2021年4月22日木曜日

スノーピアサー

スノーピアサーBlu-ray

~寓意を優先しすぎてる~
★★☆☆☆


 2013年のSF寓話映画。アメリカ合衆国・フランス・韓国製作。監督は『パラサイト』でアカデミー賞を取ったポン・ジュノ。

2031年。世界は地球温暖化を食い止めるべく散布された化学薬品CW-7によってすべての陸地が雪と氷に覆われ、極寒に耐えられない生物は死に絶えてしまった。生き残ったわずかな人類は永久機関によって動き続ける列車「スノーピアサー」の内部にて暮らしていたが、そこでは前方車両に住む富裕層がすべてを支配し、最後尾に住む貧困層は奴隷同然の扱いを受けていた。そんな中、貧困階級のカーティスは自分たちを苦しめる理不尽な支配に立ち向かうべく、仲間と共に反乱を企てる。 <WIKIPEDIAより>
 物語を楽しんでもらうことではなく、寓意を押し付けるのが目的になってしまっている印象。そのためエンターテインメントとしてバランスを崩してしまっており寓意の先に思いを馳せることは出来ても、おもしろい映画とはとても言えない。
 雪の中を一直線に走り続ける列車はそのまま資本主義社会の自転車操業っぷりを表しており、止まることなく地球を周回し続ける有り様はまさにそれ。列車の中でひしめく人間達は階層化され、管理され、行き先も知れずに刹那的に過ごす。教育の重要性、子供に対する搾取。まさに現代の縮図。イメージとしては魅力十分だが、実際に映像や物語になってみると安っぽく取って付けたようなちぐはぐ感が強い。

 気になった点と、改善する方策を考えてみる。
 
・ずっと走り続けないといけない理由
 映画の基本設定を飲み込んだあと、まず疑問に思うのがこれだろう。危険を犯して走り続けるのをやめて停車定住すればよいではないか。資本主義、大量消費社会の寓意とするためという以外の理由をきちんと設定しないと、バカバカしさだけが目立ってしまう。
 常に夏の地域に居なくては寒波を逃れることができない、という設定を加えては? これだけでは経線に沿って南北移動すれば事足りるし、ずっと走り続ける必要はない――。動き続けていないと凍りついてしまう、というのはどうだろう? 感覚的になんとなく許容しそうになるが、列車が移動し続けても固定されたレールが凍りつくイメージが際立つ。
 では一年周期で決まった経路を動き続ける地球コアから放射されるエネルギー波動。それを受けて駆動する特殊なエンジンと波動経路に敷設された世界軌跡というのはどうだ! まさに地球列車。波動を失う事はエネルギーの喪失を意味するので、エネルギーを追って走り続けなければならないのだ! うん、ちょっとそれっぽい。

・列車内というロケーションの厳しさ
 普通の線路を走る普通のサイズの列車が舞台というのがもう苦しい。いかにも左右の幅が狭すぎる。縦に連なった箱の中にそれぞれの施設が設置されているのだが、通路がないため移動する際には施設の真ん中を突っ切るしかない。貴族階級でも目的の車両に行くためにはサウナ車両やクラブ車両、学校車両をハイちょっとすいませんと通らなければならないのだ。引き出しに人間を押し込むという独房の設定もちょっとあり得ない。
 細かいことではないと思う。奇抜な設定を用いるなら、それに応じた説得材料を整備しなければ物語が心に届く前にツッコミで疲弊してしまう
 世界の縮図を順にたどるという展開をしたかったためだろうが、説得力を失わない方策を模索して欲しかった。どうせありえない列車なのだから、特殊な三列レールを用いた極太列車にして通路と施設を分けるとか、2階建て3階建てにしても良かったのではないか。その上で通路は封鎖されたので、部屋間を貫いていくしかない、などすれば列車内でもスノーピアサーという題名に沿ったイメージを重層化することが出来たかも。

・ラストの絶望感
 「止まらない列車」を止め、全階級等しく破綻。生物が住めない土地と思われた雪原にくまの姿。生き残った子供二人が真っ白な世界に踏み出していく……。
 これまでのしがらみをすべて脱ぎ捨て、新しい世界構築へ向かっていくという寓意的な説明としては良いラストシーンなのかも知れないが、これ、明らかに死ぬしかないよ。食べ物ないし、子供にくまを倒せるはず無い。倒せても解体して食べることなんて出来るはずない。ジョン・カーペンターの「遊星からの物体X」のラストシーンと同じ感触だよ。
 希望があるようで、普通に見たらバッドエンドでしょう。これを希望として認識させようとする姿勢がとても押しつけがましい。寓意の押しつけを最も感じるのがこの部分だ。
 大人が生き残ったり、列車の武器や道具を使ったり、過去のリソースに頼る形だと寓意が濁るのは分かる。他の手段はないか。
 なぜか(なにがしかの説明は欲しいが)子供だけが生き残っていて、止まった列車から子供がぞろぞろでてくるのは? 人数がいれば何とかなりそうな気がする。
 二人が山の峰を越えると、まばらながらも草原が見えるのは? あれ、何とかなるかな、という雰囲気は強くなる。
 よろよろと歩き出した二人が、世界の回復の予感を見た後、倒れて死ぬ。ああ、これが良い。ここまで人間社会の寓意に専心したのだ。子供だからといって人間の呪いから自由なはずはない。人類が犯した環境破壊も回復傾向にある事を見届けて、絶滅。この方が人類の愚かさを描ききることになるのではないか。

 寓意を解釈して楽しむメタな姿勢の人には楽しい作品なのかも知れないが、自分は映画に埋没して楽しむ方が好きなようだ。
 ともかく自分が教訓として強く感じたのは、「たとえ話は物事を理解しやすく置き換えてくれるが、それは本来全く別の事柄であり、下手すれば率直よりもさらに物事を分かりにくく混乱させてしまう」ということだ。



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