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2021年8月30日月曜日

夜明け告げるルーのうた

「夜明け告げるルーのうた」 Blu-ray 初回生産限定版

★★★☆☆
~動きの魅力の功罪~


 2017年の日本アニメーション映画。監督は『マインド・ゲーム』『ピンポン THE ANIMATION』の湯浅政明。中学生男子と人魚の女の子の交流を描く。
 

 東京出身の中学三年生である足元カイは、日無町の父の実家で、父・祖父と三人で暮らしていた。日無は人魚の伝承のあるひなびた漁港だった。カイは感情を表に出さず、学校の進路調査には何も書かずに提出した。
 夏休みが近づいた頃、カイは自作の打ち込みを動画投稿サイトにアップする。それがきっかけで、同じクラスでバンド「セイレーン」を組んでいる遊歩と国夫からメンバーに誘われる。<Wikipediaより
 
 思いついたシチュエーション、レイアウト、画面的な喜びにあまりに引きずられ、物語全体としてのまとまりは後回しにされている印象。骨子は押さえられているので破綻した印象は少ないが、もっと丁寧に扱ったほしかったエピソードは多い。その意味でつじつまが合っていない(道理がよく分からない)部分は多く残る。だいたいは綺麗に袋に収まったが、ごつごつといびつな形が残ってしまったな、という感想。

 切れの良い動き、胸が空く映像。アニメーションの気持ちよさを堪能できる。小学校二年生の息子も最初から最後まで飽きることなく見終えることが出来た。107分というのは結構な長さであり、全体的なテンポの良さと適切な間隔で現れる見所がなせる技だろう。ちょっと怖いシーンもあるが、大丈夫だったみたいである。

 一曲の歌を中心に据えてまとめたアニメ作品としては新海誠監督の『秒速5センチメートル』が有名で、これなどはクライマックスの映像とあまりに合致するため山崎まさよしの曲「One more time, One more chance 」のプロモだとか言われたりもしている。今作で取り上げられている斉藤和義の「歌うたいのバラッド」は映画全編でまんべんなく使用されており、映画のテーマにもよく合致しているため劇伴(映画の音楽)としてきちんと機能している。実際に出てきたりはしないが、作品世界の中にも「斉藤和義」が存在していて、その曲を主人公がコピーするという立て付けになっている。

 監督の湯浅政明の、観客を引き寄せる握力が非常に強いことを、良くも悪くも再確認させられる。
 動く気持ちよさとは半ば暴力的な引力で視線を引き寄せる。だから観てしまうし、一定の満足を得られるのだが、やはり監督は根本がアニメーターなのだろう。動く気持ちよさに自身も逆らえず、シナリオよりも重視してしまう。ことシナリオとして考えた場合、オリジナル作品に首肯できる作品が少ないのだ。決しておもしろくないわけでもなく、駄作でもないが、まとまりきらないのだ。
 むしろ原作物に対して、元からある基盤に魅力をどんどんふっかけていくことで名作傑作を生み出しており、こちら路線の作品を期待する。

 <原作あり>
  『マインド・ゲーム』『四畳半神話大系』『ピンポン THE ANIMATION』

 <オリジナル>
  『ケモノヅメ』『カイバ』

 ともあれ非常に精力的に数多くの作品に関わり、実際に排出している湯浅監督は本当にすばらしいアニメーション監督だと思う。 

 3DCGではなく、線画をCG補完して滑らかに動かす技術を生かした作画を推し進めているようで、今作でも使用されている。CGというと湯浅監督のテイストとは一見相容れないように感じるが、今作の用法は動画の作成部分についてのCG。アニメーションはキーとなる原画を動画でつないで構成しているのだが、動画作成の部分をCGで行っているため、原画が押さえたアニメーションの肝を活用しつつ、非常に滑らかな動画を生成。結果、質と密度の高いシーンを量産している。

 物語としては自分の殻を破って羽ばたいていこうとする少年の姿を描いており、普遍の共感を多くの人に(うっすら)感じさせるだろう。



2021年8月14日土曜日

殺人の追憶

殺人の追憶 [Blu-ray] 

~入りきれない壁~
★★★☆☆
 

 2003年に制作、公開された韓国映画。監督は『パラサイト』でアカデミー賞を取ったポン・ジュノ。

 1986年10月、農村地帯華城市の用水路から束縛された女性の遺体が発見される。地元警察の刑事パクとチョが捜査にあたるが、捜査は進展せず、2か月後、線路脇の稲田でビョンスンの遺体が発見される。どちらも赤い服を身に着けた女性で、被害者の下着で縛られた上に、絞殺されていた。<Wikipediaより>

 今作は実際に発生した「華城連続殺人事件」を下敷きにしており、公開時点でも犯人は特定されていなかった。2019年にようやく犯人が見つかったが時効が成立しており罪には問えない状況。ただし、犯人は別の強姦殺人ですでに無期懲役の執行中であったとのこと。
 
 事件を元にはしているがノンフィクションでは無くフィクション。陰惨ながらも各所魅力的な内容となっている。

 現場捜査官のパクはいわゆる前時代的な刑事。しぶとく事件にしがみついていく熱意は持つが、これが犯人だと目星をつけたら、容赦なくつきまとい、警察署内の拷問部屋に連れ込んでは都合の良い供述をさせようとする始末。スニーカーの足跡を押し込むなど証拠の捏造にも迷いが無いが今回は拉致があかない。自白強要がマスコミに漏れ捜査陣が糾弾される始末。
 そんな中、ソウル市警のソ刑事が参入。パクと異なり科学的な捜査、事実の積み上げを信条とし、拷問や強要を是とはしない。同じように強い情熱を持って犯人逮捕に挑む二人だが、対照的な存在ということになる。
 
 この構図が事件の進展に合わせて変容していくのが本作の魅力の一つ。

 

2021年7月15日木曜日

聖戦士ダンバイン 総集編三部作


★★★☆☆
~記憶していたよりハードな物語~


 1983年のTVアニメシリーズを1988年に全三巻にまとめた総集編。各巻1時間弱なので全49話(ざっと16時間)をだいたい6分の1に圧縮していることになる。監督は『機動戦士ガンダム』の 富野由悠季。キャラクターデザインは『伝説巨神イデオン』『戦闘メカ ザブングル』の湖川友謙。
 

 精霊や妖精が存在し、オーラの力で機械を駆動させる世界、バイストン・ウェル。
 海と大地の狭間に存在するといわれるその世界はオーラ・ロードによって現実世界と接続されており、そこに住む者を「地上人」と呼んでいた。
 地上人はバイストン・ウェルの人々に比べてオーラの力が強いため、バイストン・ウェルの領主、国王たちは己の勢力を拡大するための戦力として地上人を召喚し、相争っていた。
 主人公ショウ・ザマは日本で暮らす青年であったがバイクで失踪中にバイストン・ウェルに召喚。オーラ力(ちから)で駆動する人型兵器、オーラバトラーの搭乗員として戦渦に巻き込まれていく。

 
 聖戦士ダンバインは玩具会社がおもちゃ販売を前提にスポンサーしていたアニメーションなのだが、『宇宙の戦士』の宮武一貴によるデザインは子供受け、一般受けはしにくい物だった。巨大な虫(というより巨獣)の甲殻を外装としているという設定に合わせてデザインされたオーラバトラーは直線が極端に少ない生物的なフォルムをしており、足先は巨大な爪として構成、飛翔用の羽根もトンボのような雰囲気とかなり攻めている。
 おもちゃ類の販売は難航し、途中スポンサーの変更があったりと打ち切りの憂き目にも遭いながら何とか完走した作品とのこと。だがこの唯一無二のデザインは時が立っても陳腐化すること無く、逆に時が立つほど他の幾多の作品の中にあって輝きを放つ。今回視聴して改めてその格好良さを再認識させられた。
 
