2011年1月23日日曜日

プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂

★★★☆☆
~最高クオリティのゲーム映画化~

ゲームが原作となったアラビアンファンタジー。
一定のルールに従って、時間を逆回しに出来るというゲームのギミックを中心にすえて、壮大な物語を展開する。

時間逆回しのアイデアはゲームにおいても実に刺激的なアイデアだった。死んではやり直す、というアクションゲームの基本スタイルを踏襲しながら、やり直す部分自体もゲーム性として取り込んだのだ。
映画でも見所となる逆回し部分は映像的にも実に楽しい。時間を操るナイフを発動させたとたん、発動者は時間の流れを傍観する立場となり、過去の自分が行動する様を逆再生で眺めるのだ。決定的な瞬間に立ち戻り、最適の判断を行うのだから無敵である。
ただ、この力を無制限に使用することは出来ない。そのために必要なのが「時間の砂」。敵味方ともナイフと砂を求め、あらゆる手段を投入していく……。

もう一つ、ゲームの要素をうまく取り込んでいるのが、主人公の移動アクション。ゲームの主人公は杭にぶら下がって体を揺らし、その反動で高いところへ、遠いところへ飛翔する。また、その場にあるもの全てを手がかり、足がかりに、サーカスのような体術を駆使してステージを移動していく。
映画でもまさにこのようなアクションを展開し、フィールドを立体的に活用して目新しいアクションを展開している。これはテイストとしてジャッキー・チェンのカンフー映画に近いが、その場にとどまらない疾走感という点で異なる。

逆回しと立体アクション、二つのゲーム要素を見事に映像に取り込んだ今作は、ゲームが原作となった映画の中で白眉のクオリティである。それを抜きにしても、一本の映画とは思えないエピソードの多さ、それをまとめ上げた物語。気を吐く映像美などここがまずいという点を思いつけない。
反対に言うと、ここだけは観ておくべきという突出点もない。完成度の高さに反してあまり話題にならなかったのはこういった所が理由なのかも知れない。

地上波で放送されるなどで視聴機会が増えれば、安定した人気を得ていくだろうと思う。

アイアンマン2

★★★☆☆
~おっさんヒーロー再び~

軍需産業の社長が、自ら開発したパワードスーツを身にまとい、世にはびこる悪漢をなぎ倒す。
セレブにして、天才発明家。嫌みになりそうな設定が苦もなく受け入れられるのは、突発的な行動により実生活が破綻気味なのと、ロバート・ダウニー・ジュニアの捨て猫のようなつぶらな瞳によるものだろう。最近同じようなことを書いたのでは? と思い起こしてみれば、同じくロバート・ダウニー・ジュニア主演のシャーロック・ホームズだった。あれも似たようなキャラクターだ。とんちきな天才、という役が彼にははまるのかも知れない。アインシュタインの役などあれば、ぴったりかも。

それにしても、矛盾具合がすさまじい。
一作目も二作目も、彼が戦う相手は結局軍需産業だ。
兵器を作って身にまとい、別の兵器と戦う。実は敵自体、アイアンマンという存在が伝播して生まれたようなもので、自分で原因を作っては自分で解決するという、ノートン先生のような自作自演のきらいがある。
ただ観ていてそのようなことは気にならない。アクロバティックな空中戦よろしく、疑問にぶつからずうまくすり抜けていく。
この映画はやはり、その時々の状況を反射的に楽しむのがよい。
アイアンマンの圧倒的な重量感。それでいて生物的になめらかな動き。超絶な力がコンパクトにパッケージングされた秘密兵器的なテイスト。男の子が好きな、変身、超合金、秘密兵器といった要素を一身に持ち合わせ、なるほど、おっさん心をつかんで離さないわけだ。

一作目は確立したアイアンマンのイメージでまるまる楽しめた。かっけー! と叫ぶ間に終わっていた感じ。二作目にはそれに上乗せする魅力が期待されたが、前作並という印象。アタッシュケースサイズのポータブルアイアンマンにしびれたぐらいだろうか。
かといって全編見所だらけで楽しめることに違いはなく、ヒーローにあこがれたあの日のときめきを思い出すことができる。

