2020年12月23日水曜日

アップグレード

 アップグレード [Blu-ray]
 ★★★★
 ~隙のない完成度の高い一作~

 
 2018年。米サスペンスアクション映画。
 非常に面白い。メジャーではないが多くの人に見て欲しい埋もれたお宝の一作である。
 

 今より少し進んだ未来――。
 もはや骨董品となりかけているエンジン自動車のメンテナンスをして趣味人に提供しているグレイ。その妻であり、肢体不自由者にコンピュータ制御の高性能な義肢を提供する会社を経営するアシャ。二人は順調な夫婦生活を送っていたが、突然暴漢に襲われてアシャはグレイの目前で殺害。グレイ自身も首に衝撃を受けて四肢麻痺の状態となる。
 全てを失って失望の淵に沈むグレイに、仕事で知り合った天才発明家エロンが訪問。神経接続により人間を補佐するAIチップ「STEM」を首に埋め込めば、元の生活に戻れるという。グレイはその話に乗り、AIチップと共にアシャを殺した犯人を捜し始める――。


 バディものとしての両者の関わり合いが名作漫画『寄生獣』を彷彿とさせる。寄生獣の場合は右腕が謎の寄生生物となり、普段は宿主の意志のままに動くのだが、ことあらば優先権を奪い取り、独自に動き始める。寄生生物には意志があり、会話も可能で人間の価値観とは異なる、極端な合理主義で判断を行い、時にはあまりに残酷な手段をとる。
 今作では頸椎以下、頭部以外のほぼ全身をSTEMが司っているのだから寄生獣よりも乗っ取り度合いは遙かに大きい。しかもSTEMは首から上の操作をすることも可能なのだ。
 
 映像においては「隙がない」というのが第一印象。捨てカットや安っぽい画面がなく、一定のクオリティで終始構成されている。しかもその基本ラインが高い。特記すべきは近未来のありようで、無理なく現在の延長線上を表現しており、現実感が強い。
 AI技術、生体工学、ナノマシン技術が進展している模様だが、しっかり地に足がついている。ビルの形状が多少重力の制限を無視したように変形しているが、全体として街の様相は変わらない。警察の高性能のドローンが市中を飛び回って居るが、武装は無く監視しか出来ない。完全自動運転の車が実用化されているが、超高級車の扱いで、普通の人力運転車(EV)も同様に道を走っている。身体欠損を補うインプラントが行われているが、無骨で洗練されたものではない。
 基本は現実と同じで上記のような要所要所のみの表現に注力することで、効率よくクオリティの高い未来世界を構築している。
 
 グレイの意志で動いている時とSTEMが勝手に動かしている時の差異表現も上手い。機械の動きは良い具合に色気がないのだ。大道芸にロボットの動きのパントマイムがあるが、あれを非常に薄めた形で露骨すぎない合理的な動きになる。顕著なのは戦闘時で、それまでおっかなびっくりなのが一転して、カンフーマスターばりのキレッキレのアクションを見せるのである。この辺り変身ヒーローのような爽快感があり、出来ればそのままヒーロー物語になって欲しかったが――。
 STEM挙動時に多用されているキャラクターに対して固定されたカメラもおもしろい。バラエティで絶叫コースターに乗ったリポーターの表情を捕らえるために、ヘルメットに固定されたカメラ(自撮り棒みたいな)を使用する事があるが、あれの派生といった感じ。キャラクターが起き上がる場合、世界の方が回転するような映像となる。これは感覚とは無関係に情報処理によってのみ外界を理解して、効率良く行動するというAIの世界認識をうまく表現していると思う。

 合理的だが人情を解しない機械と、情けないが人情で物語をまとめていく人間。バディものとして非常に魅力的な設定が、昨今ないくらいうまい形で構築されているのに、物語は徹頭徹尾悲劇へと流れていってしまう。最後までSTEMは一切ぶれない冷徹さを継続し、透明度を保ったまま物語は完結。美しいとも思うし完成度も高いと感じるが、後味の悪さが残ってしまうのを残念に感じた。AI物はバッドエンドが多いなあ……。

 

 

2020年12月11日金曜日

スターシップ・トゥルーパーズ レッドプラネット

スターシップ・トゥルーパーズ レッドプラネット 通常版 [Blu-ray]
☆☆☆☆
~過疎感がすごい~


 2017年の日米合作CG映画。日本公開は2018年。
 バグと呼ばれる宇宙怪物(怪虫?)と遭遇した人類が、宇宙船に兵士を詰め込んで戦争を行う物語。
 

 民主主義崩壊後の新政府、地球連邦では軍部を中心とした「ユートピア社会」[2]が築かれている。社会は清廉で、人種・男女の差別なくまったく平等に活躍しているが、軍歴の有無のみにより峻別され、兵役を経た「市民」は市民権を有し、兵役に就かない「一般人」(劇場版日本語字幕では庶民」)にはそれが無い。銀河全体に殖民を開始する人類だが、その先で遭遇した先住の昆虫型宇宙生物(アラクニド・バグズ)の領域を侵したことから紛争が発生し、バグズが地球に対し小惑星を突入させる奇襲攻撃を仕掛け、全面戦争が始まる。<WIKIPEDIA『スターシップ・トゥルーパーズ』より>

 
 ポール・バーホーベン監督による映画一作目「スターシップ・トゥルーパーズ」は、高校時代の親友達がそれぞれの道で宇宙怪物バグとの戦いに挑んでいく姿を描き、監督本人が込めようとした軍国主義やプロパガンダに対する皮肉はあまり意識されない形で人気を博した。実写映画は三作続き、その後テレビシリーズにも展開されたようだが、今作はそれらの設定を引き継いだ、CGアニメ映画としての2作目となる。映画としては5作目。

 時折実写なのか分からないような映像もあり、画面単体でのクオリティはそれなりに感心させられるがそれまで。アニメでもCGでも実写でも、それは手段に過ぎず何が描かれ、どのような感銘を視聴者が受けるのかと言うことが本願なのだ。そう考えると今作はかなり寂しい内容だと言わざるを得ない。

 多用されているフレームぶれが非常に目につく。ショットの種類に関わらず、常に微妙にカメラを動かすことで、人が見ているような、人がカメラを持っているような雰囲気を出す手法で画面の情報量を増やして間が持ちやすくなるのも利点。だが、見ている人に気づかれない程度、空気感を出す程度にするべきなのに今作のそれは動かしすぎて安っぽい。

 宇宙戦艦、新兵訓練、艦隊攻撃、惑星殲滅、降下作戦、わずかな味方、惑星の運命を賭けた最後の戦い……。
 まだまだ沢山の要素がこんちくしょうとやけくそ気味にぶち込まれているが、数だけそろって全て小規模。残念ながら、全ての接頭語として「しょぼい」をつけるとしっくりくる状況。CGで数を増やしやすいバグの群体ばかりワラワラと出てくるが、兵士も火星市民も地球の司令部も、人間は最小限しか出てこない。人間のモブが居ないのでスカスカ。ソーシャルディスタンスかよ! と突っ込みたくなるほど過疎な雰囲気(映画はコロナより前なので関係ない)。

 ただ一つ、映画1作目のある意味失敗した点について、今作は達成しているかもしれない。1作目の内容があまりに面白かったため省みられることの少ない要素となってしまったのだが、「実は映画の全てが戦意昂揚のための映像作品でした」というのが本家のオチだ。軍国主義と喧伝放送による一見民意のように見える世界支配という主軸で、最後が徴兵宣伝で終わるという明らかなオチなのに、驚くくらい軽視されている。
 翻って今作は全編に渡って全て嘘くさく、また、戦闘シーンも大して興味を惹かれないという半端な出来なので、もし「これは戦意昂揚のためのプロパガンダ映像です」と言われらものすごい説得力だったろう。残念ながら1作目と違いそのような言及はないのだが、あればなるほど納得。自傷的なアプローチはファンの心に残ったかもしれないが、駄作のレッテルはさらに強固なものとして燦然と輝いていただろう。まさか狙ってそういうテイストにしたんでは――ないと思うが。


映画3作目『スターシップ・トルーパーズ3』の自分の感想記事はこちら。
スターシップ・トゥルーパーズ3 [Blu-ray]

☆☆☆☆
~神を風刺~ 

2020年12月7日月曜日

劇場版 幼女戦記

劇場版 幼女戦記 通常版( イベントチケット優先販売申込券 ) [Blu-ray]
★★★☆☆
~幼女として転生する理由~


 カルロ・ゼン(ペンネーム)による小説を原作としたテレビシリーズアニメーションの続編として制作されたアニメ映画。2019年公開。

 異世界転生物と言えば、現世では落ちこぼれだった主人公が転生時に与えられた能力により新世界で無双するというのが定番だが、今作はその流れに逆らおうとしている。もともと超利己的なエリートサラリーマンがリストラした相手の復讐によって命を落とし、死後の至高存在とのやり取りに於いても不遜な態度を改めなかったため、異世界でえらい目にあって信心改めろ! という次第。
 転生したのは女児ターニャ。一才から自我をもって前世の記憶も保持という事だが、これでまともに育つはずもない。

 放り込まれた世界は世界大戦直前の世界。一次と二次が混ざったような兵器レベルだが、大きく異なるのが魔力が動力の一つとして確立しているという点。魔力を使用した飛行能力と魔力強化による超威力の銃撃(もはや爆雷)が戦力として重要な地位を占めている。ターニャは自己保身の最適解として早熟の魔導師となり、所属する帝国軍内で栄達を遂げて安全な内地で勤務することを夢見るが、開始された大戦において合理的判断と大胆な決断により一躍英雄として扱われることとなる。ターニャの思惑とは逆の方向へ事態は進展していくのだ。

 ここまで来ると誰もが思う。異世界転生という導入は必要ないのではないか?
 
 いや、実はこの作品こそこの設定が上手く使われていると言える。
 ターニャは少女の姿でとんでもない毒舌を披露して部下を焚き付けていくのだが、中身がおっさんだからこそこの行動に説得力が出てくる。中身も少女だった場合、なぜそのような言葉を操るに至ったのかの説明をするのに、彼女のそれまでの尋常ならざる人生を描く必要が出てくる。少女でなかった場合、大人の女(もしくは男)ということになりなり、少女の半生を描くよりは期間が長いので多少楽だろうが、それでも異世界における成長過程を描く必要が出てくる。
 それを「殺されるほどいけ好かないエリートサラリーマン」の一言でかっちりイメージを固め、異世界選定という設定で戦場につなげてしまっている。
 
 少女でなくとも良かったのではないか?
 
 いやいやこれも少女でなければならなかった。
 エキセントリックな狂人じみたオルグ(昂揚そそのかし演説)はそのまま聞くとまさにいかれている。主人公として許容するにはぶっ飛びすぎているのだが、ここに少女というイメージをぶつけることで、戦場まっただ中の幼女上司という異常を先に打ち立ててしまっている。それが許容されるなら、あのような弁舌もあり得ることとしてするりと受け入れてしまうのだ。
 ただただあざといと感じられた幼女と戦場の組み合わせは、考えを進めるほど理にかなっている。物語がいかに凄惨なものだとしても、彼女の存在一つでフィクションの香りが陰鬱になるのを妨げてくれるのだ。(もちろん作り話なのだが)現実ではないものとして、適度な距離感で物語に対することが出来る。異世界ものにありがちな異性からモテモテのハーレム状態に移行しない(出来ない)のも幼女効果だろう。女児に懸想するのは一般的ではないし、しかも中身がおっさんだ。視聴者(読者)もその展開を期待しない
 ※小説『皇国の守護者』は同じように性格破綻した有能指揮官の戦記物であり、主人公は男で青年、転生はしていない。対照として面白い作品だ。
 
 かくして頭のおかしい狂人英雄が主人公として立つことが可能となっているのだ。

 映像作品としてみてみると一定水準を超えた演出と画面クオリティを保持した良作だ。扇動演説の表情描写も強烈なアクのある作画で、それに答える声の演技も耳をつくような金切り声が実に合っている。戦闘描写も迫力と見やすさ、映画的なレイアウトがバランス良く構成されていて特に難をつけるところがない。むやみに残酷な描写が挟まれることはないが、老若男女に分け隔て無く不幸が襲いかかるため、ターニャや女性兵士もえらい目にあう。今作では特に肉弾戦が多いため殴り合って顔がボコボコになっていくのだが、女性キャラが過度に守られることが多い創作物の中、どこか胸が空く部分がある。

 原作小説は未読だが、時系列を行き来する章構成になっているらしく、アニメ化に当たって分かりやすく並び替えたり省いたりしているとのこと。勢力毎の軍服や兵器のデザインも差別化されており、数々の留意の甲斐あって全体の進行、特に戦況の変転も混乱することなく理解できる。だがそれでも様々な国、勢力が入り乱れる「世界大戦」であるため、定期的な勢力状況の解説などがあればさらに分かりやすかっただろうか。現実の大戦を模している要素が多いため、そちらの知識が厚い人には理解もしやすく、元ネタと感応する楽しみ方が増えるだろう。

 問題は全編に感じる悪趣味だろう。かわいい顔をした幼女が毒舌を振るい、敵を屠って狂喜の大笑いをする姿は露悪趣味と言わざるを得ない。負けることが確定している(歴史として冒頭に語られる)大戦においての様々な戦いというのもやるせない。沈むことが分かっている『タイタニック』は待ち構える悲劇が特別な感触を全編に投げかけているが、今作の場合思いがけない悲劇ではないため、崖に向かって邁進していく人類の姿を夢も希望もなく見ることになる。それによって生まれる無力感や諦観は心に残るものではあるが、自分には少し重すぎるなというのが正直な感想だ。
 
 

2020年11月30日月曜日

フッテージ

フッテージ スペシャル・プライス [Blu-ray]
☆☆☆☆
~恐怖の8ミリ映像~


 2012年の米映画でイーサン・ホーク主演の引っ越しホラー。ホラーって引っ越し契機のものが多いよね。
 

 未解決事件を再調査して真実を見つけ出す、というコンセプトで10年前に大ヒット作を書いたエリソン(イーサン・ホーク)だったが、その後二作は鳴かず飛ばず。妻と二人の子供をつれてペンシルヴァニアのとある家に引っ越してくる。そこは四人の家族が惨殺され、幼い娘一人が失踪という事件の発生した家であり、エリソンはこの事件の真相書籍化による起死回生を狙っていた。
 引っ越し作業中に屋根裏で謎の映写機と数本の8ミリフィルムを見つける。そこに映っていたのはこの家で行われた殺人の様子であり、他のフォルムにも同様の殺人風景が記録されていた。その隅に映り込む奇怪な仮面(?)の人影……。エリソンはその資料を警察に届けず、ベストセラー作家返り咲きを夢見て調査を開始する――。


 こういったオカルト事件を題材にした映画は現実か超自然かに大きく別れると思うが、あまり早期にどちらなのかが分かってしまうと興醒めの部分があると思う。本作は割りとバランスを取ったまま進行し興味を継続させるが、どちらなのか決まった段階でそれまでの現象にきちんと説明が付かない状態になっているので、なんだかフェアでなく、後半はただのビックリ屋敷、オバケ屋敷映画になっていく。驚かせ方は映像の加速減速巻き戻しを組み入れた編集による盛り上げのあと、血みどろ残虐の開陳といった手順。精神的というより反射的恐怖。

 自分は本作が現実にしても超自然にしても、作家ならではの切り口から謎解きが展開されるものと期待していたが、エリソンは基本的に驚き役で、事件を解きほぐすためにほとんど働いていない。まわりから来る変化に対しておっかなびっくりしているだけなので、そりゃ本売れんわ――とへっぽこ作家のイメージばかりが強くなる。

 110分とそこそこの長さの映画だが回りくどい描写による水増しが多い。といってもホラー映画の「タメ」は恐怖の階段であり、ジェットコーストーの長い巻き上げ時間と同義である。無くてはダメなのは分かるが、それにしてももう少しテンポ良くまとめる事ができたように思う。

