2020年4月17日金曜日

世界侵略: ロサンゼルス決戦

世界侵略:ロサンゼルス決戦 [Blu-ray]

★★★☆☆
 ~ドキュメンタリー調のVSエイリアン戦争映画~
 
 2011年の米映画。エイリアンの侵略とそれを迎え撃つ米軍の戦いをドキュメンタリータッチの臨場感でえがくSFミリタリーアクション。
 

 2011年、世界中の沿岸海域に隕石状の物体が落下。エイリアンとされる武装集団が侵略を開始する。
 海兵隊のナッツ二等軍曹も一部隊を任されてロサンゼルスの市街に展開するが、かつての作戦で部下の多くを戦死させ自分は生還した事実がひろまり、部下からの評判は芳しくない。
 圧倒的不利な状況下、市街に対する大規模な空爆が決定され、残った市民を安全域に避難誘導させる任務にナッツの部隊もかり出される。
 指揮官マルチネスの元作戦を展開するが、エイリアンの戦力は想像を絶するものだった――。

 この映画の説明として言われるのが「エイリアンの出てくる『ブラックホーク・ダウン』」であり、これが非常に的確。
 部隊の一員としてカメラが随伴しているようなノンフィクション調の作りになっており、そこにエイリアンが出てくるのである。この立て付けは非常におもしろく、空想と言うよりシミュレーションといった印象になる。
 物語要素は積み込み過ぎなくらい投入されており、さまざまな人間模様が展開される。戦闘としてもエイリアンとの初接触から戦闘規模の拡大、敵軍の弱点を発見してそこを突く、まできっちり描かれる。これは戦争全体を描くことをせず、カルフォルニアの一部隊に限定して追いかけて行く構成がうまく働いており、ラストもエイリアンを完全に撃退した! ではなくひとまずカルフォルニアで蹂躙一方ではない反抗が達成されたという規模にとどめて、よっしゃ今後もがんばるぞ、となっている。全体を描くためにあらすじを追うようになるのと比べればはるかに良い。

 仲間がばたばたやられるがエイリアンに対する扱いも容赦なく、機械化された兵卒エイリアン(強力な武器を使うために体に機械を融合させられたような姿で、使い捨て感にどこか同情してしまう……)の弱点を知るために生け捕りにして装甲を外し、内蔵に順にナイフを突き立てて心臓を探すというグロさ。戦争の悲惨さを敵軍にも波及させて、「インディペンデンス・デイ」のような地球軍ヤッホーな内容にはなっていない。

 全体にクオリティの整ったグロ目の娯楽作として充分に楽しむことが出来る。
 まとまりすぎて心に強く刺さるとかいう奇抜さは無いかも知れないが、それは非難されることでもなく良く作られた映画だと思う。

 

2020年4月14日火曜日

ドラえもん のび太の魔界大冒険

映画ドラえもん のび太の魔界大冒険【映画ドラえもん30周年記念・期間限定生産商品】 [DVD]

  ★★★★
 ~素直に、美夜子さんが好きだ~
 
 大長編ドラえもんの映画シリーズ第5作目。
 魔界大冒険はのちに新魔界大冒険として再映画化されているが、これは無印の方で監督は22作のドラえもん映画を監督した芝山努。彼にとっては「のび太の海底鬼岩城」に続いて2作目となる。
 

 魔法が使えれば良いのに――。
 のび太の楽したい願望は魔法に向いていた。庭掃除、ホームラン、空を飛ぶ。魔法が出来れば何でも出来るのに。
 出来すぎに魔法という学問が科学に駆逐されたことを説明されてもどうしてもあきらめきれない。
 ドラえもんに「もしもボックス」を出してもらって魔法世界を実現するが、思ったのとは大分違い――。

 自分はF全集(漫画)を揃えて喜んでいる藤子・F・不二雄ファンである。
 藤本先生の漫画を原作とする映画は全て見たが、その中でもこの「のび太の魔界大冒険」は映画として最も優れていると思う。
 原作で最も完成されていると思うのは「のび太の宇宙開拓史」だが、映画の出来はあまり良くない。その点、魔界大冒険は原作に忠実でありながら、真っ直ぐに映像的な魅力が加えられている。結果映画ならではの価値がきちんと生まれている。
 
