2019年10月31日木曜日

orange


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☆☆☆☆
~埋めがたい断絶~

 
 2016年の1クールテレビアニメ。全13話で描く高校生グループの恋愛を中心とした物語。
 心を閉ざした転校生が徐々に仲間と絆を結んでいく過程が描かれるが、それをドラマチックにしているのが「未来から届いた手紙」という設定。
 迫り来る悲劇とそれを回避するための行動。手紙自体への疑心暗鬼も重なって、対策は上手く進まない――。

 あまり良い意味ではない、侮蔑の色が濃い言葉として「少女マンガだな」と思ってしまった。
 曰く恋愛に全てを賭け、その対象以外にはどこまでも無頓着にひどいことが出来る主人公。それを許し包み込む菩薩のような二枚目。それ以外のつじつまは知らん! と断ち切る強さ。
 どうにも共感できない独特の世界観が徹底されており、そうだね、言葉を選ばずにいえば、ばかばかしい

 年をとったからなのだろうか。若い頃なら楽しめただろうか?――。否、と思う。
 男だからなのか。これも違うと思う。
 なんかもう、そういう違いを超えた人間社会に対しての軽重の置き所が異なる。年齢でも性別でもない外見では分からない精神の断絶。否定、毛嫌いするような物では無くただただ理解できない。これは絶望的に根が深い。
 正直に、「精神的に理解できないので楽しめなかった」と言っても距離をとられるだけだ。だから、薦められたら見るし、話題になっていたら見る。おもむきを感じない景色を眺めるような、無駄とは思わないが自分にとっては無くても良いのだろう作品。
 関心が湧かないのだ。
 
 キャラクターデザインの結城信輝は「天空のエスカフローネ」「地球へ…」など少女まんが成分の濃いキャラクターを透明感のあるアニメキャラに落とし込んでいく名手。今作もきっちりと雰囲気を保ったアニメキャラになっている。
 演出も手堅く、無理なく静謐な少女まんがの雰囲気を持ち込んでいる。少女まんが独特の空白、間の美学も再現されている。
 いかんせんそうして高い完成度でアニメ化されても、印象は変わらないのだろう。むしろ作画が~、演出が~と戦犯を他に求められない立派なアニメ化なので、逃げ場無く己の無関心を受けとめるしかなく、なんだか辛かった。
 
 性に合わない作品は存在し、それを好きな人もたくさんいるのだな、という自分のズレが心配になってしまう一作だった。
 
 

2019年10月30日水曜日

機動戦士ガンダム THE ORIGIN 前夜 赤い彗星

機動戦士ガンダム THE ORIGIN I [Blu-ray]

★★☆☆☆
~画面クオリティは高いけれど~

 原作アニメは1979年に放送されたテレビアニメ。リアル系ロボットアニメの始祖として名高い「機動戦士ガンダム」。
 その作品でキャラデザ、作画監督を務め物語部分にも大きな影響を及ぼしたる安彦良和が原作アニメを漫画化した。これが「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」。この中で、原作アニメでは語られなかった人間関係や舞台裏の事情裏の事情などが非常に強固に補完された。
 安彦氏はアニメ界から離れた後、超絶画力を元に漫画家として独自の地位を確立。神話や歴史上の人物を生き生きと描くとともに、大量の人物を練り合わせるように歴史を描いてその構成力も見せつけた。

 今作は「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」の一節をアニメ化したものとなる。監督も安彦氏が務めており、氏のアニメ界復帰は実に25年ぶりとのこと。
 もともと6本に別れて制作され、少数の劇場における公開とディスクメディア販売という変則的な展開で三年にわたってリリースされた。その後テレビ版として切り分け、再編集されて全13話で放送されたのが今回視聴したものとなる。

 これまで描かれたあまたのガンダムシリーズの中でも最大級の人気キャラクターである、「シャア・アズナブル」の成り立ちが主体となる。敵側のエースパイロットであり、主人公の前に立ちはだかるライバルであり、戦争の発端となった思想家の息子であり、敵味方に分かれることになってしまった兄妹の兄であり――。書き上げるとすごい属性持ちのなんと複雑なキャラクターであることか。主人公と三角関係的な立場にもなるし、もはやもう一人の主人公だといって良いだろう。
 どのようにしてシャアがシャアになり得たのか、変に手をつけるととんでもない矛盾を生んで本編に泥をかけることになってしまう題材だが、さすが安彦良和、見事にやりおおせた。これを本人監督でアニメ化するのだから面白くないはずはない! ……と思うでしょ?
 
 実はシャアの生い立ちは漫画はまだしも、アニメーションにはあまり向いていない物語部分なのである。
 というのも機動戦士ガンダムの花と言えば巨大人型兵器モビルスーツなのに、本作の物語時点ではまだ開発途中なのである。試作が作られその威力が確認されるまでの部分なのでモビルスーツ同士の戦いが中々描かれない。そもそも機動戦士ガンダムで描かれた「一年戦争」開戦にいたる部分でもあるので、大々的な戦闘も最後のルウム戦役くらいなのだ。
 人間ドラマとしては魅力的だが、本来大活躍する人々がまだ戦渦に巻き込まれる以前であるので、いってしまえばマニア向け、一般的ではない内容になってしまっている。
 
 それでも見せ場がないわけではない。悪化していく両陣営の局所的な戦闘やモビルスーツ開発の模擬戦など、なんとかかんとか派手な戦闘を盛り込んでいるが、やはり盛り上がりに欠けてしまう。3DCGを使用した戦闘部分は画面密度が高く魅力的ではあるが、どうにもCG臭が鼻につく。戦艦やモビルスーツがあまりに縦横無尽に飛び回り、負けじとカメラも動き回る。よく見る残念な3D演出で、兵器達の重みがまるでなくなってしまっている。

 あまり声高に言いたいことではないが、安彦氏はアニメーション監督にはあまり向いていないと思う。あれだけレイアウトを切れて画力も伝説級なのに、監督作品はどうにも魅力が薄いのだ。「アリオン」「ヴィナス戦記」「巨神ゴーグ」「風と木の詩」など、劇場版からテレビアニメ、OVAまで様々な作品の監督作品が存在するが、どれも今ひとつピンとこないのである。
 見ていて何の不自然もつまずきもない基本に忠実な演出だと思うのだが、反対に言うと心に引っかからないのである。
 おそらく画力、構成力が高すぎるため、全てのシーンが決まりすぎ格好良すぎる。二次元の中で奥行きを描く無双の力量を持っているのに、それを時間軸に沿って展開させる部分の力が、それに見合っていないのだ。
 したがって、格好良いシーンの連続なのになぜか面白くない印象になる。
 
 今作もその範疇からでる事はできず、続編を見たいなと思うものの、それは作品の魅力と言うより、最新技術で再び描かれる一年戦争を見たいという欲求なのだ。

2019年10月29日火曜日

エージェント・ウルトラ

エージェント・ウルトラ [Blu-ray]

★★★☆☆
~身近なエージェント~


 2015年のアクションコメディ。
 アメリカにかつて実在した洗脳についての研究「MKウルトラ計画」を題材としている。
 

 片田舎の町でコンビニ店員としてだらだらと毎日を過ごすマイク。魅力的な彼女フィービーだけが自慢で、何とか上手くプロポーズするタイミングを計っていた。
 彼の前に突然現れた女性がおかしな言葉をつぶやき、それ以降何者かに命を狙われる。なぜかマイクが身につけていた戦闘技術と知識が発揮され窮地を切り抜けていくが、そもそも自分は何者なのか、彼の混乱は増すばかり――。

 駄目男が凄腕エージェントだったという展開だが、駄目男っぷりはきっちり表現されているのに、凄腕っぷりが中途半端でコントラストがきいていない。結構ぼろぼろになりながらなんとかかんとか生き残る……、という展開に終始し、圧倒的強さという印象は無い。
 突然力を得てもこうなるのかもなという共感は出来るが、もっとくっきり強い方が見ていて気持ち良かっただろう。しかしこれはあえてやっていることで、確かに全般において期待と微妙に異なる方向に話が進んでいく。ほほう、と微妙に面白い筋立てが最後まで続き、先が気になって最後まで飽きさせない。

 登場人物はろくでもない奴らが多数だが、どんなに嫌なやつでも完全な悪ではなく、反対に完全な善もいない。親近感を覚えるような人間味のある人々が、自分の立場に合わせて容赦なく人を殺していく。このコントラストこそがきいており、切れ味抜群で気持ちが良い。
 エンドロールの背景が映画内容を反映させたものとなっており、その後の作品世界の広がりと後味の良さを提供してくれる。

