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2021年8月30日月曜日

波の数だけ抱きしめて

波の数だけ抱きしめて [DVD]

★★★★
~最後の「叫び」にあわされた焦点~


 1991年の日本映画。青春回想映画、とでも言えば良いか。
 「バブルの、バブルによる、バブルのための」と言った雰囲気のあるホイチョイ・プロダクション三部作の最後を飾る一作。「私をスキーに連れてって」「彼女が水着にきがえたら」に続いた作品。1992年はバブルのはじけた年ということでまさに最後の落とし子だが、何かその行く末を予言しているような切なさに満ちた作品になっている。

 高校からの友人である四人の男女。大学生になってもその仲は変わらず、サーフィンで賑わう湘南でのミニFM放送に青春を燃やしていた。
 進展しない男女関係に懊悩する中、五人目の男が突然介入。恋心とミニFMに後戻りの出来ない変化を与えていく――。
 綿密に積み上げられた全編の構成には感心させられる。
 物語はとある結婚式が開かれている教会から始まり、それに集った級友達が過去を回想する形で展開していく。
 まず結婚式のシーンは白黒画面。どう見ても曰くありげな二人の男女が、かたや式の新婦、かたや遅れてきた列席者。ぱっと見て分かるかつての恋の不幸せな結末。ここから不倫関係が始まるといった雰囲気はまるで皆無のカット割りと演出。変に引っ張らずにそのまま列席者同士の車のシーンへ――。

 結末が最初に描かれている。しかも寂しい結末。
 不幸が分かっているのを前提に描かれる物語はある。
 最もなのは『タイタニック』。あの船が沈むことを知らずに見たという人は、何というか事故で映画を見たような人だけだろう。ネタバレというのではなく、来たるべき、約束された悲劇が展開されることを前提としたドラマ。一つの手法だ。

 物語はそうして列席した友人同士が車に乗り込み、懐かしい場所に行ってみるという流れで進んでいく。9年前のあの浜辺に向け、二人の車はトンネルを通る。聞こえていたFMラジオがトンネル半ばで途切れ、出口が近づくとまた聞こえてくる。こういった現象は、自分もよく体験したことがある。本当に長大なトンネルは電波のリレー処理が行われて、どの位置だろうがラジオを聞くことが出来る。(おそらく非常時の避難指示などのために法令か何かで規定されている)

 トンネルを通り抜けると、白黒の画面に色がつき、二人は9年前の学生の姿に――。

 普通白黒で描かれるのは過去のシーンだが、今作では現在が白黒、過去がカラーになっており、もうこれ自体でかなり切ない。予感されるオチの寂しさが際立つという物だ。かといって最後までその雰囲気を全うするのかというとそうでも無い。
 映画の最後にはまた現代のシーンに戻り、廃墟同然になった懐かしの場所の前で二人だべるのだが、そこに他の仲間達が集まってくる。ただし、結婚したヒロインだけは現れない。これはなかなかに潔く、立派な姿勢だ。だからこそそれ以外の者達の会話が時を経て優しく、寂しさの薄まったものとなり、懐かしくはあるけれど、皆きちんと今を向かい合っている証明となる。
 
 そして、ヒロインの結婚をきっかけに集まれたことで、皆があの日を相対化し、これからに戻っていく。最後には現在に色がつき、終わるという形。

 冒頭以外にもトンネル通過シーンは真にクライマックスといえる場面でも使用されており、このシーンのためにこの映画の全てが組み上げられている。その叫びは僕の心にも強く残っており、他の全てを忘れてもこのシーンだけは覚えていた。この映画を初めて見たのは20年以上前の大学時代だが、ハッピーエンドとは言えない結末に、そう、たぶんショックを受けて傷ついてしまった。その傷は彼の叫び声と癒着しており、もう一度観たいのだけれど、怖くて、痛い思いがいやで――何となく避けてしまっていた。それくらい、焼き付いている。

 こうして再度観ると、ショックはショックだが、なるほど見方も違ってきており、部分ではなく全体として飲み込めた気がする。

 記憶していた以上に綺麗に、きちんと組み立てられた佳作である。

 引っかかるのは、映画のまとった雰囲気が「当時ちょっと懐かしい1982年」(1982年を1991年の結婚式から振り返る内容)となっており、何というか、二重に古くさい。年代ががっちり決められているので、その再現は見事なのだろうが、年を経るごとに古びていく気がする。
 特に女性陣の日焼け表現は(本物の日焼けなのかも知れないが)塗料塗った感がひどく、ちょっとしたコメディ感が出てしまっている。
 トレンディ・ドラマ、映画に共通の欠点(もしくはノスタルジーという利点)なのだろうが、アイコンとしての美男美女が直感的に分からないというのは少し寂しいものだ。


 

2021年8月15日日曜日

愛は静けさの中に

愛は静けさの中に [DVD] 

★★★★
~存在の隔絶と求め合う情動~

 1986年の米映画。日本公開は1987年。舞台作品を原作としている。
 

 居場所を求めて様々な場所を転々としてきた中年教師ジェームズは、とある田舎の聾唖学校の教師として職を得た。少しばかり破天荒なやり方に校長に睨まれもするが、その成果とともに認められ始める。
 サラはその学校で清掃員として働いている学校の卒業生。明らかな美人であるが、過去の経験から発話訓練を行わなかったため手話しか会話手段が無く、他人を拒絶する態度から変人扱いされていた。彼女のやりとりにたぐいまれな聡明さを感じたジェームズは惹かれ、サラの世界に踏み込もうとするが――。


 違う世界の住人の出会い、わかり合おうとする情動を描く。
 聾唖者と健常者という分かりやすい形で示されるが、これは国や男女人種、その他あらゆる人間の違い――つまりは個人と個人がわかり合おうとする人間関係全てと同義であり、非常に普遍的な物語だと思う。その困難さと懊悩の深さ――そして希望。
 
 作品として気に入ったのは、「綺麗すぎない」線引き。ロマンチックだし、官能的だが、現実はそれだけで回らないということを常に暗示させる。セックスは恋愛物語の一つの到達点であるが、今作でのそれは毎日の営みといった重さで存在している。唐突に始まるがそれによって何事か解決するわけでは無く、コミュニケーションの一つ、会話の突端だったりするだけ。
 ジェームズの生徒たちについても、多くの生徒たちは彼の授業をきっかけにして変化していくが、一人だけ、決して変わらない子どもがいる。作品のまとまりだけ考えれば気の利いたエピソードを差し込んで大団円に持ち込みたいところだが、今作ではそれはそれでそのまま――。少し物足りなく進んでいくのが日常なのだ。
 善意だけの存在も、悪意だけの存在もいない。ステレオタイプに感じられるキャラクター(校長etc.)が登場するが、きちんと謝るところは謝るし、意地を張るところは張るし、ちゃんとそれぞれの人格を生きている。

 また、二つの世界が一つに重なるという結果が今作で結ばれることは無い。

 ジェームズとサラは結局互いの違いを再認し、それでも踏み込みあって、毎日を一緒に過ごしていこうと誓い合うところで物語は終わる。どちら側の世界では無く、二人の間にある新しい世界を形作ろうとするのだ。とても誠実で前向きな、素敵な結末だと思った。

