2021年8月30日月曜日

さよならの朝に約束の花をかざろう

さよならの朝に約束の花をかざろう [Blu-ray]

☆☆☆☆
~「悪し」ときちんと書いておきたい~


 ごちゃごちゃと聞こえの良い言葉を並べて、結局雰囲気が残るだけできちんと覚えることは出来ない。

 この、題名に対する感想が、そのまま作品の感想となる。

 2018年の日本アニメーション映画。アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』『心が叫びたがってるんだ。』の脚本家、岡田麿里が初監督を務めた。

 10代半ばの若い姿のまま数百年を生きる不老長寿の一族「イオルフ」は、人里離れた土地で「ヒビオル」とよばれる布を織って静かに暮らしていた。しかし長寿の血を王家に引き入れることで王家の神秘性を高めることを画策するメザーテ国王の命により、軍人イゾルの率いるメザーテ軍が翼をもつ古の巨獣「レナト」に乗って襲来し、イオルフの里は侵略される。<ウィキペディアより> 

 RPG的な中世ヨーロッパ風の世界観の中で、長寿一族の少女と、彼女が拾い育てた普通の男の子の長い関わりを描く。
 一緒に歩める時間と、剥離して元には戻らない時間。開く一方の時間のズレが生み出すドラマ。狙いは分かるが要素、エピソードが散漫で一貫性を感じにくく、後味だけで何とかまとめるような(まとまっていない)作品に。

 この作品は、内容というよりその存在が、自分の「物語作品の受け取り方/評価の仕方」に問いかけてくる。
 
 『罪のない善意の駄作をどう評価するべきなのか』
  
 外から見ても分かる善意を発端とした創作、一生懸命作った誰にも迷惑をかけていない作品に、ネガティブな評価を挙げるのはとても気が重いものだ。
 
 たとえば優しい協調的な子ども達が力を合わせて作った「つたない絵画作品」。
 そして社会から断絶された破綻者が己のパーツをつなぎ合わせるように形作った「名画」。
 
 観衆の目前に引き出されてどちらを選ぶのかと問われたとき、いったいどちらを選べばいいのだろうか――。このやっかいな問題をこの作品は突きつけてくる。

 作品評価には様々な軸があり、状況によってその軸は切り替えられるべきだ。学校教育の一環としての評価ならば、作品自体の質ではなく過程や態度の方が重視されるべきだし、商品としてみれば売れる売れない(売れそう、売れなさそう)になるだろう。それらとは断絶した、個人の感想の場合、結局己は何を基準に作品を評価し、それをしたためるのかと問われることになるのだ。

 これは結構心理的負担の大きいことで、妙な重圧を感じる。世の中の評価と自分の評価が剥離した場合を思うと、とても怖いのだ。
 
 そういった葛藤をそれなりに経た上で、この作品に対する自分の評価は「とても低い」である。
 
 作品を、その作品としてだけで見たとき、どう感じたのか。

 制作者がどのような想いとを込めて、どういった経緯で作ったのかは作品理解の上で重要な要素であることに異論は無いが、それら作品以外の付随情報は内容をよりよく理解する手がかりに過ぎず、それ自体が評価を左右してはならないのだ。
 
 キャラクターデザインの吉田明彦氏はゲームファンにとっては特別の存在だ。『伝説のオウガバトル』『タクティクス・オウガ』といった伝説的なゲームのグラフィッカーである。デフォルメされた人物画と技術に裏打ちされた装飾デザイン、質感表現。簡素と複雑、静謐と躍動が混在した画風は、ともかく見る物にロマンをかき立てる
 彼の作風はキャラクターを自分で操作することで感情移入していく「ゲーム」というジャンルにぴったりである。良い具合に隙間があるのだ。同様の理由で小説の挿絵としても向いているだろう。
 
 ただし、どうやら映像作品のデザインには向いていなかったようだ。決められた(短い)時間でキャラクターを伝える必要のある映像作品、特に全編二時間の映画にとって、曖昧さはキャラクター理解の助けにならずむしろマイナスに。子どもから老人までの長大なスパンを追う物語なので、年代ごとのキャラクター同一性(年月による変化)を一目で理解することが大切なのだが、大して変わらなかったり、突然変わったりする不明瞭さは物語理解の壁になっている。
 音楽や小物演出でキャラを図像学的に表現するといった方法もあったのではと思うが、そういった方向への配慮は無かった。

 背景美術も壮大で緻密であり、一枚絵や挿絵としては強いのだが、人々が生きる世界としてはとんでもなく空虚だ。
 密度のスケール感が合っていない。
 あのような建築物を集積させ、美しい材質で敷き詰めた空間をあの程度の人口で構築維持できるはずがない。過去のオーバーテクノロジーで作られた都市を発見した人々がそこで暮らしているだけ、と聞けば納得できるがもちろんそうでは無いようで。
 
 こういった難は感じても、映像に魅力は十二分にある。各シーンの美しさは特筆できるクオリティであるのだが、かぶせるように残念なのは、そこで演じられる内容が――とても表層的で「演技の為の演技」にしか感じられないという点。

 脚本家という神に都合の良い台詞を言わされているだけだ。

 キャラクターがそこで生活している上で発した言葉ではなく、映画を見ている人間に必要な台詞だけが生成されている映画内で描かれている以外の時間が、キャラクター達には存在していないのだ。舞台役者が役者だと分かった上で大仰にしゃべる台詞。
 キャラクターから発せられたと感じる言葉が最後の最後までない。
 
 行動原理が一定しておらず、誰もが曖昧でふらふらしている。腹をくくって一道を進む人間がいない。
 脚本家という神に言われたからそう動いているだけ。キャラクターがみな、本心を隠してただ言うとおりにしている。口惜しく陰口を叩いていそうだ。
 
 詳細説明は許してもらって、気になった点をメモとして列記。
 
 ・久しぶりの再会なのに逃げ出した意味が分からない
 ・悲劇としても中途半端
 ・若者と年配で存在の立ち位置をくっきり分けるべき
 ・「ヒビオル」という言葉の響きがあまりに短絡過ぎて、それだけで不安
 ・織物で気持ちを伝えるという設定が上手く生かされず、縛りになっている
 ・主人公に生きていく武器がなさ過ぎる
 ・主人公一族がこれまで滅んでいないのが不自然
 ・血の通ったエピソードがまるで足りない
 ・声優に癖がありすぎ、嘘をさらに嘘くさくしている
 
 最後に――。
 
 ラストの万感を伝えるシーンに全ての焦点を合わせて全編を構成しようとしたのだと思われるが、失敗している。
 そのシーンにつながるためだけの退屈な作業を延々見せられた感じで、ドミノを並べる作業にたとえると近いのかも知れない。それらシーンにも、きちんと説得力や楽しみがなければ、物語の積み上げではなくただの作業になってしまうのだということがよく分かる。
 
 同様の一点に焦点する構成として『波の数だけ抱きしめて』と意外なほど類似しているが、完成度には雲泥の差があり、比較してみると今作のつたなさが理解しやすいかも知れない。

 もう結論は出ているのにだらだらと修辞を並べてなかなか終わらない会話のように、最後の最後まで潔くない、できの悪い作品だった。

 強い心で、明記しておく。



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