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2021年8月30日月曜日

さよならの朝に約束の花をかざろう

さよならの朝に約束の花をかざろう [Blu-ray]

☆☆☆☆
~「悪し」ときちんと書いておきたい~


 ごちゃごちゃと聞こえの良い言葉を並べて、結局雰囲気が残るだけできちんと覚えることは出来ない。

 この、題名に対する感想が、そのまま作品の感想となる。

 2018年の日本アニメーション映画。アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』『心が叫びたがってるんだ。』の脚本家、岡田麿里が初監督を務めた。

 10代半ばの若い姿のまま数百年を生きる不老長寿の一族「イオルフ」は、人里離れた土地で「ヒビオル」とよばれる布を織って静かに暮らしていた。しかし長寿の血を王家に引き入れることで王家の神秘性を高めることを画策するメザーテ国王の命により、軍人イゾルの率いるメザーテ軍が翼をもつ古の巨獣「レナト」に乗って襲来し、イオルフの里は侵略される。<ウィキペディアより> 

 RPG的な中世ヨーロッパ風の世界観の中で、長寿一族の少女と、彼女が拾い育てた普通の男の子の長い関わりを描く。
 一緒に歩める時間と、剥離して元には戻らない時間。開く一方の時間のズレが生み出すドラマ。狙いは分かるが要素、エピソードが散漫で一貫性を感じにくく、後味だけで何とかまとめるような(まとまっていない)作品に。

 この作品は、内容というよりその存在が、自分の「物語作品の受け取り方/評価の仕方」に問いかけてくる。
 
 『罪のない善意の駄作をどう評価するべきなのか』
  
 外から見ても分かる善意を発端とした創作、一生懸命作った誰にも迷惑をかけていない作品に、ネガティブな評価を挙げるのはとても気が重いものだ。
 
 たとえば優しい協調的な子ども達が力を合わせて作った「つたない絵画作品」。
 そして社会から断絶された破綻者が己のパーツをつなぎ合わせるように形作った「名画」。
 
 観衆の目前に引き出されてどちらを選ぶのかと問われたとき、いったいどちらを選べばいいのだろうか――。このやっかいな問題をこの作品は突きつけてくる。

 作品評価には様々な軸があり、状況によってその軸は切り替えられるべきだ。学校教育の一環としての評価ならば、作品自体の質ではなく過程や態度の方が重視されるべきだし、商品としてみれば売れる売れない(売れそう、売れなさそう)になるだろう。それらとは断絶した、個人の感想の場合、結局己は何を基準に作品を評価し、それをしたためるのかと問われることになるのだ。

 これは結構心理的負担の大きいことで、妙な重圧を感じる。世の中の評価と自分の評価が剥離した場合を思うと、とても怖いのだ。
 
 そういった葛藤をそれなりに経た上で、この作品に対する自分の評価は「とても低い」である。
 
 作品を、その作品としてだけで見たとき、どう感じたのか。

 制作者がどのような想いとを込めて、どういった経緯で作ったのかは作品理解の上で重要な要素であることに異論は無いが、それら作品以外の付随情報は内容をよりよく理解する手がかりに過ぎず、それ自体が評価を左右してはならないのだ。
 
 キャラクターデザインの吉田明彦氏はゲームファンにとっては特別の存在だ。『伝説のオウガバトル』『タクティクス・オウガ』といった伝説的なゲームのグラフィッカーである。デフォルメされた人物画と技術に裏打ちされた装飾デザイン、質感表現。簡素と複雑、静謐と躍動が混在した画風は、ともかく見る物にロマンをかき立てる
 彼の作風はキャラクターを自分で操作することで感情移入していく「ゲーム」というジャンルにぴったりである。良い具合に隙間があるのだ。同様の理由で小説の挿絵としても向いているだろう。
 
 ただし、どうやら映像作品のデザインには向いていなかったようだ。決められた(短い)時間でキャラクターを伝える必要のある映像作品、特に全編二時間の映画にとって、曖昧さはキャラクター理解の助けにならずむしろマイナスに。子どもから老人までの長大なスパンを追う物語なので、年代ごとのキャラクター同一性(年月による変化)を一目で理解することが大切なのだが、大して変わらなかったり、突然変わったりする不明瞭さは物語理解の壁になっている。
 音楽や小物演出でキャラを図像学的に表現するといった方法もあったのではと思うが、そういった方向への配慮は無かった。

 背景美術も壮大で緻密であり、一枚絵や挿絵としては強いのだが、人々が生きる世界としてはとんでもなく空虚だ。
 密度のスケール感が合っていない。
 あのような建築物を集積させ、美しい材質で敷き詰めた空間をあの程度の人口で構築維持できるはずがない。過去のオーバーテクノロジーで作られた都市を発見した人々がそこで暮らしているだけ、と聞けば納得できるがもちろんそうでは無いようで。
 
 こういった難は感じても、映像に魅力は十二分にある。各シーンの美しさは特筆できるクオリティであるのだが、かぶせるように残念なのは、そこで演じられる内容が――とても表層的で「演技の為の演技」にしか感じられないという点。

 脚本家という神に都合の良い台詞を言わされているだけだ。

 キャラクターがそこで生活している上で発した言葉ではなく、映画を見ている人間に必要な台詞だけが生成されている映画内で描かれている以外の時間が、キャラクター達には存在していないのだ。舞台役者が役者だと分かった上で大仰にしゃべる台詞。
 キャラクターから発せられたと感じる言葉が最後の最後までない。
 
 行動原理が一定しておらず、誰もが曖昧でふらふらしている。腹をくくって一道を進む人間がいない。
 脚本家という神に言われたからそう動いているだけ。キャラクターがみな、本心を隠してただ言うとおりにしている。口惜しく陰口を叩いていそうだ。
 
 詳細説明は許してもらって、気になった点をメモとして列記。
 
 ・久しぶりの再会なのに逃げ出した意味が分からない
 ・悲劇としても中途半端
 ・若者と年配で存在の立ち位置をくっきり分けるべき
 ・「ヒビオル」という言葉の響きがあまりに短絡過ぎて、それだけで不安
 ・織物で気持ちを伝えるという設定が上手く生かされず、縛りになっている
 ・主人公に生きていく武器がなさ過ぎる
 ・主人公一族がこれまで滅んでいないのが不自然
 ・血の通ったエピソードがまるで足りない
 ・声優に癖がありすぎ、嘘をさらに嘘くさくしている
 
 最後に――。
 
 ラストの万感を伝えるシーンに全ての焦点を合わせて全編を構成しようとしたのだと思われるが、失敗している。
 そのシーンにつながるためだけの退屈な作業を延々見せられた感じで、ドミノを並べる作業にたとえると近いのかも知れない。それらシーンにも、きちんと説得力や楽しみがなければ、物語の積み上げではなくただの作業になってしまうのだということがよく分かる。
 
 同様の一点に焦点する構成として『波の数だけ抱きしめて』と意外なほど類似しているが、完成度には雲泥の差があり、比較してみると今作のつたなさが理解しやすいかも知れない。

 もう結論は出ているのにだらだらと修辞を並べてなかなか終わらない会話のように、最後の最後まで潔くない、できの悪い作品だった。

 強い心で、明記しておく。



2021年4月21日水曜日

禍つヴァールハイト -ZUERST-

 ◆◆◆300回目のご挨拶◆◆◆

 この投稿がこのブログの300目の記事となります。
 まだ300かという気も、結構書いたなという気も。
 このようなwebの端っこの文章を読んでくださる方、本当にありがとうございます。これからも継続して行きたいと考えていますので、どうぞよろしくお願いします。

―――――――――――――――――――

 

~狂気を引き寄せる呪われた作品~
☆☆☆☆

 2020年のワンクールアニメシリーズ。全12話。「KLab」がサービスしていた(2021年にサービス終了)スマホゲームを原作としている。「禍つ」は「まがつ」と読む。「ZUERST」はドイツ語で「最初の」を意味する模様。英語の「fast」かな。どうやらゲームの前日談を描いているらしい。

 自動車と魔法、重火器と剣、謎のモンスターと人々を死に至らしめる「フリーレンの炎」という災害が存在する世界。
 帝国議会は治安維持のため武器の民間への供給を違法化。だがモンスターに対抗するためには武器が必要であり、武器密輸組織が結成されることになる。帝国軍人としての一歩を踏み出したレオカディオは偶然輸送業で働くイヌマエルと知り合う。イヌマエルは実直な労働者であったが密輸組織の手違いに巻き込まれ、お尋ね者になってしまう。


 序盤あらすじを書きながら、その行為に虚無を感じている。
 映像として生まれたからには、誰が、どこで、何をしたのかは伝わらなければならないが、本作にはそれが欠けている。何となく誰かが、おそらくそのあたりで、こういったことをしたのだろう。そういったあやふやな状態が徹頭徹尾継続され、確かに何かが起こっているのだが、何かはよく分からないま全12話を終えることとなる。
 人をいらつかせる手法として、意味の分からない言葉をまくし立てるというものがあるらしい。捕虜となった特殊部隊員は、なにがしかの言語に聞こえる無意味な音声を発し続けて取調官を挑発、情報取得を困難にさせるというのだ。意味のない言葉だと判断しても、人間の脳はそれを解読しようと働いてしまい、思考を圧迫していくのだろう。本作は、まさにそれである。
 
 きちんと鑑賞したら、頭がおかしくなる作品。
 呪われた作品だといって良いかもしれない。
 そんな作品を、なぜ自分は最後まで見たのか?
 