 8ミリ映像は画面の揺れや劣化が違和感として残り、家族動画が映ってもどこか異様な雰囲気になる。ホラーにはぴったりなメディアだが、フィルム自体見た事の無い人の方が多くなっていくだろうから、小道具として使われる機会は減っていくのだろうか。あ、映画館の特典で生フィルム(デジタル上映で何が生なのかとは思うが)は最近も存在しているので、そっち方面から知名度は残っていくのかな。



2020年11月27日金曜日

インビジブル・スクワッド 悪の部隊と光の戦士

インビジブル・スクワッド 悪の部隊と光の戦士 [DVD]
★★★☆☆
~等身大の冒険活劇~


 2014年のイタリア映画。日本での劇場未公開のビデオスルー作品の模様。日本でのビデオ発売は2016年。最近イタリア映画を見る機会が多かったので、大仰に名前を叫ぶシーンになるとイタリアだ! と強く感じた。ラピュタのドーラのような押しの強いおばちゃんがイタリア映画には欠かせない。
 
 題名はむりやりスクワッド(仲のよい仲間、部隊)と入っているが、割と孤独な戦士である。DCの映画「スーサイド・スクワッド」も2016年なのでそちらとの相乗効果、また何となくアベンジャーズっぽい雰囲気も持たせたかったのだろう。副題「悪の部隊と光の戦士」が「戦士達」で無いことからもヒーローチーム映画とは異なるのだと分かる。

 原題は「Il ragazzo invisibile」。見えない少年、となる。そんなにヒーローヒーローした作品ではないのだ。

―――――――――――――――――――
内向的な少年ミケーレは学校でいじめられてばかりいた。ある時、トイレに閉じ込められたミケーレは怒りを爆発させてしまう。すると、体が透明になり、服を着ていなければ誰にも見えない透明人間になっていた!<KINENOTEより
―――――――――――――――――――

 思春期のいじめられっ子が突然透明人間化するというこれまでも見たことがあるような導入だが、ひと味違うのがカラッとした人間関係。ミケーレは衝動そのままにいじめっ子に復讐し、女子生徒の更衣室に忍び込む。後者はすぐにバレて(当然だが)クラスの女子から変態扱いされるも、割とすぐに許される(というか、元々無視されがちだったので扱いはあまり変わらない)。ミケーレも悪かったと反省して以降はそちらの方面に力を使うことはない。透明人間になれたら……という基本的な内容はこのように前半でてきぱき片付けてしまって、あとはなぜその能力があるのか、能力者を見つけようとミケーレを探す勢力とは――というヒーロー映画展開。変にエロ衝動に拘泥しないのもすっきりしていて良い。

 透明人間の表現にもひねりが効いている。透明人間は服は透明にならないので真っ裸で徘徊するという状況になるのだが、これをそのまま表現するシーンが多い。つまり普通に生活する人に紛れて全裸で居るのである。この絵面はあまりに変態的でシュールでどうひいき目に見ても格好良いヒーローとはならないのだが、前半にのみ出てくる表現なので差し支えない。かえって自分の欲望を果たそうとする姿を滑稽に馬鹿っぽく描いているのでバランスがとれている。

 題名とパッケージのせいで大作アクションヒーロー映画のような前提で観てしまうと大がかりなアクションシーンはさほど無く肩すかしをくってしまうが、思春期少年のがんばりを見守る映画とすれば様々な要素が綺麗にまとまっている優秀な作品と言える。最後には大きな引きが用意され、これはぜひ続編も見たいものであるが、例によって海外では公開済みだが日本では公開もビデオ発売もまだ予定にはないようである。(2020/11/27現在)

 

 

2020年11月25日水曜日

VR ミッション:25

VR ミッション:25 [Blu-ray]
★★☆☆☆
~感動的に死ぬ事も出来ない地獄~


 一定金額を払えば、配達料優遇や電子書籍閲覧、オンデマンド映画鑑賞まで様々なサービスを受ける事が出来る「Amazon prime」。自分は基本的にAmazonを使わないように生活しているが、訳あってこのサービスにお試しで入る事になった。

 primeビデオには無料で見られる映画とレンタル料金が必要な映画があるが、無料映画のリストを覗いてみると見知った作品の中に聞いた事も無いような映画がたくさん。日本で公開されていないもの、されても箔を付けるために短期間単館ロードショーされたものなどマイナーな作品てんこ盛り。なるほど無料枠はこのような形で強化されていたのかと思いつつ、おもしろそうなものも沢山ある。その中から見てみた一作がこれ。
 イギリスの制作会社による2016年の作品。

 とあるFPS(ファーストパーソンシューティング)ゲームの上位ランカー達に謎の招待メールが届く。とあるビルの25階を訪れ、ゲームをクリアすると大金が手に入る、という内容。
 集まった8人に機会音声が指示を与え、最先端のフィードバック装置を備えたウェアとヘルメットを装備。ヘルメットのバイザーを下ろすとCGで構築された戦場が現れる。最先端の技術による没入感に色めき立つ参加者達だったが、それは逃れる事の出来ないデスゲームの始まりだった――。

 原題は「The Call Up」(呼び出し)。あまりピンと来ない題名に感じる。「VR ミッション:25」の方が映画の売りを的確に表しているので、邦題の方が良いという希な例ではないだろうか。VRはバーチャルリアリティの略で、仮想現実と訳されるのが一般的。多方面で使われているが、最も触れる機会が多いのはゲームだろう。PlayStationブランドでもヘッドマウントディスプレイ(メガネのように装着する立体視可能なディスプレイ)が発売されており、数万円で環境を整える事が出来る。

 この作品のVR技術の持ち込み方はなかなか理にかなっている。VR技術の壁の一つが、「移動」である。本人が移動して映像の中で風景が動いても、現実には部屋の中だから壁にぶつかってしまう。本作ではビル全体をその形状のまま戦場とし、ゴーグルをかぶると表面的な見た目だけが新築ビルからテロ攻撃にさらされた崩落間近の室内となるのだ。壁や扉など基本的な位置は現実と仮想が一緒になるので、自由に移動しながら楽しめるというわけ。
 映画での表現はその精度に於いて充分にオーバーテクノロジーだが、技術の進歩により現実的になっていくだろう。
 
 登場人物達はゲーム攻略の途中途中でバイザーを挙げ、これがVRなのだと確認する。VRなのか現実なのか分からない、というサイコサスペンスの方向に進む事はなく、「VRなのは分かっているのに抜け出せない戦場」で命がけの戦いを強いられるのである。作品中何度もVRなのだと確認作業が行われ、仮想現実に没入させない。これがなかなか新しい。
 江戸時代に炊きたてのおひつに手を突っ込まされる拷問があったというが、このVR戦場も悲壮感とバカバカしさが一体になった、感動的に死ぬ事も出来ない地獄なのだ。何せ全身タイツのヘルメット姿でビルを徘徊して死んでいくのである。敵も居ないのにビクビク一人で痙攣して……。
 
 この状況設定を自分は楽しむ事が出来たが、そうで無いなら酷評される点が多い作品だ。
 まず、誰がどういう目的でメンバーを集めてこのゲームを始めたのかという謎。徹頭徹尾物語を引っ張るのはこれなのだが、引っ張った分だけのリターンとなる結末かというと――ほとんど全ての人がNOと断じるだろう。肩すかしという事だ。
 次に戦闘描写が結構適当だ。25階、つまり25ステージに渡る戦場を突破するのだが、その苦労がほとんど描かれない。適当に隠れて適当に撃って撃たれてという感じで、せっかくの「ゲームのプロフェッショナル達」という設定がまるで生きていない。この点はゲームと現実(限りなく現実に近い)の戦闘は違うんだよという事かもしれないが、そりゃマウス操作と実際に体を動かすことに熟練の関係性があるはずもなく、そもそも主催者のチョイスがおかしいということになる。

 体を動かしての戦闘には素人同然だったプレイヤー達が、終盤ではそれなりに連携を取っているなど重ねた戦闘を感じさせる部分もあるが、もう少し戦闘部分を楽しめる要素が入っていればオチはともかくもっとバランスが良くなったと思う。

 

ネイビーシールズ ナチスの金塊を奪還せよ!

ネイビーシールズ ナチスの金塊を奪還せよ!  Blu-ray
★★☆☆☆
~ちょっとリアルなAチーム~
 
 2017年の仏映画。少しリアル寄りの「特攻野郎Aチーム」。ミリタリー映画ではなくアクション映画。
 脚本・制作にリュック・ベッソンが参加しており、気立ての良い、あまり深刻な感じがしない気楽な雰囲気が魅力。

1995年、マット率いる5人のネイビー・シールズ部隊は、紛争末期のサラエヴォで作戦を展開していた。
そんなある日、メンバーの1人が、恋に落ちた現地のウェイトレスから、湖に眠るナチスの金塊の話を聞く。
その金塊は重さ27トン、総額は3億ドルに及ぶ膨大なもので、彼はウェイトレスからその金塊があれば、戦争に苦しむ避難民を救うことができるので、是非引き揚げてほしいと懇願される。
こうして5人は引き揚げ作戦を計画するが、その湖は敵の陣地内にあるため、実行には困難が予想された。
それでも5人は水深45メートルの湖から、8時間という限られた時間で金塊を運び出す作戦を実行に移す。 <WIKIPEDIAより>
 1番の見所を水中でのやり取りに当てており、水中で炸裂する爆弾や、仄暗い青い世界での射撃戦などが目新しい。水中に空気だまりを作ってそこで休憩、相談などを行うのが楽しい。お風呂と洗面器でやった遊びを大人規模でやってみたという感じ。
 
 物語としてはファンタジーに近く、特に気になるのは軍規の緩みっぷり。しかし自分も実際を知るわけではなく、こういう緩さ、本当にあるのかなあ。Aチームよりもおふざけ色が薄いので相対的にその辺りが気になってしまうくらい。真面目に追求する人もいないだろう。
 
 起承転結もきちんと付いており、非難される映画ではないが、特に称賛もされない映画

2020年11月12日木曜日

クリフハンガー

クリフハンガー [DVD]

★★★☆☆
~破格の導入~


 1993年。意外にも日米仏の合作。制作資金を出せば合作となるのかな。
 シルベスター・スタローン主演の高山脳筋アクション。
 

 ロッキー山脈の山岳救助隊で働くゲイブは仲間とともに充実した毎日を送っていた。
 一方財務省の輸送飛行機をハイジャックして高額紙幣の強奪を狙うグループが犯行を開始。機上で首尾良く計画を進め、味方の飛行機で脱出しようというところでFBIの内偵がこれを阻止。三つのトランクケースはロッキー山脈の冠雪に埋もれる事となった。
 犯人達はその回収のため遭難者を装って救助隊を呼び寄せる。そうとは知らぬゲイブ達は急ぎ現場に駆けつけようとするが――。


 導入が素晴らしい。
 急峻な岩山の天辺でケガを負った要救助者の元に颯爽と現れ、テキパキと救助活動を展開するゲイブの姿はまずこの映画の舞台を見せつけてくれる。垂直どころかオーバーハングの壁面を這い上がり、高度1200メートルの崖をつなぐワイヤーを移動する。高所恐怖症ではないはずの自分でも腰がむずむずとしてくる。さらにそこから腕一本で人をぶら下げるシーンなど手のひらで顔をかくして指の隙間から見てしまう緊迫感。
 ハイジャックの映像もすごい。現金輸送の飛行機を別の飛行機で近接飛行。二機をワイヤーでつないでトランクや人員を移送するシーンなど他では見られないスリリングな映像で、その後の不時着シーン含めて冒頭からたたみかけてくる。
 
 これはすごいと胸が躍るが以降の展開はこの序盤を超えることなく尻すぼみになっていく印象。
 ゲイブが装備を剥がされてシャツ一枚で雪山に登っていく姿は、スタローンの顔芸含めるとコメディーに偏ってしまう。大胆な計画で度肝を抜いてくれた敵も、どんどん鍍金が剥がれてただの愚連隊に堕していく。終盤になるほどどちらも知性を失ったような状態でぶつかり合っていくのだ。面白いといえば面白い。

 ともかく序盤だけでも実写映像の威力を強烈に感じる事ができ、視聴の価値は十分にある。映画全体の元は取れるのでお勧めしたい。
 
 ところで――。(今作とは直接関係の無い話です)
 1993年当時、CGはまだまだ発展途上でクロマキー合成や特殊撮影(特撮)、そしてカット割りで様々なイメージを作り上げるしかなかった。描きたいイメージに対してあらゆる角度、職種からアイデアを出し、実現可能な方法を組み合わして映像化していく。合成のなじみを良くするのは困難だったし、特撮の痕跡を消すのも大変だった。しかし上手くつくられた新規なイメージはもうそれだけで観客の感動を誘ったものだ。それはまさに新しい「魔術」「魔法」を生み出す行為だった。もちろん種があるのだから「手品」である。
 現在はそういう意味では非常におもしろみのない時代だ。どんなにがんばって豊かな映像をつくり出しても、見る者はただ一つの種で理解してしまう。CGでしょ、で終わりなのだ。
 実写の方が、CGの方が、という優劣の話しではない。それぞれに利点と欠点があり、欠点を補うように両者が組み合っていくのが良いのだろうと思う。

 ただ、世の中の全ての手品の種が明らかになってしまったような、ストリップ劇場を明るく照らしてしまうような、ひどいネタばらしを食らってしまったな、という喪失感を感じる。


2020年11月11日水曜日

アサルト13

アサルト13 要塞警察 [DVD]
★★☆☆☆
~無理せずにこぢんまり~


 2005年(日本公開は2006年)。米仏合作の立てこもりガンアクション。
 合作だが舞台はアメリカのデトロイトのみでフランス要素は感じない。
 1976年の映画「ジョン・カーペンターの要塞警察」のリメイク。ジョン・カーペンター監督は予算にかかわらず独自の視点を盛り込んだエンターテイメントをかっちり作り上げる監督で、リメイクにどの程度オリジナルの要素が残っているのかは分からないが、なるほど状況設定が面白い。

 デトロイトにある最も古い警察署「13分署」。そこで内勤として働いているジェイク・ローニックは、過去の潜入捜査官時代に、自らのミスで仲間2人の命が奪われてしまったことを、現在も深く悔いていた。その年の大晦日、彼は数名の同僚達と署で年を越すことになるが、そこへ大雪のために緊急避難してきた護送車が到着する。護送された犯罪者の中には、暗黒街の大物マリオン・ビショップの姿もあった。こうして多くの凶悪犯達と一夜を過ごすことになったジェイクだったが、突然何者かが警察署に侵入してくる。それを食い止めるジェイクだったが、警察署はすでに武装した集団に取り囲まれてしまっていた。 <Wikipediaより


 13分署に立てこもり、と状況を設定してしまうことで描く要素を絞り込めているため、散らかりすぎることなく最後まで楽しむことができた。人間関係の組み立てを序盤からしっかり行って、警官と犯罪者が反目しながら協力していくなど、そう来たか! という展開が小気味よい。それぞれの頭目とそれに(ひとまず)従う者たち。問題児揃いなので一筋縄でいくはずもなく、敵の対応とともに内部の不和にも気を配る必要がある状況。わくわくする。

 そういった人物達をどう絡めてどう統合して状況突破していくのかと期待すると、これも意外な方向に転がっていく。せっかく立ててきた人物達を容赦なくどんどこ退場させていくのだ。確かに個別の事情に踏み込んだメロドラマになっても退屈しそうだが、そのシビアさに驚く。物語としては先が読めないことになり興味を失うことがないが、同時に登場人物の非人情さ(誰が死んでもそれほど気にしない)に全員がサイコパス臭を放つようになる。当然主人公も同様で、後半になるほど感情移入は難しくなっていく。
 物語もまずまず綺麗に収まるが、置き去りにした命達を思うとそれで良いの? と違和感は残る。主人公の過去のトラウマ、仲間の死に対する罪悪感克服が一つのテーマだったと思うのだが、誰が死んでも気にしない、というすんごい方向でそれを乗り越えてしまうのだ。

