2020年7月29日水曜日

ゾンビランド

ゾンビランド [Blu-ray]
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★★★☆☆
~ボーイ・ミーツ・ガール ゾンビ映画~

 2009年の米映画。ゾンビ物だが陰鬱にはならないゾンビワールド朗らか珍道中。
 

 狂暴になり人間に対して食欲を湧かせるゾンビ化ウイルスがあっという間に世界に蔓延。わずかな生き残りが各地で孤軍奮闘する状況となった。
 大学生のコロンバス(人物全てが地名の仮名を名乗っている)は引きこもり体質を活かしてテキサスの街で生き残っていたが、実家にもどってみようかと思い立ち旅に出る。徒歩で向かう道中ゾンビハンターとも言える屈強な男タラハシーに拾ってもらい、彼の車に同乗。途中さらにウィチタとリトルロックの姉妹と出会い、姉にコロリと恋に落ちるがゾンビ以上に一筋縄ではいかない相手だった――。

 ゾンビという題材はあれこれと都合が良い。どんなに残虐な表現をしようが人間ではなくモンスターなので、倫理機関の審査を通すに有利だ(これはゲームでもまったく同じ。人間で無ければ良いという解釈で切り抜けることの出来る制限は大きい)。物語としても前提を共有しやすく、理由や救世の展開を用意する必要もない。非常に大きなゾンビ映画という枠の中で、他のゾンビものとの違いを表現することに注力すればよく、ともかく取っつきが良い。これはラノベの異世界転生ものが蔓延したのと同じ理屈だと思う。


 今作の特徴的な部分は映像のスタイリッシュさと、人間関係を非常に狭くとどめて、その中でのやりとりに終始していることだ。主人公は己の決めた「ルール」を守ることで生き延びており、そのルールをテンポ良く言葉と画面で示していくのが冒頭となっている。しかし、この映画はそのルールに絡んだやりとりを主体にしたものでは決してなく、これはつかみに過ぎない。なにせ三十以上のルールが存在するというのに、実際に出てくるのは十にも満たないのだ。本筋は「陰気なオタクが情けないながらもがんばって、高嶺の花をゲットする」という分かりやすい青春映画である。本来なら重ならない、異なるカーストの二人を同行させ、アピールチャンスを与える必然性をつくるのに「ゾンビ」が使用されているという形。彼の付和雷同と無駄に強い女性崇拝の姿勢に自分などは大いに共感できるが、ただただ情けない主人公に腹が立つ観客もいるだろう。そこに当てはまってくるのが短絡的だが即断即決でゾンビをなぎ倒す狂戦士タラハシー。アクションの爽快感を彼が担保することで映画全体のバランスが取られている。
 実際コロンバスは対ゾンビ戦においてあまり活躍しないが、パーティーをまとめる人物としての発言を要所で行い、最後には自分が固辞していたルールを打ち破る。己の殻を破るという成長を見せることで彼は主人公たり得ているのだ。
 
 
 行きすぎたスプラッタはギャグに繋がることはゾンビ映画「死霊のはらわた」(サム・ライミ)や「ブレインデッド」(ピーター・ジャクソン)を見るとよく分かるが、今作はスプラッタの方向ではなく、ゾンビ達の単純で懸命な行動の様子と、それに対する人間達の合理的で割り切った態度がコントラストとなって笑いを誘う。単純に追いかけてくるゾンビと距離を取るために延々駐車場をグルグル走ったりするのだ。引いた視点での滑稽さを押し出したコメディだと言える。
 「ゴーストバスターズ」主演のビル・マーレイが本人役で出ており、上滑りしがちなこの手の「本人役出演」の中ではかなり楽しいシーンを見せてくれる。ゾンビ映画をあれこれ見るのであれば、これもそれに加えておいて損はない。

2020年7月21日火曜日

博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか

博士の異常な愛情 [Blu-ray]
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★★★★
~コメディのような本物の世界で~

 1963年の米映画。巨匠スタンリー・キューブリック監督による世界滅亡シミュレーションコメディ。
 本作は白黒であり頻出する戦略攻撃機のシーンは背景の合成クオリティが低いが、これは時代の限界といって良いだろう。作戦司令室や戦闘機内部といったセットを組んだシーンは高いクオリティとなっている。
 原題は「Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb」で、直訳すると「ストレンジラブ博士 または~」になる。なので「博士の異常な愛情」はトンチンカンな訳だが配給会社がわざとこのような題名にしたようである。確かに「Dr.ストレンジラブ」という題名よりはインパクトがある。珍奇な題名の映画であるが、その内容はリアルな着想に基づく冗談に出来ないブラックジョークである。


