2011年9月7日水曜日

少年メリケンサック

~ヤンキーコメディー~
★☆☆☆☆

宮藤官九郎脚本、監督。宮崎あおい主演のバンド映画。
といってもメインのバンドは解散後数十年が経過した初老の集団。解散ライブ映像がネットに出回ったことで、大きな時差を経たブレークとなった。

宮藤官九郎の脚本らしく、登場人物全員がちゃらんぽらんでいい加減。そのくせ自意識とプライドは過剰と、ヤンキー向けの映画だろう。自分には感情移入できる一人もなく、外国のシチュエーションコメディーを真顔で見る気分だ。

この、外国のコメディーというのはなかなか言い得て妙で、日本のコメディーらしからぬ放り投げた感じがそうさせるのだろう。
自分の認識では、洋画、特にアメリカのコメディー映画は回りに迷惑をかけすぎる。主人公が周囲を信じられないような目に合わせて、大変なことになった相手の姿を笑う。
対して日本のコメディーは迷惑が仲間内で収束する。笑いの根本もひどい目にあった人よりも、ひどい目にあった人に逆襲されてさらにひどい目にあう所で笑うパターンが多い。
もちろん完璧に当てはまる決まり事ではないが、結構うなづける点も多いのではないか。洋画コメディーと言わず、トムとジェリーなどの米アニメーションをイメージした方が分かりよいかもしれない。
洋画コメディーの主人公は、回りを気にしない馬鹿で、邦画コメディーの主人公は、回りを気にしすぎる馬鹿だ。

この映画の主人公は明らかに前者である。
傍若無人な振る舞いに悪びれることなく、回りをひっかき回し続ける。迷惑をかけられる方に感情移入してしまう身としては、いらだたずにはいられない。所々に吐く格好いい言葉も上滑りして物語に根を下ろさない。

極力、好き嫌いをのぞいて考えてみても評価は大して変わらないだろう。宮藤官九郎の脚本はフックに富んだ奇抜で興味を引くものだが、監督としてはひらめきを感じない。各シーンで何を描くのかが茫洋としていて、それらをつなげた各シーンもうまくつながらない。ぶつ切れの日記を見ているような、物語を感じられない内容となっている。
脚本と監督は別の才能がいるのだなあという感想。

2011年9月6日火曜日

コクリコ坂から

※リンクは脚本書籍です。

~見ていません~
未鑑賞

見ずに感想を書くのははなはだ卑怯で無意味な行為だと分かっているが、あえて書き付けておきたい。見た上での感想は、いつかまた追記する機会があるだろう。

脚本を宮崎駿が書き、息子の宮崎吾郎が監督をしたスタジオジブリ制作のブランドアニメーション。
ともあれ宮崎駿がかかわり、ジブリアニメであり、ポスターも印象的。恋物語の雰囲気は「耳をすませば」「海が聞こえる」を連想させる。
映画を定期的に鑑賞する層なら、普通、見に行くだろう。自分も悔しいが興味を引かれずにはいられない。

しかし、自分はこの作品を、見てはいけないものだと感じた。

すべての行動は、世界の有様に対して投じる一票なのだと思っている。
選択の自由を持った状態で、多様な特徴を持つ対象の中、どれを選ぶのか。
分かりやすく例を挙げるなら、安くてそこそこの品と、高いが質の高い品。どちらを選択するのかには、その人の生き様、考え方、望む未来の姿が関わる。その品に対するスタンスを知らず決めて示しているのだ。
一人が何を選ぼうが大勢に影響はない、と言うのなら、その人は選挙に意義を感じない人だろう。確かに一人の影響は小さいが、その集積が決定力を持つことも事実なのだ。
この場合、投票されるのは、貨幣だ。
選挙よりも、組織票や自覚がない分、正味の多数決が行われているとさえ思える。一人で何票も入れられるが、毎日毎日選択し、投票する状況で、そのような行為は時間に紛れていく。

僕は、この映画に対価を支払うことを、観客動員数にカウントされることを、拒否する。
この映画に、貨幣という一票を投じない。

なぜなら、宮崎吾郎監督が前作「ゲド戦記」で犯したあまりに大きな失敗と、それを許して再登板させる回りの人間達の判断は、自分が望む世のありようと、あまりにかけ離れているからだ。

なぜ、皆、ジブリに甘いのか。
ゲド戦記を見る前に感じた期待感と、その後の喪失感をそんな簡単に忘れられるのか。
ただ作品を見ただけでも、おもしろくなかったと感じるだろう。宮崎駿作品との決定的な差異を思い知るだろう。
父と子の葛藤、会社組織のいびつさ、経営者と職人の差異。ジブリの内情を知るものは、それがにじみ出た作品に嫌悪を感じてしかるべきだ。

自分は、宮崎吾郎の再登板を許す、許さざるを得ないジブリと、その内情に同情して温かく見守るファンの生ぬるさに、反対の立場をとる。
そうでなくては、輝きを放ちながら時代の波に消えていった幾百の作品達、幾千の関係者に申し訳ないではないか。

