2020年11月30日月曜日

フッテージ

フッテージ スペシャル・プライス [Blu-ray]
☆☆☆☆
~恐怖の8ミリ映像~


 2012年の米映画でイーサン・ホーク主演の引っ越しホラー。ホラーって引っ越し契機のものが多いよね。
 

 未解決事件を再調査して真実を見つけ出す、というコンセプトで10年前に大ヒット作を書いたエリソン(イーサン・ホーク)だったが、その後二作は鳴かず飛ばず。妻と二人の子供をつれてペンシルヴァニアのとある家に引っ越してくる。そこは四人の家族が惨殺され、幼い娘一人が失踪という事件の発生した家であり、エリソンはこの事件の真相書籍化による起死回生を狙っていた。
 引っ越し作業中に屋根裏で謎の映写機と数本の8ミリフィルムを見つける。そこに映っていたのはこの家で行われた殺人の様子であり、他のフォルムにも同様の殺人風景が記録されていた。その隅に映り込む奇怪な仮面(?)の人影……。エリソンはその資料を警察に届けず、ベストセラー作家返り咲きを夢見て調査を開始する――。


 こういったオカルト事件を題材にした映画は現実か超自然かに大きく別れると思うが、あまり早期にどちらなのかが分かってしまうと興醒めの部分があると思う。本作は割りとバランスを取ったまま進行し興味を継続させるが、どちらなのか決まった段階でそれまでの現象にきちんと説明が付かない状態になっているので、なんだかフェアでなく、後半はただのビックリ屋敷、オバケ屋敷映画になっていく。驚かせ方は映像の加速減速巻き戻しを組み入れた編集による盛り上げのあと、血みどろ残虐の開陳といった手順。精神的というより反射的恐怖。

 自分は本作が現実にしても超自然にしても、作家ならではの切り口から謎解きが展開されるものと期待していたが、エリソンは基本的に驚き役で、事件を解きほぐすためにほとんど働いていない。まわりから来る変化に対しておっかなびっくりしているだけなので、そりゃ本売れんわ――とへっぽこ作家のイメージばかりが強くなる。

 110分とそこそこの長さの映画だが回りくどい描写による水増しが多い。といってもホラー映画の「タメ」は恐怖の階段であり、ジェットコーストーの長い巻き上げ時間と同義である。無くてはダメなのは分かるが、それにしてももう少しテンポ良くまとめる事ができたように思う。

 8ミリ映像は画面の揺れや劣化が違和感として残り、家族動画が映ってもどこか異様な雰囲気になる。ホラーにはぴったりなメディアだが、フィルム自体見た事の無い人の方が多くなっていくだろうから、小道具として使われる機会は減っていくのだろうか。あ、映画館の特典で生フィルム(デジタル上映で何が生なのかとは思うが)は最近も存在しているので、そっち方面から知名度は残っていくのかな。



2020年11月27日金曜日

インビジブル・スクワッド 悪の部隊と光の戦士

インビジブル・スクワッド 悪の部隊と光の戦士 [DVD]
★★★☆☆
~等身大の冒険活劇~


 2014年のイタリア映画。日本での劇場未公開のビデオスルー作品の模様。日本でのビデオ発売は2016年。最近イタリア映画を見る機会が多かったので、大仰に名前を叫ぶシーンになるとイタリアだ! と強く感じた。ラピュタのドーラのような押しの強いおばちゃんがイタリア映画には欠かせない。
 
 題名はむりやりスクワッド(仲のよい仲間、部隊)と入っているが、割と孤独な戦士である。DCの映画「スーサイド・スクワッド」も2016年なのでそちらとの相乗効果、また何となくアベンジャーズっぽい雰囲気も持たせたかったのだろう。副題「悪の部隊と光の戦士」が「戦士達」で無いことからもヒーローチーム映画とは異なるのだと分かる。