 エンターテインメントとしては無理に規模を大きくせず、こぢんまりだがまとまりの良い作品。敵親玉の勿体ぶった物言いなどお約束を押さえつつ、緩急のある状況変化で興味を引き続け最後まで楽しむことができる。



2020年11月5日木曜日

バトルランナー


★★★☆☆
~深くも浅くも楽しめる~


 1987年の米映画。出演すれば(基本)ヒット時代のアーノルド・シュワルツェネッガー主演。殺戮テレビ番組脱出バトル。

 2017年アメリカ。経済的没落により貧困層が増大したアメリカではそのガス抜きとしてテレビ番組がどんどん過激化。人気タレント、デーモンが司会をする一番の超人気番組「ランニングマン」は本物の犯罪者を重武装のヒーローが追い詰めて処刑するという内容。
 一方、警察官のベンは市民を虐殺しろとの命令に反したため捕まり、あろう事かフェイクムービーによって虐殺の犯人として刑務所に収監。世間からも悪逆非道の犯罪者として認識されていた。仲間と共謀して脱獄に成功するが国外脱出に失敗して再び捕らえられる。その話題性に目をつけたデーモンが無理を通してベンをランニングマンに招聘。仲間とともに殺人ヒーロー達の待つステージへと送り込まれる。デスゲームを生き抜き、己の無実を証明できるのか――。

 
 今見ると特撮の粗が目につくし、すでに過去となった(現在2020年なり)未来描写はかなりずれている。カセットテープがまだまだ現役など懐かしい未来であるが、肝の部分である『番組とそれを見る視聴者』の関係は今も昔も変わりがない。つくる側は受けるように、番組運営に都合の良いように虚実を好き勝手に編集し、見る視聴者は面白ければ良いとしてそれ以上深く考えることはない。テレビの存在感が薄れた現在でもインターネットを飛び交う動画や画像として構図は変わらない。むしろつくる側と視聴者が入り交じり区分け出来なくなった現状の方が重傷である。まさに時代を超える作品だ。

 一時期はTVで良くかかっていたので何度も見たことがあり、いくつかのシーンが強烈に焼き付いている。
 戦場に送り込まれるシューターの慌ただしい映像。
 ホッケーの防具に身を包んだサブゼロ。チェーンソーを振り回すバズソー(こいつが1番記憶にのこってる)。オペラを歌ってキラキラしたダイナモ。
 映像の記憶が残るということは、基本的にその作品に価値があるということだと思う。

 改めて見てみると卑怯な戦いを嫌って役を降りる「キャプテン・フリーダム」など、当時はスルーしていた含蓄あるキャラクターにも気がつく。各所の風刺的要素など、バーホーベン監督(ロボコップ/スターシップ・トゥルーパーズ)の作品っぽい印象だが今作の監督はポール・マイケル・グレイザー(アフリカン・ダンク)。

 リチャード・バックマン(スティーブン・キングの別名義)の原作は人間狩りのテレビ番組「ランニングマン」を舞台とした逃亡劇であることは同じだが、街全体が逃亡の舞台となっており、ベンの素性や結末も異なる。原作をよりエンターテインメントに仕立て上げたのが映画版であり、実にテレビ番組的な誇張と脚色である。……とすると、この映画作品自体が「映像による都合の良い現実歪曲」と「それを疑うこともなく賞賛して人生を浪費する視聴者」という原作のテーマを相似拡大したものになるとも言える。興味深い。




2020年11月4日水曜日

太陽がいっぱい

太陽がいっぱい 最新デジタル・リマスター版 (Blu-ray) 

★★★★
~応援したくなる犯罪者~


 1960年。ルネ・クレマン監督によるイタリア・フランスを舞台とクライムサスペンス。
 クレマン監督は他にも戦後の幼い子供達の悲劇を描いた「禁じられた遊び」で有名であり、戦争のしわ寄せを受ける幼い子供達の悲劇をリアルに活写。ひるがえって今作は二枚目の代名詞となったアラン・ドロンを主役に据え、陽光きらめくイタリアで富裕層の享楽的な生活と、犯罪者の強迫観念のコントラストを鮮烈に描写。アラン・ドロンは今作が出世作となった。

 アメリカ人フィリップは大富豪の息子。ヨーロッパでの放蕩な暮らしを続け帰国を先延ばしにしていた。
 トム(アラン・ドロン)はフィリップの父から彼の帰国を依頼されて渡欧してきたが、ミイラ取りがミイラになり、フィリップの使用人のような立場におさまって便利に使われている始末。
 フィリップの生粋の贅沢暮らしを目の当たりにし、また、フィリップの恋人マルジュに対する不誠実な態度に不満を覚える。積もり積もった嫉妬と怨嗟は膨れあがり、トムはフィリップを殺して彼になりすますという野心を抱くに至った――。

 
 登場人物がそれぞれに魅力的。フィリップは自分かってて奔放ながらもどこか人好きする魅力を放っているし、マルジュは魅力的な容姿だが本人はそれを当たり前のものとして誇ることはせず、むしろ文筆業としての自身の能力のなさに劣等感を抱いている。トムはさわやかな笑顔とフィリップの依頼に対する手際の良い処理の裏で、彼を裏切る機会を虎視眈々と狙っている――。一筋縄ではいかない登場人物達が非常に興味深く描かれる。

 前半は人間関係の描写と高まっていく緊迫感を描き、後半は犯行後フィリップになりすますとともにマルジュを手に入れようとするトムの奮闘が描かれる。面白いのが後半、罪の意識に苦しむというより現実的にフィリップの財産を手中にしようとするトムに対して、意識的にも無意識的にそれを邪魔する者たちがどんどん現れ、トムがそれになんとかかんとか対処していこうとする有様。悲壮感はあまりなく、いつも前向きにがんばっていくのである。
 不思議なことに自分はトムを応援していたし、最後には上手く財産をぶんどれますように、と祈るような気持ちになっていた。登場人物に魅力を感じて惹き付けられるというのは、創作物の最も強い力の一つなのだろうな。
 
 上記のように感じるのは、細かな演出の妙だと思う。特に物語に必要の無いシーンを上手く挟み込んで、端的に描かれはしないもののトムの心労が各所に現れているのだ。
 港の市場に買い物に行ったシーンでは、他の客がどことは無しにトムに注目している。これはゲリラ撮影のため実際の市民がなんだなんだと視線を向けていたためのようだが、良いあんばいに周囲の視線がまとわりついてくる。遺体横の聖職者、通りの椅子に座った老人などモブのまなざしを長く映すカットが多いのも同様に「見られている感触」を演出。
 第二の犯行のあと、やっちまったと壁にもたれるトムに、部屋の外から無邪気に遊ぶ子供達の姿が見えたり、富豪に成り代わろうとしているのに自分で大家からもらった鶏肉を調理して、台所の隅にうずくまってそれを食んだり。
 これは自然と応援したくなるというものだ。
 
 社内の映画鑑賞会で見たのだが、参加していた女性社員はトムにまったく感情移入できなかったとのこと。マルジュをもののように扱う男達の態度が許せなかったとのことだが、翻弄される彼女の処遇は確かに同情に値する。だが、1960年という時代を差し引かなくても、物語で描かれた一つの関係というだけで、特に立腹するようなものではなく、恋に盲目になったものに良くある状況ではないかと感じた。

 物語の結末が原作とは異なっており、原作も映画も続編が存在しているが、今作の結末の方が全体の構成として美しいと思う。


2020年10月29日木曜日

スイス・アーミー・マン

 

☆☆☆☆
~雰囲気に惑わされてはいけない~


 2016年の米映画。日本公開は2017年。
 おならにゲロにチンコと、小学生が大好きな要素を詰め込んで、それをおしゃれな映像でまとめた頭のおかしいナンセンスコメディ。もしくは真に恐ろしいサイコホラー映画。これは皮肉でも褒め言葉でもなく、ただただ現実的にこの映画を表す最適な説明である。
 実写にしたスポンジボブ、絵を綺麗にしたダウンタウンの不条理コント、という比喩も浮かんだ。
 

 青年ハンクは無人島に一人きりでとうとう首つり自殺を試みようとするが、眼前の砂浜に一人の男が流れ着く。
 孤独が癒されるかと期待したが残念ながら溺死体そのもの。落胆したハンクの前で死体は腐敗ガスを肛門から吹き出し始める。その威力は強烈で水上を航行し始めたばかりか、追いすがったハンクを引き連れて島を離れていこうとする。
 とっさに首つり用ロープを死体に巻き付け、ジェットスキーのように上に立って疾走するハンク。飛び散る水しぶきときらめく陽光は彼の鬱屈した心を一瞬で霧散させた――。
 
 上記は冒頭あらすじだが、もし見るとしてもここまでて終えるのも良いと思う。もちろん以降も物語は続くが、え~そっちに行くの? といった異常な展開を見せるばかりなのだ。反対に言うと、ここで終わっていたらシュールなコントとしてひときわ目を引くものになっただろう。監督がこの作品を生み出したそもそもの原点がこのシーンだったということだから、ここが全てとも言える。

 水死体が放つ屁によって無人島を脱出という「へっこきよめさ」のような状態から始まった物語に、一体どのような妥当な展開が許されたであろうか。僕の心象風景としては、まるで毛筆の習字で最初の一筆を半紙の右下隅に置いてしまったような映画、となる。もうそれ以上どうしようもないのだ。まともな字を書くことは出来ず、文字に似た妙ちくりんな記号を描くくらいしか出来ない。
 
 あまりに突拍子もないものを突きつけられた時、上手く反応できないことがある。それが自分に届くまで誰も止めなかったという事実が、この作品に何かしらの価値があるのでとはないかという疑惑につながり、ひょっとして自分の直感が間違っていたのではと疑心暗鬼に陥るのだ。しかもそのトンでも案件を掲げているのが何がしらの実績を持っている人物であった場合、非常に対応が難しい。
 ゲーム会社で様々な企画に触れていると、まさにこういった状況に出会うことがある。
 新入社員だった頃、雄志による「企画立案サークル」のような集まりがあり、皆が順に自分の企画を提案していった。その中でサウンド課の重鎮が「ゾンビになったサムライによる対戦ゲーム」をぶち込んできた。当時「ブシドーブレード」という剣戟アクションが話題になっており、それの派生だと思われる。もう詳細は覚えていないが、企画詳細というものはほとんどなく、ただサムライがゾンビなんだという主張のみが全てであった。
 自分はこの企画の魅力がまったく分からなかった。煮ても焼いても食えそうにない内容に、先輩方はどのような反応を示すだろうか(どう諫めるか)と期待したが、「ゾンビと組み合わすのは斬新だね」とか「細切れになっても死なない戦いかあ」などの微妙ながらも好意的な反応。もしかして自分が気がついていないだけで、このアイデアは何か良いところをついているのか? 若さに傲慢な新入社員でも揺らごうというものである。

 上記の様な現象がこの作品界隈では発生しているのではないだろうか。
 ネットで評判を見ると、わりと好評意見が多いのだ――。
 水死体のジェットスキーをフックにしているような映画を見にいく人はそもそも奇特な集団だというのもあろうが、冷静に考えてこの作品は「★☆☆☆☆」以外あり得ないと思う。人に勧められる物では無い。

 今作の監督ダニエルズは二人のダニエルのコンビ名で、ミュージックPVの監督として評価が高い模様。確かに逆光気味の暖かな印象の絵作りや、一筋縄ではいかない悲惨なロマンチシズムとでもいった内容は個性的だ。PVから映画監督への転身というとデヴィッド・フィンチャーを連想するが、彼の映画監督1作目「エイリアン3」も個性は出ているもののあまり……という出来だった。同様に今後の活躍に期待したい。

 

 



フィフス・ウェイブ

フィフス・ウェイブ [Blu-ray]

☆☆☆☆
~こんなヒット・ガール見たくなかった~


 2016年アメリカ。竜頭蛇尾のSFドラマ。
 

 突如上空に現れた巨大な宇宙船。いつかしらアザースと呼ばれるようになったその存在は、特に何をするでもなく地球を周回。その風景は意味の分からぬまま日常に溶け込もうとしていたが、その安寧はある日突然終わりを告げる。
 宇宙船が電子パルスを照射。地球上のほとんど全ての電子機器が使用不能となり、人類は混乱の只中にたたき落とされる。これを第一の攻撃、ファースト・ウェイブとし、その後も全地球規模の波状攻撃が繰り返される。――それでも人間はコミュニティをつくり、力を合わせてなんとか生き残ろうとする。
 そんな人類を殲滅するためにアザーズがとった第五の攻撃、フィフス・ウェイブとは――。
 
 特に関係がないようだが、ディズニーチャンネルで放映されるティーンを主役とした青春ドラマ(映画)に雰囲気が非常に似ている。日本でいうアイドル映画のようなもので、どこか割り切ったクオリティと内容
 序盤は丁寧な絵作りと派手ではないが気の配られた綺麗な映像で期待が高まったが、中盤以降は何かあきらめたようなぞんざいさ。終盤などはこれまで積み上げた設定や感情を投げ捨ててともかく一区切りをつけて終わり。スケールもどんどん小さくなっていき、まさに内容も規模も竜頭蛇尾。

 ともかく「第五の攻撃」が何なのかというのが作品全体を支えるギミックとなっているが、これがうまく働いていない。普通に見ていると中盤で十分予想できてしまうオチで、自分の洞察がすぐれているなどではなく表現として明らかにそう示されているのだ。例えばどこか怪しく見える軍隊の行う虐殺。アザースに寄生された人間の透過映像のチープさ(他のクオリティと比しても確実に程度が低く意図的としか思えない)。
 見え見えの設定を映画の中では予想も付かないこととして扱っており、正直辟易する。
 
 主人公が女子高校生で、彼女のサバイバルが一軸となっているが、どうにも判断がおかしい。いちいち「それはちゃうやろ」という判断、行動に出て見ている方は困惑し、やがて苛立ってくる。有り体に言えばバカ女の諸言動に振り回される童貞男という展開なのだ。コメディでなく真面目にこれをやるのだからつき合っていられない。


 残念ながら演じているのがクロエ・グレース・モレッツ。彼女は幼少期に「キック・アス」で生意気ながらも切れのある子供ヒーロー役を演じて人気を博したが、今作の彼女は残念ながら何の魅力もない元人気子役といった風情。生意気な役どころにキック・アスの人気再びを狙っての起用かもしれないが、幼さというフィルタがなくなるとその言動はただの「嫌な人間」になってしまっており、大失敗だ。

 

2020年10月26日月曜日

ザ・バンク 堕ちた巨像

ザ・バンク 堕ちた巨像 [Blu-ray]
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★★☆☆☆
~「政府も手が出せない国際メガバンク vs はぐれインターポール捜査官」~


 2009年のアメリカ・ドイツ・イギリス共同制作映画。経済ドラマかと思わせて武器商人と化した巨大銀行とインターポール捜査官との戦いを描くアクションサスペンス。
 

 インターポールの捜査官サリンジャーはドイツの巨大銀行IBBCの武器取引についての捜査を続け、ようやく証人との接触にこぎ着けるが、目前で仲間が不審死。証人もその9時間後に事故で死亡。現地警察はIBBC擁護の姿勢で手が届かない――。
 それでも捜査を続けるサリンジャーはとうとう暗殺者の手がかりを手に入れ、ニューヨークへ――。

 
 IBBC社屋や激しい銃撃戦の舞台となる美術館。インターポール本部にイスタンブールのモスク。世界中のロケーションが美しく映画に品格を与えている。緊迫した雰囲気は最初から最後まで続き、完成度の高さを感じるが、話としてはかなり苦しい。というか、スタローン主演のガンアクションくらいに捕らえた方が良い。画面の格式高さとアクション自体の頻度に勘違いしがちだが、中心はアクション映画。特にニューヨークのグッゲンハイム美術館内部を舞台とした銃撃戦を描くために全体が構成されているのではと思われる。そのために巨大なセットを組んだというのだから執念を感じる。
 それ以外はどうにも小ぶりで、話が広がりそうで広がらない。すっきりしないまま話が進み、そのまま終幕。