2019年10月28日月曜日

ジャッジ・ドレッド

ジャッジ・ドレッド【初回限定生産 スチールブック仕様】 [Blu-ray]

☆☆☆☆
~チーズ抜きピザ~

 2012年のガンアクション映画。イギリスのコミックを原作としており、1995年にも主役をシルヴェスター・スタローンとして制作されている。
 今作は1995年版とは関連のない、設定だけ持ち込んだ別物。

 近未来のアメリカ。核の汚染で人類の生存域は狭くなり、人口過密な貧困地帯が広がり続け、犯罪件数も爆発的に増加。
 それに対処すべく、逮捕・裁判・刑罰を現場で行い速やかに執行する存在――「ジャッジ」が誕生。
 その一員であるドレッドは新人隊員の最終試験もかねて高層ビルで起こった殺人事件の調査を開始する。そのビルは使用すると世界がスローモーションに認知される新型麻薬「スローモー」の根拠地となっていた。
 ビルを支配する女性ボス「ママ」はビルを閉鎖。二人のジャッジを殺害すべく部下に指令を下した――。


 巨大ビルは一つの街と化しており民間人が大量に暮らしている。そこに閉じ込められた二人きりのジャッジとギャングの戦い。何か面白そうなシチュエーションだがそれほど活かせておらず、広い閉鎖区画内というだけになってしまっている。
 むしろスローモーを使用した状態での落下死、引き延ばされた高所落下を映像にするための高層ビル設定のようである。

 というのもこの作品、とにかくスローモーの表現に気合いが入っている。銃撃戦では弾丸が腹に当たった瞬間に衝撃波が広がり、脂肪を波打たせる。入浴シーンでは水面から上げた手に纏う水しぶきが、光を受けてキラキラする。煙の動き、砕け落ちるガラス――。しつこいくらいにスローモーションが繰り広げられる。
 これらは不自然に多く、物語として不要なレベルである。そこまでして入っているのはどうやらこの作品が「3D上映」前提で制作されたかららしい。なるほどなるほど、3Dで見るのだとなるとスローモーのシーンはきっと魅力的だったろう。ビルがわざわざ200階分の吹き抜けになって落下しまくるのも、遠近感を見せる3Dに有利なシチュエーションだ。
 だが、残念ながら現在この作品を3Dで鑑賞する方法は無く、宝の持ち腐れとなっている。
 
 映像的には上記の様な特徴があるが、その他部分にはどうにも閉口する
 例えばジャッジは警察や裁判所の役割を個人で負っており、これ自体ブラック企業も真っ青の無茶ぶりだが、その無茶に説得力を与えようという気がさらさらない。多少の防弾服(?)を着てヘルメットを被っただけの個人が、武装集団相手に何が出来るというのだろう。しかもヒロインはヘルメットを被らない。ヒーロー装備といえば各種弾丸を任意に切り替え可能なハイテク銃のみだが、弾切れを補充する手段もない。外部オペレーターの誘導どころか、通信さえ途絶の有り様。
 さすがに無理でしょ。
 同様の設定に「ダイ・ハード」などが有るが、こそこそ隠れながら上手く立ち回る機転が説得力になっているのに対して、ジャッジは自分をロボコップかターミネーターと勘違いしているような悠長さで正面突破ばかり。そうですね、ちょっとアホっぽい……。
 敵が娼婦あがりの凶悪な女性というのも腑に落ちない。チンコ噛み切るような女といっても、回りに狂信的な偉丈夫でもいなければ立場を守れまい。エリート集団であるジャッジ仲間の判断も理解できない。本当に無能だ。
 
 唯一面白いと思ったのがギャングメンバーの見せ方で、情け容赦なさと普通の人間ぽさの両面を描いている。極悪人というより、環境、状況が生きるためにそうさせているのだよ、あなたとそんなに遠い人間ではないよ、というご近所感がある。
 
 3D映像のために作られて、それを失ってしまった映画。
 あんパンの皮だけ食べても、そりゃ美味しくないでしょ。


 

2019年10月25日金曜日

ゾンビランドサガ

ゾンビランドサガ SAGA.1 [Blu-ray]
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★★★☆☆
~ノリを楽しむコメディ~


 2018年放送の1クールテレビアニメ。オリジナル作品。
 とことん悪のりを楽しむゾンビご当地アイドルグループ奮戦記。舞台は佐賀県。
 
 佐賀県在住の「源 さくら」はアイドルにあこがれる高校二年生だったが、希望に胸をときめかせたまま自動車事故であえなくこの世を去る。
 目覚めると時代は10年後。自分はゾンビになっており、謎の人物「巽 幸太郎」にアイドル活動を強要されることに。同じようにゾンビの少女達と「フランシュシュ」を結成し、まずは地元のアイドルとしての知名度を確立するため様々な活動に挑戦していくことになった。

 ゾンビである事や佐賀県フィーチャーである事に大きな意味は無い。
 ただ「それなんやねん!」という設定を積み重ねてバランスを取った結果に過ぎず、実際やりたかったのは少女グループのコメディーだろう。音楽を加えてそちら方面で吸引力を狙うことも時流的に正しい。
 場当たり的に決まっただろう設定をきちんとつなげて形にした構成力こそは賞賛されるべきだ。
 
 こういったノリで生まれた作品はハイハイと流されて終わりになりがちだが、今作はフックの奇抜さと内容のクオリティが奇跡のバランスで合致し、魅力的な作品となっている。
 実際、なぜゾンビになったか、元の人間関係はどうするのか、といった当たり前の疑問については無視を決め込んでいるがそれが気にならない勢いでシチュエーションが進展して行くのである。
 集まったアイドルはゾンビなので実際に生きていた年代がバラバラであり、江戸時代から2000年代までを網羅。何となくアイドル史の総決算的な雰囲気(雰囲気だけ)。ゾンビとしてのアイデンティティに悩み、生前に残した後悔を取り戻そうと苦心する(雰囲気だけ)。佐賀県民でさえ認知度の低いご当地ネタをどんどんつぎ込んで地方性を強調(雰囲気だけ)。そこに様々なジャンルの曲が毎週毎週被さってきて、勢いで30分を見せてくる。 
 理屈とかもうよく分からんがおもろいという、ギャグまんがのようなアニメである。
 こういう即興的なおもしろ作品はそれとして価値があり、同時代に生まれて楽しめたということを素直に喜ぶべき。
 
 狙って作ったとしたらすごいが、このノリでもう一度走るのは辛そう。
 二期があるならそれはもっと理屈やストーリー性の濃さできちんと積み上げた作品になる(なってしまう)だろうと思う。
 

2019年10月24日木曜日

Just Because!


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★★★☆☆
~実写で良かったのではないだろうか論~

 2017年。1クールのテレビアニメ。原作の存在しないオリジナル作品。
 高校卒業間近の男女関係に焦点を絞っており、タイムリープや暴走したオタクといった突拍子もない設定の登場しない、純粋な高校生たちの恋愛物語

 高校三年生の泉瑛太は親の転勤の都合で中学まで暮らしていた神奈川に再び戻ってくる。すでに高校生活も終わり間近となっており、瑛太はクラスには所属しない自習登校的な立場となっていた。
 そこで再会したのは中学時代の野球部仲間だった相馬陽斗と元同級生である夏目美緒。
 陽斗とは親友だったが、転向後自然と没交渉になっていた。美緒には中学の頃に思いを寄せていたが、彼女は陽斗のことが好きだと分かって身動きの取れないまま離れることになった。
 そんな微妙な三人の再会だったが、陽斗は別の同級生に片想いをしており、卒業までに告白するという。卒業まであとわずか。これまでの総決算となるような色濃い時期が訪れ、全ての人間関係が動き始める。

 江ノ島辺りの風景がロケーションとして使用されており、再現度が非常に高い。お店の看板などもタイアップを組んで再現しており、ビッグカメラがそのままの看板で出てきていることがなかなか新鮮だった。現実感を持たせるために、とても有効かもしれない。
 
 現実的な風景で、現実的な恋愛劇を描く。
 どうしても浮かんでくる疑問は、アニメーションにする意味はあるのだろうか、ということ。実写で構わないのではないだろうか。
 これについて正直あまり強く擁護できない。
 演出や表現が実写では難しいものならばアニメならではと言いやすいのだが、一見するに実直なカメラアングル、演出で構成されており、そういう訳でもない。終盤の雪のシーンは実写では難しいロケーションだろうが、ここをとってアニメの理由とするのは製作者の都合に感じる。
 それならば、実写ならどうかと想像すると、ああ、このクオリティでの映像化はないだろうとも自然に思える。
 魅力的な役者、風景を好き勝手に生み出せるのは、やはりアニメならではである。結局昨今の実写もCGCGでアニメーションに近づいているではないか。
 