 原題は「Il ragazzo invisibile」。見えない少年、となる。そんなにヒーローヒーローした作品ではないのだ。

―――――――――――――――――――
内向的な少年ミケーレは学校でいじめられてばかりいた。ある時、トイレに閉じ込められたミケーレは怒りを爆発させてしまう。すると、体が透明になり、服を着ていなければ誰にも見えない透明人間になっていた!<KINENOTEより
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 思春期のいじめられっ子が突然透明人間化するというこれまでも見たことがあるような導入だが、ひと味違うのがカラッとした人間関係。ミケーレは衝動そのままにいじめっ子に復讐し、女子生徒の更衣室に忍び込む。後者はすぐにバレて(当然だが)クラスの女子から変態扱いされるも、割とすぐに許される(というか、元々無視されがちだったので扱いはあまり変わらない)。ミケーレも悪かったと反省して以降はそちらの方面に力を使うことはない。透明人間になれたら……という基本的な内容はこのように前半でてきぱき片付けてしまって、あとはなぜその能力があるのか、能力者を見つけようとミケーレを探す勢力とは――というヒーロー映画展開。変にエロ衝動に拘泥しないのもすっきりしていて良い。

 透明人間の表現にもひねりが効いている。透明人間は服は透明にならないので真っ裸で徘徊するという状況になるのだが、これをそのまま表現するシーンが多い。つまり普通に生活する人に紛れて全裸で居るのである。この絵面はあまりに変態的でシュールでどうひいき目に見ても格好良いヒーローとはならないのだが、前半にのみ出てくる表現なので差し支えない。かえって自分の欲望を果たそうとする姿を滑稽に馬鹿っぽく描いているのでバランスがとれている。

 題名とパッケージのせいで大作アクションヒーロー映画のような前提で観てしまうと大がかりなアクションシーンはさほど無く肩すかしをくってしまうが、思春期少年のがんばりを見守る映画とすれば様々な要素が綺麗にまとまっている優秀な作品と言える。最後には大きな引きが用意され、これはぜひ続編も見たいものであるが、例によって海外では公開済みだが日本では公開もビデオ発売もまだ予定にはないようである。(2020/11/27現在)

 

 

2020年11月25日水曜日

VR ミッション:25

VR ミッション:25 [Blu-ray]
★★☆☆☆
~感動的に死ぬ事も出来ない地獄~


 一定金額を払えば、配達料優遇や電子書籍閲覧、オンデマンド映画鑑賞まで様々なサービスを受ける事が出来る「Amazon prime」。自分は基本的にAmazonを使わないように生活しているが、訳あってこのサービスにお試しで入る事になった。

 primeビデオには無料で見られる映画とレンタル料金が必要な映画があるが、無料映画のリストを覗いてみると見知った作品の中に聞いた事も無いような映画がたくさん。日本で公開されていないもの、されても箔を付けるために短期間単館ロードショーされたものなどマイナーな作品てんこ盛り。なるほど無料枠はこのような形で強化されていたのかと思いつつ、おもしろそうなものも沢山ある。その中から見てみた一作がこれ。
 イギリスの制作会社による2016年の作品。

 とあるFPS(ファーストパーソンシューティング)ゲームの上位ランカー達に謎の招待メールが届く。とあるビルの25階を訪れ、ゲームをクリアすると大金が手に入る、という内容。
 集まった8人に機会音声が指示を与え、最先端のフィードバック装置を備えたウェアとヘルメットを装備。ヘルメットのバイザーを下ろすとCGで構築された戦場が現れる。最先端の技術による没入感に色めき立つ参加者達だったが、それは逃れる事の出来ないデスゲームの始まりだった――。

 原題は「The Call Up」(呼び出し)。あまりピンと来ない題名に感じる。「VR ミッション:25」の方が映画の売りを的確に表しているので、邦題の方が良いという希な例ではないだろうか。VRはバーチャルリアリティの略で、仮想現実と訳されるのが一般的。多方面で使われているが、最も触れる機会が多いのはゲームだろう。PlayStationブランドでもヘッドマウントディスプレイ(メガネのように装着する立体視可能なディスプレイ)が発売されており、数万円で環境を整える事が出来る。

 この作品のVR技術の持ち込み方はなかなか理にかなっている。VR技術の壁の一つが、「移動」である。本人が移動して映像の中で風景が動いても、現実には部屋の中だから壁にぶつかってしまう。本作ではビル全体をその形状のまま戦場とし、ゴーグルをかぶると表面的な見た目だけが新築ビルからテロ攻撃にさらされた崩落間近の室内となるのだ。壁や扉など基本的な位置は現実と仮想が一緒になるので、自由に移動しながら楽しめるというわけ。
 映画での表現はその精度に於いて充分にオーバーテクノロジーだが、技術の進歩により現実的になっていくだろう。
 
