2020年3月26日木曜日

エンド・オブ・ホワイトハウス

 エンド・オブ・ホワイトハウス [Blu-ray]

★★★☆☆
~ここまでやられるホワイトハウス!~

 2013年米映画。
 続編である「エンド・オブ・キングダム」を先に見ていたので逆順ということになるが特に問題はなかった。

 マイクはシークレットサービスとして熱い信頼の元に大統領ベンジャミンの警護にあたっていたが、大統領夫人を不慮の事故から救い出せず死なせてしまう。
 微妙な距離感となった大統領とマイク。
 事故から1年半がたった頃、韓国首相が会談のためにホワイトハウスに訪れたタイミングで謎の武装集団が襲撃を開始。
 首脳陣は地下の防護施設「バンカー」へ移動して難を逃れようとするが、それも犯人たちの計画の内であった――。

 二作見たことでこのシリーズの基本というか定番が分かる。
 今作も、二作目もおもしろい。

・まさかの事態が発生する
 いわゆる「911」のような荒唐無稽と言える事態が発生。
 言葉を選ばずに言うと、時間をかけて組み上げた複雑なレゴブロックを一息に崩し去ってしまうような。
 驚愕と絶望とともに、どこかドキドキと暗いときめきが湧き上がる。

・敵の手際がものすごい

 実際そんなの無理だろうと分かっていながら、ひょっとしてと思わせる敵の芸術的な手際。
 そんなことありはしないという心の死角をついてくる。
 主人公が的確な対応を随時取っても、それを上回る速度で敵の作戦が進行し、全体としては悪化の一途をたどる。
 敵の想定した状況一色に染まった中、主人公だけがそのど真ん中で踏みとどまる。
 孤立無援ながら、唯一の希望となる主人公の輝き!
 どんどん追い詰められる事と、それに反して主人公の存在が際立っていく事はこのシリーズの最も重要な要素だろう。

・人が死にまくる
 様々な社会状況に配慮した、昨今の映画内で起こる「マイルドな事件」と異なり、事件規模に相応しく人が死にまくる。
 関係者も、無関係な市民も、気にせず死にまくる。 各国の指導者さえも死にまくる。市民に関しては直接の描写が避けられているが、これだけの規模なのに死傷者がいるのかいないのかといった保留を許さず、明らかに死にまくっている。そういう演出がなされている。
 主人公も敵射殺、絞殺に迷いがない。変な人道は遙か彼方にほっぽって、ともかく守るべきもののために突き進むのは職に対して一途だと感じるし、すかっとする。
 
・大統領がただ守られる側ではない
 えらい目にあってばかりの歴代最も不運な大統領ということが出来るだろうが、その逆境に精神的にも物理的にも立ち向かう。
 敵と格闘し、傷を負いながらも勝利を勝ち取る。シークレットサービスである主人公と連携したバディものとして楽しむこともできる。
 この男惚れしそうになる姿。アメリカではどのように受け取られているのだろう。
 
 今作では韓国、北朝鮮辺りをふんわりと敵国にし、その遠因はアメリカ自身となっている。これも続編と似た構成なのでシリーズの基本なのかも知れない。最後大統領が「アメリカによりよき未来を」的なことをしれっというが、ナチュラルに自国のことしか考えていない辺り、いっそ潔いと思うし一国の指導者足るもの建前はともかく本心ではこう思って欲しい、というのは自分の偏りかな。

 ドキドキはらはらが楽しめる、今時(もう結構古いか)のオススメアクション映画です。

2020年3月12日木曜日

プロフェシー

※都合でAmazonビデオへのリンクです。 

★★★☆☆
~あれ? 傑作?~

 2002年の米映画。主演は「プリティ・ウーマン」のリチャード・ギア。
 プロフェシーは「予言」の事だが、謎の現象に巻き込まれた男のミステリー映画である。
 

 記者であるジョンは妻メアリーと新居探しに行き、念願の大きな家の購入を決める。
 幸せな気分でメアリーが運転する車での帰り道、何か恐ろしいものを見てハンドル操作を誤って事故を起こす。メアリーは入院生活のなか、奇妙な言葉やイラストを残した末に帰らぬ人となる。
 2年後、一人になったジョンは夜中に車で走っていると、いつの間にかあり得ない距離を離れた街「ポイント・プレザント」に辿り着いていた。
 車の故障に難儀して近くの民家に助けを求めるが、家主は銃を突きつけ、「お前の仕業か!」と詰めよる。
 一体この町では何が起こっているのか――。

