2021年8月30日月曜日

さよならの朝に約束の花をかざろう

さよならの朝に約束の花をかざろう [Blu-ray]

☆☆☆☆
~「悪し」ときちんと書いておきたい~


 ごちゃごちゃと聞こえの良い言葉を並べて、結局雰囲気が残るだけできちんと覚えることは出来ない。

 この、題名に対する感想が、そのまま作品の感想となる。

 2018年の日本アニメーション映画。アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』『心が叫びたがってるんだ。』の脚本家、岡田麿里が初監督を務めた。

 10代半ばの若い姿のまま数百年を生きる不老長寿の一族「イオルフ」は、人里離れた土地で「ヒビオル」とよばれる布を織って静かに暮らしていた。しかし長寿の血を王家に引き入れることで王家の神秘性を高めることを画策するメザーテ国王の命により、軍人イゾルの率いるメザーテ軍が翼をもつ古の巨獣「レナト」に乗って襲来し、イオルフの里は侵略される。<ウィキペディアより> 

 RPG的な中世ヨーロッパ風の世界観の中で、長寿一族の少女と、彼女が拾い育てた普通の男の子の長い関わりを描く。
 一緒に歩める時間と、剥離して元には戻らない時間。開く一方の時間のズレが生み出すドラマ。狙いは分かるが要素、エピソードが散漫で一貫性を感じにくく、後味だけで何とかまとめるような(まとまっていない)作品に。

 この作品は、内容というよりその存在が、自分の「物語作品の受け取り方/評価の仕方」に問いかけてくる。
 
 『罪のない善意の駄作をどう評価するべきなのか』
  
 外から見ても分かる善意を発端とした創作、一生懸命作った誰にも迷惑をかけていない作品に、ネガティブな評価を挙げるのはとても気が重いものだ。
 
 たとえば優しい協調的な子ども達が力を合わせて作った「つたない絵画作品」。
 そして社会から断絶された破綻者が己のパーツをつなぎ合わせるように形作った「名画」。
 
 観衆の目前に引き出されてどちらを選ぶのかと問われたとき、いったいどちらを選べばいいのだろうか――。このやっかいな問題をこの作品は突きつけてくる。

 作品評価には様々な軸があり、状況によってその軸は切り替えられるべきだ。学校教育の一環としての評価ならば、作品自体の質ではなく過程や態度の方が重視されるべきだし、商品としてみれば売れる売れない(売れそう、売れなさそう)になるだろう。それらとは断絶した、個人の感想の場合、結局己は何を基準に作品を評価し、それをしたためるのかと問われることになるのだ。

 これは結構心理的負担の大きいことで、妙な重圧を感じる。世の中の評価と自分の評価が剥離した場合を思うと、とても怖いのだ。
 
 そういった葛藤をそれなりに経た上で、この作品に対する自分の評価は「とても低い」である。
 
 作品を、その作品としてだけで見たとき、どう感じたのか。

 制作者がどのような想いとを込めて、どういった経緯で作ったのかは作品理解の上で重要な要素であることに異論は無いが、それら作品以外の付随情報は内容をよりよく理解する手がかりに過ぎず、それ自体が評価を左右してはならないのだ。
 
 キャラクターデザインの吉田明彦氏はゲームファンにとっては特別の存在だ。『伝説のオウガバトル』『タクティクス・オウガ』といった伝説的なゲームのグラフィッカーである。デフォルメされた人物画と技術に裏打ちされた装飾デザイン、質感表現。簡素と複雑、静謐と躍動が混在した画風は、ともかく見る物にロマンをかき立てる
 彼の作風はキャラクターを自分で操作することで感情移入していく「ゲーム」というジャンルにぴったりである。良い具合に隙間があるのだ。同様の理由で小説の挿絵としても向いているだろう。
 
 ただし、どうやら映像作品のデザインには向いていなかったようだ。決められた(短い)時間でキャラクターを伝える必要のある映像作品、特に全編二時間の映画にとって、曖昧さはキャラクター理解の助けにならずむしろマイナスに。子どもから老人までの長大なスパンを追う物語なので、年代ごとのキャラクター同一性(年月による変化)を一目で理解することが大切なのだが、大して変わらなかったり、突然変わったりする不明瞭さは物語理解の壁になっている。
 音楽や小物演出でキャラを図像学的に表現するといった方法もあったのではと思うが、そういった方向への配慮は無かった。

 背景美術も壮大で緻密であり、一枚絵や挿絵としては強いのだが、人々が生きる世界としてはとんでもなく空虚だ。
 密度のスケール感が合っていない。
 あのような建築物を集積させ、美しい材質で敷き詰めた空間をあの程度の人口で構築維持できるはずがない。過去のオーバーテクノロジーで作られた都市を発見した人々がそこで暮らしているだけ、と聞けば納得できるがもちろんそうでは無いようで。
 
 こういった難は感じても、映像に魅力は十二分にある。各シーンの美しさは特筆できるクオリティであるのだが、かぶせるように残念なのは、そこで演じられる内容が――とても表層的で「演技の為の演技」にしか感じられないという点。

 脚本家という神に都合の良い台詞を言わされているだけだ。

 キャラクターがそこで生活している上で発した言葉ではなく、映画を見ている人間に必要な台詞だけが生成されている映画内で描かれている以外の時間が、キャラクター達には存在していないのだ。舞台役者が役者だと分かった上で大仰にしゃべる台詞。
 キャラクターから発せられたと感じる言葉が最後の最後までない。
 
 行動原理が一定しておらず、誰もが曖昧でふらふらしている。腹をくくって一道を進む人間がいない。
 脚本家という神に言われたからそう動いているだけ。キャラクターがみな、本心を隠してただ言うとおりにしている。口惜しく陰口を叩いていそうだ。
 
 詳細説明は許してもらって、気になった点をメモとして列記。
 
 ・久しぶりの再会なのに逃げ出した意味が分からない
 ・悲劇としても中途半端
 ・若者と年配で存在の立ち位置をくっきり分けるべき
 ・「ヒビオル」という言葉の響きがあまりに短絡過ぎて、それだけで不安
 ・織物で気持ちを伝えるという設定が上手く生かされず、縛りになっている
 ・主人公に生きていく武器がなさ過ぎる
 ・主人公一族がこれまで滅んでいないのが不自然
 ・血の通ったエピソードがまるで足りない
 ・声優に癖がありすぎ、嘘をさらに嘘くさくしている
 
 最後に――。
 
 ラストの万感を伝えるシーンに全ての焦点を合わせて全編を構成しようとしたのだと思われるが、失敗している。
 そのシーンにつながるためだけの退屈な作業を延々見せられた感じで、ドミノを並べる作業にたとえると近いのかも知れない。それらシーンにも、きちんと説得力や楽しみがなければ、物語の積み上げではなくただの作業になってしまうのだということがよく分かる。
 
 同様の一点に焦点する構成として『波の数だけ抱きしめて』と意外なほど類似しているが、完成度には雲泥の差があり、比較してみると今作のつたなさが理解しやすいかも知れない。

 もう結論は出ているのにだらだらと修辞を並べてなかなか終わらない会話のように、最後の最後まで潔くない、できの悪い作品だった。

 強い心で、明記しておく。



夜明け告げるルーのうた

「夜明け告げるルーのうた」 Blu-ray 初回生産限定版

★★★☆☆
~動きの魅力の功罪~


 2017年の日本アニメーション映画。監督は『マインド・ゲーム』『ピンポン THE ANIMATION』の湯浅政明。中学生男子と人魚の女の子の交流を描く。
 

 東京出身の中学三年生である足元カイは、日無町の父の実家で、父・祖父と三人で暮らしていた。日無は人魚の伝承のあるひなびた漁港だった。カイは感情を表に出さず、学校の進路調査には何も書かずに提出した。
 夏休みが近づいた頃、カイは自作の打ち込みを動画投稿サイトにアップする。それがきっかけで、同じクラスでバンド「セイレーン」を組んでいる遊歩と国夫からメンバーに誘われる。<Wikipediaより
 
 思いついたシチュエーション、レイアウト、画面的な喜びにあまりに引きずられ、物語全体としてのまとまりは後回しにされている印象。骨子は押さえられているので破綻した印象は少ないが、もっと丁寧に扱ったほしかったエピソードは多い。その意味でつじつまが合っていない(道理がよく分からない)部分は多く残る。だいたいは綺麗に袋に収まったが、ごつごつといびつな形が残ってしまったな、という感想。