 ――ね、あまり擁護できない。
 ただ僕は、特に理由なくともアニメで良いじゃんと言いたい。
 アニメを作ってきた人が、自分たちが最も上手に映像表現できる手法としてアニメーションを選ぶ事の何がおかしいのか。
 表現したいことと手法が――いやいや、良いじゃない。好きな手法で。
 
 アニメと実写論はこれで片付けるとして、今作で特に「実写で良いのでは」と感じてしまうのは、アニメの表現が実写を越えていないからである。
 現実的な表現に徹して確かにそれを達成しているが、ならば満を持してそこから飛び出ることで、アニメならではのプラスアルファを作品に付加することが出来たんじゃないのだろうか。それが雪景色なら、それは弱すぎだ。
 
 現実感において、実写は初めから優位である。アニメは、絵だもの。
 だから、アニメーションは動きを、表現を誇張する。誇張してようやく現実感を持つのである。
 今作はアニメーションの優位点であるはずの誇張の程度と方向性を見誤ったのかもしれない。現実感ある表現にはなっているが、現実に勝てない印象ばかりが残ってしまった。

2019年10月23日水曜日

ゴブリンスレイヤー


★★★★
~切り口次第でここまでも~

 1クールのテレビシリーズ。
 原作は完結して居らず、当然このアニメも途中で終了しているが、割と区切りは良いかもしれない。(人気的に第二期は作られるでしょう)
 変わっているのが、ネット掲示板に書き込まれた物語が大元になっているということ。それもあって登場人物に一切固有名詞が出てこず、肩書きだけで呼ばれている。
 
 異世界転生ものでも無ければ、努力皆無のハーレムものでも無い。
 『ゴブリンだけを狙う一匹狼、ゴブリンスレイヤー』
 このポリシーを中心に見飽きたRPGを再構築。いわゆる西洋風ファンタジー世界を舞台とした冒険小説として、他とは一線を画した存在となっている。
 
 ゴブリンはRPG世界ではもっとも弱いモンスターとして知られているが、現実的に考えてみると恐ろしい存在である。繁殖力に富み、最低限の知恵が働き、それなりの連携行動を行う。数の暴力で攻め込んでくるのである。例えるなら、強力なネズミであろう。普通の村人になすすべがないのも当然だし、駆け出しの冒険者が返り討ちに遭うのも何の不自然もない。
 しかもゴブリンは人間と生殖可能で、性的な意味でも人間を略奪するのである。これはどの程度世界で一般的なのかは分からないが、エロを許容する界隈ではよく使われている設定である。人間の男がゴブリンの女に陵辱されるという設定はあまりに少ないので、基本的には男性向けに便利に使われている。
 今作でもゴブリンスレイヤーがゴブリンにあまりにも執着する理由が、これがらみである。
 
 基本単独でゴブリンの集団を相手するために、ゴブリンスレイヤーは火攻め水攻めあらゆる手段を厭わない。積み重ねられた実績は彼を高ランク冒険者に押し上げたが、高ランクなのにゴブリンばかりを狙う変人として周りには距離をもたれている。あまつさえ卑怯とも言える手段を多用する姿勢に、どうにも周囲には侮られていた。
 しかし実際ゴブリンに襲われる村の人々にとっては紛れもなく英雄であり、それを知っている冒険者ギルドの窓口係や、きちんと力量を推し量れる高位の冒険者からは一目を置かれていた。
 
 この辺りも上手いところをついていると思う。
 我が身をかけて普通の人々のために尽くす、まるで宮沢賢治ではないか……。と言うのとも実は違う。彼の行動原理はトラウマによる強迫観念であり、周りは関係なく自分自身のためにゴブリンを狩っている。つまり、変わり者で変人と言う評価は正鵠を射ているのだ。
 あまりの異常に見かねた周囲による働きかけで、ゴブリンスレイヤーは人間味を取り戻すリハビリを行っていくのである。
 仲間が出来、守るべき物をきちんと自覚して、ゴブリンスレイヤーは徐々にトラウマから解き放たれていく。
 複数の異性から思いを寄せられる展開もあるが、ハーレム状態ではなく人数は比較的絞られていて、なんだかほっとしてしまう。しかもその好意にきちんと裏付けがあるので嫌味はまるでない。
 
 アニメーションとしての出来も水準以上をキープしており、物語を魅力的に伝えてくれる。キャラクターデザインなどは漫画化された作品を土台にしており、この漫画版の出来も良いのでクオリティを踏み上げることが出来たのだろう。
 残酷シーン陵辱シーンが割と容赦なく展開されるので見る人を選んでしまうが、その分強い魅力を感じる人もいるだろう。
 世界観、人間関係、冒険のスリル。様々な楽しみ方がある魅力的な作品である。

2019年10月21日月曜日

ホワイトアウト

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 ★★☆☆☆
~南極舞台の気楽なサスペンス~

 2009年の米国映画。クライム・サスペンス。

 米国の女性連邦捜査官キャシーは過去の事件のトラウマから一線を退き、僻地中の僻地、大事など起こるはずのない南極基地での勤務を続けていた。
 基地は冬期の訪れを目前に、帰国するメンバーの準備に追われている。慌ただしい雰囲気の中、雪原で軽装備の隊員の死体が発見される。それは南極で初めての殺人事件だった。残り時間が短い中、キャシーの捜査が開始される――。

 三十路も半ばで色気にあふれるケイト・ベッキンセイル(「アンダーワールド」シリーズ)が主役で、冒頭からシャワーシーンが入る。気取らない雰囲気の気楽なクライム・サスペンスである。
 南極が舞台だが屋外をさまようようなシーンはほぼ無く、主なやり取りは基地内。屋外はそれを取り囲む危険地帯として描かれ、宇宙船を舞台としたSFと構成が似ているかもしれない。
 
 最初に驚くのが米国南極基地の環境の良さ。南極基地などというものはプライベートな空間も限られ、それもビジネスホテルのような無味乾燥さというイメージを何となく持っていたが、キャシーの私室の豪華さはまるでホテルの一室である。捜査官だから特別なのかもしれないが、部屋に花(造花?)が飾られ浴室はガラス張りで自室内に存在。米国基準ならこのくらいありえるなとも感じるが、カルチャーショックだった。
 それなのに屋外はイメージ通りの苛烈さで、ギャップの表現という点では十分な効果を発揮している。
 基地の施設間移動でさえ、荒天だと遭難の危険性があるため道代わりにロープが渡され、そこにフックをかけて移動する。この感じは過去の名作「遊星からの物体X(ジョン・カーペンター版)」を思い出さずにはいられないだろう。
 
 そういった特殊な環境を舞台とした殺人事件! とワクワクするが、どうにもちぐはぐな印象。
 ・誰が犯人なのか
 ・何のために殺したのか
 ・トリックは何なのか
 物語を支えてくれるはずのこれら要素がどうにも軽々しく、ぞんざいに順次開示されていく。その代わりとばかりに小粒なアクションシーンが差しはさまれるが、どれも微妙で事故で決着がついていくような……。最後もまあ、分からなくはないが微妙な幕引き。
 アクションならアクション、サスペンスならサスペンスに特化した方がすっきりしたかもしれない。
 
 やはり最初の印象通り、美女のお色気シーンを楽しむような映画、として見るのが推奨される。残念ながら、そこ以外のお色気シーンはないが。
 
 

2019年10月18日金曜日

グランクレスト戦記

グランクレスト戦記 1(完全生産限定版) [Blu-ray]

★★★☆☆
~主人公以外をきちんと描くと言うこと~


 「ロードス島戦記」の水野良が原作の群雄争覇の物語。
 物語の途中で最終回、人気があれば二期もするよという投げっぱなしのアニメ化が目立つ昨今、今作は2クールで長い物語をキチリと描いておりこれだけでも評価できるだろう。