 魔界大冒険はかなりきわどい、複雑な話である。
 
 タイムマシンを使った時間的な錯綜に加え、もしもボックスによるパラレルワールドも絡んでいる。
 これらをきちんと整理、理解しようとするとかなり根深い考察にはまり込んで行くし、おそらく他のドラえもん作品との矛盾も出てきて正解はない。
 このような複雑な話を、表面的な説明と勢いで分かった気にさせてくれる原作がまずすごいのだが、映像にするのはさらに難しいと思う。説明も「聞く」事になるのでさらに分かりやすさと、はったりが必要なのだ。
 
 いくつかのシーンが焼き付いているが、これらが「はったりのきいている」部分なのだろう。
 
 ◆魔法のほうきのオープニング
  たのまれた庭掃除を、ほうきに魔法をかけて出来ないものかと試すアドバンタイトルから、命を吹き込まれたほうきが動き回るオープニング。
  魔法なんてかかっておらず、コテンと倒れるほうきから本編開始。
  この滑らかな繋ぎの気持ちよさ!

 ◆出来杉の魔法解説
  一本の木が描かれたエッチング画の背景がマーブル模様に迫ってくる画面。
  このインパクトがすごい。
  説明的には「世の中に満ちた人知を越えた力」を表しているが、原作もすごいがこう動かす映画もすごい。
  その後のドクロ画像も合わせておどろおどろしし雰囲気が後の悪魔軍団と繋がっている。

 ◆デマオンとの逃亡劇
  終盤の悪魔軍団からドラえもんたちが魔法のカーペットで必死に逃げるシーン。
  魔法でミサイルのように迫ってくる小惑星たちを魔法やショックガンで撃ち返すシーンも良いが、その背景の流れる星の迫力。
  星が散らばったトンネルを高速で移動するような表現になっており、実際で考えてみればそんな風に見えるバズはないのだが、追走劇に緊迫感を与えている。カーブで逃げて、カーブを追いかけてくる辺り最高。

 ◆「千里千年を見通す予知の目よ!」
  宣伝でも多用されていたので覚えている方も多いと思う。美夜子(ゲストヒロイン)とのびドラが雲の上の月光の下でやり取りするシーン。
  掲げた水晶玉に大魔王を倒す勇者たちを映し出すシーン。
  美夜子は他にもペンダントから小さな剣を取り出し、それを等倍に戻して手に取ったりと小道具がらみのカッコイイシーンが多い!
  
 美夜子はのび太たちより年上の(中学校~高校くらい?)快活なショートカットの女性で、初見から好みだ。
 男勝りな部分があるのだが、それをきちんとした礼節で包んであり、潔く格好良い。
 僕の奥さんみたいだ。とこっそりのろけ。
 
 今作をよくよく考えるとこわい部分を以下にメモしておく。
 
・パラレルワールドの元ののび太はどうなっているのか
  つまりは「もしもボックス」の怖さなのだが、あのベルが鳴り響いた瞬間に新しい世界が作られるのだろうか。
  そうなのだとしたら、のび太が魔法世界に移動した以前の、元々魔法世界にいた者たちが持つのび太の記憶はどのような内容なのだろう。
  いたはずののび太の行動は、誰が生み出したのか。また、のび太が元の世界に帰った後、魔法世界にのび太はいなくなるのだろうか。その記憶を引き継ぐのび太が発生するのだろうか。
  これについてはもしもボックスは数あるパラレルワールドから望みに合致するものを探しだし、そこにいる別世界の同一人物(すごい表現)の魂(人格)をすげ替えるものだという検討がある。これはなかなか条件に合致するが、では突き出された元の魂はどこに行き、どういう形で帰ってくるのかという疑問が続く。記憶喪失のような形がもっともうまく行くかもしれない。

・悪魔とは言え一つの惑星を丸ごと破壊している
  悪魔も、人魚も、鯨も、その他すべての魔界の生物をすべて殺しているという事実。
  おそらく意図的にだが描かれていなかった悪魔の町にくらす女性悪魔や子供悪魔、そこに暮らす悪魔家族の幸せをも消滅させた。
  これは地球を生み出す道具「地球セット」の回(恐竜時代まで育てた地球を火の玉にして破壊)にも言える事だが、数兆に及ぶ命を根こそぎ刈り取っている。
  
・タイムマシンを使えば異なる世界の人間の大移動が可能なのか
  作中魔法世界に転移したのび太はタイムマシンでもしもボックスを使う前の世界に帰ってくる。
  つまりタイムマシンでパラレルワールド間の移動が可能なのだ。
  とすると、ドラえもんがタイムマシンで移動している過去や未来も、じつはどこかでずれたパラレルワールドで、そこにいきなりもう一人ののび太やドラえもんがいてもおかしくないという事になる。
  