 東西冷戦が極限まで高まった1960年代。とどまることのない核開発が続く中、24時間体勢で核攻撃に備える米軍戦略爆撃機B52にソ連の核ミサイル基地への核攻撃の命令が下る。しかもそれは本土が攻撃された際に発動する報復攻撃の計画であり、それぞれの爆撃機は特定の暗号通信にしか反応しない自閉症モードへ入った。ソ連は核攻撃を受けた際、地球全体に100年の核の冬をもたらす最終報復設備を整えたところであった。もはや核攻撃を止める手段は限られる。滅亡の危機を迎えた人類を救うべく最高司令室での会議は続く――。


 なんだかんだいって映画は作られた時代の状況を反映する。映画のフォーマットや合成精度といった技術的、基材的なものもそうだが、社会状況の影響を受けないわけには行けない。最近なら人種や性別が偏らないように病的な圧力が高まっている。この作品がつくられた当時最大の背景はアメリカ、ソ連を中心とした東西冷戦であり、核の抑止力の倍々ゲームである。お互い止まるきっかけをもてぬまま進んだチキンゲームはちょっとしたことで破裂する風船のような脅威で世界を包んでいた。その際には世界全体が不毛の地と化すのだ。
 当時の観客は我々よりも切迫した気持ちでこの作品を見ただろう。日常と紙一重に存在する破滅の日。登場人物達は最後の最後まで人間らしい愚かなやりとりを繰り広げる。この期に及んで秘書との逢瀬が気になって仕方がない俗物司令官。常識的だが非常事態の非常識にどうにもついて行けない大統領。ドイツから帰化した敬礼と総統呼びが抜けない科学者(これがDr.ストレンジラブ)。司令室の喜劇と対を為すのが決死の覚悟で敵地に向かうB52の乗組員。戦争映画の英雄嘆よろしく破損した機体を操って目的地に飛んでいく。破損によって爆撃地点を変更したり、肝心の爆弾ハッチが開かないのを機長が格納庫まで行って直結したり、戦争映画のような手に汗握るシーンが続くが、これは人類滅亡のための奮闘に他ならない。ついには機長が弾にまたがったまま投下され、カウボーイよろしく歓喜しながら落下するシーンなど、愚かさに笑いが漏れてしまう。既存の英雄物語をひっくるめて喜劇にしてしまうこのシーン、全方位に喧嘩を売っている。

 
 ラストでは巨大な破壊力が生む圧倒的な時間芸術を背景にムードたっぷりのボーカル曲「またあいましょう」が流れる。まったくもってはまりすぎで、人間の営みとその愚かさが愛しく感じられてきてしまう。我々はしょうがない生き物だなあ――。それがコメディの力なのかも知れないが、苦しい状況を他人事のように笑ってしまうことで何か元気が出て来る不思議な映画である。


2020年7月20日月曜日

<小説>カズムシティ

※小説の感想です。 

 ★★☆☆☆
~しっかりしたSF設定に基づく大雑把な探偵物語~


 アレステア・プレストン・レナルズによるSF小説。
 「科学的知識と設定にもとづいたスペースオペラ」と訳者に評されているがなるほど、緻密な設定とそれをあまり気にしないざっくばらんな物語となっている。
 

 微細機械を内包することにより自在に変幻する都市や非常に延長された命を持つに至った人類文明究極の楽園『カズムシティ』。そこを襲った『融合疫』は微細機械を狂わせ、都市をねじくれた奇怪な都市に変えた。人類も微細機械を削除し永遠の命をあきらめるか、病原体から完全隔離された世界に逃げ出すのかを迫られ、さまざまな人間が入り乱れた混沌の様相を呈する。
 別の惑星で愛する女を喪失した主人公は復讐のためカズムシティに辿り着く。街のすさんだ様子と独特のルールを理解しながら、核心へと突き進んでいく――。

 非常に読みにくいSF小説「反逆航路」を読んだ後だったので、サクサク読めてそれだけで気持ちが良い。読書体験という物は読むテンポや気持ちよさも大切なのだなあと痛感する。
 この物語自体大きく3つの時系列がシャッフルされて展開されており、それぞれが行開けのみで切り替わるので混乱する部分も多いが、反逆航路で鍛えられた身としては全く問題がない。閉鎖世界の中で行われる主人公のとんでも悪事に胸が悪くなるホラーテイストの「移民船」編。特異な生命体ハマドライアドの描写が楽しい、復讐の理由が明かされる「ボディガード」編。前者二つを過去の出来事として、それぞれの意味を解き明かしていくハードボイルド「カズムシティ復讐」編。三者三様の楽しさを交互に楽しめるといえば聞こえは良いが、盛り上がってきたところでチャンネルを切り替えられるような不快感の方が強い。好みの問題かとも思うが、せめて章で切り替えるなどしてくれた方が気持ちを切り替えやすい。