 やはり総集編ではあらすじを追うくらいしか出来ず、幾多の勢力、数多の人物が理解できないまま現れ、消えていく。それでもとっ散らからずに本筋は追っていけるのだから、総集編としては良くまとまっていると言えるだろう。

2021年3月22日月曜日

トムとジェリー (2021年の映画)

映画 トムとジェリー ブルーレイ&DVDセット (2枚組) [Blu-ray]

★★★☆☆
~実写の思いもよらぬ効果~


 まずはあらすじ。

※小一息子の感想(聞きとり筆記)
トムとジェリーは町に出かけて、けどいつものけんかで世界が注目した結婚パーティーを破壊してしまった。そして、タッグを組むことになったトムとジェリーはまずはお嫁さんを連れ戻しに行き、ペットの猫をつかって結婚式のある場所に、そしてエンディングで、その後に少しシリーズが続いた。そしておわり。
トムが飛んで落ちたところがおもしろかった。トムはちょっと詰めが甘かった。二人が結婚できて良かった。

 改めて読んでみるときっちりポイントをつかんでおり、長い映画を見られるようになったんだなあと感心してしまう。(親ばか)
 
 2021年の米コメディ映画。トムとジェリーは自分も子供の頃から見ていたし、息子がもっと小さい頃から、今に至るも放送している。何と息の長く、普遍的なコンテンツなんだろう。息子と一緒にテレビのトムとジェリーを見ていて改めてそのクオリティの高さに驚いた。

<テレビドラマ>岸部露伴は動かない

 

★★★☆☆
~三話目だけ違和感が強い~


 2020年に放送されたテレビドラマ。『荒木飛呂彦』氏の人気漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の第四部に出てくる「岸部露伴」というキャラクターのスピンオフ漫画、ならびに小説が原作であり、なかなか深層化している。
 岸部露伴は人気漫画家という設定で、創作活動に身を捧げる奇人変人となっている。多数の特徴的なキャラクターが並び立つジョジョシリーズの中でも際立ってキャラクターが立っており、様々な物語に接続しやすい立場(「漫画の取材」で事足りる)もあって案内役としてぴったりである。

 人気漫画家である岸部露伴は特殊な能力を持っている。ヘブンズドアーと名付けたそれは、人の体を本のように変質させ、ページをめくってその者の歴史、経験を読むことが出来た。
 「リアリティのある漫画」に身命を賭す彼のもとには様々な奇妙な案件が舞い込む。漫画の題材とするため、露伴は奇妙な冒険を繰り返していく――。


 
 荒木氏の漫画は実にファッショナブルであり、キャラクターたちの服装やポーズが非常に「いかれて」いる。たとえば第四部は高校生たちが主軸となる章なのだが、学生服のバリエーションがすさまじい。刺繍や切れ込み、アクセサリーをちりばめ、実用的ではないがファッションショーの衣装のようにきらびやか。漫画の中の決めポーズもモデルのポートレイトのように腕を交差し、体をねじり、躍動感あふれる物となっている。
 実写化と聞いてまず心配になるのはこの特殊なビジュアルがどう再現されるのかということだが、このテレビドラマは非常に上手い塩梅でこれをクリアしている。ファッションもポーズも原作の雰囲気を反映させた上で、動画として、実写として許される範囲にとどめている。さらにヘブンズドアーの能力も実写として違和感のない表現に落とし込んでいる。この時点で賞賛に値する。

2021年1月5日火曜日

宝石の国

 

★★★☆☆
~とても幸せな3DCGアニメーション化~


 「市川春子」氏の漫画を原作としたアニメーションシリーズ。2017年、全12話。
 

 あまりに変転した世界で、鉱物から進化した者たちが一つの島に集って暮らしていた。
 それぞれが異なる鉱物の体を持ち、色、硬度、性質なども鉱物を反映させている。
 少年でもなく、少女でもない、若々しい姿だが、鉱物らしい悠久を敵との戦いに費やして生きていた。
 敵は月人。一見仏様のような姿で雲に乗って現れ、宝石達を砕いて持ち去ろうとする。
 宝石の一人フォスフォフィライトは戦闘力が低く、その他の雑務も苦手だが、持ち前の楽観と人なつこさでそれなりに暮らしを楽しんでいた。
 宝石のリーダーである金剛先生からとある仕事を任されたことで、フォスの生活に劇的な変化が生じていく――。

 
 何とも説明しにくい物語で、世界観を理解するのに苦労しそうだが、3DCGで描かれる美麗なキャラクターがスルリとその壁を取り払ってくれる。
 宝石の輝きが圧倒的に美しい。
 生きて動いているが、硬質さを感じさせる。3DCGのぎこちなさ(故意半分限界半分?)が設定と見事にかみ合っているのだ。キラキラと輝くエフェクトも美しく、生きた宝石という存在を見事に映像化させている。原作は未読だが、宝石感の表現は確実にこちらに軍配が上がるだろう。
 戦いの表現も素晴らしい。3DCGが許す自由なカメラワークを活かし、流麗な宝石達の戦いぶりを迫力満点で描き出している。カメラの自由さにおぼれて分かりにくかったり、無駄だったりすることなく、利点をきっちり活かしてクオリティの向上にベクトルを伝えている。
 
 さらに幸せな邂逅といえるのが、物語と3DCGとの出会い。実際何を主題にし、何を伝えようとしているのか正解は知り得ないが、自分は「はかなさから来る切なさ」だと思う。宝石達が思春期の少年少女の姿を持ち、自分の存在意義を探し求めて傷つき、砕けていく様子はまさに汚れを知る前の純粋な魂の映像化である。3DCGの表現力によって、宝石達がはかない存在である事が常に明示され続ける。どんなに華麗に飛翔して、力強く剣戟を振るっても、砕けてしまう存在である事も同時に表現され続けるので、常にはらはらさせられる。一瞬後には死んでしまうのではないかというはかなさを内包した美しさ。コントラストに胸が締め付けられるほどだ。

 原作は今(2021/01)も連載中で、当然アニメも尻切れトンボ。続きが気になって薄目で見るように情報を漁ってみたが、どうやら宝石達には過酷な運命が待ち受けるようで、ちょっともう見たくないな、というのが正直な感想。そういう意味では尻切れトンボで良かったのかも。
 美しい存在がただただ無残に傷ついていき、いびつに変貌していくのを、僕はもう見たくない。

 

 

2020年12月7日月曜日

劇場版 幼女戦記

劇場版 幼女戦記 通常版( イベントチケット優先販売申込券 ) [Blu-ray]
★★★☆☆
~幼女として転生する理由~


 カルロ・ゼン(ペンネーム)による小説を原作としたテレビシリーズアニメーションの続編として制作されたアニメ映画。2019年公開。

 異世界転生物と言えば、現世では落ちこぼれだった主人公が転生時に与えられた能力により新世界で無双するというのが定番だが、今作はその流れに逆らおうとしている。もともと超利己的なエリートサラリーマンがリストラした相手の復讐によって命を落とし、死後の至高存在とのやり取りに於いても不遜な態度を改めなかったため、異世界でえらい目にあって信心改めろ! という次第。
 転生したのは女児ターニャ。一才から自我をもって前世の記憶も保持という事だが、これでまともに育つはずもない。

 放り込まれた世界は世界大戦直前の世界。一次と二次が混ざったような兵器レベルだが、大きく異なるのが魔力が動力の一つとして確立しているという点。魔力を使用した飛行能力と魔力強化による超威力の銃撃(もはや爆雷)が戦力として重要な地位を占めている。ターニャは自己保身の最適解として早熟の魔導師となり、所属する帝国軍内で栄達を遂げて安全な内地で勤務することを夢見るが、開始された大戦において合理的判断と大胆な決断により一躍英雄として扱われることとなる。ターニャの思惑とは逆の方向へ事態は進展していくのだ。

 ここまで来ると誰もが思う。異世界転生という導入は必要ないのではないか?
 