  やはり、すごくややこしい話だ――。




 

大人の見る繪本 生れてはみたけれど

あの頃映画 松竹DVDコレクション 「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」

  ★★★★
 ~相似形のからみ行く先~

 1932年の邦画。小津安二郎監督による白黒の無声映画。
 英語の題名が「I Was Born, But...」だけなので「大人の見る繪本」は副題と言って良いだろう。
 

 サラリーマンである健之助は出世のために会社の重役である岩崎の自宅近くに引っ越してきた。
 健之助の二人の息子は早速地元のガキ大将に目をつけられるが、次男の多少汚い方法によりこれを撃退。長男は大将の位置に落ち着いていささか横柄な態度で毎日をそれなりに楽しく過ごしていた。
 健之助は家では厳格な父親であるものの、会社では岩崎の磯巾着として同僚にも侮られていた。
 父のそんな姿を息子達は目撃してしまい――。

 小津映画の特長とされる各要素、「低いカメラアングル」「イマジナリーラインから外れたレイアウト」「動かさないフィックスカメラ」はすでに見て取れる。同じ志を持つ者は同じ方向を見る、といった独特の構成も印象的に使用されておりサイレントの一つの完成型といって良いかもしれない。

 家庭内の最高権力者が会社の階層構造の中では下位に甘んじ、一見自由に見える子供達も親の社会的地位という鎖につながれている。この相似形。社会の中で生きる人間という者の宿命。最初はコメディのようなのんきさで始まった物語は、最終的には人の営みの深いところまで視線を届かせることになる。
 もし大人だけの物語だったら、この題名はあまりに重いだろう。それが子供に同じテーマを輪唱させて絡めていくことで、どこかしら背伸びしたユーモアが全体をやさしく包んでくれる。
 
 特筆すべきは次男の演技。演技を超えた演技で生き生きとした表情を見せて物語の花となっている。
 小津監督はどのようにしてこの自然な演技を幼い子供から引き出したのだろう。
 その表情は色も音も時代も超えて、今も魅力的なままフィルムに焼き付けられている。

2020年4月10日金曜日

怪奇ゾーン グラビティフォールズ


 ★2020年4月時点では日本語吹き替えされたDVDは発売されていないため、ディズニーチャンネルなどで見るしかありません。リンクは北米のBlu-rayで英語です。
  アマゾンでも見られますが、1話ごとでかなり高価な印象……。

 ★★★★★
 ~ワクワクと切なさのオンパレード~

 2012年から2016年にかけて制作、放送された米アニメ。テレビシリーズとして全41話となっている。
 日本では「ディズニーチャンネル」などの有料チャンネルを中心に放送された。
 
 双子の姉弟であるディッパーとメイベルは12才の夏休みを大叔父スタンの元で過ごすこととなった。
 都会暮らしの二人にとってスタンの住む町グラビティフォールズは片田舎であり、最初は気乗りしなかったが、持ち前の前向きさと好奇心で町の人々と絆を結んで行く。
 グラビティフォールズは数多くの奇妙な現象、伝承を抱えており、二人はその謎と対峙。
 やがてその現象は世界さえ巻き込む規模となっていく――。

 帰省時に実家のケーブルテレビで視聴し、続きが見たくて帰宅後ディズニーチャンネルに入ったほどおもしろい。

 一夏を田舎(彼らにとっての異世界)で過ごし、得がたい経験を経てどこか大人になる物語であり、大人が見るとどこかノスタルジックな雰囲気を感じる事ができる。子供にしか出来ないバカをやったこととか、友達と交わしたちょっとした言葉、だらしないけれど大人であろうとする年上の人々。あこがれの女性……。細かなキラキラした物が物語のそこかしこにちりばめられてある。
 子供が見てもおもしろいようで4才の息子が非常に気に入って一緒に見ていた。
 オバケ、人魚、未来人、怪物――。およそSFにあり得るさまざまな要素がこれでもかと詰め込まれており、確かに子供の好きな物ばかりだ。おどろおどろしい表現は怖がって見ない息子だが、これは絵柄がカートゥーン。パワーパフガールズみたいな表現なのでこわ過ぎないのが良いのだろう。
 上に「子供にしか出来ないバカなこと」と書いたが、実際に子供である彼にとっては今やりたいことをどんどんやって見せてくれる主人公が楽しいのだろう。難しい回しや隠喩を理解できなくとも充分に楽しむことが出来るのだ。
 