宮崎吾郎監督は、完全に親の七光りである。
彼の立場の困難、積み重ねた努力を知ればそんな風にいえなくなる?
否。
本来許されるべき一回のチャンスを、彼は失敗した。

二度目のチャンスがこのような形で許されること自体、七光り以外の何だというのか。

2011年8月8日月曜日

沈まぬ太陽

★★★☆☆
~たっぷり楽しめる超長編~

3時間22分にわたる超長編映画。テレビでの放映はノーカットで実に4時間枠。良く放送したと思う。

大人の事情はあれこれあれど、どう見ても日本航空や日航機墜落事故がモデルとなっており、その他もろもろも実際の会社内の雰囲気を反映したものであるのだろうと思われる。
自分などは日航の提灯持ち映画かと思っていたため、会社の腐敗っぷりがこれでもかと描かれるのに驚いてしまう。当の日航も気分を害し、映画化に抗議を行ったという。

主人公に渡辺謙を配し、時にエキセントリック、時に自重のきいた説得力のある人物像を描く。労働闘争時代から海外派遣、墜落事故以降の東奔西走と、数十年をたどる大河ドラマの骨子となるのは、かつて親友であり、途中で道を違えた二人の男の人生の交錯。物語を追えば善たる主人公とそれに立ちはだかる悪に落ちた友人となるが、それぞれの立場でそれぞれに抱える問題がきちんと描かれており、感触としてどちらが善でどちらが悪といった単純な割り切りが出来ない。

どうにも変えることの出来ないメカニズムが国の中に鉄骨のように完成されており、それは支配者階層の決めた一方的な構造であるがため、いびつで狂っている。それに気づいた時、システムに沿って窮屈に生きることを選ぶのか、蟷螂の斧で無謀な戦いに挑むのか。
この問題は時代を超えて普遍的なものなのだろう。自分でさえ、長い物語の間にあれこれと考えさせられた。

映像も全編にわたって丁寧に作られており、海外ロケがきちんと敢行されているのが品格を高めていると思う。飛行機関連の描写は少なく、特に航空機業界の物語だと構えてみる必要はないだろう。登場人物も多く、複雑に感じられた部分もあるが、長い作品時間がきちんと物語を描くことに費やされているため混乱することなく理解することが出来た。

最後に題名となった言葉が主人公の口から出るが、どうも唐突で、作品とは似つかわしくないもののように感じる。
物語自体、最後がどうも尻切れトンボに感じられるが、2010年の日航破綻まで続いていたのなら、物語としてさらに完成したものになっていたのかも知れない。

2011年8月7日日曜日

ライアーゲーム ~ザ・ファイナルステージ~

★★☆☆☆
~決勝戦を劇場で~

テレビドラマを2シーズンこなした果てに最終エピソードを劇場版で公開。自分もテレビドラマを一通り楽しんでいたが、映画館に足を運ぶほどではなくテレビ放送で視聴した。
こういったいわゆる劇場版商法は、これまでの時間を人質に取られたみたいで反発したくなる。なにか納得いかず卑怯なんて言葉も浮かぶが、おそらく突然告知するのが阿漕だと感じるのだ。最後の最後でそれまで説明の無かった料金を求められるのは、とても詐欺っぽい。フェアじゃない。
テレビ放送で一応完結してくれていれば、さらなるコンテンツの登場を喜べるだろうが、今作は見事にテレビ版は中途半端。これまでの戦いの決勝戦を映画でやるというのだから何を言われても仕方がない。最後を豪華に締めくくってくれて嬉しいという人もいるだろう。自分にも多少その気持ちがある。
公開当時は見に行かず、先頃のテレビ放送でやっと視聴した。
もともとテレビ版も編集にこってあれこれ手を尽くしていたので、映画だから何が豪華と言うこともなく、そのままのクオリティ、そのままのテンション。納得のいかないところ、つじつまが合わないところを展開の早さで煙に巻き、うまく興味を持続させていく。
見事だなと思う。映画の流れに身を任せるのが気持ちよい。ごちゃごちゃ考えず、ややこしいトリックはああそうなんだで流してしまうのが楽しみ方だろう。
お金を払ってみるかというと、やはり少し物足りないが、ドラマの延長としてテレビで見る分には完結編として十二分に楽しむことが出来た。

ハリー・ポッターと死の秘宝 Part2

※リンクはPart1です。

★★☆☆☆
~けつが痛い~

冗長で長い。
この一言でこの作品の特徴がほぼ表現しきれる。

七作続いたこのシリーズもこれで最後。幾人もの監督の手を経てこの長いレースを完走しきったことに惜しみない賛辞を贈りたい。シリーズ制作を維持できないファンタジー大作もある中で、人気を持続しながら八作品を継続して出し続けるのはすごいことだ。

八作目はシリーズ初の3D上映。さほど3D感は強調されていないが、見やすく、アクションシーンの魅力を増加するそつない立体効果だった。どちらでも良いのなら3D版を見ればよいと思う。字幕版でも特に違和感を感じる点はなかった。

物語はシリーズ中盤からの流れを引き継いで、魔王との最後の決戦。バタバタ人は死に、追いつめられ、泥沼の中で延々もがくような雰囲気。
おそらく、ハリー・ポッター原作自体が、途中からおかしい。
爆発的なヒットを飛ばした一作目~三作目程度までは、未知の魔法世界を体験する驚き、喜びに溢れていたのが、中盤以降は出生の秘密やら宿命やら魔王の策略やら鬱に鬱にと潜り込んでいく。それはまるで「サルでもかけるマンガ教室」で「とんち番長2」が陥った状況だ。(わかりにくい例えですいません。本当にぴったりなので)
まじめにまじめに展開しすぎて、息を抜ける瞬間のない、重く、どんよりした作品になってしまった。誰もそんなの望んでいなかっただろうに。

