2020年6月30日火曜日

フェア・ゲーム

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★★☆☆☆
~ちょっと豪華な海苔弁映画~

 1995年の米映画。美人弁護士守護アクション。
 

 マイアミで活躍する女弁護士のケイトは、ある日突然ジョギング中に命を狙われる。事情聴取にあたったマックス刑事とはそりが合わず署を出るが、その夜、マックス刑事の目の前でケイトの家が爆破される。そのまま二人は暗殺集団から逃げるが、途中、護衛にかけつけた仲間の刑事が、次々と殺されていく。<WIKIPEDIAより

 今となってはそりゃないだろうというハイテク描写が多く登場。
 屋外から煉瓦造りの家や列車をのぞき込み人間の位置を確実に表示する温度センサーカメラであるとか、ありとあらゆる所(警察署や民間の警備会社も余裕)にハッキング出来るスーパーハッカーとか――。

 登場人物の行動もよく分からない。スーパーハッカーがいるのになぜか海底ケーブルに結線して銀行のATM回線に入り込む。銀行のお金を勝手に盗むのかと思いきや、自分で預けたお金を引き出すだけ。わざわざ海底にATMを開店させるのはなぜなのか。

 敵組織はロシアの諜報部隊崩れなのだが、「海底ケーブル作業をしている船が離婚裁判の資産として請求されそう」⇒「弁護士を殺そう」という原始人かよという短絡さでわざわざ上陸して襲ってくる。とった手段がプロしか使わない高性能爆薬による家屋丸ごと爆破。なぜいちいち足がつく目立つ方法ばかりとるのか。しかもたまたまベランダに出ていたターゲットには逃げられる始末。
 警察内部に協力者(主人公側から見ると裏切り者)もいるし、FBIになりすますし、ヘリコプターまで繰り出す始末。もう町中で戦車を乗り出しても驚かないくらいのはちゃめちゃ具合だが、ロケットランチャーをぶっ放したりしているし同じようなものか……。
 
 このような荒唐無稽だが映画としては何があってもおかしくないという意味で先が読めない楽しさがある。舞台がどんどん変わっていくのもいい。最もすごいのが爆破シーン。冒頭の家の爆破から最後の船の爆破まで規模が半端ない。CGで補正しているのかも知れないが、1995年の映画であるし、基本実写だと思われる。これは相当気合いが入っている。
 もちろんご期待通りの美人弁護士と辣腕刑事のロマンスもあるしきっちりまとまった海苔弁当という感じ。乗ってる白身魚のフライがとても大きいので満足感もあるよ。

 1986年のスタローン主演映画『コブラ』と今作は同じ原作『逃げるアヒル』を元にした兄弟作品となるらしいが、話はまるで違っておりどういうこっちゃ。

アイ・アム・レジェンド

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 ※古い感想に追記をした物です。
★★★☆☆
~エンディングが作品を軽くしている~

 2007年。米の人類絶滅サバイバル映画。

 とあるウイルスを元にして作られた抗ガン剤は人類に福音をもたらしたに見えたが、ウィルスの毒性が復活。
 空気感染による疫病の蔓延により、9割の人類が死滅。免疫のあった者のみが生き残ったが、そのうちのほとんどが太陽を忌み嫌う人類捕食者『ダーク・シーカー』となっていた。
 主人公ネビルは感染源となったニューヨークでたった一人の人間としてサバイバルを繰り広げる――。

 人っ子一人いない大都会の映像が目に新しい。群集シーンをとるのが大変とはよく聞くが、実在の大都市を空虚にする映像もまた同じくらい苦労したに違いない。
 映像に安っぽさは無く、大作の貫禄を感じるが、それ以上のインパクトはない。基本的にゾンビ映画なわけだが、その他作品と比べても特に目だった点がないのだ。

 一点あるとすればゾンビの頭領といえる存在で、彼が何故主人公をしつこく付け狙うのかというのが興味深い。
 が、そういった全編にちりばめられた関連するパーツをつなげる事なく、それらを台なしにする形で物語は終結する。何とも納得が行かないが、特典にあるもう一つのエンディングを見れば、多少は落ち着くことが出来る
 
 複数のエンディングパターンを製作し、試写の反応で決定するというのはハリウッドで良く取られる手法のようだが、スタッフの本命は「もう一つ」のほうであっただろう。しかし、それが没になった理由もわかる。もう一つのエンディングも、やはりしっくり来ない不安定な物だからだ。

