわゆるソシャゲ的なゲームがもとになっているのでアニメーション作品にするのは非常に大変だったろうと思う。自分はそのゲームをプレイしたことはないがこういったゲームは先例に倣ってつくられており、おそらく『艦隊コレクション』『刀剣乱舞』のコピーゲームだろう。会社が同じだし、エンジンを使い回してキャラクターだけ取り換える手段はソシャゲ勃興以降当たり前の手法になってしまった。ゲーム開発者としてはモチベーションを保ちにくい作り方だが、有効な面も多い。一つ一つの作品に新たな発明を組み込んでいくのがゲーム業界の発展の礎であり、開発者の矜持だと思うが、それが縛りになるのも良くない。様々なアイデアが検討、実証され業界も40年近く(うちの会社が老舗でそのくらい)の年月が流れたのだから、「独創的なオリジナルアイデア」もそう簡単には出てこない。


 今作は芥川龍之介や太宰治といった文豪をモチーフにつくられており、彼らが著した作品を浸食する敵対勢力に対して、転生して美少年となった文豪が立ち向かっていくという設定。先に挙げた刀剣乱舞の場合は名刀を擬人化したキャラクターとなっており、ゲームを入り口として日本各地で刀剣に興味を持つ女性が増えたという。美少年をフックとし、コンテンツの奥深さは刀剣本来が蓄積してきた歴史につなげることで確保というのがうまい立て付けだ。

 キャラクター偏重のゲームは、それに対して興味を持ってくれた顧客(一言でいえばファン)に絶えることないコンテンツを供給することが何より重要である。ゲームの楽しみがそこなのだから当然だ。そのキャラのストーリー、ステージ、衣装といった燃料をくべて、顧客の情熱を燃やし続けるわけだが、安定したコンテンツ供給はとても大変である。最も簡単なのはいわゆる新しい絵柄のカードを追加すること。これなら画像さえ用意できれば良いので作業工程が短くて済む。水着やハロウィンといった季節に合わせた衣装をまとった絵にすれば物語性をある程度持たせることも出来る。これがキャラクターのエピソードともなれば、作業量は一気に膨れあがる。内容を決め、シナリオを起こし、ボイスが必要なら収録。素材がそろったら表示イラストや文章、演出効果を組み合わせてキャラ劇を作成していく。戦闘に関わる追加コンテンツならキャラクターモデル、モーションの追加にはじまりパラメータの設定、入れ込み、テストとさらに大変だ。

 こういったコンテンツの深掘りを可能とする良い手段が、「そもそも存在する事物と接続する」ことである。ゲーム運営側が新しいコンテンツを矢継ぎ早に出さなくとも、本来が持っている情報にアクセスしてもらう時間分余裕をもつ事ができる。一気に燃え上がって終わりではなく、長い時間じっくり楽しんでもらう(お金を出してもらう)鍋帽子的な煮込み料理運営スタイルだ。運営が執れる手段も多様になる。「刀剣乱舞」は刀剣だし、「艦隊これくしょん」は世界の軍艦。一時期はやった(今も、これからも継続されるだろう)「事物の美少女化によるゲーム」はこの効果を狙った点が大きい。

 さらにキャラクター作成においても開発側の負担を低減し、クオリティの安定化を図れるというメリットもある。一からキャラクターを作り上げるのはそもそも非常に大変である。これを対象事物の情報をとっかかりに作れるだけでオリジナリティの面でもゲーム内容との結びつき的にも望ましい効果が生まれる。たとえば非常に燃費の悪い戦艦を擬人化すると、大食らいですぐにお腹の空くキャラになるし、悪神を倒した伝説を持つ刀であれば、正義の心を持った英雄的キャラクターになる。どの情報を生かすかの取捨選択、他のキャラクターとの差別化などそれはそれで別のセンスが必要だろうが、取っつきやすいのは確かだ。


 さて、今作では「文豪」をモチーフにしており、なるほど彼らが持つエピソードは興味深いものが多い。著した作品も当然ながら本人にも勝る知名度と内容深さを持っている。ただ非常に苦しいのが、擬人化ではなく「本人の置き換え」になっているということだ。そして文豪は歴史上の人物というより近現代の存在なのだ。きちんと写真も残っており、事細かな(望む望まぬに関わらない)情報も存在する。美少年に食い付いて調べたら小汚い(写真古いですし)おっさんにたどり着いた場合、ファンは少なからず冷めてしまうのではないだろうか。反対に文豪にある程度のイメージを持って(国語の教科書に写真が載ってたなど)今作に触れた場合――自分はこの立場だが――よく分からんRPG風の衣装を纏ったこいつは誰やねん、ということになる。中原中也や太宰治などは人道を外れたエピソードばかりなので、それを背負った彼らにははじめからマイナス印象となってしまう。「芸術家と生み出された作品は別」というスタンスをとることで文豪のマイナスエピソードを封じ込めている読者にはなかなかつらい。

 実在の人物をキャラクター化するという手法をとっているゲームは多いが、近現代の人物を取り上げている例は多くない。その人物の本来のキャラクターが明白でありすぎるため、創作で勝手に埋める部分が減ってしまう、もしくは実際と創作のキャラクターがぶつかり合ってしまい、マイナス効果が生まれてしまうのだろう。

 さらに不思議なのはせっかくの文豪、せっかくの名作文学を題材としているのに、その作品自体を生かせていないのだ。名文の一節も朗読して作品の雰囲気を借りれば良いのに。また、改変されつつある作品世界なので、元のお話しとはどうやら異なった状況のようなのだ。第一話の「走れメロス」くらいならあらすじを知っているので改編されようとしていることが分かるのだが、第二話の「桜の森の満開の下」は読んだことがなく、どういう内容かも分からないのに知っている前提で話が進む。知っている者は改編に腹が立つだろうし、自分のように知らない者には元がどういう話なのか分からず戸惑うばかり。あらすじを冒頭に語るなどしてフォローして欲しかった。著作権の関係でそれが許されないのだろうか? 作者本人はあんなに好き勝手に扱っているのに?

