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2020年7月2日木曜日

機動戦士ガンダムF91

 ※Amazonの商品リンクです。

※古い感想に追記をした物です。
★★
~素性のよさが惜しまれる単発作品~

 1995年公開の完全新作劇場アニメ。
 情報量が多いので冒頭あらすじは非常に難しいのだが、最も魅力的な部分に着目すると以下のような感じ。

 コロニーの学校に通う17才のシーブックは別の科の学生セシリーと出会い、その魅力に惹かれた。
 貴族政治を復活しようとする勢力がコロニーを急襲。戦火に巻き込まれたシーブック達は博物館のMSを操って脱出を試みるが、セシリーが敵に囚われてしまう。
 避難先で母が開発に関わったモビルスーツF91と遭遇。その頃セシリーは貴族政治の象徴として祭り上げられていた――。

 オリジナルガンダムの主要メンバー、富野由悠季、キャラクターデザイン安彦良和、モビルスーツデザイン大河原邦男が再結集した新シリーズ……のはずだったのだが、この劇場作品単発となってしまった。
 元々はテレビでの連続アニメとして企画された物らしく、なるほど、人物配置の厚み、背景設定の豊かさなど、如何様にも話を膨らませそうな奥行きある世界を感じる。単発となったのにはあれこれあったようだが、あずかり知らぬ一ファンとしては口惜しい限り。

 実際映画は壮大な物語の序章といった位置付けで、ほとんど謎のままのキャラクターや、これから活躍するのだろうという予感のみのキャラクターが沢山存在する。何しろラストに「これは物語の始まりに過ぎない……」などと明示されているのだから淋しさもひとしお。

 驚嘆すべきなのは、このような状況でも、一本の映画としてなんとか成り立っている点。序盤から話はすいすいと進み、意味が分からなくなるギリギリの高速展開を見せる。普通ならただの総集編になってしまうが、エピソードの取捨選択が非常にうまいのか、重みを失うことがない。どうやら、物語に重要なエピソードだけではなく、味のある部位を入れ込んでいるのが功を奏しているようだ。富野監督は、総集編やPVに特異な才能を持っている
 また、描くべき人物を限定したことで、ラストのまとまりが実際以上にキリッとしている。未来に展望を感じさせるエンディングは、富野監督の作品中珍しい部類に入るだろう。

 しかし、残念だ。

 この内容をテレビシリーズで描けていたなら、物語はもっと豊かな物になっただろう。映画の内容に当たる部分も、より情緒を持っただろう。その形が見たくて仕方がない。
 安彦良和の描くキャラクターは骨太で、バラエティーに富み、掛け替えがない。大河原邦男のデザインも、過去に捕われず野心的で、敵MSのデザインラインはザク以来の発明なのではないかと考えている。

 このように基本褒めてきたが、全体の印象として駆け足なのは否めないし、後半の展開は正直むちゃに過ぎる。それらを考慮に入れても、魅力に溢れる作品だと思う。

 今回何回目かの鑑賞だが、ブルーレイでは初めて見た。作画が群を抜いて良いということが無く、いささか古い作品だったので大して期待していなかったが、そのクリアさと精密さはいくつかの事に気づかせてくれた。
 ヒロインであるセシリーの作画について、多くの場合髪とブラウスに黒の描線を用いていない。また、登場シーンの多くにソフトフォーカスフィルターを使用しており、結果、セシリーの存在が画面から美しく浮き上がる効果を生んでいる。これは彼女の魅力を伝えるためでもあるが、他の人物と異なる背景を持っている彼女の立ち位置を象徴するためのエフェクトだとも思われる。
 このような点に気づくことが出来たのはブルーレイのおかげだ。再見する機会を与えてくれたという点においても、そうだろう。

2020年5月29日金曜日

エクスマキナ

エクスマキナ -APPLESEED SAGA- [Blu-ray]

 ★★☆☆☆
~もう少し情念を見たい~

※2008年以前の感想に追記したものです。

 全ての画面要素をCGで描いた2007年の。CGアニメ。原作はマニアックな注釈欄外や何より「攻殻機動隊」で有名な漫画家、士郎正宗。
 前作CG映画「アップルシード」で確立した、漫画キャラに近いテイストのCGキャラクターをそのままに、モブシーンや話の規模、舞台をパワーアップ。――が、不思議な事に映画のスケール感はダウン
  
  前作は一つの都市が壊滅して行くさまを描き、今作は全世界の壊滅までスケールを広げているが、残念ながら舞台の拡張が個別の描写密度を薄めてしまっている。また、前作は実際に都市が破壊されて行く中の作戦が描かれていたが、今作は言うなれば世界を破壊する爆弾の解除を目指す物語。切迫感に欠けてしまうのも仕方がない。

 物語自体は丁寧に作られており、キャラクターの心情も分かりやすい。画面演出にばかり注力した、話が成り立たない凡百の作品と比べれば遥かに良心的。人物配置が秀逸で、脳以外機械化された男。その男の遺伝子から生み出された生身の男。そしてヒロインの三角関係。女一人に男二人の黄金律。機械化された男とヒロインは男がからだを失う前からの恋人同士。このプロットだけで様々な展開を想像できる。

 精神的な記憶と、肉体的な記憶。
 精神的な愛と、肉体的な愛。

 本来不可分であるはずの肉体と精神を別のパッケージにして選択させようとする。人間存在や自己認識の崩壊にまで連なる深遠な問題定義だろう。

 おしむらくはヒロインの葛藤が浅薄な範囲に終わってしまったこと。少し揺らぐが、結局は過ちをおかすことも無く「正解」を選ぶ。もっとエロティックな展開を期待してしまうのは、下劣だろうか。

 満たされない性欲に身もだえ崩れ落ちて行くヒロイン。
 どろどろになった情念を、このCGアニメーション、このSF世界で見てみたかったと思うのだ。

2020年3月4日水曜日

カビリアの夜

カビリアの夜 [Blu-ray]

 ★★★★★
~なぜ素敵な終幕なのか~

 フェデリコ・フェリーニ監督。1957年のイタリア映画。
 断片的なエピソードがその蓄積において言いしれぬ情感を醸し出す名編。
 

 カビリアは夜ごと街に立つ娼婦。働いて手に入れた小さな自分の家だけが自慢である。
 見知った仲間と賑やかに過ごしたり喧嘩したり、それでも素敵な恋と結婚を夢見ていた。
 ある時は有名俳優の恋事情の当て馬にされ、惨めに追い返される。
 またある時は御利益があるという教会に物見遊山で出かけてひどく感銘を受ける。
 そんな暮らしの中で一人の男性と出会い――。

 ★ぜひ見て欲しい映画なので、以下は見てから読んでみて欲しいと願います。
 
 この映画はエピソードを個別に見れば、かなり悲惨な物語である。冒頭からアクセル全開でカビリアがこっぴどく振られるシーンから始まる。そりゃもう川に突き落とされた上にお金を奪われるという、これ以上ないひどい仕打ちからのスタートである。
 それでもくじけず前向きに生きるカビリア。努力の末に立ち上がるというより、彼女本来が持つ世界や未来を信じる心根。幼子のような無垢な部分が自然とそうさせている印象。
 彼女は小さなときめきや幸せに心をふるわせながら毎日を過ごすが、現実はひどい仕打ちばかりを投げかけてくる。
 
 とどめは再び彼女に訪れた恋。

 見ているものは常に不穏を感じる相手の男の行動。だがカビリアはどんどんのめり込んでいく。
 自分の気持ちも、持っている物も全て投げ出して、幸せになろうと一直線に行動する。
 その素敵。
 その切なさ。
 こちらの方が神に祈りたくなってしまう。
 
