★★★★☆
~相似形のからみ行く先~
1932年の邦画。小津安二郎監督による白黒の無声映画。
英語の題名が「I Was Born, But...」だけなので「大人の見る繪本」は副題と言って良いだろう。
サラリーマンである健之助は出世のために会社の重役である岩崎の自宅近くに引っ越してきた。
健之助の二人の息子は早速地元のガキ大将に目をつけられるが、次男の多少汚い方法によりこれを撃退。長男は大将の位置に落ち着いていささか横柄な態度で毎日をそれなりに楽しく過ごしていた。
健之助は家では厳格な父親であるものの、会社では岩崎の磯巾着として同僚にも侮られていた。
父のそんな姿を息子達は目撃してしまい――。
小津映画の特長とされる各要素、「低いカメラアングル」「イマジナリーラインから外れたレイアウト」「動かさないフィックスカメラ」はすでに見て取れる。同じ志を持つ者は同じ方向を見る、といった独特の構成も印象的に使用されておりサイレントの一つの完成型といって良いかもしれない。
家庭内の最高権力者が会社の階層構造の中では下位に甘んじ、一見自由に見える子供達も親の社会的地位という鎖につながれている。この相似形。社会の中で生きる人間という者の宿命。最初はコメディのようなのんきさで始まった物語は、最終的には人の営みの深いところまで視線を届かせることになる。
もし大人だけの物語だったら、この題名はあまりに重いだろう。それが子供に同じテーマを輪唱させて絡めていくことで、どこかしら背伸びしたユーモアが全体をやさしく包んでくれる。
特筆すべきは次男の演技。演技を超えた演技で生き生きとした表情を見せて物語の花となっている。
小津監督はどのようにしてこの自然な演技を幼い子供から引き出したのだろう。
その表情は色も音も時代も超えて、今も魅力的なままフィルムに焼き付けられている。
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