 また、多くの人が感じるのが題名と内容の剥離だろう。銀行というより国際マフィアの話なのだ。原題は「The International」でこれはこれで何やねんという題名でとらえどころがない。主人公はインターポール職員なので、普通に考えたら「インターポール」とか、「インターナショナル・クライム」くらいが似つかわしいと思うが、米独英の共同制作のしがらみがこのような中途半端な内容と題名に現れているのかもしれない。「国際捜査官サリンジャー」という題名でコピーが「政府も手が出せない国際メガバンク vs はぐれインターポール捜査官」でどうだろうか。

 綺麗なシーンのいくつかは確実に心に残る
ので、経済クライムを期待せず気軽に見るのがおすすめ。

 

 

ブブキ・ブランキ

ブブキ・ブランキ Vol.1 [Blu-ray]
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☆☆☆☆
~まずい脚本とはこういうこと~


 2016年のTVシリーズアニメ。第一期と第二期を半年ほどあけて放送の全24話。オリジナルでこれだけの話数を放送は昨今珍しい。

 「肌に合わない作品」という物は確実にある。理屈を立てて理解する前に、感触としてこれは合わないと感じ、視聴を続けてもその印象が変わらない作品のことだ。自分にとって、この作品はまさにそれ。
 

 いにしえから存在し、人間社会の裏で大きな武力として使役されてきた巨大機械「ブランキ」。それを操るのは一体に付き両手両足と心臓の5つの核を一子相伝するブブキ使いたち。最も重要な心臓の核全てが突然機能不全に陥り、世界中のブランキが起動できなくなり、各国のパワーバランスの崩壊から混迷の時代に突入した。
 その原因とされた「魔女」と呼ばれるブランキ使い一希汀(かずき みぎわ)。その息子である東(あずま)は、幼い頃から過ごしていた浮遊島で起きた事件により地上に落下。魔女の息子と呼ばれながら浮遊島に戻る方法を探し、10年を経て日本に帰国した――。

 
 あらすじを書こうとすると、何が大切で何がどうでも良いのかを取捨選択することになるが、今作はそれがまるで分からない。もちろん全編を視聴したあとなので大筋は理解しているはずなのに、判別出来ないのだ。
 最後まで見た上での物語の説明をすることは出来る。だがそれは一部始終を知った殺人事件において、犯人の動機、犯行手順のみを説明するようなもので物語をなぞったものではない。どうやらこの作品、脚本が致命的に悪いようだ。
 
 自分の勤める会社の社長は元映画畑で働いていた(助監督)経緯を持ち、映画関連に造詣が深い。月一で押しも押されぬ名画を解説付きで視聴する「映画鑑賞会」を主催しており様々な話を聞く機会となっている。その中で「映画が脚本以上になる事はない」という言葉が紹介された。他でも聞いたことがあるので割と有名な言葉なのかも知れない。様々な解釈が出来るだろうが、自分は「良く出来た脚本はその後の作業の土台となり、上につくる建物をきっちりと支える。悪い脚本は天井となって上限を覆ってしまい、その後の作業の邪魔となり、いびつな建物作りを強制する」というように理解している。
 ゲーム作りでも良いアイデアはその他の面白い思いつき、関連するアイデアをどんどん引き込んでくれるが、悪いアイデアは一見面白そうに見えてもその後の広がりを得ることが出来ない。
 上記のような意味で、今作の脚本は作品のいらぬ縛りになっているように感じる。
 良いケースパタンになるのかもしれないので、自分向けのメモとして二つほど挙げてみる。
 
―――――――――――――――――――

①導入が重い

 物語冒頭はその作品の入り口となるもので非常に重要である。また、視聴者にとって負担の大きいものだ。
 どういった世界がどのようなルールで展開するのか。
 これが視聴者の中で構築されるまで、情報処理の負荷が非常に高い。枠組みが出来てしまえば新しい情報で見えてきた部分を付け足すだけで済むが、それまでは一生懸命に理解しようとする必要があるのだ。これは新しい人に出会った場合も同じで、見た目やしゃべり方などでひとまずどんな人だと決めてしまう。そうしてから長いやりとりを経てその人物像を更新、最適化していくのだ。
 この負担を減らす方法として「続編」「肩書き」「模倣」などがあるだろう。続編は当然気楽だし、人物において「XX会社の役員」といった肩書きは関わり方を決めるのに大きな助けとなる。模倣は「異世界転生もの」のようにフォーマットを共通化させることで負担を軽減している。(異世界転生ものが素晴らしく流行したのは、導入の気楽さが大きいと考えている)

 反対に、情報が足りなかったり、これまでに出会ったことのないような対象だったりする場合、枠組みの構築が上手く行えない。こういった時は、非常にモヤモヤとして気持ちの悪い状態を継続することになる。
 長くなったが、本作の導入がまさにこれである。
 
 まず10年前、浮遊島で起こった事件が描かれ、その後現在の物語が開始される。こういった二段階に分けた導入は良くある手法で、たとえばクライマックスからはじまり、それが夢でしたと本来の物語が始まる。この場合冒頭クライマックスはフックの役割を果たし、本来重いはずの導入の手助けとなり物語に導いてくれる。
 今作では第一段階が牧歌的な雰囲気からはじまり、それから第一のクライマックスに至るためフックの役割を果たさない。一生懸命構築しようとした作品感をクライマックスがぶちこわすのである。そして10年がたち第二段階である本来の物語が開始されるが、第一段階の情報がまったく役に立たないどころか意外な展開(優しい母が魔女呼ばわりされているなど)に持って行こうとして逆に理解の妨げになっている。つまり「構築①」⇒「破壊」⇒「構築①によって困難になっている構築②」となっている。そのため置いてけぼりになった感じが強く、それが継続する。

 プロが作り上げた作品に対して事情を知らない外部が「こうすれば良いのに」というのは非常に失礼で傲慢な事だと思うのだが、どうしても一言申し上げたい。
 
 10年前の下りは無い方が良い!
 
 実際これを切り落としてもすっきり感が高まるだけで物語への影響がない。その後に何の変更を加えなくても、おそらく大丈夫だ。
 無駄な物を残して物語を分かりにくくしているという点でこの脚本は良くない制限になっている。どんなに演出や作画が気を吐こうと、カバーできる難点ではないのだ。


②状況が解決する前に別の状況をかぶせすぎる

 大雑把に説明すると本作は色々なシチュエーション、組み合わせのバトルをどんどんつなげていくという展開になっている。
 これ自体はロボットバトルを主軸に据えた物語なので妥当だと言えるが、問題は「バトルの決着がつかないまま次のバトルになだれ込む」事が非常に多い点である。AとBの戦闘中にCが乱入し、BとCの戦いがメインになってAとBの戦う原因は放置状態で物語が続き、BとCも特に決着がつかないまま閑話休題を開始――といった具合。句読点のない延々長い文章を読ませられるのと感じがとても似ている。すべてにおいて決着をつけないので、フワフワと気持ちが悪いのだ。

 なぜこういう構成にしたのか、ちょっと理解できない。どんどん状況を切り替えて興味を引こうとしているのだとすると、うまく働いてはいない。被さってくる状況が前の状況より魅力があるというわけでもないので、途中で無理矢理チャンネルを切り替えられた感じになる。


―――――――――――――――――――
 このように脚本が縛りとなってどうにもならない不愉快を確定させている部分が多く、これほど脚本がダメだなあと思うのも希だ。
 全体に思いついた言葉とシチュエーションを無理矢理つなぎ合わせて物語に使用とした、統一感のない出来の悪いパッチワークである。
 
 脚本云々いうのは、他のパートががんばっているなと感じるところが多いため。
 キャラクター、ロボットは3DCGで作画されており、静止画としてのクオリティが高い。特にキャラクターの輪郭描画は一定の太さではなく適度に入り抜きが表現されており、平板さを感じさせない。アニメーションもセルアニメの良さ、キーフレームを自動補完するだけでは出てこない溜め詰めの気持ちよさを再現。レイアウトも3Dとしての正確さではなく、ゆがみによる見栄えを考慮している。
 この辺り、一期と二期ではまるで出来が異なると感じる。
 一期は上記の様な魂の入れ込みが無く、正確だけどつまらない画面が非常に多い。
 列車の荷台で戦闘するシーンがあるのだが、嘘がないため狭い舞台に感じたり、キャラクターの位置関係がまるで絵になっていない。カットによって広さも、位置関係も変えてしまえば良いのに、カメラの位置を苦労して変えることに終始して苦しんでいる。
 二期はこの手の3D慣れしていないシーンが少なく、一期の様々な経験をきちんとフィードバックしているなと感じる点が多い。
 
 今作は、作品としてはがっかりな物になっているが、スタッフの力量を底上げするという意味では大いに価値があったのだと思う。
 
 ところで「ブブキ・ブランキ」と自分が以前酷評した「文豪とアルケミスト~審判ノ歯車~」のスタッフを見ていると、イシイジロウ氏が重なっている。ゲーム開発を主戦場とするクリエイターのようだが、いくつかの記事をあわせて考えるとどうやら自分はこの人の感性が苦手なのではと思われる。好きな作品で共通のスタッフが居るように、がっかりと感じる作品で共通してくるスタッフも居るのだなあ。多分、避けるべきなのだろう。

 

 

2020年10月16日金曜日

ケープ・フィアー

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☆☆☆☆
~ロバート・デ・ニーロ48才の肉体美~


 1991年アメリカ。ロバート・デ・ニーロ主演のマッチョおっさんの嫌がらせ復讐劇。
 1962年の「恐怖の岬」のリメイクということで、オリジナルの役者が何名もカメオ出演。犯罪者が警察官になったり、なかなかしゃれた配役となっておるらしい。
 

 マックス・ケイディは16才の少女に対する暴行障害による14年の服役を終えて出所。刑務所での日々は非常に辛いものであり、それに耐えるために文盲を覆して読書家になり、体を鍛えて筋骨隆々になっていた。
 マックスは当時の担当弁護人サム・ボーデンが弁護業務に手を抜いたために長期服役になったと思い込んでおり、14年の間に復讐の念が凝り固まった危険な人間としてサムの前に現れた。
 犯罪すれすれ、もしくは露見しない犯罪による嫌がらせをくり返して、サムに迫っていく。やがてサムの娘の存在を知ったマックスは演劇授業の講師を偽って娘に近づき、15才の少女の好奇心につけ込んでその心の中にまで忍び寄っていた――。

 ぎっちり張り詰めた全身の筋肉。体中に彫り込んだまがまがしい入れ墨。当時48才のロバート・デ・ニーロが演じるマックスの必要に応じて知性と粗野を切り替える犯罪者の存在感がすごい。こんなのが側に現れたら百戦錬磨の弁護士も狂気に染まっていくだろう。さすがだなと見ほれてしまう演技。
 
 しかし、作品全体としてみると感情移入できる登場人物が誰もいないのが辛い。弁護士サムはマックスに恨まれても仕様がないような状況だし、インテリらしい他力本願の卑怯な手段ばかり使ってとても応援できない。娘はこまっしゃくれた生意気さで、うかうかと危険に入り込んでは無自覚に周囲を危険におとしめていく。えらい目に遭うと嬉しくなるほどのヘイト稼ぎキャラ。他に弁護士仲間や警官、私立探偵まで出てくるが、応援したくなる人物は居ない。彼らに比べれば適役であるマックスの方がまだ応援できる。
 サムの妻リーが娘を想う気持ちからけなげに体を張るシーンがあり、そこだけがまともな人間に感じた。
 誰にも肩入れできない映画という物は、本当に視聴者が孤立して寂しくなる。どんなに名演技をされてもこれでは楽しむことは出来ない。
 
 マーティン・スコセッシ監督による演出もどうもいまひとつ。高速ズームインによるカッティングが多用されているが、まあ、今見るとコメディっぽく感じてしまう。最近インドドラマのズームインをくり返すこてこての演出(「インドドラマ くどい演出」とかで検索すると引っかかるよ)が一部で話題になっているが、その源流はここなのではないかと思うほど多様されている。
 
 知的な犯罪者が弁護士を合法的に追い込んでいく様が見事だったので、暴力路線に切り替えずにそのまま復讐完遂して欲しかった――。
 

 

2020年10月13日火曜日

屋根


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~イタリア・ネオリアリズムでおすすめの1本~
★★★★

  1956年のイタリア映画。イタリア、ネオリアリズムの代表的な監督の一人ヴィットリオ・デ・シーカによる名編。デ・シーカは「靴みがき」「自転車泥棒」が有名だが今作は不思議なほど評価が低い、というか評価がない。知名度がものすごく低いのである。DVDも出ていないためVHSから落とした映像で鑑賞。

 大戦後まもなくのイタリアは復興の道半ば。住宅の建築ラッシュとなっているが、多くの民衆には手の届かない存在である。
 工事現場で働くナターレと住み込み家政婦のルイザはローマで出会い、まだ結婚は早いという周囲の言葉を振り切って結婚式を挙げる。新居の用意もなくナターレの実家で同居を始めるが、すし詰め状態の暮らしはプライバシーもなく、姉の夫が世帯主となっているため肩身が狭い。ナターレと姉夫との言い合いは喧嘩に発展してしまい、二人は荷車一台分の家財を持って家を飛び出る。自分たちの住処を見つけようと躍起になって探し歩くが、この時勢なかなか良い話があるわけも無い……。
 そんな中、空き地に既成事実として家を作って住んでしまえば、簡単には立ち退きさせられず実質的に定住が可能だと知る。家の条件はきちんと壁で囲まれており、屋根がしっかり乗っていること。その場で押し崩せるようなものでは警官に追い払われてしまうため、煉瓦でがっちりと組み上げなければならない――。
 作業時間は警官の夜のパトロールが終わってから翌朝また訪れるまでの、一晩。
 ナターレとルイザは全ての財産をかけて材料を購入。職場の仲間を募って一世一代の計画に飛び込んでいく――。


 
 ネオリアリズムの特徴は可能な限りセット使わず、また役者を使わない事。実際の場所で演技ではない演技を撮影、そこに生まれる実在感を追い求めていく。もちろん物語もリアルを追い求めたものとなり、戦後の苦しい庶民生活を活写したものとなる。様々な困難に心折れながら、それでも人生はそういうものだとどこかカラッとした生きる力を感じさせる悲劇。絶望の中にひとしずく落ちる希望といった印象の物語が多いと思う。
 今作も主演の二人はじめほとんどの出演者が役者ではない市井の人々であり、セットが使われているのは車の中の撮影くらいであろう。お金も住むところもなく、若さから来る思い切りの良さだけを持つ夫婦の姿にはハラハラさせられ、いかにもネオリアリズム的結末を迎えそうであるが、なんと今作は――。

 「道」「自転車泥棒」などでネオリアリズムの洗礼を受けた後に今作を見れば、その特殊性が非常に分かりやすい。悲劇的なネオリアリズム作品も今作も、描いている主題は人間の営みとそこにある様々な形の愛情だと思う。ツンデレのように悲劇でそれを描いたのがネオリアリズムであるが、ただただ直球のこういった作品があっても良いではないか。
 名画だ名作だと肩肘張らず、ただ「いい映画だよ」と万人に勧めることの出来るとても幸せな作品。
 
 ちなみに数少ないが職業役者も出演しているらしく、いかにも嘘っぽい仕草を見せる意地悪隣人がそうではないかというのが師匠(うちの社長)の見解である。素の反応で登場人物になっている素人達の中で、役者が演じる人物は絶妙の嘘くささを醸し出すのだという。確かに他の登場人物から浮いて見えていた。

 

 