 登場人物達はゲーム攻略の途中途中でバイザーを挙げ、これがVRなのだと確認する。VRなのか現実なのか分からない、というサイコサスペンスの方向に進む事はなく、「VRなのは分かっているのに抜け出せない戦場」で命がけの戦いを強いられるのである。作品中何度もVRなのだと確認作業が行われ、仮想現実に没入させない。これがなかなか新しい。
 江戸時代に炊きたてのおひつに手を突っ込まされる拷問があったというが、このVR戦場も悲壮感とバカバカしさが一体になった、感動的に死ぬ事も出来ない地獄なのだ。何せ全身タイツのヘルメット姿でビルを徘徊して死んでいくのである。敵も居ないのにビクビク一人で痙攣して……。
 
 この状況設定を自分は楽しむ事が出来たが、そうで無いなら酷評される点が多い作品だ。
 まず、誰がどういう目的でメンバーを集めてこのゲームを始めたのかという謎。徹頭徹尾物語を引っ張るのはこれなのだが、引っ張った分だけのリターンとなる結末かというと――ほとんど全ての人がNOと断じるだろう。肩すかしという事だ。
 次に戦闘描写が結構適当だ。25階、つまり25ステージに渡る戦場を突破するのだが、その苦労がほとんど描かれない。適当に隠れて適当に撃って撃たれてという感じで、せっかくの「ゲームのプロフェッショナル達」という設定がまるで生きていない。この点はゲームと現実(限りなく現実に近い)の戦闘は違うんだよという事かもしれないが、そりゃマウス操作と実際に体を動かすことに熟練の関係性があるはずもなく、そもそも主催者のチョイスがおかしいということになる。

 体を動かしての戦闘には素人同然だったプレイヤー達が、終盤ではそれなりに連携を取っているなど重ねた戦闘を感じさせる部分もあるが、もう少し戦闘部分を楽しめる要素が入っていればオチはともかくもっとバランスが良くなったと思う。

 

ネイビーシールズ ナチスの金塊を奪還せよ!

ネイビーシールズ ナチスの金塊を奪還せよ!  Blu-ray
★★☆☆☆
~ちょっとリアルなAチーム~
 
 2017年の仏映画。少しリアル寄りの「特攻野郎Aチーム」。ミリタリー映画ではなくアクション映画。
 脚本・制作にリュック・ベッソンが参加しており、気立ての良い、あまり深刻な感じがしない気楽な雰囲気が魅力。

1995年、マット率いる5人のネイビー・シールズ部隊は、紛争末期のサラエヴォで作戦を展開していた。
そんなある日、メンバーの1人が、恋に落ちた現地のウェイトレスから、湖に眠るナチスの金塊の話を聞く。
その金塊は重さ27トン、総額は3億ドルに及ぶ膨大なもので、彼はウェイトレスからその金塊があれば、戦争に苦しむ避難民を救うことができるので、是非引き揚げてほしいと懇願される。
こうして5人は引き揚げ作戦を計画するが、その湖は敵の陣地内にあるため、実行には困難が予想された。
それでも5人は水深45メートルの湖から、8時間という限られた時間で金塊を運び出す作戦を実行に移す。 <WIKIPEDIAより>
 1番の見所を水中でのやり取りに当てており、水中で炸裂する爆弾や、仄暗い青い世界での射撃戦などが目新しい。水中に空気だまりを作ってそこで休憩、相談などを行うのが楽しい。お風呂と洗面器でやった遊びを大人規模でやってみたという感じ。
 
 物語としてはファンタジーに近く、特に気になるのは軍規の緩みっぷり。しかし自分も実際を知るわけではなく、こういう緩さ、本当にあるのかなあ。Aチームよりもおふざけ色が薄いので相対的にその辺りが気になってしまうくらい。真面目に追求する人もいないだろう。
 
 起承転結もきちんと付いており、非難される映画ではないが、特に称賛もされない映画

2020年11月12日木曜日

クリフハンガー

クリフハンガー [DVD]

★★★☆☆
~破格の導入~


 1993年。意外にも日米仏の合作。制作資金を出せば合作となるのかな。
 シルベスター・スタローン主演の高山脳筋アクション。
 

 ロッキー山脈の山岳救助隊で働くゲイブは仲間とともに充実した毎日を送っていた。
 一方財務省の輸送飛行機をハイジャックして高額紙幣の強奪を狙うグループが犯行を開始。機上で首尾良く計画を進め、味方の飛行機で脱出しようというところでFBIの内偵がこれを阻止。三つのトランクケースはロッキー山脈の冠雪に埋もれる事となった。
 犯人達はその回収のため遭難者を装って救助隊を呼び寄せる。そうとは知らぬゲイブ達は急ぎ現場に駆けつけようとするが――。