 ともかく、ニーズに合わせてエンディングを切り替えるという手法は、手っ取り早く作品の印象を変えることができて効果的だが、積み上げられた本編と剥離しては意味が無い。きちんと作られた映画ほど、エンディングを切り替えるのは難しいはずで、今作はそういう意味ではきちんと錯乱状態で物語を終えている。


 

2020年6月29日月曜日

レミーのおいしいレストラン

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 ※古い感想に追記をしたものです。
★★☆☆☆
~全編に不潔さを感じる~


2007年。ピクサーのCGアニメ映画。
料理の才能があるネズミと、才能のない見習コックのコンビが繰り広げるどたばた喜劇。

レミーは今は亡き天才シェフのグストーに憧れて、フランス料理のシェフになることを夢見る“ネズミ”。ある嵐の日、レミーは家族と離ればなれになり、独り華の都パリにたどり着く。レミーはグストーの幽霊に導かれ、レストラン《グストー》へと向かう。<WIKIPEDIAより

演出とアイデアはさすがの完成度だが、何か喉に引っ掛かったように楽しみきれない。キャラクターに感情移入しきれないのが原因だろう。
やはり、どんなに腕が立とうと、四つん這いで走った直後に食材をいじられると、不潔な印象が拭いきれないのだ。
料理人の基本としてあるべき衛生観念がこの映画世界では欠如している。そういったモラルの低下が問題となっている昨今だからこそ、気になってしまうのだ。
それ以外のキャラクターも、どこかリアルに腹黒い。見習コックは結局自分で努力することがないし、伝説の名シェフも金勘定に惑った凡人だった。老婆は殺人鬼のようにショットガンを振り回し、ヒロインも打算的に見えてくる。

結局、各エピソードがアメリカンテイスト過ぎて、日本的価値観では素直に楽しめないのだろう。全体に奇をてらい過ぎた印象で、インパクトを重視し過ぎたために製作者の視野が狭くなっているように感じる。

このような「ずれ」はこの映画がというよりもピクサーの作品のもはや特徴の一つでもあると思う。宣伝に釣られてみてみると、思っていたのと違うかったという内容が多い。

「カールじいさんの空飛ぶ家」はハートウォーミングなノスタルジー物かと思いきやハッスルじじいの大冒険。
「ウォーリー」は置き去られた切なさを復興する物語と思いきや地球よさらば宇宙大冒険。
「ベイマックス」は兄の忘れ形見のロボットとの優しい暮らしと思いきやバリバリのアベンジャーズ。あ、これはディズニーでピクサーじゃない。

ともかく幅広い観客を掴むため、なんでもかんでもアクション大作に持ち込む精神。確かにおもしろいが、なんだか一辺倒だ。
 

2020年6月19日金曜日

映画 ひつじのショーン 〜バック・トゥ・ザ・ホーム〜

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  ★★☆☆☆
~テレビエピソード12本分のボリューム~


 2007年から制作されているイギリスの短編アニメーション作品。2019年にはシリーズ6が制作された息の長いシリーズ。
 仲間と一緒に郊外の牧場で暮らす羊のショーンが、牧場主(人間)と牧羊犬ビッツァーの目を盗んでは仲間たちと様々な騒動を巻き起こす。

 最大の特徴はいわゆるコマ撮りのミニチュアアニメ、「ストップモーション・アニメーション」であるということ。
 背景やキャラ、各種エフェクトの合成にコンピューターが使用されているのだろうが、基本的に各素材は実際に手作りされたミニチュア。粘土で作られたキャラクターの動き、表情はどこか暖かで優しい感触
 CGアニメーションと異なる感触はどこから生まれているのだろう?
 手作りならではの、ゆがみや跡形、作業後が情報として感じられているのだろうか。
 
 この感触はゲームの手書きのグラフィック「ドット絵」と近いものがあるのかも知れない。
 昔のゲーム機は表示解像度も処理性能も低かったため、少ない色数と解像度(ドットの数)でゲームグラフィックを作成していた。
 方眼紙のマスに色を塗ってつくるイメージ。カクカクのマリオやポケモンのデザインをTシャツなどのグッズデザインとして見かける機会は今でも多い。 
 このドットを打って絵を作るという作業は、昨今のゲーム素材が基本的に写実と情報量の増加を目指しているのと根本的に隔絶しており、もはや伝統芸能のような存在になっている。必要とされる機会が少ないので仕方がないが、ドットを打てる人材は3Dモデルを作成できる人よりもレアなのだ。