 いや、実はこの作品こそこの設定が上手く使われていると言える。
 ターニャは少女の姿でとんでもない毒舌を披露して部下を焚き付けていくのだが、中身がおっさんだからこそこの行動に説得力が出てくる。中身も少女だった場合、なぜそのような言葉を操るに至ったのかの説明をするのに、彼女のそれまでの尋常ならざる人生を描く必要が出てくる。少女でなかった場合、大人の女(もしくは男)ということになりなり、少女の半生を描くよりは期間が長いので多少楽だろうが、それでも異世界における成長過程を描く必要が出てくる。
 それを「殺されるほどいけ好かないエリートサラリーマン」の一言でかっちりイメージを固め、異世界選定という設定で戦場につなげてしまっている。
 
 少女でなくとも良かったのではないか?
 
 いやいやこれも少女でなければならなかった。
 エキセントリックな狂人じみたオルグ(昂揚そそのかし演説)はそのまま聞くとまさにいかれている。主人公として許容するにはぶっ飛びすぎているのだが、ここに少女というイメージをぶつけることで、戦場まっただ中の幼女上司という異常を先に打ち立ててしまっている。それが許容されるなら、あのような弁舌もあり得ることとしてするりと受け入れてしまうのだ。
 ただただあざといと感じられた幼女と戦場の組み合わせは、考えを進めるほど理にかなっている。物語がいかに凄惨なものだとしても、彼女の存在一つでフィクションの香りが陰鬱になるのを妨げてくれるのだ。(もちろん作り話なのだが)現実ではないものとして、適度な距離感で物語に対することが出来る。異世界ものにありがちな異性からモテモテのハーレム状態に移行しない(出来ない)のも幼女効果だろう。女児に懸想するのは一般的ではないし、しかも中身がおっさんだ。視聴者(読者)もその展開を期待しない
 ※小説『皇国の守護者』は同じように性格破綻した有能指揮官の戦記物であり、主人公は男で青年、転生はしていない。対照として面白い作品だ。
 
 かくして頭のおかしい狂人英雄が主人公として立つことが可能となっているのだ。

 映像作品としてみてみると一定水準を超えた演出と画面クオリティを保持した良作だ。扇動演説の表情描写も強烈なアクのある作画で、それに答える声の演技も耳をつくような金切り声が実に合っている。戦闘描写も迫力と見やすさ、映画的なレイアウトがバランス良く構成されていて特に難をつけるところがない。むやみに残酷な描写が挟まれることはないが、老若男女に分け隔て無く不幸が襲いかかるため、ターニャや女性兵士もえらい目にあう。今作では特に肉弾戦が多いため殴り合って顔がボコボコになっていくのだが、女性キャラが過度に守られることが多い創作物の中、どこか胸が空く部分がある。

 原作小説は未読だが、時系列を行き来する章構成になっているらしく、アニメ化に当たって分かりやすく並び替えたり省いたりしているとのこと。勢力毎の軍服や兵器のデザインも差別化されており、数々の留意の甲斐あって全体の進行、特に戦況の変転も混乱することなく理解できる。だがそれでも様々な国、勢力が入り乱れる「世界大戦」であるため、定期的な勢力状況の解説などがあればさらに分かりやすかっただろうか。現実の大戦を模している要素が多いため、そちらの知識が厚い人には理解もしやすく、元ネタと感応する楽しみ方が増えるだろう。

 問題は全編に感じる悪趣味だろう。かわいい顔をした幼女が毒舌を振るい、敵を屠って狂喜の大笑いをする姿は露悪趣味と言わざるを得ない。負けることが確定している(歴史として冒頭に語られる)大戦においての様々な戦いというのもやるせない。沈むことが分かっている『タイタニック』は待ち構える悲劇が特別な感触を全編に投げかけているが、今作の場合思いがけない悲劇ではないため、崖に向かって邁進していく人類の姿を夢も希望もなく見ることになる。それによって生まれる無力感や諦観は心に残るものではあるが、自分には少し重すぎるなというのが正直な感想だ。
 
 

2020年11月27日金曜日

インビジブル・スクワッド 悪の部隊と光の戦士

インビジブル・スクワッド 悪の部隊と光の戦士 [DVD]
★★★☆☆
~等身大の冒険活劇~


 2014年のイタリア映画。日本での劇場未公開のビデオスルー作品の模様。日本でのビデオ発売は2016年。最近イタリア映画を見る機会が多かったので、大仰に名前を叫ぶシーンになるとイタリアだ! と強く感じた。ラピュタのドーラのような押しの強いおばちゃんがイタリア映画には欠かせない。
 
 題名はむりやりスクワッド(仲のよい仲間、部隊)と入っているが、割と孤独な戦士である。DCの映画「スーサイド・スクワッド」も2016年なのでそちらとの相乗効果、また何となくアベンジャーズっぽい雰囲気も持たせたかったのだろう。副題「悪の部隊と光の戦士」が「戦士達」で無いことからもヒーローチーム映画とは異なるのだと分かる。

 原題は「Il ragazzo invisibile」。見えない少年、となる。そんなにヒーローヒーローした作品ではないのだ。

―――――――――――――――――――
内向的な少年ミケーレは学校でいじめられてばかりいた。ある時、トイレに閉じ込められたミケーレは怒りを爆発させてしまう。すると、体が透明になり、服を着ていなければ誰にも見えない透明人間になっていた!<KINENOTEより
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 思春期のいじめられっ子が突然透明人間化するというこれまでも見たことがあるような導入だが、ひと味違うのがカラッとした人間関係。ミケーレは衝動そのままにいじめっ子に復讐し、女子生徒の更衣室に忍び込む。後者はすぐにバレて(当然だが)クラスの女子から変態扱いされるも、割とすぐに許される(というか、元々無視されがちだったので扱いはあまり変わらない)。ミケーレも悪かったと反省して以降はそちらの方面に力を使うことはない。透明人間になれたら……という基本的な内容はこのように前半でてきぱき片付けてしまって、あとはなぜその能力があるのか、能力者を見つけようとミケーレを探す勢力とは――というヒーロー映画展開。変にエロ衝動に拘泥しないのもすっきりしていて良い。

 透明人間の表現にもひねりが効いている。透明人間は服は透明にならないので真っ裸で徘徊するという状況になるのだが、これをそのまま表現するシーンが多い。つまり普通に生活する人に紛れて全裸で居るのである。この絵面はあまりに変態的でシュールでどうひいき目に見ても格好良いヒーローとはならないのだが、前半にのみ出てくる表現なので差し支えない。かえって自分の欲望を果たそうとする姿を滑稽に馬鹿っぽく描いているのでバランスがとれている。

 題名とパッケージのせいで大作アクションヒーロー映画のような前提で観てしまうと大がかりなアクションシーンはさほど無く肩すかしをくってしまうが、思春期少年のがんばりを見守る映画とすれば様々な要素が綺麗にまとまっている優秀な作品と言える。最後には大きな引きが用意され、これはぜひ続編も見たいものであるが、例によって海外では公開済みだが日本では公開もビデオ発売もまだ予定にはないようである。(2020/11/27現在)

 

 

2020年11月12日木曜日

クリフハンガー

クリフハンガー [DVD]