 導入が素晴らしい。
 急峻な岩山の天辺でケガを負った要救助者の元に颯爽と現れ、テキパキと救助活動を展開するゲイブの姿はまずこの映画の舞台を見せつけてくれる。垂直どころかオーバーハングの壁面を這い上がり、高度1200メートルの崖をつなぐワイヤーを移動する。高所恐怖症ではないはずの自分でも腰がむずむずとしてくる。さらにそこから腕一本で人をぶら下げるシーンなど手のひらで顔をかくして指の隙間から見てしまう緊迫感。
 ハイジャックの映像もすごい。現金輸送の飛行機を別の飛行機で近接飛行。二機をワイヤーでつないでトランクや人員を移送するシーンなど他では見られないスリリングな映像で、その後の不時着シーン含めて冒頭からたたみかけてくる。
 
 これはすごいと胸が躍るが以降の展開はこの序盤を超えることなく尻すぼみになっていく印象。
 ゲイブが装備を剥がされてシャツ一枚で雪山に登っていく姿は、スタローンの顔芸含めるとコメディーに偏ってしまう。大胆な計画で度肝を抜いてくれた敵も、どんどん鍍金が剥がれてただの愚連隊に堕していく。終盤になるほどどちらも知性を失ったような状態でぶつかり合っていくのだ。面白いといえば面白い。

 ともかく序盤だけでも実写映像の威力を強烈に感じる事ができ、視聴の価値は十分にある。映画全体の元は取れるのでお勧めしたい。
 
 ところで――。(今作とは直接関係の無い話です)
 1993年当時、CGはまだまだ発展途上でクロマキー合成や特殊撮影(特撮)、そしてカット割りで様々なイメージを作り上げるしかなかった。描きたいイメージに対してあらゆる角度、職種からアイデアを出し、実現可能な方法を組み合わして映像化していく。合成のなじみを良くするのは困難だったし、特撮の痕跡を消すのも大変だった。しかし上手くつくられた新規なイメージはもうそれだけで観客の感動を誘ったものだ。それはまさに新しい「魔術」「魔法」を生み出す行為だった。もちろん種があるのだから「手品」である。
 現在はそういう意味では非常におもしろみのない時代だ。どんなにがんばって豊かな映像をつくり出しても、見る者はただ一つの種で理解してしまう。CGでしょ、で終わりなのだ。
 実写の方が、CGの方が、という優劣の話しではない。それぞれに利点と欠点があり、欠点を補うように両者が組み合っていくのが良いのだろうと思う。

 ただ、世の中の全ての手品の種が明らかになってしまったような、ストリップ劇場を明るく照らしてしまうような、ひどいネタばらしを食らってしまったな、という喪失感を感じる。


2020年11月11日水曜日

アサルト13

アサルト13 要塞警察 [DVD]
★★☆☆☆
~無理せずにこぢんまり~


 2005年(日本公開は2006年)。米仏合作の立てこもりガンアクション。
 合作だが舞台はアメリカのデトロイトのみでフランス要素は感じない。
 1976年の映画「ジョン・カーペンターの要塞警察」のリメイク。ジョン・カーペンター監督は予算にかかわらず独自の視点を盛り込んだエンターテイメントをかっちり作り上げる監督で、リメイクにどの程度オリジナルの要素が残っているのかは分からないが、なるほど状況設定が面白い。

 デトロイトにある最も古い警察署「13分署」。そこで内勤として働いているジェイク・ローニックは、過去の潜入捜査官時代に、自らのミスで仲間2人の命が奪われてしまったことを、現在も深く悔いていた。その年の大晦日、彼は数名の同僚達と署で年を越すことになるが、そこへ大雪のために緊急避難してきた護送車が到着する。護送された犯罪者の中には、暗黒街の大物マリオン・ビショップの姿もあった。こうして多くの凶悪犯達と一夜を過ごすことになったジェイクだったが、突然何者かが警察署に侵入してくる。それを食い止めるジェイクだったが、警察署はすでに武装した集団に取り囲まれてしまっていた。 <Wikipediaより