肉弾戦をいとわず、決して無敵でもない。
スーツもいつもボロボロになる。
えらい目に合いながらも、ひょうひょうと困難に立ち向かっていくヒーロー像は、潔癖でも汚濁でもなく、曖昧な我々に実にしっくりとくる。

エミリー・ローズ

★★☆☆☆
~ホラーではない~

実話を元に描かれたホラー映画。といった売り込み文句だが、ホラー映画ではない。ホラーのエポックメイキング「エクソシスト」の悪魔が去ったその後の話、と考えた方がよいだろう。ただ、エクソシストと異なり、少女は死に、牧師が生き残った後だ。
残された牧師は、少女を死に至らしめた責任を追求され、法廷へ。そこで裁かれることとなるのは……、

神や悪魔の実在について。

この禁断とも言える題材に真っ向から取り組んでいる姿勢が気持ちよい。
宗教と科学、どちらの立場も双方の主観を尊重して描かれており、見終わった後も公平な感触が残る。つまり、事の判断は映画を見たものに委ねられている。
理性と感性の狭間に揺れる物語は、神秘的な存在を定義づけようとすると同時に、あやふやな人間存在や、社会が抱え込む矛盾点にも光を当てる。

賢明であろうとする無知な存在。

スクリーンの向こうにそういった人間像が浮かび上がる。

全般に楽しむことが出来たが、金と名誉のためにこじつけ論理で敵を排していく弁護士がどうにも好きになれない。作品内ではしがらみを脱して利益だけではなくなっていく人物として描かれているが、この部分だけがとてつもなく胡散臭かった。
妄言を弄し、真実をたばかろうとする弁護士こそ現代の悪魔なのではないか。

2011年1月22日土曜日

バイオハザード  -アフターライフ -

★★☆☆☆
~PV映画~

映画館にて3D上映を鑑賞。
第四作となるが、一作目しか見ていないので意図通り楽しめているのかは心許ない。

物語の冒頭が東京、渋谷交差点から始まるのが話題となったが、確かに日本人監督にはどうしても撮れない、外国としての東京はムードをもって美しい。まるで音楽のプロモーションビデオのようだ。
だが、そのまま最後までプロモーションビデオな感触なのだ。

とにかくストップモーションが多用されており、3Dと相まって目が楽しい映像に仕上がっている。ただ、その表現が必要なのかと考えると、このストップモーションは明らかに使いすぎ。ぎりぎりシリアスを保つ量で、もう少しでも多ければシュールなギャグ映像になっていたかも。

「タイタンの戦い」のように通常撮影後に無理矢理3Dにしたのではなく、きちんと専用カメラで撮影した映像は素直な臨場感をもって迫ってくる。
白黒でもカラーでも、映画作品そのものの価値に優劣はない。ただ、カラー映像は情報量の多さからくる白黒とは異なった体験を与えてくれる。
3Dも同様だ。
それ自体が優劣を決定する要素ではないが、映像表現として有効な情報量を持っている。これから表現や技術が洗練されていき、特にロードショーでははずせない要素となっていくだろう。客単価の上乗せを正当に迫れる点も映画館に好まれる点だ。映画館の復権はここから始まるのだと予感する。

物語自体は、どうにも浅はかだ。
映像として見栄えのするシーンをつなぐための言い訳、程度の意味しか持っていない。そりゃ創作なのだからご都合主義で当然なのだが、それを包み隠すのが脚本の力ではないのか。あまりにむき出しのご都合主義に唖然とせずにはいられない。無神経とかそういうレベルではなく、B級を指向したかのような豪快さなのだ。説得力や臨場感という要素を、3D映像に全て吸い取られてしまったのだろうか。
これは自分がシリーズをきちんと観ていないことも原因だと思うので、シリーズのファンにはまた異なる楽しみがあったのかも知れない。

総論としては、憎むこともなく絶賛することもなく、ただ映像が楽しめたな、という良くある映画におくる定型文。

深く考えずに楽しむことの出来る娯楽映画。

となる。