 作品中過去が多く語られるが、いちいち回想されること無くてきぱきと進んで心地よく、また想像で補うのが効果的な内容となっている。これは舞台原作である所以もあるだろう。
 ロケーションもよく、ジェームズは小さなフェリー(車が数台しか載らなそう)で毎日学校まで通っている。古いが落ち着いた雰囲気の町並みはどこか赤毛のアンの世界を彷彿とさせる。
 
 障害者ヒロイン、特に悲惨な境遇が生々しく描かれた作品は強烈に心に残る……。
 武田鉄矢の『刑事物語』一作目のヒロインはソープに身をやつした聾唖者。
 日本海と三味線が迫る『津軽じょんがら節』の盲目の少女。
 
 今作で心に残るのは、やはり二人が離ればなれになる事件でのあの「音」。
 初めて観たのは大学時代のレンタルビデオ漬けの頃だと思うが、このシーンの印象があまりにも強烈に焼き付いていた。
 
 時代に左右されない、普遍的一作。

 

 



2021年4月22日木曜日

リグレッション

リグレッション[Blu-ray]

~アメナーバル監督の真骨頂~
★★★★


 2015年。アメリカ・カナダ・スペインの映画。スペインは珍しいなと思うがそれは監督がスペインが誇るアレハンドロ・アメナーバルなのだからしかり。
 
 自分はアメナーバル監督の作品が好きである。初めて出会ったのが長編デビューの『テシス』。続く『オープン・ユア・アイズ』と『アザーズ』まではサスペンス映画であり自分にとっては打率10割。続く『地獄からの手紙』では文芸調になり、『アレクサンドリア』は歴史スペクタクル。どんなジャンルでもかっちりと高いクオリティを維持するその手腕に感嘆するが、自分はサスペンスのアメナーバル監督が一番好きだ。
 
 そして『リグレッション』。久々のサスペンスである。ちらちらと前評判を見るとあまり好意的な意見が無いようだったので見るのが怖く、なんだかんだと後回しにしていたのだが、とうとう機会を得て鑑賞した。

 1990年。アメリカでは悪魔崇拝者による儀式的虐待や殺人の暴露が社会秩序を揺るがす大きな問題となっていた。
 ミネソタ州の刑事ケナー(イーサン・ホーク)は17才の少女アンジェラ(エマ・ワトソン)による父親の虐待告発を担当。その陰惨な内容はまさに悪魔的な儀式の様相を呈していたが告発された父親にはその記憶が残っていない。優秀な心理学者レインズによる退行催眠によって引き出された証言には、同僚の警察官ジョージの関与が示唆されていた――。

2021年1月27日水曜日

プリデスティネーション

プリデスティネーション [DVD]

★★★★
~壮絶壮大なタイムパラドックス~


 2014年(日本公開は2015年)。SF小説の巨匠ロバート・A・ハインラインの小説『輪廻の蛇』を原作としたオーストラリア映画。
 タイムマシンによる壮大なパラドックスを描ききった作品。
 

 町の片隅のバーに男が訪れる。バーテンダーは男の「女心はお手の物」という言葉に興味を覚え、ぜひその理由を知りたいとせがむみ、ボトルを1本賭けることで男は今に至る境遇を話し始める。それは冒頭から壮絶だった。
 「私が女だった頃――」

 
 ネタバレを気にしない前提のこのブログだが、今作についてはネタバレを避けて記述している。未見の方も安心して読んで頂けるが、本作は前情報を仕入れる前に鑑賞してもらいたい作品だ。その方が作品上でコロコロ転がされる自分の認識を楽しむことが出来る。
 以下、感じた内容を五月雨に列記。
 

2021年1月26日火曜日

オール・ユー・ニード・イズ・キル

オール・ユー・ニード・イズ・キル [Blu-ray]
★★★★
~未来の端を切り開いていく~

 2014年アメリカ。日本のライトノベル『All You Need Is Kill』を原作とした「エイリアン侵略」×「タイムリピート」SFアクション映画。
 何をもってライトノベルとするのかは様々な議論があろうが、ともかくハリウッド全力で実写化された日本のSF小説である。その本気具合は主演がトム・クルーズである事からも明白。映像や演出のクオリティも高く、どこに出しても恥ずかしくない大作映画となっている。
 

 ギタイと呼ばれる異形の侵略勢力は瞬く間にヨーロッパの人類を駆逐。人類も決死の反抗をくり返すがいつも裏をかかれて敗北を重ねるばかり。
 残存兵力をつぎ込んだ最大で最後の反撃作戦を間近に控え、広報官を務めるウィリアム(トム・クルーズ)は将軍から最前線での活動を命じられる。命を賭けて戦ったことも無い口だけ勇敢なウィリアムにとってこれは死刑宣告であり、これまた口八丁で切り抜けようとするが将軍の反感を買い、脱走兵として逮捕。将校身分を剥奪され一介の歩兵として配属される。
 作戦が開始され、何の戦闘技能も持たないウィリアムは役に立たぬままギタイに殺されるが、偶然か最後の意地か、地雷を炸裂させて相打ちとなる。
 目が覚めると、歩兵に配属された場面に時がさかのぼっていた――。

2021年1月19日火曜日

移動都市/モータル・エンジン

移動都市/モータル・エンジン [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]

★★★★
~実写版ラピュタ!~


 英国の作家「フィリップ・リーヴ」の小説「移動都市」を原作とした移動捕食都市SFアクション。2018年。ニュージーランド/米映画。
 映画「指輪物語」のピーター・ジャクソン監督が脚本に参加しており、本作の監督であるクリスチャン・リヴァース自身、ピーター・ジャクソンの多くの作品でイメージボード(世界観を絵として作成する)作成に関わった盟友。
 

 世界を60分で崩壊させた戦争から数百年、人々は荒廃した土地に資源を求め都市を移動させながら生活していた。 そんな移動都市の頂点である巨大都市ロンドンで、史学士見習いのトムはある日ロンドンに「喰われた」小さな採掘都市から紛れ込んだ1人の女性と出会う。 (WIKIPEDIAより)

2020年12月23日水曜日

アップグレード

 アップグレード [Blu-ray]
 ★★★★
 ~隙のない完成度の高い一作~

 
 2018年。米サスペンスアクション映画。
 非常に面白い。メジャーではないが多くの人に見て欲しい埋もれたお宝の一作である。
 

 今より少し進んだ未来――。
 もはや骨董品となりかけているエンジン自動車のメンテナンスをして趣味人に提供しているグレイ。その妻であり、肢体不自由者にコンピュータ制御の高性能な義肢を提供する会社を経営するアシャ。二人は順調な夫婦生活を送っていたが、突然暴漢に襲われてアシャはグレイの目前で殺害。グレイ自身も首に衝撃を受けて四肢麻痺の状態となる。
 全てを失って失望の淵に沈むグレイに、仕事で知り合った天才発明家エロンが訪問。神経接続により人間を補佐するAIチップ「STEM」を首に埋め込めば、元の生活に戻れるという。グレイはその話に乗り、AIチップと共にアシャを殺した犯人を捜し始める――。