 たとえばとあるキャラクターについて、ドットとCGでつくってみるとする。CGのほうは一度レンダリング(スクリーンショットみたいな物)してドットと同じサイズに縮小する。この縮小という作業は基本的に機械的な自動処理だ。この二つを比べてみると大違いである。ドットのほうは「そう見えるように」描いていくのでくっきりとキャラクターが浮かび上がる。CGのほうは細かい部分がつぶれてしまい、キャラクター表現として残すべき所とそうではない所の区別も為されていないのでぼんやりと弱い印象になる。下手するとそのキャラクターに見えない、ということになってしまうだろう。
  反対にドット絵を拡大してCGサイズに合わせると、これはもう見られる物ではない。拡大処理時に全体にアンチエイリアス処理(ぼかし)が入ってぼけぼけのがたがただ。

 どちらが優れているというのではなく、状況とその必要性に合わせて異なる価値を持っていると言うことで、今ではドットを活用する機会が減っている。ただし、表現としての魅力は高いので、それを活用したゲームもまだまだ数多く作られている。
 
 このドットとクレイアニメで共有される特徴は、人の手でそう見えるようにつくっていく、という点だ。
 物理的に正しくなくても気持ちの良いように、その場その場で最適化を行っていく。人間の視覚認識なんていい加減だということは、各種錯視(日本の平行線が曲がって見えるとかいった、錯覚図形)を体験してみると明らかだ。人間が選択して形作ることは、人間の認識において最も有効な形を取りうるのだろう。

 CGと違って手作りのノイズが多く混ざっていることも、画面の情報量を暖かく増していると思う。
 完全な曲線、平面など現実世界にはあり得ない。どこか曲がって、傷が入っている不完全な物ばかりだ。そういう現実に生きているのだから、手作りのいびつさが暖かく感じるのも当然だろう。

 立ち返って、羊のショーンはクレイアニメで作成されており、かといってそれに固執しすぎていないようにも感じる。
 単純なクレイアニメでは表現の難しいシーンも多数あり、ブルーバックの合成や、ひょっとしたらCGで作った物も入っているのかも知れない。ともかく全体として、クレイアニメの温かさと、昔は無理だった表現の範囲拡大を並立させており、CG全盛の中でも古びない最先端の魅力を持っている。

 テレビで放送されているシリーズは一話7分とコンパクトだが、今作は映画なので85分とボリュームたっぷり。
 様々な偶然から記憶を失ってしまった牧場主を探して、ショーンと仲間たちが大都会へ向かう。
 普段とは違うシチュエーション満載で目新しく、時間も長いので満足感が高い。反対に、7分版の切れ味が良すぎるので少し悠長に感じるかも知れない。
 牧場主と家畜たちの絆が描かれ世界観が広く深く掘り起こされる内容なので、今作を見た後ではテレビのエピソードがまた違って感じられる。


2020年6月17日水曜日

山の郵便配達

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  ★★★☆☆
~その景色はもはやファンタジー~

 1999年の中国映画。日本公開はずれ込んで2001年。
 

 二泊三日の徒歩で車も通らない山奥をめぐり、郵便の集荷配送を行う山の郵便配達。
 三日目に家に帰った翌日にはまた出発する過酷な業務を数十年続けた父は、膝を悪くしてしまい引退を余儀なくされる。
 後を継ぐことになった息子は体躯十分だがどうも仕事を甘く見ているようで心許ない。お供であり道案内の飼い犬「次男坊」も初めての旅行きに不安そうである。見かねた父は道筋と村や町での紹介もかねて同行することにした。
 いつも家にいなかった父に遠慮がちの息子。
 なかなかあえないことを引け目に思いながら、いつも息子を思っていた父。
 たった一度、一緒に行う郵便配達が二人に様々な変化をもたらす――。

 あらすじ以上の大きな事件があるわけでも無いが、美しい山々とそこに生きる人々を垣間見ていく旅路は充分に見応えがある。
 映画が作られた時点で本当にあった暮らしなのか、すでに過去となった後なのか分からないが、美しい水田、朽ち果てた建物、そこで質素に生きる人々の姿はもはやファンタジーの世界である。指輪物語の中つ国くらいの浮き世離れした景色がそこにある。
 明治や昭和初期の地方を舞台にした映画を異世界のように感じるのと同じである。見たことないけど懐かしいと感じるのも同じだろう。
 