 一体誰に向けて作られた作品なのか、ゲームのファン向けといってしまうならあまりに閉鎖的でメディアミックスの意味が無いではないか――。


 今作はこれらのマイナスが積み重なることで視聴を継続するのに忍耐が必要な作品となっており、自分は二話でくじけてしまった。



2020年4月10日金曜日

怪奇ゾーン グラビティフォールズ


 ★2020年4月時点では日本語吹き替えされたDVDは発売されていないため、ディズニーチャンネルなどで見るしかありません。リンクは北米のBlu-rayで英語です。
  アマゾンでも見られますが、1話ごとでかなり高価な印象……。

 ★★★★★
 ~ワクワクと切なさのオンパレード~

 2012年から2016年にかけて制作、放送された米アニメ。テレビシリーズとして全41話となっている。
 日本では「ディズニーチャンネル」などの有料チャンネルを中心に放送された。
 
 双子の姉弟であるディッパーとメイベルは12才の夏休みを大叔父スタンの元で過ごすこととなった。
 都会暮らしの二人にとってスタンの住む町グラビティフォールズは片田舎であり、最初は気乗りしなかったが、持ち前の前向きさと好奇心で町の人々と絆を結んで行く。
 グラビティフォールズは数多くの奇妙な現象、伝承を抱えており、二人はその謎と対峙。
 やがてその現象は世界さえ巻き込む規模となっていく――。

 帰省時に実家のケーブルテレビで視聴し、続きが見たくて帰宅後ディズニーチャンネルに入ったほどおもしろい。

 一夏を田舎(彼らにとっての異世界)で過ごし、得がたい経験を経てどこか大人になる物語であり、大人が見るとどこかノスタルジックな雰囲気を感じる事ができる。子供にしか出来ないバカをやったこととか、友達と交わしたちょっとした言葉、だらしないけれど大人であろうとする年上の人々。あこがれの女性……。細かなキラキラした物が物語のそこかしこにちりばめられてある。
 子供が見てもおもしろいようで4才の息子が非常に気に入って一緒に見ていた。
 オバケ、人魚、未来人、怪物――。およそSFにあり得るさまざまな要素がこれでもかと詰め込まれており、確かに子供の好きな物ばかりだ。おどろおどろしい表現は怖がって見ない息子だが、これは絵柄がカートゥーン。パワーパフガールズみたいな表現なのでこわ過ぎないのが良いのだろう。
 上に「子供にしか出来ないバカなこと」と書いたが、実際に子供である彼にとっては今やりたいことをどんどんやって見せてくれる主人公が楽しいのだろう。難しい回しや隠喩を理解できなくとも充分に楽しむことが出来るのだ。
 
 この作品を見るまでは海外のアニメシリーズに触れる機会がほとんどなく、ポパイやトムジェリのクラシックなものや忍者タートルズくらいしか見たことがなかった。イメージとしては手間(動画枚数)はかかっているが、大袈裟にドタバタするわびさびのない子供向けというもので、どこか格下に見ていた。パワーパフガールズは抽象化されたデザインとかわいらしさが大好きだが、スタイリッシュアンパンマンくらいの認識。
 
 そんなこと全然なかった。
 
 今作をきっかけにディズニーチャンネルで放送されている作品を色々見てみたが、ミッキーマウスを初めとするいわゆるディズニーアニメ、映画以外にも多くの作品があり、子供が見てもおもしろい大人向け作品が数多く存在していた。
 「フィニアスとファーブ」「スターバタフライ」など気に入った作品も多々。
 
 いくつかの作品で共通して言える(僕の気に入った作品の)特徴は以下のような感じ。
 海外ドラマでも踏襲されている特徴なのかもしれない。
 
 ・始め可笑しくてやがてシリアス
  シリーズの初めの方はギャグ要素が強く、ドタバタ喜劇の感が強い。
  気軽に見る事のできる敷居の低さ。
  終盤からはそれまで出てきた複線を回収しながらどんどんシリアスになっていき、目が離せなくなる。

 ・一話で綺麗にまとまる脚本の巧みさ
  一つのエピソードが基本的にその中で綺麗に収まる作り。
  膨らみすぎたような話でも急転直下の落ちに持ち込んだり、非常にうまい。
  もちろんまとまりきれない回もあるが許容範囲内。
  シリーズ全体としては進展があったり無かったりだが、複線となるようなパーツは確実に何かしら放り込んである。
 
 ・歌が良い!
  ディズニーならではなのかもしれないが、鼻歌だったりミュージカルだったりさまざまな形で歌が差し込まれてくる。
  当然日本語歌詞になっているのだが、歌詞も歌唱も非常にレベルが高い。
  声優がそのまま歌うのが基本なのだが、みんなうまい。ディズニーお抱えの声優陣は歌えることが大前提になっていると思う。
  例えば他の海外アニメ「スポンジボブ」も同じように歌が差し込まれることが多いが、決してうまいとは言えない、というかおそらく下手。

 正直言って、判で押したような内容ばかりの日本アニメに危機感を感じる。
 最近Netflixがきちんとした対価を払って日本のアニメスタジオに自社向けアニメーションを制作しており、変わっていこうとする流れを感じる。これらは高いクオリティで安定しているが、突出した勢いのない情念を感じられない作品が多い。
 旧来の低い予算のテレビアニメは人員が足りないせいだろうが良くも悪くも制作陣の個性が突出する場合があり、クオリティは安定しないが非常に出来の良い回などが散見される。
 二つの真ん中ぐらいで作品を生み出していかなければ、日本のアニメは他国に駆逐されてしまうかもしれない。

 作品以外の話ばかりになってしまったが「グラビティフォールズ」は万人にお勧めできる傑作である。
 全41話とワンクール物になれた身には長いと感じられるかもしれないが、各話マンネリとは無縁の個性的なエピソードとなっており、下手な作品を三つ(13×3⇒39)見るなら本作を見た方が絶対良い。

2020年4月9日木曜日

ドロヘドロ

ドロヘドロ Blu-ray BOX 上巻 初回生産限定版

 ★★
 ~手書きとCGのハイブリッド~
 
 林田球の漫画を原作としたアニメーションシリーズ。一期13話。
 原作は完結しているが、例によってアニメはそのどこまで描かれたのかすら分からない中途半端なところで終了。人気漫画の素材としての乱伐のようなこの状況は今ではもう当たり前だが、自分にはどうにも気持ちが悪い。
 終わりを感じさせないのがIPへの希求を高めるのかもしれないが、終わらない物語は欠陥品だろうと思う。
 