 切れの良い動き、胸が空く映像。アニメーションの気持ちよさを堪能できる。小学校二年生の息子も最初から最後まで飽きることなく見終えることが出来た。107分というのは結構な長さであり、全体的なテンポの良さと適切な間隔で現れる見所がなせる技だろう。ちょっと怖いシーンもあるが、大丈夫だったみたいである。

 一曲の歌を中心に据えてまとめたアニメ作品としては新海誠監督の『秒速5センチメートル』が有名で、これなどはクライマックスの映像とあまりに合致するため山崎まさよしの曲「One more time, One more chance 」のプロモだとか言われたりもしている。今作で取り上げられている斉藤和義の「歌うたいのバラッド」は映画全編でまんべんなく使用されており、映画のテーマにもよく合致しているため劇伴(映画の音楽)としてきちんと機能している。実際に出てきたりはしないが、作品世界の中にも「斉藤和義」が存在していて、その曲を主人公がコピーするという立て付けになっている。

 監督の湯浅政明の、観客を引き寄せる握力が非常に強いことを、良くも悪くも再確認させられる。
 動く気持ちよさとは半ば暴力的な引力で視線を引き寄せる。だから観てしまうし、一定の満足を得られるのだが、やはり監督は根本がアニメーターなのだろう。動く気持ちよさに自身も逆らえず、シナリオよりも重視してしまう。ことシナリオとして考えた場合、オリジナル作品に首肯できる作品が少ないのだ。決しておもしろくないわけでもなく、駄作でもないが、まとまりきらないのだ。
 むしろ原作物に対して、元からある基盤に魅力をどんどんふっかけていくことで名作傑作を生み出しており、こちら路線の作品を期待する。

 <原作あり>
  『マインド・ゲーム』『四畳半神話大系』『ピンポン THE ANIMATION』

 <オリジナル>
  『ケモノヅメ』『カイバ』

 ともあれ非常に精力的に数多くの作品に関わり、実際に排出している湯浅監督は本当にすばらしいアニメーション監督だと思う。 

 3DCGではなく、線画をCG補完して滑らかに動かす技術を生かした作画を推し進めているようで、今作でも使用されている。CGというと湯浅監督のテイストとは一見相容れないように感じるが、今作の用法は動画の作成部分についてのCG。アニメーションはキーとなる原画を動画でつないで構成しているのだが、動画作成の部分をCGで行っているため、原画が押さえたアニメーションの肝を活用しつつ、非常に滑らかな動画を生成。結果、質と密度の高いシーンを量産している。

 物語としては自分の殻を破って羽ばたいていこうとする少年の姿を描いており、普遍の共感を多くの人に(うっすら)感じさせるだろう。



波の数だけ抱きしめて

波の数だけ抱きしめて [DVD]

★★★★
~最後の「叫び」にあわされた焦点~


 1991年の日本映画。青春回想映画、とでも言えば良いか。
 「バブルの、バブルによる、バブルのための」と言った雰囲気のあるホイチョイ・プロダクション三部作の最後を飾る一作。「私をスキーに連れてって」「彼女が水着にきがえたら」に続いた作品。1992年はバブルのはじけた年ということでまさに最後の落とし子だが、何かその行く末を予言しているような切なさに満ちた作品になっている。

 高校からの友人である四人の男女。大学生になってもその仲は変わらず、サーフィンで賑わう湘南でのミニFM放送に青春を燃やしていた。
 進展しない男女関係に懊悩する中、五人目の男が突然介入。恋心とミニFMに後戻りの出来ない変化を与えていく――。
 綿密に積み上げられた全編の構成には感心させられる。
 物語はとある結婚式が開かれている教会から始まり、それに集った級友達が過去を回想する形で展開していく。
 まず結婚式のシーンは白黒画面。どう見ても曰くありげな二人の男女が、かたや式の新婦、かたや遅れてきた列席者。ぱっと見て分かるかつての恋の不幸せな結末。ここから不倫関係が始まるといった雰囲気はまるで皆無のカット割りと演出。変に引っ張らずにそのまま列席者同士の車のシーンへ――。

 結末が最初に描かれている。しかも寂しい結末。
 不幸が分かっているのを前提に描かれる物語はある。
 最もなのは『タイタニック』。あの船が沈むことを知らずに見たという人は、何というか事故で映画を見たような人だけだろう。ネタバレというのではなく、来たるべき、約束された悲劇が展開されることを前提としたドラマ。一つの手法だ。

 物語はそうして列席した友人同士が車に乗り込み、懐かしい場所に行ってみるという流れで進んでいく。9年前のあの浜辺に向け、二人の車はトンネルを通る。聞こえていたFMラジオがトンネル半ばで途切れ、出口が近づくとまた聞こえてくる。こういった現象は、自分もよく体験したことがある。本当に長大なトンネルは電波のリレー処理が行われて、どの位置だろうがラジオを聞くことが出来る。(おそらく非常時の避難指示などのために法令か何かで規定されている)

 トンネルを通り抜けると、白黒の画面に色がつき、二人は9年前の学生の姿に――。

 普通白黒で描かれるのは過去のシーンだが、今作では現在が白黒、過去がカラーになっており、もうこれ自体でかなり切ない。予感されるオチの寂しさが際立つという物だ。かといって最後までその雰囲気を全うするのかというとそうでも無い。
 映画の最後にはまた現代のシーンに戻り、廃墟同然になった懐かしの場所の前で二人だべるのだが、そこに他の仲間達が集まってくる。ただし、結婚したヒロインだけは現れない。これはなかなかに潔く、立派な姿勢だ。だからこそそれ以外の者達の会話が時を経て優しく、寂しさの薄まったものとなり、懐かしくはあるけれど、皆きちんと今を向かい合っている証明となる。
 
 そして、ヒロインの結婚をきっかけに集まれたことで、皆があの日を相対化し、これからに戻っていく。最後には現在に色がつき、終わるという形。

 冒頭以外にもトンネル通過シーンは真にクライマックスといえる場面でも使用されており、このシーンのためにこの映画の全てが組み上げられている。その叫びは僕の心にも強く残っており、他の全てを忘れてもこのシーンだけは覚えていた。この映画を初めて見たのは20年以上前の大学時代だが、ハッピーエンドとは言えない結末に、そう、たぶんショックを受けて傷ついてしまった。その傷は彼の叫び声と癒着しており、もう一度観たいのだけれど、怖くて、痛い思いがいやで――何となく避けてしまっていた。それくらい、焼き付いている。

 こうして再度観ると、ショックはショックだが、なるほど見方も違ってきており、部分ではなく全体として飲み込めた気がする。

 記憶していた以上に綺麗に、きちんと組み立てられた佳作である。

 引っかかるのは、映画のまとった雰囲気が「当時ちょっと懐かしい1982年」(1982年を1991年の結婚式から振り返る内容)となっており、何というか、二重に古くさい。年代ががっちり決められているので、その再現は見事なのだろうが、年を経るごとに古びていく気がする。
 特に女性陣の日焼け表現は(本物の日焼けなのかも知れないが)塗料塗った感がひどく、ちょっとしたコメディ感が出てしまっている。
 トレンディ・ドラマ、映画に共通の欠点(もしくはノスタルジーという利点)なのだろうが、アイコンとしての美男美女が直感的に分からないというのは少し寂しいものだ。


 

2021年8月27日金曜日

プルガサリ

プルガサリ [DVD] 

★★☆☆☆
~「カンフー抜き香港映画」+「ゴジラ」~


 1985年の朝鮮民主主義人民共和国の映画。いわゆる北朝鮮の映画
 国際関係の影響で完成後10年以上公開が待たされたとか、あの金正日が自らプロデュースしただとか、ゴジラスタッフが予算使い放題とか、すさまじい売り文句のオンパレードでこれは「伝説の映画」といわれるのも理解できる。理解できるが、内容だけ見ると、まあまあ見所のある特撮映画でしかない点は押さえておくべき。日本での公開は1998年となっている。

 高麗王朝末期、苛斂誅求による飢饉で民衆は苦しんでいた。あまつさえ王朝は、農民たちの農具をとりあげ、鍛冶屋のタクセに武器を作らせようとする。これに抗議した鍛冶屋タクセは捕らえられ獄死する。しかし獄中でタクセは無念の思いを込めながら飯を練って小さな怪獣「プルガサリ」の像を作っていた。娘のアミは父の遺品として針箱にプルガサリをしまっておくが、ある日裁縫中に指先を傷つける。アミの血を受けたプルガサリには命が宿り、針などの金属を食べることで成長していく。 <Wikipediaより