 SF的な装置としてはやはり『融合疫』がおもしろい。最先端の科学世界が天から地へ落ちる理屈づけとしても良いし、その後の世界の狂った様子の原因としても魅力的。コロナで世界が一変するのを目の当たりにしている最中(現在2020-07)なので、その説得力もひとしおである。他にもレーザーパルス銃や単分子ワイヤーといった中二ワクワクな武器も数多くでてくるので堅苦しさはまるで無い。むしろ、SFと名のついた探偵小説であり、残念ながら探偵物語としては中の下といった所。困ったら美人が助けてくれるし、特に理由もなく好意を寄せられる。主人公は基本何をしてもうまく出来ない中途半端な存在で、周囲の手助けと幸運の一点で現状を突破していく。あれこれでてくる登場人物や設定もその多くは雰囲気を散らすだけのふりかけで、中まで味が染み込むことなく自然とフェードアウト。何より狂気のように分厚い(1100ページ以上!)物語の果てに、実は誰も幸せになっていないという虚無が後味悪い。


2020年7月17日金曜日

ミッシングID

ミッシングID コレクターズ・エディション [Blu-ray]
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★★☆☆☆
~まるで角川のアイドル青春映画~

 2011年の米映画。彼女と青春逃亡劇。
 

 高校生のネイサンは悪友と悪さをしながらも、裕福な家庭で不自由なく暮らしている。しかし繰り返し見る謎の女性の夢、抑えきれない怒りの衝動など、彼自身はティーン特有の悩みを抱えているようである。
 好意を寄せながら疎遠になってしまっていた向かいに住む同級生のカレンとの共同課題に楽しく取り組んでいた折、インターネット上で行方不明となった子供の情報を呼びかけるサイトを見つける。子供の写真と成長した予測CGが掲載されていたが、その一人がネイサンと非常に似ている。サイトへ連絡を取ってみるが、つながった先はハイテクを操る武装集団だった――。

 主人公を演じるテイラー・ロートナーの顔が気になって仕方がない。冒頭に三人の若者が出てきて、がたいの良い厳ついゴリラ顔は脳筋友情キャラかなーと思ったらまさかの主人公でびっくり。会話の中で自分の子供時代の写真を見て、あごが一緒だ! という下りがあり、突っ込み可能のチャームポイントなのか。テイラーは映画『トワイライト』シリーズの主要キャラとして人気があり、狼男役だというのだが、確かにイメージとしてぴったりである。今作の企画自体が彼の人気を中心に据えたもののようなので彼が主演であることはいかんともしがたい。角川のアイドル青春活劇といったところか。

 主人公の出自を巡る冒険となるが、序盤~中盤にかけては誰が味方で誰が敵なのかが分からないスリリングな展開を楽しむことができる。友人の小遣い稼ぎや主人公の受けるフィジカルトレーニングなど、後に続く伏線も丁寧にちりばめられる。主人公も年相応の不良程度で常識外れに強いわけでなく、ヒロインも足手まといにならない快活さ。細かい点かも知れないがこういったバランスが、何か実際の高校生の身の上に降りかかったことであるような雰囲気を漂わせている。
 終盤状況が見えてくると張りぼての仕掛けが霧から出てきたように、設定の無茶具合が目についていたたまれなくなる。本当の父親の立ち回りには腹が立つというより呆れてしまう。それに全てが振り回されていた構図なので作品自体がどんどん安っぽくなっていき、凡百の映画の一つとして終幕する。

 映画の中でアメリカの高校生の様子というのを見る機会が多々あるのだが、実際はどんな感じなのだろうか。
 今作でも親が留守の生徒が家を開放しそこで大パーティーが開かれるという導入から始まる。そこには大学生なども訪れお酒を飲んでプールに飛び込み大騒ぎであるが、本当にこんなパーティーが普通の高校生の体験に含まれるのだろうか? 反対に鬱々としたオタク高校生の様子を描いた映画も多い。一体普通とはどのくらいのラインなのだろう。勝手にこの辺りかなと思うのはサム・ライミの『スパイダーマン』シリーズのピーターの感じ。自分の居場所を守って、その中で好きなことを楽しんでいる感じ。学校カーストの上にあこがれはあるが、それほど重要とも思っていない。良く描かれるダンスパーティなどには無縁。
 邦画の中で普通の高校生の姿が描かれているかというと、確かにそうではない。文化祭の後夜祭なんてイベントもなかったし、本当の姿は洋の東西を問わず基本的にひどく地味なのだろう。それでは映画になりにくいので両極端によるのだと思われ、確かにそうならざるを得ない。
 なんだか寂しい気分になってきたが、自分の高校時代を思い起こせば、一人称で見る全ては圧倒的な臨場感でなかなかドラマチックだったと思うし、同じクラスで間近に見る女子はこの世でもっとも魅力的な存在達だったよ。