 秩序と混沌が相争う世界。混沌を駆逐する力「クレスト」を持つ領主たちの活躍により光と闇の戦いは一旦の収束を見せたが、次に起こったのは大陸の覇権争いだった。
 離合集散を繰り返した結果世界は二大勢力に収束。ここにおいて平和を願う両陣営の王子王女が婚姻の運びとなり、最終決戦を回避。平和な時代を迎えようとしていた。
 まさにその式場において両陣営の現当主が共に暗殺され、犯人は不明なまま婚約は破棄され、世界は再び混迷の中に沈んだ。
 現場に居合わせた若き魔法師ルシーカは事件を防げなかった己の未熟を呪いつつ、乗り気ではない地方領主との契約のため道を急ぐ。野盗に襲われるが放浪の戦士テオに救われ、未熟ながらも大きな夢に向けて進むテオにルシーカは己の命運をかける決心をする――。

 つまりは二人の戦国成り上がりの物語である。
 魔法の力と知略によってテオを支えるルシーカ。王道を行く健朗さで道を示すテオ。徐々に増えていく仲間。テオ勢力の躍進が序盤の魅力である。
 これだけなら良くある戦記物だが、さすが水野良。敵味方にもそれぞれのドラマをきちんと用意して、時代の奔流に巻き込まれる人々の生き様を描き出している。
 特に婚姻するはずだった王子王女は、ともに平和を望み愛し合っているのに戦わざるを得ない状況に追い詰められていく。とはいえ仲直りするんでしょ、というより気楽さを打ち砕く王女の覚悟は、有力者を味方にするために己の純血を散らすほど。まさに物語の底を流れる悲劇として作品に重みを与えている。

 主人公以外にもきちんと繋がった感情の動きや記憶の連続性があること

 非常に簡潔ではあるが、これは作り話を語る上で非常に大切なことだろう。周りに世界があり、そこで生きている人々がいる事を表現するための、まさに王道の手段だ。
 今作はそういう意味で人々がきちんと生きており、世界も存在している。
 そこで描かれる立身出世なのだから、面白いのだ。
 
 アニメーションの出来としては及第点と言ったところ。戦闘場面の描写に厳しい部分が多かった。
 特に地形を重要要素とした戦略の表現などは、設定がおかしいのかレイアウトがおかしいのか、あまりに細い山の一本道や、広さの不明な戦場など、描写に首をかしげるところ多数である。なのでどうしてテオとルシーカの軍が強いのか、いまいち分からないまま(納得できないまま)物語は終わってしまった。

 演出としては所々に明らかな出崎イズム(故出崎監督の特徴的な演出各種)が宿っており、現実離れした比喩表現を美しい画面にして見せつけてくれる。とある城での誕生パーティのダンスなどは、まさに嬉しくなる演出であった。
 
 人物の織りなす規模の大きな物語として、充分に楽しむことの出来る作品だ。
 

 ところで――。
 世にあふれるハーレム無双の冒険譚と、それ以外の冒険譚の最も大きな違いは、物語に現れる困難と悲劇の量ではないかと思う。悲劇はきちんと準備され、手順を踏まないと悲劇にならない。元いた位置がきちんと認識されていないと落下した高さが分からないからだ。また、マイナスの事象にはきちんと理由付けされていないと納得して受け容れることが出来ない。
 反対に異性に持てるのは簡単だ。魅力的な異性から好意を得るというプラスの事象はかなり強力で、特にそこに理由がなくとも簡単に受け容れられる。理由をつけるにしても、ちょっとしたことで十分だ。恋は勘違いや思い込みで簡単に発生する事を我々はよく知っている。
 

2019年10月17日木曜日

ギフト

ギフト [DVD]

★★★☆☆
~ヒッチコックを彷彿させる良作~

 2000年。サム・ライミ監督によるホラーサスペンス映画。
 サム・ライミ監督はこの後に取ったスパイダーマン三部作で有名だが、それ以上に一躍名を馳せたのがスプラッターホラーの名作「死霊のはらわた」。行きすぎた恐怖表現が笑いにつながることを示した記念碑的作品だった。
 今作は目新しさや奇抜さではなく、こぢんまりした内容をきっちりした映画技法でそつなくまとめたなという印象。
 

 アメリカ南東部ジョージアの田舎町に住むアニーは夫を事故で失い三人の幼い子供を抱え、カード占いで生計を立てていた。アニーには生まれついての特別の力があり、様々な見えるはずのないもの、知るはずのないことを知覚することが出来た。
 偏見の多い町での扱いは怪しい占い師であり、実際相談者の事情を聞いてあげるカウンセラーとしての役目も大きかった。相談に来るのは当然問題を抱えた者ばかりで、夫の暴力に苦しむヴァレリー、精神病を患うバディーなど巻き込まれて大変な目にあってばかり。
 そんな中、結婚を控えた有力者の一人娘が行方不明となり、藁にもすがる気持ちでアニーの元を尋ねてきた――。

 登場人物の紹介から事件の発生、二転三転する展開。そしてそこに挟まれる挿話。各シーンは全て作品内で意味を持ち、他の要素を補強、誘導する役割を担っている。贅肉を落としきった作品という印象。

 一見普通のサスペンスだが、その下には表に現れない上手さがぎっしりと詰まっており、ヒッチコックのような雰囲気が漂う。「バック・トゥー・ザ・フューチャー」のロバート・ゼメキス監督がヒッチコックをリスペクトして作ったサスペンス、「ホワット・ライズ・ビニース」に似た感触と言っても良い。

 ともかくしっかりとした技術に裏付けられた良作であり、認知度や普通の感想よりも見るべき所の多い作品だと思う。とくに細かな伏線、パーツがつながり合っていく終盤は映画の教科書としても相応しいのではないだろうか。
 

2019年10月16日水曜日

ISLAND

ISLAND Vol.1 [Blu-ray]

★★☆☆☆
~ゲームとアニメの大きな狭間~

 2018年の1クールテレビアニメ。原作は2016年~でPC/Vita/PS4で発売されたビジュアルノベル。いわゆる紙芝居ギャルゲー。PCはエロゲーかな。


 南国風の孤島「浦島」の浜辺に打ち上げられた切那(せつな)はそれまでの記憶を失っていた。
 魅力的な少女、凛音(りんね)、夏蓮(かれん)、沙羅(さら)と出会い、それぞれの問題に一緒に向き合っていく中でお互いの理解を深めていく。
 浦島に昔から残る「切那と凛音」の伝説。切那にフラッシュバックする過去の記憶。凛音の母の秘密。
 タイムトラベルは本当に存在するのか。みんなが幸せになる世界は存在するのか――。

 原作ゲームではそれぞれのヒロイン毎にルートが存在し、順番にクリアすることによって謎が解き明かされていくという仕組み。
 本作もそれを踏襲しているが、最終ヒロインに至る必要があるため、その他のヒロインとは一線を越えない。つまり最終ヒロイン以外とは中途半端な成り行きですっきりしない状況である。
 これにはゲームとアニメという異なる媒体の特徴が現れていると思う。
 
 ゲームではヒロイン毎にそこで物語が終わりというきっちりしたエンディングを用意出来る。次のヒロインは「あの時ああしていれば――」を選んだ場合の並列世界として展開するため、プレイヤーはクリアしたヒロインときちんと区切りをつけて、良心の呵責なく次のヒロインに挑むことが出来る。

 反してアニメの場合、一つながりの物語として展開するため最終ヒロインに到達する主人公は基本的に一途でなくてはならない。途中で他のヒロインに引っかかって振った後に別ヒロインを追い求めるという展開をすれば良いのだが、それは最終以外のヒロインを貶めることであるし、そんな主人公に感情移入しにくいのである。
 時間をかけてきちんとヒロイン乗り換えを表現できれば良いが、1クールの中でそれを行うのはなかなか荷が重いのだろう。
 
 この問題にアニメは色々と挑戦してきた。
 
 ①:1クールを複数エピソードに分けて、それぞれで異なるヒロインの話を展開する。
 ②:途中まで同一だが、終盤で最終ヒロイン別のエピソードに枝分かれする。
 ③:最終ヒロイン以外を脇役に追いやって最終ヒロインのルートのみ注力する。
  etc.
  