 あらすじにあるように、なんと獄中に投げ入れられた飯粒でつくられたフィギュアがどんどん成長。始めは手のひらサイズから大怪獣まで大きくなるのだが、その途中の大きさがどうにも一辺倒に大きくなっている感じがしない。シーンごとの見栄えでかなり印象に差異があるように感じる。でかいのか小さいのかよく分からない感じは『大魔神』の感触に近く、あやふやな印象は身近さと不安感につながっており、怪獣らしい気味の悪さという演出とも言えるがおそらく偶然だろう。

 物語は分かりやすいが行き当たりばったりで、展開も同様のシーケンスが入れ子になっていると感じる。いつも困ったことは同じおばさんが駆け込んできて報告など、わざとコメディ調にしているのかと疑ってしまう。印象としてジャッキー若かりしころの香港カンフー映画に非常に近い。
 最後、民衆の味方である大怪獣が目的を達成した後どうなるのか。海に帰るのではない場合、何らかの破綻、破滅を招くしかないのだが、今作は鉄をむさぼる怪獣。食欲を満たすためには他の国を襲って鉄を奪うしかない! というところで極悪な展開になる前にメロドラマ調にまとまるのも綺麗。
 
 見た人誰もが感じるだろう点は二つ。

<群衆シーンすごい>
 さすが社会主義国。動員している村人、軍隊の人数がすごい! これはもう画面から如実に感じられる迫力で、同時代の他の映画と比してもかなりの物だろう。しかもみんな本気。お金で仕方なくやっているとか、気が抜けている印象はまるで無く、必死さを感じる群衆――。これも社会主義独裁国家の効果といえば効果なのか。
 群衆以外の一部小道具もすさまじく、山肌から一斉に投げ落とされる材木(製材ではなく木をそのまま引っこ抜いて乾かした感じのもの)はその物量に驚く。CGや特撮のすごさを知っていても、実物だけが持つ迫力という物は、確かにあるのだ。

<特撮シーンすごい>
 脂ののった特撮スタッフが金に糸目をつけずに制作したというのだ。すごくないはずがない。
 といっても当代の最高水準、ということなので今みるとちゃちく感じるところは多い。そんな中で際だって目を引くのが、プルガサリのバストアップだけで使用されていると思われるアニマトロニクス。中に人が入っているのではなく、精緻な模型を複数人がかりで操演しているタイプと目されるが、目の動きや口元のりりしさ、撮影時の光源調整具合などが引き出した本物感がすさまじい。
 プルガサリ炎上シーン、ミニチュアの王朝群本拠地(すごく派手で大きな正倉院みたいな建物)をぶちこわしていくシーンも目を見張らされる。
 反面アクターが入ってギャオギャオ動いているシーンは日本人が慣れ親しんだコメディ感あふれるもので、どちらかというと物語に似つかわしくない。ひょうきんさが必要の無い部分までその要素が漏れ出してしまっているのはムードを壊してしまっている。 



2021年8月15日日曜日

クライムダウン

クライムダウン[レンタル落ち][DVD] 

★★☆☆☆
~出落ちで終わると思う無かれ~


 2011年イギリス制作のサスペンス映画。日本未公開だが各種ネット配信に載っていたので割と見た人がいる印象。自分は午後ローで。
 原題「A Lonely Place to Die」で「死ぬための孤独な場所」といったところ。
 邦題はクライムが山登りの「climb」なら「手足を使ってよじり降りる」と言う感じだが、犯罪である「crime」ともかけてるのかな。

 スコットランドの登山を楽しみに来た5人の男女。広がる山岳高地をトレッキング移動中に異様な「声」が聞こえてくる。
 元をたどると林の中の一角にパイプが突き出ており、まるで空気穴のよう。声はそこから響いていた。
 状況が分からぬままあたりを掘り起こすと木の箱。その中には幼い少女が――。

 
 山登りの5人は二つのカップルとあぶれた男一人。カップルのうち一つは付き合いだしたばかりのようす。その女性とあぶれ男とは山登りのコンビとしてのつきあいは長いようで――。
 上記のような配置が割と丁寧に説明されるので、男女の恋愛駆け引きも要素に入ってくるのかなとのんきに構えていたら、少なくともそういった方向をシャットダウンする展開の続出。え~! そうなっていくの?
 
 といっても落胆するというより流れに乗ったまま楽しむことが出来る。少女が埋められていたというのは今作のフックとして最も強いが、それにまつわる謎(どうしてあのような場所に埋められていたのか)は早々に回収。これは出落ちのがっかり映画かと心配するが、逃走劇の形態がどんどん変化、その規模もどんどん膨らんでいき、これはこれで楽しめる。最後には祭りに沸く町になだれ込み、警察官を巻き込んだ大量殺人&火事と予算内で行けるとこまで行ったる感じが気持ちよいほど。

 少女埋没をきっちりフックとして設置、これは宣伝活動でネタバレになることを前提にした上で全体を組み立てているように感じる。
 
 なるほど、見終わった後にどうしても思いやってしまう大きな、もしも――。
 ――もしも、あのとき彼女を掘り出さなければ――。
 
 誰が一番の犯罪者なのか。事の発端の犯罪者はもちろんだが、命を至上としたとき、最も被害が少なかったのはどういう選択だったのか。
 いろんな食い違いと偶然……。大きな流れの中では悪人の選択も、善人の選択も、等しく意味が乏しい物なのだろうか。
 
 映像的にはスコットランドの高地の森や川が美しいが、あまり予算が無かったのか撮れるだけ撮っておいてつなげると行った雰囲気。テンポを生み出すためのスローモーションは上手に使ってあると思うがいささか頻繁すぎてだれ気味なのが残念。

 

 


 

リオ・グランデの砦

リオ・グランデの砦 HDリマスター [Blu-ray] 

★★☆☆☆
~丁寧な脚本のウエスタン~


 1951年制作の米映画。日本公開は1952年。
 名匠ジョン・フォード監督の騎兵隊三部作の一つで、後の二つは『アパッチ砦』『黄色いリボン』。
 南北戦争後インディアン討伐を任務とした騎兵隊を舞台として家族のつながりを描いた映画。
 
 西部劇とくればともかく戦闘に明け暮れるアクション映画かと思いがちだが、ジョン・フォード監督の映画は異なる。映画を作るための方便として西部劇の形をとっているが、真実描きたいのは土地に根付く人々の生活の有様であるように感じる。脚本は丁寧に丁寧に作られていて、小さな言葉の端々に含蓄や意味が垣間見える。
 

 リオ・グランデはアメリカ南部、メキシコとの国境付近であり、国境を侵犯できない両軍の合間を行き来するようにしてインディアン達の攻撃が頻発していた。部隊を指揮するカービー・ヨーク中佐(ジョン・ウェイン)は国の命令に従って国境内側での作戦を行うが被害は続くばかり。補充兵として新兵が到着するが、その中にカービーの一人息子ジェフが居た。ジェフはカービーと妻キャサリン(モーリン・オハラ)の紛れもない実子であるが、過去の事件でキャサリンがジェフを連れて別居して以来もう10年以上会っていない。親として、子として上官と部下としてぎこちないやりとりが始まるが、なんとキャサリンも乗り込んできて――。


 偶然(?)配属された息子はともかく戦場に奥さん連れ込むの? と驚くが、シチュエーションとしてはこの上なくおもしろい。実際当時の戦場がどうだったのかは分からないが、映画の中では洗濯を受け持つような婦人団が結構な人数随伴しており、それが部隊員誰かの妻や恋仲という感じ。子ども達も1ダースほど。ラッパ兵や進軍のための歌唱隊(これは要人歓迎の儀式に活躍。今作では出番がめちゃんこ多い)も賑やかで、ともかく世界大戦のイメージとは隔絶している。言うなれば貴族的趣味や様式美が色濃く残っている印象。ロマンが残った戦争。
 真実かどうかはともかく舞台背景としてとてもおもしろい。
 
 映画を観ただけでは分かりにくい部分があり、以下ははっきり理解しておいた方が楽しめる。

 
 ・南北戦争時、北軍に従軍していたカービーは命令に従って妻キャサリンの親族の農場を焼き払った
  ※このとき実際に火をつける作業に当たったのが……。
 ・それに怒ったキャサリンはジェフを連れてカービーの元から離れた
 ・離れてはいるもののカービーは二人を気にかけそれ以降の動向を把握していた