★★★☆☆
~破格の導入~


 1993年。意外にも日米仏の合作。制作資金を出せば合作となるのかな。
 シルベスター・スタローン主演の高山脳筋アクション。
 

 ロッキー山脈の山岳救助隊で働くゲイブは仲間とともに充実した毎日を送っていた。
 一方財務省の輸送飛行機をハイジャックして高額紙幣の強奪を狙うグループが犯行を開始。機上で首尾良く計画を進め、味方の飛行機で脱出しようというところでFBIの内偵がこれを阻止。三つのトランクケースはロッキー山脈の冠雪に埋もれる事となった。
 犯人達はその回収のため遭難者を装って救助隊を呼び寄せる。そうとは知らぬゲイブ達は急ぎ現場に駆けつけようとするが――。


 導入が素晴らしい。
 急峻な岩山の天辺でケガを負った要救助者の元に颯爽と現れ、テキパキと救助活動を展開するゲイブの姿はまずこの映画の舞台を見せつけてくれる。垂直どころかオーバーハングの壁面を這い上がり、高度1200メートルの崖をつなぐワイヤーを移動する。高所恐怖症ではないはずの自分でも腰がむずむずとしてくる。さらにそこから腕一本で人をぶら下げるシーンなど手のひらで顔をかくして指の隙間から見てしまう緊迫感。
 ハイジャックの映像もすごい。現金輸送の飛行機を別の飛行機で近接飛行。二機をワイヤーでつないでトランクや人員を移送するシーンなど他では見られないスリリングな映像で、その後の不時着シーン含めて冒頭からたたみかけてくる。
 
 これはすごいと胸が躍るが以降の展開はこの序盤を超えることなく尻すぼみになっていく印象。
 ゲイブが装備を剥がされてシャツ一枚で雪山に登っていく姿は、スタローンの顔芸含めるとコメディーに偏ってしまう。大胆な計画で度肝を抜いてくれた敵も、どんどん鍍金が剥がれてただの愚連隊に堕していく。終盤になるほどどちらも知性を失ったような状態でぶつかり合っていくのだ。面白いといえば面白い。

 ともかく序盤だけでも実写映像の威力を強烈に感じる事ができ、視聴の価値は十分にある。映画全体の元は取れるのでお勧めしたい。
 
 ところで――。(今作とは直接関係の無い話です)
 1993年当時、CGはまだまだ発展途上でクロマキー合成や特殊撮影(特撮)、そしてカット割りで様々なイメージを作り上げるしかなかった。描きたいイメージに対してあらゆる角度、職種からアイデアを出し、実現可能な方法を組み合わして映像化していく。合成のなじみを良くするのは困難だったし、特撮の痕跡を消すのも大変だった。しかし上手くつくられた新規なイメージはもうそれだけで観客の感動を誘ったものだ。それはまさに新しい「魔術」「魔法」を生み出す行為だった。もちろん種があるのだから「手品」である。
 現在はそういう意味では非常におもしろみのない時代だ。どんなにがんばって豊かな映像をつくり出しても、見る者はただ一つの種で理解してしまう。CGでしょ、で終わりなのだ。
 実写の方が、CGの方が、という優劣の話しではない。それぞれに利点と欠点があり、欠点を補うように両者が組み合っていくのが良いのだろうと思う。

 ただ、世の中の全ての手品の種が明らかになってしまったような、ストリップ劇場を明るく照らしてしまうような、ひどいネタばらしを食らってしまったな、という喪失感を感じる。


2020年11月5日木曜日

バトルランナー


★★★☆☆
~深くも浅くも楽しめる~


 1987年の米映画。出演すれば(基本)ヒット時代のアーノルド・シュワルツェネッガー主演。殺戮テレビ番組脱出バトル。

 2017年アメリカ。経済的没落により貧困層が増大したアメリカではそのガス抜きとしてテレビ番組がどんどん過激化。人気タレント、デーモンが司会をする一番の超人気番組「ランニングマン」は本物の犯罪者を重武装のヒーローが追い詰めて処刑するという内容。
 一方、警察官のベンは市民を虐殺しろとの命令に反したため捕まり、あろう事かフェイクムービーによって虐殺の犯人として刑務所に収監。世間からも悪逆非道の犯罪者として認識されていた。仲間と共謀して脱獄に成功するが国外脱出に失敗して再び捕らえられる。その話題性に目をつけたデーモンが無理を通してベンをランニングマンに招聘。仲間とともに殺人ヒーロー達の待つステージへと送り込まれる。デスゲームを生き抜き、己の無実を証明できるのか――。

 
 今見ると特撮の粗が目につくし、すでに過去となった(現在2020年なり)未来描写はかなりずれている。カセットテープがまだまだ現役など懐かしい未来であるが、肝の部分である『番組とそれを見る視聴者』の関係は今も昔も変わりがない。つくる側は受けるように、番組運営に都合の良いように虚実を好き勝手に編集し、見る視聴者は面白ければ良いとしてそれ以上深く考えることはない。テレビの存在感が薄れた現在でもインターネットを飛び交う動画や画像として構図は変わらない。むしろつくる側と視聴者が入り交じり区分け出来なくなった現状の方が重傷である。まさに時代を超える作品だ。

 一時期はTVで良くかかっていたので何度も見たことがあり、いくつかのシーンが強烈に焼き付いている。
 戦場に送り込まれるシューターの慌ただしい映像。
 ホッケーの防具に身を包んだサブゼロ。チェーンソーを振り回すバズソー(こいつが1番記憶にのこってる)。オペラを歌ってキラキラしたダイナモ。
 映像の記憶が残るということは、基本的にその作品に価値があるということだと思う。

 改めて見てみると卑怯な戦いを嫌って役を降りる「キャプテン・フリーダム」など、当時はスルーしていた含蓄あるキャラクターにも気がつく。各所の風刺的要素など、バーホーベン監督(ロボコップ/スターシップ・トゥルーパーズ)の作品っぽい印象だが今作の監督はポール・マイケル・グレイザー(アフリカン・ダンク)。

 リチャード・バックマン(スティーブン・キングの別名義)の原作は人間狩りのテレビ番組「ランニングマン」を舞台とした逃亡劇であることは同じだが、街全体が逃亡の舞台となっており、ベンの素性や結末も異なる。原作をよりエンターテインメントに仕立て上げたのが映画版であり、実にテレビ番組的な誇張と脚色である。……とすると、この映画作品自体が「映像による都合の良い現実歪曲」と「それを疑うこともなく賞賛して人生を浪費する視聴者」という原作のテーマを相似拡大したものになるとも言える。興味深い。




2020年9月4日金曜日

タイトロープ

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★★★☆☆
~性と愛と罪~


 1984年の米映画。クリント・イーストウッド主演のセクシャル刑事ドラマ。 
 
 

 ニューオリンズ 市警殺人課のウェス・ブロック刑事は離婚後、アマンダとペニーという2人の娘と暮らしていた。歓楽街フレンチ・クォーターで働く赤毛の娼婦が殺された。娼婦は手錠をはめられ、前後から犯された上、赤いリボンで首を絞められていた。美女殺人の2人目の犠牲者だった。<WIKIPEDIAより>
 

 暴力機械としての警察、その最前線に立つ男が狂気じみた暴力にさらされる女性と子供を保護するために奔走する。犯人は性風俗に関わる女性ばかりを惨殺。それを追うブロックも次第にその狂気にあてられていく。お金を払うことで女性をものとして扱う権利を得る様々な性産業を目の当たりにしながら、同時に彼女たちを守らなければならないという社会的な要請、つまりは本能と理性に挟まれて主人公は懊悩する。離婚して男やもめになった女ひでりという設定もなかなか熱い。まさに張り詰めたロープの綱渡り。