 この作品を見るまでは海外のアニメシリーズに触れる機会がほとんどなく、ポパイやトムジェリのクラシックなものや忍者タートルズくらいしか見たことがなかった。イメージとしては手間(動画枚数)はかかっているが、大袈裟にドタバタするわびさびのない子供向けというもので、どこか格下に見ていた。パワーパフガールズは抽象化されたデザインとかわいらしさが大好きだが、スタイリッシュアンパンマンくらいの認識。
 
 そんなこと全然なかった。
 
 今作をきっかけにディズニーチャンネルで放送されている作品を色々見てみたが、ミッキーマウスを初めとするいわゆるディズニーアニメ、映画以外にも多くの作品があり、子供が見てもおもしろい大人向け作品が数多く存在していた。
 「フィニアスとファーブ」「スターバタフライ」など気に入った作品も多々。
 
 いくつかの作品で共通して言える(僕の気に入った作品の)特徴は以下のような感じ。
 海外ドラマでも踏襲されている特徴なのかもしれない。
 
 ・始め可笑しくてやがてシリアス
  シリーズの初めの方はギャグ要素が強く、ドタバタ喜劇の感が強い。
  気軽に見る事のできる敷居の低さ。
  終盤からはそれまで出てきた複線を回収しながらどんどんシリアスになっていき、目が離せなくなる。

 ・一話で綺麗にまとまる脚本の巧みさ
  一つのエピソードが基本的にその中で綺麗に収まる作り。
  膨らみすぎたような話でも急転直下の落ちに持ち込んだり、非常にうまい。
  もちろんまとまりきれない回もあるが許容範囲内。
  シリーズ全体としては進展があったり無かったりだが、複線となるようなパーツは確実に何かしら放り込んである。
 
 ・歌が良い!
  ディズニーならではなのかもしれないが、鼻歌だったりミュージカルだったりさまざまな形で歌が差し込まれてくる。
  当然日本語歌詞になっているのだが、歌詞も歌唱も非常にレベルが高い。
  声優がそのまま歌うのが基本なのだが、みんなうまい。ディズニーお抱えの声優陣は歌えることが大前提になっていると思う。
  例えば他の海外アニメ「スポンジボブ」も同じように歌が差し込まれることが多いが、決してうまいとは言えない、というかおそらく下手。

 正直言って、判で押したような内容ばかりの日本アニメに危機感を感じる。
 最近Netflixがきちんとした対価を払って日本のアニメスタジオに自社向けアニメーションを制作しており、変わっていこうとする流れを感じる。これらは高いクオリティで安定しているが、突出した勢いのない情念を感じられない作品が多い。
 旧来の低い予算のテレビアニメは人員が足りないせいだろうが良くも悪くも制作陣の個性が突出する場合があり、クオリティは安定しないが非常に出来の良い回などが散見される。
 二つの真ん中ぐらいで作品を生み出していかなければ、日本のアニメは他国に駆逐されてしまうかもしれない。

 作品以外の話ばかりになってしまったが「グラビティフォールズ」は万人にお勧めできる傑作である。
 全41話とワンクール物になれた身には長いと感じられるかもしれないが、各話マンネリとは無縁の個性的なエピソードとなっており、下手な作品を三つ(13×3⇒39)見るなら本作を見た方が絶対良い。

2020年4月9日木曜日

ドロヘドロ

ドロヘドロ Blu-ray BOX 上巻 初回生産限定版

 ★★
 ~手書きとCGのハイブリッド~
 
 林田球の漫画を原作としたアニメーションシリーズ。一期13話。
 原作は完結しているが、例によってアニメはそのどこまで描かれたのかすら分からない中途半端なところで終了。人気漫画の素材としての乱伐のようなこの状況は今ではもう当たり前だが、自分にはどうにも気持ちが悪い。
 終わりを感じさせないのがIPへの希求を高めるのかもしれないが、終わらない物語は欠陥品だろうと思う。
 

 魔法使いとそれ以外の人間が魔法の扉によって隔絶された不思議な世界。
 人間の世界(ホール)は魔法使いの実験台にされた異形の人間たちによって混沌の極にあるが、そこに住む人たちはどこか陽気で楽しげである。
 記憶を無くして病院で目を覚ましたカイマンは魔法使いによって頭をトカゲに変えられていた。
 犯人を見つけて復讐するため、ホールで知り合った中華料理店の武闘派店主ニカイドウとともに魔法使い狩りを開始する――。