 馬の疾駆するシーンの迫力は近年の映画に負けない。というか、別次元の生々しさ。ジョン・フォードは黒澤明との会話で乗馬シーンのこつは「コマ落とし」と「土煙」だと語ったと聞いたことがあるが、まさにそれ。不自然ぎりぎりの馬の走りは、あっという間に小さくなり、また近づいてくる。ある意味特撮なのかも知れない。土煙の効果もすさまじく、画面が賑やかで変化に富む。
 白眉のローマ乗りシーン(二頭の馬を軽装させ、それぞれに片足ずつ乗せて仁王立ちの状態で疾駆)はこれはもういろんな危険性排除から今では再現不可能なのでは……。CGやVFXで似たようなシーンは作れるだろうが、さらっと長回し気味に追いかけていくようなカットは採用されずばたばたと慌ただしい物になりそうだ。

 白黒映画だが観ていると色を感じることがある。
 これは他の白黒映画でもままあることだが、明らかにそうであるという材質について色味を感じるのである。今作の場合は荒れ地とそこに生える下草。土の色と草の緑がうっすらと感じられて、あれ、古くて色あせたカラー映画だっけ? とまで混乱した。
 映像は、脳が見ているのだなあ。 

 

 

愛は静けさの中に

愛は静けさの中に [DVD] 

★★★★
~存在の隔絶と求め合う情動~

 1986年の米映画。日本公開は1987年。舞台作品を原作としている。
 

 居場所を求めて様々な場所を転々としてきた中年教師ジェームズは、とある田舎の聾唖学校の教師として職を得た。少しばかり破天荒なやり方に校長に睨まれもするが、その成果とともに認められ始める。
 サラはその学校で清掃員として働いている学校の卒業生。明らかな美人であるが、過去の経験から発話訓練を行わなかったため手話しか会話手段が無く、他人を拒絶する態度から変人扱いされていた。彼女のやりとりにたぐいまれな聡明さを感じたジェームズは惹かれ、サラの世界に踏み込もうとするが――。


 違う世界の住人の出会い、わかり合おうとする情動を描く。
 聾唖者と健常者という分かりやすい形で示されるが、これは国や男女人種、その他あらゆる人間の違い――つまりは個人と個人がわかり合おうとする人間関係全てと同義であり、非常に普遍的な物語だと思う。その困難さと懊悩の深さ――そして希望。
 
 作品として気に入ったのは、「綺麗すぎない」線引き。ロマンチックだし、官能的だが、現実はそれだけで回らないということを常に暗示させる。セックスは恋愛物語の一つの到達点であるが、今作でのそれは毎日の営みといった重さで存在している。唐突に始まるがそれによって何事か解決するわけでは無く、コミュニケーションの一つ、会話の突端だったりするだけ。
 ジェームズの生徒たちについても、多くの生徒たちは彼の授業をきっかけにして変化していくが、一人だけ、決して変わらない子どもがいる。作品のまとまりだけ考えれば気の利いたエピソードを差し込んで大団円に持ち込みたいところだが、今作ではそれはそれでそのまま――。少し物足りなく進んでいくのが日常なのだ。
 善意だけの存在も、悪意だけの存在もいない。ステレオタイプに感じられるキャラクター(校長etc.)が登場するが、きちんと謝るところは謝るし、意地を張るところは張るし、ちゃんとそれぞれの人格を生きている。

 また、二つの世界が一つに重なるという結果が今作で結ばれることは無い。

 ジェームズとサラは結局互いの違いを再認し、それでも踏み込みあって、毎日を一緒に過ごしていこうと誓い合うところで物語は終わる。どちら側の世界では無く、二人の間にある新しい世界を形作ろうとするのだ。とても誠実で前向きな、素敵な結末だと思った。

 作品中過去が多く語られるが、いちいち回想されること無くてきぱきと進んで心地よく、また想像で補うのが効果的な内容となっている。これは舞台原作である所以もあるだろう。
 ロケーションもよく、ジェームズは小さなフェリー(車が数台しか載らなそう)で毎日学校まで通っている。古いが落ち着いた雰囲気の町並みはどこか赤毛のアンの世界を彷彿とさせる。
 
 障害者ヒロイン、特に悲惨な境遇が生々しく描かれた作品は強烈に心に残る……。
 武田鉄矢の『刑事物語』一作目のヒロインはソープに身をやつした聾唖者。
 日本海と三味線が迫る『津軽じょんがら節』の盲目の少女。
 
 今作で心に残るのは、やはり二人が離ればなれになる事件でのあの「音」。
 初めて観たのは大学時代のレンタルビデオ漬けの頃だと思うが、このシーンの印象があまりにも強烈に焼き付いていた。
 
 時代に左右されない、普遍的一作。

 

 



2021年8月14日土曜日

殺人の追憶

殺人の追憶 [Blu-ray] 

~入りきれない壁~
★★★☆☆
 

 2003年に制作、公開された韓国映画。監督は『パラサイト』でアカデミー賞を取ったポン・ジュノ。

 1986年10月、農村地帯華城市の用水路から束縛された女性の遺体が発見される。地元警察の刑事パクとチョが捜査にあたるが、捜査は進展せず、2か月後、線路脇の稲田でビョンスンの遺体が発見される。どちらも赤い服を身に着けた女性で、被害者の下着で縛られた上に、絞殺されていた。<Wikipediaより>

 今作は実際に発生した「華城連続殺人事件」を下敷きにしており、公開時点でも犯人は特定されていなかった。2019年にようやく犯人が見つかったが時効が成立しており罪には問えない状況。ただし、犯人は別の強姦殺人ですでに無期懲役の執行中であったとのこと。
 
 事件を元にはしているがノンフィクションでは無くフィクション。陰惨ながらも各所魅力的な内容となっている。

 現場捜査官のパクはいわゆる前時代的な刑事。しぶとく事件にしがみついていく熱意は持つが、これが犯人だと目星をつけたら、容赦なくつきまとい、警察署内の拷問部屋に連れ込んでは都合の良い供述をさせようとする始末。スニーカーの足跡を押し込むなど証拠の捏造にも迷いが無いが今回は拉致があかない。自白強要がマスコミに漏れ捜査陣が糾弾される始末。
 そんな中、ソウル市警のソ刑事が参入。パクと異なり科学的な捜査、事実の積み上げを信条とし、拷問や強要を是とはしない。同じように強い情熱を持って犯人逮捕に挑む二人だが、対照的な存在ということになる。
 
 この構図が事件の進展に合わせて変容していくのが本作の魅力の一つ。

 

2021年7月15日木曜日

聖戦士ダンバイン 総集編三部作


★★★☆☆
~記憶していたよりハードな物語~


 1983年のTVアニメシリーズを1988年に全三巻にまとめた総集編。各巻1時間弱なので全49話(ざっと16時間)をだいたい6分の1に圧縮していることになる。監督は『機動戦士ガンダム』の 富野由悠季。キャラクターデザインは『伝説巨神イデオン』『戦闘メカ ザブングル』の湖川友謙。
 

 精霊や妖精が存在し、オーラの力で機械を駆動させる世界、バイストン・ウェル。
 海と大地の狭間に存在するといわれるその世界はオーラ・ロードによって現実世界と接続されており、そこに住む者を「地上人」と呼んでいた。
 地上人はバイストン・ウェルの人々に比べてオーラの力が強いため、バイストン・ウェルの領主、国王たちは己の勢力を拡大するための戦力として地上人を召喚し、相争っていた。
 主人公ショウ・ザマは日本で暮らす青年であったがバイクで失踪中にバイストン・ウェルに召喚。オーラ力(ちから)で駆動する人型兵器、オーラバトラーの搭乗員として戦渦に巻き込まれていく。

 
 聖戦士ダンバインは玩具会社がおもちゃ販売を前提にスポンサーしていたアニメーションなのだが、『宇宙の戦士』の宮武一貴によるデザインは子供受け、一般受けはしにくい物だった。巨大な虫(というより巨獣)の甲殻を外装としているという設定に合わせてデザインされたオーラバトラーは直線が極端に少ない生物的なフォルムをしており、足先は巨大な爪として構成、飛翔用の羽根もトンボのような雰囲気とかなり攻めている。
 おもちゃ類の販売は難航し、途中スポンサーの変更があったりと打ち切りの憂き目にも遭いながら何とか完走した作品とのこと。だがこの唯一無二のデザインは時が立っても陳腐化すること無く、逆に時が立つほど他の幾多の作品の中にあって輝きを放つ。今回視聴して改めてその格好良さを再認識させられた。
 