 なんともあらすじの説明が難しい作品である。
 安っぽいホラーのようであるが、リチャード・ギアの真剣な演技が映画の価値を支えていき、ついつい先が見たくなってしまう。
 幽霊なのか、怪物なのか、狂人なのか、悪魔なのか、恐怖の対象がフワフワとよく分からないまま話が進み、そのまま終わる。普通なら何物でもない半端な映画という評価になりそうだが、今作はそのあやふやな位置取りこそが主眼とも言える作りになっており、見ている最中の観客の予測がことごとく覆され(無視され)るので常に頭が忙しい。
 見終わった後は何とハートウォーミングドラマを見たかのような気分になっており、不思議とさわやかな気分になってしまう。
 
 今作の題材となっているのは「モスマン」と呼ばれるUMA(未確認動物)で、「ポイント・プレザント」でさまざまな目撃例が出ているのも事実である。モスマンは翼のついた謎の人型生物で、一部のRPGやカードゲームで題材になる程度には知名度のあるモンスター(?)である。
 普通にこれを題材にしたとすれば、ばかばかしい着ぐるみのオバケ屋敷ムービーになりそうなものを、衒学的にイメージを膨らませ、哲学的な領域まで持って行っているのはすごい閃きと力量だ。
 最後の事故(事件)も実際に起こったことで、それまでの画面効果でごまかしていたような演出を使わず、高いクオリティできっちり映像化したのもうまい。
 
 掘り出し物というか、こういう描き方があるのだなあと感銘を受けた一作。
 どんな題材も切り口とテクニックで生まれ変わるのだな。
 

2020年3月4日水曜日

カビリアの夜

カビリアの夜 [Blu-ray]

 ★★★★★
~なぜ素敵な終幕なのか~

 フェデリコ・フェリーニ監督。1957年のイタリア映画。
 断片的なエピソードがその蓄積において言いしれぬ情感を醸し出す名編。
 

 カビリアは夜ごと街に立つ娼婦。働いて手に入れた小さな自分の家だけが自慢である。
 見知った仲間と賑やかに過ごしたり喧嘩したり、それでも素敵な恋と結婚を夢見ていた。
 ある時は有名俳優の恋事情の当て馬にされ、惨めに追い返される。
 またある時は御利益があるという教会に物見遊山で出かけてひどく感銘を受ける。
 そんな暮らしの中で一人の男性と出会い――。

 ★ぜひ見て欲しい映画なので、以下は見てから読んでみて欲しいと願います。
 
 この映画はエピソードを個別に見れば、かなり悲惨な物語である。冒頭からアクセル全開でカビリアがこっぴどく振られるシーンから始まる。そりゃもう川に突き落とされた上にお金を奪われるという、これ以上ないひどい仕打ちからのスタートである。
 それでもくじけず前向きに生きるカビリア。努力の末に立ち上がるというより、彼女本来が持つ世界や未来を信じる心根。幼子のような無垢な部分が自然とそうさせている印象。
 彼女は小さなときめきや幸せに心をふるわせながら毎日を過ごすが、現実はひどい仕打ちばかりを投げかけてくる。
 
 とどめは再び彼女に訪れた恋。

 見ているものは常に不穏を感じる相手の男の行動。だがカビリアはどんどんのめり込んでいく。
 自分の気持ちも、持っている物も全て投げ出して、幸せになろうと一直線に行動する。
 その素敵。
 その切なさ。
 こちらの方が神に祈りたくなってしまう。
 
 クライマックス、彼の本性が明らかになる瞬間。カビリアの朗らかさに相手も罪悪感で行動が鈍る。
 しかし、結末は変わりようがなく、状況を促す言葉を口にしたのはカビリアのほうだった。
 殺して奪っていけば良いじゃない、と。
 
 彼女は、あんなにも無邪気に嬉しそうにいたのに、これまでの様々なつらい経験を忘れていたわけではなかったのだ。
 今回も駄目かも知れない。
 まただまされているのかも知れない。
 そういった悲しい予感は観客と同様に感じていて、だけど、彼女は全力で信じることを選んだのだ。
 