 全体の流れも美しい。
 
 父にとっては最後の旅。息子にとっては初めての旅。二人一緒は最初で最後。
 父は山巡りの知識を息子に教え、息子は村での暮らし(村長には逆らうななど)を教える。
 旅を続けながら、父は長年の出来事を回想し、その中に妻(母)との出会いや息子の誕生と成長も含まれる。
 息子は父の仕事の過酷さと寂しさ、大切さを思い知る。
 そして二人一緒に、母の元に返り、次の日息子の旅立ちを父が見送る。次男坊も今度は息子について行く。
 繰り返し続いていく営みの中の、つなぎ目を丁寧に描いており、何とも後味も良い。
  
 父は厳しい仕事の果てに出世することもなく仕事を辞めさせられて形だが、やれ薬をくれただの、希望通り息子を跡継ぎにしてくれただの、やたら上司の対応をありがたがり、お上には逆らってはならないと連呼する。その上司は一度仕事を変わってその厳しさに驚いたとか、家まで気にかけてきてくれたとか台詞でのエピソードだけは良く出てくるが、どうにもうさんくさい。
 古く凝り固まった父の考え方という点で無理矢理感はないが、中国のむちゃくちゃな統制っぷりを見聞きすると国家を賛美しなければならない姿勢が滲み出ているようにも感じてしまう。

 今、山の郵便配達はどうなっているのだろう。

 インフラをつなぐのには電波の方が手っ取り早い。文面だけならメールでもSMSでも良いだろう。山の配達も不要となるだろうか。
 この状況は日本でも同じだろう。過疎の村を支えるインフラとして郵便など配達業務は重要だが、コストの面では負担がかかりすぎるため、様々な方法で軽減が試みられている。

 結局コロナで判明したのは、物流は非常に大切だということ。物資が行き渡ることもそうだし、便利なネット注文をあれこれ駆使しても、結局家まで届けてくれる人が居なければどうにもならない。人間には情報だけでは生きていけない。実際の「物」がどうしても必要なのだ。情報で代替できる物なのか、そうではない物なのか、きちんと判別されるべきだし、そんない綺麗に切り分けられる物でも無いのだろうというのが自分の認識だ。
 手紙なんていらなくて、メールで十分?
 多くの場合、気軽に連絡が取れるメールは非常に良いものだ。だけど、いつもと違う意味合いを持たせたい時に手紙は格別な手段となるだろう。
 本は電子で十分で、実際の本はかさばるだけ?
 場所を取らないこと、検索性が高いことなど電子本の利便性は素晴らしい。だけど、見開きの迫力、それを見越してつくられた漫画のコマ割り、指でなぞって読み聞かせる絵本。実際の本でなければと感じる場面もたくさんある。
 
 自分が見えている範囲だけで完全にどちらかが優れていると断言し、片方に寄っていく姿勢は幼いと思う。
 文化の持つ様々な側面を理解できるように心がけ、己の趣味とは違うとしてもそれは認める姿勢を持つべきだ。
 白黒つく事柄はそんなになく、大体灰色。
 それは悲しいことではなく、豊かなことだ。
 
 だから、手紙は滅ばない。
 滅びるなら、それは文化的後退だろう。

ストリートファイター ザ・レジェンド・オブ・チュンリー

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 ★★☆☆☆
~おもしろくないのに見ていられる~

2009年の米アクション映画。世界的ヒット作であるビデオゲーム「ストリートファイターⅡ」を下敷きに、そのキャラクターの一人(非常に人気が高い)である「チュンリー」を主人公としている。

厳格ながらも優しい父・シアンと美しい母・ジーンに見守られて育った春麗。その幸せな生活はある夜屋敷を訪れた謎の男ベガ、そしてその部下バイソンのシアン誘拐によって崩れ去ってしまう。その後美しく成長した春麗は幼い頃からの夢だった世界的なピアニストとなって、病に伏した母を支えながら暮らしていた。ある日公演を終えた彼女の元に謎の絵巻物が届けられる。春麗はその絵巻物に心惹かれ、解読を試みようと古本屋へ持ち込んだ。古本屋の女主人は絵巻物を見て「バンコクへ行き、ゲンという男を捜せ。そのためには今の生活全てを捨てなければならない」と語るのだった。(Wikipediaより

 映画的な壺を押さえた作りと言おうか、大したことのない話と内容なのに、なぜか見ていられる。
 撮影と編集の勝利というか、プロの職人芸を感じた。
 格闘シーンでその技が特に目立つ。よくよく見れば動きが飛んでいるはずなのに、流してみると違和感なく躍動感を持ってつながっている。動きの方向やカットを埋める被写体の範囲、位置など、ともかくつながって見えるように編集しているのである。
 