 女性を性犯罪から守る啓蒙活動を仕事とするベリルというヒロイン役が出てくるが、本作における真のヒロイン(達)はブロックの幼い二人の娘だろう。性的欲求と切り離された愛情。守りたいと願う純粋な気持ち。まだ幼い次女とローティーンほどに見える長女(家事全般をこなしているので言動が大人びている)、そして成熟した女性としてのベリル。年齢を埋めるようにして配置された女性陣、それを襲おうとする男(犯人)と守ろうとする男。子供を息子にせず二人とも娘にしたあたり、男と女の立ち位置の違い、隔絶と理解をテーマにしているのだろう。


 犯人を特定して徐々に追い詰めていくわけだが、特にミステリー要素はない。最初の現場から「怪しい足下」として犯人は登場しており、各所でも同じように示される。「近くにいてブロックの様子をうかがっている」ということをねっちり積み上げていく手法で、得体の知れない者が具体的に近くにいるという緊迫感を盛り上げている。細かなミスリードというか、気の利いた演出を各所に盛り込んでおり映画演出の才能を感じさせる。
 特に記憶に残るのは犯人が扮したピエロがブロックの次女に風船を手渡すシーン。風船を持ったままブロックの元に戻っていく娘。それを凝視するピエロ。なにかの弾みで手を放してしまい風船は屋根の上へと舞い上がっていく。視線で追う登場人物達――。そうは見えないのだが、爆発物など何か仕掛けがあるのではと勘ぐってしまうカメラワークで、結局何も起こらず風船は舞い上がっていく。物語としては進展のない緊迫感を積み上げるシーンなのだが、それだけではないロマンを感じる。犯人としては自分の獲物を近くからじっくり見定めようとしたのかも知れないが、舞い上がった風船を目で追う間、犯人も狂気から解放された普通の人間だったのかも知れない。本来子供らしさを象徴するふわふわとした風船。そのとなりに猟奇的、性的な存在を配置して奇跡的なバランスをとっている、これぞセンス・オブ・ワンダー、名シーンだと思う。


 午後ロー枠での放送を見たのでひょっとすると性的描写はもっと激しいものだったのかも知れないが、作品としては過不足ない分量だと思う。
 全体に重々しく陰鬱でデビット・フィンチャー監督の『セブン』と同じ空気を纏っているが、着地点はこちらが遙かに人道的でむやみに傷つけられることもないので薦めやすい。セブンは気になっている女性と見に行って最悪の雰囲気でそのあとお茶した記憶があるが、こちらはこちらで性的な描写も多いので気まずさは同じくらいだったかもしれない。
 
 

2020年8月17日月曜日

ホワイトハウスの陰謀

ホワイトハウスの陰謀 [DVD]
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★★★☆☆
~信念に基づいた各人の行動~

 1997年の米映画。ホワイトハウスを舞台とした殺人事件解決アクション。
 

 米兵が北朝鮮に拉致され、政府の対応を巡って内外でさまざまなぶつかり合いが生じている緊迫した事態の中、ホワイトハウス内で女性職員が刺殺されるという事件が発生。捜査担当として現場たたき上げのリージス刑事が派遣されるが、シークレットサービスは証拠を故意に隠蔽。状況証拠からルームクリーニングの男性が逮捕されてしまう。真犯人を捕らえるためにリージスの奮闘が開始されるが、誰が味方で敵なのか、ホワイトハウス周辺の権謀術数に巻き込まれていく――。

 原題は『Murder at 1600』。1600はホワイトハウスの番地のことで米国人ならパッと分かるのだろうか? そうでもないような気がする。主人公リージスを演じるウェズリー・スナイプスは映画『ブレイド』で有名。今作でも小気味よい体の動きで目を引く。1997年の作品だが今見ても古くささは感じない。というか、北朝鮮との関係は四半世紀たっても大して変わってないのだなあと思う。ホワイトハウスという歴史的建造物を舞台にしていることも古びない一因だろう。すでに古いから、これ以上古びないのだ。こういうレトロ感をあまり感じさせない中にあって、唯一強烈に時代感を押し出すのがVHSのビデオテープ。結構重要な証拠として使用されており、前面に押し出されてくるので目につくというのもあるが、使用したことのない人にはどのように映っているのだろうか。


 本作で印象的なのは敵が誰なのかが判然としない状態での物語進行。リージスは同僚数名しか信頼できる仲間がおらず彼らも途中で脱落していく。周囲の全てが敵の状況なのだが、敵全体が一枚岩なのか、複数勢力なのか、どこで切り分けられているのかがなかなか分からないのが面白い。追っても追ってもたどり着かない蜃気楼のような敵に対して諦めることなく突き進む姿は、分かりやすく魅力的だ。
 テンポ良く状況が移り変わり、その中で緩急も適切に。決まり切ったロマンスは香り程度に止めて、あくまで自分の信念を貫いていく。主人公以外もおのおのの信念を持って行動している事が感じられ、敵にも一定の敬意を払いたくなる。
 バディ刑事物として非常に楽しめるエンターテインメント映画。

2020年7月29日水曜日

ゾンビランド

ゾンビランド [Blu-ray]
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★★★☆☆
~ボーイ・ミーツ・ガール ゾンビ映画~

 2009年の米映画。ゾンビ物だが陰鬱にはならないゾンビワールド朗らか珍道中。
 

 狂暴になり人間に対して食欲を湧かせるゾンビ化ウイルスがあっという間に世界に蔓延。わずかな生き残りが各地で孤軍奮闘する状況となった。
 大学生のコロンバス(人物全てが地名の仮名を名乗っている)は引きこもり体質を活かしてテキサスの街で生き残っていたが、実家にもどってみようかと思い立ち旅に出る。徒歩で向かう道中ゾンビハンターとも言える屈強な男タラハシーに拾ってもらい、彼の車に同乗。途中さらにウィチタとリトルロックの姉妹と出会い、姉にコロリと恋に落ちるがゾンビ以上に一筋縄ではいかない相手だった――。

 ゾンビという題材はあれこれと都合が良い。どんなに残虐な表現をしようが人間ではなくモンスターなので、倫理機関の審査を通すに有利だ(これはゲームでもまったく同じ。人間で無ければ良いという解釈で切り抜けることの出来る制限は大きい)。物語としても前提を共有しやすく、理由や救世の展開を用意する必要もない。非常に大きなゾンビ映画という枠の中で、他のゾンビものとの違いを表現することに注力すればよく、ともかく取っつきが良い。これはラノベの異世界転生ものが蔓延したのと同じ理屈だと思う。


 今作の特徴的な部分は映像のスタイリッシュさと、人間関係を非常に狭くとどめて、その中でのやりとりに終始していることだ。主人公は己の決めた「ルール」を守ることで生き延びており、そのルールをテンポ良く言葉と画面で示していくのが冒頭となっている。しかし、この映画はそのルールに絡んだやりとりを主体にしたものでは決してなく、これはつかみに過ぎない。なにせ三十以上のルールが存在するというのに、実際に出てくるのは十にも満たないのだ。本筋は「陰気なオタクが情けないながらもがんばって、高嶺の花をゲットする」という分かりやすい青春映画である。本来なら重ならない、異なるカーストの二人を同行させ、アピールチャンスを与える必然性をつくるのに「ゾンビ」が使用されているという形。彼の付和雷同と無駄に強い女性崇拝の姿勢に自分などは大いに共感できるが、ただただ情けない主人公に腹が立つ観客もいるだろう。そこに当てはまってくるのが短絡的だが即断即決でゾンビをなぎ倒す狂戦士タラハシー。アクションの爽快感を彼が担保することで映画全体のバランスが取られている。
 実際コロンバスは対ゾンビ戦においてあまり活躍しないが、パーティーをまとめる人物としての発言を要所で行い、最後には自分が固辞していたルールを打ち破る。己の殻を破るという成長を見せることで彼は主人公たり得ているのだ。
 