 ゲームも最終的な「正ヒロイン」は決まっている場合が多いため、アニメもそれに準じて作られることが多いが、原作を越えるのは非常に難しい。
 ヒロイン分岐の紙芝居ギャルゲーは人生をくり返し行うフォーマット、並列世界のやり直しをくり返すシステムであると言っていい。くり返す中で世界やキャラクターに愛着を持っていき、作品世界の謎も解き明かしていく。その下積みの上に最終的なヒロインの話が載ることで最大限の印象を与える仕組みになっている。
 様々なヒロインをクリアすることが、最終ヒロインの正ルートを輝かせるのである。
 
 今作は③の手法だが、物語として他ヒロインのエピソードが必須であるため、他ヒロイン攻略を寸止め状態にして物語を続けている。
 全体で大きなしかけを用意している作品なので、こうするより無かったのだと思う。むしろがんばっていると思う。
 しかし、物語体験においては、おそらくゲームに比べてはるかにプアな状態になっている。原作ゲームはプレイしていないが、同様形式のギャルゲーは何本もクリアしてきた上での意見である。
 
 主要ヒロインは四人。時間をテーマにしているため繋がりの理解が複雑。全く別世界での物語進行が存在。
 これを全12話でまとまるのは、明らかに時間が足りない。説明と作品情緒を天秤にかけてどうやら後者を選んだのか、説明を諦めている部分が非常に多い。残念な事にその代価とした雰囲気を出すための余裕もいまひとつ上手く使えていない。
 説明をしようともしないのに、のんびりと話が進む印象となっており、単純に出来が悪いと言われてしまっても仕方がないだろう。
 
 アニメになったことで、原作が元々もっていた不自然さや粗が浮かび上がってしまっている箇所も多い。
 例えば島の規模や住人の生活状況。人がたくさんいるのかいないのかさえ分からない。
 世界の科学技術レベル。物語全体のはじまりはどこなのか。
 一番気になったのは、声優による歌唱が物語に組み込まれていて、それが鼻声の甘ったるいアイドルのような歌い方だったこと。
 それまで普通にしゃべっていたヒロインが、いきなりぶりっこになって歌い出すとか、いかにその声優ファンにとって当たり前のことだろうと、それを知らない者にとってはお笑いじみた失敗に感じられてしまう。しかもシリアスなシーン。
 
 本作はゲームというプラットフォームの特性を活かしたシナリオを、やはりアニメでは表現しきれなかった、という挑戦と結果である。
 


 


2019年10月15日火曜日

ゲノムハザード ある天才科学者の5日間

ゲノムハザード ある天才科学者の5日間 スペシャル・プライス [Blu-ray]

☆☆☆☆
~ドラえもんの秘密道具~

 
 2014年。日本/韓国の合作映画。
 原作は司城志朗の日本の小説。監督はキム・ソンス。
 

 自宅で殺害された妻。そこにかかってきた電話の声もまた妻の声だった。
 イラストレーターとしての記憶と医学研究者の記憶が混在し、揺らぐ自己同一性。
 自分の正体を知るため、見え隠れする陰謀に立ち向かっていく――。


 あらすじでは何か面白そうに見えるが、実際見ると肩すかしを食う。
 主役を演じる西島秀俊の熱演はいつものクオリティだが、緊迫感のない絵作りと演出がそれに水をかける。
 
 「基礎がしっかりしていて、モラルにしばられない」のが韓国映画の良いところで、「変な部分にこだわってねっとりへばりつく」のが悪いところだと思う。
 今作は悪い部分ばかりが目立っており、全般に平板な印象。
 重要なネタがドラえもんの秘密道具的な突拍子も無いものなので、全ての要素がばかばかしく感じられてしまう。夢物語を現実感があるように騙していくのがシナリオであり演出だと思うが、失敗している。というか特にフォローが無い印象。結果設定が完全に浮いてしまっている。
 
 日本語と韓国語が混在して会話するのも、ちょっとありえないと感じる。どっちつかずで常にドラマから冷めさせられる。どちらかに統一してしまえばまだ見やすかったかもしれない。
 合作の意義がマイナスに働いてしまった作品。

 

 

2019年10月11日金曜日

<テレビドラマ>ノーサイド・ゲーム

ノーサイド・ゲーム Blu-ray 

★★★★
~栄養満点の美味しいスープ~


 池井戸潤の書き下ろし小説を原作とした、社会人ラグビー&社内政治を題材にしたテレビドラマ。
 ガッツリ安定感ある日曜劇場枠の作品なのでなんの不安もなく楽しむことができる。池井戸潤原作は同枠でも倍返しだ! でおなじみ「半沢直樹」を筆頭に「下町ロケット」「集団左遷!!」「陸王」など多くがドラマ化されてきている。
 どの作品も確実に及第点を超えたエンタテインメントという打率の高さだが、難を言うなら銀行業務であったり、部品工場であったり、その凄さがなかなか分かりづらい内容が多かった。それをあの手この手で説明しながら物語を進めていくのがこれまたすごいのだが……。
 今作はその点が強い。ラグビーである。
 前に投げたら駄目とか、ややこしいオフサイドとか、ルールが分かりにくいとされるラグビーだが、敵とぶつかり、ボールを奪い、タックルをよけて駆け抜ける姿は、燃料バルブより遥かに凄さが直観的である。
 ラグビーシーンの迫力がまた素晴らしい。実際のラグビープレイヤーと役者の混在だそうだが、うまく代役シーンを盛り込んでいるのか、カットつなぎの妙なのか、素人プレイで興ざめすることがない。際どいプレイのシーンもきっちり映像化しており、何度も何度も撮りなおしたのだろう。
 その甲斐あって今作のテーマである、家族や仲間のために恐怖に立ち向かう勇気に大きな説得力が生まれている。

 自分も大学時代にラグビーをやっていた。人数不足で素人が入部して即レギュラーという状況だったが、ドラマで描かれていた内容について実体験に基づく共感を覚えた。
 ともかくぶつかる恐怖とその克服。
 どんなポジションであっても、ラグビーをする限りタックルはしなければならない。ぶつかることが当たり前、基本の基本なのだ。
 その上、自分が立ち向かわねばならないという責任感。仲間からの信頼(もしくはプレッシャー)。そういったものが恐怖と入り混じり、敵はどんどん近づいて考えあぐねる時間もない。
 半ば練習で染み込んだ反射反応のようにタックルに飛び込む時、とんでもない高揚感と開放感がある。

 自分はバックスではなくフォワードだったので、一対一の状況にはそうそうならなかった。敵にぶつかったりぶつかられたりしてラックやモールを作る事が多かった。
 固くむさ苦しいおっさんに肌を密着させて押し合いへし合いするのは、満員電車の中で皆でおしくらまんじゅうするようなもので、結構楽しそうでしょ?
 あと、スクラムは肩こりを治すのにめちゃめちゃ効く。全力かけた肩マッサージになる。
 
 ドラマの展開は水戸黄門的なお約束を踏襲しているが、幾つものドラマ、状況を上手く重ね合わせることで複雑なリズムが作られておりやめ時が無い。

 大手自動車会社の君島隼人は己の信念に基づいて確実な業績を残す切れ者社員である。その信念に忠実なあまり、次期社長を狙う滝川に反対する立場をとってしまい報復人事として工場に左遷。しかも負けが込んで廃部の危機を迎えている社会人ラグビー部のゼネラルマネージャーを兼務させられる。

全く門外漢のラグビー。会社がなぜスポーツチームを持つ必要があるのか。
これまで触れてこなかった会社の側面に触れ、君島隼人はチームの立て直しのために立ち上がる。

色恋沙汰と無縁なのも他のドラマと差別化が効いており、親子、夫婦、同僚、友人といった他の関係は網羅しているので、これはわざとだろう。
 思うに恋愛要素はドラマのパーツとして目立ちすぎ全体のバランスを崩してしまう。スクラムに無駄な力が働くようなものだ。
 
 SNS栄えする飛び道具のような設定を用いず、地に足のついた素材をきちんと調理し、全体の味を調え、一つの料理とする。
 一件地味かもしれないが、滋味にあふれて栄養満点。元気になれる、体が丈夫になる。
 そんな、健康優良定番ドラマである。

 

 

2019年10月10日木曜日

ヴァレリアン 千の惑星の救世主

ヴァレリアン 千の惑星の救世主 [Blu-ray]
 ※Amazonの商品リンクです。 

★★★☆☆
~冒頭必見~


2017年フランス映画。ただし言語は英語。
原作はフランスのビジュアルコミック、いわゆるバンド・デシネ「ヴァレリアン」。
1967年から刊行。全23巻というからかなりの古典と言っていい。この作品自体数多くのSF作品に影響を与えた名作の模様。

監督は『レオン』『フィフス・エレメント』のリュック・ベッソン監督。
監督作品はは大まかに分けてレオンのような、はぐれ者を中心とした現代ガンアクションと、雑多なSF映画の二系統に別れる。(『LUCY/ルーシー』は中間)
今作はSF映画の方で、どうもこちらの路線では苦戦している印象。決して売れないわけでは無いが、SF以外の作品の方が評価が高いようである。
リュック・ベッソン監督とは知らずに視聴開始したが、冒頭数分でこれはただ者ではないと慌てることになった。