2021年1月19日火曜日

スーサイド・スクワッド

スーサイド・スクワッド [Blu-ray] 

☆☆☆☆
~微妙な悪役大集合~

 2016年の米映画。アメコミを原作とした複数のヴィラン(悪役)を結集させたアクション映画。
 DCコミックス(アメコミの出版社)が抱えるヒーローコミックに登場する様々な悪役達を一つの部隊にして、強大な悪に対抗しようとする物語だが立て付けからしてなかなか厳しい。
 

◇悪役の知名度が低い

 スーパーマン、バットマン、フラッシュといったヒーローの名前は聞いた事があるだろう(フラッシュは厳しいかも)がその悪役となるとどうだろうか。今作には「デッドショット」「キャプテン・ブーメラン」「エル・ディアブロ」「エンチャントレス」など多数のキャラクターが登場するが、知っている人がどれだけいるだろうか。自分は一人も分からない。最も有名な「ジョーカー」も出てくるが関わり方が特殊。ジョーカーがらみのキャラクターである「ハーレイ・クイン」は冠映画が存在するので最も知名度が高いだろうが、マニアックなことに変わりはない。
 海外での人気は知らないが、このような知名度ポンコツのキャラクターを寄せ集めたところで、微妙な印象しか持てないというのが正直なところだ。

2021年1月18日月曜日

100万の命の上に俺は立っている

【Amazon.co.jp限定】100万の命の上に俺は立っているBlu-ray BOX(初回仕様版)(2枚組)(アニメイラスト描き下ろしB2布ポスター付き)

☆☆☆☆
~狂人が作り狂人が支えた敵性作品~


 別冊少年マガジンに連載中(2021年1月現在)の漫画を原作としたテレビアニメーション。第一期12話。
 異世界転生とデス・ゲームを組み合わせた作品で、「奥浩哉」氏の漫画「GANTZ」の影響が強いだろう。
  

 人間嫌いの中学生四谷友助はある日の放課後、唐突に異世界に3人目のプレイヤーとして召喚される。ゲームマスターを名乗る未来人から完全攻略まで残り8周のクエストをクリアするように一方的に告げられた四谷は、クラスメイトの新堂衣宇と箱崎紅末とともにクエストに挑む。単独行動しつつも自分より強い2人を死なせないと奮闘しクエストをクリアする四谷だったが、周回ごとのクリア報酬で最終的に東京でドラゴンと戦わされることを知り、自分が頑張らなければ大嫌いな東京を滅ぼせる可能性に気づく。<WIKIPEDIAより>


 見ると時間を損するどころか、世界認識に対して不信を付加することになるので、避けるべき作品。無人島で一人、見られる作品がこれだけという状況でも、見ないで良い。視聴者を馬鹿にしていると思う。この作品のために「☆ゼロ」の評価を新設しようかと考えさせられたほど。
 
 1カット目で「この作品はだめだろう」と強い確信を得たのは初めて。本当に、こんなこと、ありえない。
 誰がどんな判断に基づいたって、新シリーズのワンカット目は重要だ。ファーストインプレッション。初めに感じた印象はその後に長く影響を及ぼすのは自明だ。どんなに台所事情の厳しい作品でも、作品冒頭には細心の注意を払い、なけなしの労力を費やしてクオリティを確保する。ゲーム開発でも序盤には細心の注意を払う。その世界への入口なのだから、無理なく素直に入ってもらえるように丁寧に組み上げる。

 今作はその視点において、本当に失敗している。

 暗闇の中にずらりと並んだ怪物の目が光るのをパン(カメラの水平移動)するファーストカット。いったいどのような物語が始まるのかと期待する視聴者に、不細工なモンスターをただただ見せつけてどうするのだろう。どうしたかったのだろう。しかも見えてくるモンスターのデザインがおかしい。強いのか弱いのかよく分からない微妙なデザイン。色と体躯的にRPG世界観でよく使用される「ゴブリン」なのかと推察されるが、はっきりしないので非常にモヤモヤする。
 他のRPGと同様に既存のモンスターを登場させるのは、説明を省いたり、作品世界に入りやすくする利点を持つが、微妙なデザイン変更を行って共通感を無くすることで、逆に不信と不安を高めている。ここまででこれは相当に厳しい作品だろうと確信する訳だが、さらに畳みかけてくる。
 
 OPが終わったあと本編に入ってみると、映像が全て「いらすとや」のキャラを切り貼りしたフラッシュアニメになっているのだ。
 
 「いやすとや」は商用まで含めて使用料無料のイラスト配信サイトで、どのような用途にでも使いやすいアクのない絵柄ながらきちんと個性的なイラストが豊富に取りそろえられており、町やネットで見かけない日がないほど定番となっている。このサイトのイラストを使用して第一話丸ごとを作っており、「ワケあり版」などと銘打っている。どうやら原作漫画で以前漫画自体のいらすとや版が無料公開されたなどの経緯から、今回のアニメーション化に際しても同じプロモーションを行った模様だが、僕はそんなの知らないんですよ! 普通のアニメーション版も違うチャンネルで公開されたようだが、なぜそういった情報を前提に見てくれると思ったのか……。その自信はどこから……。原作ファンで情報を追っていた人だけを対象にしており、自分などの野良視聴者は無視なのだろうか。
 腹が立つのが、この訳あり版、そりゃそうなのだがただのネタで全然おもしろくない。そもそも漫画での訳ありプロモーションは漫画の5巻として行われたようで、いきなり5巻を見る人はそうそういないだろう。4巻までの前置きがあれば、いつものあのキャラがこんな表現に――、といった楽しみ方が可能なのだろうが、アニメの一話目でこれをやったところで、初見の人がどのような感情を抱くのか、全く想像しなかったの?

 さらに腹が立つのが、二話~十二話の出来も非常に悪いこと。絵はいらすとやでなくなるが、レイアウトも演出もへたくそで、変なプロモーションを行う労力を、少しでも本来のクオリティアップに割り振った方が良かったのではないか。
 ゴブリンに続いて「トロール」「ガーゴイル」などの定番モンスターも、センスを見せようとして滑ったデザイン。常に不協和音を響かせる。
 主人公が5分くらいしか記憶が残らない思い込みの激しいヤンキーといった風情で、その場その場で勝手な思いを御大層に掲げる。一貫性など無い。噴飯物なのが何度も口にされる彼のポリシー。
 
 「いのちは皆平等だ。だから俺は俺より上等ないのちを守るためになら何でもする」
 
 ???。
 平等直後に優劣をつける発言。
 このような自分に酔った近視眼の幼稚性がキャラクターの台詞から、物語の運びから、もう全編からにじみ出ている。
 
 本当に! 頭が! おかしい!
 狂っている! 狂人が原作を書き、漫画化し、編集し、出版し――。
 またさらに狂人が今作をプロデュースしてアニメ化したとしか思えない!
 
 全員狂人!

 なにより絶望的なのはこの漫画を購入し、人気のあるものとして連載を継続させ、アニメ化につなげた読者諸兄の存在。
 きちんと鳴かず飛ばずで1巻に満たず終わらせてあげるのが、読者の良心では無いのか!

 作品の欠点をあげつらい、けなし落とすのは間違ったことだと思うが、筆が止まらない。自分はまだ未熟です。
 自分が大切にしているものと、全く逆方向のベクトルで作られたように感じてしまっている。これは、自分の持つ価値観に対しての敵性作品だ。
 第二期がすでに決まっているとのことだが、自分は決して見ないだろう。



2021年1月5日火曜日

アサシンズプライド

アサシンズプライド 1 [Blu-ray]

☆☆☆☆
~第一話は見てみて良いのでは~


 「天城ケイ」氏の小説を原作としたアニメーションシリーズ。2019年、全12話。
 

 瓶詰めの都市国家が大きな枝に連なったような世界。瓶の外側は暗闇の危険領域。人類の世界は瓶の中だけ。(なんかもう捨て鉢に感じる設定)
 暗殺を生業とするクーファは任務としてとある淑女の家庭教師を依頼される。もちろんただの教師ではなく、彼女がその家の跡取りにふさわしくないと判断すれば暗殺を行う事を含めての依頼である。
 織女メリダは能力の欠如から公爵家の血を引いていないのでは無いかと噂され、それを覆すために日夜鍛錬するものの、芽は出そうにない。
 クーファは彼女の決意にあてられ、その努力を実らせてあげたいと強く思うようになる――。


 第一話は見るべきところがある。

 映像作品というものは、時間と空間を自在につぎはぎすることを許されている。誰しもに覚えがあるように、時間の早さというものは至極主観的な尺度であるから、映像作品はそれを自在にして良いのだ。物理的に、理屈としてそれが正しいからという理由で映像を作成するのは基本的に間違っていると僕は思う。
 本作の第一話は非常に時間をかけて主人公とヒロインの関係を描こうと(描けているかといえば厳しいが)しており、名匠「出崎統」監督のような雰囲気を多少なり感じる事ができる。自分の良いと思うテンポで映像をつむぐ傲慢さ(良い意味で)。心象風景が現実を侵食するような脈絡のなさ(良い意味で)。一話全体としての出来は決して良好とは言えないが、演出の意気込みを強く感じるアニメ作品を見るのは久しぶりだ。

 また、一話冒頭にあるアクションシーンは全編通して最もクオリティが高く、フックとして充分に機能している。というか、このアクションシーンだけまるで別物。またあのクオリティ来るかな? という期待感だけで視聴を続けてしまう者もいるだろう。まあ、僕もだ。
 これはすわ良作かとときめいたが、それ以降は全く良いところなし
 
 演出の意気込みは主にカットの長さの緩急に現れているが、ツボを外したぼけぼけの時間感覚を押しつけてくるだけに。原作由来なのだろうが、あやふやな世界観が映像化されることでそのあやふやさを際立たせてしまっており、説得力皆無のままごと世界になっている。エピソードの混線具合も厳しく、シリアスなつもりなのかそうではないのかが常に分からない状態に。キャラクターの心情も筋が通っておらず、シチュエーションをつまみ食いするだけなので、物語を追うのもきつい。

 自分は声優の演技についてそれほど気にしない方だと思うのだが、ベテラン「大塚芳忠」氏が演じる「ブロサム=プリケット」というキャラの演出が明らかにおかしい。自分に酔いしれたいけ好かないキャラクターといった感じなのだが、セリフ量とカット尺が合っておらず、変な間があったり慌ただしかったりの異常事態。何らかの事故があったのか、意図した演出ではないと思うのだが……。

 エンディング曲は母に恋心を問うメリダの独白といった歌詞で作品と良く合っている。こういう雰囲気のエンディングが合ったなあ……、と考えてみると、ああ、一休さんのエンディングだ。母上様、お元気ですか?