 クライマックス、彼の本性が明らかになる瞬間。カビリアの朗らかさに相手も罪悪感で行動が鈍る。
 しかし、結末は変わりようがなく、状況を促す言葉を口にしたのはカビリアのほうだった。
 殺して奪っていけば良いじゃない、と。
 
 彼女は、あんなにも無邪気に嬉しそうにいたのに、これまでの様々なつらい経験を忘れていたわけではなかったのだ。
 今回も駄目かも知れない。
 まただまされているのかも知れない。
 そういった悲しい予感は観客と同様に感じていて、だけど、彼女は全力で信じることを選んだのだ。
 
 それは、祈りのような恋だったのではないか。
 
 恋が潰え、命を奪ってももらえなかった一人の女が、夕暮れにとぼとぼと歩く。
 どうしようもない結末である。
 
 物語を作る側の視点で、少し想像してみる。想像してみて欲しい。
 このままの落ち沈んだ状態ではなく、幸せな雰囲気で物語を終えるためにはどうしたら良いだろうか。
 逃げた男が帰ってくる? それは嬉しいだろう。ただ、その展開に納得するためには、前もってひどい男の様子をもっと描かなければならない。そうするとカビリアだけに注目した映画ではなくなってしまう。
 優しい友人達が迎えてくれる? 結局迎え入れてくれるのだろうが、彼女は沈んだままだ。
 あれこれ考えても、本作のエンディングの方が遙かに良いと思えてしまう。
 絶対に理屈だけでは思いつけないけれど、本作の場合はこうだ。
 
 うつむいて泣きながら歩く彼女の道に、祭に行くのか帰りなのか、はたまたただ仲間で騒いでいるだけなのか、音楽を鳴らし、踊りながら進む者たちが合流する。
 知り合いでもなく、何かを助けてくれるわけでもない。
 ただまき散らしている明るい雰囲気にカビリアも巻き込んで、踊る男が彼女におどけかけたりする。
 そうして、同じ道を同じ方向に進む。

 これだけなのだ。
 
 その雰囲気に何かほだされて、カビリアは顔を上げ、ついには微笑み映画は終演する。
 文章で書くと嘘っぽく意味不明に感じるかも知れないが、観ていると不思議なほど自然に納得できてしまう。
 それは映画中そういう描き方をずっと続けてきたからだ。
 物語の中でカビリアは沢山の他者と触れ合う。客、友人、群衆……。
 関わり合いは喜怒哀楽の様々な感情を引き連れ、カビリアはそれを素直に受けとめて暮らしている。そんな彼女にとって、どんな困難に合おうが、生きていること自体が根本的に喜びなのだ。
 
 一人でなく、今という時間の最前線で世界中の人と一緒に過ごしていくことが、生きる、ということだ。
 
 この連帯感こそが、本作のテーマなのではないだろうか。
 生きていること自体がお祭りであり、さあ一緒に楽しもう、ということだ。これは別のフェリーニ作品「8 1/2(はちかにぶんのいち)」で直接台詞としても語られている。
 
 さらにもう一つ。
 この映画はカビリアがこっぴどく失恋するところから始まった。
 彼女はひどく落胆するが、なんとか立ち直って前向きに暮らし始める。
 だから、今度もきっと大丈夫だと確信できるのだ。なんて素敵な証明だろうか。


2019年12月28日土曜日

サカサマのパテマ


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★★☆☆☆
~魅力的で難しい素材~
 
 2013年に劇場公開されたアニメ。
 監督は個人制作で話題となり「イヴの時間」で知名度を上げた吉浦康裕。今作はスタジオで制作されている。
 

 「空」を忌避する国に住み毎日学校へ通う少年エイジ。父子家庭の父は特殊な機械で空を目指して異端者として死亡したため、遺児のエイジも白い目で見られがち。規律に反発心を持ち町外れの「大穴」の側で空を見上げる彼の前に突然少女パテマが現れる。エイジ達と正反対の重力下で生きる彼女は大穴を上向きに「落下して」現れたのだった。
 手をつかまなければ、彼女は空に落下して行ってしまう。エイジは彼女をかくまい、仲間達の元に帰る手助けをする事にするが、国は反対の重力に生きる地下住民達を害獣として捉えていた――。

 国も重力も相反する少年少女の出会いと、そこから生まれる新しい世界を描いた作品。逆重力の二人はお互い抱き合うことによって重量を相殺し、一方への極端な落下を防ぐ。無重力状態に近くなるのでまさに空を飛ぶことも可能である。
 逆重力の設定はそれだけで上記の様な繋がりを導き、これまでにない不思議なシチュエーションを描き出している。一画面の中に複数の重力の絵を描くのは非常に大変だったろうと思うが、丁寧に描き上げられている。逆重力は世界の秘密にも直結する設定となっており、「サカサマ」は物語のあらゆるところに現れて全体に一貫性を与え、最後には興味深い大きな「サカサマ」も控えている。
 映像のクオリティも高目で安定しており、今日をそがれる部分はない。
 
 全体として破綻の無い良作アニメだといえるが、各所で気がかりなところも多い。
 
 光学的な処理を入れすぎている。
 新海誠監督でおなじみのブルームや縦横一方に長く伸びる光輝がほとんど全画面に挿入されている。絵の情報量やクオリティを上げようとしたのかもしれないが、やりすぎ。表現になれてしまうとあるのが当たり前になり、綺麗だなというよりも邪魔なものに感じられてくる。
 また、画面の中で光っている部分に気をとられてしまい、本来見せたかった部分に意識が向かわないうちに次のカットという事態にもなり、技法に振り回されている。逆説的だが、新海氏の光の使い方は上手いのだと改めて感じた。

 反重力の二人が互いに抱き合って行動する場面が頻出するが、重さを全く感じない。
 二人の抱き合う様子は手をつなぐ程度の気楽さに描画されているが、実際はサンドバッグに抱きついて宙に浮いているような状況である。しかも離すと奈落の空に落下するというシチュエーションなのに命綱をつけようともしない。そこを現実的に描くと物語が動かないための緩和処置だと思われるが、世界観を最も感じさせる部分なので何らかのアイデアを見せて欲しかった。
 光輝の伸び方が重力によって違うかと思ったが、そんなことはないみたい。

 サカサマの顔はどうにも変に見える。
 こんなに上下逆の人の顔を長くアニメで見ることがなかったのでこの映画で初めて意識したが、反対の人の顔は可愛いのかどうか、表情がどうなのかといった細かな部分を判断しにくい。このハードルは思った以上に高く、感情や状況を把握するのに手間取ってしまい、結局各キャラクターへの感情移入の障壁となっていた。この題材を絵的に調理するのに、何らかのアイデアが必要だったろうと思う。

 進行が単調。
 「ジャーン」風のBGMでゆっくりズームイン/アウトが非常に多い。意味深げに見えるが、あれ? そんなに意味のある部分かな? という肩すかし。演出がワンパターンという印象かな。
 
 エピソードが淡々と続く構成で登場人物も限定されるので、絵本の形だと気になる部分は少なくなるかもしれないと思う。


2019年11月22日金曜日

フラットライナーズ(2017年版)

フラットライナーズ [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]