 魔法使いとそれ以外の人間が魔法の扉によって隔絶された不思議な世界。
 人間の世界(ホール)は魔法使いの実験台にされた異形の人間たちによって混沌の極にあるが、そこに住む人たちはどこか陽気で楽しげである。
 記憶を無くして病院で目を覚ましたカイマンは魔法使いによって頭をトカゲに変えられていた。
 犯人を見つけて復讐するため、ホールで知り合った中華料理店の武闘派店主ニカイドウとともに魔法使い狩りを開始する――。

 林田球の漫画は一種独特の雰囲気を帯びている。
 残酷で悲惨で生死をおもちゃのように扱いながら、暗い雰囲気にはならない不思議なコメディ感を継続しているのだ。
 不謹慎だが飄々としたキャラクターには愛着が湧き、特有の世界観と合わせて魅力が増大されていく。
 
 こういった雰囲気をこのアニメは上手に表している。
 特筆すべきなのが、手書きとCGの良い塩梅の融合
 原作のタッチを表現するために網掛けやペンの走りをそのままテクスチャにしてキャラモデルに貼り付けている。
 結果ぱっと見ではCGだと分からない手書き感が出ており、CGアニメ特有の気持ち悪さが非常に薄い。
 さらに作画とCGを場面毎に切り替えて使用しているようで、互いの良いとこ取りに成功。高い画面クオリティを最初から最後まできっちりと保っているのが素晴らしい。
 
 演出についても称賛したい。
 CGを多用した作品の多くが意味の無いカメラ挙動病にかかる。必然性のなダイナミックな動きを入れなければならないという強迫観念でもあるのか、ただの会話シーンでグルグル動かす事も良くある。カメラで撮るべきもの、その動きを積み重ねて物語を伝えていくことを忘れて、その場その場の短絡的な表現をしてしまっているのだ。
 これは演出する側が特に厳に慎まねばならない、「がんばってしまう失敗」であるが、今作では要所のみCGならではの激しいカメラ挙動を用いて、それ以外はオーソドックスに抑えている。全体としてメリハリのきいた印象となり、この観点でもCGらしさが薄まっている。
 
 手書きとCGをうまく融合させるという方向性について、今作は非常に高い到達点を示してくれている。
 制作会社である株式会社MAPPAは「この世界の片隅に」なども制作しており、クオリティの高い作品を多く輩出している。
 
 ただ、――主人公カイマンの声が自分が思っていたよりも甲高く神経質だった違和感は最後まで消えなかったし(←勝手な意見)、出来が良いとは言え非常な尻切れトンボだし、かなりグロだし、手放しで多くの人に進められる作品ではない。
 放送枠のCMが、「カイマンのカバン」「キャラクターモチーフの時計」など関連グッズばかりなのも不思議だった。どこで回収する目論見の作品なのだろう……。


 
 

2020年4月8日水曜日

ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうかⅡ


 ★★★☆☆
 ~第二話必見~

 
 2019年のワンクールテレビアニメ。2015年の第一期アニメの続編となる。
 

 英雄譚に憧れ、神と人とがファミリアを結成してダンジョンに挑む町オラリオに上京した若者ベル。
 炉の女神ヘスティアに見込まれてファミリアの一員となり、ダンジョンに潜って腕前を上げようと懸命である。
 さまざまな冒険者。さまざまな神々。
 多くの人や神と出会い、助けを得ながら、ベルは成長を続けていく――。

 上のあらすじは一期でも二期でも通じるもので、4年経ってほぼ忘れている状態から二期を見ても特に問題は無かった。
 物語に進展が無いとも言えるが、ベルはきっちりと成長しており、パターン化もしていない。
 仲間との絆を深めながら前に進む成長物語として筋が通っているから、あらすじとしては変わりないのだ。
 主人公ががんばり屋さんで、皆それを応援している、くらいの理解があれば大丈夫。
 あれ? 名作劇場的な設定なのかな?
 
 第二期は大きく三つのエピソードから構成されており、演出や作画物語のつじつまといった点から一つ目が最もおもしろい。
 特に第二話は最終話のようなテンションとクオリティで物語が進み、目を離せない。
 残念な事にここをピークに二期はどんどんテンションが落ちていき、終わり頃は閉口せざるを得ない内容。
 三期が決まっているようなので続きが楽しみ。
 
 このシリーズが異世界転生無双勇者作品と区別されるのは、転生していないというのはもちろん、きちんと弱くて苦労していると言うこと。神から授かった無敵の力はなく、努力して強くなっていく様が(特に一期で)描かれている。ぼろぼろにやられて特訓して乗り越えるというあるべき手順を踏んでいるため、素直に主人公を応援することが出来るし、つまり彼の周囲のキャラクターの心情にも共感できるというわけ。
 
 文章を絵に落とす際のスケールダウン(うそくささ)が多々見られるのも残念だが、全体としては充分に楽しむことが出来る作品。

2020年1月30日木曜日

盾の勇者の成り上がり


 ★★★☆☆
~序盤のおとしめっぷりが凄く良い~


 小説投稿サイトで人気を博した作品を原作としたアニメ。2クール25話で構成されている。
 

 図書館でとある本を手に取った尚文(なおふみ)は異世界に送致される。
 そこでは「盾の勇者」として扱われ、他に同じ境遇の剣、槍、弓の勇者と邂逅する。話してみるとどうやら他の三人にとってこの世界はメジャーなネットゲームの世界そのものであり、異世界ではあるが世界に対する理解度は非常に高い。ところが尚文の世界ではそのようなゲームは存在せず、どうやら異なる世界から召喚されたようである。
 召喚主である国王の態度も尚文、盾の勇者にだけ厳しい。事ある毎に他の勇者と差別され、格下扱い。
 それでも何とか仲間を見つけて救世の冒険出でようと張り切るが、さらなる虐待が尚文を待っていた――。