 こういった職人芸は他の部分でも見え、割り切りとテンポの良さがすさまじい。
 格闘ゲームでは多数のキャラクターが存在するが、無理して全員入れようなどとはせず、カメオ的な出演含めても非常に絞られている。
 その上勿体ぶって現れた原作準拠でもある敵の切り札、暗殺者「バルログ」がほとんど瞬殺されたり、それで良いの? と思えてしまうような潔さ。
 
 チュンリーが浮浪者生活(全然それっぽくない噴飯物)をするところはやたら時間をかけたり、最後までなんの役にも立たない警察組織の様子をダイジェストで差しはさんできたり、通常なら邪魔で野暮ったくなるシーンが、何というかバカバカしさのアクセントになっていてなんだか良い塩梅。チュンリーが広大なバンコクで「ゲン」という人物を探すのだが、この聞き込みシーンが振るっていて、通りがかりの屋台の人に「ゲンを知ってる?」「いいや」「そう……」だけなのだ。そんなん知ってるわけないし、本気で探してないやん! 警察も無能きわまれりの役に立たなさを常に発揮し、男女バディものの微妙なお色気シーンのためだけにいるのかというくらい事件解決に絡まない。
 ところが、このバカバカしさが定食の漬け物、カレーの福神漬けのように全体としてはしっくりくるのだ。何というか、緩急の緩の部分、流し見ても問題ないというのが分かりきっているので、気を緩めるのに丁度良いのだ。
 
 一見ただのキャラもの映画であるが、この題材をこのように気持ち良くまとめるのは職人芸といえる。
 万人に勧めるといったものではないが、どのような作品も多数のプロが関わっており、各人がきちんと役割を果たすことで映画になっていくのだと感じ取れる、応援歌のような作品だと感じた。
 
 必殺技の表現に関しては「スピニングバードキック/回転的鶴脚蹴」は表現がきつすぎて残念。気功拳は割りと表現されていたが百裂脚はそもそも出てたかなあ……。
 これらがCGバリバリで表現されても、映画全体で見れば確実に浮いていただろうから、スタントの範囲内で収めていったのはこれまた英断だと思う。
  ※気功拳だけはエフェクトで表現してました。

 お笑いコンビの千原兄弟が日本語吹き替えに参加しているが、作品の質を低下させる効果が目立っており、文化破壊的。あきれる。

2020年6月15日月曜日

新幹線大爆破

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★★★★
~ラストシーンにしびれる~

 1975年の邦画。自分が生まれた頃の映画だが十二分に楽しむことが出来た。
 監督は「ミスター超大作」こと佐藤純彌。
 「人間の証明」「植村直己物語」「敦煌」といった世界を股にかけた作品多数だが、「北京原人 Who are you?」でとんでも監督の烙印をおされてもいる。まあ北京原人もワールドワイドといえばワールドワイド……。
 

 安全神話を誇る新幹線。爆弾設置の電話といういたずらに困らされていた時節、電話がかかるが、今度は本物である事の証明としてローカル機関車の爆破を予告。実際に爆破事件が発生した。
 時速80キロを切ると爆発する――。有事には緊急停車して安全を確保する新幹線の基本方針を逆手に取ったような犯行。
 東京発福岡行き109号の猶予は福岡到着までの10時間。爆弾の解除を目指して必死の捜査活動と、列車運行が開始される――。

 152分と長い作品だが、犯人側のドラマをきちんと描いたことがその理由である。現に100分ほどに短縮された海外版ではその部分がごっそりと削られているとのこと。これはこれでテンポが良く評価が高いらしい。
 犯人側の事情に時間を取るのは勧善懲悪主流の当時は珍しかったらしいが、それがこの作品を今でも楽しめる傑作にしている。
 この姿勢は犯人役を高倉健が演じていることからも明白。様々な理由から社会と分断された四人(一人はおまけ)で国(相手は国鉄と警察なので)を相手に蟷螂の斧を振り上げる様は、犯罪とは言え感情移入せずにはいられない。「誰も死なない完全犯罪」を目指していたのも大きい。
 反対に腹が立ってくるのが警察の様子。懸命に犯人を追う様子が描かれるが、正義側なら何をやってもいいという傲慢がにじみ出ているように感じる。身代金の受け渡しでは犯人逮捕のチャンスとばかりに気色だって、犯人側の指示を無視して猪突猛進、一味の一人を事故死させてしまう。新幹線が爆破されてもおかしくない状況を生み出して、悪びれずにまた嘘八百を並べ立てて口八丁手八丁。印象としては警察組織の方が悪役に思えてくるくらいである。まあこれも制作者側の意図なのだろうが――。