☆☆☆☆
~1990年版を見た方が良い~

 2017年の米ホラー映画。1990年に公開された同名映画のリメイクとなる。
 1990年版は「キーファー・サザーランド」「ケヴィン・ベーコン」「ジュリア・ロバーツ」といった豪華俳優陣のわかかりし姿が見られる作品で、こちらはホラーというよりサスペンス的な仕上がり。さらにいうならキリスト教の精神を強く感じさせる教導的な内容だった。

 医学生であるエレンは臨死体験した患者の経験談に興味を持ち、自ら人工的な臨死体験を得ようと計画。仲間に協力してもらって首尾良く臨死を体験したところ、突然天才的な記憶力を発揮するようになった。これを見た仲間達も臨死を体験。それぞれに素晴らしい能力を得るが同時におかしな幻覚を見始める。それは各人が抱えていた罪の意識と関係があるようで――。
「天才的な能力を獲得する」という下りは1990年版には無く、全員が純粋に臨死の体験そのものを目的としていた。随分即物的になったものだ。他にも仲間同士で適当に体を重ねる展開も追加されており、1990年版にあった厳かな雰囲気がまるで無くなって、ただの出来の悪いホラー映画に成り下がっている。実験会場が修復中の美術館から非常用の医療施設になったのも雰囲気がない。

 上記に加えてオチも異なっており、リメイクというより同じ題材の別作品、リブートといった方が良いだろう。そしてそれは失敗している。

 それはそうと「フラットライナーズ」というのはなんだか色々なイメージを想起させる良い題名だね。

2019年11月15日金曜日

クーデター

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★★★★
~新種のゾンビ映画~

 2015年の米映画。アクションスリラーになるのかな?
 

 アメリカで事業に失敗したジャックは高額な給金に惹かれて海外で水道事業に関わる会社に入社。妻と二人の幼い娘を連れて東南アジアに赴任することとなった。心機一転と張り切っていたジャックだが、何の手違いか空港に迎えも来ていない。困っている家族に声をかけてくれたのはいかにも旅慣れた英国人ハモンド。友人とともにホテルについたまでは良かったが、先行き不安な展開に妻のアニーは後悔を隠せない。ジャックはただ謝るしかなかった。
 翌日新聞を求めて町に出たジャックだったが、様子が何かおかしい。ホテルに帰ってみると、暴徒が押し寄せて宿泊客を襲撃、殺戮している。実は昨日のうちにこの国ではクーデターが起こり、倒された国のトップと結びついて利権をむさぼっていた外国企業に関わる外国人――判別できないので結局は外国人全ては誅戮の対象となっていたのだ。
 妻と子供を守るため、ジャックは命をかけて奔走するが――。


 クーデターで一夜にして天地がひっくり返るその瞬間に折り悪く居合わせた普通の家族。天下のアメリカをはじめ先進諸外国が黙っていないだろうから、この状況も急速に静まっていくだろうが、それは外から見たスピード感。その場にいる者たちにとっては絶望的な一定期間がそこに現れるのである。しかも外国人は全てホテルに集まっているような発展途上国。押し寄せてきた暴徒と軍隊を防ぎようもなく、ほとんど全滅。
 家族以外の人間は、ほぼ全て敵。
 この設定、一時期爆発的に量産されたゾンビ映画と同じシチュエーションをゾンビ以外で生み出すことに成功していると言える。

 物語はジャック一家が次々と危険な目にあっていくことで進んで行く。幼い子供を助けるために、幼い子供自身の忍耐をきちんと要求したり、手助けしてくれる人が現れても永続しなかったり、逃亡劇としてもこれまでなかった切り口の数々を見せてくれる。自分達の肌を隠し、暴徒の只中を進んで行くシーンはゾンビ映画にはない今作ならではの緊迫したシチュエーションだ。
 ラストの急転直下な展開はヒッチコックの名作「北北西に進路をとれ」の最後を彷彿とさせる気持ちよさ。
 
 外国企業に食い物にされる発展途上国といった重めの題材が気になる人は、新種のゾンビ映画だと思って見るとややこしい事情を気にせずに気楽に鑑賞できるかも知れない。



2019年11月6日水曜日

96時間

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★★★☆☆
~金科玉条を得た獣~

 2008年のフランス映画。脚本にリュック・ベッソンが名前を連ねている。
 

 元CIA工作員のブライアンは離婚して別居している一人娘キムの良い父であろうと奮戦しているが、危険に合わないようにと様々な制限を言いつけては敬遠される事をくり返していた。ティーンエイジャーのキムはそんな親心を知らず、友人アマンダとパリ旅行を企画。ブライアンは渋々これを了解して送り出すが、二人は脇の甘さからパリに着いたとたん襲撃を受け、外国人を誘拐し売春強要する組織に囚われてしまう。
 接続したままだった携帯電話で一部始終を聞いていたブライアンは元同僚と共に犯人の当たりをつけ、単身パリへ向かった。誘拐事件被害者の生存可能性が高いといわれる制限時間は――96時間。

 時間制限があるため、正当な手順を踏んでいては間に合わない! 自分で娘を救うしかない! という前提がドカンと爆誕し、ブライアン個人VS犯罪組織の図式が形成。娘の命のためなら法を犯そうが無視という姿勢は、刑事(刑事じゃないけど)物にありがちな法遵守の縛りから解き放たれた猛獣というおもむきで非常に爽快。各所で事件を起こすことになるので警察にマークされていくが、一般市民にはそれほど迷惑をかけていないので嫌悪感もない。

 娘を救うために! ともかくこの単純きわまりない目的が非常に強く、分かりやすい。狂ったようなブライアンの猛進もやり過ぎに思えるような容赦無さも全て納得させてしまう。普通なら御都合主義に過ぎて冷めそうなピンチからの脱出シーンも、娘の無事に直結するため「良かった!」と嬉しくなってしまうのである。まるで水戸黄門の印籠のような力で映画全体が一つの力にまとめられている。

 娘の身柄は追っても追っても次の場所が示される逃げ水のような展開。様々なシチュエーションでブライアンの活躍を見る事ができる。その無双ぶりは、事件前にキムの義理の父(元妻の再婚相手)の裕福さに惨めな思いをするブライアンが描かれていることでさらに爽快感が増している。こういった物語全体としてのタメは非常に重要だと感じる。

 続編が二作あるようだが、本作の「娘のために」といった中心軸がきちんと用意出来るかどうかが重要だと思う。また娘が誘拐されるわけにも行かないし、どういった手立てがあるだろうと想像するのも楽しい。機会があればこれらも見てみたい。


2019年10月3日木曜日

エネミー・ライン


★★☆☆☆
~リアルの基準が分からない~

2001年のミリタリーアクション映画。
1990年代、バルカン半島(アドリア海を挟んだイタリアの東側)で起きた民族紛争に対応するためNATO軍の指揮下で展開していた米軍空母。
休戦協定締結間近となり、兵器管制士官であるバーネットは相棒のスッタクハウスとともに複座戦闘機による退屈な哨戒任務にあたる毎日だった。
軍にいながら戦闘もなく過ごす毎日にどこか違和感を感じるバーネットは、本国帰投後の除隊を申し出て上官とぶつかっていた。
クリスマス、またもルーチンの偵察任務中、休戦状態のはずが森の中に設営されている基地と、近隣住民に対する虐殺の証拠を発見、上空から撮影する。
和平合意に反対する武装兵力は地対空ミサイルを発射。F/A-18F スーパーホーネットは撃墜、二人はパラシュートによる脱出を余儀なくされる。
武装兵力は証拠隠滅のため追跡を開始。スタックハウスは捕縛の上頭部を撃ち抜かれて処刑。
一人残ったバーネットは証拠である撮影データを回収しての帰還に向けて動き始める――。