今作はそういう溜に溜めまくった鬱屈を一息に吐き出す気持ちよさを持てたか? 残念ながら答えは否だ。最後もすっきりしない中途半端な印象で幕を閉じる。これまた例えで恐縮だが、「魔女の宅急便」で最後の飛行船事故の下りがまるでない状態だと言える。確かにその部分が無くともきちんと鑑賞すれば物語がまとまっているのは分かる。しかし、ここまでシリーズを経た果てなのだから、もっと分かりやすい喜びのシークエンスでまとめても良いのではないか。
加えて今作は先にも書いたように冗長だ。
スローモーションの多用。余韻を持たせるゆったりとしたシーンの頻出。緩急織り交ぜるバランスが悪いせいか、やたらと長く感じるのだ。正直お尻が痛くなり、3Dならではの姿勢を強要される感覚と相まって、ずいぶんつらかった。
一作を二つに割ったから? 最終編の重みを出すため? ともかく、そのあげくにあのラストなら、もっと早くまとめてハッピーなシーンを増やして欲しかった。

思うに、映画作品は原作に忠実だったのだろう。
原作を読んだわけではないが、一筋縄ではいかないぞ、という気負いを展開の端々に感じる。それは意固地で頑固な香りがして、少々鼻につく。とかく素直ではなく文学作品ぶろうとしているような。
これはイギリスのファンタジー作品全般に言える気がするのだが、教訓や宗教的寓意性のために、物語のつじつまや登場人物の心情を無視しすぎではないだろうか。もしくは長大な作品がために、一貫性を失っているのか。

結局、描かれるエピローグも内容は大団円のはずなのに不思議と敗戦国のけなげさと言った雰囲気で、終わったという満足感も喪失感も感じない。ただ、すべてのシリーズを見たという、内容とは関係ない達成感のみだ。
世界はそれでも営み、続いていくよという至極まっとうで地味な正論をもって、長いシリーズを終えている。それは志高く立派なことかもしれないが、このようなお祭り大作でそれを露骨にやられるのは、場違いな気がする。単純に言うなら、好みではない。

シービスケット

★★☆☆☆
~時代を疾駆~

1900年代初頭のアメリカ西海岸を舞台に、一頭の競走馬を要として人々の思いが焦点を結んでいく。

序盤のテンポが非常に速く、ナレーションによって補足されはするものの状況を把握するのが精一杯。たくさんの登場人物がバラバラなまま、時代を一気になぞっていくのだから致し方ない。 彼らがシービスケットの元に集まって以降は落ち着いて観ることが出来るようになる。

調教師も、馬主も、騎手も、それぞれに喪失感を抱えて暮らしていた。彼らだけではなくアメリカ全土が恐慌の虚無感にくじけそうな時代。
小柄で、芽のでないまま消えかけていたシービスケットはその心を奮い立たせるように疾駆する。

実際、走る馬の姿は美しい。長らくの血統改良により特化された遺伝子は、飛ぶような印象で大地をすり抜けていく。光をはじくなめらかな皮膚の質感。その下で躍動する筋繊維の弛緩と収縮。体格に比すれば、か細い四本の足が独自のリズムでそれぞれに馬場を突き放す。
騎手はその馬と一体になるように腰を浮かして背を丸め、流線型となる。

このような印象が画面から伝わってくる。
走るシーンは短く、レースのダイジェストを映すだけという構成。断片を見せることで観る者の心の中に風景が広がっていく。
端的に言うと、疾走感がものすごく気持ちいい。

そういったレースを魅力的に見せながら、物語はすばらしい速度で進んでいく。緩急のきいたリズムがこれも心地よく目が離せない。
実話を元にした物語なのに信じがたいほどドラマティック。それでも端々に見えるもったいないシチュエーションが、やはりこれは実話を元にしているのだろうと感じさせてくれる。どれほどの脚色が入っているのかは分からないが節度のきいた良い塩梅だと思う。

物語の終わり方も美しい。
エンドロールの暗転した画面に幻視されるのは馬の背から見る流れる風景。
どこまでが実話なのか調べようと言う気にもならない、きれいな印象の映画。

阪急電車 片道15分の奇跡

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★★☆☆☆
~片側からの~

これは女性の映画だ。
平日の傍流私鉄で生活圏を移動する幾人かの人物にスポットを当てて、同じ電車に乗り合わせた程度の関わりが生むそれぞれへの影響、変化を丁寧にえがく。
実際尺の長い映画で、初っぱなのエピソードが魅力的で吸引力がある分、以降が間延びして飽きてくる。もう少し尺を短くしてテンポアップするとずいぶんすっきりするだろう。

話自体は惑うところなく分かりやすい。多くの登場人物がいながらさほど混乱しないのはきちんと設計、演出されているからで、当たり前といえばそうなのだがジャンクフードのように散らかった映画が多い中、清涼感さえ感じる。