2020年10月12日月曜日

TENET

※アマゾン商品(パンフレット)へのリンクです。

~映像の圧倒的説得力~
★★★★★


 2020年。クリストファー・ノーラン監督による時間反転SFスパイ映画。
 

 ウクライナのオペラ劇場で「プルトニウム」の争奪を目的としたテロが発生。
 CIAに所属する主人公(名もなき男)は目標物の確保に成功するが、それはプルトニウムではない謎の金属塊であった。
 その後敵勢力に捕らえられ拷問にかけられるも、口を割る前に服毒に成功、自死をもって機密を守った――。 
 目が覚めると一連の経緯はとある活動に従事するためのテストであり、それに合格したと告げられる。
 目的は「世界を第三次大戦による滅亡からすくう」こと。続いて明かされたのは、未来から時間を逆行する物質が現在に送り込まれているという事実。
 複雑に入り組んだ二つの勢力の戦いは規模と混迷を拡大させていく――。

 導入やあらすじからこの映画の魅力を想像するのは非常にむずかしい。物語が複雑で面白さを説明するにはその全てを並べ立てる必要があるのだ。これはノーラン監督の作品全般に言えることで、上映時間中積み上げて積み上げて辿り着く場所(物語の頂上といえるクライマックス)からの絶景が1番の魅力であり、それを伝える有効な方法がないのだ。こういう作品が好きそうな人に、ぜひ見て欲しいと信用買いを薦めるしか手はない。
 なので、このようなブログの文面を読んでくれているあなたに、こう伝えるしかない。
 
 これは見るべき映画だ。
 
 最も伝えたいことは↑なので、ともかく騙されたと思って見て欲しい。おそらくこれ以上何を書いても、この作品を前情報無く最大限楽しむという経験を損ねてしまう。この作品は宝物のような存在で、そうそう出会えない特別な作品である。
 以下に視聴したくなるような要点だけ列記し、詳しい内容は書かずにおきたい。
 ぜひ最低限の情報だけで、この「映像体験」を満喫して欲しい。
 
 ①「時間移動」の新たな定義の新発明とそれに直結した映像表現

見慣れたはずの映像が複数重複することで生まれる、これまで誰も見たことのない異様な映像体験。

 ②作品自体がパラドックスであり、伏線の塊

考えれば考えるほど頭がおかしくなりそうなタイムパラドックスの酩酊感。正解は不明なのに、浮かび上がり、最後に心に残る金の砂粒。

 ③入り組んだ物語を分かった気にさせる様々な映画的技法

嘘の世界を現実と遜色ない体験とする、映画が持つ強い力。「なんでもCGで描ける」を越えた、説明でなく、心に投影される映像。

 いつになるか分からないが、もう一度見る機会を得た後、上記項目について詳しく書きたいと思う。

 

2020年9月24日木曜日

文豪とアルケミスト~審判ノ歯車~

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途中で見るのをあきらめた作品
 ※最後まで見てから評価すべきなので評価なし。
 ※あきらめた理由を書きます。



 二話まで視聴してやめる。
 以下推測の多い文面なので、事実と違う事も多いかも知れない。
 作品感想というより、作品を見て関連事項に対して放談したものと思って読んでいただきたい。
 
 
 2020年のワンクールアニメ。ゲームを基にしたアニメ作品だが物語を基盤としていないキャラクター偏重の、いわゆるソシャゲ的なゲームがもとになっているのでアニメーション作品にするのは非常に大変だったろうと思う。自分はそのゲームをプレイしたことはないがこういったゲームは先例に倣ってつくられており、おそらく『艦隊コレクション』『刀剣乱舞』のコピーゲームだろう。会社が同じだし、エンジンを使い回してキャラクターだけ取り換える手段はソシャゲ勃興以降当たり前の手法になってしまった。ゲーム開発者としてはモチベーションを保ちにくい作り方だが、有効な面も多い。一つ一つの作品に新たな発明を組み込んでいくのがゲーム業界の発展の礎であり、開発者の矜持だと思うが、それが縛りになるのも良くない。様々なアイデアが検討、実証され業界も40年近く(うちの会社が老舗でそのくらい)の年月が流れたのだから、「独創的なオリジナルアイデア」もそう簡単には出てこない。


 今作は芥川龍之介や太宰治といった文豪をモチーフにつくられており、彼らが著した作品を浸食する敵対勢力に対して、転生して美少年となった文豪が立ち向かっていくという設定。先に挙げた刀剣乱舞の場合は名刀を擬人化したキャラクターとなっており、ゲームを入り口として日本各地で刀剣に興味を持つ女性が増えたという。美少年をフックとし、コンテンツの奥深さは刀剣本来が蓄積してきた歴史につなげることで確保というのがうまい立て付けだ。

 キャラクター偏重のゲームは、それに対して興味を持ってくれた顧客(一言でいえばファン)に絶えることないコンテンツを供給することが何より重要である。ゲームの楽しみがそこなのだから当然だ。そのキャラのストーリー、ステージ、衣装といった燃料をくべて、顧客の情熱を燃やし続けるわけだが、安定したコンテンツ供給はとても大変である。最も簡単なのはいわゆる新しい絵柄のカードを追加すること。これなら画像さえ用意できれば良いので作業工程が短くて済む。水着やハロウィンといった季節に合わせた衣装をまとった絵にすれば物語性をある程度持たせることも出来る。これがキャラクターのエピソードともなれば、作業量は一気に膨れあがる。内容を決め、シナリオを起こし、ボイスが必要なら収録。素材がそろったら表示イラストや文章、演出効果を組み合わせてキャラ劇を作成していく。戦闘に関わる追加コンテンツならキャラクターモデル、モーションの追加にはじまりパラメータの設定、入れ込み、テストとさらに大変だ。

 こういったコンテンツの深掘りを可能とする良い手段が、「そもそも存在する事物と接続する」ことである。ゲーム運営側が新しいコンテンツを矢継ぎ早に出さなくとも、本来が持っている情報にアクセスしてもらう時間分余裕をもつ事ができる。一気に燃え上がって終わりではなく、長い時間じっくり楽しんでもらう(お金を出してもらう)鍋帽子的な煮込み料理運営スタイルだ。運営が執れる手段も多様になる。「刀剣乱舞」は刀剣だし、「艦隊これくしょん」は世界の軍艦。一時期はやった(今も、これからも継続されるだろう)「事物の美少女化によるゲーム」はこの効果を狙った点が大きい。

 さらにキャラクター作成においても開発側の負担を低減し、クオリティの安定化を図れるというメリットもある。一からキャラクターを作り上げるのはそもそも非常に大変である。これを対象事物の情報をとっかかりに作れるだけでオリジナリティの面でもゲーム内容との結びつき的にも望ましい効果が生まれる。たとえば非常に燃費の悪い戦艦を擬人化すると、大食らいですぐにお腹の空くキャラになるし、悪神を倒した伝説を持つ刀であれば、正義の心を持った英雄的キャラクターになる。どの情報を生かすかの取捨選択、他のキャラクターとの差別化などそれはそれで別のセンスが必要だろうが、取っつきやすいのは確かだ。


 さて、今作では「文豪」をモチーフにしており、なるほど彼らが持つエピソードは興味深いものが多い。著した作品も当然ながら本人にも勝る知名度と内容深さを持っている。ただ非常に苦しいのが、擬人化ではなく「本人の置き換え」になっているということだ。そして文豪は歴史上の人物というより近現代の存在なのだ。きちんと写真も残っており、事細かな(望む望まぬに関わらない)情報も存在する。美少年に食い付いて調べたら小汚い(写真古いですし)おっさんにたどり着いた場合、ファンは少なからず冷めてしまうのではないだろうか。反対に文豪にある程度のイメージを持って(国語の教科書に写真が載ってたなど)今作に触れた場合――自分はこの立場だが――よく分からんRPG風の衣装を纏ったこいつは誰やねん、ということになる。中原中也や太宰治などは人道を外れたエピソードばかりなので、それを背負った彼らにははじめからマイナス印象となってしまう。「芸術家と生み出された作品は別」というスタンスをとることで文豪のマイナスエピソードを封じ込めている読者にはなかなかつらい。

 実在の人物をキャラクター化するという手法をとっているゲームは多いが、近現代の人物を取り上げている例は多くない。その人物の本来のキャラクターが明白でありすぎるため、創作で勝手に埋める部分が減ってしまう、もしくは実際と創作のキャラクターがぶつかり合ってしまい、マイナス効果が生まれてしまうのだろう。

 さらに不思議なのはせっかくの文豪、せっかくの名作文学を題材としているのに、その作品自体を生かせていないのだ。名文の一節も朗読して作品の雰囲気を借りれば良いのに。また、改変されつつある作品世界なので、元のお話しとはどうやら異なった状況のようなのだ。第一話の「走れメロス」くらいならあらすじを知っているので改編されようとしていることが分かるのだが、第二話の「桜の森の満開の下」は読んだことがなく、どういう内容かも分からないのに知っている前提で話が進む。知っている者は改編に腹が立つだろうし、自分のように知らない者には元がどういう話なのか分からず戸惑うばかり。あらすじを冒頭に語るなどしてフォローして欲しかった。著作権の関係でそれが許されないのだろうか? 作者本人はあんなに好き勝手に扱っているのに?

 一体誰に向けて作られた作品なのか、ゲームのファン向けといってしまうならあまりに閉鎖的でメディアミックスの意味が無いではないか――。


 今作はこれらのマイナスが積み重なることで視聴を継続するのに忍耐が必要な作品となっており、自分は二話でくじけてしまった。



ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記

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※古い感想に追記をした記事です。
★★☆☆☆
~キラキラした飴玉たち~

 2007年の米映画。我らがニコラス・ケイジ主演のわずかに知的な雰囲気謎解きアクションコメディ。馬鹿映画なのだと思ってみた方がいい。

 歴史学者ベンのもとに古美術商のウィルキンソンが訪れる。彼がベンに見せたのはリンカーン大統領暗殺事件の犯人ジョン・ウィルクス・ブースの日記の失われた18ページだった。そこにはベンの祖先が暗殺事件に関与していたという記録が残っていた。ベンは、歴史的な遺産に隠された数々の暗号を解読しながら、一族にきせられた汚名をそそぐべく真相の究明に奔走する。<WIKIPEDIAより

  ヒントの連鎖をたどる宝探しが展開されるが、ひとつひとつの謎は孤立しており全体としての意味はない。これを製作者も認識しており、何と終盤では謎の提示や解法の説明をはしょりだす始末。なかなか画期的。
 どんな謎なのか良く分からないのだが、登場人物が悩んでいるから、ああ、謎に突き当たったのかと理解。分かったぞ! と叫んで仕掛けが動いていくから、ああ、解けたんだという具合。よく見たらそうでは無いのに何となくイケメンとして認識されるという「雰囲気イケメン」という言葉があるが、今作はまさに雰囲気謎解き。

 突っ込み所や謎のバカバカしさは、とにかく次の展開を見せることで置き去りにし、先へ先へと進んで行く。つまりは駄菓子屋の飴玉詰め放題でぎちぎちになった袋がこの映画。パッケージングのうまさは特筆されるべきで、際立つのは編集のうまさ。特典映像に未公開カットが沢山入っていて、それを見ればわかるが、意味不明になっても見ていて気にならないようにうまいこと編集された結果がこのテンポの良さなのだと理解できる。

 前作も同じようなテイストなので、このスタイルは狙って作られた物なのだろう。そういう意味では見事な続編で、更なる続編も劇中に予感させる。2020年時点でようやく3作目の立ち上げに動いていることが報告されたが、ニコラスがんばれるのか……。
 ともあれキラキラワクワクの詰まった飴玉の袋は家に持ち帰ってみると手に余り、忘れ去られていつか融けてしまう。この作品も、心に残り長年の価値を生むたぐいの物ではないが、一過性のときめきを楽しむのもれっきとした映画の魅力であり、大人向け「グーニーズ」と思えば実に楽しい。

2020年9月4日金曜日

タイトロープ

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★★★☆☆
~性と愛と罪~


 1984年の米映画。クリント・イーストウッド主演のセクシャル刑事ドラマ。 
 
 

 ニューオリンズ 市警殺人課のウェス・ブロック刑事は離婚後、アマンダとペニーという2人の娘と暮らしていた。歓楽街フレンチ・クォーターで働く赤毛の娼婦が殺された。娼婦は手錠をはめられ、前後から犯された上、赤いリボンで首を絞められていた。美女殺人の2人目の犠牲者だった。<WIKIPEDIAより>
 

 暴力機械としての警察、その最前線に立つ男が狂気じみた暴力にさらされる女性と子供を保護するために奔走する。犯人は性風俗に関わる女性ばかりを惨殺。それを追うブロックも次第にその狂気にあてられていく。お金を払うことで女性をものとして扱う権利を得る様々な性産業を目の当たりにしながら、同時に彼女たちを守らなければならないという社会的な要請、つまりは本能と理性に挟まれて主人公は懊悩する。離婚して男やもめになった女ひでりという設定もなかなか熱い。まさに張り詰めたロープの綱渡り。


 女性を性犯罪から守る啓蒙活動を仕事とするベリルというヒロイン役が出てくるが、本作における真のヒロイン(達)はブロックの幼い二人の娘だろう。性的欲求と切り離された愛情。守りたいと願う純粋な気持ち。まだ幼い次女とローティーンほどに見える長女(家事全般をこなしているので言動が大人びている)、そして成熟した女性としてのベリル。年齢を埋めるようにして配置された女性陣、それを襲おうとする男(犯人)と守ろうとする男。子供を息子にせず二人とも娘にしたあたり、男と女の立ち位置の違い、隔絶と理解をテーマにしているのだろう。


 犯人を特定して徐々に追い詰めていくわけだが、特にミステリー要素はない。最初の現場から「怪しい足下」として犯人は登場しており、各所でも同じように示される。「近くにいてブロックの様子をうかがっている」ということをねっちり積み上げていく手法で、得体の知れない者が具体的に近くにいるという緊迫感を盛り上げている。細かなミスリードというか、気の利いた演出を各所に盛り込んでおり映画演出の才能を感じさせる。
 特に記憶に残るのは犯人が扮したピエロがブロックの次女に風船を手渡すシーン。風船を持ったままブロックの元に戻っていく娘。それを凝視するピエロ。なにかの弾みで手を放してしまい風船は屋根の上へと舞い上がっていく。視線で追う登場人物達――。そうは見えないのだが、爆発物など何か仕掛けがあるのではと勘ぐってしまうカメラワークで、結局何も起こらず風船は舞い上がっていく。物語としては進展のない緊迫感を積み上げるシーンなのだが、それだけではないロマンを感じる。犯人としては自分の獲物を近くからじっくり見定めようとしたのかも知れないが、舞い上がった風船を目で追う間、犯人も狂気から解放された普通の人間だったのかも知れない。本来子供らしさを象徴するふわふわとした風船。そのとなりに猟奇的、性的な存在を配置して奇跡的なバランスをとっている、これぞセンス・オブ・ワンダー、名シーンだと思う。


 午後ロー枠での放送を見たのでひょっとすると性的描写はもっと激しいものだったのかも知れないが、作品としては過不足ない分量だと思う。
 全体に重々しく陰鬱でデビット・フィンチャー監督の『セブン』と同じ空気を纏っているが、着地点はこちらが遙かに人道的でむやみに傷つけられることもないので薦めやすい。セブンは気になっている女性と見に行って最悪の雰囲気でそのあとお茶した記憶があるが、こちらはこちらで性的な描写も多いので気まずさは同じくらいだったかもしれない。
 
 

2020年8月17日月曜日

カンフー・ヨガ

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 ☆☆☆☆
~CG合成が実写の魅力さえ打ち消す~


 2017年の中国とインド合同制作のアクションコメディ。題名の表すとおり、二つの文化の折衷をしようとしたような内容でそれぞれの文化がカンフーと全員ダンスの形でフィーチャーされているが、非常に表層的。