2020年7月15日水曜日

その女諜報員 アレックス

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★★☆☆☆
~最悪の邦題~

 2015年の米映画。凄腕美人犯罪者(けっこうドジ)の逃亡劇。

 南アフリカ、ケープタウンの銀行を襲った四人組の犯罪者。
 最先端セキュリティを力業で突破し、貸金庫からダイヤなどの奪取に成功するもリーダーであるアレックスの顔が人質達に見られてしまった。
 国外脱出のための準備を進めるが、貸金庫に入っていたUSBメモリに重要情報が入っているらしく、素性の知れない武装集団に襲われる。どうも今回の犯罪、様々な裏がありそうである。
 アレックスの生き残りをかけた戦いが始まる――。

 ともかく冒頭のつかみが悪すぎる。世界に引き込んだり、作品の雰囲気やフィクションレベルの提示として非常に重要な部分なのだが今作についてはここが一番ひどい。
 銀行襲撃のシーンなのだが犯人達は全身同じ防具に身を包んで顔もまったく見えない。声もボイスチェンジャーで判別不能。謎のLED正面が全身についておりその色が違うためそこで判別しろということなのかも知れないがいやいやそれでは分からん。何人組かも分からん。仲違いの緊迫するシーンもカット割りが良くないので誰がどうしてどうなったかが壊滅的に分からん。
 劇的にアレックスが登場するシーンを演出しようとしているのだろうが、端的にいって失敗しており、それどころか冒頭の横柄な態度が初印象になってしまいネガティブスタートの始末。

 実はこれ以降の展開やテンポはなかなか良い。その判断はないだろうという展開ばかりだがアクションシーンが五月雨に続いて退屈させない。アレックスの素性について判明することで解けていく伏線もあるし、キャラクターそれぞれがきちんと自分のポリシーを持って動いているので生きている感じがする。

 アクション映画としてみると主演のオルガ・キュリレンコがアクション映画の主役としては厳しい。動き自体はそれなりだが、格闘のプロフェッショナルには見えないし、がんばっている一般ヒロインというのがやっとだ。

 最も腹が立つのが邦題。原題は「Momentum」。
 実は2014年に日本で『その女アレックス』というミステリーが日本で発売されてヒットを飛ばしている。この作品と本映画はまるっきり関係がないが、見ての通り見事に紛らわしい題名となっており、2016年に日本で公開されたタイミングと考え合わせても誤認視聴を狙ったものであろう。あまりに糞であるが、弱小配給会社の必死の一手というところか。――にしても本家は映画化もされていないので受けた被害はかなり大きいのではないだろうか。別物だと理解していない人も多いだろう。
 さらに余分に足した「諜報員」がきっちりネタバレで、作品中盤までひっぱている謎をすでに開陳している始末。
 自分の知る限りひどい邦題トップスリーに入りそうである。
 
 結末は続編に続くような雰囲気で「戦いはこれからだ!」となっているが2020年現在では動きがないようで、まあ今後もないだろう。

2020年7月14日火曜日

レディ・プレイヤー1

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★★★★
~オタクのアベンジャーズ~

 2018年のアメリカ映画。ネットワークの仮想空間上での宝探しとそれを巡る陰謀。
 

 2045年の世界はVRで参加する仮想空間体験がメインの娯楽となっていた。
 スポーツも恋愛も戦闘も、全てその中で体験することが出来るゲーム空間『オアシス』。
 感覚や歩行もフィードバックできるシステムを用いて体験する仮想世界は、もう一つの現実となってさえない毎日を忘れるための逃避場所にもなっていた。
 主人公ウェイドは叔母の家に居候する窮屈な生活。スクラップ置き場に作ったオアシスプレイ環境からネットネーム『パーシヴァル』としてアクセスし、友人エイチなどとともにオアシスに隠された宝――三つの鍵を手にい入れればオアシス全ての権利を得ることが出来る――を追い求める毎日だった。
 いつものように鍵の1つが隠されているというレースゲームで、有名プレイヤー『アルテミス』と出会い、その会話からヒントを得てとうとう一つ目の鍵を全プレイヤーで初めて手に入れることに成功。企業として宝を狙う『シクサーズ』はネットの内外でパーシヴァルへの接触を開始した――。