 バディものとしての両者の関わり合いが名作漫画『寄生獣』を彷彿とさせる。寄生獣の場合は右腕が謎の寄生生物となり、普段は宿主の意志のままに動くのだが、ことあらば優先権を奪い取り、独自に動き始める。寄生生物には意志があり、会話も可能で人間の価値観とは異なる、極端な合理主義で判断を行い、時にはあまりに残酷な手段をとる。
 今作では頸椎以下、頭部以外のほぼ全身をSTEMが司っているのだから寄生獣よりも乗っ取り度合いは遙かに大きい。しかもSTEMは首から上の操作をすることも可能なのだ。
 
 映像においては「隙がない」というのが第一印象。捨てカットや安っぽい画面がなく、一定のクオリティで終始構成されている。しかもその基本ラインが高い。特記すべきは近未来のありようで、無理なく現在の延長線上を表現しており、現実感が強い。
 AI技術、生体工学、ナノマシン技術が進展している模様だが、しっかり地に足がついている。ビルの形状が多少重力の制限を無視したように変形しているが、全体として街の様相は変わらない。警察の高性能のドローンが市中を飛び回って居るが、武装は無く監視しか出来ない。完全自動運転の車が実用化されているが、超高級車の扱いで、普通の人力運転車(EV)も同様に道を走っている。身体欠損を補うインプラントが行われているが、無骨で洗練されたものではない。
 基本は現実と同じで上記のような要所要所のみの表現に注力することで、効率よくクオリティの高い未来世界を構築している。
 
 グレイの意志で動いている時とSTEMが勝手に動かしている時の差異表現も上手い。機械の動きは良い具合に色気がないのだ。大道芸にロボットの動きのパントマイムがあるが、あれを非常に薄めた形で露骨すぎない合理的な動きになる。顕著なのは戦闘時で、それまでおっかなびっくりなのが一転して、カンフーマスターばりのキレッキレのアクションを見せるのである。この辺り変身ヒーローのような爽快感があり、出来ればそのままヒーロー物語になって欲しかったが――。
 STEM挙動時に多用されているキャラクターに対して固定されたカメラもおもしろい。バラエティで絶叫コースターに乗ったリポーターの表情を捕らえるために、ヘルメットに固定されたカメラ(自撮り棒みたいな)を使用する事があるが、あれの派生といった感じ。キャラクターが起き上がる場合、世界の方が回転するような映像となる。これは感覚とは無関係に情報処理によってのみ外界を理解して、効率良く行動するというAIの世界認識をうまく表現していると思う。

 合理的だが人情を解しない機械と、情けないが人情で物語をまとめていく人間。バディものとして非常に魅力的な設定が、昨今ないくらいうまい形で構築されているのに、物語は徹頭徹尾悲劇へと流れていってしまう。最後までSTEMは一切ぶれない冷徹さを継続し、透明度を保ったまま物語は完結。美しいとも思うし完成度も高いと感じるが、後味の悪さが残ってしまうのを残念に感じた。AI物はバッドエンドが多いなあ……。

 

 

2020年11月4日水曜日

太陽がいっぱい

太陽がいっぱい 最新デジタル・リマスター版 (Blu-ray) 

★★★★
~応援したくなる犯罪者~


 1960年。ルネ・クレマン監督によるイタリア・フランスを舞台とクライムサスペンス。
 クレマン監督は他にも戦後の幼い子供達の悲劇を描いた「禁じられた遊び」で有名であり、戦争のしわ寄せを受ける幼い子供達の悲劇をリアルに活写。ひるがえって今作は二枚目の代名詞となったアラン・ドロンを主役に据え、陽光きらめくイタリアで富裕層の享楽的な生活と、犯罪者の強迫観念のコントラストを鮮烈に描写。アラン・ドロンは今作が出世作となった。

 アメリカ人フィリップは大富豪の息子。ヨーロッパでの放蕩な暮らしを続け帰国を先延ばしにしていた。
 トム(アラン・ドロン)はフィリップの父から彼の帰国を依頼されて渡欧してきたが、ミイラ取りがミイラになり、フィリップの使用人のような立場におさまって便利に使われている始末。
 フィリップの生粋の贅沢暮らしを目の当たりにし、また、フィリップの恋人マルジュに対する不誠実な態度に不満を覚える。積もり積もった嫉妬と怨嗟は膨れあがり、トムはフィリップを殺して彼になりすますという野心を抱くに至った――。

 
 登場人物がそれぞれに魅力的。フィリップは自分かってて奔放ながらもどこか人好きする魅力を放っているし、マルジュは魅力的な容姿だが本人はそれを当たり前のものとして誇ることはせず、むしろ文筆業としての自身の能力のなさに劣等感を抱いている。トムはさわやかな笑顔とフィリップの依頼に対する手際の良い処理の裏で、彼を裏切る機会を虎視眈々と狙っている――。一筋縄ではいかない登場人物達が非常に興味深く描かれる。

 前半は人間関係の描写と高まっていく緊迫感を描き、後半は犯行後フィリップになりすますとともにマルジュを手に入れようとするトムの奮闘が描かれる。面白いのが後半、罪の意識に苦しむというより現実的にフィリップの財産を手中にしようとするトムに対して、意識的にも無意識的にそれを邪魔する者たちがどんどん現れ、トムがそれになんとかかんとか対処していこうとする有様。悲壮感はあまりなく、いつも前向きにがんばっていくのである。
 不思議なことに自分はトムを応援していたし、最後には上手く財産をぶんどれますように、と祈るような気持ちになっていた。登場人物に魅力を感じて惹き付けられるというのは、創作物の最も強い力の一つなのだろうな。
 
 上記のように感じるのは、細かな演出の妙だと思う。特に物語に必要の無いシーンを上手く挟み込んで、端的に描かれはしないもののトムの心労が各所に現れているのだ。
 港の市場に買い物に行ったシーンでは、他の客がどことは無しにトムに注目している。これはゲリラ撮影のため実際の市民がなんだなんだと視線を向けていたためのようだが、良いあんばいに周囲の視線がまとわりついてくる。遺体横の聖職者、通りの椅子に座った老人などモブのまなざしを長く映すカットが多いのも同様に「見られている感触」を演出。
 第二の犯行のあと、やっちまったと壁にもたれるトムに、部屋の外から無邪気に遊ぶ子供達の姿が見えたり、富豪に成り代わろうとしているのに自分で大家からもらった鶏肉を調理して、台所の隅にうずくまってそれを食んだり。
 これは自然と応援したくなるというものだ。
 
 社内の映画鑑賞会で見たのだが、参加していた女性社員はトムにまったく感情移入できなかったとのこと。マルジュをもののように扱う男達の態度が許せなかったとのことだが、翻弄される彼女の処遇は確かに同情に値する。だが、1960年という時代を差し引かなくても、物語で描かれた一つの関係というだけで、特に立腹するようなものではなく、恋に盲目になったものに良くある状況ではないかと感じた。

 物語の結末が原作とは異なっており、原作も映画も続編が存在しているが、今作の結末の方が全体の構成として美しいと思う。


2020年10月13日火曜日

屋根


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~イタリア・ネオリアリズムでおすすめの1本~
★★★★

  1956年のイタリア映画。イタリア、ネオリアリズムの代表的な監督の一人ヴィットリオ・デ・シーカによる名編。デ・シーカは「靴みがき」「自転車泥棒」が有名だが今作は不思議なほど評価が低い、というか評価がない。知名度がものすごく低いのである。DVDも出ていないためVHSから落とした映像で鑑賞。