 異世界に召喚されて~の基本に忠実なカーボン紙作品かと思いきや、序盤の主人公に降りかかる虐待ぶりが他では見られない強烈さ。また、この世界では剣・槍・弓・盾の四人が勇者として召喚され、それぞれが共闘者でありライバルというのも特徴。決して仲良しではなく、むしろ険悪な関係。
 総じて他の異世界転生無双勇者作品と比べて苦戦や苦労が多いので違った気分で見る事ができる。虐められて拗ねまくる主人公は、手段を選ばないダークヒーローとして成り上がっていく。その心を癒す存在と出会い、性格が改善されていくのも見所。
 拗ねる気分というのは、ダークヒーローに繋がるのだなあと発見。悲劇の主役なのだな。
 
 悪辣な罠に落ちて周囲から嫌悪されることとなった尚文が成り上がる過程がおもしろいのだが、その目標は中盤程度で達されてしまう。
 物語の規模が徐々に拡大されるため悪役が相対的に小物になっていき、尚文の力がそれを凌駕してしまうのだ。こうなってしまうと成り上がりの面白さはなくなり、あとは他の救世物語と似たり寄ったりになる。ダークヒーロー感もぬるくなる一方なのだ。
 原作によるものと思われるが、抱えていた血肉の通った「描きたいもの」は「虐められてそれをやっつける」事だったのだろう。それ以降は散らかった登場人物、てこ入れ的な女性投入、その場その場ののりで進むうちわノリが目立つようになり、つまり、良くあるなろう系になる。大雑把に言うと、適当な感じである。
 ダークヒーローっぷりで差別化されていた尚文も、「やれやれしょうがないな」系のよくある主人公になってしまう。
 
 アニメーションは一定のクオリティを維持しているが、文章を映像に変える部分でうまく変換できていない部分が多々。
 文章で楽しめる内容をそのまま映像にするとまるでバカらしいシチュエーションになる事は結構多い。後半の重要な戦い、大きなクレーターの中で敵と対峙するシーンがあるのだが、早くその穴から出れば良いのに、ただただその中で敵と戦う。なんだか敵も味方もバカみたいに見えてしまう。
  これなどは「すぐ出れそう」という印象が強い映像が違和感を演出しているのだろう。同様に、位置関係や切迫感が伝わってこないシーンがとても多い。
 
 25話で構成されているため、物語のテンポ、量は丁度良い塩梅に調整されており、何よりとても区切りの良いところまで描いて終わっている
 原作はまだまだ続いているようで、アニメも続編の制作が決定したとか。
 ただ、25話でさえ中盤以降は蛇足的なので、今後についてはさらに長大な蛇足になってしまうのではないかという危惧は消えない。

2019年12月6日金曜日

デビルズライン

デビルズライン Blu-ray BOX II【期間限定生産版】

 途中で見るのをあきらめた作品
 ※最後まで見てから評価すべきなので評価なし。
 ※あきらめた理由を書きます。
 
 一話の半分を視聴してやめる。
 
 2018年のテレビアニメ。
 吸血鬼? を題材にした現代恋愛物?
 ぼうっとした大学生(これが主人公? ヒロイン?)が友達とゆ~っくりやり取り。
 吸血鬼とそれを取り締まる勢力の戦闘はクオリティ高いが、良くあるイメージの範疇で既視感強し。
 真ん中のCMで原作まんがの宣伝があり、高ぶると血が吸いたくなる吸血鬼との恋愛模様、であると明示されてこれはもう要らんと判断。
 ネタバレを挟み込んで来るのも驚いたが、こんなに素直に見るのをやめられる自分にも驚いた。
 
 この茶番感は以前感じた事がある。
 色々なアレルギーを紹介するバラエティーを見ていたとき、右上に「まさかの人間アレルギー!」とずっと表示されていた。
 で、VTRで改めて示される「なんと人間アレルギーだったのだ!」。
 VTR映像を作る人の苦労をこんなに無視していいのかと思ったが、それと同じ感覚だった。
 
 ああ、二人は恋に落ちるんだね、と分かってしまうとそれ以上興味を引かれる部分は無かったと言うこと。

 
 

2019年12月5日木曜日

LOST SONG

LOST SONG  Blu-ray BOX  ~Full Orchestra~

 途中で見るのをあきらめた作品
 ※最後まで見てから評価すべきなので評価なし。
 ※あきらめた理由を書きます。

 二話まで視聴してやめる。


 2018年のテレビアニメシリーズ。
 歌う事が魔法的な効果を発揮する世界。歌い手の少女の故郷がその力のせいで滅ぼされて――。
 示したい内容を各パーツそのまま並べている印象で、繋がりも納得性も無い。
 主人公がやんちゃである事を示すための表現が、二階の窓から飛び出して、屋根をすべって屋外に、といった具合。
 短絡的で粗雑。素直に拙い。
 それがずっとつづくのでこれは見なくて良いかと判断。


2019年10月31日木曜日

orange


 ※Amazonの商品リンクです。
 
☆☆☆☆
~埋めがたい断絶~

 
 2016年の1クールテレビアニメ。全13話で描く高校生グループの恋愛を中心とした物語。
 心を閉ざした転校生が徐々に仲間と絆を結んでいく過程が描かれるが、それをドラマチックにしているのが「未来から届いた手紙」という設定。
 迫り来る悲劇とそれを回避するための行動。手紙自体への疑心暗鬼も重なって、対策は上手く進まない――。

 あまり良い意味ではない、侮蔑の色が濃い言葉として「少女マンガだな」と思ってしまった。
 曰く恋愛に全てを賭け、その対象以外にはどこまでも無頓着にひどいことが出来る主人公。それを許し包み込む菩薩のような二枚目。それ以外のつじつまは知らん! と断ち切る強さ。
 どうにも共感できない独特の世界観が徹底されており、そうだね、言葉を選ばずにいえば、ばかばかしい

 年をとったからなのだろうか。若い頃なら楽しめただろうか?――。否、と思う。
 男だからなのか。これも違うと思う。
 なんかもう、そういう違いを超えた人間社会に対しての軽重の置き所が異なる。年齢でも性別でもない外見では分からない精神の断絶。否定、毛嫌いするような物では無くただただ理解できない。これは絶望的に根が深い。
 正直に、「精神的に理解できないので楽しめなかった」と言っても距離をとられるだけだ。だから、薦められたら見るし、話題になっていたら見る。おもむきを感じない景色を眺めるような、無駄とは思わないが自分にとっては無くても良いのだろう作品。
 関心が湧かないのだ。
 