 
 行きすぎたスプラッタはギャグに繋がることはゾンビ映画「死霊のはらわた」(サム・ライミ)や「ブレインデッド」(ピーター・ジャクソン)を見るとよく分かるが、今作はスプラッタの方向ではなく、ゾンビ達の単純で懸命な行動の様子と、それに対する人間達の合理的で割り切った態度がコントラストとなって笑いを誘う。単純に追いかけてくるゾンビと距離を取るために延々駐車場をグルグル走ったりするのだ。引いた視点での滑稽さを押し出したコメディだと言える。
 「ゴーストバスターズ」主演のビル・マーレイが本人役で出ており、上滑りしがちなこの手の「本人役出演」の中ではかなり楽しいシーンを見せてくれる。ゾンビ映画をあれこれ見るのであれば、これもそれに加えておいて損はない。

2020年7月10日金曜日

マネーモンスター

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★★★☆☆
~序盤のスピード感と展開にワクワク~


 ジョージ・クルーニーとジュリア・ロバーツ主演のテレビ局立てこもり事件顛末記。
 監督が女優としても名をなしているジョディ・フォスター。彼女はキャリアの早いうちからプロデュースや監督業に乗り出しており、はじめは珍しいなと見ていたが、トム・クルーズやレオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピットが同じように主体的な映画制作に乗り出しているのを見ると、俳優として発言力を増した状態でプロデュース側に回るのは適切な立ち回りなのかも知れない。日本でいう「映画監督になるなら歌手になってヒット曲を出すのが手っ取り早い」なのか。
 俳優をすることで映画の作り方を理解し、自分ならこうするのに! が高まっていくこともあるだろう。日本でその手の代表格といえば北野武が筆頭となりそうだ。
 

 おすすめ株などの経済情報を派手な演出のショー形式で見せる人気テレビ番組「マネーモンスター」。
 その司会者ゲイツは自動株取引を行うアイビス社を強く推奨したが、数日後急落。その原因を問い詰めるためCEOウォルト出演のはずだったがすっぽかされる。
 番組の情報を鵜呑みにして壊滅的な損失を出した個人投資家リーが乱入して番組をハイジャック。
 ゲイツとウォルトに真相を正すためだったが、ウォルトはおらず、ゲイツが爆弾で脅されながら事情を解き明かしていくことになる。


 設定だけ聞くとこれは出落ち、人情話に持って行っておしまいかと思いきや、無謀な犯罪の向こうに別の大きな犯罪が見えてくる。また、人情話どころか人間関係の裏側まで見せつけられてどんどん盛り上がるのだが、中盤以降は今ひとつの印象。つながらい単発エピソードがまだるっこしく差し挟まれて失速していく。
 最後も停滞した雰囲気のまま終劇となってしまい、中盤の盛り上がりが素晴らしかった分だけに惜しまれる。
 
 舞台となる株式取引とその扇動番組であるが、株式取引をしたことのあるものなら犯人に共感せずにはいられないだろう。どう考えても株式取引はインチキの世界である。なんだか急に値上がりしているな~と思った次の日に業績に関わる重大発表があるとか、もう当たり前すぎて何とも思わなくなる。インサイダーなど当然といった風情で背広を着た悪人達がお金を生み出す悪の世界であり、個人投資家はいかにそのおこぼれを拾うかに注力するしかない。
 何となくの気分で上がったり下がったり、名前が似ている企業が勘違いで上がったり下がったり……。何か、立派な人がきっちり検討、討議を経て動かしているのが経済なのだと想像していたが、それは御伽話を信じる子供のような思い込みだった。実際はびっくりするくらい適当に動いている。
 証券会社も大概ひどい。自分の使っている証券会社など、便利になったとか手数料がやすくなったと大々的にうたっているが、よくよく調べてみると他の部分でプラスよりもマイナスが大きい仕組みになっていたり、前もってこっそり値上げしておいて、それを基準に安くなったとか、結局高くなっているのにぬけぬけとのたもうて、こちらは怒気がおさまらない。
 別の会社の傘下になった途端このような欺瞞を連発しだしたので親会社の意向なのかと思うが、いかにだますかに身命を賭している姿勢は、こりゃ他の証券会社に移ろうと思わせるのに十分。
 
 こういった気分をエンターテイメントの枠組みで糾弾しようというのが今作のコンセプトの一つなのではないか。
 「お金をなくしても自己責任でしょ?」で片付けるだけでなく、自分たちだけは儲かる仕組みを構築して知らんぷりしている悪漢どもがいるのだと問題提起している。メディアの責任も、それに乗る一般市民の責任も、よく分からない言葉で煙に巻いていく会社の責任も。唯一の答えを出せる問題ではないが、自省しながら、少なくとも家族に言えない悪事を行っていないのかを自省する姿勢が必要だろう

 

2020年6月30日火曜日

アイ・アム・レジェンド

アイ・アム・レジェンド [Blu-ray]
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 ※古い感想に追記をした物です。
★★★☆☆
~エンディングが作品を軽くしている~

 2007年。米の人類絶滅サバイバル映画。

 とあるウイルスを元にして作られた抗ガン剤は人類に福音をもたらしたに見えたが、ウィルスの毒性が復活。
 空気感染による疫病の蔓延により、9割の人類が死滅。免疫のあった者のみが生き残ったが、そのうちのほとんどが太陽を忌み嫌う人類捕食者『ダーク・シーカー』となっていた。
 主人公ネビルは感染源となったニューヨークでたった一人の人間としてサバイバルを繰り広げる――。

 人っ子一人いない大都会の映像が目に新しい。群集シーンをとるのが大変とはよく聞くが、実在の大都市を空虚にする映像もまた同じくらい苦労したに違いない。
 映像に安っぽさは無く、大作の貫禄を感じるが、それ以上のインパクトはない。基本的にゾンビ映画なわけだが、その他作品と比べても特に目だった点がないのだ。

 一点あるとすればゾンビの頭領といえる存在で、彼が何故主人公をしつこく付け狙うのかというのが興味深い。
 が、そういった全編にちりばめられた関連するパーツをつなげる事なく、それらを台なしにする形で物語は終結する。何とも納得が行かないが、特典にあるもう一つのエンディングを見れば、多少は落ち着くことが出来る
 
 複数のエンディングパターンを製作し、試写の反応で決定するというのはハリウッドで良く取られる手法のようだが、スタッフの本命は「もう一つ」のほうであっただろう。しかし、それが没になった理由もわかる。もう一つのエンディングも、やはりしっくり来ない不安定な物だからだ。

 ともかく、ニーズに合わせてエンディングを切り替えるという手法は、手っ取り早く作品の印象を変えることができて効果的だが、積み上げられた本編と剥離しては意味が無い。きちんと作られた映画ほど、エンディングを切り替えるのは難しいはずで、今作はそういう意味ではきちんと錯乱状態で物語を終えている。


 

2020年6月17日水曜日

山の郵便配達

山の郵便配達 [DVD]
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  ★★★☆☆
~その景色はもはやファンタジー~