舞台となる路線におそらく乗ったことがあるはずだが、見覚えのある景色はなかった。ただ、みんなが当たり前に関西弁をしゃべっている風景は親近感を覚えずにいられなかった。今作のラスボスが説得力を持つためには関西であることが必須条件なので、場所選定にも違和感がない。
関西のみ上映が早かったそうだが、当地の住民にはうれしいことだったろう。

全体の感想としては多少物足りなかった。
これは、バラバラの物語が最後に美しく一点に収束していくのを期待していたのに、それほどでもなく淡々と終わったことによる。まとまりすぎてはドラマチックに過ぎ、等身大の映画であろうとする今作の支障となるのかもしれないが、退屈を越えてたどり着いたのがこれか、という多少の徒労感は拭えない。

個別に気になるのは冒頭にも書いたように、女性向けすぎる点。ほとんどの登場人物が女性で男性は端役と言って良い。当然起こる問題は女性特有のメンタルな事柄であり、本来所属するコミュニティでの対人関係に煮詰まった女性達が、同じ列車に乗り合わせたというはかないコミュニティに勇気づけられ、立ち戻っていく。
男性が見ると意味が分からないといったことは全くなく、同情も共感も出来る。しかし、何か女性の井戸端会議をのぞいているような微妙な気分になって据わりが良くない。
おそらく、物語が分かりやすい色分けで語られすぎているからだ。起こる問題は日常の些細な事柄、その積み重ねであるから、それは一方だけの責任ではない。こちらにも落ち度はあり、相手にも理由があるはずなのだ。それに触れることなく片側からの視点で描かれている物語はなんだか薄っぺらで信用できない。女性から相談を受け、事情を確かめてみたら聞いた話と印象がずいぶん違う。そういった経験をしたことのある人なら、分かってくれるかと思う。

そういった点で佳作ではあるがどうにも人には勧めにくい作品だろう。

2011年4月6日水曜日

ツーリスト

★★☆☆☆
~古き良き時代の香り~

謎の美女。アンジェリーナ・ジョリー。
事件に巻き込まれていく男。ジョニー・デップ。
水の都ベニスで繰り広げられる、謎が謎を呼ぶサスペンス。

上記のような分かりやすい宣伝文句。その内容にも嘘偽りはなく、正々堂々とした映画だ。
まさに王道。しかしその輝ける道が、どうにも古くさい。
物語はつじつまが合わないまま進展して大団円で終わるが、雰囲気で煙に巻く大団円と言うべきだろう。
登場人物のすべてがどうにもプロ意識のない印象で、尾行をしても銃撃戦をしてもごっこ遊びに見えてしまう。

もしこれが二人の主演でなかったら――。
ベニスでなかったら――。
これはもうとてつもないB級映画で、日本での映画公開は行われなかったほどのものだろう。

だとすれば、この映画は総合力での商品価値を見事に計算された作品だとも言える。
ともかくベニスの風景の中で、二人はとても魅力的だ。ちょっとやそっとの不都合は気にならないほど画にはまっていて見とれてしまう。
多少気の利いた脚本で、異国情緒あふれるロケーションを部隊にスター俳優の共演を描く。なるほど、映画が娯楽の中心で、銀幕スターがまさにきら星だったころの企画だ。

多分昨今の映画は過剰すぎる。
もっとロマンスを。
もっと想像のつかない展開を。
もっと奥深い物語を。
精神性を。
VFXを。

もっともっとを追い求めて刺激に慣れ過ぎた我々に、この映画は少し物足りないかも知れない。
でも、懐かしいような、気を張りすぎなくて良いような、なんだかやさしい雰囲気。
全編に丁寧に作られた印象で、魅力的な要素をきちんと魅力的に描けている。これは簡単に見えてなかなか難しいことだと思う。
過度の期待をせずにふらりと立ちよって観ると楽しい映画だと思う。

キック・アス

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★★★☆☆
~カルマ判定~

上映館は少ないながらロングヒットとなったスーパーじゃないヒーロー映画の異色作。
友人に強く勧められ、自身も気になっていたのでレンタルで見た。

主人公は思い込みの激しい漫画オタクの高校生。正義感に燃えるあまりに一念発起して「一人で勝手にヒーロー」を開始する。
同様の私設通常人ヒーロー映画には「バットマン」や「ウォッチメン」があるが、彼らは財力や鍛錬、各種秘密兵器をその強さの説得力としていた。 

彼にはなにもない。通販で買った全身タイツだけだ。 

それが思い込みの強さ(オタク気質にありがちな瞬発的決心の強さ)と偶然により、等身大のヒーロー「キック・アス」としてメディアを騒がせるような存在になる。
この流れは、無茶だがどこか説得力がある。
誰もが常時動画撮影可能な機器(携帯電話)を持ち、ネットという個人発信可能なマスメディアが世界を覆う現代。似たようにちょっとしたことがとてつもない反響を生み出す事件をいくつも見てきたから。

ただ、このようなあらすじを見ても面白そうには見えないだろう。実際あまり面白くない。
この映画を楽しめるかどうかは主人公とは別のヒーローチームに魅力を感じるかどうかにかかっている。