 キャラクターデザインの結城信輝は「天空のエスカフローネ」「地球へ…」など少女まんが成分の濃いキャラクターを透明感のあるアニメキャラに落とし込んでいく名手。今作もきっちりと雰囲気を保ったアニメキャラになっている。
 演出も手堅く、無理なく静謐な少女まんがの雰囲気を持ち込んでいる。少女まんが独特の空白、間の美学も再現されている。
 いかんせんそうして高い完成度でアニメ化されても、印象は変わらないのだろう。むしろ作画が~、演出が~と戦犯を他に求められない立派なアニメ化なので、逃げ場無く己の無関心を受けとめるしかなく、なんだか辛かった。
 
 性に合わない作品は存在し、それを好きな人もたくさんいるのだな、という自分のズレが心配になってしまう一作だった。
 
 

2019年10月30日水曜日

機動戦士ガンダム THE ORIGIN 前夜 赤い彗星

機動戦士ガンダム THE ORIGIN I [Blu-ray]

★★☆☆☆
~画面クオリティは高いけれど~

 原作アニメは1979年に放送されたテレビアニメ。リアル系ロボットアニメの始祖として名高い「機動戦士ガンダム」。
 その作品でキャラデザ、作画監督を務め物語部分にも大きな影響を及ぼしたる安彦良和が原作アニメを漫画化した。これが「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」。この中で、原作アニメでは語られなかった人間関係や舞台裏の事情裏の事情などが非常に強固に補完された。
 安彦氏はアニメ界から離れた後、超絶画力を元に漫画家として独自の地位を確立。神話や歴史上の人物を生き生きと描くとともに、大量の人物を練り合わせるように歴史を描いてその構成力も見せつけた。

 今作は「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」の一節をアニメ化したものとなる。監督も安彦氏が務めており、氏のアニメ界復帰は実に25年ぶりとのこと。
 もともと6本に別れて制作され、少数の劇場における公開とディスクメディア販売という変則的な展開で三年にわたってリリースされた。その後テレビ版として切り分け、再編集されて全13話で放送されたのが今回視聴したものとなる。

 これまで描かれたあまたのガンダムシリーズの中でも最大級の人気キャラクターである、「シャア・アズナブル」の成り立ちが主体となる。敵側のエースパイロットであり、主人公の前に立ちはだかるライバルであり、戦争の発端となった思想家の息子であり、敵味方に分かれることになってしまった兄妹の兄であり――。書き上げるとすごい属性持ちのなんと複雑なキャラクターであることか。主人公と三角関係的な立場にもなるし、もはやもう一人の主人公だといって良いだろう。
 どのようにしてシャアがシャアになり得たのか、変に手をつけるととんでもない矛盾を生んで本編に泥をかけることになってしまう題材だが、さすが安彦良和、見事にやりおおせた。これを本人監督でアニメ化するのだから面白くないはずはない! ……と思うでしょ?
 
 実はシャアの生い立ちは漫画はまだしも、アニメーションにはあまり向いていない物語部分なのである。
 というのも機動戦士ガンダムの花と言えば巨大人型兵器モビルスーツなのに、本作の物語時点ではまだ開発途中なのである。試作が作られその威力が確認されるまでの部分なのでモビルスーツ同士の戦いが中々描かれない。そもそも機動戦士ガンダムで描かれた「一年戦争」開戦にいたる部分でもあるので、大々的な戦闘も最後のルウム戦役くらいなのだ。
 人間ドラマとしては魅力的だが、本来大活躍する人々がまだ戦渦に巻き込まれる以前であるので、いってしまえばマニア向け、一般的ではない内容になってしまっている。
 
 それでも見せ場がないわけではない。悪化していく両陣営の局所的な戦闘やモビルスーツ開発の模擬戦など、なんとかかんとか派手な戦闘を盛り込んでいるが、やはり盛り上がりに欠けてしまう。3DCGを使用した戦闘部分は画面密度が高く魅力的ではあるが、どうにもCG臭が鼻につく。戦艦やモビルスーツがあまりに縦横無尽に飛び回り、負けじとカメラも動き回る。よく見る残念な3D演出で、兵器達の重みがまるでなくなってしまっている。

 あまり声高に言いたいことではないが、安彦氏はアニメーション監督にはあまり向いていないと思う。あれだけレイアウトを切れて画力も伝説級なのに、監督作品はどうにも魅力が薄いのだ。「アリオン」「ヴィナス戦記」「巨神ゴーグ」「風と木の詩」など、劇場版からテレビアニメ、OVAまで様々な作品の監督作品が存在するが、どれも今ひとつピンとこないのである。
 見ていて何の不自然もつまずきもない基本に忠実な演出だと思うのだが、反対に言うと心に引っかからないのである。
 おそらく画力、構成力が高すぎるため、全てのシーンが決まりすぎ格好良すぎる。二次元の中で奥行きを描く無双の力量を持っているのに、それを時間軸に沿って展開させる部分の力が、それに見合っていないのだ。
 したがって、格好良いシーンの連続なのになぜか面白くない印象になる。
 
 今作もその範疇からでる事はできず、続編を見たいなと思うものの、それは作品の魅力と言うより、最新技術で再び描かれる一年戦争を見たいという欲求なのだ。

2019年10月25日金曜日

ゾンビランドサガ

ゾンビランドサガ SAGA.1 [Blu-ray]
 ※Amazonの商品リンクです。

★★★☆☆
~ノリを楽しむコメディ~


 2018年放送の1クールテレビアニメ。オリジナル作品。
 とことん悪のりを楽しむゾンビご当地アイドルグループ奮戦記。舞台は佐賀県。
 
 佐賀県在住の「源 さくら」はアイドルにあこがれる高校二年生だったが、希望に胸をときめかせたまま自動車事故であえなくこの世を去る。
 目覚めると時代は10年後。自分はゾンビになっており、謎の人物「巽 幸太郎」にアイドル活動を強要されることに。同じようにゾンビの少女達と「フランシュシュ」を結成し、まずは地元のアイドルとしての知名度を確立するため様々な活動に挑戦していくことになった。

 ゾンビである事や佐賀県フィーチャーである事に大きな意味は無い。
 ただ「それなんやねん!」という設定を積み重ねてバランスを取った結果に過ぎず、実際やりたかったのは少女グループのコメディーだろう。音楽を加えてそちら方面で吸引力を狙うことも時流的に正しい。
 場当たり的に決まっただろう設定をきちんとつなげて形にした構成力こそは賞賛されるべきだ。
 