 この内容で国鉄がよく協力を許したなあと思ってしまうが、実際国鉄との連携は断られたとのこと。
 条件の折衝は行われたらしいが、現場が映画の魅力を損なう改変を拒否。映画会社側もすでに突っ込んだ資金を完成によってまかなうしかなく、結局セットやゲリラ撮影、盗撮などで進めていったらしい。
 客席は精巧なセットで、座席などは本物を納品している会社に注文したとか。その会社、国鉄からこっぴどくしかられたとのこと。
 様々な苦労の甲斐あって、協力なしとは思えない本格的な列車映像を堪能できる。
 
 物語のラストは類を見ない潔さで断ち切られており、抜群にいい雰囲気。
 これを見るためだけでも十分な価値があるだろう。


2020年6月9日火曜日

キリング・フィールド

KILLING FIELDS
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 ★★★☆☆
~淡々と悲惨~

 1984年の英米合作映画。1970年代のカンボジア内戦時現地で取材をおこなった欧米ジャーナリスト達と案内人として働いた現地人通訳の数奇な運命を描く。原作はピューリッツァー賞を受賞したノンフィクション作品。
 

 アメリカ人ジャーナリストのシドニー・シャンバーグ(Sydney Schanberg)と、現地の新聞記者であり通訳でもあるディス・プラン(カンボジア人)はカンボジア内戦を取材している。しかし、カンボジア内戦はポル・ポト率いるクメール・ルージュが優勢となり、アメリカ軍が撤退を開始する。この時、シャンバーグはプランの一家をアメリカに亡命させようとするが、プランは仕事への使命感から妻子のみをアメリカに逃がし、自分はカンボジアに残ることを決意する。そして、シャンバーグとプランは取材活動を続けていく。<Wikipediaより

 一応主役はシドニーと言うことだが、物語の後半全てはプランの物語。過酷な労役の中で死と隣り合わせに生き抜いていくプランと、無事米国に帰りなんとかプランの救出を目指して活動するシドニー。物語全体で観れば、プランが主人公だというのが素直な感想だろう。

 戦争のまっただ中にある戦闘だけではない風景というものは、兵士を追うだけの物語ではなかなか描きにくいものだ。今作は無力なジャーナリストの行動を追う映画なので、波のように押し寄せる軍隊を間近に感じながらも奇妙に落ち着いた日常生活が展開される。彼らは基本的に、危険すぎるラインは超えないよう、ギリギリのところで取材を繰り広げるわけである。
 自ら望んでこの場に訪れ、機動的に動ける「外様」である欧米の彼らはまだ良いだろうが、戦火に自分の住む街が包まれる住民達の悲惨さが際立つ。半分ジャーナリスト、半分現地人であるプランはこの意味でも最も重要な存在であり主役である。
 
 プランを演じたハイン・S・ニョールは俳優経験などないカンボジア出身の元医師ということだが、実際に内戦に巻き込まれて強制労働をさせられていた実体験のすごみなのだろうか、苦難の中に陥るほど演技に輝きが増す。結果アカデミー助演男優賞を獲得となり、異論があるとすればなぜ主演男優賞ではないのかという点であろう。

 戦場の風景を描くにあたって、センチになり過ぎることなく、また強烈ではあるが露悪趣味にも走り過ぎない絶妙のバランス。淡々と描かれる、という言葉がしっくりくる。作り話ではなく現実にこの風景があり、それは見る者の現実と地つなぎなのだと感じさせてくれる。
 
 ただ、一つだけ腑に落ちないのが音楽。
 オーケストラはもとよりテクノや民族楽器まで総動員で構成されているようだが、自己主張が過ぎて鼻につくのだ。
 映画の要素として常に悪目立ち。音声が混線したのかと疑うくらい場にそぐわない音の連発だ。
 残酷なシーンで明るい曲、またその逆など、これは別段おかしくない。ミスマッチが生む絶妙な感触という物がある。
 だがこの映画の場合残念だがそうではないように思える。違和感が強すぎて思わず笑いそうになるくらいだ。アニメ「寄生獣 セイの格率」もこんな感じだった……。
 映画に関わったことのないミュージシャンを呼んでしまって、妙に張り切ってトンチンカンなBGMをつけまくってしまったという感じ。
 これは頂けない。
 最後にジョン・レノンの「イマジン」でまとめてしまっているが、ここだけベタなのもなんだかな~~。
  ※音楽担当は「マイク・オールドフィールド」で中には今作の劇伴を絶賛する人もいるが、自分は上記が正直な感想。
   色々な意見が合って当たり前だと思います。