キック・アスとは別に復讐のために牙を研ぐ親子ヒーローが登場。名前と格好がヒーローと言うだけでもはやテロリストだが、その子供が11才の少女。幼少より英才教育された身のこなしと知識はバットマン的な強さにまで至っている。
彼女の活躍シーンが、ともかくこの映画の見所であり、価値である。
従って、彼女に魅力を感じるかどうかが、この映画の評価になるだろう。

確かに彼女はキュートで、子役によくある薄っぺらさが感じられない。アクションシーンも見事。
でも彼女はいびつな教育を受けて育った、いわば狂信者なのだ。悪人とはいえ数十名の人間を容赦なく撃ち殺しながら、自分の為していることに罪悪感はない。父に褒められることだけを褒美に戦っている。
理性の部分が、児童虐待やん、と思う。
でも、かっこいいし、かわいいし、魅力的。そして一途だ。
守られるべき存在にやらせてはならないことを行わせる、というのはある意味ロリータ趣味のアダルトビデオ的な魅力なのかも知れない。
状況としては「レオン」に近いが、レオンの場合は手を汚すのは大人だ。
何か感じたことのない背徳感があり、これがこの映画を高く評価する人たちの共鳴した部分なのではないだろうか。

しかし実際この問題を感じさせないようにうまく作られている。
登場人物が親子ヒーローだけ、つまり彼らが主人公であったなら、どうやっても彼女の境遇に引きずられてしまうだろう。親子を描く時間が増えてしまうからだ。
メインをキック・アス、つまり平凡な少年のヒーロー物語にすることでこの親子を描くことが許されている。とすると、少なくとも製作者が最も描きたかったのは少女の残酷ヒーローであり、作品名となっている主人公さえも、彼女の隠れ蓑に過ぎないのだろう。

このように見てみると、メインストーリーが比較的平凡なのもしかるべきだと思うし、作品全体のテイストを操る技量に並々ならぬ才能を感じる。砂糖に塩に醤油にみりん。各種調味料で全体のバランスを見事に保っている。

自分は不思議とこの少女ヒーローにそこまでの魅力を感じなかった。
もし彼女が元気な女の子ではなく、おとなしい少女で、自分の為していることに多少の罪を感じ始めている描写があったのならば、一直線に引きつけられていたのではないかと思う。
してみると、これで満足できない自分こそが常軌を逸しつつある異常であり、業の深い性的嗜好なのだろうかと不安な気持ちにもなった。

 

 

2011年2月25日金曜日

スペースバトルシップ ヤマト

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☆☆☆☆
~パッチワークドラマ~


なにはともあれ日本アニメの一時代を築いたコンテンツの実写映画化。期待する客層は三十代~四十代の男性だろう。むろん自分もしっかり当てはまります。
全編にわたりつぎはぎ感がひどい。

物語。
魅力的な敵役をばっさり削除。それをえがくのには時間も予算も技術も足りなかっただろう事は伺えるので、完成に向けた英断ともとれるが、ドミノだおしのように様々な設定が連鎖的におかしくなっている。
敵役と対をなす味方、松本零士の作品には欠かすことの出来ないミステリアスな女性が消えた。この削除によって、彼女に促されて希望をもって旅立つという動機がなくなる。ヤマトという輝かしい存在が、ただの打ち上げ花火に駄している。

キャラクター。
設定を生かそうとしているのかどうなのかすら分からない。
主人公古代は木村拓哉が演じているが、これがもう木村拓哉以外の何者でもない。月9やバラエティーでイメージされる彼が、何の飾りもこだわりもなくヤマトに乗り込んでいるのである。狂気だ。
彼だけかと思えば作品の重石になるべき艦長(山崎努)が、ただの老害、最早ぼけかけて一貫性のない判断を下す愚か者という印象。影の薄さも相当だ。
佐渡先生、森雪なども同様。西田敏行の徳川機関長は出番が少なくてあらが目立ちにくかったが、やはりやばい。
それぞれの改変の意味は、古代を伝説の戦闘機乗りとして物語の主軸にすることなのだろうが、まるでもしもボックスで狂わされたいびつな世界のようだ。
それならそれで諦められるのに、柳葉敏郎がやってくれた。彼の演じる真田さんは完璧である。表情、しゃべり、立ち居振る舞い。まさに真田さんの具現化。そのすばらしさが心の安らぎであった。が、きちんと演技している彼だけが浮いているあたり、悪貨が良貨を駆逐している。

映像表現。
実写とCGがかっちり分かれてしまっている。それぞれが勝手にヤマトという作品を作って、それを何とかかんとかくっつけている。
実写はもう、制作側の事情が見えすぎて気の毒になる。ネームバリューのある役者を総動員した結果、スケジュールがとんでもなくタイトになったのだろう。長回しのマルチカメラ撮影。後編集で何とかするかというゆるんだ空気が端々に見える。同時に撮影所にいた役者しか同時に登場しないという制限も如実に感じられる。撮影期間は驚くほど短かったのではないだろうか。
マルチカメラの弊害か、セットは不自然に開放感にあふれてどうにも演劇を眺めている雰囲気に。その上巨大戦艦の内部だというのにセット自体はこぢんまりと小規模、かつ数が少ない(五・六カ所)なのが涙を誘う。格納庫など、どう見てもフェリーの車庫部分なのが丸わかりだ。
CGはCGでまとまりがない。重厚感、現実感を出したいのか、アニメっぽいあり得ない動きの格好良さを見せたいのかがあやふや。各パートの担当者が好きなように作ったような印象。
冒頭の艦隊戦のように目を見張るCGシーンも多いが、ともかく一貫していないので見ていてがたがたな印象なのだ。天下の波動砲が通常兵器のようにぞんざいに描かれているのも残念。
このような不安定なCGシーンに学芸会の映像が挟み込まれているわけだ。

