★★★★☆
~コメディのような本物の世界で~
1963年の米映画。巨匠スタンリー・キューブリック監督による世界滅亡シミュレーションコメディ。
本作は白黒であり頻出する戦略攻撃機のシーンは背景の合成クオリティが低いが、これは時代の限界といって良いだろう。作戦司令室や戦闘機内部といったセットを組んだシーンは高いクオリティとなっている。
原題は「Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb」で、直訳すると「 」になる。なので「博士の異常な愛情」はトンチンカンな訳だが配給会社がわざとこのような題名にしたようである。確かに「Dr.ストレンジラブ」という題名よりはインパクトがある。珍奇な題名の映画であるが、その内容はリアルな着想に基づく冗談に出来ないブラックジョークである。
東西冷戦が極限まで高まった1960年代。とどまることのない核開発が続く中、24時間体勢で核攻撃に備える米軍戦略爆撃機B52にソ連の核ミサイル基地への核攻撃の命令が下る。しかもそれは本土が攻撃された際に発動する報復攻撃の計画であり、それぞれの爆撃機は特定の暗号通信にしか反応しない自閉症モードへ入った。ソ連は核攻撃を受けた際、地球全体に100年の核の冬をもたらす最終報復設備を整えたところであった。もはや核攻撃を止める手段は限られる。滅亡の危機を迎えた人類を救うべく最高司令室での会議は続く――。
なんだかんだいって映画は作られた時代の状況を反映する。映画のフォーマットや合成精度といった技術的、基材的なものもそうだが、社会状況の影響を受けないわけには行けない。最近なら人種や性別が偏らないように病的な圧力が高まっている。この作品がつくられた当時最大の背景はアメリカ、ソ連を中心とした東西冷戦であり、核の抑止力の倍々ゲームである。お互い止まるきっかけをもてぬまま進んだチキンゲームはちょっとしたことで破裂する風船のような脅威で世界を包んでいた。その際には世界全体が不毛の地と化すのだ。
当時の観客は我々よりも切迫した気持ちでこの作品を見ただろう。日常と紙一重に存在する破滅の日。登場人物達は最後の最後まで人間らしい愚かなやりとりを繰り広げる。この期に及んで秘書との逢瀬が気になって仕方がない俗物司令官。常識的だが非常事態の非常識にどうにもついて行けない大統領。ドイツから帰化した敬礼と総統呼びが抜けない科学者(これがDr.ストレンジラブ)。司令室の喜劇と対を為すのが決死の覚悟で敵地に向かうB52の乗組員。戦争映画の英雄嘆よろしく破損した機体を操って目的地に飛んでいく。破損によって爆撃地点を変更したり、肝心の爆弾ハッチが開かないのを機長が格納庫まで行って直結したり、戦争映画のような手に汗握るシーンが続くが、これは人類滅亡のための奮闘に他ならない。ついには機長が弾にまたがったまま投下され、カウボーイよろしく歓喜しながら落下するシーンなど、愚かさに笑いが漏れてしまう。既存の英雄物語をひっくるめて喜劇にしてしまうこのシーン、全方位に喧嘩を売っている。
ラストでは巨大な破壊力が生む圧倒的な時間芸術を背景にムードたっぷりのボーカル曲「またあいましょう」が流れる。まったくもってはまりすぎで、人間の営みとその愚かさが愛しく感じられてきてしまう。我々はしょうがない生き物だなあ――。それがコメディの力なのかも知れないが、苦しい状況を他人事のように笑ってしまうことで何か元気が出て来る不思議な映画である。
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