 大戦後まもなくのイタリアは復興の道半ば。住宅の建築ラッシュとなっているが、多くの民衆には手の届かない存在である。
 工事現場で働くナターレと住み込み家政婦のルイザはローマで出会い、まだ結婚は早いという周囲の言葉を振り切って結婚式を挙げる。新居の用意もなくナターレの実家で同居を始めるが、すし詰め状態の暮らしはプライバシーもなく、姉の夫が世帯主となっているため肩身が狭い。ナターレと姉夫との言い合いは喧嘩に発展してしまい、二人は荷車一台分の家財を持って家を飛び出る。自分たちの住処を見つけようと躍起になって探し歩くが、この時勢なかなか良い話があるわけも無い……。
 そんな中、空き地に既成事実として家を作って住んでしまえば、簡単には立ち退きさせられず実質的に定住が可能だと知る。家の条件はきちんと壁で囲まれており、屋根がしっかり乗っていること。その場で押し崩せるようなものでは警官に追い払われてしまうため、煉瓦でがっちりと組み上げなければならない――。
 作業時間は警官の夜のパトロールが終わってから翌朝また訪れるまでの、一晩。
 ナターレとルイザは全ての財産をかけて材料を購入。職場の仲間を募って一世一代の計画に飛び込んでいく――。


 
 ネオリアリズムの特徴は可能な限りセット使わず、また役者を使わない事。実際の場所で演技ではない演技を撮影、そこに生まれる実在感を追い求めていく。もちろん物語もリアルを追い求めたものとなり、戦後の苦しい庶民生活を活写したものとなる。様々な困難に心折れながら、それでも人生はそういうものだとどこかカラッとした生きる力を感じさせる悲劇。絶望の中にひとしずく落ちる希望といった印象の物語が多いと思う。
 今作も主演の二人はじめほとんどの出演者が役者ではない市井の人々であり、セットが使われているのは車の中の撮影くらいであろう。お金も住むところもなく、若さから来る思い切りの良さだけを持つ夫婦の姿にはハラハラさせられ、いかにもネオリアリズム的結末を迎えそうであるが、なんと今作は――。

 「道」「自転車泥棒」などでネオリアリズムの洗礼を受けた後に今作を見れば、その特殊性が非常に分かりやすい。悲劇的なネオリアリズム作品も今作も、描いている主題は人間の営みとそこにある様々な形の愛情だと思う。ツンデレのように悲劇でそれを描いたのがネオリアリズムであるが、ただただ直球のこういった作品があっても良いではないか。
 名画だ名作だと肩肘張らず、ただ「いい映画だよ」と万人に勧めることの出来るとても幸せな作品。
 
 ちなみに数少ないが職業役者も出演しているらしく、いかにも嘘っぽい仕草を見せる意地悪隣人がそうではないかというのが師匠(うちの社長)の見解である。素の反応で登場人物になっている素人達の中で、役者が演じる人物は絶妙の嘘くささを醸し出すのだという。確かに他の登場人物から浮いて見えていた。

 

 

2020年7月21日火曜日

博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか

博士の異常な愛情 [Blu-ray]
 ※Amazonの商品リンクです。 

★★★★
~コメディのような本物の世界で~

 1963年の米映画。巨匠スタンリー・キューブリック監督による世界滅亡シミュレーションコメディ。
 本作は白黒であり頻出する戦略攻撃機のシーンは背景の合成クオリティが低いが、これは時代の限界といって良いだろう。作戦司令室や戦闘機内部といったセットを組んだシーンは高いクオリティとなっている。
 原題は「Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb」で、直訳すると「ストレンジラブ博士 または~」になる。なので「博士の異常な愛情」はトンチンカンな訳だが配給会社がわざとこのような題名にしたようである。確かに「Dr.ストレンジラブ」という題名よりはインパクトがある。珍奇な題名の映画であるが、その内容はリアルな着想に基づく冗談に出来ないブラックジョークである。


 東西冷戦が極限まで高まった1960年代。とどまることのない核開発が続く中、24時間体勢で核攻撃に備える米軍戦略爆撃機B52にソ連の核ミサイル基地への核攻撃の命令が下る。しかもそれは本土が攻撃された際に発動する報復攻撃の計画であり、それぞれの爆撃機は特定の暗号通信にしか反応しない自閉症モードへ入った。ソ連は核攻撃を受けた際、地球全体に100年の核の冬をもたらす最終報復設備を整えたところであった。もはや核攻撃を止める手段は限られる。滅亡の危機を迎えた人類を救うべく最高司令室での会議は続く――。


 なんだかんだいって映画は作られた時代の状況を反映する。映画のフォーマットや合成精度といった技術的、基材的なものもそうだが、社会状況の影響を受けないわけには行けない。最近なら人種や性別が偏らないように病的な圧力が高まっている。この作品がつくられた当時最大の背景はアメリカ、ソ連を中心とした東西冷戦であり、核の抑止力の倍々ゲームである。お互い止まるきっかけをもてぬまま進んだチキンゲームはちょっとしたことで破裂する風船のような脅威で世界を包んでいた。その際には世界全体が不毛の地と化すのだ。
 当時の観客は我々よりも切迫した気持ちでこの作品を見ただろう。日常と紙一重に存在する破滅の日。登場人物達は最後の最後まで人間らしい愚かなやりとりを繰り広げる。この期に及んで秘書との逢瀬が気になって仕方がない俗物司令官。常識的だが非常事態の非常識にどうにもついて行けない大統領。ドイツから帰化した敬礼と総統呼びが抜けない科学者(これがDr.ストレンジラブ)。司令室の喜劇と対を為すのが決死の覚悟で敵地に向かうB52の乗組員。戦争映画の英雄嘆よろしく破損した機体を操って目的地に飛んでいく。破損によって爆撃地点を変更したり、肝心の爆弾ハッチが開かないのを機長が格納庫まで行って直結したり、戦争映画のような手に汗握るシーンが続くが、これは人類滅亡のための奮闘に他ならない。ついには機長が弾にまたがったまま投下され、カウボーイよろしく歓喜しながら落下するシーンなど、愚かさに笑いが漏れてしまう。既存の英雄物語をひっくるめて喜劇にしてしまうこのシーン、全方位に喧嘩を売っている。

 
 ラストでは巨大な破壊力が生む圧倒的な時間芸術を背景にムードたっぷりのボーカル曲「またあいましょう」が流れる。まったくもってはまりすぎで、人間の営みとその愚かさが愛しく感じられてきてしまう。我々はしょうがない生き物だなあ――。それがコメディの力なのかも知れないが、苦しい状況を他人事のように笑ってしまうことで何か元気が出て来る不思議な映画である。