停戦間近ののんきな空母生活から一転して、ミサイルに追われる戦闘機、地上に降りてのサバイバル、追跡者との一騎打ち。
劇的な展開は飽きさせるることなく興味を引き続ける。特に空中戦の映像は見応えあり。

背景設定から現実に即したシビアな内容なのかと思いきや、大雑把なドッカンドッカンのアクションが続き、「ランボー」を彷彿とさせる。
ストップモーションや早回しを折り挟んだ演出も、リアルな戦場というより映画的なドラマチックを強調
結果、フィクションぽさとノンフィクションぽさが混ざった、映画としてのリアルの線引(リアリティライン)が分かりにくい状態となっている。
最後の上官がヘリを運転して~のシーンも、いい話なのか冗談レベルの無茶なのか判別できず、監視衛星の映像も、さすがにあそこまでは映らないんじゃ……。

NATO軍とのしがらみといった政治要素を減らし、孤軍奮闘の米軍パイロットの大活躍に集中したほうが爽快なミリタリー映画として心置きなく楽しむことが出来たのではないだろうか。

2019年10月1日火曜日

エルミタージュ幻想

エルミタージュ幻想《ニューマスター版》 Blu-ray

★★★☆☆
~存在感を増していく幻想~

2002年のロシア映画。
サンクトペテルブルクにあるロシアの国立美術館全体を舞台に、そのに収蔵された数々の名品が語る歴史を幻視する映画。
声しか聞こえない監督と狂言回しであるフランスの外交官キュスティーヌ(これも歴史上の人物)があれこれ話ながら美術館を巡る。
そこでは百年以上前の装束に身を包んだ人たちが部屋ごとに現れ、語り、踊り、長い歴史を垣間見せてくれる。

1613~1917年までロシアを支配した最後の王家ロマノフ朝。
ピョートル大帝、エカテリーナ、アナスタシア、ニコライ二世……。
世界史で目にしたことのある歴史上の人物達が、当時の文化、風俗のままに、多数の侍従を従えて美術館を幻の栄光で満たしている。
美しい記憶の幽霊、その集積としての美術館、といったところか。

ともかくこの作品を語るときに欠かせないのが、長回しを越えた長回し。
全編1カットで構成されているという事実。
アナログではフィルムの長さ、重さから不可能だったアイデアを、デジタルカメラが実現。
ヒッチコックの「ロープ」など全編1カットの前例はあるが、上手くカットを切り替えて1カットに見せているだけ。
しかもロープは舞台劇を撮影したようなものだが、エルミタージュ幻想は複雑なカメラ移動、場面の転換と規模が違う。

1カットのどこがすごいの? といわれると実は具体的に示しにくく、感覚的な説明になりがちだ。
そもそも視点が大きく一瞬で切り替わる「カット割り」は、実はかなり不自然な物である。
これを様々な技術で気にならないように、または気にさせることで意味を追加したりしてきたのが映画の進展であったが、失ってきたものもある。
その一つが「画面の説得力」「生々しさ」ではないかと思う。
ホームビデオでだらだら撮った運動会のビデオは大体が悠長で退屈だ。だけど、途切れない画像は確かにその場の雰囲気を写し取っている。

「カット割りをせずに、カット割りをしたような画面を作る。
それによって生の雰囲気を持った世界を映し出す」


人によって意見は当然色々あるが、今の自分は長回しについてこのように考えている。
この視点から見ると、今作はかなりの健闘だと感じる。
所々絵が決まらなかったり、間が空きすぎたりで、カットすべきだろう部分があるが、後半の見所は長回しならではの感触が浮き上がっている。

圧巻はやはり絢爛豪華な舞踏会から混雑した階段をたどっての帰路の部分だろう。
舞踏会は複雑な動きの中で映すべきものを映し、抜けた絵を感じさせない。
そしてその後の退場。
群衆に紛れたカメラを通して、観客は本当にその中に混ざっているように感じる。
ここだけを長回しにしても感じられない、これまでに積み上げてきた説得力があふれ出している。
人がそこにいるという感触。
歴史や、そこに生きて死んでいった多くの人々が、目前に蘇っている。
原題「Русский ковчег」は「ロシアの方舟」という意味で、たしかにそれも素晴らしいと思うが、「エルミタージュ幻想」という名前が僕はとても似合っていると思う。

ウィキペディアによると「撮影は4回行なわれ、最初の3回は技術的な問題で中断したが、4回目は成功した」とのこと。
多いのか少ないのか分からないが、ともかく凄まじい労力の結晶である。

映画としてみると、長回しの悠長さを狂言回しが上手く処理し切れていない
監督のしゃべりも上手いとは言えず、あまり映画にプラスに働いていないような……。

自分の映画師匠曰く、この部分を上手くこなせていたら、もっと名作になっていたのでは。
確かにぼそぼそしゃべる声と苦い顔のおっさん二人に案内されても、あまり楽しくない。
もっと分かりやすく女性、妖精、子供などにその役割を担ってもらった方が良かったかもしれない。

自分はそれよりもまず、字幕が合っているのか気になる。
話の内容がかみ合っていない部分がほとんどのように感じた。
ロシア語なので手も足も出ないよ。

2019年9月30日月曜日

人喰猪、公民館襲撃す!

☆☆☆☆
~失敗の吹きだまりのような作品~

2011年の韓国映画。
健康ブームに乗って都市部から週末農場への来客が増えてきた田舎町。
突如現れた巨大猪が次々と村人を襲い捕食していくが、儲けたい大手農家と市長の結託が対策を後手にする。
それに立ち向かう、これまた都市部から田舎に追いやられた警官。
伝説の猟師や女性研究者と力を合わせて猪に立ち向かっていく。

最初に言い切ると、とんでもない映画だったよ、と人に話すためだけに存在するような作品。

スケールの小ささ。それなのに地に足のついていない展開。
ギャグは滑りすぎて、どこが冗談か判別できない不毛な雰囲気が全編を覆う。
猪のCGは健闘している気もするが特筆するほどではない。
警官の母親が老人ぼけである事。
伝説の猟師が実は大したことのない口だけ存在である事。
隣人が狂人である事。
この設定いる? という要素が満載で、そのどれも上滑りして意味をなさない。

もう、何が意図なのか分からないむちゃくちゃ具合で、それは最後の最後まで一貫している。
こういっては何だが、製作者(監督?)は頭がおかしいのではないだろうか。
他のスタッフはその製作者に逆らえないなにがしかの理由があったのだろうか。

厳しく書きすぎると上記になるが、香港、韓国辺りの映画のまずい部分のみをつなぎ合わせた感じ、とも言える。
バイオレンスとギャグが混ざっており、ギャグがきつい。特にだらだら同じネタを引っ張る感じが顔を背けたくなる。
「少林サッカー」などチャウ・シンチー作品も似た感触がある。初期ジャッキーの作品もオカマネタとかかなりきつい。
ただ、両者はそれをコントラストにするように魅力的なシーンが多数あり、今作にはそれが無かったと言うことなのだろうか。

弟に「ひどいよ」とDVDを託されて見た作品であるが、確かにそれ以外何も言えん。

2019年9月25日水曜日

屍者の王国

★★★☆☆
~予告編がもっともワクワクする~

SF小説家として高く評価されながらも、数作を残して30代で夭折した、伊藤計劃
彼が最後に残した原稿用紙30枚分の「書き出し」とプロットを、同時に賞をとってメジャーデビューした盟友、「円城塔」が完成させた小説を原作としたアニメ映画。