 監督は冒険活劇お手の物のスティーブン・ストラスバーグ。ネットの内外で同時進行する物語を映画的なデフォルメによって分かりやすく見せることに成功している。

 仮想世界に入って活躍する物語は今作以外にも様々な物があるが、人間との接続についての手段は大きく電気的な物と物理的な物に分かれる。夢を見るような形で直接脳に情報を送り込む手段と、現在でも可能となっているヘッドセットをつけて視覚的に仮想空間を見る手段である。
 
 今作は後者で、高レベルな没入感を得るためには環境を整える必要がある。
 最低限はグラスによる視覚とグローブによる両手の触覚だが、全身専用タイツによって体中の触覚を再現したり、足元に全方向に動くベルトコンベアーを設置してその場での歩行を可能にするなどかなり大仕掛けである。どこまでの環境を整えられるかはプレイヤーの財力にかかっており、その点平等ではない。
 グラスをかぶって虚空に向かって手を伸ばしたりしゃべったりしているのは異様な光景だが、作品世界では道ばたでプレイしている人も多く、我々でいえばワイヤレスイヤホンで携帯通話しているようなものなのかも知れない。耳からうどん(エアーポッズ)を垂らしてしゃべっている様子は延々独り言をしているようでどん引きだったが、最近少し慣れてきた……かな。

 電気的接続の場合、本体は寝たような状態で脳に直接感覚情報を送って仮想現実を体感する仕組みになっており、夢と同様現実とは区別がつかないリアルな体験となる。本人はカプセルに入ったり、頭部にケーブルをつなげたり、ベッドで安静状態になっていたりと絵面的には病的といって良いだろう。
 日本のアニメでこの手の代表格はSAO(ソードアート・オンライン)だろう。ライトノベルを原作としており、頭部にヘルメット状の装置をかぶって眠りに落ちる格好。この作品ではゲームをクリアするまで現実世界に戻れなくなるという騒動になっているが、ゲーム世界で主人公は他のプレイヤーと友好をはぐくみ、一人の女性と肉体(?)関係を結ぶまでになる。これはこれで楽しいのだが、常に心配なのが本体の有様なのである。ベッドで寝たきりとなり筋肉はやせ細る。栄養補給のための点滴も必須だろう。そんな末期患者のような本体を差し置いて架空世界で楽しい日々を送っているという状況に自分は違和感を感じすぎて入り込めなかった。作品では現実世界に戻っても大して人相変わらずすぐに動けるようなごまかし方をしていた。
 このように、電気接続は現実との剥離が多すぎて世捨て人のようなイメージになってしまうのだ。

 両者を比べてみると、スマートではないが物理接続の方がまだ好感が持てる。現実世界でグラスかぶってドタバタしている姿が映画の中でも頻繁に描かれるが、仮想空間に没入している人を現実世界から見たおかしさ、異様さをきちんと描く事によって、何でもありの夢のような仮想現実に適度な違和感、ばかばかしさを与えるのに成功している。

 結局今作の肝は、これは原作から同じのようだが、『仮想現実は楽しいけどほどほどに、やっぱり現実は大切だよ』というメッセージなのだ。したがって仮想と現実のバランス、結びつきをきちんと描こうとしており、上記のばかばかしさもその一環なのである。
 この結びつきを重視した演出は他にもあり、仮想世界での大軍同士のぶつかり合いが顕著だ。企業がゲーム要員を雇って大きな体育館のようなところで整列させて戦いに参加しているという状況なのだが、強力な兵器で戦場における一直線のプレイヤーがなぎ倒されると現実世界のプレイヤーも一直線にばたばた倒れる(ゲーム中の死亡なのでログアウトということ)。現実世界の場所と戦場の場所は関連がないので明らかにおかしいが、ともかくつながりが分かりやすい。この「範囲が同じ演出」は都合3回以上は使用されておりまったく念の入ったことだ。
 このような描写は下手をすると興をそぐことになるが、最大と言える見せ場でさくっと折り挟むことで分かりやすさによる気持ちよさが上回る使い方となっており、見事だ。