かつて神だった獣たちへ

 かつて神だった獣たちへ 第1巻(初回限定版) [Blu-ray]
☆☆☆☆
~かつてコミックコンプを読んだオタク達へ~


 「めいびい」氏の漫画を原作としたアニメーションシリーズ。2019年、全12話。
 原作漫画は未読だが、試し読みの折り込みチラシで、達者な絵だな、と思った覚えがある。題名にも何か惹かれるところがあり、哲学的な内容を含むのだろうかと興味を感じていた。間違いだった。
 

 第一次大戦くらいの科学技術の架空世界で繰り広げられる大陸戦争。そこで投入された怪物化した人間兵『擬神兵』は圧倒的破壊力で戦争を終結に向かわせるが、戦争が終わってしまえば危険な化け物。またその技術は不安定であり、英雄だった擬神兵達はもどった故郷でそれぞれに問題を起こしていた。
 擬神兵部隊の隊長であったケインは獣に墜ちた各地の部下達を葬るための遍歴を開始する――。

 
 世界設定やキャラクターの行動、セリフに至るまで、一言でいうと、拙い。見た目においても動きにおいても演出においても、総じてレベルが低く、非常に厳しい出来になっている。原作漫画がどういった内容なのか分からないが、おそらく基本は同じで、画力で説得力を持たす系の作品だったのでは無いかと思う。そうで無ければアニメ化まで至る内容とは思えない。
 
 漫画には漫画の説得力や魅力があり、アニメーションにはアニメーションのそれがある。例えば台詞回しにしても、読んで理解しやすいものと聞いて理解しやすいものは異なる。画面構成も、静止した画像と動く画像では必要とされる要素が異なるだろう。つまり、漫画原作をアニメーションにするにあたっては、きちんと内容を咀嚼して媒体に合わせた再構成を行う事が必要なのだ。
 今作がどの程度原作漫画と同様なのかは不明だが、アニメーション化という作業に失敗していることは間違いない。背負ったバックパックのジェット噴射で高速移動する装置や、謎の無反動連射機関銃など、動かすと冗談にしか見えない描写が噴飯物の映像になってしまっている。
 
 ただ、みているととても懐かしかった。かつて「コミック・コンプティーク」と呼ばれる漫画雑誌があった。最近の漫画雑誌は読者の趣味嗜好に合わせて細分化が進んでいるが、昔はもっと単純で、少年向け、青年向け、少女向けくらいしか無かった。そこに「オタク向け」の内容として投入されたのがコミックコンプであり、エロ分野までカバーしたゲーム雑誌から派生したものだった。題材がゲーム、もしくはゲーム的な内容だったので、今から思い返してもものすごくオタクぽい内容だったと思う。その雑誌で連載されていた漫画のような雰囲気が、今作には満ち満ちているのだ。
 共通点は、「背伸びしてがんばったけど、子供だまし。薄い内容の雰囲気だけをたのしむ作品」
 でも、中学生の自分には楽しかったし、今のそのくらいの年齢の子達にとっても、ぴったりくる作品なのかもしれない。
 
 年齢に関係なくたのしめる作品は確かに存在すると信じるが、年齢に見合ったその時楽しい作品が大半であり、それをそれぞれの時点で楽しむのが正しい姿勢なのだろう。
 今作は、自分に合う作品ではなかった。いうても漫画でアニメで、若い子向けだ。合わない作品の方がどんどん多くなっていくのだろうな――。

 原作は現在(2021-01)時点で連載継続中で、当然アニメは尻切れトンボである。

 

 

2020年12月11日金曜日

スターシップ・トゥルーパーズ レッドプラネット

スターシップ・トゥルーパーズ レッドプラネット 通常版 [Blu-ray]
☆☆☆☆
~過疎感がすごい~


 2017年の日米合作CG映画。日本公開は2018年。
 バグと呼ばれる宇宙怪物(怪虫?)と遭遇した人類が、宇宙船に兵士を詰め込んで戦争を行う物語。
 

 民主主義崩壊後の新政府、地球連邦では軍部を中心とした「ユートピア社会」[2]が築かれている。社会は清廉で、人種・男女の差別なくまったく平等に活躍しているが、軍歴の有無のみにより峻別され、兵役を経た「市民」は市民権を有し、兵役に就かない「一般人」(劇場版日本語字幕では庶民」)にはそれが無い。銀河全体に殖民を開始する人類だが、その先で遭遇した先住の昆虫型宇宙生物(アラクニド・バグズ)の領域を侵したことから紛争が発生し、バグズが地球に対し小惑星を突入させる奇襲攻撃を仕掛け、全面戦争が始まる。<WIKIPEDIA『スターシップ・トゥルーパーズ』より>

 
 ポール・バーホーベン監督による映画一作目「スターシップ・トゥルーパーズ」は、高校時代の親友達がそれぞれの道で宇宙怪物バグとの戦いに挑んでいく姿を描き、監督本人が込めようとした軍国主義やプロパガンダに対する皮肉はあまり意識されない形で人気を博した。実写映画は三作続き、その後テレビシリーズにも展開されたようだが、今作はそれらの設定を引き継いだ、CGアニメ映画としての2作目となる。映画としては5作目。

 時折実写なのか分からないような映像もあり、画面単体でのクオリティはそれなりに感心させられるがそれまで。アニメでもCGでも実写でも、それは手段に過ぎず何が描かれ、どのような感銘を視聴者が受けるのかと言うことが本願なのだ。そう考えると今作はかなり寂しい内容だと言わざるを得ない。

 多用されているフレームぶれが非常に目につく。ショットの種類に関わらず、常に微妙にカメラを動かすことで、人が見ているような、人がカメラを持っているような雰囲気を出す手法で画面の情報量を増やして間が持ちやすくなるのも利点。だが、見ている人に気づかれない程度、空気感を出す程度にするべきなのに今作のそれは動かしすぎて安っぽい。

 宇宙戦艦、新兵訓練、艦隊攻撃、惑星殲滅、降下作戦、わずかな味方、惑星の運命を賭けた最後の戦い……。
 まだまだ沢山の要素がこんちくしょうとやけくそ気味にぶち込まれているが、数だけそろって全て小規模。残念ながら、全ての接頭語として「しょぼい」をつけるとしっくりくる状況。CGで数を増やしやすいバグの群体ばかりワラワラと出てくるが、兵士も火星市民も地球の司令部も、人間は最小限しか出てこない。人間のモブが居ないのでスカスカ。ソーシャルディスタンスかよ! と突っ込みたくなるほど過疎な雰囲気(映画はコロナより前なので関係ない)。

 ただ一つ、映画1作目のある意味失敗した点について、今作は達成しているかもしれない。1作目の内容があまりに面白かったため省みられることの少ない要素となってしまったのだが、「実は映画の全てが戦意昂揚のための映像作品でした」というのが本家のオチだ。軍国主義と喧伝放送による一見民意のように見える世界支配という主軸で、最後が徴兵宣伝で終わるという明らかなオチなのに、驚くくらい軽視されている。
 翻って今作は全編に渡って全て嘘くさく、また、戦闘シーンも大して興味を惹かれないという半端な出来なので、もし「これは戦意昂揚のためのプロパガンダ映像です」と言われらものすごい説得力だったろう。残念ながら1作目と違いそのような言及はないのだが、あればなるほど納得。自傷的なアプローチはファンの心に残ったかもしれないが、駄作のレッテルはさらに強固なものとして燦然と輝いていただろう。まさか狙ってそういうテイストにしたんでは――ないと思うが。


映画3作目『スターシップ・トルーパーズ3』の自分の感想記事はこちら。
スターシップ・トゥルーパーズ3 [Blu-ray]

☆☆☆☆
~神を風刺~ 

2020年11月30日月曜日

フッテージ

フッテージ スペシャル・プライス [Blu-ray]
☆☆☆☆
~恐怖の8ミリ映像~


 2012年の米映画でイーサン・ホーク主演の引っ越しホラー。ホラーって引っ越し契機のものが多いよね。
 

 未解決事件を再調査して真実を見つけ出す、というコンセプトで10年前に大ヒット作を書いたエリソン(イーサン・ホーク)だったが、その後二作は鳴かず飛ばず。妻と二人の子供をつれてペンシルヴァニアのとある家に引っ越してくる。そこは四人の家族が惨殺され、幼い娘一人が失踪という事件の発生した家であり、エリソンはこの事件の真相書籍化による起死回生を狙っていた。
 引っ越し作業中に屋根裏で謎の映写機と数本の8ミリフィルムを見つける。そこに映っていたのはこの家で行われた殺人の様子であり、他のフォルムにも同様の殺人風景が記録されていた。その隅に映り込む奇怪な仮面(?)の人影……。エリソンはその資料を警察に届けず、ベストセラー作家返り咲きを夢見て調査を開始する――。