屍体にプログラムを流し込んで蘇生させる技術が一般化し、重要な労働力となった1800年代の世界。
蘇生技術者である主人公は死亡した親友を蘇生させる。
その中に本来の親友の魂は存在するのか。真の復活は可能なのか。
進歩する蘇生技術の行く末を巡って国々の、科学者達の、被験者達のやり取りが繰り広げられる。

このアニメ版にはあれこれと改編があるようで、そもそも原作では主人公が蘇生させるのは親友ではなく、無関係だった人物とのこと。
「円城塔×伊藤計劃」の死を越えた、作品作りを通した精神的やり取り。そして物語としてのの再生を「主人公×親友」の関係に反映させたのだろう。
深みを感じる立て付けだが、終盤で物語自体がわかりにくさを増していくため、その意義を考えるばかりで感じる事は出来なかった。

物語はヨーロッパからインドの山奥、日本、アメリカ、そしてまたヨーロッパと、世界一周のロードムービー。
思っていたよりもスケールがでかい。
ポンポン場所が移って飽きにくいのは確かだが、目的が判然としないまま状況に振り回されるのをダイジェストで見ている印象。
オチもなんだかよく分からず、全体に頭でっかちの衒学的な趣の強い、人には勧めにくい作品。
ガンダムユニコーンのパンドラの箱の種明かしのように、納得のいかないままこじつけの言説に流されて完結、みたいな。

レベルの高い作画とうまく折り合いをつけて使用されているCGは見事。出しゃばりすぎず、陳腐すぎず、理想的。
世界一周のスケール感、聞いた事のある人物が沢山出てくるゴージャス感。
なのに不思議とワクワクしないのは、主人公に魅力を感じにくいせいだろうか。
ワクワクレベルで行くと予告編が最高潮で、これはままあることなのだが、やはりがっかりはしてししまう。

今作に加えて「虐殺器官」「ハーモニー」を合わせて伊藤計劃の作品映像化プロジェクト三部作。
虐殺器官は小説読了のみで未見だが、三作とも大ヒットというわけでは無さそう。
ただ、今作もハーモニーもきちんと映像が作られた佳作であり、製作者のアニメと原作に対する敬意、熱意を感じる出来だ。

肺癌による自らの死を直近で感じながら、記憶、命、感情、人間の営み、死……。
そういった事柄を考え抜き、深く切り込んだ作品群を著した伊藤計劃。
その絶望と希望に思いを馳せると、切なくなる。

2018年9月28日金曜日

大脱走

★★★☆☆

~冴えない展開のリアリティ~

二次大戦中にドイツ軍の捕虜になった連合軍兵士達が収容所から脱出するため一致団結して奮闘する姿を描く。
目指すは200名全員の脱走。まさにGreatEscape!

実話(本人手記)を元に作られているため、一定のリアリティを保っているが、反対に言うと割と冴えない展開が多い。
昔観た映画、特に子供の頃観た映画というのは時間に洗われてずれた形で記憶されていることが多い。
この映画もずいぶん昔観た記憶があるが、こんな結末とは理解していなかった
ただ、みんなでがんばって穴を掘り、そこを通って脱出する、と言うことだけは覚えており、見ていると文字通り既視感が湧いて出てくる。
こんな風に一部分でも覚えているというのは、その映画に印象的な要素があったということで、それだけでも強い作品と言えると思う。

やはり穴を掘るシーンとバイクで草原をかっ飛ばすシーンが印象的。
脱走した後の国外脱出のサスペンスもひやひやと楽しめる。

古い映画でも、15分見てその世界に引き込まれる作品なら、体験として近年の映画と同等だと思う。
収容所の暮らし、秘密に進める脱走準備、皆の一致団結、それを暴こうとするドイツ軍……。
面白い要素満載で飽きること無く最後まで楽しめる

登場人物が多く、誰が誰か分からなくなるメンバーが数名。
欧米人の顔は日本人には見分けにくい部分があるのだと思う。

2018年9月19日水曜日

ハーモニー

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★★☆☆☆
~空振りリリー~

SF小説家として高く評価されながらも、数作を残して30代で夭折した伊藤計劃の小説を元にしたアニメ映画。
原作とアニメは各所に違いがあるようだが原作未読の感想となる

多くの人間が体調管理をシステムにゆだね、投薬により長寿と健康を約束された世界。
その管理状態に異議を唱える少女三人は自殺を試みるが、二人は生き残ってしまった。
罪悪感と喪失感を抱えて大人になった二人が久しぶりに再会した時、管理システムを使った「強制自殺テロ」が発生。
その首謀者のメッセージに、死んだはずの一人の影が――。

世界設定が提起する問題を角度を変えながら検討するために物語が存在する印象。
検討については会話こそが主体となっており、当然だが本来の小説という媒体に最適化した作品なのだろう。
映画としては会話シーンが非常に多く、きちんと意味を理解出来ているのか不安になりながらの視聴となった。
3Dモデルによる表現と通常の作画による表現がおり混ざっているが、両者の足並みを揃えることで違和感は少なくなっている。
だが、合わせた足並みが事キャラクターに関していえば――低い。
3Dモデルの緻密さを薄め、通常作画の活き活きした描線を無くす。両者の利点を削る形で二つを合わせている。
会話シーンの退屈さを埋めるためにカメラをがんばって動かしているが、意味のなさが透けて違和感が強く、拙い。
上記の様な苦しさはあるが、意図を持った演出と一定の画面クオリティを保持しているので、マイナス評価に直行するものでは無い。
健全と不健全の印象が入り交じる奇妙な町並み、飛行機。美しい風力発電機。
小説の風景を映像に落とす部分では、十二分の努力をし、それに見合った成果を得ている。

この作品が扱うテーマは「人間には意識が必要なのか」だと思う。

作中に言及されてはいないが、「哲学的ゾンビ」を知っているとイメージしやすい。
――特定の反応を無限に定義することで、人間と全く同じ反応を示す存在を作ったとする。
この反応の集積である、魂、意識という物が無い存在を、人は区別できるのか――。

テロリストは体調管理システムを利用する事で、大多数の人類を強制的に「擬似哲学的ゾンビ」に陥れ、世界平和と人々の心の安寧を実現しようとする。
擬似としたのは、どうやら本人の個性を保ったまま意識を消滅させる(これが哲学的ゾンビ)のでは無く、皆が画一的に平和的な行動を選択するようになるだけだから。
この擬似哲学的ゾンビ状態を、作中で「harmony」と呼んでいる
このハーモニー状態、意識は再度戻すことが可能な模様。
テロリストは、自分が実証実験でハーモニーになった経験を元に、意識が戻った後このテロを思いついている。
さらにその間、非常に幸せだったとも語る。ハーモニー感の間記憶は無く、ただただ幸せ。

つまり、テロリストはみんなを薬物トリップ状態にするスイッチを押そうとした、ということ。

この設定には、まるで恐怖が無い。
ただの気持ちよくなるポーズスイッチを押すだけで、すごく規模の大きな趣味の悪いいたずらにすぎないからだ。
誰も何も喪失しない(年齢でさえ長寿が喪失を薄める)し、結構取り返しが効きそうだ。

到達するのが本来の哲学的ゾンビでそれが立ち戻りの出来ないものならば、これは恐怖である。
「個性も保持したまま意識が無いだけで、全く変わらない世界」は合わせ鏡を覗くような精神的な不安定、恐怖に繋がる。
さらに意識が二度と戻らないのであれば、それはもう、見る者の居ない演劇を延々続ける世界だ。
真にぞっとするが、そうなったとしても演劇が上映されていることに価値がある、というテロリストの主張も恐い。

全員がハーモニーになったら、「戻る」ボタンを押せないから永遠にそのままなのでは?