 最後になったが、本作の見所の一つはアニメやゲーム、映画といったいわゆるオタク趣味のネタが大量に詰め込まれていることである。細かく見ていけば枚挙にいとまがないようだが、主要なものを挙げても「ガンダム」「ゴジラ」「ヘイロー」「オーバーウォッチ」「ストリートファイター」「サタデーナイトフィーバー」「シャイニング」「バックトゥーザフューチャー」といった有名作がゴロゴロしている。これが鍵の謎に絡んでいたり、ちょっとした背景で出てきたり、強力な武器として大暴れしたり……。これはもうオタクのアベンジャーズといったところで、歓喜歓喜である。
 原作小説とは出てくる作品群が異なるようだが、これだけの使用を許可してもらえたのはなんといってもスピルバーグのネームバリューの成せる技であろう。スピルバーグがつくるなら大丈夫だろう、スピルバーグに頼まれれば仕方がないな、というノリに違いない。ヒットメーカーであり、つくる作品は前向きで人を傷つけない安心感。スピルバーグだからこそ完成なしえた作品である。

 小説では続編である『レディプレイヤー2』が執筆中ということであるが、またこの世界を映画で見られるとしたら、とても幸せなことだろうと思う。

2020年7月10日金曜日

マネーモンスター

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★★★☆☆
~序盤のスピード感と展開にワクワク~


 ジョージ・クルーニーとジュリア・ロバーツ主演のテレビ局立てこもり事件顛末記。
 監督が女優としても名をなしているジョディ・フォスター。彼女はキャリアの早いうちからプロデュースや監督業に乗り出しており、はじめは珍しいなと見ていたが、トム・クルーズやレオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピットが同じように主体的な映画制作に乗り出しているのを見ると、俳優として発言力を増した状態でプロデュース側に回るのは適切な立ち回りなのかも知れない。日本でいう「映画監督になるなら歌手になってヒット曲を出すのが手っ取り早い」なのか。
 俳優をすることで映画の作り方を理解し、自分ならこうするのに! が高まっていくこともあるだろう。日本でその手の代表格といえば北野武が筆頭となりそうだ。
 

 おすすめ株などの経済情報を派手な演出のショー形式で見せる人気テレビ番組「マネーモンスター」。
 その司会者ゲイツは自動株取引を行うアイビス社を強く推奨したが、数日後急落。その原因を問い詰めるためCEOウォルト出演のはずだったがすっぽかされる。
 番組の情報を鵜呑みにして壊滅的な損失を出した個人投資家リーが乱入して番組をハイジャック。
 ゲイツとウォルトに真相を正すためだったが、ウォルトはおらず、ゲイツが爆弾で脅されながら事情を解き明かしていくことになる。


 設定だけ聞くとこれは出落ち、人情話に持って行っておしまいかと思いきや、無謀な犯罪の向こうに別の大きな犯罪が見えてくる。また、人情話どころか人間関係の裏側まで見せつけられてどんどん盛り上がるのだが、中盤以降は今ひとつの印象。つながらい単発エピソードがまだるっこしく差し挟まれて失速していく。
 最後も停滞した雰囲気のまま終劇となってしまい、中盤の盛り上がりが素晴らしかった分だけに惜しまれる。
 
 舞台となる株式取引とその扇動番組であるが、株式取引をしたことのあるものなら犯人に共感せずにはいられないだろう。どう考えても株式取引はインチキの世界である。なんだか急に値上がりしているな~と思った次の日に業績に関わる重大発表があるとか、もう当たり前すぎて何とも思わなくなる。インサイダーなど当然といった風情で背広を着た悪人達がお金を生み出す悪の世界であり、個人投資家はいかにそのおこぼれを拾うかに注力するしかない。
 何となくの気分で上がったり下がったり、名前が似ている企業が勘違いで上がったり下がったり……。何か、立派な人がきっちり検討、討議を経て動かしているのが経済なのだと想像していたが、それは御伽話を信じる子供のような思い込みだった。実際はびっくりするくらい適当に動いている。
 証券会社も大概ひどい。自分の使っている証券会社など、便利になったとか手数料がやすくなったと大々的にうたっているが、よくよく調べてみると他の部分でプラスよりもマイナスが大きい仕組みになっていたり、前もってこっそり値上げしておいて、それを基準に安くなったとか、結局高くなっているのにぬけぬけとのたもうて、こちらは怒気がおさまらない。
 別の会社の傘下になった途端このような欺瞞を連発しだしたので親会社の意向なのかと思うが、いかにだますかに身命を賭している姿勢は、こりゃ他の証券会社に移ろうと思わせるのに十分。
 
 こういった気分をエンターテイメントの枠組みで糾弾しようというのが今作のコンセプトの一つなのではないか。
 「お金をなくしても自己責任でしょ?」で片付けるだけでなく、自分たちだけは儲かる仕組みを構築して知らんぷりしている悪漢どもがいるのだと問題提起している。メディアの責任も、それに乗る一般市民の責任も、よく分からない言葉で煙に巻いていく会社の責任も。唯一の答えを出せる問題ではないが、自省しながら、少なくとも家族に言えない悪事を行っていないのかを自省する姿勢が必要だろう

