2012年4月13日金曜日

クリスマスキャロル(2008ディズニー版)

★★★☆☆
~不気味の谷を越えた~

幾度も映画化されてきたクリスマスストーリーを「バック・トゥー・ザ・フューチャー」のロバートゼメキスが3DCGアニメで映画化。
監督は昨今、役者のモーションキャプチャーを重要視した3DCGアニメ作成に熱心であり、「ポーラー・エクスプレス」「ベオウルフ」を同様の技法で制作してきた。
CGを多用した普通の実写映画とは異なり、全編が3DCGで作成されているが、ピクサー系の3DCGアニメと比べると人物造形は基本的に実写指向。独特な立ち位置のスタイルだが、今作でようやく一定の成果を上げたのではないかと感じる。

CGが実写に近づいていくほど細かな差異が目につくようになり、結果、人間の見た目をしているのにどこか違う異質な存在と感じてしまう。これを「不気味の谷」といい、その崖の深さが認識されるとともに穴を埋める手法も続々と開発されている。

今作も違和感はそこかしこに感じるが、ポーラーエクスプレス(同監督が同様の手法で撮ったCG映画)よりも格段に進歩したと感じる。細々とした技術革新、スタッフの努力のたまものだろうと思うが、ほとんどが薄暗い夜の場面というのが大きいのではないだろうか。
ろうそくで灯りをともす時代の物語で、その上題材はクリスマスイブ。
全編のほとんどが闇に沈んだ画面である。まばゆく明るいのは精霊達が出てくる場面くらいで、そこはしっちゃかめっちゃかにど派手。細かい点に不気味を感じるたぐいのシーンではない。

不気味の谷に底が見えたのと同時に、3D上映の問題を見せつけられる。
暗いシーンでは立体感をあまり感じる事ができないのだ。
ひとくくりに3D映画と言っても上映方式は一通りではないが、共通の欠点として、画面が暗くなる、というものがある。その分輝度を上げて上映しているのだが、最大輝度が下がることだけは避けようがない。
また、画面の暗さは視覚の感知→理解能力を鈍くさせる。初期3D上映の方式に、眼鏡をかけて片一方だけ暗くする、というものがあった。これで横にスクロールする映像を見ると、なんと暗くなった方の視覚の感知速度が鈍るため、結果左右で視差が生まれて立体視が可能となるのだ。これは出崎統監督のテレビアニメーション「家なき子」で実際に放送されている。眼鏡を配布さえすれば放送側は何の手間も入らず、スクロール多用の映像を作ればそれでよいのだから数十年前でも可能だったのだ。余談だが、出崎統監督の映像スタイルの一パーツとなった多重スクロールの多用は、この作品で考案、使用されたのがはじまりだ。
閑話休題。
そのようなわけで今作の3D上映は、立体感を楽しむことのできるシーンが少ない。その分特定の箇所において3D効果が強く印象づけられるし、3D感が強すぎて疲れることもあまりない。節度のきいた3Dということもできようが、やはり暗い画面をさらに暗くしてみさせられるというのは、それだけで負担感が強い。
心に残る3Dシーンもある。
若かりし頃の思い出を見る場面。踊る女性の胸元の艶やかさ。その実在感。
エロは新媒体普及の鍵だと言うが、確かに強烈な印象を心に残した。それがディズニーのアニメ映画であったことがいささか不思議ではあるが、実写3Dよりも、誇張されたCGの方が3D映画に向いているということなのかも知れない。

2012年4月12日木曜日

イングロリアスバスターズ

~滋味深い一作~
★★★★☆

パルプフィクションのクエンティン・タランティーノ監督による毛色の変わった戦争映画。
監督の映画マニアっぷり、とくに時代に埋もれていくB級映画も、時代毎に銘記されていくA級映画も、自分の好みで選別する姿勢が如実に表れている。……らしい。
らしい、というのは、マニアックすぎて自分にも元ネタはほとんど分からないのだ。パンフの解説を読んで、引用が分かるくらいで、見た事のある作品どころか、聞いた事もない作品へのオマージュが多い。――と言ってしまうと、映画ファンの方々には呆れられてしまうのかも知れないが……。
ともかく、そういったオマージュ多用の映画にありがちな、妙につながらない感じ、分かるだろと言わんばかりの傲慢さは、これまでのタランティーノ作品同様今作にも全く無い。知らずに見ても一切問題なく、分かる人には少しだけ楽しいよという位置づけ。監督の自己満足といえばそうなのだろうが、楽しんで作っているというその雰囲気は伝わってくる。
映画に対する愛情がとても深い物語なのだ。
愛するシチュエーションを綺麗に取り入れていく、その消化、構築の作業は神業なのではないか。
今作では映画自体が物語の重要要素となっており、全体が映画という文化に対するリスペクト、オマージュに満ちていると言え、タランティーノの映画に対する愛情がもっともストレートに出ている作品だと感じた。

二次対戦末期、ヒトラー暗殺計画に関わる各勢力の暗躍が描かれるが、初っぱなからもう面白くて仕方がない。
タランティーノの作品は、とにかく登場人物のやりとりが魅力的だ。語る言葉、状況、意外な展開。これらが渾然一体となって作り出す空気。小さな出来事がどんどん連鎖し、目を離せなくなる。監督の手のひらの上でもてあそばれているような感触。それが心地よいのだ。
なぜ、こんなにも会話が面白いのか。
語られる小ネタがいちいち気が利いている事がまず目につくが、おそらく本当の魅力は、会話がドラマになっていることだろう。
考えてみれば、会話ほどドラマティックな日常作業はない。
はじまりの言葉。徐々にお互いの状況や認識を探っていく過程。そこに埋め込まれた寓意、罠、操作……。一転二転して落ち着きどころの分からない会話の終端。
ぐいぐい引き込まれる。

さらにこの映画にはすさまじい大技が用意されており、そんな馬鹿な! と思いながらもその展開に爽快感すら感じてしまうのだ。自分がいかに事前知識や先入観を持って映画を見ているのかがよく分かったが、それを避けられるものではなく、また、無理に避ける必要もないのだろう。監督の思惑通りに転がされれば良い。
この驚きは同監督の関わった「フロム・ダスク・ティル・ドーン」の後半展開や、多少毛色は違うが「バトル・ロワイアルⅡ」のトライシーン級のものがある。
一見の価値があるタランティーノらしい映画だろう。