2020年11月4日水曜日

太陽がいっぱい

太陽がいっぱい 最新デジタル・リマスター版 (Blu-ray) 

★★★★
~応援したくなる犯罪者~


 1960年。ルネ・クレマン監督によるイタリア・フランスを舞台とクライムサスペンス。
 クレマン監督は他にも戦後の幼い子供達の悲劇を描いた「禁じられた遊び」で有名であり、戦争のしわ寄せを受ける幼い子供達の悲劇をリアルに活写。ひるがえって今作は二枚目の代名詞となったアラン・ドロンを主役に据え、陽光きらめくイタリアで富裕層の享楽的な生活と、犯罪者の強迫観念のコントラストを鮮烈に描写。アラン・ドロンは今作が出世作となった。

 アメリカ人フィリップは大富豪の息子。ヨーロッパでの放蕩な暮らしを続け帰国を先延ばしにしていた。
 トム(アラン・ドロン)はフィリップの父から彼の帰国を依頼されて渡欧してきたが、ミイラ取りがミイラになり、フィリップの使用人のような立場におさまって便利に使われている始末。
 フィリップの生粋の贅沢暮らしを目の当たりにし、また、フィリップの恋人マルジュに対する不誠実な態度に不満を覚える。積もり積もった嫉妬と怨嗟は膨れあがり、トムはフィリップを殺して彼になりすますという野心を抱くに至った――。

 
 登場人物がそれぞれに魅力的。フィリップは自分かってて奔放ながらもどこか人好きする魅力を放っているし、マルジュは魅力的な容姿だが本人はそれを当たり前のものとして誇ることはせず、むしろ文筆業としての自身の能力のなさに劣等感を抱いている。トムはさわやかな笑顔とフィリップの依頼に対する手際の良い処理の裏で、彼を裏切る機会を虎視眈々と狙っている――。一筋縄ではいかない登場人物達が非常に興味深く描かれる。

 前半は人間関係の描写と高まっていく緊迫感を描き、後半は犯行後フィリップになりすますとともにマルジュを手に入れようとするトムの奮闘が描かれる。面白いのが後半、罪の意識に苦しむというより現実的にフィリップの財産を手中にしようとするトムに対して、意識的にも無意識的にそれを邪魔する者たちがどんどん現れ、トムがそれになんとかかんとか対処していこうとする有様。悲壮感はあまりなく、いつも前向きにがんばっていくのである。
 不思議なことに自分はトムを応援していたし、最後には上手く財産をぶんどれますように、と祈るような気持ちになっていた。登場人物に魅力を感じて惹き付けられるというのは、創作物の最も強い力の一つなのだろうな。
 
 上記のように感じるのは、細かな演出の妙だと思う。特に物語に必要の無いシーンを上手く挟み込んで、端的に描かれはしないもののトムの心労が各所に現れているのだ。
 港の市場に買い物に行ったシーンでは、他の客がどことは無しにトムに注目している。これはゲリラ撮影のため実際の市民がなんだなんだと視線を向けていたためのようだが、良いあんばいに周囲の視線がまとわりついてくる。遺体横の聖職者、通りの椅子に座った老人などモブのまなざしを長く映すカットが多いのも同様に「見られている感触」を演出。
 第二の犯行のあと、やっちまったと壁にもたれるトムに、部屋の外から無邪気に遊ぶ子供達の姿が見えたり、富豪に成り代わろうとしているのに自分で大家からもらった鶏肉を調理して、台所の隅にうずくまってそれを食んだり。
 これは自然と応援したくなるというものだ。
 
 社内の映画鑑賞会で見たのだが、参加していた女性社員はトムにまったく感情移入できなかったとのこと。マルジュをもののように扱う男達の態度が許せなかったとのことだが、翻弄される彼女の処遇は確かに同情に値する。だが、1960年という時代を差し引かなくても、物語で描かれた一つの関係というだけで、特に立腹するようなものではなく、恋に盲目になったものに良くある状況ではないかと感じた。

 物語の結末が原作とは異なっており、原作も映画も続編が存在しているが、今作の結末の方が全体の構成として美しいと思う。


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