 

2020年7月9日木曜日

インベージョン

インベージョン [Blu-ray]
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 ※古い感想に追記をした物です。
★★☆☆☆
~埋もれていかざるをえない~

 2007年アメリカの眠ってはいけないエイリアン侵略映画。
 病原体としてのエイリアン。姿形は変わらないが内面が別人になって行く、侵食というべき侵略を描く。


 ある日、原因不明のスペースシャトル墜落事故が発生する。空中分解を起こしたシャトルの破片には、宇宙から飛来した未知のウイルスが付着しており、世界中で謎の感染症を引き起こす。ウイルスに感染すると、REM睡眠中に分泌されるホルモンをきっかけにして、人間らしい感情を失った別の何者かに変貌してしまうのだ。周りの親しい者までもが次々と感染し発症していく中で、主人公キャロルは睡魔と闘いながら、解決の鍵を握る息子を探しに行く。 <WIKIPEDIAより>

 主演がニコール・キッドマンとダニエル・クレイグでなかなか豪華な布陣。
 物語はテンポ良く進み、何のストレスもない。ストレスがなさ過ぎる。
 スルスルと喉越しの良い素麺を食べているように難無く楽しむことが出来るので、暑苦しくないSFホラーとしては悪くない。
 半面、物語に心奪われることはないだろうし、長く記憶に残るものでもない。スタイリッシュで、そこそこクオリティの高い、海外ドラマという印象。やがて埋もれて見えなくなる作品だと思う。

 原作はジャック・フィニイの『盗まれた街』という小説で、今作含めて4回も映画化されている。未読だがなにか特別な魅力を持っているのだろう。
 何度も映画化される原作というものは確かにあり、されない作品とどういった違いがあるのか検討してみるのもおもしろそうである。

2020年7月7日火曜日

<小説>叛逆航路

 
 ※小説の感想です。 

☆☆☆☆
~読みにくく、がんばって読んでも甲斐がない~

 2013年(日本語版2015年)のSF小説。
 著者アン・レッキーのデビュー長編で、ヒューゴー賞/ネビュラ賞などの権威ある賞を総なめした。

100人ものクローンが頭脳を接続して群体として機能する、事実上不死の皇帝が収める銀河帝国。
その宇宙戦艦も同様に、艦船AIが数千の人間に上書きされて群体となって任務に就いていた。
その一人であったブレクはある事件を機に他の自分と切り離され、独りぼっちとなって帝国に追われることとなる。
事件の真相とは。ブレクの目的とは――。

 この小説、まずもってとてつもなく読みにくい。主な理由は2つ。

◆三人称代名詞に男女の区別がない
 全て「彼女」で統一されている。
 これは男女を区別しないという帝国の文化を表現(主人公が帝国人)したものだが、3人以上の人物が同席するシーンでの混乱がすごい。
 人称以外の言葉遣いも男女関連ないので、本当に誰がしゃべっているのかが分からないのだ。
 また、小説を読むということは心象を描くことだと思うが、全く絵が浮かばない。立ち居振る舞いも男女という情報によって補完されている割合が非常に大きいのだろう。

◆複数視点を織り交ぜて描写
 物語の設定上、群体の意識は個別であるが統一されている。
 つまり、10人の兵士が街に散らばっていて、それぞれの業務に取り組んでいても、意識は1つなのである。
 これを表現した文体がこれまた分かりづらい。屋外警備を行っている兵士Aのあとに、士官の補佐をしている兵士Aの文章が並ぶのである。
 例ではあるが、「池の湖畔は月に照らされ、風が心地よかった。執務室で私は士官にお茶を運んでいた」といった具合。
 どこにいて何をしているのかが大きな区分なく続けて記述されるのだ。
 
 SFの設定をそのまま作品スタイルとして定着するというのはすごいなと思う。
 男女という情報が読書において非常に大きな情報減である事に気づけたのもおもしろい。
 このような点が各賞受賞に繋がったのだろうと思う。
 
 が、しかし――。
 この作品、かなり人を選ぶ内容なのではないかと思う。
 自分は残念な事にあまりおもしろくなかった。三部作が存在するが、続きは読まなくて良いかな、と思ってしまう。
 絵が頭に浮かばない状態で読み進めるのが本当に苦痛で、引き込まれるというより何とか手を放さずに引きずられていった印象。
 設定はおもしろいが、話としてはあまり内容が無い。現在と過去を交互に描いて謎解き風にしたりと、あれこて分かりにくくしているだけ。
 登場人物も性別不明だと自分は少しも感情移入できなかった。
 