 こういったオカルト事件を題材にした映画は現実か超自然かに大きく別れると思うが、あまり早期にどちらなのかが分かってしまうと興醒めの部分があると思う。本作は割りとバランスを取ったまま進行し興味を継続させるが、どちらなのか決まった段階でそれまでの現象にきちんと説明が付かない状態になっているので、なんだかフェアでなく、後半はただのビックリ屋敷、オバケ屋敷映画になっていく。驚かせ方は映像の加速減速巻き戻しを組み入れた編集による盛り上げのあと、血みどろ残虐の開陳といった手順。精神的というより反射的恐怖。

 自分は本作が現実にしても超自然にしても、作家ならではの切り口から謎解きが展開されるものと期待していたが、エリソンは基本的に驚き役で、事件を解きほぐすためにほとんど働いていない。まわりから来る変化に対しておっかなびっくりしているだけなので、そりゃ本売れんわ――とへっぽこ作家のイメージばかりが強くなる。

 110分とそこそこの長さの映画だが回りくどい描写による水増しが多い。といってもホラー映画の「タメ」は恐怖の階段であり、ジェットコーストーの長い巻き上げ時間と同義である。無くてはダメなのは分かるが、それにしてももう少しテンポ良くまとめる事ができたように思う。

 8ミリ映像は画面の揺れや劣化が違和感として残り、家族動画が映ってもどこか異様な雰囲気になる。ホラーにはぴったりなメディアだが、フィルム自体見た事の無い人の方が多くなっていくだろうから、小道具として使われる機会は減っていくのだろうか。あ、映画館の特典で生フィルム(デジタル上映で何が生なのかとは思うが)は最近も存在しているので、そっち方面から知名度は残っていくのかな。



2020年10月29日木曜日

スイス・アーミー・マン

 

☆☆☆☆
~雰囲気に惑わされてはいけない~


 2016年の米映画。日本公開は2017年。
 おならにゲロにチンコと、小学生が大好きな要素を詰め込んで、それをおしゃれな映像でまとめた頭のおかしいナンセンスコメディ。もしくは真に恐ろしいサイコホラー映画。これは皮肉でも褒め言葉でもなく、ただただ現実的にこの映画を表す最適な説明である。
 実写にしたスポンジボブ、絵を綺麗にしたダウンタウンの不条理コント、という比喩も浮かんだ。
 

 青年ハンクは無人島に一人きりでとうとう首つり自殺を試みようとするが、眼前の砂浜に一人の男が流れ着く。
 孤独が癒されるかと期待したが残念ながら溺死体そのもの。落胆したハンクの前で死体は腐敗ガスを肛門から吹き出し始める。その威力は強烈で水上を航行し始めたばかりか、追いすがったハンクを引き連れて島を離れていこうとする。
 とっさに首つり用ロープを死体に巻き付け、ジェットスキーのように上に立って疾走するハンク。飛び散る水しぶきときらめく陽光は彼の鬱屈した心を一瞬で霧散させた――。
 
 上記は冒頭あらすじだが、もし見るとしてもここまでて終えるのも良いと思う。もちろん以降も物語は続くが、え~そっちに行くの? といった異常な展開を見せるばかりなのだ。反対に言うと、ここで終わっていたらシュールなコントとしてひときわ目を引くものになっただろう。監督がこの作品を生み出したそもそもの原点がこのシーンだったということだから、ここが全てとも言える。

 水死体が放つ屁によって無人島を脱出という「へっこきよめさ」のような状態から始まった物語に、一体どのような妥当な展開が許されたであろうか。僕の心象風景としては、まるで毛筆の習字で最初の一筆を半紙の右下隅に置いてしまったような映画、となる。もうそれ以上どうしようもないのだ。まともな字を書くことは出来ず、文字に似た妙ちくりんな記号を描くくらいしか出来ない。
 
 あまりに突拍子もないものを突きつけられた時、上手く反応できないことがある。それが自分に届くまで誰も止めなかったという事実が、この作品に何かしらの価値があるのでとはないかという疑惑につながり、ひょっとして自分の直感が間違っていたのではと疑心暗鬼に陥るのだ。しかもそのトンでも案件を掲げているのが何がしらの実績を持っている人物であった場合、非常に対応が難しい。
 ゲーム会社で様々な企画に触れていると、まさにこういった状況に出会うことがある。
 新入社員だった頃、雄志による「企画立案サークル」のような集まりがあり、皆が順に自分の企画を提案していった。その中でサウンド課の重鎮が「ゾンビになったサムライによる対戦ゲーム」をぶち込んできた。当時「ブシドーブレード」という剣戟アクションが話題になっており、それの派生だと思われる。もう詳細は覚えていないが、企画詳細というものはほとんどなく、ただサムライがゾンビなんだという主張のみが全てであった。
 自分はこの企画の魅力がまったく分からなかった。煮ても焼いても食えそうにない内容に、先輩方はどのような反応を示すだろうか(どう諫めるか)と期待したが、「ゾンビと組み合わすのは斬新だね」とか「細切れになっても死なない戦いかあ」などの微妙ながらも好意的な反応。もしかして自分が気がついていないだけで、このアイデアは何か良いところをついているのか? 若さに傲慢な新入社員でも揺らごうというものである。

 上記の様な現象がこの作品界隈では発生しているのではないだろうか。
 ネットで評判を見ると、わりと好評意見が多いのだ――。
 水死体のジェットスキーをフックにしているような映画を見にいく人はそもそも奇特な集団だというのもあろうが、冷静に考えてこの作品は「★☆☆☆☆」以外あり得ないと思う。人に勧められる物では無い。

 今作の監督ダニエルズは二人のダニエルのコンビ名で、ミュージックPVの監督として評価が高い模様。確かに逆光気味の暖かな印象の絵作りや、一筋縄ではいかない悲惨なロマンチシズムとでもいった内容は個性的だ。PVから映画監督への転身というとデヴィッド・フィンチャーを連想するが、彼の映画監督1作目「エイリアン3」も個性は出ているもののあまり……という出来だった。同様に今後の活躍に期待したい。

 

 



フィフス・ウェイブ

フィフス・ウェイブ [Blu-ray]

☆☆☆☆
~こんなヒット・ガール見たくなかった~


 2016年アメリカ。竜頭蛇尾のSFドラマ。
 

 突如上空に現れた巨大な宇宙船。いつかしらアザースと呼ばれるようになったその存在は、特に何をするでもなく地球を周回。その風景は意味の分からぬまま日常に溶け込もうとしていたが、その安寧はある日突然終わりを告げる。
 宇宙船が電子パルスを照射。地球上のほとんど全ての電子機器が使用不能となり、人類は混乱の只中にたたき落とされる。これを第一の攻撃、ファースト・ウェイブとし、その後も全地球規模の波状攻撃が繰り返される。――それでも人間はコミュニティをつくり、力を合わせてなんとか生き残ろうとする。
 そんな人類を殲滅するためにアザーズがとった第五の攻撃、フィフス・ウェイブとは――。
 
 特に関係がないようだが、ディズニーチャンネルで放映されるティーンを主役とした青春ドラマ(映画)に雰囲気が非常に似ている。日本でいうアイドル映画のようなもので、どこか割り切ったクオリティと内容
 序盤は丁寧な絵作りと派手ではないが気の配られた綺麗な映像で期待が高まったが、中盤以降は何かあきらめたようなぞんざいさ。終盤などはこれまで積み上げた設定や感情を投げ捨ててともかく一区切りをつけて終わり。スケールもどんどん小さくなっていき、まさに内容も規模も竜頭蛇尾。

 ともかく「第五の攻撃」が何なのかというのが作品全体を支えるギミックとなっているが、これがうまく働いていない。普通に見ていると中盤で十分予想できてしまうオチで、自分の洞察がすぐれているなどではなく表現として明らかにそう示されているのだ。例えばどこか怪しく見える軍隊の行う虐殺。アザースに寄生された人間の透過映像のチープさ(他のクオリティと比しても確実に程度が低く意図的としか思えない)。
 見え見えの設定を映画の中では予想も付かないこととして扱っており、正直辟易する。
 
 主人公が女子高校生で、彼女のサバイバルが一軸となっているが、どうにも判断がおかしい。いちいち「それはちゃうやろ」という判断、行動に出て見ている方は困惑し、やがて苛立ってくる。有り体に言えばバカ女の諸言動に振り回される童貞男という展開なのだ。コメディでなく真面目にこれをやるのだからつき合っていられない。


 残念ながら演じているのがクロエ・グレース・モレッツ。彼女は幼少期に「キック・アス」で生意気ながらも切れのある子供ヒーロー役を演じて人気を博したが、今作の彼女は残念ながら何の魅力もない元人気子役といった風情。生意気な役どころにキック・アスの人気再びを狙っての起用かもしれないが、幼さというフィルタがなくなるとその言動はただの「嫌な人間」になってしまっており、大失敗だ。

 