 こういったノリで生まれた作品はハイハイと流されて終わりになりがちだが、今作はフックの奇抜さと内容のクオリティが奇跡のバランスで合致し、魅力的な作品となっている。
 実際、なぜゾンビになったか、元の人間関係はどうするのか、といった当たり前の疑問については無視を決め込んでいるがそれが気にならない勢いでシチュエーションが進展して行くのである。
 集まったアイドルはゾンビなので実際に生きていた年代がバラバラであり、江戸時代から2000年代までを網羅。何となくアイドル史の総決算的な雰囲気(雰囲気だけ)。ゾンビとしてのアイデンティティに悩み、生前に残した後悔を取り戻そうと苦心する(雰囲気だけ)。佐賀県民でさえ認知度の低いご当地ネタをどんどんつぎ込んで地方性を強調(雰囲気だけ)。そこに様々なジャンルの曲が毎週毎週被さってきて、勢いで30分を見せてくる。 
 理屈とかもうよく分からんがおもろいという、ギャグまんがのようなアニメである。
 こういう即興的なおもしろ作品はそれとして価値があり、同時代に生まれて楽しめたということを素直に喜ぶべき。
 
 狙って作ったとしたらすごいが、このノリでもう一度走るのは辛そう。
 二期があるならそれはもっと理屈やストーリー性の濃さできちんと積み上げた作品になる(なってしまう)だろうと思う。
 

2019年10月24日木曜日

Just Because!


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★★★☆☆
~実写で良かったのではないだろうか論~

 2017年。1クールのテレビアニメ。原作の存在しないオリジナル作品。
 高校卒業間近の男女関係に焦点を絞っており、タイムリープや暴走したオタクといった突拍子もない設定の登場しない、純粋な高校生たちの恋愛物語

 高校三年生の泉瑛太は親の転勤の都合で中学まで暮らしていた神奈川に再び戻ってくる。すでに高校生活も終わり間近となっており、瑛太はクラスには所属しない自習登校的な立場となっていた。
 そこで再会したのは中学時代の野球部仲間だった相馬陽斗と元同級生である夏目美緒。
 陽斗とは親友だったが、転向後自然と没交渉になっていた。美緒には中学の頃に思いを寄せていたが、彼女は陽斗のことが好きだと分かって身動きの取れないまま離れることになった。
 そんな微妙な三人の再会だったが、陽斗は別の同級生に片想いをしており、卒業までに告白するという。卒業まであとわずか。これまでの総決算となるような色濃い時期が訪れ、全ての人間関係が動き始める。

 江ノ島辺りの風景がロケーションとして使用されており、再現度が非常に高い。お店の看板などもタイアップを組んで再現しており、ビッグカメラがそのままの看板で出てきていることがなかなか新鮮だった。現実感を持たせるために、とても有効かもしれない。
 
 現実的な風景で、現実的な恋愛劇を描く。
 どうしても浮かんでくる疑問は、アニメーションにする意味はあるのだろうか、ということ。実写で構わないのではないだろうか。
 これについて正直あまり強く擁護できない。
 演出や表現が実写では難しいものならばアニメならではと言いやすいのだが、一見するに実直なカメラアングル、演出で構成されており、そういう訳でもない。終盤の雪のシーンは実写では難しいロケーションだろうが、ここをとってアニメの理由とするのは製作者の都合に感じる。
 それならば、実写ならどうかと想像すると、ああ、このクオリティでの映像化はないだろうとも自然に思える。
 魅力的な役者、風景を好き勝手に生み出せるのは、やはりアニメならではである。結局昨今の実写もCGCGでアニメーションに近づいているではないか。
 
 ――ね、あまり擁護できない。
 ただ僕は、特に理由なくともアニメで良いじゃんと言いたい。
 アニメを作ってきた人が、自分たちが最も上手に映像表現できる手法としてアニメーションを選ぶ事の何がおかしいのか。
 表現したいことと手法が――いやいや、良いじゃない。好きな手法で。
 
 アニメと実写論はこれで片付けるとして、今作で特に「実写で良いのでは」と感じてしまうのは、アニメの表現が実写を越えていないからである。
 現実的な表現に徹して確かにそれを達成しているが、ならば満を持してそこから飛び出ることで、アニメならではのプラスアルファを作品に付加することが出来たんじゃないのだろうか。それが雪景色なら、それは弱すぎだ。
 
 現実感において、実写は初めから優位である。アニメは、絵だもの。
 だから、アニメーションは動きを、表現を誇張する。誇張してようやく現実感を持つのである。
 今作はアニメーションの優位点であるはずの誇張の程度と方向性を見誤ったのかもしれない。現実感ある表現にはなっているが、現実に勝てない印象ばかりが残ってしまった。

2019年10月18日金曜日

グランクレスト戦記

グランクレスト戦記 1(完全生産限定版) [Blu-ray]

★★★☆☆
~主人公以外をきちんと描くと言うこと~


 「ロードス島戦記」の水野良が原作の群雄争覇の物語。
 物語の途中で最終回、人気があれば二期もするよという投げっぱなしのアニメ化が目立つ昨今、今作は2クールで長い物語をキチリと描いておりこれだけでも評価できるだろう。

 秩序と混沌が相争う世界。混沌を駆逐する力「クレスト」を持つ領主たちの活躍により光と闇の戦いは一旦の収束を見せたが、次に起こったのは大陸の覇権争いだった。
 離合集散を繰り返した結果世界は二大勢力に収束。ここにおいて平和を願う両陣営の王子王女が婚姻の運びとなり、最終決戦を回避。平和な時代を迎えようとしていた。
 まさにその式場において両陣営の現当主が共に暗殺され、犯人は不明なまま婚約は破棄され、世界は再び混迷の中に沈んだ。
 現場に居合わせた若き魔法師ルシーカは事件を防げなかった己の未熟を呪いつつ、乗り気ではない地方領主との契約のため道を急ぐ。野盗に襲われるが放浪の戦士テオに救われ、未熟ながらも大きな夢に向けて進むテオにルシーカは己の命運をかける決心をする――。