―――――――――――――――――――
衛星軌道上で様々な実験を行っている国際宇宙ステーション。そこを訪れる人、迎える人の姿が次々映し出されていく。
敵国だった人が訪れ、様々な国の人種の人が訪れ、そこは人々が出自から解放されてともに暮らす場所である。
ステーション自体も拡張を重ねて大きくなり、時代は流れ、とうとう異星人も訪れる。機械のような異星人。獣のような異星人。それさえも全て受け入れ、宇宙ステーションは小さな惑星のような規模まで膨れあがった。
衛星としての質量過多で地球に影響を与えるほどになってしまった宇宙ステーション「アルファ」は、地球を離れて旅を続けることとなった――。
―――――――――――――――――――
このシークエンスがデビッド・ボウイの「Space Oddity」をバックに展開されるのだが、歌詞や曲調と相まって、「無数の異星人がともに暮らす都市国家衛星」を中心とした世界観に引き込まれる。
この部分の傑作感はすさまじく、居住まいを正してみなければと思ったが、次のシーケンスがいきなりブレーキをかけてくる。
―――――――――――――――――――
手足の長い剃髪(?)の青い肌を持つ種族の朝の風景が描かれる。体表はまるでタコやイカのようにきらめきながら色を変えていく幻想的な種族。
美しい砂浜に村を構え、不思議な真珠を海からすくい上げている。そこには暮らしがあり、若者同士の恋心も見え隠れする。
―――――――――――――――――――
ん? この人達誰? ひょっとしてこの人達が主人公なの?
前情報一切無しで見たための勘違いなのだが、膨らんだ期待を一気にしぼませる展開だった。すごく不安。
―――――――――――――――――――
突如として青い空に突如巨大な爆発と黒煙。
惑星上空で宇宙戦艦同士の戦闘が発生しており、その余波が惑星上まで及んでいた。やがて巨大戦艦が墜落し、地表に衝突。
安全な場所に逃げ込んだ一部を除いて惑星自体が破壊されてしまう――。
―――――――――――――――――――
ここでようやく主人公の登場。
―――――――――――――――――――
アルファの連邦捜査官であるヴァレリアンとその同僚ローレリーヌ。
ヴァレリアンは美しいローレリーヌを口説こうと躍起になっているが、女たらしのヴァレリアンにローレリーヌは一線を引いたまま。
そんな二人にアルファから盗まれた「コンバーター」を取り戻せという指令が舞い込む――。
―――――――――――――――――――
冒頭の昂揚が薄れ、フラットになった気分で再スタート。
以降コンバーター奪取作戦が展開され、アルファに帰還。そこで新たな問題に対処と物語はめまぐるしく展開していく。
物語の密度は非常に高く、中盤でかなりの満足感を得た。
折々に展開されるSF設定に基づくビジュアルもなかなか魅力的
特に「異なる次元」に存在する巨大商業都市。そこに表の次元、裏の次元から同時に潜入作戦を行うシーンはややこしいが新鮮。
誰にでも化けれる「バブル」のショーシーンも楽しい。

ビジュアルと展開の勢いにあっという間の137分だったが、話としてはかなり粗っぽい
ただ、時折感じる綿密な世界設定が雑な部分を許容させてくれる。物語として、何か裏の都合があるのだろう、と勝手に思えてしまうのだ。
この感触はスターウォーズに近いような気がする。

ビジュアルに翻弄されるのが気持ち良い、あまり考えずに楽しめる一作。
ヴァレリアンは日本のアニメ会社と共同でアニメも作成されている模様だが、日本ではほとんど情報がない。バンド・デシネも映画に関連あるエピソードが和訳されているのみ。
エージェント二人の活躍を、もっとたのしみたい。

2019年10月9日水曜日

RErideD-刻越えのデリダ-


☆☆☆☆
~熱情は感じる~


2018年に放送された1クールのテレビアニメシリーズ。
特に原作のないオリジナルの模様。放送にタイミングを合わせて小説版が発売されている。


まずは題名が読みにくく、なんでこんな表記なのだろうと引っかかる。
読みは「リライデッド」で正しいようだが、大文字と小文字の区別は何なのだろうか。
区切りを色々に変えてグーグル翻訳にかけてみると興味深い。

『reride』⇒「再乗車」
『rerided』⇒「乗り換え」
『ride』⇒「乗る」
『rided』⇒「乗った」

上記の訳語は視聴した後ならなるほどと感じる内容となっている。
本作は副題でも示されているとおり、主人公デリダが時間を越えて運命に立ち向かって行く物語で、時間移動のことを「タイムライド」と呼称している。
つまりタイトルは時間転移についてのことであり、それにまつわる状況を多角的に示したものなのだろう。


近未来、技術者デリダは時間転移に関する論文を記述した後、AIを搭載した万能ロボットDZ(ディージー)の開発に携わっていた。
暴走する危険のある重篤なバグを発見し、同僚ネイサンと共に社長と直談判するが聞き入れられず、対策を講じることとなる。
その日はクリスマス。ネイサンの娘マージュの誕生日でもあるため、その友人ユーリィと共に慎ましいパーティーで時を過ごした。
翌日バグ対策のために動き始める二人だが、突然社長の配下に襲われネイサンは死亡。デリダは逃走のあげく謎の施設で冷凍睡眠装置に身をゆだねる。
次に目覚めたときには既に10年が経過しており、世界はDZの暴走によって荒廃していた。
なぜ襲われたのか、DZの暴走を止めるための修正プログラムはどこへ行ったのか。デリダの逆襲が始まる――。



全般に粗雑。
これは作画にも、演出にも、シナリオにも共通して言えることで、かなりまずい出来だと言える。
例えば冷凍睡眠装置に入ることになる展開が「滑って転んでマシンスタート」であったり、御都合主義とさえ言えないような大雑把さ。
このような突っ込むのをためらうほどの無茶は最終話まで続き、そうなると一つのテイストとさえ感じるほど。


面白いと感じた点に「時間跳躍の位置づけ」がある。
巨大なマシンと莫大なエネルギーが必要なのだが、どうやら非常に観念的な存在として扱われている。


強い思い込みが過去に意識を戻させる。


全体としてはやはりつじつまの合わない謎の仕組みなのだが、スイッチを押しもせず、超常現象としてかってに現れる物でも無く、本人の強い意志が魂だけを転移させる。
これはまるでゲームのセーブポイントのようなものだ、と思うと腑に落ちる。記憶に残る「時点」に、意識だけが移動。同じ人間が同時に存在というパラドックスもない。
また同様に藤子・F・不二雄の短編「あいつのタイムマシン」を想起する。
この作品におけるタイムマシンの作り方が、「時間の堂々巡りに入り込むほどの思い込み」を成し遂げて「Aがタイムマシンを使って過去のAにタイムマシンの設計図を届ける」というもの。タイムパラドックスに思い込みで無理矢理入り込むのだ。


他にはメカの設定がしっかりしていたのかもしれない
自信がなさげなのは、それらが実際に作品の中で描かれるに当たっては、微妙というか、へっぽこな状態なのだ。
3DCGのモデルはきっちり出来て格好良いはずなのに、画面内で走る車の挙動は異常で、狙っていないコミカルに落ちてしまっている。
同様にDZを壊すとそこから血のような液体が飛び散り、翼のような形でそのまま硬化していくのも格好良いはずなのだが、本体が案山子のような動き。
やはり見所にはなっていない。


残念ながら、どう見ても駄作であり、人に勧められるクオリティではない。
だが、これだけは強く言っておきたいが、正体の分からない熱意を僕は感じた。


「時間転移をテーマにした切ない話をやりたいんじゃあ!」


この想いを感じる。それを表現するための全ての段階において失敗してしまっているが、気持ちは伝わるのである。
まるで、子供の絵を見ているようだ。
拙くて意味不明で道理が通っていない。
だけど、どこか愛しいのである。


売れるための過剰なお色気、暴力。奇抜な設定――。
練られた企画と職人芸は、ある程度には売れるアニメを生み出すだろう。
そうして作られたものでも、誰かの心を揺さぶるだろう。


今作にはそういった売るための仕掛けがない。
ただただ伝えたい想いが、稚拙な技法でこのような形になったのではないだろうか。


僕は「時間転移をテーマにした切ない話をやりたいんじゃあ!」の気持ちをまんまと形にした、誰かをうらやましく思う
結果はどうあれ、形にしたもの。


世界には、こういった作品が生まれるだけの隙間があったことが、嬉しいくらいだ。



2019年10月8日火曜日

幸せの黄色いハンカチ

あの頃映画 the BEST 松竹ブルーレイ・コレクション 幸福の黄色いハンカチ [Blu-ray]