 中国の歴史研究者ジャックのもとにインドの大学教授アスミタが訪れる。貴重な地図を持参し、それが指し示す遺跡を一緒に探して欲しいと言うが――。

 話しはおまけにもなっていない添え物であり、きちんと理解しようとしない方が良い。シチュエーションだけを追い求めるコメディなのだ。貴重な地図を乱雑にカバンに押し込めていることからも、きちんと世界観を表現としようという気はまるでないことがよく分かる。


 冒頭10分ほどがフルCGの大乱戦シーンとなっており、出来はともかく派手。ゲームの無双シリーズみたいな映像が展開される。その後も全編にCGによる背景、合成が行われ、ビビッドな色調に統一された画風は美しいが、アクションもどこからどこまでがCGなのか分からない状況なのでジャッキー・チェンのよって立つところである実写実演の力を大きくそいでしまっている。実写と思えるところもテンポ良くするために容赦なくコマ落としされており、それがまた粗雑なコマ落としでカクカク跳んで見える始末。実写とCGの合成技術レベルは高く、違和感を感じるシーンは少ないが、結果それなりのアクションシーンが展開されるだけですごみがまったく感じられない。逆説的ではあるが、実演による緊張感や迫力というものは確実にフィルムに焼き付くものなのだという証明になっている。


 ジャッキー以外の出演者はミュージシャンやモデルあがりのきれいどころが並び、一見華やかだがこれまた個別の魅力に欠け、ごっこ遊びの域を出られていないように感じる。さらに、どうも全ての登場人物を平等に扱う縛りがあるのかエピソードが分散してキャラクター全員が薄味に。脇役は脇役であるからこそ主役が引き立つのだなと、これも逆説的に明示されている。


 国同士の関係が非常に悪い中国とインドが合同で映画を撮るということはそれだけで価値があることだと思うが、描きたい内容ではなく制作上の条件ばかりが積み重なって全てを満たすために作り上げられた作品という印象。誰もこの作品を本当につくりたくはなかったのではないだろうか。そんな疑念が湧いてくるほど無くても良いシーケンスに満ちあふれている。こういった根本的なコメディをまじめなアクションで進めていくというスタンスはそれこそジャッキーの初期カンフー映画を思い出させるが、実写実演の魅力がバランスをとっていたのだ。その魅力がない本作は底抜けでとりつく島もない脱線コメディになっており、虚無を感じさせる。


 昔からジャッキー・チェンの映画を楽しんできた身としては、さしもの彼でももうアクション映画はきついなあと感じつつ、他の若手と比べても一番魅力的な動きを未だ保持している点が嬉しかった。

ホワイトハウスの陰謀

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★★★☆☆
~信念に基づいた各人の行動~

 1997年の米映画。ホワイトハウスを舞台とした殺人事件解決アクション。
 

 米兵が北朝鮮に拉致され、政府の対応を巡って内外でさまざまなぶつかり合いが生じている緊迫した事態の中、ホワイトハウス内で女性職員が刺殺されるという事件が発生。捜査担当として現場たたき上げのリージス刑事が派遣されるが、シークレットサービスは証拠を故意に隠蔽。状況証拠からルームクリーニングの男性が逮捕されてしまう。真犯人を捕らえるためにリージスの奮闘が開始されるが、誰が味方で敵なのか、ホワイトハウス周辺の権謀術数に巻き込まれていく――。

 原題は『Murder at 1600』。1600はホワイトハウスの番地のことで米国人ならパッと分かるのだろうか? そうでもないような気がする。主人公リージスを演じるウェズリー・スナイプスは映画『ブレイド』で有名。今作でも小気味よい体の動きで目を引く。1997年の作品だが今見ても古くささは感じない。というか、北朝鮮との関係は四半世紀たっても大して変わってないのだなあと思う。ホワイトハウスという歴史的建造物を舞台にしていることも古びない一因だろう。すでに古いから、これ以上古びないのだ。こういうレトロ感をあまり感じさせない中にあって、唯一強烈に時代感を押し出すのがVHSのビデオテープ。結構重要な証拠として使用されており、前面に押し出されてくるので目につくというのもあるが、使用したことのない人にはどのように映っているのだろうか。


 本作で印象的なのは敵が誰なのかが判然としない状態での物語進行。リージスは同僚数名しか信頼できる仲間がおらず彼らも途中で脱落していく。周囲の全てが敵の状況なのだが、敵全体が一枚岩なのか、複数勢力なのか、どこで切り分けられているのかがなかなか分からないのが面白い。追っても追ってもたどり着かない蜃気楼のような敵に対して諦めることなく突き進む姿は、分かりやすく魅力的だ。
 テンポ良く状況が移り変わり、その中で緩急も適切に。決まり切ったロマンスは香り程度に止めて、あくまで自分の信念を貫いていく。主人公以外もおのおのの信念を持って行動している事が感じられ、敵にも一定の敬意を払いたくなる。
 バディ刑事物として非常に楽しめるエンターテインメント映画。

2020年7月29日水曜日

ゾンビランド

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★★★☆☆
~ボーイ・ミーツ・ガール ゾンビ映画~

 2009年の米映画。ゾンビ物だが陰鬱にはならないゾンビワールド朗らか珍道中。
 

 狂暴になり人間に対して食欲を湧かせるゾンビ化ウイルスがあっという間に世界に蔓延。わずかな生き残りが各地で孤軍奮闘する状況となった。
 大学生のコロンバス(人物全てが地名の仮名を名乗っている)は引きこもり体質を活かしてテキサスの街で生き残っていたが、実家にもどってみようかと思い立ち旅に出る。徒歩で向かう道中ゾンビハンターとも言える屈強な男タラハシーに拾ってもらい、彼の車に同乗。途中さらにウィチタとリトルロックの姉妹と出会い、姉にコロリと恋に落ちるがゾンビ以上に一筋縄ではいかない相手だった――。

 ゾンビという題材はあれこれと都合が良い。どんなに残虐な表現をしようが人間ではなくモンスターなので、倫理機関の審査を通すに有利だ(これはゲームでもまったく同じ。人間で無ければ良いという解釈で切り抜けることの出来る制限は大きい)。物語としても前提を共有しやすく、理由や救世の展開を用意する必要もない。非常に大きなゾンビ映画という枠の中で、他のゾンビものとの違いを表現することに注力すればよく、ともかく取っつきが良い。これはラノベの異世界転生ものが蔓延したのと同じ理屈だと思う。


 今作の特徴的な部分は映像のスタイリッシュさと、人間関係を非常に狭くとどめて、その中でのやりとりに終始していることだ。主人公は己の決めた「ルール」を守ることで生き延びており、そのルールをテンポ良く言葉と画面で示していくのが冒頭となっている。しかし、この映画はそのルールに絡んだやりとりを主体にしたものでは決してなく、これはつかみに過ぎない。なにせ三十以上のルールが存在するというのに、実際に出てくるのは十にも満たないのだ。本筋は「陰気なオタクが情けないながらもがんばって、高嶺の花をゲットする」という分かりやすい青春映画である。本来なら重ならない、異なるカーストの二人を同行させ、アピールチャンスを与える必然性をつくるのに「ゾンビ」が使用されているという形。彼の付和雷同と無駄に強い女性崇拝の姿勢に自分などは大いに共感できるが、ただただ情けない主人公に腹が立つ観客もいるだろう。そこに当てはまってくるのが短絡的だが即断即決でゾンビをなぎ倒す狂戦士タラハシー。アクションの爽快感を彼が担保することで映画全体のバランスが取られている。
 実際コロンバスは対ゾンビ戦においてあまり活躍しないが、パーティーをまとめる人物としての発言を要所で行い、最後には自分が固辞していたルールを打ち破る。己の殻を破るという成長を見せることで彼は主人公たり得ているのだ。
 
 
 行きすぎたスプラッタはギャグに繋がることはゾンビ映画「死霊のはらわた」(サム・ライミ)や「ブレインデッド」(ピーター・ジャクソン)を見るとよく分かるが、今作はスプラッタの方向ではなく、ゾンビ達の単純で懸命な行動の様子と、それに対する人間達の合理的で割り切った態度がコントラストとなって笑いを誘う。単純に追いかけてくるゾンビと距離を取るために延々駐車場をグルグル走ったりするのだ。引いた視点での滑稽さを押し出したコメディだと言える。
 「ゴーストバスターズ」主演のビル・マーレイが本人役で出ており、上滑りしがちなこの手の「本人役出演」の中ではかなり楽しいシーンを見せてくれる。ゾンビ映画をあれこれ見るのであれば、これもそれに加えておいて損はない。

2020年7月21日火曜日

博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか

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★★★★
~コメディのような本物の世界で~

 1963年の米映画。巨匠スタンリー・キューブリック監督による世界滅亡シミュレーションコメディ。
 本作は白黒であり頻出する戦略攻撃機のシーンは背景の合成クオリティが低いが、これは時代の限界といって良いだろう。作戦司令室や戦闘機内部といったセットを組んだシーンは高いクオリティとなっている。
 原題は「Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb」で、直訳すると「ストレンジラブ博士 または~」になる。なので「博士の異常な愛情」はトンチンカンな訳だが配給会社がわざとこのような題名にしたようである。確かに「Dr.ストレンジラブ」という題名よりはインパクトがある。珍奇な題名の映画であるが、その内容はリアルな着想に基づく冗談に出来ないブラックジョークである。


 東西冷戦が極限まで高まった1960年代。とどまることのない核開発が続く中、24時間体勢で核攻撃に備える米軍戦略爆撃機B52にソ連の核ミサイル基地への核攻撃の命令が下る。しかもそれは本土が攻撃された際に発動する報復攻撃の計画であり、それぞれの爆撃機は特定の暗号通信にしか反応しない自閉症モードへ入った。ソ連は核攻撃を受けた際、地球全体に100年の核の冬をもたらす最終報復設備を整えたところであった。もはや核攻撃を止める手段は限られる。滅亡の危機を迎えた人類を救うべく最高司令室での会議は続く――。


 なんだかんだいって映画は作られた時代の状況を反映する。映画のフォーマットや合成精度といった技術的、基材的なものもそうだが、社会状況の影響を受けないわけには行けない。最近なら人種や性別が偏らないように病的な圧力が高まっている。この作品がつくられた当時最大の背景はアメリカ、ソ連を中心とした東西冷戦であり、核の抑止力の倍々ゲームである。お互い止まるきっかけをもてぬまま進んだチキンゲームはちょっとしたことで破裂する風船のような脅威で世界を包んでいた。その際には世界全体が不毛の地と化すのだ。
 当時の観客は我々よりも切迫した気持ちでこの作品を見ただろう。日常と紙一重に存在する破滅の日。登場人物達は最後の最後まで人間らしい愚かなやりとりを繰り広げる。この期に及んで秘書との逢瀬が気になって仕方がない俗物司令官。常識的だが非常事態の非常識にどうにもついて行けない大統領。ドイツから帰化した敬礼と総統呼びが抜けない科学者(これがDr.ストレンジラブ)。司令室の喜劇と対を為すのが決死の覚悟で敵地に向かうB52の乗組員。戦争映画の英雄嘆よろしく破損した機体を操って目的地に飛んでいく。破損によって爆撃地点を変更したり、肝心の爆弾ハッチが開かないのを機長が格納庫まで行って直結したり、戦争映画のような手に汗握るシーンが続くが、これは人類滅亡のための奮闘に他ならない。ついには機長が弾にまたがったまま投下され、カウボーイよろしく歓喜しながら落下するシーンなど、愚かさに笑いが漏れてしまう。既存の英雄物語をひっくるめて喜劇にしてしまうこのシーン、全方位に喧嘩を売っている。

 
 ラストでは巨大な破壊力が生む圧倒的な時間芸術を背景にムードたっぷりのボーカル曲「またあいましょう」が流れる。まったくもってはまりすぎで、人間の営みとその愚かさが愛しく感じられてきてしまう。我々はしょうがない生き物だなあ――。それがコメディの力なのかも知れないが、苦しい状況を他人事のように笑ってしまうことで何か元気が出て来る不思議な映画である。


2020年7月20日月曜日

<小説>カズムシティ

※小説の感想です。 

 ★★☆☆☆
~しっかりしたSF設定に基づく大雑把な探偵物語~


 アレステア・プレストン・レナルズによるSF小説。
 「科学的知識と設定にもとづいたスペースオペラ」と訳者に評されているがなるほど、緻密な設定とそれをあまり気にしないざっくばらんな物語となっている。
 

 微細機械を内包することにより自在に変幻する都市や非常に延長された命を持つに至った人類文明究極の楽園『カズムシティ』。そこを襲った『融合疫』は微細機械を狂わせ、都市をねじくれた奇怪な都市に変えた。人類も微細機械を削除し永遠の命をあきらめるか、病原体から完全隔離された世界に逃げ出すのかを迫られ、さまざまな人間が入り乱れた混沌の様相を呈する。
 別の惑星で愛する女を喪失した主人公は復讐のためカズムシティに辿り着く。街のすさんだ様子と独特のルールを理解しながら、核心へと突き進んでいく――。

 非常に読みにくいSF小説「反逆航路」を読んだ後だったので、サクサク読めてそれだけで気持ちが良い。読書体験という物は読むテンポや気持ちよさも大切なのだなあと痛感する。
 この物語自体大きく3つの時系列がシャッフルされて展開されており、それぞれが行開けのみで切り替わるので混乱する部分も多いが、反逆航路で鍛えられた身としては全く問題がない。閉鎖世界の中で行われる主人公のとんでも悪事に胸が悪くなるホラーテイストの「移民船」編。特異な生命体ハマドライアドの描写が楽しい、復讐の理由が明かされる「ボディガード」編。前者二つを過去の出来事として、それぞれの意味を解き明かしていくハードボイルド「カズムシティ復讐」編。三者三様の楽しさを交互に楽しめるといえば聞こえは良いが、盛り上がってきたところでチャンネルを切り替えられるような不快感の方が強い。好みの問題かとも思うが、せめて章で切り替えるなどしてくれた方が気持ちを切り替えやすい。



 SF的な装置としてはやはり『融合疫』がおもしろい。最先端の科学世界が天から地へ落ちる理屈づけとしても良いし、その後の世界の狂った様子の原因としても魅力的。コロナで世界が一変するのを目の当たりにしている最中(現在2020-07)なので、その説得力もひとしおである。他にもレーザーパルス銃や単分子ワイヤーといった中二ワクワクな武器も数多くでてくるので堅苦しさはまるで無い。むしろ、SFと名のついた探偵小説であり、残念ながら探偵物語としては中の下といった所。困ったら美人が助けてくれるし、特に理由もなく好意を寄せられる。主人公は基本何をしてもうまく出来ない中途半端な存在で、周囲の手助けと幸運の一点で現状を突破していく。あれこれでてくる登場人物や設定もその多くは雰囲気を散らすだけのふりかけで、中まで味が染み込むことなく自然とフェードアウト。何より狂気のように分厚い(1100ページ以上!)物語の果てに、実は誰も幸せになっていないという虚無が後味悪い。


2020年7月17日金曜日

ミッシングID

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★★☆☆☆
~まるで角川のアイドル青春映画~

 2011年の米映画。彼女と青春逃亡劇。
 

 高校生のネイサンは悪友と悪さをしながらも、裕福な家庭で不自由なく暮らしている。しかし繰り返し見る謎の女性の夢、抑えきれない怒りの衝動など、彼自身はティーン特有の悩みを抱えているようである。
 好意を寄せながら疎遠になってしまっていた向かいに住む同級生のカレンとの共同課題に楽しく取り組んでいた折、インターネット上で行方不明となった子供の情報を呼びかけるサイトを見つける。子供の写真と成長した予測CGが掲載されていたが、その一人がネイサンと非常に似ている。サイトへ連絡を取ってみるが、つながった先はハイテクを操る武装集団だった――。

