★★★☆☆
~ボーイ・ミーツ・ガール ゾンビ映画~
2009年の米映画。ゾンビ物だが陰鬱にはならないゾンビワールド朗らか珍道中。
狂暴になり人間に対して食欲を湧かせるゾンビ化ウイルスがあっという間に世界に蔓延。わずかな生き残りが各地で孤軍奮闘する状況となった。
大学生のコロンバス(人物全てが地名の仮名を名乗っている)は引きこもり体質を活かしてテキサスの街で生き残っていたが、実家にもどってみようかと思い立ち旅に出る。徒歩で向かう道中ゾンビハンターとも言える屈強な男タラハシーに拾ってもらい、彼の車に同乗。途中さらにウィチタとリトルロックの姉妹と出会い、姉にコロリと恋に落ちるがゾンビ以上に一筋縄ではいかない相手だった――。
ゾンビという題材はあれこれと都合が良い。どんなに残虐な表現をしようが人間ではなくモンスターなので、倫理機関の審査を通すに有利だ(これはゲームでもまったく同じ。人間で無ければ良いという解釈で切り抜けることの出来る制限は大きい)。物語としても前提を共有しやすく、理由や救世の展開を用意する必要もない。非常に大きなゾンビ映画という枠の中で、他のゾンビものとの違いを表現することに注力すればよく、ともかく取っつきが良い。これはラノベの異世界転生ものが蔓延したのと同じ理屈だと思う。
今作の特徴的な部分は映像のスタイリッシュさと、人間関係を非常に狭くとどめて、その中でのやりとりに終始していることだ。主人公は己の決めた「ルール」を守ることで生き延びており、そのルールをテンポ良く言葉と画面で示していくのが冒頭となっている。しかし、この映画はそのルールに絡んだやりとりを主体にしたものでは決してなく、これはつかみに過ぎない。なにせ三十以上のルールが存在するというのに、実際に出てくるのは十にも満たないのだ。本筋は「陰気なオタクが情けないながらもがんばって、高嶺の花をゲットする」という分かりやすい青春映画である。本来なら重ならない、異なるカーストの二人を同行させ、アピールチャンスを与える必然性をつくるのに「ゾンビ」が使用されているという形。彼の付和雷同と無駄に強い女性崇拝の姿勢に自分などは大いに共感できるが、ただただ情けない主人公に腹が立つ観客もいるだろう。そこに当てはまってくるのが短絡的だが即断即決でゾンビをなぎ倒す狂戦士タラハシー。アクションの爽快感を彼が担保することで映画全体のバランスが取られている。
実際コロンバスは対ゾンビ戦においてあまり活躍しないが、パーティーをまとめる人物としての発言を要所で行い、最後には自分が固辞していたルールを打ち破る。己の殻を破るという成長を見せることで彼は主人公たり得ているのだ。
行きすぎたスプラッタはギャグに繋がることはゾンビ映画「死霊のはらわた」(サム・ライミ)や「ブレインデッド」(ピーター・ジャクソン)を見るとよく分かるが、今作はスプラッタの方向ではなく、ゾンビ達の単純で懸命な行動の様子と、それに対する人間達の合理的で割り切った態度がコントラストとなって笑いを誘う。単純に追いかけてくるゾンビと距離を取るために延々駐車場をグルグル走ったりするのだ。引いた視点での滑稽さを押し出したコメディだと言える。
「ゴーストバスターズ」主演のビル・マーレイが本人役で出ており、上滑りしがちなこの手の「本人役出演」の中ではかなり楽しいシーンを見せてくれる。ゾンビ映画をあれこれ見るのであれば、これもそれに加えておいて損はない。