 つまりは二人の戦国成り上がりの物語である。
 魔法の力と知略によってテオを支えるルシーカ。王道を行く健朗さで道を示すテオ。徐々に増えていく仲間。テオ勢力の躍進が序盤の魅力である。
 これだけなら良くある戦記物だが、さすが水野良。敵味方にもそれぞれのドラマをきちんと用意して、時代の奔流に巻き込まれる人々の生き様を描き出している。
 特に婚姻するはずだった王子王女は、ともに平和を望み愛し合っているのに戦わざるを得ない状況に追い詰められていく。とはいえ仲直りするんでしょ、というより気楽さを打ち砕く王女の覚悟は、有力者を味方にするために己の純血を散らすほど。まさに物語の底を流れる悲劇として作品に重みを与えている。

 主人公以外にもきちんと繋がった感情の動きや記憶の連続性があること

 非常に簡潔ではあるが、これは作り話を語る上で非常に大切なことだろう。周りに世界があり、そこで生きている人々がいる事を表現するための、まさに王道の手段だ。
 今作はそういう意味で人々がきちんと生きており、世界も存在している。
 そこで描かれる立身出世なのだから、面白いのだ。
 
 アニメーションの出来としては及第点と言ったところ。戦闘場面の描写に厳しい部分が多かった。
 特に地形を重要要素とした戦略の表現などは、設定がおかしいのかレイアウトがおかしいのか、あまりに細い山の一本道や、広さの不明な戦場など、描写に首をかしげるところ多数である。なのでどうしてテオとルシーカの軍が強いのか、いまいち分からないまま(納得できないまま)物語は終わってしまった。

 演出としては所々に明らかな出崎イズム(故出崎監督の特徴的な演出各種)が宿っており、現実離れした比喩表現を美しい画面にして見せつけてくれる。とある城での誕生パーティのダンスなどは、まさに嬉しくなる演出であった。
 
 人物の織りなす規模の大きな物語として、充分に楽しむことの出来る作品だ。
 

 ところで――。
 世にあふれるハーレム無双の冒険譚と、それ以外の冒険譚の最も大きな違いは、物語に現れる困難と悲劇の量ではないかと思う。悲劇はきちんと準備され、手順を踏まないと悲劇にならない。元いた位置がきちんと認識されていないと落下した高さが分からないからだ。また、マイナスの事象にはきちんと理由付けされていないと納得して受け容れることが出来ない。
 反対に異性に持てるのは簡単だ。魅力的な異性から好意を得るというプラスの事象はかなり強力で、特にそこに理由がなくとも簡単に受け容れられる。理由をつけるにしても、ちょっとしたことで十分だ。恋は勘違いや思い込みで簡単に発生する事を我々はよく知っている。
 

2019年10月16日水曜日

ISLAND

ISLAND Vol.1 [Blu-ray]

★★☆☆☆
~ゲームとアニメの大きな狭間~

 2018年の1クールテレビアニメ。原作は2016年~でPC/Vita/PS4で発売されたビジュアルノベル。いわゆる紙芝居ギャルゲー。PCはエロゲーかな。


 南国風の孤島「浦島」の浜辺に打ち上げられた切那(せつな)はそれまでの記憶を失っていた。
 魅力的な少女、凛音(りんね)、夏蓮(かれん)、沙羅(さら)と出会い、それぞれの問題に一緒に向き合っていく中でお互いの理解を深めていく。
 浦島に昔から残る「切那と凛音」の伝説。切那にフラッシュバックする過去の記憶。凛音の母の秘密。
 タイムトラベルは本当に存在するのか。みんなが幸せになる世界は存在するのか――。

 原作ゲームではそれぞれのヒロイン毎にルートが存在し、順番にクリアすることによって謎が解き明かされていくという仕組み。
 本作もそれを踏襲しているが、最終ヒロインに至る必要があるため、その他のヒロインとは一線を越えない。つまり最終ヒロイン以外とは中途半端な成り行きですっきりしない状況である。
 これにはゲームとアニメという異なる媒体の特徴が現れていると思う。
 
 ゲームではヒロイン毎にそこで物語が終わりというきっちりしたエンディングを用意出来る。次のヒロインは「あの時ああしていれば――」を選んだ場合の並列世界として展開するため、プレイヤーはクリアしたヒロインときちんと区切りをつけて、良心の呵責なく次のヒロインに挑むことが出来る。

 反してアニメの場合、一つながりの物語として展開するため最終ヒロインに到達する主人公は基本的に一途でなくてはならない。途中で他のヒロインに引っかかって振った後に別ヒロインを追い求めるという展開をすれば良いのだが、それは最終以外のヒロインを貶めることであるし、そんな主人公に感情移入しにくいのである。
 時間をかけてきちんとヒロイン乗り換えを表現できれば良いが、1クールの中でそれを行うのはなかなか荷が重いのだろう。
 
 この問題にアニメは色々と挑戦してきた。
 
 ①:1クールを複数エピソードに分けて、それぞれで異なるヒロインの話を展開する。
 ②:途中まで同一だが、終盤で最終ヒロイン別のエピソードに枝分かれする。
 ③:最終ヒロイン以外を脇役に追いやって最終ヒロインのルートのみ注力する。
  etc.
  
 ゲームも最終的な「正ヒロイン」は決まっている場合が多いため、アニメもそれに準じて作られることが多いが、原作を越えるのは非常に難しい。
 ヒロイン分岐の紙芝居ギャルゲーは人生をくり返し行うフォーマット、並列世界のやり直しをくり返すシステムであると言っていい。くり返す中で世界やキャラクターに愛着を持っていき、作品世界の謎も解き明かしていく。その下積みの上に最終的なヒロインの話が載ることで最大限の印象を与える仕組みになっている。
 様々なヒロインをクリアすることが、最終ヒロインの正ルートを輝かせるのである。
 
 今作は③の手法だが、物語として他ヒロインのエピソードが必須であるため、他ヒロイン攻略を寸止め状態にして物語を続けている。
 全体で大きなしかけを用意している作品なので、こうするより無かったのだと思う。むしろがんばっていると思う。
 しかし、物語体験においては、おそらくゲームに比べてはるかにプアな状態になっている。原作ゲームはプレイしていないが、同様形式のギャルゲーは何本もクリアしてきた上での意見である。
 