2020年7月14日火曜日

レディ・プレイヤー1

 ※Amazonの商品リンクです。

★★★★
~オタクのアベンジャーズ~

 2018年のアメリカ映画。ネットワークの仮想空間上での宝探しとそれを巡る陰謀。
 

 2045年の世界はVRで参加する仮想空間体験がメインの娯楽となっていた。
 スポーツも恋愛も戦闘も、全てその中で体験することが出来るゲーム空間『オアシス』。
 感覚や歩行もフィードバックできるシステムを用いて体験する仮想世界は、もう一つの現実となってさえない毎日を忘れるための逃避場所にもなっていた。
 主人公ウェイドは叔母の家に居候する窮屈な生活。スクラップ置き場に作ったオアシスプレイ環境からネットネーム『パーシヴァル』としてアクセスし、友人エイチなどとともにオアシスに隠された宝――三つの鍵を手にい入れればオアシス全ての権利を得ることが出来る――を追い求める毎日だった。
 いつものように鍵の1つが隠されているというレースゲームで、有名プレイヤー『アルテミス』と出会い、その会話からヒントを得てとうとう一つ目の鍵を全プレイヤーで初めて手に入れることに成功。企業として宝を狙う『シクサーズ』はネットの内外でパーシヴァルへの接触を開始した――。

 監督は冒険活劇お手の物のスティーブン・ストラスバーグ。ネットの内外で同時進行する物語を映画的なデフォルメによって分かりやすく見せることに成功している。

 仮想世界に入って活躍する物語は今作以外にも様々な物があるが、人間との接続についての手段は大きく電気的な物と物理的な物に分かれる。夢を見るような形で直接脳に情報を送り込む手段と、現在でも可能となっているヘッドセットをつけて視覚的に仮想空間を見る手段である。
 
 今作は後者で、高レベルな没入感を得るためには環境を整える必要がある。
 最低限はグラスによる視覚とグローブによる両手の触覚だが、全身専用タイツによって体中の触覚を再現したり、足元に全方向に動くベルトコンベアーを設置してその場での歩行を可能にするなどかなり大仕掛けである。どこまでの環境を整えられるかはプレイヤーの財力にかかっており、その点平等ではない。
 グラスをかぶって虚空に向かって手を伸ばしたりしゃべったりしているのは異様な光景だが、作品世界では道ばたでプレイしている人も多く、我々でいえばワイヤレスイヤホンで携帯通話しているようなものなのかも知れない。耳からうどん(エアーポッズ)を垂らしてしゃべっている様子は延々独り言をしているようでどん引きだったが、最近少し慣れてきた……かな。

 電気的接続の場合、本体は寝たような状態で脳に直接感覚情報を送って仮想現実を体感する仕組みになっており、夢と同様現実とは区別がつかないリアルな体験となる。本人はカプセルに入ったり、頭部にケーブルをつなげたり、ベッドで安静状態になっていたりと絵面的には病的といって良いだろう。
 日本のアニメでこの手の代表格はSAO(ソードアート・オンライン)だろう。ライトノベルを原作としており、頭部にヘルメット状の装置をかぶって眠りに落ちる格好。この作品ではゲームをクリアするまで現実世界に戻れなくなるという騒動になっているが、ゲーム世界で主人公は他のプレイヤーと友好をはぐくみ、一人の女性と肉体(?)関係を結ぶまでになる。これはこれで楽しいのだが、常に心配なのが本体の有様なのである。ベッドで寝たきりとなり筋肉はやせ細る。栄養補給のための点滴も必須だろう。そんな末期患者のような本体を差し置いて架空世界で楽しい日々を送っているという状況に自分は違和感を感じすぎて入り込めなかった。作品では現実世界に戻っても大して人相変わらずすぐに動けるようなごまかし方をしていた。
 このように、電気接続は現実との剥離が多すぎて世捨て人のようなイメージになってしまうのだ。

 両者を比べてみると、スマートではないが物理接続の方がまだ好感が持てる。現実世界でグラスかぶってドタバタしている姿が映画の中でも頻繁に描かれるが、仮想空間に没入している人を現実世界から見たおかしさ、異様さをきちんと描く事によって、何でもありの夢のような仮想現実に適度な違和感、ばかばかしさを与えるのに成功している。

 結局今作の肝は、これは原作から同じのようだが、『仮想現実は楽しいけどほどほどに、やっぱり現実は大切だよ』というメッセージなのだ。したがって仮想と現実のバランス、結びつきをきちんと描こうとしており、上記のばかばかしさもその一環なのである。
 この結びつきを重視した演出は他にもあり、仮想世界での大軍同士のぶつかり合いが顕著だ。企業がゲーム要員を雇って大きな体育館のようなところで整列させて戦いに参加しているという状況なのだが、強力な兵器で戦場における一直線のプレイヤーがなぎ倒されると現実世界のプレイヤーも一直線にばたばた倒れる(ゲーム中の死亡なのでログアウトということ)。現実世界の場所と戦場の場所は関連がないので明らかにおかしいが、ともかくつながりが分かりやすい。この「範囲が同じ演出」は都合3回以上は使用されておりまったく念の入ったことだ。
 このような描写は下手をすると興をそぐことになるが、最大と言える見せ場でさくっと折り挟むことで分かりやすさによる気持ちよさが上回る使い方となっており、見事だ。

 最後になったが、本作の見所の一つはアニメやゲーム、映画といったいわゆるオタク趣味のネタが大量に詰め込まれていることである。細かく見ていけば枚挙にいとまがないようだが、主要なものを挙げても「ガンダム」「ゴジラ」「ヘイロー」「オーバーウォッチ」「ストリートファイター」「サタデーナイトフィーバー」「シャイニング」「バックトゥーザフューチャー」といった有名作がゴロゴロしている。これが鍵の謎に絡んでいたり、ちょっとした背景で出てきたり、強力な武器として大暴れしたり……。これはもうオタクのアベンジャーズといったところで、歓喜歓喜である。
 原作小説とは出てくる作品群が異なるようだが、これだけの使用を許可してもらえたのはなんといってもスピルバーグのネームバリューの成せる技であろう。スピルバーグがつくるなら大丈夫だろう、スピルバーグに頼まれれば仕方がないな、というノリに違いない。ヒットメーカーであり、つくる作品は前向きで人を傷つけない安心感。スピルバーグだからこそ完成なしえた作品である。

 小説では続編である『レディプレイヤー2』が執筆中ということであるが、またこの世界を映画で見られるとしたら、とても幸せなことだろうと思う。

2020年7月2日木曜日

機動戦士ガンダムF91

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※古い感想に追記をした物です。
★★
~素性のよさが惜しまれる単発作品~

 1995年公開の完全新作劇場アニメ。
 情報量が多いので冒頭あらすじは非常に難しいのだが、最も魅力的な部分に着目すると以下のような感じ。

 コロニーの学校に通う17才のシーブックは別の科の学生セシリーと出会い、その魅力に惹かれた。
 貴族政治を復活しようとする勢力がコロニーを急襲。戦火に巻き込まれたシーブック達は博物館のMSを操って脱出を試みるが、セシリーが敵に囚われてしまう。
 避難先で母が開発に関わったモビルスーツF91と遭遇。その頃セシリーは貴族政治の象徴として祭り上げられていた――。

 オリジナルガンダムの主要メンバー、富野由悠季、キャラクターデザイン安彦良和、モビルスーツデザイン大河原邦男が再結集した新シリーズ……のはずだったのだが、この劇場作品単発となってしまった。
 元々はテレビでの連続アニメとして企画された物らしく、なるほど、人物配置の厚み、背景設定の豊かさなど、如何様にも話を膨らませそうな奥行きある世界を感じる。単発となったのにはあれこれあったようだが、あずかり知らぬ一ファンとしては口惜しい限り。