 やはり総集編ではあらすじを追うくらいしか出来ず、幾多の勢力、数多の人物が理解できないまま現れ、消えていく。それでもとっ散らからずに本筋は追っていけるのだから、総集編としては良くまとまっていると言えるだろう。

2021年5月31日月曜日

96時間/レクイエム

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~もはや「96時間」関係ない~
★★☆☆☆


 2014年のアクション映画。米仏制作。2008年の『96時間』。2012年の『96時間/リベンジ』に続く三作目で、おそらく最終作。
 邦題の「96時間」は誘拐事件被害者の生存可能性が高いといわれる制限時間のことで、一作目はどんぴしゃだが、二作目三作目は誘拐主体では無いので苦しい。そもそもシリーズの原題は「taken」であり、捉えられたとか奪取された、という意味だろう。
 制作リュック・ベッソン、監督オリヴィエ・メガトンで二作目と同じ布陣。ということは……。
 

96時間/リベンジ

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~失われた「なまはげ」感~
★★☆☆☆


 2012年のアクション映画。米仏による制作で2008年の『96時間』の続編。
 制作にリュック・ベッソンが関わっているのは同じだが監督は替わっている。
 前作は娘を誘拐された主人公が元CIA工作員の能力を120%発揮して猪突猛進。法から解き放たれた獣が悪漢を容赦なく排除していく様はまさに爽快。分かりやすい構成で落ちも小気味よく、魅力あふれる一作だった。こちらに自分の感想があるので合わせて読んでいただくと通りが良い。
 
 この「娘を救うため」という強力な目的を続編ではどう処理するのかという点が興味深かったが、どうもパッとしない。
 

2021年4月28日水曜日

LOOP/ループ-時に囚われた男-

LOOP ループ 時に囚われた男 [レンタル落ち] 

~だまし絵のようなタイムリープ~
★★☆☆☆


 2016年のハンガリー映画。日本では劇場未公開なので情報が少ないが、ネット配信されているので視聴者はそこそこ居る模様。
 

 病院からの薬品横流し運搬役のアダム。ボスを裏切って薬品を横取り、高飛びして大金を稼ごうと画策するが、恋人アンナはそれを拒む。
 動き出した計画とアンナとの狭間で懊悩するアダムは1本のビデオを手に入れる。そこにはボスに銃殺される自分の姿が映っていた――。

2021年4月22日木曜日

リグレッション

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~アメナーバル監督の真骨頂~
★★★★


 2015年。アメリカ・カナダ・スペインの映画。スペインは珍しいなと思うがそれは監督がスペインが誇るアレハンドロ・アメナーバルなのだからしかり。
 
 自分はアメナーバル監督の作品が好きである。初めて出会ったのが長編デビューの『テシス』。続く『オープン・ユア・アイズ』と『アザーズ』まではサスペンス映画であり自分にとっては打率10割。続く『地獄からの手紙』では文芸調になり、『アレクサンドリア』は歴史スペクタクル。どんなジャンルでもかっちりと高いクオリティを維持するその手腕に感嘆するが、自分はサスペンスのアメナーバル監督が一番好きだ。
 
 そして『リグレッション』。久々のサスペンスである。ちらちらと前評判を見るとあまり好意的な意見が無いようだったので見るのが怖く、なんだかんだと後回しにしていたのだが、とうとう機会を得て鑑賞した。

 1990年。アメリカでは悪魔崇拝者による儀式的虐待や殺人の暴露が社会秩序を揺るがす大きな問題となっていた。
 ミネソタ州の刑事ケナー(イーサン・ホーク)は17才の少女アンジェラ(エマ・ワトソン)による父親の虐待告発を担当。その陰惨な内容はまさに悪魔的な儀式の様相を呈していたが告発された父親にはその記憶が残っていない。優秀な心理学者レインズによる退行催眠によって引き出された証言には、同僚の警察官ジョージの関与が示唆されていた――。

スノーピアサー

スノーピアサーBlu-ray

~寓意を優先しすぎてる~
★★☆☆☆


 2013年のSF寓話映画。アメリカ合衆国・フランス・韓国製作。監督は『パラサイト』でアカデミー賞を取ったポン・ジュノ。

2031年。世界は地球温暖化を食い止めるべく散布された化学薬品CW-7によってすべての陸地が雪と氷に覆われ、極寒に耐えられない生物は死に絶えてしまった。生き残ったわずかな人類は永久機関によって動き続ける列車「スノーピアサー」の内部にて暮らしていたが、そこでは前方車両に住む富裕層がすべてを支配し、最後尾に住む貧困層は奴隷同然の扱いを受けていた。そんな中、貧困階級のカーティスは自分たちを苦しめる理不尽な支配に立ち向かうべく、仲間と共に反乱を企てる。 <WIKIPEDIAより>
 物語を楽しんでもらうことではなく、寓意を押し付けるのが目的になってしまっている印象。そのためエンターテインメントとしてバランスを崩してしまっており寓意の先に思いを馳せることは出来ても、おもしろい映画とはとても言えない。
 雪の中を一直線に走り続ける列車はそのまま資本主義社会の自転車操業っぷりを表しており、止まることなく地球を周回し続ける有り様はまさにそれ。列車の中でひしめく人間達は階層化され、管理され、行き先も知れずに刹那的に過ごす。教育の重要性、子供に対する搾取。まさに現代の縮図。イメージとしては魅力十分だが、実際に映像や物語になってみると安っぽく取って付けたようなちぐはぐ感が強い。

 気になった点と、改善する方策を考えてみる。
 

2021年4月21日水曜日

禍つヴァールハイト -ZUERST-

 ◆◆◆300回目のご挨拶◆◆◆

 この投稿がこのブログの300目の記事となります。
 まだ300かという気も、結構書いたなという気も。
 このようなwebの端っこの文章を読んでくださる方、本当にありがとうございます。これからも継続して行きたいと考えていますので、どうぞよろしくお願いします。

―――――――――――――――――――

 

~狂気を引き寄せる呪われた作品~
☆☆☆☆

 2020年のワンクールアニメシリーズ。全12話。「KLab」がサービスしていた(2021年にサービス終了)スマホゲームを原作としている。「禍つ」は「まがつ」と読む。「ZUERST」はドイツ語で「最初の」を意味する模様。英語の「fast」かな。どうやらゲームの前日談を描いているらしい。

 自動車と魔法、重火器と剣、謎のモンスターと人々を死に至らしめる「フリーレンの炎」という災害が存在する世界。
 帝国議会は治安維持のため武器の民間への供給を違法化。だがモンスターに対抗するためには武器が必要であり、武器密輸組織が結成されることになる。帝国軍人としての一歩を踏み出したレオカディオは偶然輸送業で働くイヌマエルと知り合う。イヌマエルは実直な労働者であったが密輸組織の手違いに巻き込まれ、お尋ね者になってしまう。


 序盤あらすじを書きながら、その行為に虚無を感じている。
 映像として生まれたからには、誰が、どこで、何をしたのかは伝わらなければならないが、本作にはそれが欠けている。何となく誰かが、おそらくそのあたりで、こういったことをしたのだろう。そういったあやふやな状態が徹頭徹尾継続され、確かに何かが起こっているのだが、何かはよく分からないま全12話を終えることとなる。
 人をいらつかせる手法として、意味の分からない言葉をまくし立てるというものがあるらしい。捕虜となった特殊部隊員は、なにがしかの言語に聞こえる無意味な音声を発し続けて取調官を挑発、情報取得を困難にさせるというのだ。意味のない言葉だと判断しても、人間の脳はそれを解読しようと働いてしまい、思考を圧迫していくのだろう。本作は、まさにそれである。
 
 きちんと鑑賞したら、頭がおかしくなる作品。
 呪われた作品だといって良いかもしれない。
 そんな作品を、なぜ自分は最後まで見たのか?
 