 主要ヒロインは四人。時間をテーマにしているため繋がりの理解が複雑。全く別世界での物語進行が存在。
 これを全12話でまとまるのは、明らかに時間が足りない。説明と作品情緒を天秤にかけてどうやら後者を選んだのか、説明を諦めている部分が非常に多い。残念な事にその代価とした雰囲気を出すための余裕もいまひとつ上手く使えていない。
 説明をしようともしないのに、のんびりと話が進む印象となっており、単純に出来が悪いと言われてしまっても仕方がないだろう。
 
 アニメになったことで、原作が元々もっていた不自然さや粗が浮かび上がってしまっている箇所も多い。
 例えば島の規模や住人の生活状況。人がたくさんいるのかいないのかさえ分からない。
 世界の科学技術レベル。物語全体のはじまりはどこなのか。
 一番気になったのは、声優による歌唱が物語に組み込まれていて、それが鼻声の甘ったるいアイドルのような歌い方だったこと。
 それまで普通にしゃべっていたヒロインが、いきなりぶりっこになって歌い出すとか、いかにその声優ファンにとって当たり前のことだろうと、それを知らない者にとってはお笑いじみた失敗に感じられてしまう。しかもシリアスなシーン。
 
 本作はゲームというプラットフォームの特性を活かしたシナリオを、やはりアニメでは表現しきれなかった、という挑戦と結果である。
 


 


2019年10月9日水曜日

RErideD-刻越えのデリダ-


☆☆☆☆
~熱情は感じる~


2018年に放送された1クールのテレビアニメシリーズ。
特に原作のないオリジナルの模様。放送にタイミングを合わせて小説版が発売されている。


まずは題名が読みにくく、なんでこんな表記なのだろうと引っかかる。
読みは「リライデッド」で正しいようだが、大文字と小文字の区別は何なのだろうか。
区切りを色々に変えてグーグル翻訳にかけてみると興味深い。

『reride』⇒「再乗車」
『rerided』⇒「乗り換え」
『ride』⇒「乗る」
『rided』⇒「乗った」

上記の訳語は視聴した後ならなるほどと感じる内容となっている。
本作は副題でも示されているとおり、主人公デリダが時間を越えて運命に立ち向かって行く物語で、時間移動のことを「タイムライド」と呼称している。
つまりタイトルは時間転移についてのことであり、それにまつわる状況を多角的に示したものなのだろう。


近未来、技術者デリダは時間転移に関する論文を記述した後、AIを搭載した万能ロボットDZ(ディージー)の開発に携わっていた。
暴走する危険のある重篤なバグを発見し、同僚ネイサンと共に社長と直談判するが聞き入れられず、対策を講じることとなる。
その日はクリスマス。ネイサンの娘マージュの誕生日でもあるため、その友人ユーリィと共に慎ましいパーティーで時を過ごした。
翌日バグ対策のために動き始める二人だが、突然社長の配下に襲われネイサンは死亡。デリダは逃走のあげく謎の施設で冷凍睡眠装置に身をゆだねる。
次に目覚めたときには既に10年が経過しており、世界はDZの暴走によって荒廃していた。
なぜ襲われたのか、DZの暴走を止めるための修正プログラムはどこへ行ったのか。デリダの逆襲が始まる――。



全般に粗雑。
これは作画にも、演出にも、シナリオにも共通して言えることで、かなりまずい出来だと言える。
例えば冷凍睡眠装置に入ることになる展開が「滑って転んでマシンスタート」であったり、御都合主義とさえ言えないような大雑把さ。
このような突っ込むのをためらうほどの無茶は最終話まで続き、そうなると一つのテイストとさえ感じるほど。


面白いと感じた点に「時間跳躍の位置づけ」がある。
巨大なマシンと莫大なエネルギーが必要なのだが、どうやら非常に観念的な存在として扱われている。


強い思い込みが過去に意識を戻させる。


全体としてはやはりつじつまの合わない謎の仕組みなのだが、スイッチを押しもせず、超常現象としてかってに現れる物でも無く、本人の強い意志が魂だけを転移させる。
これはまるでゲームのセーブポイントのようなものだ、と思うと腑に落ちる。記憶に残る「時点」に、意識だけが移動。同じ人間が同時に存在というパラドックスもない。
また同様に藤子・F・不二雄の短編「あいつのタイムマシン」を想起する。
この作品におけるタイムマシンの作り方が、「時間の堂々巡りに入り込むほどの思い込み」を成し遂げて「Aがタイムマシンを使って過去のAにタイムマシンの設計図を届ける」というもの。タイムパラドックスに思い込みで無理矢理入り込むのだ。


他にはメカの設定がしっかりしていたのかもしれない
自信がなさげなのは、それらが実際に作品の中で描かれるに当たっては、微妙というか、へっぽこな状態なのだ。
3DCGのモデルはきっちり出来て格好良いはずなのに、画面内で走る車の挙動は異常で、狙っていないコミカルに落ちてしまっている。
同様にDZを壊すとそこから血のような液体が飛び散り、翼のような形でそのまま硬化していくのも格好良いはずなのだが、本体が案山子のような動き。
やはり見所にはなっていない。


残念ながら、どう見ても駄作であり、人に勧められるクオリティではない。
だが、これだけは強く言っておきたいが、正体の分からない熱意を僕は感じた。


「時間転移をテーマにした切ない話をやりたいんじゃあ!」


この想いを感じる。それを表現するための全ての段階において失敗してしまっているが、気持ちは伝わるのである。
まるで、子供の絵を見ているようだ。
拙くて意味不明で道理が通っていない。
だけど、どこか愛しいのである。


売れるための過剰なお色気、暴力。奇抜な設定――。
練られた企画と職人芸は、ある程度には売れるアニメを生み出すだろう。
そうして作られたものでも、誰かの心を揺さぶるだろう。


今作にはそういった売るための仕掛けがない。
ただただ伝えたい想いが、稚拙な技法でこのような形になったのではないだろうか。


僕は「時間転移をテーマにした切ない話をやりたいんじゃあ!」の気持ちをまんまと形にした、誰かをうらやましく思う
結果はどうあれ、形にしたもの。


世界には、こういった作品が生まれるだけの隙間があったことが、嬉しいくらいだ。