 

キリングフィールド

2020年6月8日月曜日

封神伝奇 バトル・オブ・ゴッド

封神伝奇 バトル・オブ・ゴッド [Blu-ray]
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☆☆☆☆
~尻切れトンボの見なくて良い作品~

 2016年の絢爛豪華な中国アクション映画。日本では2017年に公開。
 中国明代に成立したと言われる古代小説「封神演義」を下敷きとした物語と言うことだが、いったいどれだけの要素が反映されているのか……。

 時は古代中国、殷の時代末期。第三十代の王、紂王(レオン・カーファイ)は九尾の狐が化けた美女、妲己(ファン・ビンビン)に魅了されている。彼は操られるままに暴政を行い、周辺への侵略を開始。人間界では魑魅魍魎が跋扈し、乱世が始まろうとしていた。事態を重く見た仙界最強の道士にして周の軍師、姜子牙(きょうしが)(ジェット・リー)はそれを阻止しようと楊戩(ようせん)(ホァン・シャオミン)、哪吒(なた)(ウェン・ジャン)、姫雷(きらい)(ジャッキー・ヒョン)らを遣わす。一方、妲己もすでに謀略を張り巡らしていて神と魔の戦いが始まる。(Wikipediaより)

 始めに明言しておくと、この物語非常に中途半端なところでぷっつりと途切れて終劇している。続編を大前提として制作し、その予定がぽしゃったのか、まさか物語の余韻とか考えてここまでとしたのか。どちらにせよ確実に言えるのは、非常に不誠実な映画であり、見るに値しない作品になったと言うこと。

 またさらに、自分の分類としてこれは「映画ではない」と思う。
 
 映画の定義は人それぞれにあるだろうが、「映像でなにがしかを伝えようと目指し、そのために様々な要素をより合わせたもの」だと自分は考えている。この線引きで今作を位置づけると、まずこの作品は何も伝えようとしていない。その場その場の映像的快感を担当がばらばらに追い求め、つなぎ合わせたものである。

 映像単体でみると、かなり頑張っている。衣装デザイン、舞台となる建築物のデザイン、ダイナミックなアクション、そつなく画面を統一しているCG技術。正直に言って、(かかっている予算が違うのだろうが)邦画のクオリティを軽く上回っている。

 しかし、それぞれの映像がつながって形にしたものは、価値においてマイナス、ゴミである。
 このような言い方は大人げなく、関わった人に失礼とも思うが、この作品を認めることの方が関わった人たちへの侮蔑になると思う。
 各スタッフが才能と時間を費やした努力を認めるからこそ、きちんと評価しておくべきだ。
 
 各シーンはどこかで見た映像の焼き直しである。
 指輪物語、スターウォーズ、アベンジャーズ、インモータルズ、ヒューゴの不思議な発明――。
 見ているとたくさんの作品が想起される。映画以外にも日本の漫画からの影響も大きそうだ。
 これだけの技術があるのなら、新たな映像美を描くことが出来たのではないだろうか。
 
 センスが厳しい。
 センスについてとやかく言うのは言う方にとっても怖いものだが、今作は中国独特ののりがきつすぎる。
 かわいいはずのちびキャラは完全に気持ちの悪い存在であり、見ていて不快感しかない。
  ※パクられた中華ドラえもんの気持ちの悪さを想起してほしい。
 ジェット・リー始めとする大御所の演技のバタ臭さも本当に厳しく、レッドクリフのような寒さである。
 お寒い会話のやりとりにやたら尺を取るのもやめてほしい。
 いくら見た目を良くしても中国の映画のよくある感じがそのままだ。
 
 話が無意味。
 ご都合主義というのもはばかられるほど、物語に意味がない。
 なんらつじつまに頓着せず、好きな場面だけ作っている。
 このような姿勢だから、ラストを中途半端にしても平気なのだろうか――。
 
 カメラ割りがひどい。
 半分以上のレイアウトで水平線を斜めにしているのではないだろうか。
 エロゲームのイベント絵かと言いたい!
 カメラは虫のようにぶんぶん動かして定まらないし、高速アクションのカットつなぎももうワンテンポ待てば気持ちよいだろうに、といったずれが常につきまとって不快。
 