 それは、祈りのような恋だったのではないか。
 
 恋が潰え、命を奪ってももらえなかった一人の女が、夕暮れにとぼとぼと歩く。
 どうしようもない結末である。
 
 物語を作る側の視点で、少し想像してみる。想像してみて欲しい。
 このままの落ち沈んだ状態ではなく、幸せな雰囲気で物語を終えるためにはどうしたら良いだろうか。
 逃げた男が帰ってくる? それは嬉しいだろう。ただ、その展開に納得するためには、前もってひどい男の様子をもっと描かなければならない。そうするとカビリアだけに注目した映画ではなくなってしまう。
 優しい友人達が迎えてくれる? 結局迎え入れてくれるのだろうが、彼女は沈んだままだ。
 あれこれ考えても、本作のエンディングの方が遙かに良いと思えてしまう。
 絶対に理屈だけでは思いつけないけれど、本作の場合はこうだ。
 
 うつむいて泣きながら歩く彼女の道に、祭に行くのか帰りなのか、はたまたただ仲間で騒いでいるだけなのか、音楽を鳴らし、踊りながら進む者たちが合流する。
 知り合いでもなく、何かを助けてくれるわけでもない。
 ただまき散らしている明るい雰囲気にカビリアも巻き込んで、踊る男が彼女におどけかけたりする。
 そうして、同じ道を同じ方向に進む。

 これだけなのだ。
 
 その雰囲気に何かほだされて、カビリアは顔を上げ、ついには微笑み映画は終演する。
 文章で書くと嘘っぽく意味不明に感じるかも知れないが、観ていると不思議なほど自然に納得できてしまう。
 それは映画中そういう描き方をずっと続けてきたからだ。
 物語の中でカビリアは沢山の他者と触れ合う。客、友人、群衆……。
 関わり合いは喜怒哀楽の様々な感情を引き連れ、カビリアはそれを素直に受けとめて暮らしている。そんな彼女にとって、どんな困難に合おうが、生きていること自体が根本的に喜びなのだ。
 
 一人でなく、今という時間の最前線で世界中の人と一緒に過ごしていくことが、生きる、ということだ。
 
 この連帯感こそが、本作のテーマなのではないだろうか。
 生きていること自体がお祭りであり、さあ一緒に楽しもう、ということだ。これは別のフェリーニ作品「8 1/2(はちかにぶんのいち)」で直接台詞としても語られている。
 
 さらにもう一つ。
 この映画はカビリアがこっぴどく失恋するところから始まった。
 彼女はひどく落胆するが、なんとか立ち直って前向きに暮らし始める。
 だから、今度もきっと大丈夫だと確信できるのだ。なんて素敵な証明だろうか。


デトネイター

デトネーター [DVD]

☆☆☆☆
~おもしろ黒人ガードマン~

 
 2006年のスパイアクション。対象を守る任務を主にするのでスパイと言うよりボディガードか。
 主演のウェズリー・スナイプスはヴァンパイアハンター物の「ブレイド」が有名な黒人俳優。
 

 米安全保障省の捜査官サニーはルーマニアでのおとり捜査を進行していたが、内部からの情報流出により危機に陥る。取り逃がした対象を追ううち、その背後の黒幕、国際的な密輸犯罪の進行に巻き込まれ、重要参考人の美女ナディアの護衛をすることになる。
 ナディアは守るに値する存在なのか。内部に潜む敵は誰なのか。密輸計画が進む大量殺害兵器「デトネーター」とは――。


 予算のない映画は、高速撮影をしていないストップモーションが多用される。ゆっくりスローモーションで動くのではなく、カクカクと一コマを長くうつすことでの映写時間遅延である。
 高速撮影したかった、もしくはしておくべきだったが出来ず、編集段階の演出として致し方なくストップモーションという雰囲気。この代替手段は、いたしかたない妥協を強く感じさせる。これでなくては! という箇所で使用された例を自分はまだ知らない。
 今作もこの手の表現が多く、そういう映画なのかな。

 小粒だが、なかなか上手くまとまった作品。
 全体としてもキャラクター個別にしても行き当たりばったりで大きな流れはあまり意味がない。その時その時のシチュエーションが興味を引っ張って次のシチュエーションにつなげる継投策なので、個別のピンチを切り抜けるという以外のドラマはない。
 なので大きな流れが気になってしまうと、「なぜ大量殺害兵器が関係してくるのだろう」「主人公はどういう権限で動いているのだろう」といった疑問にとらわれて楽しめなくなってしまう。
 最後ももはやファンタジーの領域だが、変に小難しく終わるよりは良いかもしれない……。
 
 いい女を助ける型破りの刑事の大活躍。
 
 それ以上を求めなければそこそこ楽しめるかも知れないが、他に見るべき作品はたくさんあるだろう。