★★★☆☆
〜記憶に残る映像〜


山田洋次監督、高倉健主演の1977年の邦画。
古い映画だとはいえ、大ヒット、心に残る情景、俳優陣のその後の活躍の契機となった、など知名度は非常に高い。
金八先生でおなじみ武田鉄矢が魅力的な三枚目として出演。
彼はもともと音楽活動(「母に捧げるバラード」)で芸能歴をスタート。
この作品で俳優としてデビューとなり、好評を博して役者としての知名度を上げた。

傷心旅行で新車の赤いファミリアで北海道に渡った花田鉄也(武田鉄矢)。
道中ナンパした朱美(桃井かおり)とともに網走刑務所から出所したばかりの島勇作(高倉健)と出会い、相乗り旅をすることになった。
元炭鉱夫で男気のある勇作と、良くも悪くも今風(といっても1977年)の鉄也と朱美。
トラブル続きの旅の中で、勇作が夕張に向かう理由が分かってくる――。

  
当時の風俗、雰囲気を強く感じさせる風景は確かに古くさい。
だがそれを背景に描かれるドラマは、若者と壮年のすれ違いや夫婦間のつながりなど人間の営みに根ざしており、時が立ってもは変わらない普遍性を持っている
終盤、勇作の案内に沿って夕張を車で疾走するのだが、ここが一人称視点(運転者視点)となっており、臨場感を伴って視聴者をドキドキさせる。
黄色いハンカチはあるのだろうか、無いのだろうか。
すでにパッケージなどでバレていたりするが、それでもやはり引きつけられる表現は時を超えたものだと思う。

世紀の傑作かと言えばそうでは無いだろう。実際世界の映画評価で上位に来ることは無い。
が、同監督の「男はつらいよ」シリーズ同様、日本人の文化、人間性に基づいているのか、幅広い年代に人気のある映画であることは確かである。

これこそが人々の記憶に残っていく名作である証左なのだろう。

本作は作品周りのトリビアに面白い物が多く、Wikipediaで作品ページを見てみると、さらに楽しむことができると思うので、ぜひ合わせて読んでみて欲しい。

 

 

2019年10月7日月曜日

バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生

バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 アルティメット・エディション ブルーレイセット(初回仕様/2枚組) [Blu-ray]

評価不能
〜金曜ロードショーではもう駄目だ〜

2016年、ザック・スナイダー監督。
映画館やDISCメディアで見る機会がなかったが、馴染み深いキャラクターの共演なのでどんなものだろうと気にはなっていた。
地上波初放送ということで見てみたが、説明不足な箇所が多いため状況やキャラクターの心情が難解な状態になっていた。

流石に本当にこれを公開したのか疑問に思い調べてみると、公開版が152分。
これでも説明不足だったということで、カットした部分を復活させて全体の編集も整えた「アルティメットエディション」が183分でソフト化されている。

対して金ローは宣伝含めて2時間強。実質100〜110分といったところか。
放送されないスタッフロールを10分としてみても、30~40分は公開版から短くなっており、これはどう考えても無理がある。

天才的な編集者なら異なる価値をその削減の中に表現できるのかもしれないが、見たところそうでは無い。そもそも、公開時は監督含む映画製作者が身を削るように編集して出来上がったものを、素性の知れない何者かが時間合わせのためにカッティングするのが異常といえば異常なわけで、このようなダイジェスト版を視聴してその作品を「見た」ことにするのは冒涜的行為だ。

地上波放送は、キャッチーなチョイスと視聴しやすさ、そして昔からの慣習(ネットもビデオも手の届かない環境ではテレビ放送の映画が全てだった)として、今も変わらず最も敷居の低い映画枠であると思う。少なくとも自分は今もそうであり、親近感が強い。
だが、そうも言っていられない有り様だ。

・勝手な時間削減
放送時間に合わせるための削除。
スポンサー表示の裏で本編を流して時間削減といった手法も

・勝手な画調変換
明滅の激しい部分を中心とする効果の設定。
激しい明滅は転換発作の呼び水となるため、一定の規則に従って修正している模様。
明暗の急激な変化を抑えるために画面全体のコントラストを低下。ブラーをかけて画面を時間的にぼかす。
この方法は時間圧縮の方式と親和性が悪く、テレビ放送程度のビットレートだとマッハバンドが多発。
ましてや録画視聴などだとさらにビットレートが低くなるため、画質が大幅に低下する。

・ネタバレキャプション
CM前後、スポンサー表示時などの画面に入る説明分。
場合によってはオチの示唆などトンでもレベルの情報を開示する。

今作は時間削減はもとより、戦闘部分の画調変化による劣化が著しかった
基本的にぼかす方向の調整が入るため、何が映っているのか分かりにくくなり、強い衝撃を表す演出が妙にマイルドになって物足りなくなっている。

あれこれとテレビ放送ならではの改悪が非常に多く、この状態の視聴で「見た」とは言いたくないため評価は不能にしておく。
今後アルティメットエディションを見る機会があれば、その後に再度感想を書こうと思う。

ただ、現時点では頭の硬いおっさん達が陰気な話を繰り広げるだけで気の重い作品だと感じている。
終盤に出てくる華やかなあのキャラクターに一気に全てを持って行かれているが、それも仕方がない。

さて、テレビで映画を見る場合、深夜やBSなど頭から最後まできちんと放送する映画枠を選ぶべきだろう。
そういった枠は地味な映画が多い気がするが、往年の評価が定まった名作も良くかかるので、効率が良い。
ともかく「本編ノーカット」をうたっていない放送を視聴する際には特に気をつける必要がある。

 

 

2019年10月4日金曜日

名探偵ピカチュウ

名探偵ピカチュウ 通常版 Blu-ray&DVDセット 

★★☆☆☆
~毛深いおっさんピカチュウ~

2019年。ゲームを原作としたアクション冒険映画。
ピカチュウはもともとゲームボーイのゲーム「ポケットモンスター」に登場するモンスターの一種に過ぎなかったが、愛くるしい容姿で圧倒的な人気を博し、以降シリーズの看板キャラクターとして20年以上にわたりポケモンコンテンツを支え続けている。

間違いそうなのはこの映画がポケモン本編ではなく、その派生作品である「名探偵ピカチュウ」を原作としているということ。
名探偵ピカチュウは、本来可愛く「ピ〜カピカ」とかしゃべる(鳴く?)ピカチュウがおっさん声でしゃべるというかなりの異端作品でゲテモノと言っていい。
なぜこれを実写化したのかと思うかも知れないが、RPGである本編は映画化するには長すぎるし、話自体はわかりやすさ優先で子供向き。
映画脚本としてまとめるのはなかなか難しそうである。
頑張ったところであまりに大きなファン層は趣味嗜好も様々であり、パイが大きい分ネガティブな反応も大きなものになるだろう。

反して名探偵ピカチュウはそもそも知名度が(本編に比べれば)低く、そういうのを許容できるファンにしか届きにくい。
洋画であり、実写であり、ピカチュウが毛深いことで、純真な子供が中身がおっさんというショックにさらされる危険性は低いだろう。
老若男女の正当派ファンは邦画のポケモン映画シリーズを見るという住み分けが行われるのだ。

自分はポケモンにさほど詳しくない5才の息子と見に行ったが、反応はいまいち。
邦画の3DCGアニメ「ミュウツーの逆襲EVOLUTION」も見に行ったが、明らかに見ている間の反応も、その後の話題に上る率もこちらが良い。

作品としてはきっちり手堅い感じだなと言う印象。
原作ゲームのシナリオをどれだけ踏襲しているのかは分からないが、テンポ良く進み、良いタイミングで差し込まれる見せ場など、さすがハリウッド。
ちょっとどうなの、という展開が多くオチも上手くまとまってはいるのだが、残念感の方が強い。

何よりポケモンがおしなべて毛深いのが嫌だ。
がっかりしたり、悩んだりというピカチュウの表情がしっかり描かれていて目新しいが、やはりオーバーアクションに感じる。
やはり自分の中のピカチュウはぬいぐるみのような存在なので、リアルになってもミュウツーEVOLUTIONの方向性だ。