2021年3月22日月曜日

トムとジェリー (2021年の映画)

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★★★☆☆
~実写の思いもよらぬ効果~


 まずはあらすじ。

※小一息子の感想(聞きとり筆記)
トムとジェリーは町に出かけて、けどいつものけんかで世界が注目した結婚パーティーを破壊してしまった。そして、タッグを組むことになったトムとジェリーはまずはお嫁さんを連れ戻しに行き、ペットの猫をつかって結婚式のある場所に、そしてエンディングで、その後に少しシリーズが続いた。そしておわり。
トムが飛んで落ちたところがおもしろかった。トムはちょっと詰めが甘かった。二人が結婚できて良かった。

 改めて読んでみるときっちりポイントをつかんでおり、長い映画を見られるようになったんだなあと感心してしまう。(親ばか)
 
 2021年の米コメディ映画。トムとジェリーは自分も子供の頃から見ていたし、息子がもっと小さい頃から、今に至るも放送している。何と息の長く、普遍的なコンテンツなんだろう。息子と一緒にテレビのトムとジェリーを見ていて改めてそのクオリティの高さに驚いた。

<テレビドラマ>岸部露伴は動かない

 

★★★☆☆
~三話目だけ違和感が強い~


 2020年に放送されたテレビドラマ。『荒木飛呂彦』氏の人気漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の第四部に出てくる「岸部露伴」というキャラクターのスピンオフ漫画、ならびに小説が原作であり、なかなか深層化している。
 岸部露伴は人気漫画家という設定で、創作活動に身を捧げる奇人変人となっている。多数の特徴的なキャラクターが並び立つジョジョシリーズの中でも際立ってキャラクターが立っており、様々な物語に接続しやすい立場(「漫画の取材」で事足りる)もあって案内役としてぴったりである。

 人気漫画家である岸部露伴は特殊な能力を持っている。ヘブンズドアーと名付けたそれは、人の体を本のように変質させ、ページをめくってその者の歴史、経験を読むことが出来た。
 「リアリティのある漫画」に身命を賭す彼のもとには様々な奇妙な案件が舞い込む。漫画の題材とするため、露伴は奇妙な冒険を繰り返していく――。


 
 荒木氏の漫画は実にファッショナブルであり、キャラクターたちの服装やポーズが非常に「いかれて」いる。たとえば第四部は高校生たちが主軸となる章なのだが、学生服のバリエーションがすさまじい。刺繍や切れ込み、アクセサリーをちりばめ、実用的ではないがファッションショーの衣装のようにきらびやか。漫画の中の決めポーズもモデルのポートレイトのように腕を交差し、体をねじり、躍動感あふれる物となっている。
 実写化と聞いてまず心配になるのはこの特殊なビジュアルがどう再現されるのかということだが、このテレビドラマは非常に上手い塩梅でこれをクリアしている。ファッションもポーズも原作の雰囲気を反映させた上で、動画として、実写として許される範囲にとどめている。さらにヘブンズドアーの能力も実写として違和感のない表現に落とし込んでいる。この時点で賞賛に値する。

2021年3月8日月曜日

シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇


★★★★★
~一緒に変わってきてくれた~


 延期に継ぐ延期を経て、ようやく今日2021年3月8日に公開されたシン・エヴァンゲリオン。新劇場版四部作の最終となる作品を先程みてきた。
 パンフレット含めて他の情報が入る前に、自分のファーストインプレッションをネタバレにならないよう書いておこうと思う。様々な考察を経ての感想は、また書く機会があるだろう。
 

・とても良い幕引きだった

 三作目の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」は非常にショッキングな内容で、ファンにとっては辛い内容だった。状況として墜ちきった形で終幕するため、いったいこの後どうなるのかと、評価を宙に浮かされたまま8年。この風呂敷を綺麗に畳むことはもはや出来ないだろうと思っていたが、これ以外は望めないだろうという形に至った終劇だった。
 特に各キャラクターの結末について、皆がきちんと幸せになる道筋を見いだせた点が嬉しい。
 振り返ると今作の着地点は『序』から積み上げられている物で、長い雌伏お見事です。
 

・Qがあってこそ

 Qがあってこその今作になっている。闇が深いほど、夜明けのコントラストは凄まじい。
  ※ただ8年はタメには長すぎるよね……。

・古いファンにとても誠実な内容

 TV版は26年前の作品となり、まさに四半世紀が経過している。今作は、その長い時間をシリーズと一緒に過ごしてきた視聴者に、とても誠実な内容になっている。
 自分(庵野監督)の葛藤をさらけ出したような生々しい感触がエヴァらしさの一端だと感じているが、つまり庵野氏も同じく長い時間をかけてシリーズに向き合ってきている。当時感じていたことが、時代を過ごして変わる事もあるだろう。むしろ変容していくことが当たり前だ。
 今作は、長い期間における作り手の変化を素直に認め、丁寧に総括している。同じく長い時間をかけて変容してきた受け手にとって、一緒に歩いてきた作品だと、強く感じさせてくれるのだ。
 みんな大人になったねと、作り手、受け手、キャラクターによる幸せな同窓会であり、これからも生きていこうと互いに肩をたたき合う感触。

・旧劇場版「Air / まごころを、君に」をもう一度見たくなる 

 テーマや描きたいことは旧劇、そしてテレビ版から同じで、驚くほどぶれていない。ただ、過去作はテーマを示す方法、見せ方が、子供っぽく強引で共感を得にくかったと思う。
 時を経てそれが整い、とても分かりやすく、優しい心根で展開されているのが今作だ。
 だからもう一度「Air / まごころを、君に」を見てみたいと思った。きっと昔と違う見え方がするだろう。

2021年1月27日水曜日

プリデスティネーション

プリデスティネーション [DVD]

★★★★
~壮絶壮大なタイムパラドックス~


 2014年(日本公開は2015年)。SF小説の巨匠ロバート・A・ハインラインの小説『輪廻の蛇』を原作としたオーストラリア映画。
 タイムマシンによる壮大なパラドックスを描ききった作品。
 

 町の片隅のバーに男が訪れる。バーテンダーは男の「女心はお手の物」という言葉に興味を覚え、ぜひその理由を知りたいとせがむみ、ボトルを1本賭けることで男は今に至る境遇を話し始める。それは冒頭から壮絶だった。
 「私が女だった頃――」

 
 ネタバレを気にしない前提のこのブログだが、今作についてはネタバレを避けて記述している。未見の方も安心して読んで頂けるが、本作は前情報を仕入れる前に鑑賞してもらいたい作品だ。その方が作品上でコロコロ転がされる自分の認識を楽しむことが出来る。
 以下、感じた内容を五月雨に列記。
 

2021年1月26日火曜日

オール・ユー・ニード・イズ・キル

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★★★★
~未来の端を切り開いていく~

 2014年アメリカ。日本のライトノベル『All You Need Is Kill』を原作とした「エイリアン侵略」×「タイムリピート」SFアクション映画。
 何をもってライトノベルとするのかは様々な議論があろうが、ともかくハリウッド全力で実写化された日本のSF小説である。その本気具合は主演がトム・クルーズである事からも明白。映像や演出のクオリティも高く、どこに出しても恥ずかしくない大作映画となっている。
 

 ギタイと呼ばれる異形の侵略勢力は瞬く間にヨーロッパの人類を駆逐。人類も決死の反抗をくり返すがいつも裏をかかれて敗北を重ねるばかり。
 残存兵力をつぎ込んだ最大で最後の反撃作戦を間近に控え、広報官を務めるウィリアム(トム・クルーズ)は将軍から最前線での活動を命じられる。命を賭けて戦ったことも無い口だけ勇敢なウィリアムにとってこれは死刑宣告であり、これまた口八丁で切り抜けようとするが将軍の反感を買い、脱走兵として逮捕。将校身分を剥奪され一介の歩兵として配属される。
 作戦が開始され、何の戦闘技能も持たないウィリアムは役に立たぬままギタイに殺されるが、偶然か最後の意地か、地雷を炸裂させて相打ちとなる。
 目が覚めると、歩兵に配属された場面に時がさかのぼっていた――。

2021年1月19日火曜日

移動都市/モータル・エンジン

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★★★★
~実写版ラピュタ!~


 英国の作家「フィリップ・リーヴ」の小説「移動都市」を原作とした移動捕食都市SFアクション。2018年。ニュージーランド/米映画。
 映画「指輪物語」のピーター・ジャクソン監督が脚本に参加しており、本作の監督であるクリスチャン・リヴァース自身、ピーター・ジャクソンの多くの作品でイメージボード(世界観を絵として作成する)作成に関わった盟友。
 

 世界を60分で崩壊させた戦争から数百年、人々は荒廃した土地に資源を求め都市を移動させながら生活していた。 そんな移動都市の頂点である巨大都市ロンドンで、史学士見習いのトムはある日ロンドンに「喰われた」小さな採掘都市から紛れ込んだ1人の女性と出会う。 (WIKIPEDIAより)