これについてもきっちり抜け穴がある。人類全体では無いのだ。
システムに依存しない人々が、大量にいることをわざわざ作中で語っている。
したがって、彼らの活躍次第でいくらでも戻ってこられるのだ。

さらに挙げるなら、人々をハーモニーにするスイッチは、テロリストでは無い為政者が持っていた。
テロリストは世界中に暴動を発生させることで、為政者に自らそのスイッチを押させようとする。
果たして押すわけであるが、為政者が自分も意識を失うようなスイッチを入れるだろうか。
そんなはずは無く、自分たちは意識を保ったまま、ハーモニーとなった人々の様子をうかがうだろう。
それは別の形の管理が開始されるだけで、テロリストの望むものでは無い。

こうしてみると、テロリストはずさんな勘違いをした小物、もしくは理想の低い俗物だし、主人公はそれに振り回された愚か者だ。
全編を通した印象で整理すると、

・テロリストは中二病を治せなかったお嬢様
・主人公は彼女に恋して盲目になった同性愛者

二人のごっこ遊びに世界が巻き込まれた、という事になる。

まさか原作小説はこのような形になっていないと思う。
どうやらアニメ化時の改変が致命的な穴を作って、物語の意味を喪失させてしまったようだ。

この作品の題名は「 <harmony/>」である。
ハーモニーという単語が記号にはさまれている。これはHTMLといった言語に良くある文法で、単語に色々な意味を設定する記述である。
冒頭、最後にはこのような文面が多く出てくるが、理解すべきは、「これら文面は機械が書いている」と言う雰囲気である。
つまり、この物語自体、ハーモニーとなった後の主人公が意識無く記録している内容だ、と言うこと。

それって、意識じゃ無いの? という入れ子構造で物語を閉じたのか。
はたまた意識のない者が語る物語を、我々は意識ある者の言葉として2時間聞いていた、という哲学的ゾンビに対しての回答と恐怖なのか。

どちらにしても、設定の不備が壮大な空振りとなって、狙ったのと違う意味で虚無を作り出している。
思考実験の素材として、とてもとっつきやすい作品にはなっている。

2018年9月14日金曜日

オデッセイ

オデッセイ [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]

★★☆☆☆

~意外とご都合アドベンチャー~

リドリー・スコット監督、マット・デイモン主演のSF映画。
事故と不運によって火星に取り残された生物学者の奮闘を描く。

この監督・主演にしてみると、前宣伝も長くなくパッと登場してきた印象の映画。
メイキングを見るに様々な好機に恵まれ、トントン拍子に完成した映画らしい。
そうして考えてみると、舞台となる場面は少なく、室内も多い。コンパクトな映画なのかも知れない。

入ってくる情報からすれば、宇宙版ロビンソン・クルーソーであるが、あまりサバイバル日誌という感じではない。
何しろ肝心要の食糧の確保について、そうそうに目処をつけた後は問題が発生しても「強い意志による節約」で終わり
様々な状況に対処する能力と克己心をもつエリートが宇宙飛行士であるのだから、効率的な解が見つかったらそれに従うのみ。
ひとりぼっちの生活も、日々の労働も、ただ黙々と行う印象。
多分、リアルなのだろう。
だけど、冒険譚として物足りなく感じた。

乏しい食事をそれでも華やかにするために行う試行錯誤であるとか――。
狂いそうになる自我を保つための奇妙な行動であるとか――。

渇望する救援と長い時間にすりつぶされるような感触がまるで無い。
正しい行動を行うロボットのような印象。「キャストアウェイ」が愛おしく思える。

売りになっている科学的考証が、かなり恣意的だと感じる。
もとより話の突端である火星の大嵐。大気の薄い火星ではそれほどの脅威にはならないとの事だが、大嵐にしている。
それなのに、後半では大気の薄さを逆手にとった脱出作戦を組んでいる。
また、そもそも火星の重力は地球の40%らしいが、この表現は全編を通して無視している。

描く事の主軸で無いならそういった取捨選択はするべきだと思うが、科学的な検証を売りに出来る状態では無いなと感じる。
重力40%については、苦労と効果を天秤するとそりゃ無視するだろうと納得だが、何でもCGで可能に思われる映画の世界でも、やっぱり大変な事は大変だよなと改めて思えたのが目新しかった。

2016年4月5日火曜日

荒野の用心棒

★★★★
~マカロニ・ウエスタンの起爆剤~

1964年公開(日本公開は1965)のイタリア産西部劇。
イタリアを中心とするヨーロッパ製の西部劇「マカロニ・ウエスタン(スパゲッティ・ウエスタン)」が大量生産されるようになったのはこの映画の大ヒットがきっかけ。
西部劇はもちろんアメリカの西部開拓時代を舞台とした映画なので、ハリウッドの時代劇、的な奇妙さがつきまとうが、我々日本人にはどちらも異邦なのであまりに気ならないだろう。
イタリア映画なのでイタリア語が原本で、それを英語吹き替えしたものを視聴する機会が多い模様。
※セルソフトを見ても英語収録が基本でイタリア語収録は少ない。
主演のクリント・イーストウッドはじめ、全編台詞のアフレコ感が強いのはこの経緯からだろう。

この作品は余談というか、作品外のエピソードに面白いものが多い
・低予算映画なのでトップスターでないクリント・イーストウッドが主演することになった。
・主人公の衣装はイーストウッドの持ち込みが多い。
・黒澤明「用心棒」のまるっきりコピーであるが許可を取っていなかったのでその後問題になった。
・用心棒は時代劇で西部劇を、という意図があったらしいので、脚本的にぴったりくる。
・登場人物にアメリカ人が少ないことの理由付けとして、「メキシコとの国境付近」を舞台としている。
etc.

国境付近の町サン・ミゲルは無法者一家と保安官の二大勢力に分断され、町民のまともな生活は望むべくもない荒廃した有り様となっていた。
そこに流れ着いたジョーは両勢力に自身の腕前を見せつけ、甘言を弄し、両者のバランスを崩していく……。

保安官側勢力は正当なのかというと無法者に対抗するために無法者を雇っており、そもそも対立はどちらが密輸利権を握るかが原因となっており、両者悪という事になる。では主人公が正義かというとそうでも無い。正々堂々とはかけ離れた卑怯な手段を使い、彼の行為によって大量の死人が出る。
それなのに後味がすっきりなのは、彼の目的が「ちょっと見かけたいい女」を元の男と子供のところに戻すことであり、また途中でえらいボコボコの目にあっていながらもくじけないからだろう。

冒頭のエキセントリックな影絵に音楽が被さるオープニング。
最後の決闘の場にジョーが現れるシーン。奇跡的な美しさの土煙。

ワクワクせずにはいられないシーンが多く傑作に数えられるのにも納得。

2014年6月20日金曜日

インセプション

インセプション [Blu-ray]

★★★★★
~夢の説得力~

映画館→ブルーレイ→テレビ放送と三回目の鑑賞。
繰り返し見たので、順番に感銘の度合いが下がってしまうのは当然だが、それだけでは収まらない変化を楽しむことが出来た。