以上のように、今作は非常に厳しい内容だ。救いなのは柳葉による真田さんとアナライザーの扱い。この二つだけは実写とCGにおいてそれぞれに気を吐いていたと思う。

だが結局、見るに値しないかというとそうでもない。
失笑する事も多いが、今のCG技術で描かれたヤマトは格好良いと思うし、破綻した物語もイケメンDQNにツンデレ女がなびいていく恋愛ものとすれば、絶対評価ではひどい内容でもその他邦画、ドラマと比べた相対評価なら及第レベルだ。
結局不幸は期待したものと現実の差異が生む。だから、それなりのつもりで見に行けば、制作者の思惑と苦労が透けて見えるよくある映画で済む。

2011年2月19日土曜日

ウォール・ストリート

~人情ドラマ~
★★★☆☆

この二時間は人生の糧になる! というようなコピーであおり立てているが、別段そうでもない。すべての映画が、その出来不出来や内容に関わらず、誰かにとっては糧になる映画である程度には、糧になるだろう。

だが、おもしろくないかと言えばそんなことは決してない。するすると進んでいく物語、一転二転する情勢の変化など最後まで興味を持って楽しむことが出来る。経済に対する知識がないと楽しめないという事はなく、むしろ知識がある方がディティールに引っかかってだめかも知れない。
自分は多少の投資経験がある程度だが、舞台は遙かに大規模な会社、国レベルのやりとりなので、専門用語は意味不明だ。それでも映画を楽しむのに特段不利にならない。そもそもこの作品は経済ドラマとして売ろうとしているが、実際は古くさい区分にはいりそうな人情ドラマであり、作っている側もそれをよく分かっている。
株価の激烈な変動やネットの情報の流れを実写に合成して象徴的に見せたりと、分かりやすさを重視して物語を進めているように思う。

売り方が内容と剥離気味なので知的な経済ドラマを期待しすぎると厳しいが、親子の確執、個人と他社の関係性など、人間ドラマとしては十分に楽しむことの出来る作品。

フォーエバーフレンズ

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★★★★
~長い時間を共に~
テレビのぞんざいな映画枠で放送されているのを観た。
自分の選択では観ないだろう映画にふと触れさせてくれる。テレビ放送の映画で意外な出会いを果たすことは少なくない。
この映画がまさにそれで、誰もが抱える人生の空虚を埋めてくれる、優しい作品。渇いた心に染み込んだ。

押しも押されぬスター歌手が、ライブの前日に受けた一本の電話。彼女は迷うこともなく全てを置き去りにして、一路西海岸へ向かう。
なぜそのような馬鹿なことをするのか、判断の天秤に乗った想いは、どのようなものなのか。その興味に答えるように、彼女の回想によって物語は数十年前に巻き戻る。
幼い日出会った同性の友人。かたや見せ物小屋の子役芸人。かたやハイソサエティの令嬢。
二人は意気投合してその後文通友達となる。出会うことはなくとも、近況を記しお互いの生活を認識しあう。長い間ずっと心のそばにいたのである――。

こういった関係は、確かにある。
自分も小学校時代の友人と、年賀状だけのやりとりを10年近くも行ってきた。そんなの普通だと言うかも知れないが、異なるのは、年一通のその年賀状が一年の近況を記した文字でびっしりと埋まっていたことだ。こちらも彼への年賀状だけは同じように一年の総括を書き込んだ。
昔から知る友人が、自分とは異なる場所できちんと生きている。
それはとても暖かい事だ。一人ではないという証明。見えないところにも世界は確実に存在しているのだという存在感。
そういった経験が少しでもあるなら、プロにあるまじき彼女の行動がとても自然に受け止められる。
人は現在にしか生きられないけど、その人間を形作る魂は、過去が培ったものだ。今の自分を愛するなら、同等に、その長いつながりを大切にしなければならない。

幼い頃から人生なかばまで、長い時間を楕円軌道のような距離感で過ごした二人の友情。
最後まで丁寧に描かれたこの物語は多くの人に愛される佳作である。

<追記>
 上述した年賀状友人。
 ある時その母君からのはがきが届いた。

 友人はカヌーの川下りの事故で亡くなったとのこと。

 帰省の折、それまでの年賀状を携えてオタクまで伺った。
 小学校の時、遊びに行ったことのある家。

 母君ははがきのコピーをファックスでとっていた。

 同じ年の友人でも死んでしまうのだと思い知った。
 友人には会える時に会い、話をするべきだ。

 これももう20年前の出来事。忘れていないよ。S・O。

ナルニア国物語 第3章アスラン王と魔法の島



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★★☆☆☆
~色々苦しい~ 

児童向けファンタジーの草分け第三弾。
試写会にあたったのでいそいそと出かけてきた。
一章は見たが、二章は未見。

シリーズ初の3Dを売りにしているが、その出来はあまり良くない。
立体感が奇妙に感じるシーンが多く、どうやらこれは後付けの3Dではないか。おそらくCG部分やエフェクトはきっちり3Dで作っている。だが実写撮影は通常のカメラで行われ、後処理で3D情報を付加してほかの要素と合成しているのではないだろうか。
その後処理がうまく行っている部分は良いのだが、ラスト直前の人物アップで鼻の回り全体がずれて隆起したように感じる所など、おかしい部分は明らかにおかしい。
「クラッシュ・オブ・タイタン」よりも遙かに良い3D映像ではあるが、どうにもあらが見えて没入の妨げとなっている。