 正直良くこんなにたくさん賞を取ったもんだと不思議に思う。
 新規性がとても大事なのだろうか。
 
 読みにくい原因としてもうひとつ心あたるのは、この訳がとてもまずいという可能性。
 「赤尾秀子」氏が翻訳をつとめているが、他の訳書を見てみるとヴァーナー・ヴィンジの「レインボーズ・エンド」も赤尾氏ではないか。
 この作品、他のヴィンジの作品とまるで異なった印象を持っており、すごくつまらない。そのつまらない感じが叛逆航路とまるで同じである。
 訳として正しいのかもしれないが、意味が非常に分かりにくいのだ。訳者の補完がまるで無い印象なのだ。
 
 原書で読む機会は無いだろうが、別の訳者さんでどうなるのか読んでみたくはある。



 


2020年7月2日木曜日

機動戦士ガンダムF91

 ※Amazonの商品リンクです。

※古い感想に追記をした物です。
★★
~素性のよさが惜しまれる単発作品~

 1995年公開の完全新作劇場アニメ。
 情報量が多いので冒頭あらすじは非常に難しいのだが、最も魅力的な部分に着目すると以下のような感じ。

 コロニーの学校に通う17才のシーブックは別の科の学生セシリーと出会い、その魅力に惹かれた。
 貴族政治を復活しようとする勢力がコロニーを急襲。戦火に巻き込まれたシーブック達は博物館のMSを操って脱出を試みるが、セシリーが敵に囚われてしまう。
 避難先で母が開発に関わったモビルスーツF91と遭遇。その頃セシリーは貴族政治の象徴として祭り上げられていた――。

 オリジナルガンダムの主要メンバー、富野由悠季、キャラクターデザイン安彦良和、モビルスーツデザイン大河原邦男が再結集した新シリーズ……のはずだったのだが、この劇場作品単発となってしまった。
 元々はテレビでの連続アニメとして企画された物らしく、なるほど、人物配置の厚み、背景設定の豊かさなど、如何様にも話を膨らませそうな奥行きある世界を感じる。単発となったのにはあれこれあったようだが、あずかり知らぬ一ファンとしては口惜しい限り。

 実際映画は壮大な物語の序章といった位置付けで、ほとんど謎のままのキャラクターや、これから活躍するのだろうという予感のみのキャラクターが沢山存在する。何しろラストに「これは物語の始まりに過ぎない……」などと明示されているのだから淋しさもひとしお。

 驚嘆すべきなのは、このような状況でも、一本の映画としてなんとか成り立っている点。序盤から話はすいすいと進み、意味が分からなくなるギリギリの高速展開を見せる。普通ならただの総集編になってしまうが、エピソードの取捨選択が非常にうまいのか、重みを失うことがない。どうやら、物語に重要なエピソードだけではなく、味のある部位を入れ込んでいるのが功を奏しているようだ。富野監督は、総集編やPVに特異な才能を持っている
 また、描くべき人物を限定したことで、ラストのまとまりが実際以上にキリッとしている。未来に展望を感じさせるエンディングは、富野監督の作品中珍しい部類に入るだろう。

 しかし、残念だ。

 この内容をテレビシリーズで描けていたなら、物語はもっと豊かな物になっただろう。映画の内容に当たる部分も、より情緒を持っただろう。その形が見たくて仕方がない。
 安彦良和の描くキャラクターは骨太で、バラエティーに富み、掛け替えがない。大河原邦男のデザインも、過去に捕われず野心的で、敵MSのデザインラインはザク以来の発明なのではないかと考えている。

 このように基本褒めてきたが、全体の印象として駆け足なのは否めないし、後半の展開は正直むちゃに過ぎる。それらを考慮に入れても、魅力に溢れる作品だと思う。

 今回何回目かの鑑賞だが、ブルーレイでは初めて見た。作画が群を抜いて良いということが無く、いささか古い作品だったので大して期待していなかったが、そのクリアさと精密さはいくつかの事に気づかせてくれた。
 ヒロインであるセシリーの作画について、多くの場合髪とブラウスに黒の描線を用いていない。また、登場シーンの多くにソフトフォーカスフィルターを使用しており、結果、セシリーの存在が画面から美しく浮き上がる効果を生んでいる。これは彼女の魅力を伝えるためでもあるが、他の人物と異なる背景を持っている彼女の立ち位置を象徴するためのエフェクトだとも思われる。
 このような点に気づくことが出来たのはブルーレイのおかげだ。再見する機会を与えてくれたという点においても、そうだろう。