 実際映画は壮大な物語の序章といった位置付けで、ほとんど謎のままのキャラクターや、これから活躍するのだろうという予感のみのキャラクターが沢山存在する。何しろラストに「これは物語の始まりに過ぎない……」などと明示されているのだから淋しさもひとしお。

 驚嘆すべきなのは、このような状況でも、一本の映画としてなんとか成り立っている点。序盤から話はすいすいと進み、意味が分からなくなるギリギリの高速展開を見せる。普通ならただの総集編になってしまうが、エピソードの取捨選択が非常にうまいのか、重みを失うことがない。どうやら、物語に重要なエピソードだけではなく、味のある部位を入れ込んでいるのが功を奏しているようだ。富野監督は、総集編やPVに特異な才能を持っている
 また、描くべき人物を限定したことで、ラストのまとまりが実際以上にキリッとしている。未来に展望を感じさせるエンディングは、富野監督の作品中珍しい部類に入るだろう。

 しかし、残念だ。

 この内容をテレビシリーズで描けていたなら、物語はもっと豊かな物になっただろう。映画の内容に当たる部分も、より情緒を持っただろう。その形が見たくて仕方がない。
 安彦良和の描くキャラクターは骨太で、バラエティーに富み、掛け替えがない。大河原邦男のデザインも、過去に捕われず野心的で、敵MSのデザインラインはザク以来の発明なのではないかと考えている。

 このように基本褒めてきたが、全体の印象として駆け足なのは否めないし、後半の展開は正直むちゃに過ぎる。それらを考慮に入れても、魅力に溢れる作品だと思う。

 今回何回目かの鑑賞だが、ブルーレイでは初めて見た。作画が群を抜いて良いということが無く、いささか古い作品だったので大して期待していなかったが、そのクリアさと精密さはいくつかの事に気づかせてくれた。
 ヒロインであるセシリーの作画について、多くの場合髪とブラウスに黒の描線を用いていない。また、登場シーンの多くにソフトフォーカスフィルターを使用しており、結果、セシリーの存在が画面から美しく浮き上がる効果を生んでいる。これは彼女の魅力を伝えるためでもあるが、他の人物と異なる背景を持っている彼女の立ち位置を象徴するためのエフェクトだとも思われる。
 このような点に気づくことが出来たのはブルーレイのおかげだ。再見する機会を与えてくれたという点においても、そうだろう。

2020年6月15日月曜日

新幹線大爆破

新幹線大爆破 [Blu-ray]
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★★★★
~ラストシーンにしびれる~

 1975年の邦画。自分が生まれた頃の映画だが十二分に楽しむことが出来た。
 監督は「ミスター超大作」こと佐藤純彌。
 「人間の証明」「植村直己物語」「敦煌」といった世界を股にかけた作品多数だが、「北京原人 Who are you?」でとんでも監督の烙印をおされてもいる。まあ北京原人もワールドワイドといえばワールドワイド……。
 

 安全神話を誇る新幹線。爆弾設置の電話といういたずらに困らされていた時節、電話がかかるが、今度は本物である事の証明としてローカル機関車の爆破を予告。実際に爆破事件が発生した。
 時速80キロを切ると爆発する――。有事には緊急停車して安全を確保する新幹線の基本方針を逆手に取ったような犯行。
 東京発福岡行き109号の猶予は福岡到着までの10時間。爆弾の解除を目指して必死の捜査活動と、列車運行が開始される――。

 152分と長い作品だが、犯人側のドラマをきちんと描いたことがその理由である。現に100分ほどに短縮された海外版ではその部分がごっそりと削られているとのこと。これはこれでテンポが良く評価が高いらしい。
 犯人側の事情に時間を取るのは勧善懲悪主流の当時は珍しかったらしいが、それがこの作品を今でも楽しめる傑作にしている。
 この姿勢は犯人役を高倉健が演じていることからも明白。様々な理由から社会と分断された四人(一人はおまけ)で国(相手は国鉄と警察なので)を相手に蟷螂の斧を振り上げる様は、犯罪とは言え感情移入せずにはいられない。「誰も死なない完全犯罪」を目指していたのも大きい。
 反対に腹が立ってくるのが警察の様子。懸命に犯人を追う様子が描かれるが、正義側なら何をやってもいいという傲慢がにじみ出ているように感じる。身代金の受け渡しでは犯人逮捕のチャンスとばかりに気色だって、犯人側の指示を無視して猪突猛進、一味の一人を事故死させてしまう。新幹線が爆破されてもおかしくない状況を生み出して、悪びれずにまた嘘八百を並べ立てて口八丁手八丁。印象としては警察組織の方が悪役に思えてくるくらいである。まあこれも制作者側の意図なのだろうが――。

 この内容で国鉄がよく協力を許したなあと思ってしまうが、実際国鉄との連携は断られたとのこと。
 条件の折衝は行われたらしいが、現場が映画の魅力を損なう改変を拒否。映画会社側もすでに突っ込んだ資金を完成によってまかなうしかなく、結局セットやゲリラ撮影、盗撮などで進めていったらしい。
 客席は精巧なセットで、座席などは本物を納品している会社に注文したとか。その会社、国鉄からこっぴどくしかられたとのこと。
 様々な苦労の甲斐あって、協力なしとは思えない本格的な列車映像を堪能できる。
 
 物語のラストは類を見ない潔さで断ち切られており、抜群にいい雰囲気。
 これを見るためだけでも十分な価値があるだろう。


2020年5月28日木曜日

逆襲のシャア

 

 ★★★★
~望んでいた物語~
※2008年の感想の調整版です。

 機動戦士ガンダムのライバルキャラクター、アムロとシャアの決着を描いた劇場版。

 短い尺の中にぎっしり要素を詰め込んだ、月餅のような物語。
 シリーズ第一作「機動戦士ガンダム」に歓喜したファンは続編シリーズ「機動戦士Zガンダム」に少なからぬ失望を覚えた。ヒーローであったアムロとシャアが、社会の常識に押し潰され、窒息しそうになっていたからである。

 今になって考えてみれば、あれほどの事を成し遂げた人物が、その後も自由に生活できるはずはないだろうと想像できる。世の中から無責任な関心を寄せられ、また、自分の言動の影響の大きさを認識した人物が、どうにも煮え切らない生活を送っているのはありえることだ。そういったしがらみに捕まった「大人」を尻目に新たな主人公が情熱で駆け抜けて行く、という構成なのだろう。だが、かつてのヒーローの情けない姿を見るのはファンにとってうれしいはずもなく、見たかった続編はあのような物ではなかったのだ。

 そこに、この逆襲のシャアである。

 Zの流れを引き継ぎつつ、葛藤を乗り越えて再び自分に立ち戻った二人のライバルが、卑怯や弱さを包含した大人として、対峙しなおしている。
 シャアの野望を食い止めようと立ちはだかるアムロ。それぞれに正義があり、悪がある。これぞ大人の戦いだ。