 特に自分がきつかったのは、全編ににじみ出るモラルや連帯感の低さ。
 各人好き勝手にやっているだけで、協力とは他者の力を利用することと言う認識。これは敵も味方も同様。
 シナリオとしておもしろいからそうなっているのではなく、息を吸うように自然に前提になっているのである。
 ――古い映画を見るとき、今ではあり得ない他人種や異性への扱いを見ることがある。時代が違うのだから前提となる文化基準が異なるのも当然。これを糾弾するつもりはないが、あまりにかけ離れていると見ていて気分が悪くなるのも確かである。
 この作品を見ていると、中国の文化と我々の文化は相容れないのだろうと強く感じる。
 時代の違いのせいでないのなら、これは何による差異なのだろう。
 中国の民度がまだ発達途上である所以だろうか。国の制度の違いだろうか。
 ともかく大きな違いを突きつけられて、人類皆兄弟なんて遠いよなと素直に思えた。
 
 最後にも改めて書くが、中途半端なところで終わる映画なので、見ない方がいい。
 
 

2020年6月4日木曜日

バトル・ロワイアルII 鎮魂歌

バトル・ロワイアル II 鎮魂歌(レクイエム) スペシャルエディション 限定版 [DVD] 

 ☆☆☆☆
~若手の演技が下手~
※2008年以前の感想に追記したものです。

 2003年邦画。大ヒットとなった1作目「バトル・ロワイアル」の流れを汲んだ続編。
 1作目は中学生の殺し合いを描くセンセーショナルな設定が賛否両論となり、結果大ヒットとなった。
 話題性だけでなく、ヤクザ物や時代劇でバイオレンス映画の巨匠となった深作監督の新境地として海外でも高い評価を得た。
 
 1作目は小説「バトル・ロワイアル」を原作としていたが、続編が執筆されていないため、今作は映画オリジナルとなる。
 中学生のクラスメート同士に国家が殺し合いを強制するという前作のその後、生き残った者たちがテロリストになり、それを殲滅するためにこれまた中学生が投入される。
 設定だけ聞くとなんやこれは、となるが納得行く説明はない。これは前作の殺し合いも同じで、とにかく特定の状況に放り込むことが目的なので、設定自体にはこだわらない方が楽しめる。いわゆるデス・ゲーム物としては丁寧に説明されている方だ。
 
 残念ながら今作は深作欣二監督の絶筆(っていうのかな?)となる。完成を待たず他界されてしまった。
 冒頭の数十分はおもしろいが、それ以降はだらだらとした展開。感情移入できない人々のうっかりちゃっかりを見せられるのみ。
 大人と子供の対立する世界で、子供同士の戦いが強制されるというシチュエーションなので、中高生の出演者が大半。彼らが、如何ともしがたく、演技下手。視聴中常に冷や水をぶっかけられるみたいなもので、心が風邪をひきそう。
 中途半端に馬鹿馬鹿しい展開にあきれていると、限界を越えた阿呆なシーンが突然飛び込んできて、これには驚かされる。嫌みではなく、あそこまで無茶苦茶だと「そういうもの」だと納得させられてしまう。このシーンには心が揺さぶられたが、これだけのために見る映画でも無く――。一通り観ればどこかはすぐに分かると思う。

 撮影半ばで力つきた監督の後を、プロデュースをしていた息子が継いだということだが、おそらくこの息子さんがほとんどの部分をディレクションしたのでは。そう思いたい。たたき上げの熟練監督にしては、つたなすぎる。
 
 特典映像で撮影風景が収められており、みんな一生懸命で真面目にテンション高くがんばっていた。……なのに、こんな作品になってしまう。映画というものは、本当に難しいものなのだな。



Dolls

Dolls[ドールズ] [Blu-ray] 

 ★★☆☆☆
~バッドエンドのみのアンソロジー~
※2008年以前の感想に追記したものです。

北野武監督の分類不能な作品。
絵画に例えるなら中途半端な抽象画。
何が描いてあるかはわかるが、なぜそのような描き方なのか分からない。
映像によって描こうとしている感情が放射されてはいるのだが、伝わってこない。

貫禄のあるゆったりした間の撮り方。絵になる映像。
北野武は紛れも無く一級の監督だと思うが、その方向がどんどん一般から剥離していく感触。
もちろん、悪い意味で。
抽象表現を緩めて、「あの夏いちばん静かな海」のような観客を選ばない表現に立ち戻ってはくれまいか。

エピソードのそれぞれは素晴らしい切り取り方だと思う。
ただ、やはりやくざがでてきてみんな不幸になるというのは、もう飽きました。