 13分署に立てこもり、と状況を設定してしまうことで描く要素を絞り込めているため、散らかりすぎることなく最後まで楽しむことができた。人間関係の組み立てを序盤からしっかり行って、警官と犯罪者が反目しながら協力していくなど、そう来たか! という展開が小気味よい。それぞれの頭目とそれに(ひとまず)従う者たち。問題児揃いなので一筋縄でいくはずもなく、敵の対応とともに内部の不和にも気を配る必要がある状況。わくわくする。

 そういった人物達をどう絡めてどう統合して状況突破していくのかと期待すると、これも意外な方向に転がっていく。せっかく立ててきた人物達を容赦なくどんどこ退場させていくのだ。確かに個別の事情に踏み込んだメロドラマになっても退屈しそうだが、そのシビアさに驚く。物語としては先が読めないことになり興味を失うことがないが、同時に登場人物の非人情さ(誰が死んでもそれほど気にしない)に全員がサイコパス臭を放つようになる。当然主人公も同様で、後半になるほど感情移入は難しくなっていく。
 物語もまずまず綺麗に収まるが、置き去りにした命達を思うとそれで良いの? と違和感は残る。主人公の過去のトラウマ、仲間の死に対する罪悪感克服が一つのテーマだったと思うのだが、誰が死んでも気にしない、というすんごい方向でそれを乗り越えてしまうのだ。

 エンターテインメントとしては無理に規模を大きくせず、こぢんまりだがまとまりの良い作品。敵親玉の勿体ぶった物言いなどお約束を押さえつつ、緩急のある状況変化で興味を引き続け最後まで楽しむことができる。



2020年11月5日木曜日

バトルランナー


★★★☆☆
~深くも浅くも楽しめる~


 1987年の米映画。出演すれば(基本)ヒット時代のアーノルド・シュワルツェネッガー主演。殺戮テレビ番組脱出バトル。

 2017年アメリカ。経済的没落により貧困層が増大したアメリカではそのガス抜きとしてテレビ番組がどんどん過激化。人気タレント、デーモンが司会をする一番の超人気番組「ランニングマン」は本物の犯罪者を重武装のヒーローが追い詰めて処刑するという内容。
 一方、警察官のベンは市民を虐殺しろとの命令に反したため捕まり、あろう事かフェイクムービーによって虐殺の犯人として刑務所に収監。世間からも悪逆非道の犯罪者として認識されていた。仲間と共謀して脱獄に成功するが国外脱出に失敗して再び捕らえられる。その話題性に目をつけたデーモンが無理を通してベンをランニングマンに招聘。仲間とともに殺人ヒーロー達の待つステージへと送り込まれる。デスゲームを生き抜き、己の無実を証明できるのか――。

 
 今見ると特撮の粗が目につくし、すでに過去となった(現在2020年なり)未来描写はかなりずれている。カセットテープがまだまだ現役など懐かしい未来であるが、肝の部分である『番組とそれを見る視聴者』の関係は今も昔も変わりがない。つくる側は受けるように、番組運営に都合の良いように虚実を好き勝手に編集し、見る視聴者は面白ければ良いとしてそれ以上深く考えることはない。テレビの存在感が薄れた現在でもインターネットを飛び交う動画や画像として構図は変わらない。むしろつくる側と視聴者が入り交じり区分け出来なくなった現状の方が重傷である。まさに時代を超える作品だ。

 一時期はTVで良くかかっていたので何度も見たことがあり、いくつかのシーンが強烈に焼き付いている。
 戦場に送り込まれるシューターの慌ただしい映像。
 ホッケーの防具に身を包んだサブゼロ。チェーンソーを振り回すバズソー(こいつが1番記憶にのこってる)。オペラを歌ってキラキラしたダイナモ。
 映像の記憶が残るということは、基本的にその作品に価値があるということだと思う。

 改めて見てみると卑怯な戦いを嫌って役を降りる「キャプテン・フリーダム」など、当時はスルーしていた含蓄あるキャラクターにも気がつく。各所の風刺的要素など、バーホーベン監督(ロボコップ/スターシップ・トゥルーパーズ)の作品っぽい印象だが今作の監督はポール・マイケル・グレイザー(アフリカン・ダンク)。