2020年10月26日月曜日

ブブキ・ブランキ

ブブキ・ブランキ Vol.1 [Blu-ray]
 ※アマゾン商品へのリンクです。

☆☆☆☆
~まずい脚本とはこういうこと~


 2016年のTVシリーズアニメ。第一期と第二期を半年ほどあけて放送の全24話。オリジナルでこれだけの話数を放送は昨今珍しい。

 「肌に合わない作品」という物は確実にある。理屈を立てて理解する前に、感触としてこれは合わないと感じ、視聴を続けてもその印象が変わらない作品のことだ。自分にとって、この作品はまさにそれ。
 

 いにしえから存在し、人間社会の裏で大きな武力として使役されてきた巨大機械「ブランキ」。それを操るのは一体に付き両手両足と心臓の5つの核を一子相伝するブブキ使いたち。最も重要な心臓の核全てが突然機能不全に陥り、世界中のブランキが起動できなくなり、各国のパワーバランスの崩壊から混迷の時代に突入した。
 その原因とされた「魔女」と呼ばれるブランキ使い一希汀(かずき みぎわ)。その息子である東(あずま)は、幼い頃から過ごしていた浮遊島で起きた事件により地上に落下。魔女の息子と呼ばれながら浮遊島に戻る方法を探し、10年を経て日本に帰国した――。

 
 あらすじを書こうとすると、何が大切で何がどうでも良いのかを取捨選択することになるが、今作はそれがまるで分からない。もちろん全編を視聴したあとなので大筋は理解しているはずなのに、判別出来ないのだ。
 最後まで見た上での物語の説明をすることは出来る。だがそれは一部始終を知った殺人事件において、犯人の動機、犯行手順のみを説明するようなもので物語をなぞったものではない。どうやらこの作品、脚本が致命的に悪いようだ。
 
 自分の勤める会社の社長は元映画畑で働いていた(助監督)経緯を持ち、映画関連に造詣が深い。月一で押しも押されぬ名画を解説付きで視聴する「映画鑑賞会」を主催しており様々な話を聞く機会となっている。その中で「映画が脚本以上になる事はない」という言葉が紹介された。他でも聞いたことがあるので割と有名な言葉なのかも知れない。様々な解釈が出来るだろうが、自分は「良く出来た脚本はその後の作業の土台となり、上につくる建物をきっちりと支える。悪い脚本は天井となって上限を覆ってしまい、その後の作業の邪魔となり、いびつな建物作りを強制する」というように理解している。
 ゲーム作りでも良いアイデアはその他の面白い思いつき、関連するアイデアをどんどん引き込んでくれるが、悪いアイデアは一見面白そうに見えてもその後の広がりを得ることが出来ない。
 上記のような意味で、今作の脚本は作品のいらぬ縛りになっているように感じる。
 良いケースパタンになるのかもしれないので、自分向けのメモとして二つほど挙げてみる。
 
―――――――――――――――――――

①導入が重い

 物語冒頭はその作品の入り口となるもので非常に重要である。また、視聴者にとって負担の大きいものだ。
 どういった世界がどのようなルールで展開するのか。
 これが視聴者の中で構築されるまで、情報処理の負荷が非常に高い。枠組みが出来てしまえば新しい情報で見えてきた部分を付け足すだけで済むが、それまでは一生懸命に理解しようとする必要があるのだ。これは新しい人に出会った場合も同じで、見た目やしゃべり方などでひとまずどんな人だと決めてしまう。そうしてから長いやりとりを経てその人物像を更新、最適化していくのだ。
 この負担を減らす方法として「続編」「肩書き」「模倣」などがあるだろう。続編は当然気楽だし、人物において「XX会社の役員」といった肩書きは関わり方を決めるのに大きな助けとなる。模倣は「異世界転生もの」のようにフォーマットを共通化させることで負担を軽減している。(異世界転生ものが素晴らしく流行したのは、導入の気楽さが大きいと考えている)

 反対に、情報が足りなかったり、これまでに出会ったことのないような対象だったりする場合、枠組みの構築が上手く行えない。こういった時は、非常にモヤモヤとして気持ちの悪い状態を継続することになる。
 長くなったが、本作の導入がまさにこれである。
 
 まず10年前、浮遊島で起こった事件が描かれ、その後現在の物語が開始される。こういった二段階に分けた導入は良くある手法で、たとえばクライマックスからはじまり、それが夢でしたと本来の物語が始まる。この場合冒頭クライマックスはフックの役割を果たし、本来重いはずの導入の手助けとなり物語に導いてくれる。
 今作では第一段階が牧歌的な雰囲気からはじまり、それから第一のクライマックスに至るためフックの役割を果たさない。一生懸命構築しようとした作品感をクライマックスがぶちこわすのである。そして10年がたち第二段階である本来の物語が開始されるが、第一段階の情報がまったく役に立たないどころか意外な展開(優しい母が魔女呼ばわりされているなど)に持って行こうとして逆に理解の妨げになっている。つまり「構築①」⇒「破壊」⇒「構築①によって困難になっている構築②」となっている。そのため置いてけぼりになった感じが強く、それが継続する。

 プロが作り上げた作品に対して事情を知らない外部が「こうすれば良いのに」というのは非常に失礼で傲慢な事だと思うのだが、どうしても一言申し上げたい。
 
 10年前の下りは無い方が良い!
 
 実際これを切り落としてもすっきり感が高まるだけで物語への影響がない。その後に何の変更を加えなくても、おそらく大丈夫だ。
 無駄な物を残して物語を分かりにくくしているという点でこの脚本は良くない制限になっている。どんなに演出や作画が気を吐こうと、カバーできる難点ではないのだ。


②状況が解決する前に別の状況をかぶせすぎる

 大雑把に説明すると本作は色々なシチュエーション、組み合わせのバトルをどんどんつなげていくという展開になっている。
 これ自体はロボットバトルを主軸に据えた物語なので妥当だと言えるが、問題は「バトルの決着がつかないまま次のバトルになだれ込む」事が非常に多い点である。AとBの戦闘中にCが乱入し、BとCの戦いがメインになってAとBの戦う原因は放置状態で物語が続き、BとCも特に決着がつかないまま閑話休題を開始――といった具合。句読点のない延々長い文章を読ませられるのと感じがとても似ている。すべてにおいて決着をつけないので、フワフワと気持ちが悪いのだ。

 なぜこういう構成にしたのか、ちょっと理解できない。どんどん状況を切り替えて興味を引こうとしているのだとすると、うまく働いてはいない。被さってくる状況が前の状況より魅力があるというわけでもないので、途中で無理矢理チャンネルを切り替えられた感じになる。


―――――――――――――――――――
 このように脚本が縛りとなってどうにもならない不愉快を確定させている部分が多く、これほど脚本がダメだなあと思うのも希だ。
 全体に思いついた言葉とシチュエーションを無理矢理つなぎ合わせて物語に使用とした、統一感のない出来の悪いパッチワークである。
 
 脚本云々いうのは、他のパートががんばっているなと感じるところが多いため。
 キャラクター、ロボットは3DCGで作画されており、静止画としてのクオリティが高い。特にキャラクターの輪郭描画は一定の太さではなく適度に入り抜きが表現されており、平板さを感じさせない。アニメーションもセルアニメの良さ、キーフレームを自動補完するだけでは出てこない溜め詰めの気持ちよさを再現。レイアウトも3Dとしての正確さではなく、ゆがみによる見栄えを考慮している。
 この辺り、一期と二期ではまるで出来が異なると感じる。
 一期は上記の様な魂の入れ込みが無く、正確だけどつまらない画面が非常に多い。
 列車の荷台で戦闘するシーンがあるのだが、嘘がないため狭い舞台に感じたり、キャラクターの位置関係がまるで絵になっていない。カットによって広さも、位置関係も変えてしまえば良いのに、カメラの位置を苦労して変えることに終始して苦しんでいる。
 二期はこの手の3D慣れしていないシーンが少なく、一期の様々な経験をきちんとフィードバックしているなと感じる点が多い。
 
 今作は、作品としてはがっかりな物になっているが、スタッフの力量を底上げするという意味では大いに価値があったのだと思う。
 
 ところで「ブブキ・ブランキ」と自分が以前酷評した「文豪とアルケミスト~審判ノ歯車~」のスタッフを見ていると、イシイジロウ氏が重なっている。ゲーム開発を主戦場とするクリエイターのようだが、いくつかの記事をあわせて考えるとどうやら自分はこの人の感性が苦手なのではと思われる。好きな作品で共通のスタッフが居るように、がっかりと感じる作品で共通してくるスタッフも居るのだなあ。多分、避けるべきなのだろう。

 

 

2020年10月16日金曜日

ケープ・フィアー

 ケープ・フィアー [Blu-ray]
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☆☆☆☆
~ロバート・デ・ニーロ48才の肉体美~


 1991年アメリカ。ロバート・デ・ニーロ主演のマッチョおっさんの嫌がらせ復讐劇。
 1962年の「恐怖の岬」のリメイクということで、オリジナルの役者が何名もカメオ出演。犯罪者が警察官になったり、なかなかしゃれた配役となっておるらしい。
 

 マックス・ケイディは16才の少女に対する暴行障害による14年の服役を終えて出所。刑務所での日々は非常に辛いものであり、それに耐えるために文盲を覆して読書家になり、体を鍛えて筋骨隆々になっていた。
 マックスは当時の担当弁護人サム・ボーデンが弁護業務に手を抜いたために長期服役になったと思い込んでおり、14年の間に復讐の念が凝り固まった危険な人間としてサムの前に現れた。
 犯罪すれすれ、もしくは露見しない犯罪による嫌がらせをくり返して、サムに迫っていく。やがてサムの娘の存在を知ったマックスは演劇授業の講師を偽って娘に近づき、15才の少女の好奇心につけ込んでその心の中にまで忍び寄っていた――。