物語はどうにも説教臭く、また、特定の方向性を感じる。いわく、キリスト教の説話っぽいのだ。なにがなにを象徴しているのかを考えることも出来そうだが、そこまでの興味を覚えない。
登場人物の心情はどうにもつぎはぎで一貫性がなく、エピソードを羅列しただけの印象。二章を見ていないから、というだけではないちぐはぐ具合を感じた。
そもそも旅の目的が曖昧。どこになにをしに行くのかどうにも判然としないまま「純粋な悪」を倒せとか言われて失笑。

失笑といえば狂人の表現に余念がない。この物語でもっとも醜く、嫌悪を感じたのは使命感をもった貴人が恐怖に奇人になり果てた姿だ。これがもうびっくりするほどのネガティブ大活躍で、あまりの働きに爆笑した。
これなどは使命を諦めた、堕落した人物への恣意的な罰を描いたのかと勘ぐってしまう。

ほとんど唯一と言って良いくらい心和むのが、人語をしゃべるネズミ剣士だ。ネズミというより寸詰まりのフェレットのていだが、その躍動感と愛らしさ、毛のもふもふした感じなど見ていて前のめりになってしまう。同様にしゃべるライオンも出てくるが、たてがみの美しさに手を伸ばしたくなる。3D映画だしね。

見終わった後ポスターを見ると、売り方も苦しい。ほとんど登場しない端役が大きな面積を締めているのに気がつく。同様に児童ファンタジーの映画化「ライラの冒険」は続編の噂を聞かないので、それに比べ続編が出るだけの人気はあるのだろう。試写会は子供連れが非常に多かったが、話は分からずともネズミ剣士は人気があるようだった。 

2011年1月23日日曜日

プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂

★★★☆☆
~最高クオリティのゲーム映画化~

ゲームが原作となったアラビアンファンタジー。
一定のルールに従って、時間を逆回しに出来るというゲームのギミックを中心にすえて、壮大な物語を展開する。

時間逆回しのアイデアはゲームにおいても実に刺激的なアイデアだった。死んではやり直す、というアクションゲームの基本スタイルを踏襲しながら、やり直す部分自体もゲーム性として取り込んだのだ。
映画でも見所となる逆回し部分は映像的にも実に楽しい。時間を操るナイフを発動させたとたん、発動者は時間の流れを傍観する立場となり、過去の自分が行動する様を逆再生で眺めるのだ。決定的な瞬間に立ち戻り、最適の判断を行うのだから無敵である。
ただ、この力を無制限に使用することは出来ない。そのために必要なのが「時間の砂」。敵味方ともナイフと砂を求め、あらゆる手段を投入していく……。

もう一つ、ゲームの要素をうまく取り込んでいるのが、主人公の移動アクション。ゲームの主人公は杭にぶら下がって体を揺らし、その反動で高いところへ、遠いところへ飛翔する。また、その場にあるもの全てを手がかり、足がかりに、サーカスのような体術を駆使してステージを移動していく。
映画でもまさにこのようなアクションを展開し、フィールドを立体的に活用して目新しいアクションを展開している。これはテイストとしてジャッキー・チェンのカンフー映画に近いが、その場にとどまらない疾走感という点で異なる。

逆回しと立体アクション、二つのゲーム要素を見事に映像に取り込んだ今作は、ゲームが原作となった映画の中で白眉のクオリティである。それを抜きにしても、一本の映画とは思えないエピソードの多さ、それをまとめ上げた物語。気を吐く映像美などここがまずいという点を思いつけない。
反対に言うと、ここだけは観ておくべきという突出点もない。完成度の高さに反してあまり話題にならなかったのはこういった所が理由なのかも知れない。

地上波で放送されるなどで視聴機会が増えれば、安定した人気を得ていくだろうと思う。

アイアンマン2

★★★☆☆
~おっさんヒーロー再び~

軍需産業の社長が、自ら開発したパワードスーツを身にまとい、世にはびこる悪漢をなぎ倒す。
セレブにして、天才発明家。嫌みになりそうな設定が苦もなく受け入れられるのは、突発的な行動により実生活が破綻気味なのと、ロバート・ダウニー・ジュニアの捨て猫のようなつぶらな瞳によるものだろう。最近同じようなことを書いたのでは? と思い起こしてみれば、同じくロバート・ダウニー・ジュニア主演のシャーロック・ホームズだった。あれも似たようなキャラクターだ。とんちきな天才、という役が彼にははまるのかも知れない。アインシュタインの役などあれば、ぴったりかも。