スーサイド・スクワッド

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☆☆☆☆
~微妙な悪役大集合~

 2016年の米映画。アメコミを原作とした複数のヴィラン(悪役)を結集させたアクション映画。
 DCコミックス(アメコミの出版社)が抱えるヒーローコミックに登場する様々な悪役達を一つの部隊にして、強大な悪に対抗しようとする物語だが立て付けからしてなかなか厳しい。
 

◇悪役の知名度が低い

 スーパーマン、バットマン、フラッシュといったヒーローの名前は聞いた事があるだろう(フラッシュは厳しいかも)がその悪役となるとどうだろうか。今作には「デッドショット」「キャプテン・ブーメラン」「エル・ディアブロ」「エンチャントレス」など多数のキャラクターが登場するが、知っている人がどれだけいるだろうか。自分は一人も分からない。最も有名な「ジョーカー」も出てくるが関わり方が特殊。ジョーカーがらみのキャラクターである「ハーレイ・クイン」は冠映画が存在するので最も知名度が高いだろうが、マニアックなことに変わりはない。
 海外での人気は知らないが、このような知名度ポンコツのキャラクターを寄せ集めたところで、微妙な印象しか持てないというのが正直なところだ。

2021年1月18日月曜日

100万の命の上に俺は立っている

【Amazon.co.jp限定】100万の命の上に俺は立っているBlu-ray BOX(初回仕様版)(2枚組)(アニメイラスト描き下ろしB2布ポスター付き)

☆☆☆☆
~狂人が作り狂人が支えた敵性作品~


 別冊少年マガジンに連載中(2021年1月現在)の漫画を原作としたテレビアニメーション。第一期12話。
 異世界転生とデス・ゲームを組み合わせた作品で、「奥浩哉」氏の漫画「GANTZ」の影響が強いだろう。
  

 人間嫌いの中学生四谷友助はある日の放課後、唐突に異世界に3人目のプレイヤーとして召喚される。ゲームマスターを名乗る未来人から完全攻略まで残り8周のクエストをクリアするように一方的に告げられた四谷は、クラスメイトの新堂衣宇と箱崎紅末とともにクエストに挑む。単独行動しつつも自分より強い2人を死なせないと奮闘しクエストをクリアする四谷だったが、周回ごとのクリア報酬で最終的に東京でドラゴンと戦わされることを知り、自分が頑張らなければ大嫌いな東京を滅ぼせる可能性に気づく。<WIKIPEDIAより>


 見ると時間を損するどころか、世界認識に対して不信を付加することになるので、避けるべき作品。無人島で一人、見られる作品がこれだけという状況でも、見ないで良い。視聴者を馬鹿にしていると思う。この作品のために「☆ゼロ」の評価を新設しようかと考えさせられたほど。
 
 1カット目で「この作品はだめだろう」と強い確信を得たのは初めて。本当に、こんなこと、ありえない。
 誰がどんな判断に基づいたって、新シリーズのワンカット目は重要だ。ファーストインプレッション。初めに感じた印象はその後に長く影響を及ぼすのは自明だ。どんなに台所事情の厳しい作品でも、作品冒頭には細心の注意を払い、なけなしの労力を費やしてクオリティを確保する。ゲーム開発でも序盤には細心の注意を払う。その世界への入口なのだから、無理なく素直に入ってもらえるように丁寧に組み上げる。

 今作はその視点において、本当に失敗している。

 暗闇の中にずらりと並んだ怪物の目が光るのをパン(カメラの水平移動)するファーストカット。いったいどのような物語が始まるのかと期待する視聴者に、不細工なモンスターをただただ見せつけてどうするのだろう。どうしたかったのだろう。しかも見えてくるモンスターのデザインがおかしい。強いのか弱いのかよく分からない微妙なデザイン。色と体躯的にRPG世界観でよく使用される「ゴブリン」なのかと推察されるが、はっきりしないので非常にモヤモヤする。
 他のRPGと同様に既存のモンスターを登場させるのは、説明を省いたり、作品世界に入りやすくする利点を持つが、微妙なデザイン変更を行って共通感を無くすることで、逆に不信と不安を高めている。ここまででこれは相当に厳しい作品だろうと確信する訳だが、さらに畳みかけてくる。
 
 OPが終わったあと本編に入ってみると、映像が全て「いらすとや」のキャラを切り貼りしたフラッシュアニメになっているのだ。
 
 「いやすとや」は商用まで含めて使用料無料のイラスト配信サイトで、どのような用途にでも使いやすいアクのない絵柄ながらきちんと個性的なイラストが豊富に取りそろえられており、町やネットで見かけない日がないほど定番となっている。このサイトのイラストを使用して第一話丸ごとを作っており、「ワケあり版」などと銘打っている。どうやら原作漫画で以前漫画自体のいらすとや版が無料公開されたなどの経緯から、今回のアニメーション化に際しても同じプロモーションを行った模様だが、僕はそんなの知らないんですよ! 普通のアニメーション版も違うチャンネルで公開されたようだが、なぜそういった情報を前提に見てくれると思ったのか……。その自信はどこから……。原作ファンで情報を追っていた人だけを対象にしており、自分などの野良視聴者は無視なのだろうか。
 腹が立つのが、この訳あり版、そりゃそうなのだがただのネタで全然おもしろくない。そもそも漫画での訳ありプロモーションは漫画の5巻として行われたようで、いきなり5巻を見る人はそうそういないだろう。4巻までの前置きがあれば、いつものあのキャラがこんな表現に――、といった楽しみ方が可能なのだろうが、アニメの一話目でこれをやったところで、初見の人がどのような感情を抱くのか、全く想像しなかったの?

 さらに腹が立つのが、二話~十二話の出来も非常に悪いこと。絵はいらすとやでなくなるが、レイアウトも演出もへたくそで、変なプロモーションを行う労力を、少しでも本来のクオリティアップに割り振った方が良かったのではないか。
 ゴブリンに続いて「トロール」「ガーゴイル」などの定番モンスターも、センスを見せようとして滑ったデザイン。常に不協和音を響かせる。
 主人公が5分くらいしか記憶が残らない思い込みの激しいヤンキーといった風情で、その場その場で勝手な思いを御大層に掲げる。一貫性など無い。噴飯物なのが何度も口にされる彼のポリシー。
 
 「いのちは皆平等だ。だから俺は俺より上等ないのちを守るためになら何でもする」
 
 ???。
 平等直後に優劣をつける発言。
 このような自分に酔った近視眼の幼稚性がキャラクターの台詞から、物語の運びから、もう全編からにじみ出ている。
 
 本当に! 頭が! おかしい!
 狂っている! 狂人が原作を書き、漫画化し、編集し、出版し――。
 またさらに狂人が今作をプロデュースしてアニメ化したとしか思えない!
 
 全員狂人!

 なにより絶望的なのはこの漫画を購入し、人気のあるものとして連載を継続させ、アニメ化につなげた読者諸兄の存在。
 きちんと鳴かず飛ばずで1巻に満たず終わらせてあげるのが、読者の良心では無いのか!

 作品の欠点をあげつらい、けなし落とすのは間違ったことだと思うが、筆が止まらない。自分はまだ未熟です。
 自分が大切にしているものと、全く逆方向のベクトルで作られたように感じてしまっている。これは、自分の持つ価値観に対しての敵性作品だ。
 第二期がすでに決まっているとのことだが、自分は決して見ないだろう。



2021年1月5日火曜日

アサシンズプライド

アサシンズプライド 1 [Blu-ray]

☆☆☆☆
~第一話は見てみて良いのでは~


 「天城ケイ」氏の小説を原作としたアニメーションシリーズ。2019年、全12話。
 

 瓶詰めの都市国家が大きな枝に連なったような世界。瓶の外側は暗闇の危険領域。人類の世界は瓶の中だけ。(なんかもう捨て鉢に感じる設定)
 暗殺を生業とするクーファは任務としてとある淑女の家庭教師を依頼される。もちろんただの教師ではなく、彼女がその家の跡取りにふさわしくないと判断すれば暗殺を行う事を含めての依頼である。
 織女メリダは能力の欠如から公爵家の血を引いていないのでは無いかと噂され、それを覆すために日夜鍛錬するものの、芽は出そうにない。
 クーファは彼女の決意にあてられ、その努力を実らせてあげたいと強く思うようになる――。