威力のある映像、体が震えるほどの重低音。これらを十分に楽しむなら映画館に限る。
クライマックスの連鎖倒壊シーンなどは音と映像に身を任せて体を洗われるようなものだ。映画館で観ることが出来て本当に良かった。
CG技術の進展はどのような映像も幻視可能にした。だからこそイマジネーションと物語としての説得力が問われる時代だ。
本作は夢の世界という舞台設定のもとで、非現実的な風景を、現実さながらのクオリティで映像化。まるで見ている間は本物としか思えない「夢」そのものだ。

物語は複雑で少し見逃すと後がうまくつながらない。緻密に組み立てられているからこそ、一つ一つのパーツが見落としの許されない重要な部品となっている。そのような点を考慮してだろう。テレビ放送では何とも大胆な方法でフォローを行っていた。
まず、放送時間の中程で、それまでのあらすじを説明する時間を設けている。そしてさらに先のネタバレを、結構な濃度で行っていた。確かに突然示されるより、心の準備のある方が理解しやすいと思うが、その分驚きは減衰される
加えて、画面に登場した人物について、あらすじをふまえてスーパーで説明してくれる。『犯人を追う有能な刑事』『無実の罪で追われる小心な青年』といった具合の文章がキャラクターに重ねて表示されるのだ。

他局の番組終わりに合わせて、チャンネル誘導の一手なのだろう。
このような中休みでのあらすじ提示はだいたいどの作品放送時もしているようだが、インセプションではさらに上を行く追加要素があった。
なんと、夢の階層をいちいち表示してくれるのである。
インセプションは夢の中でさらに夢を見る、という階層構造を構築し、それを最後に倒壊させる。確かに複雑で、階層が頻繁に切り替わる。その切り替わりごとに『夢の第一階層』などとキャプションが表示されるのだ。
確かに理解の一助とはなるが、複雑とはいってもそれぞれの階層で舞台や映像の質感を大幅に変えるなど、十分に配慮されている。
なんだか自転車に補助輪を付けられた上に後ろを掴んで押されている気分。子供扱いされているみたいで居心地が悪い。
字幕の映画が若い世代には敬遠されているとも聞く。思っている以上に、映画を見ることになれていない人が多いのだろう。

このような周到な補助を用意されてしまうような作品だが、ぜひともテレビ放送以外で相対して鑑賞して欲しい。
廃ビルの爆破倒壊。波打ち際の砂の城。ドミノ崩し。時間をかけてこつこつと積み上げた楼閣を一気に崩す快感は、自分で積み上げてこそその度合いも高まるだろうと思う。

すべてが過ぎ去った後に残る砂金のようなエンディング。
きらきらと輝いて、まるで夢のようだ。

2014年5月30日金曜日

スパイダーマン(サム・ライミ版)


★★★☆☆
~ピーターの物語~

新シリーズ一作目、二作目を見たあとあらためて見直してみた。

2002年公開だから、12年前の映画となる。
数字としてみるとそんなに昔か、と多少驚く。

12年の差は思ったよりも大きい。

ビルの間を自在に駆け抜けるスパイダーマンを自在なカメラでアクロバティックに描いた映像は、当時大きなインパクトだった。ジェットコースターに乗っているような主観的映像にシネコンの大画面で感激した記憶がある。
あの時点で最高峰だった映像が、今観ると不自然に感じられる。CGで描かれたスパイダーマンの動きは物理法則を乱しすぎており、違う加速度、重力の中で生きる存在を無理矢理この世界に連れてきたような(アメコミという点で実際そうなのだが……)違和感を感じる。比較すると新シリーズの映像は確実に一段高い次元に達している。
だからと言ったこの作品の価値が無くなるわけではない。スパイダーマンの滑空シーンイメージはそのまま新シリーズにも受け継がれているし、物語として非常に綺麗にまとまっている。なにより古き良きヒーローのイメージだったスパイダーマンを現代に完全復活させたという功績は大きいと感じる。

改めて見てみると、スパイダーマンよりもピーターを描くことに注力した作品だったのだと気づく。
さえない男がヒーローの力を手に入れて颯爽と大活躍……、なのだが、いちいちスマートではなくえらい目にあってばかり。それでも強い責任感で役割を果たそうと不器用ながらも努力する姿に親近感を覚えずにいられない。
身近なヒーローというスパイダーマンを、ピーターのキャラクターで描いたのが旧作なのだろう。
新シリーズはピーターではなくスパイダーマンとニューヨーク市民の関係性が身近だということを、スパイダーマンの活躍を通して描いている。

しかし、ヒロインの尻の軽さには久しぶりに見てみても閉口。当時も、今もM・Jのルックスはあまりあこがれの対象ではないように感じる。しかしだからこそ、ピーターは彼女の事が好きなのかも知れない。ピーターのオタク気質は非常にリアルで、内向的な秀才がヤンキー女性に惹かれるというのは、悔しいかな説得力がある。

2009年11月12日木曜日

魔法にかけられて


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★★★☆☆
~Blu-rayの付加コンテンツがすごい~ 

 
森で暮らす美女。
運命の相手を探すたくましい王子。
二人の中を引き裂こうとする、王子の継母=魔女。

おとぎ話の定番の展開がまずはアニメーションで描かれる。一線を画すのが魔女の取った妨害の手段。
なんと、結婚の妨害のために女を現実のニューヨークへと送り込んだのだ。
以上ような展開を見るとディズニーからの著作権的なツッコミ大丈夫かいなと心配になるが、この作品自体がディズニーの作品。

非常に大胆だと思う。
おとぎの国の女の子が現実世界でたたきのめされ、おとぎの国なんて所詮作り話で価値はない、と結論づけやしないかと不安になるが、うまいこと切り抜けている。
少々打ちのめされるも、持ち前の明るさで現実をおとぎ話のようにしていくのだ。
また、二つの世界を隔絶された別世界としていないのもうまい位置づけで、現実とおとぎ話の人物が入れ替わるなど、別の世界というより、別の国くらいの距離感
このようなバランス感覚なくしては、この企画が実現することはなかったのだろう。

視覚的な試みも面白い。
おとぎの世界は、そのままアニメーションで描かれる。それも今や見かけることのなくなった手書きアニメである。
CGアニメばかりとなったディズニーだが、手書きの最新作であろうこの作品のアニメパートの出来は実に出色。絵を描くスタッフの力量はもちろんのこと、CG技術をうまく組み込んで、ダイナミックな画面展開を実現している。
実際、このクオリティでもう一度ディズニーアニメをつくって欲しいと思うほどだ。CGアニメの精緻さももちろん良いが、手書きにはそれを描いた者の気持ちがより直接に乗っている。暖かいというありきたりの表現が、やはりしっくりとくる。

現実パートでも見所が多い。
ディズニーアニメの代表的なイメージを、実写でやってのけているのである。
音楽に乗せて、動物たちが女の子の家事を手伝うシーン。
女の子の歌が周囲を巻き込んで、登場人物達が美しい動きで踊り、歌うシーン。
これらをうまく実写に持ち込んで実現している。おとぎ話といささか異なっているのも面白い。

ただ、後半の展開はいささか唐突で強引に感じるし、ご都合主義が鼻につく。
深刻になることはないが、物語の重みも無い。これは制作者の意図通りなのであろうし、とやかく言うのも野暮だろう。
おとぎ話だと思えばそれまでだ。 