 リチャード・バックマン(スティーブン・キングの別名義)の原作は人間狩りのテレビ番組「ランニングマン」を舞台とした逃亡劇であることは同じだが、街全体が逃亡の舞台となっており、ベンの素性や結末も異なる。原作をよりエンターテインメントに仕立て上げたのが映画版であり、実にテレビ番組的な誇張と脚色である。……とすると、この映画作品自体が「映像による都合の良い現実歪曲」と「それを疑うこともなく賞賛して人生を浪費する視聴者」という原作のテーマを相似拡大したものになるとも言える。興味深い。




2020年11月4日水曜日

太陽がいっぱい

太陽がいっぱい 最新デジタル・リマスター版 (Blu-ray) 

★★★★
~応援したくなる犯罪者~


 1960年。ルネ・クレマン監督によるイタリア・フランスを舞台とクライムサスペンス。
 クレマン監督は他にも戦後の幼い子供達の悲劇を描いた「禁じられた遊び」で有名であり、戦争のしわ寄せを受ける幼い子供達の悲劇をリアルに活写。ひるがえって今作は二枚目の代名詞となったアラン・ドロンを主役に据え、陽光きらめくイタリアで富裕層の享楽的な生活と、犯罪者の強迫観念のコントラストを鮮烈に描写。アラン・ドロンは今作が出世作となった。

 アメリカ人フィリップは大富豪の息子。ヨーロッパでの放蕩な暮らしを続け帰国を先延ばしにしていた。
 トム(アラン・ドロン)はフィリップの父から彼の帰国を依頼されて渡欧してきたが、ミイラ取りがミイラになり、フィリップの使用人のような立場におさまって便利に使われている始末。
 フィリップの生粋の贅沢暮らしを目の当たりにし、また、フィリップの恋人マルジュに対する不誠実な態度に不満を覚える。積もり積もった嫉妬と怨嗟は膨れあがり、トムはフィリップを殺して彼になりすますという野心を抱くに至った――。

 
 登場人物がそれぞれに魅力的。フィリップは自分かってて奔放ながらもどこか人好きする魅力を放っているし、マルジュは魅力的な容姿だが本人はそれを当たり前のものとして誇ることはせず、むしろ文筆業としての自身の能力のなさに劣等感を抱いている。トムはさわやかな笑顔とフィリップの依頼に対する手際の良い処理の裏で、彼を裏切る機会を虎視眈々と狙っている――。一筋縄ではいかない登場人物達が非常に興味深く描かれる。

 前半は人間関係の描写と高まっていく緊迫感を描き、後半は犯行後フィリップになりすますとともにマルジュを手に入れようとするトムの奮闘が描かれる。面白いのが後半、罪の意識に苦しむというより現実的にフィリップの財産を手中にしようとするトムに対して、意識的にも無意識的にそれを邪魔する者たちがどんどん現れ、トムがそれになんとかかんとか対処していこうとする有様。悲壮感はあまりなく、いつも前向きにがんばっていくのである。
 不思議なことに自分はトムを応援していたし、最後には上手く財産をぶんどれますように、と祈るような気持ちになっていた。登場人物に魅力を感じて惹き付けられるというのは、創作物の最も強い力の一つなのだろうな。
 
 上記のように感じるのは、細かな演出の妙だと思う。特に物語に必要の無いシーンを上手く挟み込んで、端的に描かれはしないもののトムの心労が各所に現れているのだ。
 港の市場に買い物に行ったシーンでは、他の客がどことは無しにトムに注目している。これはゲリラ撮影のため実際の市民がなんだなんだと視線を向けていたためのようだが、良いあんばいに周囲の視線がまとわりついてくる。遺体横の聖職者、通りの椅子に座った老人などモブのまなざしを長く映すカットが多いのも同様に「見られている感触」を演出。
 第二の犯行のあと、やっちまったと壁にもたれるトムに、部屋の外から無邪気に遊ぶ子供達の姿が見えたり、富豪に成り代わろうとしているのに自分で大家からもらった鶏肉を調理して、台所の隅にうずくまってそれを食んだり。
 これは自然と応援したくなるというものだ。
 
 社内の映画鑑賞会で見たのだが、参加していた女性社員はトムにまったく感情移入できなかったとのこと。マルジュをもののように扱う男達の態度が許せなかったとのことだが、翻弄される彼女の処遇は確かに同情に値する。だが、1960年という時代を差し引かなくても、物語で描かれた一つの関係というだけで、特に立腹するようなものではなく、恋に盲目になったものに良くある状況ではないかと感じた。

 物語の結末が原作とは異なっており、原作も映画も続編が存在しているが、今作の結末の方が全体の構成として美しいと思う。