 第一話は見るべきところがある。

 映像作品というものは、時間と空間を自在につぎはぎすることを許されている。誰しもに覚えがあるように、時間の早さというものは至極主観的な尺度であるから、映像作品はそれを自在にして良いのだ。物理的に、理屈としてそれが正しいからという理由で映像を作成するのは基本的に間違っていると僕は思う。
 本作の第一話は非常に時間をかけて主人公とヒロインの関係を描こうと(描けているかといえば厳しいが)しており、名匠「出崎統」監督のような雰囲気を多少なり感じる事ができる。自分の良いと思うテンポで映像をつむぐ傲慢さ(良い意味で)。心象風景が現実を侵食するような脈絡のなさ(良い意味で)。一話全体としての出来は決して良好とは言えないが、演出の意気込みを強く感じるアニメ作品を見るのは久しぶりだ。

 また、一話冒頭にあるアクションシーンは全編通して最もクオリティが高く、フックとして充分に機能している。というか、このアクションシーンだけまるで別物。またあのクオリティ来るかな? という期待感だけで視聴を続けてしまう者もいるだろう。まあ、僕もだ。
 これはすわ良作かとときめいたが、それ以降は全く良いところなし
 
 演出の意気込みは主にカットの長さの緩急に現れているが、ツボを外したぼけぼけの時間感覚を押しつけてくるだけに。原作由来なのだろうが、あやふやな世界観が映像化されることでそのあやふやさを際立たせてしまっており、説得力皆無のままごと世界になっている。エピソードの混線具合も厳しく、シリアスなつもりなのかそうではないのかが常に分からない状態に。キャラクターの心情も筋が通っておらず、シチュエーションをつまみ食いするだけなので、物語を追うのもきつい。

 自分は声優の演技についてそれほど気にしない方だと思うのだが、ベテラン「大塚芳忠」氏が演じる「ブロサム=プリケット」というキャラの演出が明らかにおかしい。自分に酔いしれたいけ好かないキャラクターといった感じなのだが、セリフ量とカット尺が合っておらず、変な間があったり慌ただしかったりの異常事態。何らかの事故があったのか、意図した演出ではないと思うのだが……。

 エンディング曲は母に恋心を問うメリダの独白といった歌詞で作品と良く合っている。こういう雰囲気のエンディングが合ったなあ……、と考えてみると、ああ、一休さんのエンディングだ。母上様、お元気ですか?


宝石の国

 

★★★☆☆
~とても幸せな3DCGアニメーション化~


 「市川春子」氏の漫画を原作としたアニメーションシリーズ。2017年、全12話。
 

 あまりに変転した世界で、鉱物から進化した者たちが一つの島に集って暮らしていた。
 それぞれが異なる鉱物の体を持ち、色、硬度、性質なども鉱物を反映させている。
 少年でもなく、少女でもない、若々しい姿だが、鉱物らしい悠久を敵との戦いに費やして生きていた。
 敵は月人。一見仏様のような姿で雲に乗って現れ、宝石達を砕いて持ち去ろうとする。
 宝石の一人フォスフォフィライトは戦闘力が低く、その他の雑務も苦手だが、持ち前の楽観と人なつこさでそれなりに暮らしを楽しんでいた。
 宝石のリーダーである金剛先生からとある仕事を任されたことで、フォスの生活に劇的な変化が生じていく――。

 
 何とも説明しにくい物語で、世界観を理解するのに苦労しそうだが、3DCGで描かれる美麗なキャラクターがスルリとその壁を取り払ってくれる。
 宝石の輝きが圧倒的に美しい。
 生きて動いているが、硬質さを感じさせる。3DCGのぎこちなさ(故意半分限界半分?)が設定と見事にかみ合っているのだ。キラキラと輝くエフェクトも美しく、生きた宝石という存在を見事に映像化させている。原作は未読だが、宝石感の表現は確実にこちらに軍配が上がるだろう。
 戦いの表現も素晴らしい。3DCGが許す自由なカメラワークを活かし、流麗な宝石達の戦いぶりを迫力満点で描き出している。カメラの自由さにおぼれて分かりにくかったり、無駄だったりすることなく、利点をきっちり活かしてクオリティの向上にベクトルを伝えている。
 
 さらに幸せな邂逅といえるのが、物語と3DCGとの出会い。実際何を主題にし、何を伝えようとしているのか正解は知り得ないが、自分は「はかなさから来る切なさ」だと思う。宝石達が思春期の少年少女の姿を持ち、自分の存在意義を探し求めて傷つき、砕けていく様子はまさに汚れを知る前の純粋な魂の映像化である。3DCGの表現力によって、宝石達がはかない存在である事が常に明示され続ける。どんなに華麗に飛翔して、力強く剣戟を振るっても、砕けてしまう存在である事も同時に表現され続けるので、常にはらはらさせられる。一瞬後には死んでしまうのではないかというはかなさを内包した美しさ。コントラストに胸が締め付けられるほどだ。

 原作は今(2021/01)も連載中で、当然アニメも尻切れトンボ。続きが気になって薄目で見るように情報を漁ってみたが、どうやら宝石達には過酷な運命が待ち受けるようで、ちょっともう見たくないな、というのが正直な感想。そういう意味では尻切れトンボで良かったのかも。
 美しい存在がただただ無残に傷ついていき、いびつに変貌していくのを、僕はもう見たくない。

 

 

かつて神だった獣たちへ

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☆☆☆☆
~かつてコミックコンプを読んだオタク達へ~


 「めいびい」氏の漫画を原作としたアニメーションシリーズ。2019年、全12話。
 原作漫画は未読だが、試し読みの折り込みチラシで、達者な絵だな、と思った覚えがある。題名にも何か惹かれるところがあり、哲学的な内容を含むのだろうかと興味を感じていた。間違いだった。
 

 第一次大戦くらいの科学技術の架空世界で繰り広げられる大陸戦争。そこで投入された怪物化した人間兵『擬神兵』は圧倒的破壊力で戦争を終結に向かわせるが、戦争が終わってしまえば危険な化け物。またその技術は不安定であり、英雄だった擬神兵達はもどった故郷でそれぞれに問題を起こしていた。
 擬神兵部隊の隊長であったケインは獣に墜ちた各地の部下達を葬るための遍歴を開始する――。

 
 世界設定やキャラクターの行動、セリフに至るまで、一言でいうと、拙い。見た目においても動きにおいても演出においても、総じてレベルが低く、非常に厳しい出来になっている。原作漫画がどういった内容なのか分からないが、おそらく基本は同じで、画力で説得力を持たす系の作品だったのでは無いかと思う。そうで無ければアニメ化まで至る内容とは思えない。
 
 漫画には漫画の説得力や魅力があり、アニメーションにはアニメーションのそれがある。例えば台詞回しにしても、読んで理解しやすいものと聞いて理解しやすいものは異なる。画面構成も、静止した画像と動く画像では必要とされる要素が異なるだろう。つまり、漫画原作をアニメーションにするにあたっては、きちんと内容を咀嚼して媒体に合わせた再構成を行う事が必要なのだ。
 今作がどの程度原作漫画と同様なのかは不明だが、アニメーション化という作業に失敗していることは間違いない。背負ったバックパックのジェット噴射で高速移動する装置や、謎の無反動連射機関銃など、動かすと冗談にしか見えない描写が噴飯物の映像になってしまっている。
 
 ただ、みているととても懐かしかった。かつて「コミック・コンプティーク」と呼ばれる漫画雑誌があった。最近の漫画雑誌は読者の趣味嗜好に合わせて細分化が進んでいるが、昔はもっと単純で、少年向け、青年向け、少女向けくらいしか無かった。そこに「オタク向け」の内容として投入されたのがコミックコンプであり、エロ分野までカバーしたゲーム雑誌から派生したものだった。題材がゲーム、もしくはゲーム的な内容だったので、今から思い返してもものすごくオタクぽい内容だったと思う。その雑誌で連載されていた漫画のような雰囲気が、今作には満ち満ちているのだ。
 共通点は、「背伸びしてがんばったけど、子供だまし。薄い内容の雰囲気だけをたのしむ作品」
 でも、中学生の自分には楽しかったし、今のそのくらいの年齢の子達にとっても、ぴったりくる作品なのかもしれない。
 
 年齢に関係なくたのしめる作品は確かに存在すると信じるが、年齢に見合ったその時楽しい作品が大半であり、それをそれぞれの時点で楽しむのが正しい姿勢なのだろう。
 今作は、自分に合う作品ではなかった。いうても漫画でアニメで、若い子向けだ。合わない作品の方がどんどん多くなっていくのだろうな――。

 原作は現在(2021-01)時点で連載継続中で、当然アニメは尻切れトンボである。