 林田球の漫画は一種独特の雰囲気を帯びている。
 残酷で悲惨で生死をおもちゃのように扱いながら、暗い雰囲気にはならない不思議なコメディ感を継続しているのだ。
 不謹慎だが飄々としたキャラクターには愛着が湧き、特有の世界観と合わせて魅力が増大されていく。
 
 こういった雰囲気をこのアニメは上手に表している。
 特筆すべきなのが、手書きとCGの良い塩梅の融合
 原作のタッチを表現するために網掛けやペンの走りをそのままテクスチャにしてキャラモデルに貼り付けている。
 結果ぱっと見ではCGだと分からない手書き感が出ており、CGアニメ特有の気持ち悪さが非常に薄い。
 さらに作画とCGを場面毎に切り替えて使用しているようで、互いの良いとこ取りに成功。高い画面クオリティを最初から最後まできっちりと保っているのが素晴らしい。
 
 演出についても称賛したい。
 CGを多用した作品の多くが意味の無いカメラ挙動病にかかる。必然性のなダイナミックな動きを入れなければならないという強迫観念でもあるのか、ただの会話シーンでグルグル動かす事も良くある。カメラで撮るべきもの、その動きを積み重ねて物語を伝えていくことを忘れて、その場その場の短絡的な表現をしてしまっているのだ。
 これは演出する側が特に厳に慎まねばならない、「がんばってしまう失敗」であるが、今作では要所のみCGならではの激しいカメラ挙動を用いて、それ以外はオーソドックスに抑えている。全体としてメリハリのきいた印象となり、この観点でもCGらしさが薄まっている。
 
 手書きとCGをうまく融合させるという方向性について、今作は非常に高い到達点を示してくれている。
 制作会社である株式会社MAPPAは「この世界の片隅に」なども制作しており、クオリティの高い作品を多く輩出している。
 
 ただ、――主人公カイマンの声が自分が思っていたよりも甲高く神経質だった違和感は最後まで消えなかったし(←勝手な意見)、出来が良いとは言え非常な尻切れトンボだし、かなりグロだし、手放しで多くの人に進められる作品ではない。
 放送枠のCMが、「カイマンのカバン」「キャラクターモチーフの時計」など関連グッズばかりなのも不思議だった。どこで回収する目論見の作品なのだろう……。


 
 

2020年4月8日水曜日

ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうかⅡ


 ★★★☆☆
 ~第二話必見~

 
 2019年のワンクールテレビアニメ。2015年の第一期アニメの続編となる。
 

 英雄譚に憧れ、神と人とがファミリアを結成してダンジョンに挑む町オラリオに上京した若者ベル。
 炉の女神ヘスティアに見込まれてファミリアの一員となり、ダンジョンに潜って腕前を上げようと懸命である。
 さまざまな冒険者。さまざまな神々。
 多くの人や神と出会い、助けを得ながら、ベルは成長を続けていく――。

 上のあらすじは一期でも二期でも通じるもので、4年経ってほぼ忘れている状態から二期を見ても特に問題は無かった。
 物語に進展が無いとも言えるが、ベルはきっちりと成長しており、パターン化もしていない。
 仲間との絆を深めながら前に進む成長物語として筋が通っているから、あらすじとしては変わりないのだ。
 主人公ががんばり屋さんで、皆それを応援している、くらいの理解があれば大丈夫。
 あれ? 名作劇場的な設定なのかな?
 
 第二期は大きく三つのエピソードから構成されており、演出や作画物語のつじつまといった点から一つ目が最もおもしろい。
 特に第二話は最終話のようなテンションとクオリティで物語が進み、目を離せない。
 残念な事にここをピークに二期はどんどんテンションが落ちていき、終わり頃は閉口せざるを得ない内容。
 三期が決まっているようなので続きが楽しみ。
 
 このシリーズが異世界転生無双勇者作品と区別されるのは、転生していないというのはもちろん、きちんと弱くて苦労していると言うこと。神から授かった無敵の力はなく、努力して強くなっていく様が(特に一期で)描かれている。ぼろぼろにやられて特訓して乗り越えるというあるべき手順を踏んでいるため、素直に主人公を応援することが出来るし、つまり彼の周囲のキャラクターの心情にも共感できるというわけ。
 
 文章を絵に落とす際のスケールダウン(うそくささ)が多々見られるのも残念だが、全体としては充分に楽しむことが出来る作品。