2019年10月1日火曜日

エルミタージュ幻想

エルミタージュ幻想《ニューマスター版》 Blu-ray

★★★☆☆
~存在感を増していく幻想~

2002年のロシア映画。
サンクトペテルブルクにあるロシアの国立美術館全体を舞台に、そのに収蔵された数々の名品が語る歴史を幻視する映画。
声しか聞こえない監督と狂言回しであるフランスの外交官キュスティーヌ(これも歴史上の人物)があれこれ話ながら美術館を巡る。
そこでは百年以上前の装束に身を包んだ人たちが部屋ごとに現れ、語り、踊り、長い歴史を垣間見せてくれる。

1613~1917年までロシアを支配した最後の王家ロマノフ朝。
ピョートル大帝、エカテリーナ、アナスタシア、ニコライ二世……。
世界史で目にしたことのある歴史上の人物達が、当時の文化、風俗のままに、多数の侍従を従えて美術館を幻の栄光で満たしている。
美しい記憶の幽霊、その集積としての美術館、といったところか。

ともかくこの作品を語るときに欠かせないのが、長回しを越えた長回し。
全編1カットで構成されているという事実。
アナログではフィルムの長さ、重さから不可能だったアイデアを、デジタルカメラが実現。
ヒッチコックの「ロープ」など全編1カットの前例はあるが、上手くカットを切り替えて1カットに見せているだけ。
しかもロープは舞台劇を撮影したようなものだが、エルミタージュ幻想は複雑なカメラ移動、場面の転換と規模が違う。

1カットのどこがすごいの? といわれると実は具体的に示しにくく、感覚的な説明になりがちだ。
そもそも視点が大きく一瞬で切り替わる「カット割り」は、実はかなり不自然な物である。
これを様々な技術で気にならないように、または気にさせることで意味を追加したりしてきたのが映画の進展であったが、失ってきたものもある。
その一つが「画面の説得力」「生々しさ」ではないかと思う。
ホームビデオでだらだら撮った運動会のビデオは大体が悠長で退屈だ。だけど、途切れない画像は確かにその場の雰囲気を写し取っている。

「カット割りをせずに、カット割りをしたような画面を作る。
それによって生の雰囲気を持った世界を映し出す」


人によって意見は当然色々あるが、今の自分は長回しについてこのように考えている。
この視点から見ると、今作はかなりの健闘だと感じる。
所々絵が決まらなかったり、間が空きすぎたりで、カットすべきだろう部分があるが、後半の見所は長回しならではの感触が浮き上がっている。

圧巻はやはり絢爛豪華な舞踏会から混雑した階段をたどっての帰路の部分だろう。
舞踏会は複雑な動きの中で映すべきものを映し、抜けた絵を感じさせない。
そしてその後の退場。
群衆に紛れたカメラを通して、観客は本当にその中に混ざっているように感じる。
ここだけを長回しにしても感じられない、これまでに積み上げてきた説得力があふれ出している。
人がそこにいるという感触。
歴史や、そこに生きて死んでいった多くの人々が、目前に蘇っている。
原題「Русский ковчег」は「ロシアの方舟」という意味で、たしかにそれも素晴らしいと思うが、「エルミタージュ幻想」という名前が僕はとても似合っていると思う。

ウィキペディアによると「撮影は4回行なわれ、最初の3回は技術的な問題で中断したが、4回目は成功した」とのこと。
多いのか少ないのか分からないが、ともかく凄まじい労力の結晶である。

映画としてみると、長回しの悠長さを狂言回しが上手く処理し切れていない
監督のしゃべりも上手いとは言えず、あまり映画にプラスに働いていないような……。

自分の映画師匠曰く、この部分を上手くこなせていたら、もっと名作になっていたのでは。
確かにぼそぼそしゃべる声と苦い顔のおっさん二人に案内されても、あまり楽しくない。
もっと分かりやすく女性、妖精、子供などにその役割を担ってもらった方が良かったかもしれない。

自分はそれよりもまず、字幕が合っているのか気になる。
話の内容がかみ合っていない部分がほとんどのように感じた。
ロシア語なので手も足も出ないよ。

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