海外のファンの脳内ではこのような形でポケモンが再生されているのかと思うと、文化に根ざす世界認識の相違は大きいのだなあと改めて驚く。

2019年10月3日木曜日

エネミー・ライン


★★☆☆☆
~リアルの基準が分からない~

2001年のミリタリーアクション映画。
1990年代、バルカン半島(アドリア海を挟んだイタリアの東側)で起きた民族紛争に対応するためNATO軍の指揮下で展開していた米軍空母。
休戦協定締結間近となり、兵器管制士官であるバーネットは相棒のスッタクハウスとともに複座戦闘機による退屈な哨戒任務にあたる毎日だった。
軍にいながら戦闘もなく過ごす毎日にどこか違和感を感じるバーネットは、本国帰投後の除隊を申し出て上官とぶつかっていた。
クリスマス、またもルーチンの偵察任務中、休戦状態のはずが森の中に設営されている基地と、近隣住民に対する虐殺の証拠を発見、上空から撮影する。
和平合意に反対する武装兵力は地対空ミサイルを発射。F/A-18F スーパーホーネットは撃墜、二人はパラシュートによる脱出を余儀なくされる。
武装兵力は証拠隠滅のため追跡を開始。スタックハウスは捕縛の上頭部を撃ち抜かれて処刑。
一人残ったバーネットは証拠である撮影データを回収しての帰還に向けて動き始める――。

停戦間近ののんきな空母生活から一転して、ミサイルに追われる戦闘機、地上に降りてのサバイバル、追跡者との一騎打ち。
劇的な展開は飽きさせるることなく興味を引き続ける。特に空中戦の映像は見応えあり。

背景設定から現実に即したシビアな内容なのかと思いきや、大雑把なドッカンドッカンのアクションが続き、「ランボー」を彷彿とさせる。
ストップモーションや早回しを折り挟んだ演出も、リアルな戦場というより映画的なドラマチックを強調
結果、フィクションぽさとノンフィクションぽさが混ざった、映画としてのリアルの線引(リアリティライン)が分かりにくい状態となっている。
最後の上官がヘリを運転して~のシーンも、いい話なのか冗談レベルの無茶なのか判別できず、監視衛星の映像も、さすがにあそこまでは映らないんじゃ……。

NATO軍とのしがらみといった政治要素を減らし、孤軍奮闘の米軍パイロットの大活躍に集中したほうが爽快なミリタリー映画として心置きなく楽しむことが出来たのではないだろうか。

2019年10月2日水曜日

ソルト

★★☆☆☆
~主人公の他人感が消えない~


アンジョリーナ・ジョリー主演のスパイサスペンス。2010年。

CIAの秘密諜報部員であるイヴリン・ソルトは夫にもその身分を隠して活動。
そんな中、唐突にロシアからの亡命者オルロフが転がり込んでくる。
尋問を担当したソルトだったが、彼の口からはロシア大統領暗殺計画がリークされ、更にそれを遂行する工作員としてソルト自身の名前が飛び出した。
二重スパイの容疑で拘束されるソルトは夫と連絡が取れなくなっていることに気づき、脱出を試みる。
オルロフの証言は本当なのか。ソルトは何をしようとしているのか。計画の行く末はどうなるのか――。

ソルトは何も語らず、ともかく実行、実力行使。見ている者にとって一番怪しいのがソルトなので、感情移入がしにくい
犯人の作戦実行を見ているだけのような歯がゆい時間が続く。
やがて全てのからくりが明らかになるが、苦しい印象。
あまりにロシアスパイの規模が大きく優秀すぎて、CIAや大統領周辺の警護がまるで能無し。
最後も続編匂わせなのだろうか、なにかスッキリしないまま。

エージェントの個人能力でなんとかしていく御都合主義は「ミッションインポッシブル」を連想させるが、MIのほうがはるかに面白い。
違いは仲間の存在、作戦のための前準備、スケールの大きさだろう。
ソルトは一人で、いきあたりばったりで、絵面のスケールが小さい。
きっと視聴者はフィクションはフィクションでも、それなりに理由付けや勢いがほしいのだ。
MIはともかくとんでもないシチュエーションで想像を絶した作戦を行う。そのバカバカしくも心ときめく全力具合に圧倒されてしまうのだ。

ソルトが高飛車で高慢なイメージなのもマイナスで、またアンジョリーナ・ジョリーはそういうのが似合う。
似合いすぎてこちらが拒否されている気分になる。
トム・クルーズのちょっと抜けてて人懐っこい感じが、大衆映画には向いている。

どうやら実際、最初は男スパイが主役で、なんとトム・クルーズが演じる予定だったらしい。
何があったのかアンジョリーナ・ジョリーになった訳だが、トム版だとどうなっただろうか。

2019年10月1日火曜日

エルミタージュ幻想

エルミタージュ幻想《ニューマスター版》 Blu-ray

★★★☆☆
~存在感を増していく幻想~

2002年のロシア映画。
サンクトペテルブルクにあるロシアの国立美術館全体を舞台に、そのに収蔵された数々の名品が語る歴史を幻視する映画。
声しか聞こえない監督と狂言回しであるフランスの外交官キュスティーヌ(これも歴史上の人物)があれこれ話ながら美術館を巡る。
そこでは百年以上前の装束に身を包んだ人たちが部屋ごとに現れ、語り、踊り、長い歴史を垣間見せてくれる。

1613~1917年までロシアを支配した最後の王家ロマノフ朝。
ピョートル大帝、エカテリーナ、アナスタシア、ニコライ二世……。
世界史で目にしたことのある歴史上の人物達が、当時の文化、風俗のままに、多数の侍従を従えて美術館を幻の栄光で満たしている。
美しい記憶の幽霊、その集積としての美術館、といったところか。

ともかくこの作品を語るときに欠かせないのが、長回しを越えた長回し。
全編1カットで構成されているという事実。
アナログではフィルムの長さ、重さから不可能だったアイデアを、デジタルカメラが実現。
ヒッチコックの「ロープ」など全編1カットの前例はあるが、上手くカットを切り替えて1カットに見せているだけ。
しかもロープは舞台劇を撮影したようなものだが、エルミタージュ幻想は複雑なカメラ移動、場面の転換と規模が違う。

1カットのどこがすごいの? といわれると実は具体的に示しにくく、感覚的な説明になりがちだ。
そもそも視点が大きく一瞬で切り替わる「カット割り」は、実はかなり不自然な物である。
これを様々な技術で気にならないように、または気にさせることで意味を追加したりしてきたのが映画の進展であったが、失ってきたものもある。
その一つが「画面の説得力」「生々しさ」ではないかと思う。
ホームビデオでだらだら撮った運動会のビデオは大体が悠長で退屈だ。だけど、途切れない画像は確かにその場の雰囲気を写し取っている。

「カット割りをせずに、カット割りをしたような画面を作る。
それによって生の雰囲気を持った世界を映し出す」


人によって意見は当然色々あるが、今の自分は長回しについてこのように考えている。
この視点から見ると、今作はかなりの健闘だと感じる。
所々絵が決まらなかったり、間が空きすぎたりで、カットすべきだろう部分があるが、後半の見所は長回しならではの感触が浮き上がっている。

圧巻はやはり絢爛豪華な舞踏会から混雑した階段をたどっての帰路の部分だろう。
舞踏会は複雑な動きの中で映すべきものを映し、抜けた絵を感じさせない。
そしてその後の退場。
群衆に紛れたカメラを通して、観客は本当にその中に混ざっているように感じる。
ここだけを長回しにしても感じられない、これまでに積み上げてきた説得力があふれ出している。
人がそこにいるという感触。
歴史や、そこに生きて死んでいった多くの人々が、目前に蘇っている。
原題「Русский ковчег」は「ロシアの方舟」という意味で、たしかにそれも素晴らしいと思うが、「エルミタージュ幻想」という名前が僕はとても似合っていると思う。

ウィキペディアによると「撮影は4回行なわれ、最初の3回は技術的な問題で中断したが、4回目は成功した」とのこと。
多いのか少ないのか分からないが、ともかく凄まじい労力の結晶である。

映画としてみると、長回しの悠長さを狂言回しが上手く処理し切れていない
監督のしゃべりも上手いとは言えず、あまり映画にプラスに働いていないような……。

自分の映画師匠曰く、この部分を上手くこなせていたら、もっと名作になっていたのでは。
確かにぼそぼそしゃべる声と苦い顔のおっさん二人に案内されても、あまり楽しくない。
もっと分かりやすく女性、妖精、子供などにその役割を担ってもらった方が良かったかもしれない。

自分はそれよりもまず、字幕が合っているのか気になる。
話の内容がかみ合っていない部分がほとんどのように感じた。
ロシア語なので手も足も出ないよ。