 主人公を演じるテイラー・ロートナーの顔が気になって仕方がない。冒頭に三人の若者が出てきて、がたいの良い厳ついゴリラ顔は脳筋友情キャラかなーと思ったらまさかの主人公でびっくり。会話の中で自分の子供時代の写真を見て、あごが一緒だ! という下りがあり、突っ込み可能のチャームポイントなのか。テイラーは映画『トワイライト』シリーズの主要キャラとして人気があり、狼男役だというのだが、確かにイメージとしてぴったりである。今作の企画自体が彼の人気を中心に据えたもののようなので彼が主演であることはいかんともしがたい。角川のアイドル青春活劇といったところか。

 主人公の出自を巡る冒険となるが、序盤~中盤にかけては誰が味方で誰が敵なのかが分からないスリリングな展開を楽しむことができる。友人の小遣い稼ぎや主人公の受けるフィジカルトレーニングなど、後に続く伏線も丁寧にちりばめられる。主人公も年相応の不良程度で常識外れに強いわけでなく、ヒロインも足手まといにならない快活さ。細かい点かも知れないがこういったバランスが、何か実際の高校生の身の上に降りかかったことであるような雰囲気を漂わせている。
 終盤状況が見えてくると張りぼての仕掛けが霧から出てきたように、設定の無茶具合が目についていたたまれなくなる。本当の父親の立ち回りには腹が立つというより呆れてしまう。それに全てが振り回されていた構図なので作品自体がどんどん安っぽくなっていき、凡百の映画の一つとして終幕する。

 映画の中でアメリカの高校生の様子というのを見る機会が多々あるのだが、実際はどんな感じなのだろうか。
 今作でも親が留守の生徒が家を開放しそこで大パーティーが開かれるという導入から始まる。そこには大学生なども訪れお酒を飲んでプールに飛び込み大騒ぎであるが、本当にこんなパーティーが普通の高校生の体験に含まれるのだろうか? 反対に鬱々としたオタク高校生の様子を描いた映画も多い。一体普通とはどのくらいのラインなのだろう。勝手にこの辺りかなと思うのはサム・ライミの『スパイダーマン』シリーズのピーターの感じ。自分の居場所を守って、その中で好きなことを楽しんでいる感じ。学校カーストの上にあこがれはあるが、それほど重要とも思っていない。良く描かれるダンスパーティなどには無縁。
 邦画の中で普通の高校生の姿が描かれているかというと、確かにそうではない。文化祭の後夜祭なんてイベントもなかったし、本当の姿は洋の東西を問わず基本的にひどく地味なのだろう。それでは映画になりにくいので両極端によるのだと思われ、確かにそうならざるを得ない。
 なんだか寂しい気分になってきたが、自分の高校時代を思い起こせば、一人称で見る全ては圧倒的な臨場感でなかなかドラマチックだったと思うし、同じクラスで間近に見る女子はこの世でもっとも魅力的な存在達だったよ。

2020年7月15日水曜日

その女諜報員 アレックス

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★★☆☆☆
~最悪の邦題~

 2015年の米映画。凄腕美人犯罪者(けっこうドジ)の逃亡劇。

 南アフリカ、ケープタウンの銀行を襲った四人組の犯罪者。
 最先端セキュリティを力業で突破し、貸金庫からダイヤなどの奪取に成功するもリーダーであるアレックスの顔が人質達に見られてしまった。
 国外脱出のための準備を進めるが、貸金庫に入っていたUSBメモリに重要情報が入っているらしく、素性の知れない武装集団に襲われる。どうも今回の犯罪、様々な裏がありそうである。
 アレックスの生き残りをかけた戦いが始まる――。

 ともかく冒頭のつかみが悪すぎる。世界に引き込んだり、作品の雰囲気やフィクションレベルの提示として非常に重要な部分なのだが今作についてはここが一番ひどい。
 銀行襲撃のシーンなのだが犯人達は全身同じ防具に身を包んで顔もまったく見えない。声もボイスチェンジャーで判別不能。謎のLED正面が全身についておりその色が違うためそこで判別しろということなのかも知れないがいやいやそれでは分からん。何人組かも分からん。仲違いの緊迫するシーンもカット割りが良くないので誰がどうしてどうなったかが壊滅的に分からん。
 劇的にアレックスが登場するシーンを演出しようとしているのだろうが、端的にいって失敗しており、それどころか冒頭の横柄な態度が初印象になってしまいネガティブスタートの始末。

 実はこれ以降の展開やテンポはなかなか良い。その判断はないだろうという展開ばかりだがアクションシーンが五月雨に続いて退屈させない。アレックスの素性について判明することで解けていく伏線もあるし、キャラクターそれぞれがきちんと自分のポリシーを持って動いているので生きている感じがする。

 アクション映画としてみると主演のオルガ・キュリレンコがアクション映画の主役としては厳しい。動き自体はそれなりだが、格闘のプロフェッショナルには見えないし、がんばっている一般ヒロインというのがやっとだ。

 最も腹が立つのが邦題。原題は「Momentum」。
 実は2014年に日本で『その女アレックス』というミステリーが日本で発売されてヒットを飛ばしている。この作品と本映画はまるっきり関係がないが、見ての通り見事に紛らわしい題名となっており、2016年に日本で公開されたタイミングと考え合わせても誤認視聴を狙ったものであろう。あまりに糞であるが、弱小配給会社の必死の一手というところか。――にしても本家は映画化もされていないので受けた被害はかなり大きいのではないだろうか。別物だと理解していない人も多いだろう。
 さらに余分に足した「諜報員」がきっちりネタバレで、作品中盤までひっぱている謎をすでに開陳している始末。
 自分の知る限りひどい邦題トップスリーに入りそうである。
 
 結末は続編に続くような雰囲気で「戦いはこれからだ!」となっているが2020年現在では動きがないようで、まあ今後もないだろう。

2020年7月14日火曜日

レディ・プレイヤー1

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★★★★
~オタクのアベンジャーズ~

 2018年のアメリカ映画。ネットワークの仮想空間上での宝探しとそれを巡る陰謀。
 

 2045年の世界はVRで参加する仮想空間体験がメインの娯楽となっていた。
 スポーツも恋愛も戦闘も、全てその中で体験することが出来るゲーム空間『オアシス』。
 感覚や歩行もフィードバックできるシステムを用いて体験する仮想世界は、もう一つの現実となってさえない毎日を忘れるための逃避場所にもなっていた。
 主人公ウェイドは叔母の家に居候する窮屈な生活。スクラップ置き場に作ったオアシスプレイ環境からネットネーム『パーシヴァル』としてアクセスし、友人エイチなどとともにオアシスに隠された宝――三つの鍵を手にい入れればオアシス全ての権利を得ることが出来る――を追い求める毎日だった。
 いつものように鍵の1つが隠されているというレースゲームで、有名プレイヤー『アルテミス』と出会い、その会話からヒントを得てとうとう一つ目の鍵を全プレイヤーで初めて手に入れることに成功。企業として宝を狙う『シクサーズ』はネットの内外でパーシヴァルへの接触を開始した――。

 監督は冒険活劇お手の物のスティーブン・ストラスバーグ。ネットの内外で同時進行する物語を映画的なデフォルメによって分かりやすく見せることに成功している。

 仮想世界に入って活躍する物語は今作以外にも様々な物があるが、人間との接続についての手段は大きく電気的な物と物理的な物に分かれる。夢を見るような形で直接脳に情報を送り込む手段と、現在でも可能となっているヘッドセットをつけて視覚的に仮想空間を見る手段である。
 
 今作は後者で、高レベルな没入感を得るためには環境を整える必要がある。
 最低限はグラスによる視覚とグローブによる両手の触覚だが、全身専用タイツによって体中の触覚を再現したり、足元に全方向に動くベルトコンベアーを設置してその場での歩行を可能にするなどかなり大仕掛けである。どこまでの環境を整えられるかはプレイヤーの財力にかかっており、その点平等ではない。
 グラスをかぶって虚空に向かって手を伸ばしたりしゃべったりしているのは異様な光景だが、作品世界では道ばたでプレイしている人も多く、我々でいえばワイヤレスイヤホンで携帯通話しているようなものなのかも知れない。耳からうどん(エアーポッズ)を垂らしてしゃべっている様子は延々独り言をしているようでどん引きだったが、最近少し慣れてきた……かな。

 電気的接続の場合、本体は寝たような状態で脳に直接感覚情報を送って仮想現実を体感する仕組みになっており、夢と同様現実とは区別がつかないリアルな体験となる。本人はカプセルに入ったり、頭部にケーブルをつなげたり、ベッドで安静状態になっていたりと絵面的には病的といって良いだろう。
 日本のアニメでこの手の代表格はSAO(ソードアート・オンライン)だろう。ライトノベルを原作としており、頭部にヘルメット状の装置をかぶって眠りに落ちる格好。この作品ではゲームをクリアするまで現実世界に戻れなくなるという騒動になっているが、ゲーム世界で主人公は他のプレイヤーと友好をはぐくみ、一人の女性と肉体(?)関係を結ぶまでになる。これはこれで楽しいのだが、常に心配なのが本体の有様なのである。ベッドで寝たきりとなり筋肉はやせ細る。栄養補給のための点滴も必須だろう。そんな末期患者のような本体を差し置いて架空世界で楽しい日々を送っているという状況に自分は違和感を感じすぎて入り込めなかった。作品では現実世界に戻っても大して人相変わらずすぐに動けるようなごまかし方をしていた。
 このように、電気接続は現実との剥離が多すぎて世捨て人のようなイメージになってしまうのだ。

 両者を比べてみると、スマートではないが物理接続の方がまだ好感が持てる。現実世界でグラスかぶってドタバタしている姿が映画の中でも頻繁に描かれるが、仮想空間に没入している人を現実世界から見たおかしさ、異様さをきちんと描く事によって、何でもありの夢のような仮想現実に適度な違和感、ばかばかしさを与えるのに成功している。

 結局今作の肝は、これは原作から同じのようだが、『仮想現実は楽しいけどほどほどに、やっぱり現実は大切だよ』というメッセージなのだ。したがって仮想と現実のバランス、結びつきをきちんと描こうとしており、上記のばかばかしさもその一環なのである。
 この結びつきを重視した演出は他にもあり、仮想世界での大軍同士のぶつかり合いが顕著だ。企業がゲーム要員を雇って大きな体育館のようなところで整列させて戦いに参加しているという状況なのだが、強力な兵器で戦場における一直線のプレイヤーがなぎ倒されると現実世界のプレイヤーも一直線にばたばた倒れる(ゲーム中の死亡なのでログアウトということ)。現実世界の場所と戦場の場所は関連がないので明らかにおかしいが、ともかくつながりが分かりやすい。この「範囲が同じ演出」は都合3回以上は使用されておりまったく念の入ったことだ。
 このような描写は下手をすると興をそぐことになるが、最大と言える見せ場でさくっと折り挟むことで分かりやすさによる気持ちよさが上回る使い方となっており、見事だ。

 最後になったが、本作の見所の一つはアニメやゲーム、映画といったいわゆるオタク趣味のネタが大量に詰め込まれていることである。細かく見ていけば枚挙にいとまがないようだが、主要なものを挙げても「ガンダム」「ゴジラ」「ヘイロー」「オーバーウォッチ」「ストリートファイター」「サタデーナイトフィーバー」「シャイニング」「バックトゥーザフューチャー」といった有名作がゴロゴロしている。これが鍵の謎に絡んでいたり、ちょっとした背景で出てきたり、強力な武器として大暴れしたり……。これはもうオタクのアベンジャーズといったところで、歓喜歓喜である。
 原作小説とは出てくる作品群が異なるようだが、これだけの使用を許可してもらえたのはなんといってもスピルバーグのネームバリューの成せる技であろう。スピルバーグがつくるなら大丈夫だろう、スピルバーグに頼まれれば仕方がないな、というノリに違いない。ヒットメーカーであり、つくる作品は前向きで人を傷つけない安心感。スピルバーグだからこそ完成なしえた作品である。

 小説では続編である『レディプレイヤー2』が執筆中ということであるが、またこの世界を映画で見られるとしたら、とても幸せなことだろうと思う。

2020年7月10日金曜日

マネーモンスター

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★★★☆☆
~序盤のスピード感と展開にワクワク~


 ジョージ・クルーニーとジュリア・ロバーツ主演のテレビ局立てこもり事件顛末記。
 監督が女優としても名をなしているジョディ・フォスター。彼女はキャリアの早いうちからプロデュースや監督業に乗り出しており、はじめは珍しいなと見ていたが、トム・クルーズやレオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピットが同じように主体的な映画制作に乗り出しているのを見ると、俳優として発言力を増した状態でプロデュース側に回るのは適切な立ち回りなのかも知れない。日本でいう「映画監督になるなら歌手になってヒット曲を出すのが手っ取り早い」なのか。
 俳優をすることで映画の作り方を理解し、自分ならこうするのに! が高まっていくこともあるだろう。日本でその手の代表格といえば北野武が筆頭となりそうだ。
 

 おすすめ株などの経済情報を派手な演出のショー形式で見せる人気テレビ番組「マネーモンスター」。
 その司会者ゲイツは自動株取引を行うアイビス社を強く推奨したが、数日後急落。その原因を問い詰めるためCEOウォルト出演のはずだったがすっぽかされる。
 番組の情報を鵜呑みにして壊滅的な損失を出した個人投資家リーが乱入して番組をハイジャック。
 ゲイツとウォルトに真相を正すためだったが、ウォルトはおらず、ゲイツが爆弾で脅されながら事情を解き明かしていくことになる。


 設定だけ聞くとこれは出落ち、人情話に持って行っておしまいかと思いきや、無謀な犯罪の向こうに別の大きな犯罪が見えてくる。また、人情話どころか人間関係の裏側まで見せつけられてどんどん盛り上がるのだが、中盤以降は今ひとつの印象。つながらい単発エピソードがまだるっこしく差し挟まれて失速していく。
 最後も停滞した雰囲気のまま終劇となってしまい、中盤の盛り上がりが素晴らしかった分だけに惜しまれる。
 
 舞台となる株式取引とその扇動番組であるが、株式取引をしたことのあるものなら犯人に共感せずにはいられないだろう。どう考えても株式取引はインチキの世界である。なんだか急に値上がりしているな~と思った次の日に業績に関わる重大発表があるとか、もう当たり前すぎて何とも思わなくなる。インサイダーなど当然といった風情で背広を着た悪人達がお金を生み出す悪の世界であり、個人投資家はいかにそのおこぼれを拾うかに注力するしかない。
 何となくの気分で上がったり下がったり、名前が似ている企業が勘違いで上がったり下がったり……。何か、立派な人がきっちり検討、討議を経て動かしているのが経済なのだと想像していたが、それは御伽話を信じる子供のような思い込みだった。実際はびっくりするくらい適当に動いている。
 証券会社も大概ひどい。自分の使っている証券会社など、便利になったとか手数料がやすくなったと大々的にうたっているが、よくよく調べてみると他の部分でプラスよりもマイナスが大きい仕組みになっていたり、前もってこっそり値上げしておいて、それを基準に安くなったとか、結局高くなっているのにぬけぬけとのたもうて、こちらは怒気がおさまらない。
 別の会社の傘下になった途端このような欺瞞を連発しだしたので親会社の意向なのかと思うが、いかにだますかに身命を賭している姿勢は、こりゃ他の証券会社に移ろうと思わせるのに十分。
 
 こういった気分をエンターテイメントの枠組みで糾弾しようというのが今作のコンセプトの一つなのではないか。
 「お金をなくしても自己責任でしょ?」で片付けるだけでなく、自分たちだけは儲かる仕組みを構築して知らんぷりしている悪漢どもがいるのだと問題提起している。メディアの責任も、それに乗る一般市民の責任も、よく分からない言葉で煙に巻いていく会社の責任も。唯一の答えを出せる問題ではないが、自省しながら、少なくとも家族に言えない悪事を行っていないのかを自省する姿勢が必要だろう

 