 ぎっちり張り詰めた全身の筋肉。体中に彫り込んだまがまがしい入れ墨。当時48才のロバート・デ・ニーロが演じるマックスの必要に応じて知性と粗野を切り替える犯罪者の存在感がすごい。こんなのが側に現れたら百戦錬磨の弁護士も狂気に染まっていくだろう。さすがだなと見ほれてしまう演技。
 
 しかし、作品全体としてみると感情移入できる登場人物が誰もいないのが辛い。弁護士サムはマックスに恨まれても仕様がないような状況だし、インテリらしい他力本願の卑怯な手段ばかり使ってとても応援できない。娘はこまっしゃくれた生意気さで、うかうかと危険に入り込んでは無自覚に周囲を危険におとしめていく。えらい目に遭うと嬉しくなるほどのヘイト稼ぎキャラ。他に弁護士仲間や警官、私立探偵まで出てくるが、応援したくなる人物は居ない。彼らに比べれば適役であるマックスの方がまだ応援できる。
 サムの妻リーが娘を想う気持ちからけなげに体を張るシーンがあり、そこだけがまともな人間に感じた。
 誰にも肩入れできない映画という物は、本当に視聴者が孤立して寂しくなる。どんなに名演技をされてもこれでは楽しむことは出来ない。
 
 マーティン・スコセッシ監督による演出もどうもいまひとつ。高速ズームインによるカッティングが多用されているが、まあ、今見るとコメディっぽく感じてしまう。最近インドドラマのズームインをくり返すこてこての演出(「インドドラマ くどい演出」とかで検索すると引っかかるよ)が一部で話題になっているが、その源流はここなのではないかと思うほど多様されている。
 
 知的な犯罪者が弁護士を合法的に追い込んでいく様が見事だったので、暴力路線に切り替えずにそのまま復讐完遂して欲しかった――。
 

 

2020年8月17日月曜日

カンフー・ヨガ

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 ☆☆☆☆
~CG合成が実写の魅力さえ打ち消す~


 2017年の中国とインド合同制作のアクションコメディ。題名の表すとおり、二つの文化の折衷をしようとしたような内容でそれぞれの文化がカンフーと全員ダンスの形でフィーチャーされているが、非常に表層的。

 中国の歴史研究者ジャックのもとにインドの大学教授アスミタが訪れる。貴重な地図を持参し、それが指し示す遺跡を一緒に探して欲しいと言うが――。

 話しはおまけにもなっていない添え物であり、きちんと理解しようとしない方が良い。シチュエーションだけを追い求めるコメディなのだ。貴重な地図を乱雑にカバンに押し込めていることからも、きちんと世界観を表現としようという気はまるでないことがよく分かる。


 冒頭10分ほどがフルCGの大乱戦シーンとなっており、出来はともかく派手。ゲームの無双シリーズみたいな映像が展開される。その後も全編にCGによる背景、合成が行われ、ビビッドな色調に統一された画風は美しいが、アクションもどこからどこまでがCGなのか分からない状況なのでジャッキー・チェンのよって立つところである実写実演の力を大きくそいでしまっている。実写と思えるところもテンポ良くするために容赦なくコマ落としされており、それがまた粗雑なコマ落としでカクカク跳んで見える始末。実写とCGの合成技術レベルは高く、違和感を感じるシーンは少ないが、結果それなりのアクションシーンが展開されるだけですごみがまったく感じられない。逆説的ではあるが、実演による緊張感や迫力というものは確実にフィルムに焼き付くものなのだという証明になっている。


 ジャッキー以外の出演者はミュージシャンやモデルあがりのきれいどころが並び、一見華やかだがこれまた個別の魅力に欠け、ごっこ遊びの域を出られていないように感じる。さらに、どうも全ての登場人物を平等に扱う縛りがあるのかエピソードが分散してキャラクター全員が薄味に。脇役は脇役であるからこそ主役が引き立つのだなと、これも逆説的に明示されている。


 国同士の関係が非常に悪い中国とインドが合同で映画を撮るということはそれだけで価値があることだと思うが、描きたい内容ではなく制作上の条件ばかりが積み重なって全てを満たすために作り上げられた作品という印象。誰もこの作品を本当につくりたくはなかったのではないだろうか。そんな疑念が湧いてくるほど無くても良いシーケンスに満ちあふれている。こういった根本的なコメディをまじめなアクションで進めていくというスタンスはそれこそジャッキーの初期カンフー映画を思い出させるが、実写実演の魅力がバランスをとっていたのだ。その魅力がない本作は底抜けでとりつく島もない脱線コメディになっており、虚無を感じさせる。


 昔からジャッキー・チェンの映画を楽しんできた身としては、さしもの彼でももうアクション映画はきついなあと感じつつ、他の若手と比べても一番魅力的な動きを未だ保持している点が嬉しかった。

2020年7月7日火曜日

<小説>叛逆航路

 
 ※小説の感想です。 

☆☆☆☆
~読みにくく、がんばって読んでも甲斐がない~

 2013年(日本語版2015年)のSF小説。
 著者アン・レッキーのデビュー長編で、ヒューゴー賞/ネビュラ賞などの権威ある賞を総なめした。

100人ものクローンが頭脳を接続して群体として機能する、事実上不死の皇帝が収める銀河帝国。
その宇宙戦艦も同様に、艦船AIが数千の人間に上書きされて群体となって任務に就いていた。
その一人であったブレクはある事件を機に他の自分と切り離され、独りぼっちとなって帝国に追われることとなる。
事件の真相とは。ブレクの目的とは――。

 この小説、まずもってとてつもなく読みにくい。主な理由は2つ。

◆三人称代名詞に男女の区別がない
 全て「彼女」で統一されている。
 これは男女を区別しないという帝国の文化を表現(主人公が帝国人)したものだが、3人以上の人物が同席するシーンでの混乱がすごい。
 人称以外の言葉遣いも男女関連ないので、本当に誰がしゃべっているのかが分からないのだ。
 また、小説を読むということは心象を描くことだと思うが、全く絵が浮かばない。立ち居振る舞いも男女という情報によって補完されている割合が非常に大きいのだろう。

◆複数視点を織り交ぜて描写
 物語の設定上、群体の意識は個別であるが統一されている。
 つまり、10人の兵士が街に散らばっていて、それぞれの業務に取り組んでいても、意識は1つなのである。
 これを表現した文体がこれまた分かりづらい。屋外警備を行っている兵士Aのあとに、士官の補佐をしている兵士Aの文章が並ぶのである。
 例ではあるが、「池の湖畔は月に照らされ、風が心地よかった。執務室で私は士官にお茶を運んでいた」といった具合。
 どこにいて何をしているのかが大きな区分なく続けて記述されるのだ。
 
 SFの設定をそのまま作品スタイルとして定着するというのはすごいなと思う。
 男女という情報が読書において非常に大きな情報減である事に気づけたのもおもしろい。
 このような点が各賞受賞に繋がったのだろうと思う。
 
 が、しかし――。
 この作品、かなり人を選ぶ内容なのではないかと思う。
 自分は残念な事にあまりおもしろくなかった。三部作が存在するが、続きは読まなくて良いかな、と思ってしまう。
 絵が頭に浮かばない状態で読み進めるのが本当に苦痛で、引き込まれるというより何とか手を放さずに引きずられていった印象。
 設定はおもしろいが、話としてはあまり内容が無い。現在と過去を交互に描いて謎解き風にしたりと、あれこて分かりにくくしているだけ。
 登場人物も性別不明だと自分は少しも感情移入できなかった。
 
 正直良くこんなにたくさん賞を取ったもんだと不思議に思う。
 新規性がとても大事なのだろうか。
 
 読みにくい原因としてもうひとつ心あたるのは、この訳がとてもまずいという可能性。
 「赤尾秀子」氏が翻訳をつとめているが、他の訳書を見てみるとヴァーナー・ヴィンジの「レインボーズ・エンド」も赤尾氏ではないか。
 この作品、他のヴィンジの作品とまるで異なった印象を持っており、すごくつまらない。そのつまらない感じが叛逆航路とまるで同じである。
 訳として正しいのかもしれないが、意味が非常に分かりにくいのだ。訳者の補完がまるで無い印象なのだ。
 
 原書で読む機会は無いだろうが、別の訳者さんでどうなるのか読んでみたくはある。



 


2020年6月8日月曜日

封神伝奇 バトル・オブ・ゴッド

封神伝奇 バトル・オブ・ゴッド [Blu-ray]
 ※Amazonの商品リンクです。

☆☆☆☆
~尻切れトンボの見なくて良い作品~

 2016年の絢爛豪華な中国アクション映画。日本では2017年に公開。
 中国明代に成立したと言われる古代小説「封神演義」を下敷きとした物語と言うことだが、いったいどれだけの要素が反映されているのか……。

 時は古代中国、殷の時代末期。第三十代の王、紂王(レオン・カーファイ)は九尾の狐が化けた美女、妲己(ファン・ビンビン)に魅了されている。彼は操られるままに暴政を行い、周辺への侵略を開始。人間界では魑魅魍魎が跋扈し、乱世が始まろうとしていた。事態を重く見た仙界最強の道士にして周の軍師、姜子牙(きょうしが)(ジェット・リー)はそれを阻止しようと楊戩(ようせん)(ホァン・シャオミン)、哪吒(なた)(ウェン・ジャン)、姫雷(きらい)(ジャッキー・ヒョン)らを遣わす。一方、妲己もすでに謀略を張り巡らしていて神と魔の戦いが始まる。(Wikipediaより)