それにしても、矛盾具合がすさまじい。
一作目も二作目も、彼が戦う相手は結局軍需産業だ。
兵器を作って身にまとい、別の兵器と戦う。実は敵自体、アイアンマンという存在が伝播して生まれたようなもので、自分で原因を作っては自分で解決するという、ノートン先生のような自作自演のきらいがある。
ただ観ていてそのようなことは気にならない。アクロバティックな空中戦よろしく、疑問にぶつからずうまくすり抜けていく。
この映画はやはり、その時々の状況を反射的に楽しむのがよい。
アイアンマンの圧倒的な重量感。それでいて生物的になめらかな動き。超絶な力がコンパクトにパッケージングされた秘密兵器的なテイスト。男の子が好きな、変身、超合金、秘密兵器といった要素を一身に持ち合わせ、なるほど、おっさん心をつかんで離さないわけだ。

一作目は確立したアイアンマンのイメージでまるまる楽しめた。かっけー! と叫ぶ間に終わっていた感じ。二作目にはそれに上乗せする魅力が期待されたが、前作並という印象。アタッシュケースサイズのポータブルアイアンマンにしびれたぐらいだろうか。
かといって全編見所だらけで楽しめることに違いはなく、ヒーローにあこがれたあの日のときめきを思い出すことができる。

肉弾戦をいとわず、決して無敵でもない。
スーツもいつもボロボロになる。
えらい目に合いながらも、ひょうひょうと困難に立ち向かっていくヒーロー像は、潔癖でも汚濁でもなく、曖昧な我々に実にしっくりとくる。

エミリー・ローズ

★★☆☆☆
~ホラーではない~

実話を元に描かれたホラー映画。といった売り込み文句だが、ホラー映画ではない。ホラーのエポックメイキング「エクソシスト」の悪魔が去ったその後の話、と考えた方がよいだろう。ただ、エクソシストと異なり、少女は死に、牧師が生き残った後だ。
残された牧師は、少女を死に至らしめた責任を追求され、法廷へ。そこで裁かれることとなるのは……、

神や悪魔の実在について。

この禁断とも言える題材に真っ向から取り組んでいる姿勢が気持ちよい。
宗教と科学、どちらの立場も双方の主観を尊重して描かれており、見終わった後も公平な感触が残る。つまり、事の判断は映画を見たものに委ねられている。
理性と感性の狭間に揺れる物語は、神秘的な存在を定義づけようとすると同時に、あやふやな人間存在や、社会が抱え込む矛盾点にも光を当てる。

賢明であろうとする無知な存在。

スクリーンの向こうにそういった人間像が浮かび上がる。

全般に楽しむことが出来たが、金と名誉のためにこじつけ論理で敵を排していく弁護士がどうにも好きになれない。作品内ではしがらみを脱して利益だけではなくなっていく人物として描かれているが、この部分だけがとてつもなく胡散臭かった。
妄言を弄し、真実をたばかろうとする弁護士こそ現代の悪魔なのではないか。

2011年1月22日土曜日

バイオハザード  -アフターライフ -

★★☆☆☆
~PV映画~

映画館にて3D上映を鑑賞。
第四作となるが、一作目しか見ていないので意図通り楽しめているのかは心許ない。

物語の冒頭が東京、渋谷交差点から始まるのが話題となったが、確かに日本人監督にはどうしても撮れない、外国としての東京はムードをもって美しい。まるで音楽のプロモーションビデオのようだ。
だが、そのまま最後までプロモーションビデオな感触なのだ。

とにかくストップモーションが多用されており、3Dと相まって目が楽しい映像に仕上がっている。ただ、その表現が必要なのかと考えると、このストップモーションは明らかに使いすぎ。ぎりぎりシリアスを保つ量で、もう少しでも多ければシュールなギャグ映像になっていたかも。

「タイタンの戦い」のように通常撮影後に無理矢理3Dにしたのではなく、きちんと専用カメラで撮影した映像は素直な臨場感をもって迫ってくる。
白黒でもカラーでも、映画作品そのものの価値に優劣はない。ただ、カラー映像は情報量の多さからくる白黒とは異なった体験を与えてくれる。
3Dも同様だ。
それ自体が優劣を決定する要素ではないが、映像表現として有効な情報量を持っている。これから表現や技術が洗練されていき、特にロードショーでははずせない要素となっていくだろう。客単価の上乗せを正当に迫れる点も映画館に好まれる点だ。映画館の復権はここから始まるのだと予感する。

物語自体は、どうにも浅はかだ。
映像として見栄えのするシーンをつなぐための言い訳、程度の意味しか持っていない。そりゃ創作なのだからご都合主義で当然なのだが、それを包み隠すのが脚本の力ではないのか。あまりにむき出しのご都合主義に唖然とせずにはいられない。無神経とかそういうレベルではなく、B級を指向したかのような豪快さなのだ。説得力や臨場感という要素を、3D映像に全て吸い取られてしまったのだろうか。
これは自分がシリーズをきちんと観ていないことも原因だと思うので、シリーズのファンにはまた異なる楽しみがあったのかも知れない。

総論としては、憎むこともなく絶賛することもなく、ただ映像が楽しめたな、という良くある映画におくる定型文。

深く考えずに楽しむことの出来る娯楽映画。

となる。