 この物語にも、当然この時代の若者が登場する。が、それは二人のヒーローを揺るがすことは出来ない。事情を理解しきれぬまま、決めつけの狭小な自意識でヒーローにちょっかいをだす、邪魔な存在として描かれている。(少なくともそう感じてしまう)
 大人は大人の立場で、子供の小賢しさを無視するのだ。Zとは異なるこの態度が、とても頼もしい。

 そのような二人の戦いは、まさにこれが見たかったと体震えるものだ。今だに共通の女性に心捕われている姿は、情けなくもあり、切なくもあり。だが、そういう二人が、僕は(おそらく僕ら、は)好きなのだ。

 ラストをファンタジー気味に強引にまとめるのは賛否あるだろうが、世紀のヒーローの結末としては、華やかでいいのかもしれない。

 見直してやはり思うのは、

 ・シャアのロリコンが、全ての元凶
 ・チェーンかわいい

 そして、平民代表ブライトさんがシャアに言わせた言葉、
「やるな。ブライト」
が心に残る。

2020年4月14日火曜日

ドラえもん のび太の魔界大冒険

映画ドラえもん のび太の魔界大冒険【映画ドラえもん30周年記念・期間限定生産商品】 [DVD]

  ★★★★
 ~素直に、美夜子さんが好きだ~
 
 大長編ドラえもんの映画シリーズ第5作目。
 魔界大冒険はのちに新魔界大冒険として再映画化されているが、これは無印の方で監督は22作のドラえもん映画を監督した芝山努。彼にとっては「のび太の海底鬼岩城」に続いて2作目となる。
 

 魔法が使えれば良いのに――。
 のび太の楽したい願望は魔法に向いていた。庭掃除、ホームラン、空を飛ぶ。魔法が出来れば何でも出来るのに。
 出来すぎに魔法という学問が科学に駆逐されたことを説明されてもどうしてもあきらめきれない。
 ドラえもんに「もしもボックス」を出してもらって魔法世界を実現するが、思ったのとは大分違い――。

 自分はF全集(漫画)を揃えて喜んでいる藤子・F・不二雄ファンである。
 藤本先生の漫画を原作とする映画は全て見たが、その中でもこの「のび太の魔界大冒険」は映画として最も優れていると思う。
 原作で最も完成されていると思うのは「のび太の宇宙開拓史」だが、映画の出来はあまり良くない。その点、魔界大冒険は原作に忠実でありながら、真っ直ぐに映像的な魅力が加えられている。結果映画ならではの価値がきちんと生まれている。
 
 魔界大冒険はかなりきわどい、複雑な話である。
 
 タイムマシンを使った時間的な錯綜に加え、もしもボックスによるパラレルワールドも絡んでいる。
 これらをきちんと整理、理解しようとするとかなり根深い考察にはまり込んで行くし、おそらく他のドラえもん作品との矛盾も出てきて正解はない。
 このような複雑な話を、表面的な説明と勢いで分かった気にさせてくれる原作がまずすごいのだが、映像にするのはさらに難しいと思う。説明も「聞く」事になるのでさらに分かりやすさと、はったりが必要なのだ。
 
 いくつかのシーンが焼き付いているが、これらが「はったりのきいている」部分なのだろう。
 
 ◆魔法のほうきのオープニング
  たのまれた庭掃除を、ほうきに魔法をかけて出来ないものかと試すアドバンタイトルから、命を吹き込まれたほうきが動き回るオープニング。
  魔法なんてかかっておらず、コテンと倒れるほうきから本編開始。
  この滑らかな繋ぎの気持ちよさ!

 ◆出来杉の魔法解説
  一本の木が描かれたエッチング画の背景がマーブル模様に迫ってくる画面。
  このインパクトがすごい。
  説明的には「世の中に満ちた人知を越えた力」を表しているが、原作もすごいがこう動かす映画もすごい。
  その後のドクロ画像も合わせておどろおどろしし雰囲気が後の悪魔軍団と繋がっている。

 ◆デマオンとの逃亡劇
  終盤の悪魔軍団からドラえもんたちが魔法のカーペットで必死に逃げるシーン。
  魔法でミサイルのように迫ってくる小惑星たちを魔法やショックガンで撃ち返すシーンも良いが、その背景の流れる星の迫力。
  星が散らばったトンネルを高速で移動するような表現になっており、実際で考えてみればそんな風に見えるバズはないのだが、追走劇に緊迫感を与えている。カーブで逃げて、カーブを追いかけてくる辺り最高。

 ◆「千里千年を見通す予知の目よ!」
  宣伝でも多用されていたので覚えている方も多いと思う。美夜子(ゲストヒロイン)とのびドラが雲の上の月光の下でやり取りするシーン。
  掲げた水晶玉に大魔王を倒す勇者たちを映し出すシーン。
  美夜子は他にもペンダントから小さな剣を取り出し、それを等倍に戻して手に取ったりと小道具がらみのカッコイイシーンが多い!
  
 美夜子はのび太たちより年上の(中学校~高校くらい?)快活なショートカットの女性で、初見から好みだ。
 男勝りな部分があるのだが、それをきちんとした礼節で包んであり、潔く格好良い。
 僕の奥さんみたいだ。とこっそりのろけ。
 
 今作をよくよく考えるとこわい部分を以下にメモしておく。
 
・パラレルワールドの元ののび太はどうなっているのか
  つまりは「もしもボックス」の怖さなのだが、あのベルが鳴り響いた瞬間に新しい世界が作られるのだろうか。
  そうなのだとしたら、のび太が魔法世界に移動した以前の、元々魔法世界にいた者たちが持つのび太の記憶はどのような内容なのだろう。
  いたはずののび太の行動は、誰が生み出したのか。また、のび太が元の世界に帰った後、魔法世界にのび太はいなくなるのだろうか。その記憶を引き継ぐのび太が発生するのだろうか。
  これについてはもしもボックスは数あるパラレルワールドから望みに合致するものを探しだし、そこにいる別世界の同一人物(すごい表現)の魂(人格)をすげ替えるものだという検討がある。これはなかなか条件に合致するが、では突き出された元の魂はどこに行き、どういう形で帰ってくるのかという疑問が続く。記憶喪失のような形がもっともうまく行くかもしれない。

・悪魔とは言え一つの惑星を丸ごと破壊している
  悪魔も、人魚も、鯨も、その他すべての魔界の生物をすべて殺しているという事実。
  おそらく意図的にだが描かれていなかった悪魔の町にくらす女性悪魔や子供悪魔、そこに暮らす悪魔家族の幸せをも消滅させた。
  これは地球を生み出す道具「地球セット」の回(恐竜時代まで育てた地球を火の玉にして破壊)にも言える事だが、数兆に及ぶ命を根こそぎ刈り取っている。
  
・タイムマシンを使えば異なる世界の人間の大移動が可能なのか
  作中魔法世界に転移したのび太はタイムマシンでもしもボックスを使う前の世界に帰ってくる。
  つまりタイムマシンでパラレルワールド間の移動が可能なのだ。
  とすると、ドラえもんがタイムマシンで移動している過去や未来も、じつはどこかでずれたパラレルワールドで、そこにいきなりもう一人ののび太やドラえもんがいてもおかしくないという事になる。
  
  やはり、すごくややこしい話だ――。




 