 始めに明言しておくと、この物語非常に中途半端なところでぷっつりと途切れて終劇している。続編を大前提として制作し、その予定がぽしゃったのか、まさか物語の余韻とか考えてここまでとしたのか。どちらにせよ確実に言えるのは、非常に不誠実な映画であり、見るに値しない作品になったと言うこと。

 またさらに、自分の分類としてこれは「映画ではない」と思う。
 
 映画の定義は人それぞれにあるだろうが、「映像でなにがしかを伝えようと目指し、そのために様々な要素をより合わせたもの」だと自分は考えている。この線引きで今作を位置づけると、まずこの作品は何も伝えようとしていない。その場その場の映像的快感を担当がばらばらに追い求め、つなぎ合わせたものである。

 映像単体でみると、かなり頑張っている。衣装デザイン、舞台となる建築物のデザイン、ダイナミックなアクション、そつなく画面を統一しているCG技術。正直に言って、(かかっている予算が違うのだろうが)邦画のクオリティを軽く上回っている。

 しかし、それぞれの映像がつながって形にしたものは、価値においてマイナス、ゴミである。
 このような言い方は大人げなく、関わった人に失礼とも思うが、この作品を認めることの方が関わった人たちへの侮蔑になると思う。
 各スタッフが才能と時間を費やした努力を認めるからこそ、きちんと評価しておくべきだ。
 
 各シーンはどこかで見た映像の焼き直しである。
 指輪物語、スターウォーズ、アベンジャーズ、インモータルズ、ヒューゴの不思議な発明――。
 見ているとたくさんの作品が想起される。映画以外にも日本の漫画からの影響も大きそうだ。
 これだけの技術があるのなら、新たな映像美を描くことが出来たのではないだろうか。
 
 センスが厳しい。
 センスについてとやかく言うのは言う方にとっても怖いものだが、今作は中国独特ののりがきつすぎる。
 かわいいはずのちびキャラは完全に気持ちの悪い存在であり、見ていて不快感しかない。
  ※パクられた中華ドラえもんの気持ちの悪さを想起してほしい。
 ジェット・リー始めとする大御所の演技のバタ臭さも本当に厳しく、レッドクリフのような寒さである。
 お寒い会話のやりとりにやたら尺を取るのもやめてほしい。
 いくら見た目を良くしても中国の映画のよくある感じがそのままだ。
 
 話が無意味。
 ご都合主義というのもはばかられるほど、物語に意味がない。
 なんらつじつまに頓着せず、好きな場面だけ作っている。
 このような姿勢だから、ラストを中途半端にしても平気なのだろうか――。
 
 カメラ割りがひどい。
 半分以上のレイアウトで水平線を斜めにしているのではないだろうか。
 エロゲームのイベント絵かと言いたい!
 カメラは虫のようにぶんぶん動かして定まらないし、高速アクションのカットつなぎももうワンテンポ待てば気持ちよいだろうに、といったずれが常につきまとって不快。
 
 特に自分がきつかったのは、全編ににじみ出るモラルや連帯感の低さ。
 各人好き勝手にやっているだけで、協力とは他者の力を利用することと言う認識。これは敵も味方も同様。
 シナリオとしておもしろいからそうなっているのではなく、息を吸うように自然に前提になっているのである。
 ――古い映画を見るとき、今ではあり得ない他人種や異性への扱いを見ることがある。時代が違うのだから前提となる文化基準が異なるのも当然。これを糾弾するつもりはないが、あまりにかけ離れていると見ていて気分が悪くなるのも確かである。
 この作品を見ていると、中国の文化と我々の文化は相容れないのだろうと強く感じる。
 時代の違いのせいでないのなら、これは何による差異なのだろう。
 中国の民度がまだ発達途上である所以だろうか。国の制度の違いだろうか。
 ともかく大きな違いを突きつけられて、人類皆兄弟なんて遠いよなと素直に思えた。
 
 最後にも改めて書くが、中途半端なところで終わる映画なので、見ない方がいい。
 
 

2020年6月4日木曜日

バトル・ロワイアルII 鎮魂歌

バトル・ロワイアル II 鎮魂歌(レクイエム) スペシャルエディション 限定版 [DVD] 

 ☆☆☆☆
~若手の演技が下手~
※2008年以前の感想に追記したものです。

 2003年邦画。大ヒットとなった1作目「バトル・ロワイアル」の流れを汲んだ続編。
 1作目は中学生の殺し合いを描くセンセーショナルな設定が賛否両論となり、結果大ヒットとなった。
 話題性だけでなく、ヤクザ物や時代劇でバイオレンス映画の巨匠となった深作監督の新境地として海外でも高い評価を得た。
 
 1作目は小説「バトル・ロワイアル」を原作としていたが、続編が執筆されていないため、今作は映画オリジナルとなる。
 中学生のクラスメート同士に国家が殺し合いを強制するという前作のその後、生き残った者たちがテロリストになり、それを殲滅するためにこれまた中学生が投入される。
 設定だけ聞くとなんやこれは、となるが納得行く説明はない。これは前作の殺し合いも同じで、とにかく特定の状況に放り込むことが目的なので、設定自体にはこだわらない方が楽しめる。いわゆるデス・ゲーム物としては丁寧に説明されている方だ。
 
 残念ながら今作は深作欣二監督の絶筆(っていうのかな?)となる。完成を待たず他界されてしまった。
 冒頭の数十分はおもしろいが、それ以降はだらだらとした展開。感情移入できない人々のうっかりちゃっかりを見せられるのみ。
 大人と子供の対立する世界で、子供同士の戦いが強制されるというシチュエーションなので、中高生の出演者が大半。彼らが、如何ともしがたく、演技下手。視聴中常に冷や水をぶっかけられるみたいなもので、心が風邪をひきそう。
 中途半端に馬鹿馬鹿しい展開にあきれていると、限界を越えた阿呆なシーンが突然飛び込んできて、これには驚かされる。嫌みではなく、あそこまで無茶苦茶だと「そういうもの」だと納得させられてしまう。このシーンには心が揺さぶられたが、これだけのために見る映画でも無く――。一通り観ればどこかはすぐに分かると思う。

 撮影半ばで力つきた監督の後を、プロデュースをしていた息子が継いだということだが、おそらくこの息子さんがほとんどの部分をディレクションしたのでは。そう思いたい。たたき上げの熟練監督にしては、つたなすぎる。
 
 特典映像で撮影風景が収められており、みんな一生懸命で真面目にテンション高くがんばっていた。……なのに、こんな作品になってしまう。映画というものは、本当に難しいものなのだな。



2020年3月4日水曜日

デトネイター

デトネーター [DVD]

☆☆☆☆
~おもしろ黒人ガードマン~

 
 2006年のスパイアクション。対象を守る任務を主にするのでスパイと言うよりボディガードか。
 主演のウェズリー・スナイプスはヴァンパイアハンター物の「ブレイド」が有名な黒人俳優。
 

 米安全保障省の捜査官サニーはルーマニアでのおとり捜査を進行していたが、内部からの情報流出により危機に陥る。取り逃がした対象を追ううち、その背後の黒幕、国際的な密輸犯罪の進行に巻き込まれ、重要参考人の美女ナディアの護衛をすることになる。
 ナディアは守るに値する存在なのか。内部に潜む敵は誰なのか。密輸計画が進む大量殺害兵器「デトネーター」とは――。


 予算のない映画は、高速撮影をしていないストップモーションが多用される。ゆっくりスローモーションで動くのではなく、カクカクと一コマを長くうつすことでの映写時間遅延である。
 高速撮影したかった、もしくはしておくべきだったが出来ず、編集段階の演出として致し方なくストップモーションという雰囲気。この代替手段は、いたしかたない妥協を強く感じさせる。これでなくては! という箇所で使用された例を自分はまだ知らない。
 今作もこの手の表現が多く、そういう映画なのかな。

 小粒だが、なかなか上手くまとまった作品。
 全体としてもキャラクター個別にしても行き当たりばったりで大きな流れはあまり意味がない。その時その時のシチュエーションが興味を引っ張って次のシチュエーションにつなげる継投策なので、個別のピンチを切り抜けるという以外のドラマはない。
 なので大きな流れが気になってしまうと、「なぜ大量殺害兵器が関係してくるのだろう」「主人公はどういう権限で動いているのだろう」といった疑問にとらわれて楽しめなくなってしまう。
 最後ももはやファンタジーの領域だが、変に小難しく終わるよりは良いかもしれない……。
 
 いい女を助ける型破りの刑事の大活躍。
 
 それ以上を求めなければそこそこ楽しめるかも知れないが、他に見るべき作品はたくさんあるだろう。

 

2020年2月4日火曜日

十二人の死にたい子どもたち

十二人の死にたい子どもたち (通常版) [Blu-ray]

 ☆☆☆☆
~青春の主張~

 2019年の邦画。サスペンスとミステリー。
 原作は「天地明察」「マルドゥック・スクランブル」を手がけた冲方丁初の長編ミステリー小説。
 監督は一時代の無理矢理おもしろくするフォーマットを確立して見せた堤幸彦。
 

 携帯でメールを見ながら廃病院に続々集まる少年少女たち。
 自殺を決した12名がネットでの呼びかけに応じて死ぬために集合していた。
 全員がそろってみると12のベッドが据えられた自殺決行の部屋で、あり得ない13人目がベッドに横たわっていた。誰がそれを行ったのか、どうして行ったのか。
 自殺の決行は全員の合意がなされるまで行われない。参加者でもある主催者のルールにより、12人は事件の真相を求めて行動を開始する――。