見終わった後、Blu-ray向けに追加されたコンテンツを眺めてみたが、これがすごい。
ディズニーマニアではない自分はいくつかしか気がつかなかったが、この作品、従来のおとぎ話系ディズニー作品のオマージュに満ちあふれているのだ。特典モードで鑑賞していると、突然にクイズが出題される。たとえば、このシーンはどのディズニー作品を参考にしているでしょう、など。
正解すると、参考とされた別のディズニー作品の該当シーンが再生されるのである。これが思いの外うれしい。
オマージュ部分が多いため、クイズの出題箇所も多く、さまざまなディズニー作品のダイジェストを楽しめるのである。
ああ、これは見たな。まだ見ていない、といった具合に、懐かしかったり、新たに見てみたくなったりする。
なるほど「魔法にかけられて」をより楽しむことのできるコンテンツでもあるし、ディズニー作品のプロモーションにもなっている。一石二鳥を無理なくはめ込んだ太っ腹に乾杯だ。

ディズニーはBlu-ray作品の付加コンテンツにかなりの力を入れており、「パイレーツ・オブ・カリビアン」も手間暇かかった特典付きだった。そういったものは子供向けのおまけだと侮っていたが、そうとばかりも言えないようだで、思惑通り、ダイジェストを見ているうちに、リトルマーメイドと美女と野獣が見たくなってきた。

2009年10月4日日曜日

ディパーテッド

★★★☆☆
~見るなら家庭でDVD~

アメリカ、ボストンを舞台に繰り広げられる、警察と犯罪組織の水面下の戦い。
犯罪組織に潜り込んだおとり捜査官。刑事となった犯罪組織の(ボスを父親のように仰いでいる)青年。
お互いがお互いの致命傷になり得る、心臓に刃を突けあった二人の物語。

演出は冷徹で人情で引っ張るような湿っぽさがない。
替わりに立ち上るのは、利己と打算が支配する世界の、残酷に乾いた空気。
最初から最後まで緊迫した雰囲気が続くため、見終わった後多少の疲れを感じるだろう。それはまさに、敵地に飛び込んだ二人の気持ちに他ならない。だからこそ、見終わった後の弛緩も、二人の主役と同等に感じられるはずだ。

つくりとしては、オーソドックスで安定的。古くさいという人もいるだろう。
だからといって間延びしているということではなく、むしろ時間内に数年にわたる変遷を詰め込んだ、密度の高い映画である。
話も入り組んでおり、敵味方の錯綜が激しいため、どこかで話を追えなくなってしまうと、残り上映時間を苦痛に過ごすことになるかもしれない。このような場合、DVDやBlu-rayでの視聴はありがたい。
カットつなぎもソリッド、というか、結構容赦なく場面が展開するため、分かりづらい部分が多数。集中してみることが前提になっていることも、古い映画と感じさせるかもしれない。

物語は面白いし、絵になる場面もそこここにちりばめられている。何より主演の三人、レオナルド・ディカプリオ、マット・デイモン、ジャック・ニコルソンの演技が魅力的。特にディカプリオはアイドル俳優と間違えられがちなタイタニックの功罪を跳ね返す、真に迫った演技を見せてくれる。ジャック・ニコルソンもあんなザンバラ禿がなぜあんなに格好良く見えるのか不思議なほどだ。

このように素晴らしい作品なのに、どこかしっくり来ない。
考えてみるに、時間経過がはっきりせず、どのくらいの時間をかけて描かれた物語かが分からないのが一つの原因ではないか。
神経を張り詰めて過ごした時間というものが、どの程度か分からないため、二人の疲弊の強度が伝わりにくいのだ。
また、とってつけたようなご都合主義的な展開が多く、画面の迫真さとかけ離れてしまっているのも痛い。もう少し時間があれば、本筋を補強する細部を描けただろうに、と感じる。
スケール感が思ったより感じられない不満もある。悪役がどの程度の規模なのか、あまり描かれていないため、片田舎のしけた悪党の話と言われても、納得してしまいそうになる。舞台が数カ所に集約されているため感じる閉塞感か。

またこれは直接この映画の責任でも何でもないのだが、Blu-rayの高解像度で鑑賞すると、テレビのドラマのように感じられる事がある。
これまで映画と言えば、テレビ放送にしても、映画館で見るにしても、さまざまなノイズが載った状態での視聴だった。気にしていてもいなくても、それが映画らしさであったのだ。
反対にテレビドラマは趣のない綺麗なだけの画面という印象がある。
したがって、映画の中で気の抜けた画面(これはどのような映画にも緩急として必要だ)や、テレビドラマでも多用されているような構成の画面が出てくると、余りにクリアな印象が、一瞬テレビドラマのように感じられてしまうのである。
このような印象も慣れるまでのことだと思うが、DVDではそのように感じることがなかった訳だから、やはりBlu-rayの高精細表示はこれまでとは異なる次元のものだという証明にはなるだろう。

ともかく、頭脳戦では決してないが、面白い状況設定が生み出す緊迫した物語を楽しむことのできる作品だ。

ところでマーティン・スコセッシ監督はアメリカン・ニューシネマを代表とする一作「タクシードライバー」の監督でもある。

2009年8月11日火曜日

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

Evangelion: 1.11 You Are (Not) Alone [Italian Edition]
★★☆☆☆
~マイナーチェンジ~

 一時代を築いたアニメーションの一大記念碑的作品「エヴァンゲリオン」。それを四部作に分けて再度新規作成するという壮大な企画の第一作。
 果たして前向きなのか、後ろ向きなのか。

 かなりの急ぎ足で旧版の展開をなぞっていくダイジェスト作品。前情報無くこれを見て、話を理解できるのかどうかが心配になってしまう。旧作を見ている人がターゲットということだろう。横綱相撲というか、超弩級の実績をもつコンテンツだからこそとれる手法だ。

 見た印象は良くも悪くも旧版と変わらない。ただやはり、幾何学使徒のイメージは大きく拡張され次世代感を感じさせてくれる。それがほぼ終劇あたりなので、見終わったときの満足感も余韻もそれなりにある。

 その他気がつくのは、テレビで見たのと同じシーンが多いという点。
 もともと「再構成」を強く押し出していたので、額面通り、嘘偽りがないのだが、同じレイアウトから描き起こしたという割には大したこと無いなあと感じた。が、後にテレビ版を見直してみて驚く。

 テレビ版のクオリティの乱れが目について仕方がないのである。

 当時はテレビ放送されているアニメとは思えないクオリティと安定度にしびれたものだが、再見の印象は(変わらずおもしろい作品だが)20年近く前のアニメーション、という言葉通りの物であった。
 そうしてみると、変わらないなと思った新劇場版のそれぞれのシーン、の完成度は確実に向上し、不安感無く鑑賞できるよう整理整頓されていたと思い知る。記憶の中で思い出が美化されるように、エヴァンゲリオンも記憶の中で詳細が消え去り、すばらしいと感じた印象だけが残っていた。その印象に対抗して「変わらないな」という感想を引き出した今作は、まさに再構築という仕事について非の打ち所のない結果を出したことになるだろう。

 この後、テレビ版とは異なる筋書きに突入していくとのことだが、それが本当ならこれは素直に楽しみだ。次作が同様の再構築に過ぎなかったとしても、それはそれで楽しみだ。
 ただ再構成に過ぎないのだとすると、求心力のない、懐古趣味的作品となってしまうだろう。一線級スタッフの時間と魂の消費をいささかもったいないと感じてしまうことになるのではと危惧を薄く投げる。

 

 

 Qの感想は当時ショッキングすぎて書けなかったのだ……。今なら書けるかな。

◆四部作の二作目『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の自分の感想はこちら

 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 EVANGELION:2.22 YOU CAN (NOT) ADVANCE.(通常版) [Blu-ray]
★★★★

~魂の成長へ~

◆四部作の最終作『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』の自分の感想はこちら


★★★★★
~一緒に変わってきてくれた~