 1999年の中国映画。日本公開はずれ込んで2001年。
 

 二泊三日の徒歩で車も通らない山奥をめぐり、郵便の集荷配送を行う山の郵便配達。
 三日目に家に帰った翌日にはまた出発する過酷な業務を数十年続けた父は、膝を悪くしてしまい引退を余儀なくされる。
 後を継ぐことになった息子は体躯十分だがどうも仕事を甘く見ているようで心許ない。お供であり道案内の飼い犬「次男坊」も初めての旅行きに不安そうである。見かねた父は道筋と村や町での紹介もかねて同行することにした。
 いつも家にいなかった父に遠慮がちの息子。
 なかなかあえないことを引け目に思いながら、いつも息子を思っていた父。
 たった一度、一緒に行う郵便配達が二人に様々な変化をもたらす――。

 あらすじ以上の大きな事件があるわけでも無いが、美しい山々とそこに生きる人々を垣間見ていく旅路は充分に見応えがある。
 映画が作られた時点で本当にあった暮らしなのか、すでに過去となった後なのか分からないが、美しい水田、朽ち果てた建物、そこで質素に生きる人々の姿はもはやファンタジーの世界である。指輪物語の中つ国くらいの浮き世離れした景色がそこにある。
 明治や昭和初期の地方を舞台にした映画を異世界のように感じるのと同じである。見たことないけど懐かしいと感じるのも同じだろう。
 
 全体の流れも美しい。
 
 父にとっては最後の旅。息子にとっては初めての旅。二人一緒は最初で最後。
 父は山巡りの知識を息子に教え、息子は村での暮らし(村長には逆らうななど)を教える。
 旅を続けながら、父は長年の出来事を回想し、その中に妻(母)との出会いや息子の誕生と成長も含まれる。
 息子は父の仕事の過酷さと寂しさ、大切さを思い知る。
 そして二人一緒に、母の元に返り、次の日息子の旅立ちを父が見送る。次男坊も今度は息子について行く。
 繰り返し続いていく営みの中の、つなぎ目を丁寧に描いており、何とも後味も良い。
  
 父は厳しい仕事の果てに出世することもなく仕事を辞めさせられて形だが、やれ薬をくれただの、希望通り息子を跡継ぎにしてくれただの、やたら上司の対応をありがたがり、お上には逆らってはならないと連呼する。その上司は一度仕事を変わってその厳しさに驚いたとか、家まで気にかけてきてくれたとか台詞でのエピソードだけは良く出てくるが、どうにもうさんくさい。
 古く凝り固まった父の考え方という点で無理矢理感はないが、中国のむちゃくちゃな統制っぷりを見聞きすると国家を賛美しなければならない姿勢が滲み出ているようにも感じてしまう。

 今、山の郵便配達はどうなっているのだろう。

 インフラをつなぐのには電波の方が手っ取り早い。文面だけならメールでもSMSでも良いだろう。山の配達も不要となるだろうか。
 この状況は日本でも同じだろう。過疎の村を支えるインフラとして郵便など配達業務は重要だが、コストの面では負担がかかりすぎるため、様々な方法で軽減が試みられている。

 結局コロナで判明したのは、物流は非常に大切だということ。物資が行き渡ることもそうだし、便利なネット注文をあれこれ駆使しても、結局家まで届けてくれる人が居なければどうにもならない。人間には情報だけでは生きていけない。実際の「物」がどうしても必要なのだ。情報で代替できる物なのか、そうではない物なのか、きちんと判別されるべきだし、そんない綺麗に切り分けられる物でも無いのだろうというのが自分の認識だ。
 手紙なんていらなくて、メールで十分?
 多くの場合、気軽に連絡が取れるメールは非常に良いものだ。だけど、いつもと違う意味合いを持たせたい時に手紙は格別な手段となるだろう。
 本は電子で十分で、実際の本はかさばるだけ?
 場所を取らないこと、検索性が高いことなど電子本の利便性は素晴らしい。だけど、見開きの迫力、それを見越してつくられた漫画のコマ割り、指でなぞって読み聞かせる絵本。実際の本でなければと感じる場面もたくさんある。
 
 自分が見えている範囲だけで完全にどちらかが優れていると断言し、片方に寄っていく姿勢は幼いと思う。
 文化の持つ様々な側面を理解できるように心がけ、己の趣味とは違うとしてもそれは認める姿勢を持つべきだ。
 白黒つく事柄はそんなになく、大体灰色。
 それは悲しいことではなく、豊かなことだ。
 
 だから、手紙は滅ばない。
 滅びるなら、それは文化的後退だろう。

2020年6月9日火曜日

キリング・フィールド

KILLING FIELDS
 ※Amazonの商品リンクです。

 ★★★☆☆
~淡々と悲惨~

 1984年の英米合作映画。1970年代のカンボジア内戦時現地で取材をおこなった欧米ジャーナリスト達と案内人として働いた現地人通訳の数奇な運命を描く。原作はピューリッツァー賞を受賞したノンフィクション作品。
 

 アメリカ人ジャーナリストのシドニー・シャンバーグ(Sydney Schanberg)と、現地の新聞記者であり通訳でもあるディス・プラン(カンボジア人)はカンボジア内戦を取材している。しかし、カンボジア内戦はポル・ポト率いるクメール・ルージュが優勢となり、アメリカ軍が撤退を開始する。この時、シャンバーグはプランの一家をアメリカに亡命させようとするが、プランは仕事への使命感から妻子のみをアメリカに逃がし、自分はカンボジアに残ることを決意する。そして、シャンバーグとプランは取材活動を続けていく。<Wikipediaより

 一応主役はシドニーと言うことだが、物語の後半全てはプランの物語。過酷な労役の中で死と隣り合わせに生き抜いていくプランと、無事米国に帰りなんとかプランの救出を目指して活動するシドニー。物語全体で観れば、プランが主人公だというのが素直な感想だろう。

 戦争のまっただ中にある戦闘だけではない風景というものは、兵士を追うだけの物語ではなかなか描きにくいものだ。今作は無力なジャーナリストの行動を追う映画なので、波のように押し寄せる軍隊を間近に感じながらも奇妙に落ち着いた日常生活が展開される。彼らは基本的に、危険すぎるラインは超えないよう、ギリギリのところで取材を繰り広げるわけである。
 自ら望んでこの場に訪れ、機動的に動ける「外様」である欧米の彼らはまだ良いだろうが、戦火に自分の住む街が包まれる住民達の悲惨さが際立つ。半分ジャーナリスト、半分現地人であるプランはこの意味でも最も重要な存在であり主役である。
 
 プランを演じたハイン・S・ニョールは俳優経験などないカンボジア出身の元医師ということだが、実際に内戦に巻き込まれて強制労働をさせられていた実体験のすごみなのだろうか、苦難の中に陥るほど演技に輝きが増す。結果アカデミー助演男優賞を獲得となり、異論があるとすればなぜ主演男優賞ではないのかという点であろう。

 戦場の風景を描くにあたって、センチになり過ぎることなく、また強烈ではあるが露悪趣味にも走り過ぎない絶妙のバランス。淡々と描かれる、という言葉がしっくりくる。作り話ではなく現実にこの風景があり、それは見る者の現実と地つなぎなのだと感じさせてくれる。
 
 ただ、一つだけ腑に落ちないのが音楽。
 オーケストラはもとよりテクノや民族楽器まで総動員で構成されているようだが、自己主張が過ぎて鼻につくのだ。
 映画の要素として常に悪目立ち。音声が混線したのかと疑うくらい場にそぐわない音の連発だ。
 残酷なシーンで明るい曲、またその逆など、これは別段おかしくない。ミスマッチが生む絶妙な感触という物がある。
 だがこの映画の場合残念だがそうではないように思える。違和感が強すぎて思わず笑いそうになるくらいだ。アニメ「寄生獣 セイの格率」もこんな感じだった……。
 映画に関わったことのないミュージシャンを呼んでしまって、妙に張り切ってトンチンカンなBGMをつけまくってしまったという感じ。
 これは頂けない。
 最後にジョン・レノンの「イマジン」でまとめてしまっているが、ここだけベタなのもなんだかな~~。
  ※音楽担当は「マイク・オールドフィールド」で中には今作の劇伴を絶賛する人もいるが、自分は上記が正直な感想。
   色々な意見が合って当たり前だと思います。