 廃病院に舞台を限定していることで、上手く映像のクオリティを安定させていると感じる。冒頭の空撮から廃病院入り口へ至り、その後病院内の各所を移していく流れなど、非常に期待感をあおるなめらかなつなぎとなっている。少し現実とずらしたイメージカットを挿入したり、象徴的なデザイン(母胎像)を各所に廃したり、雰囲気を上手く盛り上げている。
 12名(13名?)にも及ぶ登場人物に上手く自殺にいたった経緯などを披瀝させ、同時にキャラクター性も視聴者に刻み込んでいく。これなど服装、話し方、キャストなど多くの要素をくみ上げた事による成果であろう。
 
 ただ、話が進んでいくほどに印象は厳しくなる。

 まず一見して「子ども」という言葉に引っかかるだろう。設定では15~18歳の子どもたちとなっているが見た目がとてもその年齢には見えない。実際役者は17~23歳で、全般に苦しい。確かに言葉や思考の浅さには子どもらしさがにじみ出て、中二らしさがあふれているので、これは映画特有のキツさなのかもしれない。あえて大人の外見で中身との剥離を示しているのだろうか。いくら見た目が立派でも、中身が子どもでは仕方がないよ、と。

 次に閉鎖空間で12名がひしめき合う状況で組み上げられたトリックが苦しすぎる。行き当たりばったりの行動が、ただ偶然で事件になっただけなのだ。その偶然は信じてみても良いと思えるようなロマンチックな物ではなく、作者の都合だけの落胆するような物だ。それが映像になることによって、おそらく増幅されている。見るからに嘘っぽく、ご都合主義なのだ。

 最終的には12人の子どもっぽい主張を聞くだけの事を、無理矢理ミステリーに仕立て上げた作品という位置づけ。
 同調圧力に負けるだけに見える最後の展開も、いささかうんざりでエンディングを迎える。

2020年1月30日木曜日

ベイビー・ドライバー

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☆☆☆☆
~一貫して微妙~

 2017年の米映画。カーアクションと無軌道な若者の恋愛を描く。

 ★今回は特にネタバレがひどいですので以降注意願います。★

 
 ベイビーは過去の事故が元で耳鳴りの持病を持ち、それを緩和するために常にヘッドホンステレオでお気に入りの曲を聴いている。
 そのテンポに合わせたハンドリングテクニックで強盗の逃亡幇助をしてお金を稼いでいた。
 本意ではない犯罪への参加に心が痛むが、かつての悪事を盾に半ば強制されている形。それもあと少しで終わるはずだった――。

 描かれるベイビーに好感を持てるかどうかで印象が大きく変わるだろう。
 まず連想するのが「俺たちに明日はない」だが、自分は回りに迷惑をかける陽キャが好きではないので、ボニーもクライドも嫌いだ。二人はしつこいばかりの悲劇的な結末を迎えるので反対に胸がすく部分もあるが、今作は悪さも半端、ラストも半端。
 
 派手なカーアクションも銃撃戦もあり人も死にまくっているのに、不思議と印象としてはコンビニの店員が弁当をちょろまかして怒られて、拗ねて逆ギレで店内で暴れる、ような規模の話である。全体としてまとまっており、視聴後幾ばくかのさわやかさも残る。
 なぜこんな穏やかな印象なのだろうと考えてみる。
 
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<ベイビーが微妙>
 超絶運転テクニックを持っているという設定だが、その腕前がよく分からん
 カーアクションシーンはきちんとあるが、こういっては何だが映画の世界ではこれくらいの運転、(映画の中では)ただの田舎ポリスでもやってのけるだろう。カメラのアングルや動きで変化をつけているが、やはり地味な印象。
 ベイビーのキャラの位置づけもよく分からない。彼が基本的にイケているのかイケていないのかも分からない。
 鬱屈した人物が特定の技能を発揮するときのみ英雄になる、というのは気持ちが良いものだが、ベイビーはどうやら普段がイケていない設定というわけでもないようだ。行きつけのダイナーで特に何もせずともウェイトレスに惚れられるし、そつなくデートもエスコートしているようで、どちらかというとイケてる方なのだろう。
 善人かどうかも不明。なんか行きがかりで悪いことをしているが、殺人自体はおかさない実はいい人といった風に描かれているが、以前は自主的に車泥棒しているわけで、充分悪辣。直接では無いにせよ、車をとられて人生崩壊し、あるいは命を絶つ人がいたとしても何ら不思議ではない。車泥棒って、結構きついよね。
 そんなキャラクターが多少苦労しても納得だし、とんでもない目にあって、やっと帳消しのようなものだ。

<他キャラクターも微妙>
 台本の役を演じているんだなという雰囲気。
 バッツというともかく人を殺しまくるイカレキャラクターが出てくるが、イカレオーラがない。自己紹介時に「一番いかれてるのは自分だ!」と叫ぶ中肉中背の黒人キャラで、大学デビュー的な見栄張りお笑いキャラだと思うでしょう。明らかにミスキャストだ。
 まんま「ボニー&クライド」のダーリンとバディもごっこ遊びをしている恋人たちにしか見えない。狙ってそうしているのだとするとしてもなぜそうしたのか見終わっても分からなかった。
 ことの元凶である依頼人ドクにしてみても、言動の一貫性がなく生きた人物には感じられない。

<音楽が微妙>
 音楽に乗せたドライビングテクニックは売りのはずなのだが、印象に残らない。
 その道では有名な名曲なのかもしれないが、聞いたことのないさまざまな曲を細切れに聴かされても心は動かない。
 作った本人だけが納得する使い方で、視聴者のことを考えていないと思う。
 
<結末も微妙>
 幸せに暮らしましたとさ……、といった昔話のような終わり。
 さまざまな疑念や納得のいかなさを「幸せになったんだからいいじゃん!」の一言に放り込んだ雑な印象。
―――――――――――――――――――
 
 上記の様な「乗れなさ」から、結局人ごと感が強いままエンディングを迎えるので穏やかな印象なのだろう。
 この作品、結構評判が良いように聞いている。
 
 いわれ無き理由からネガティブ環境に放り込まれた善良な若者が、両思いの恋人とその環境から脱出しようとする。
 それに失敗して罪を問われるが、小さな善行を社会が認めてくれて罪を軽減してくれた。
 恋人が待っていてくれてハッピーエンド。
 
 素直にこう捉えることが出来る人には、当たり障り無い内容の良作といえる。
 気軽に楽しめる映画のラノベという雰囲気なのかな。

 

2020年1月16日木曜日

億男

億男 豪華版(特典Blu-ray付Blu-ray2枚組)

 ☆☆☆☆
~逆ナンの宗教勧誘~

 2018年公開の邦画。映画プロデューサーでもある川村元気のヒット小説(2014年)を原作としている。
 

 迂闊にも兄の借金の保証人となり3000万の借金を背負った一男。図書館司書と工場ラインの仕事を掛け持ちして何とか借金を返そうとしているが、道のりは果てしない。
 妻はまだ離婚はしてはいないものの一人娘と共に出ていった。借金さえ無ければ元の幸せな家族に戻れるのに……と一男は信じているが、妻の心持ちはそう単純では無さそうである。
 そんな苦しい生活の渦中で一男は宝くじに当選。3億円を突然手にするが、どう使えば良いか分からない。
 今は没交渉になったが大学時代の親友で大富豪となった九十九(つくも)のことを思い出し、アドバイスを求めるが、何と九十九は3億円を持って姿を消してしまう。彼と、彼の持つ3億円を追って、一男は九十九と繋がりの深いさまざまな億万長者の証言をたどっていく――。

 登場人物の心情や物語のつじつまよりも作者の啓蒙欲求を主体としており、「お金についての私見を述べるための設定としての物語」だと言える。「ソフィーの世界」「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」のようなやり方といえば分かりやすいかも。これ自体は書籍を読む敷居を下げる効果が大きいのであり得ると思うが、これを原作にして映像化した場合、多くの視聴者は物語体験こそを欲求しているのだがらミスマッチが起こる。
 主たる目的が「お金って何やねん」に対する作者の意見発表なので、展開は非常に寓意的で絵本のよう。導入部分などは倒置的演出を使用してそれなりにドラマチックなのでまともなドラマを期待してしまったがどんどん化けの皮がはがれていく感じ。テーマが鼻につく映画というものは多いと思うが、最終的にテーマしか存在しなくなる映画というものはそうそう無いのではないだろうか。物語要素はほとんど無意味に剥落していくのである。
 砂漠に行くのも、落語をするのも、図書館司書なのも、オークションサイト開発も、すべてそれぞれの小ネタに使われるだけで、全体の繋がりのちぐはぐ感がすごい。食材の味が混ざっていない感じ。
 かわいい女の子に逆ナンされて喜んでついていったら宗教の勧誘だったというのが近い。フックに特化しているのはさすが映画プロデューサー。
 
 それでも序盤は失踪した人物を追い求める展開が魅力的で、またそこで出てくる人物たちのアクがすごい。これは原作によるものなのか、演者によるものなのか、北村一輝の演じる超優秀な元プログラマ。セミナーを開催し、教祖然とさえしている元CEOを演じる藤原竜也。この二人の演技を見るだけで中盤までは充分楽しい。

 映像化の折に物語り部分もきっちりと詰める努力をすべきだったのではないかと強く感じる。

 あと、ともかく3億当たって使い道に迷う前に、借金の三千万円はまず返してから考えると思う。いわゆる「どん判金ドブ」過ぎ。