★★★★☆
~オタクのアベンジャーズ~
2018年のアメリカ映画。ネットワークの仮想空間上での宝探しとそれを巡る陰謀。
2045年の世界はVRで参加する仮想空間体験がメインの娯楽となっていた。
スポーツも恋愛も戦闘も、全てその中で体験することが出来るゲーム空間『オアシス』。
感覚や歩行もフィードバックできるシステムを用いて体験する仮想世界は、もう一つの現実となってさえない毎日を忘れるための逃避場所にもなっていた。
主人公ウェイドは叔母の家に居候する窮屈な生活。スクラップ置き場に作ったオアシスプレイ環境からネットネーム『パーシヴァル』としてアクセスし、友人エイチなどとともにオアシスに隠された宝――三つの鍵を手にい入れればオアシス全ての権利を得ることが出来る――を追い求める毎日だった。
いつものように鍵の1つが隠されているというレースゲームで、有名プレイヤー『アルテミス』と出会い、その会話からヒントを得てとうとう一つ目の鍵を全プレイヤーで初めて手に入れることに成功。企業として宝を狙う『シクサーズ』はネットの内外でパーシヴァルへの接触を開始した――。
監督は冒険活劇お手の物のスティーブン・ストラスバーグ。ネットの内外で同時進行する物語を映画的なデフォルメによって分かりやすく見せることに成功している。
仮想世界に入って活躍する物語は今作以外にも様々な物があるが、人間との接続についての手段は大きく電気的な物と物理的な物に分かれる。夢を見るような形で直接脳に情報を送り込む手段と、現在でも可能となっているヘッドセットをつけて視覚的に仮想空間を見る手段である。
今作は後者で、高レベルな没入感を得るためには環境を整える必要がある。
最低限はグラスによる視覚とグローブによる両手の触覚だが、全身専用タイツによって体中の触覚を再現したり、足元に全方向に動くベルトコンベアーを設置してその場での歩行を可能にするなどかなり大仕掛けである。どこまでの環境を整えられるかはプレイヤーの財力にかかっており、その点平等ではない。
グラスをかぶって虚空に向かって手を伸ばしたりしゃべったりしているのは異様な光景だが、作品世界では道ばたでプレイしている人も多く、我々でいえばワイヤレスイヤホンで携帯通話しているようなものなのかも知れない。耳からうどん(エアーポッズ)を垂らしてしゃべっている様子は延々独り言をしているようでどん引きだったが、最近少し慣れてきた……かな。
電気的接続の場合、本体は寝たような状態で脳に直接感覚情報を送って仮想現実を体感する仕組みになっており、夢と同様現実とは区別がつかないリアルな体験となる。本人はカプセルに入ったり、頭部にケーブルをつなげたり、ベッドで安静状態になっていたりと絵面的には病的といって良いだろう。
日本のアニメでこの手の代表格はSAO(ソードアート・オンライン)だろう。ライトノベルを原作としており、頭部にヘルメット状の装置をかぶって眠りに落ちる格好。この作品ではゲームをクリアするまで現実世界に戻れなくなるという騒動になっているが、ゲーム世界で主人公は他のプレイヤーと友好をはぐくみ、一人の女性と肉体(?)関係を結ぶまでになる。これはこれで楽しいのだが、常に心配なのが本体の有様なのである。ベッドで寝たきりとなり筋肉はやせ細る。栄養補給のための点滴も必須だろう。そんな末期患者のような本体を差し置いて架空世界で楽しい日々を送っているという状況に自分は違和感を感じすぎて入り込めなかった。作品では現実世界に戻っても大して人相変わらずすぐに動けるようなごまかし方をしていた。
このように、電気接続は現実との剥離が多すぎて世捨て人のようなイメージになってしまうのだ。
両者を比べてみると、スマートではないが物理接続の方がまだ好感が持てる。現実世界でグラスかぶってドタバタしている姿が映画の中でも頻繁に描かれるが、仮想空間に没入している人を現実世界から見たおかしさ、異様さをきちんと描く事によって、何でもありの夢のような仮想現実に適度な違和感、ばかばかしさを与えるのに成功している。
結局今作の肝は、これは原作から同じのようだが、『仮想現実は楽しいけどほどほどに、やっぱり現実は大切だよ』というメッセージなのだ。したがって仮想と現実のバランス、結びつきをきちんと描こうとしており、上記のばかばかしさもその一環なのである。
この結びつきを重視した演出は他にもあり、仮想世界での大軍同士のぶつかり合いが顕著だ。企業がゲーム要員を雇って大きな体育館のようなところで整列させて戦いに参加しているという状況なのだが、強力な兵器で戦場における一直線のプレイヤーがなぎ倒されると現実世界のプレイヤーも一直線にばたばた倒れる(ゲーム中の死亡なのでログアウトということ)。現実世界の場所と戦場の場所は関連がないので明らかにおかしいが、ともかくつながりが分かりやすい。この「範囲が同じ演出」は都合3回以上は使用されておりまったく念の入ったことだ。
このような描写は下手をすると興をそぐことになるが、最大と言える見せ場でさくっと折り挟むことで分かりやすさによる気持ちよさが上回る使い方となっており、見事だ。
最後になったが、本作の見所の一つはアニメやゲーム、映画といったいわゆるオタク趣味のネタが大量に詰め込まれていることである。細かく見ていけば枚挙にいとまがないようだが、主要なものを挙げても「ガンダム」「ゴジラ」「ヘイロー」「オーバーウォッチ」「ストリートファイター」「サタデーナイトフィーバー」「シャイニング」「バックトゥーザフューチャー」といった有名作がゴロゴロしている。これが鍵の謎に絡んでいたり、ちょっとした背景で出てきたり、強力な武器として大暴れしたり……。これはもうオタクのアベンジャーズといったところで、歓喜歓喜である。
原作小説とは出てくる作品群が異なるようだが、これだけの使用を許可してもらえたのはなんといってもスピルバーグのネームバリューの成せる技であろう。スピルバーグがつくるなら大丈夫だろう、スピルバーグに頼まれれば仕方がないな、というノリに違いない。ヒットメーカーであり、つくる作品は前向きで人を傷つけない安心感。スピルバーグだからこそ完成なしえた作品である。
小説では続編である『レディプレイヤー2』が執筆中ということであるが、またこの世界を映画で見られるとしたら、とても幸せなことだろうと思う。
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