 

キリングフィールド

2020年5月1日金曜日

サマータイムマシンブルース

 サマータイムマシン・ブルース [Blu-ray]

 ★★★☆☆
~最小で最笑のタイムマシン物語~

 2005年公開の邦画。タイムマシンを題材にしたSF青春物語。
 

 夏。大学の人気のない運動場で五人の男と一匹の犬が野球っぽい競技に躍起になっている。
 それを一眼レフで撮影している女性は、絵にならない被写体の何を撮っているのか。
 彼らはまったくSFを研究しない「SF研究会」の面々であり、一緒の部室を共有しているカメラ部員である。
 野球の後、銭湯に行って汗を流し、またいつものように部室のクーラーのスイッチを入れる。
 何の変哲も無い不毛な夏の日々に、わずかな違和感が積み重なっていく。
 そして、タイムマシンが現れた――。

 人生の夏休みの、さらに夏休みを過ごすバカな男たちとそれを眺める女たち。
 何か普遍的な構成を感じるが、ともかく男たちがバカである。
 バカなのだが、きちんと方向性の異なる個性的なバカが、自分の役どころを持って集会している状態なので強烈なお約束とノリでドンドコ会話が繋がっていく。まるで吉本新喜劇。
 このノリがダメな人にとってはもう耐えられない映画だろうが、楽しめる人にはバカだなあと笑っていられるし、それなりに人情話がおり混ざってきて最後は何となく丸く収まる。感動的でもある。
 
 タイムマシン物の宿命として、この作品にも「下手すると世界や宇宙がやばい!」という展開はあるが、冒険規模はこれまで見た中で最小規模であり、もちろんそれを狙っての作りである。焦点となるのがなんとクーラーのリモコン。これを軸に100年以上にわたる因縁を解きほぐしていくのだからすごい。

 話がややこしくなるのは仕方がないが、なんとか飲みこむことができる。起承転結の「起」にたっぷり時間をかけて準備したからこそだと思うが、それでも全然物語が進まない「起」は長すぎるだろう。タイムマシン物を宣言しているから前準備として許容されるのかな。沈むと分かってるタイタニックのように。

 舞台が限られており、これは演劇に向いているかもと思ったが、実際は2001年の舞台を原作として映画化されたものなのでそりゃそうだった。このややこしい話を舞台で説明するのはまた異なる技術、トリックが必要だろう。一度こちらも見てみたいものだ。

 
 

2020年4月17日金曜日

世界侵略: ロサンゼルス決戦

世界侵略:ロサンゼルス決戦 [Blu-ray]

★★★☆☆
 ~ドキュメンタリー調のVSエイリアン戦争映画~
 
 2011年の米映画。エイリアンの侵略とそれを迎え撃つ米軍の戦いをドキュメンタリータッチの臨場感でえがくSFミリタリーアクション。
 

 2011年、世界中の沿岸海域に隕石状の物体が落下。エイリアンとされる武装集団が侵略を開始する。
 海兵隊のナッツ二等軍曹も一部隊を任されてロサンゼルスの市街に展開するが、かつての作戦で部下の多くを戦死させ自分は生還した事実がひろまり、部下からの評判は芳しくない。
 圧倒的不利な状況下、市街に対する大規模な空爆が決定され、残った市民を安全域に避難誘導させる任務にナッツの部隊もかり出される。
 指揮官マルチネスの元作戦を展開するが、エイリアンの戦力は想像を絶するものだった――。

 この映画の説明として言われるのが「エイリアンの出てくる『ブラックホーク・ダウン』」であり、これが非常に的確。
 部隊の一員としてカメラが随伴しているようなノンフィクション調の作りになっており、そこにエイリアンが出てくるのである。この立て付けは非常におもしろく、空想と言うよりシミュレーションといった印象になる。
 物語要素は積み込み過ぎなくらい投入されており、さまざまな人間模様が展開される。戦闘としてもエイリアンとの初接触から戦闘規模の拡大、敵軍の弱点を発見してそこを突く、まできっちり描かれる。これは戦争全体を描くことをせず、カルフォルニアの一部隊に限定して追いかけて行く構成がうまく働いており、ラストもエイリアンを完全に撃退した! ではなくひとまずカルフォルニアで蹂躙一方ではない反抗が達成されたという規模にとどめて、よっしゃ今後もがんばるぞ、となっている。全体を描くためにあらすじを追うようになるのと比べればはるかに良い。

 仲間がばたばたやられるがエイリアンに対する扱いも容赦なく、機械化された兵卒エイリアン(強力な武器を使うために体に機械を融合させられたような姿で、使い捨て感にどこか同情してしまう……)の弱点を知るために生け捕りにして装甲を外し、内蔵に順にナイフを突き立てて心臓を探すというグロさ。戦争の悲惨さを敵軍にも波及させて、「インディペンデンス・デイ」のような地球軍ヤッホーな内容にはなっていない。

 全体にクオリティの整ったグロ目の娯楽作として充分に楽しむことが出来る。
 まとまりすぎて心に強く刺さるとかいう奇抜さは無いかも知れないが、それは非難されることでもなく良く作られた映画だと思う。

 

2020年4月8日水曜日

ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうかⅡ


 ★★★☆☆
 ~第二話必見~

 
 2019年のワンクールテレビアニメ。2015年の第一期アニメの続編となる。
 

 英雄譚に憧れ、神と人とがファミリアを結成してダンジョンに挑む町オラリオに上京した若者ベル。
 炉の女神ヘスティアに見込まれてファミリアの一員となり、ダンジョンに潜って腕前を上げようと懸命である。
 さまざまな冒険者。さまざまな神々。
 多くの人や神と出会い、助けを得ながら、ベルは成長を続けていく――。

 上のあらすじは一期でも二期でも通じるもので、4年経ってほぼ忘れている状態から二期を見ても特に問題は無かった。
 物語に進展が無いとも言えるが、ベルはきっちりと成長しており、パターン化もしていない。
 仲間との絆を深めながら前に進む成長物語として筋が通っているから、あらすじとしては変わりないのだ。
 主人公ががんばり屋さんで、皆それを応援している、くらいの理解があれば大丈夫。
 あれ? 名作劇場的な設定なのかな?
 
 第二期は大きく三つのエピソードから構成されており、演出や作画物語のつじつまといった点から一つ目が最もおもしろい。
 特に第二話は最終話のようなテンションとクオリティで物語が進み、目を離せない。
 残念な事にここをピークに二期はどんどんテンションが落ちていき、終わり頃は閉口せざるを得ない内容。
 三期が決まっているようなので続きが楽しみ。
 
 このシリーズが異世界転生無双勇者作品と区別されるのは、転生していないというのはもちろん、きちんと弱くて苦労していると言うこと。神から授かった無敵の力はなく、努力して強くなっていく様が(特に一期で)描かれている。ぼろぼろにやられて特訓して乗り越えるというあるべき手順を踏んでいるため、素直に主人公を応援することが出来るし、つまり彼の周囲のキャラクターの心情にも共感できるというわけ。
 
 文章を絵に落とす際のスケールダウン(うそくささ)が多々見られるのも残念だが、全体としては充分に楽しむことが出来る作品。