2020年7月9日木曜日

インベージョン

インベージョン [Blu-ray]
 ※Amazonの商品リンクです。

 ※古い感想に追記をした物です。
★★☆☆☆
~埋もれていかざるをえない~

 2007年アメリカの眠ってはいけないエイリアン侵略映画。
 病原体としてのエイリアン。姿形は変わらないが内面が別人になって行く、侵食というべき侵略を描く。


 ある日、原因不明のスペースシャトル墜落事故が発生する。空中分解を起こしたシャトルの破片には、宇宙から飛来した未知のウイルスが付着しており、世界中で謎の感染症を引き起こす。ウイルスに感染すると、REM睡眠中に分泌されるホルモンをきっかけにして、人間らしい感情を失った別の何者かに変貌してしまうのだ。周りの親しい者までもが次々と感染し発症していく中で、主人公キャロルは睡魔と闘いながら、解決の鍵を握る息子を探しに行く。 <WIKIPEDIAより>

 主演がニコール・キッドマンとダニエル・クレイグでなかなか豪華な布陣。
 物語はテンポ良く進み、何のストレスもない。ストレスがなさ過ぎる。
 スルスルと喉越しの良い素麺を食べているように難無く楽しむことが出来るので、暑苦しくないSFホラーとしては悪くない。
 半面、物語に心奪われることはないだろうし、長く記憶に残るものでもない。スタイリッシュで、そこそこクオリティの高い、海外ドラマという印象。やがて埋もれて見えなくなる作品だと思う。

 原作はジャック・フィニイの『盗まれた街』という小説で、今作含めて4回も映画化されている。未読だがなにか特別な魅力を持っているのだろう。
 何度も映画化される原作というものは確かにあり、されない作品とどういった違いがあるのか検討してみるのもおもしろそうである。

2020年7月7日火曜日

<小説>叛逆航路

 
 ※小説の感想です。 

☆☆☆☆
~読みにくく、がんばって読んでも甲斐がない~

 2013年(日本語版2015年)のSF小説。
 著者アン・レッキーのデビュー長編で、ヒューゴー賞/ネビュラ賞などの権威ある賞を総なめした。

100人ものクローンが頭脳を接続して群体として機能する、事実上不死の皇帝が収める銀河帝国。
その宇宙戦艦も同様に、艦船AIが数千の人間に上書きされて群体となって任務に就いていた。
その一人であったブレクはある事件を機に他の自分と切り離され、独りぼっちとなって帝国に追われることとなる。
事件の真相とは。ブレクの目的とは――。

 この小説、まずもってとてつもなく読みにくい。主な理由は2つ。

◆三人称代名詞に男女の区別がない
 全て「彼女」で統一されている。
 これは男女を区別しないという帝国の文化を表現(主人公が帝国人)したものだが、3人以上の人物が同席するシーンでの混乱がすごい。
 人称以外の言葉遣いも男女関連ないので、本当に誰がしゃべっているのかが分からないのだ。
 また、小説を読むということは心象を描くことだと思うが、全く絵が浮かばない。立ち居振る舞いも男女という情報によって補完されている割合が非常に大きいのだろう。

◆複数視点を織り交ぜて描写
 物語の設定上、群体の意識は個別であるが統一されている。
 つまり、10人の兵士が街に散らばっていて、それぞれの業務に取り組んでいても、意識は1つなのである。
 これを表現した文体がこれまた分かりづらい。屋外警備を行っている兵士Aのあとに、士官の補佐をしている兵士Aの文章が並ぶのである。
 例ではあるが、「池の湖畔は月に照らされ、風が心地よかった。執務室で私は士官にお茶を運んでいた」といった具合。
 どこにいて何をしているのかが大きな区分なく続けて記述されるのだ。
 
 SFの設定をそのまま作品スタイルとして定着するというのはすごいなと思う。
 男女という情報が読書において非常に大きな情報減である事に気づけたのもおもしろい。
 このような点が各賞受賞に繋がったのだろうと思う。
 
 が、しかし――。
 この作品、かなり人を選ぶ内容なのではないかと思う。
 自分は残念な事にあまりおもしろくなかった。三部作が存在するが、続きは読まなくて良いかな、と思ってしまう。
 絵が頭に浮かばない状態で読み進めるのが本当に苦痛で、引き込まれるというより何とか手を放さずに引きずられていった印象。
 設定はおもしろいが、話としてはあまり内容が無い。現在と過去を交互に描いて謎解き風にしたりと、あれこて分かりにくくしているだけ。
 登場人物も性別不明だと自分は少しも感情移入できなかった。
 
 正直良くこんなにたくさん賞を取ったもんだと不思議に思う。
 新規性がとても大事なのだろうか。
 
 読みにくい原因としてもうひとつ心あたるのは、この訳がとてもまずいという可能性。
 「赤尾秀子」氏が翻訳をつとめているが、他の訳書を見てみるとヴァーナー・ヴィンジの「レインボーズ・エンド」も赤尾氏ではないか。
 この作品、他のヴィンジの作品とまるで異なった印象を持っており、すごくつまらない。そのつまらない感じが叛逆航路とまるで同じである。
 訳として正しいのかもしれないが、意味が非常に分かりにくいのだ。訳者の補完がまるで無い印象なのだ。
 
 原書で読む機会は無いだろうが、別の訳者さんでどうなるのか読んでみたくはある。



 


2020年7月2日木曜日

機動戦士ガンダムF91

 ※Amazonの商品リンクです。

※古い感想に追記をした物です。
★★
~素性のよさが惜しまれる単発作品~

 1995年公開の完全新作劇場アニメ。
 情報量が多いので冒頭あらすじは非常に難しいのだが、最も魅力的な部分に着目すると以下のような感じ。

 コロニーの学校に通う17才のシーブックは別の科の学生セシリーと出会い、その魅力に惹かれた。
 貴族政治を復活しようとする勢力がコロニーを急襲。戦火に巻き込まれたシーブック達は博物館のMSを操って脱出を試みるが、セシリーが敵に囚われてしまう。
 避難先で母が開発に関わったモビルスーツF91と遭遇。その頃セシリーは貴族政治の象徴として祭り上げられていた――。

 オリジナルガンダムの主要メンバー、富野由悠季、キャラクターデザイン安彦良和、モビルスーツデザイン大河原邦男が再結集した新シリーズ……のはずだったのだが、この劇場作品単発となってしまった。
 元々はテレビでの連続アニメとして企画された物らしく、なるほど、人物配置の厚み、背景設定の豊かさなど、如何様にも話を膨らませそうな奥行きある世界を感じる。単発となったのにはあれこれあったようだが、あずかり知らぬ一ファンとしては口惜しい限り。

 実際映画は壮大な物語の序章といった位置付けで、ほとんど謎のままのキャラクターや、これから活躍するのだろうという予感のみのキャラクターが沢山存在する。何しろラストに「これは物語の始まりに過ぎない……」などと明示されているのだから淋しさもひとしお。

 驚嘆すべきなのは、このような状況でも、一本の映画としてなんとか成り立っている点。序盤から話はすいすいと進み、意味が分からなくなるギリギリの高速展開を見せる。普通ならただの総集編になってしまうが、エピソードの取捨選択が非常にうまいのか、重みを失うことがない。どうやら、物語に重要なエピソードだけではなく、味のある部位を入れ込んでいるのが功を奏しているようだ。富野監督は、総集編やPVに特異な才能を持っている
 また、描くべき人物を限定したことで、ラストのまとまりが実際以上にキリッとしている。未来に展望を感じさせるエンディングは、富野監督の作品中珍しい部類に入るだろう。

 しかし、残念だ。

 この内容をテレビシリーズで描けていたなら、物語はもっと豊かな物になっただろう。映画の内容に当たる部分も、より情緒を持っただろう。その形が見たくて仕方がない。
 安彦良和の描くキャラクターは骨太で、バラエティーに富み、掛け替えがない。大河原邦男のデザインも、過去に捕われず野心的で、敵MSのデザインラインはザク以来の発明なのではないかと考えている。

 このように基本褒めてきたが、全体の印象として駆け足なのは否めないし、後半の展開は正直むちゃに過ぎる。それらを考慮に入れても、魅力に溢れる作品だと思う。

 今回何回目かの鑑賞だが、ブルーレイでは初めて見た。作画が群を抜いて良いということが無く、いささか古い作品だったので大して期待していなかったが、そのクリアさと精密さはいくつかの事に気づかせてくれた。
 ヒロインであるセシリーの作画について、多くの場合髪とブラウスに黒の描線を用いていない。また、登場シーンの多くにソフトフォーカスフィルターを使用しており、結果、セシリーの存在が画面から美しく浮き上がる効果を生んでいる。これは彼女の魅力を伝えるためでもあるが、他の人物と異なる背景を持っている彼女の立ち位置を象徴するためのエフェクトだとも思われる。
 このような点に気づくことが出来たのはブルーレイのおかげだ。再見する機会を与えてくれたという点においても、そうだろう。

2020年6月30日火曜日

フェア・ゲーム

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★★☆☆☆
~ちょっと豪華な海苔弁映画~

 1995年の米映画。美人弁護士守護アクション。
 

 マイアミで活躍する女弁護士のケイトは、ある日突然ジョギング中に命を狙われる。事情聴取にあたったマックス刑事とはそりが合わず署を出るが、その夜、マックス刑事の目の前でケイトの家が爆破される。そのまま二人は暗殺集団から逃げるが、途中、護衛にかけつけた仲間の刑事が、次々と殺されていく。<WIKIPEDIAより

 今となってはそりゃないだろうというハイテク描写が多く登場。
 屋外から煉瓦造りの家や列車をのぞき込み人間の位置を確実に表示する温度センサーカメラであるとか、ありとあらゆる所(警察署や民間の警備会社も余裕)にハッキング出来るスーパーハッカーとか――。

 登場人物の行動もよく分からない。スーパーハッカーがいるのになぜか海底ケーブルに結線して銀行のATM回線に入り込む。銀行のお金を勝手に盗むのかと思いきや、自分で預けたお金を引き出すだけ。わざわざ海底にATMを開店させるのはなぜなのか。

 敵組織はロシアの諜報部隊崩れなのだが、「海底ケーブル作業をしている船が離婚裁判の資産として請求されそう」⇒「弁護士を殺そう」という原始人かよという短絡さでわざわざ上陸して襲ってくる。とった手段がプロしか使わない高性能爆薬による家屋丸ごと爆破。なぜいちいち足がつく目立つ方法ばかりとるのか。しかもたまたまベランダに出ていたターゲットには逃げられる始末。
 警察内部に協力者(主人公側から見ると裏切り者)もいるし、FBIになりすますし、ヘリコプターまで繰り出す始末。もう町中で戦車を乗り出しても驚かないくらいのはちゃめちゃ具合だが、ロケットランチャーをぶっ放したりしているし同じようなものか……。
 
 このような荒唐無稽だが映画としては何があってもおかしくないという意味で先が読めない楽しさがある。舞台がどんどん変わっていくのもいい。最もすごいのが爆破シーン。冒頭の家の爆破から最後の船の爆破まで規模が半端ない。CGで補正しているのかも知れないが、1995年の映画であるし、基本実写だと思われる。これは相当気合いが入っている。
 もちろんご期待通りの美人弁護士と辣腕刑事のロマンスもあるしきっちりまとまった海苔弁当という感じ。乗ってる白身魚のフライがとても大きいので満足感もあるよ。

 1986年のスタローン主演映画『コブラ』と今作は同じ原作『逃げるアヒル』を元にした兄弟作品となるらしいが、話はまるで違っておりどういうこっちゃ。

アイ・アム・レジェンド

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 ※古い感想に追記をした物です。
★★★☆☆
~エンディングが作品を軽くしている~

 2007年。米の人類絶滅サバイバル映画。

 とあるウイルスを元にして作られた抗ガン剤は人類に福音をもたらしたに見えたが、ウィルスの毒性が復活。
 空気感染による疫病の蔓延により、9割の人類が死滅。免疫のあった者のみが生き残ったが、そのうちのほとんどが太陽を忌み嫌う人類捕食者『ダーク・シーカー』となっていた。
 主人公ネビルは感染源となったニューヨークでたった一人の人間としてサバイバルを繰り広げる――。

 人っ子一人いない大都会の映像が目に新しい。群集シーンをとるのが大変とはよく聞くが、実在の大都市を空虚にする映像もまた同じくらい苦労したに違いない。
 映像に安っぽさは無く、大作の貫禄を感じるが、それ以上のインパクトはない。基本的にゾンビ映画なわけだが、その他作品と比べても特に目だった点がないのだ。

 一点あるとすればゾンビの頭領といえる存在で、彼が何故主人公をしつこく付け狙うのかというのが興味深い。
 が、そういった全編にちりばめられた関連するパーツをつなげる事なく、それらを台なしにする形で物語は終結する。何とも納得が行かないが、特典にあるもう一つのエンディングを見れば、多少は落ち着くことが出来る
 
 複数のエンディングパターンを製作し、試写の反応で決定するというのはハリウッドで良く取られる手法のようだが、スタッフの本命は「もう一つ」のほうであっただろう。しかし、それが没になった理由もわかる。もう一つのエンディングも、やはりしっくり来ない不安定な物だからだ。

 ともかく、ニーズに合わせてエンディングを切り替えるという手法は、手っ取り早く作品の印象を変えることができて効果的だが、積み上げられた本編と剥離しては意味が無い。きちんと作られた映画ほど、エンディングを切り替えるのは難しいはずで、今作はそういう意味ではきちんと錯乱状態で物語を終えている。


 

2020年6月29日月曜日

レミーのおいしいレストラン

レミーのおいしいレストラン MovieNEX [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー(クラウド対応)+MovieNEXワールド] [Blu-ray]
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 ※古い感想に追記をしたものです。
★★☆☆☆
~全編に不潔さを感じる~


2007年。ピクサーのCGアニメ映画。
料理の才能があるネズミと、才能のない見習コックのコンビが繰り広げるどたばた喜劇。

レミーは今は亡き天才シェフのグストーに憧れて、フランス料理のシェフになることを夢見る“ネズミ”。ある嵐の日、レミーは家族と離ればなれになり、独り華の都パリにたどり着く。レミーはグストーの幽霊に導かれ、レストラン《グストー》へと向かう。<WIKIPEDIAより

演出とアイデアはさすがの完成度だが、何か喉に引っ掛かったように楽しみきれない。キャラクターに感情移入しきれないのが原因だろう。
やはり、どんなに腕が立とうと、四つん這いで走った直後に食材をいじられると、不潔な印象が拭いきれないのだ。
料理人の基本としてあるべき衛生観念がこの映画世界では欠如している。そういったモラルの低下が問題となっている昨今だからこそ、気になってしまうのだ。
それ以外のキャラクターも、どこかリアルに腹黒い。見習コックは結局自分で努力することがないし、伝説の名シェフも金勘定に惑った凡人だった。老婆は殺人鬼のようにショットガンを振り回し、ヒロインも打算的に見えてくる。

結局、各エピソードがアメリカンテイスト過ぎて、日本的価値観では素直に楽しめないのだろう。全体に奇をてらい過ぎた印象で、インパクトを重視し過ぎたために製作者の視野が狭くなっているように感じる。

このような「ずれ」はこの映画がというよりもピクサーの作品のもはや特徴の一つでもあると思う。宣伝に釣られてみてみると、思っていたのと違うかったという内容が多い。

「カールじいさんの空飛ぶ家」はハートウォーミングなノスタルジー物かと思いきやハッスルじじいの大冒険。
「ウォーリー」は置き去られた切なさを復興する物語と思いきや地球よさらば宇宙大冒険。
「ベイマックス」は兄の忘れ形見のロボットとの優しい暮らしと思いきやバリバリのアベンジャーズ。あ、これはディズニーでピクサーじゃない。

ともかく幅広い観客を掴むため、なんでもかんでもアクション大作に持ち込む精神。確かにおもしろいが、なんだか一辺倒だ。