大人の見る繪本 生れてはみたけれど

あの頃映画 松竹DVDコレクション 「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」

  ★★★★
 ~相似形のからみ行く先~

 1932年の邦画。小津安二郎監督による白黒の無声映画。
 英語の題名が「I Was Born, But...」だけなので「大人の見る繪本」は副題と言って良いだろう。
 

 サラリーマンである健之助は出世のために会社の重役である岩崎の自宅近くに引っ越してきた。
 健之助の二人の息子は早速地元のガキ大将に目をつけられるが、次男の多少汚い方法によりこれを撃退。長男は大将の位置に落ち着いていささか横柄な態度で毎日をそれなりに楽しく過ごしていた。
 健之助は家では厳格な父親であるものの、会社では岩崎の磯巾着として同僚にも侮られていた。
 父のそんな姿を息子達は目撃してしまい――。

 小津映画の特長とされる各要素、「低いカメラアングル」「イマジナリーラインから外れたレイアウト」「動かさないフィックスカメラ」はすでに見て取れる。同じ志を持つ者は同じ方向を見る、といった独特の構成も印象的に使用されておりサイレントの一つの完成型といって良いかもしれない。

 家庭内の最高権力者が会社の階層構造の中では下位に甘んじ、一見自由に見える子供達も親の社会的地位という鎖につながれている。この相似形。社会の中で生きる人間という者の宿命。最初はコメディのようなのんきさで始まった物語は、最終的には人の営みの深いところまで視線を届かせることになる。
 もし大人だけの物語だったら、この題名はあまりに重いだろう。それが子供に同じテーマを輪唱させて絡めていくことで、どこかしら背伸びしたユーモアが全体をやさしく包んでくれる。
 
 特筆すべきは次男の演技。演技を超えた演技で生き生きとした表情を見せて物語の花となっている。
 小津監督はどのようにしてこの自然な演技を幼い子供から引き出したのだろう。
 その表情は色も音も時代も超えて、今も魅力的なままフィルムに焼き付けられている。

2020年4月9日木曜日

ドロヘドロ

ドロヘドロ Blu-ray BOX 上巻 初回生産限定版

 ★★
 ~手書きとCGのハイブリッド~
 
 林田球の漫画を原作としたアニメーションシリーズ。一期13話。
 原作は完結しているが、例によってアニメはそのどこまで描かれたのかすら分からない中途半端なところで終了。人気漫画の素材としての乱伐のようなこの状況は今ではもう当たり前だが、自分にはどうにも気持ちが悪い。
 終わりを感じさせないのがIPへの希求を高めるのかもしれないが、終わらない物語は欠陥品だろうと思う。
 

 魔法使いとそれ以外の人間が魔法の扉によって隔絶された不思議な世界。
 人間の世界(ホール)は魔法使いの実験台にされた異形の人間たちによって混沌の極にあるが、そこに住む人たちはどこか陽気で楽しげである。
 記憶を無くして病院で目を覚ましたカイマンは魔法使いによって頭をトカゲに変えられていた。
 犯人を見つけて復讐するため、ホールで知り合った中華料理店の武闘派店主ニカイドウとともに魔法使い狩りを開始する――。

 林田球の漫画は一種独特の雰囲気を帯びている。
 残酷で悲惨で生死をおもちゃのように扱いながら、暗い雰囲気にはならない不思議なコメディ感を継続しているのだ。
 不謹慎だが飄々としたキャラクターには愛着が湧き、特有の世界観と合わせて魅力が増大されていく。
 
 こういった雰囲気をこのアニメは上手に表している。
 特筆すべきなのが、手書きとCGの良い塩梅の融合
 原作のタッチを表現するために網掛けやペンの走りをそのままテクスチャにしてキャラモデルに貼り付けている。
 結果ぱっと見ではCGだと分からない手書き感が出ており、CGアニメ特有の気持ち悪さが非常に薄い。
 さらに作画とCGを場面毎に切り替えて使用しているようで、互いの良いとこ取りに成功。高い画面クオリティを最初から最後まできっちりと保っているのが素晴らしい。
 
 演出についても称賛したい。
 CGを多用した作品の多くが意味の無いカメラ挙動病にかかる。必然性のなダイナミックな動きを入れなければならないという強迫観念でもあるのか、ただの会話シーンでグルグル動かす事も良くある。カメラで撮るべきもの、その動きを積み重ねて物語を伝えていくことを忘れて、その場その場の短絡的な表現をしてしまっているのだ。
 これは演出する側が特に厳に慎まねばならない、「がんばってしまう失敗」であるが、今作では要所のみCGならではの激しいカメラ挙動を用いて、それ以外はオーソドックスに抑えている。全体としてメリハリのきいた印象となり、この観点でもCGらしさが薄まっている。
 
 手書きとCGをうまく融合させるという方向性について、今作は非常に高い到達点を示してくれている。
 制作会社である株式会社MAPPAは「この世界の片隅に」なども制作しており、クオリティの高い作品を多く輩出している。
 
 ただ、――主人公カイマンの声が自分が思っていたよりも甲高く神経質だった違和感は最後まで消えなかったし(←勝手な意見)、出来が良いとは言え非常な尻切れトンボだし、かなりグロだし、手放しで多くの人に進められる作品ではない。
 放送枠のCMが、「カイマンのカバン」「キャラクターモチーフの時計」など関連グッズばかりなのも不思議だった。どこで回収する目論見の作品なのだろう……。


 
 

2019年12月4日水曜日

ミッション:インポッシブル

ミッション:インポッシブル スペシャル・コレクターズ・エディション [Blu-ray]

★★★★
~道具と舞台と映像と~

 1996年の米映画。往年のテレビシリーズ「スパイ大作戦」を映画化し世界的大ヒット。シリーズ化を確定させた。万人にお勧めできるスパイアクション映画の金字塔
 主役イーサン・ハントを演じる「トム・クルーズ」は昨今プロデューサーとしての活動も盛んだが、今作がプロデューサーデビューの作品でもあった。


 IMF(Impossible Missions Force、不可能作戦部隊)に所属するイーサンは指揮官であるジムを中心としたチームで着実な成果をあげる敏腕工作員。今回の任務も困難性をクリアして成功寸前に至るが不測の自体が起こりチームが壊滅。。生き残ったことで裏切り者の汚名を着せられることになったイーサンはからくも元仲間達の包囲を脱出。同じく生き残ったクレアと共にチームを壊滅させた謎の人物を追って活動を開始した――。

 現在(2019年)に至るまでトップスターの地位を守り続けるトム・クルーズ。つまりずっと顔を見る機会に恵まれているわけだが、20年以上前の彼はとにかく若い! M:I
シリーズは2018年で6作目までリリースされており、そのすべてで彼はハードなアクションを自演して関係者をやきもきさせている。この作品時点で30代前半の計算だが、とてもそうは見えない切れの良いアクションと肌の張り、そしてきらめく笑顔! やっぱりトムはスターだ。

 今見るとスパイの秘密道具が古くさかったりするが、冒頭でテレビシリーズをイメージさせて接続をとると共に、本作のリアリティラインを端的に示してくれるので、こういう映画なんだとはっきり分かって非常に見やすい。話の進展がテンポ良く、見所となる映像を良いタイミングで挟み込んでくるため、展開に疑問を差しはさむ前に次の興味に引っ張られてしまう。これはテクニックだ。うまい。
 見所シーンは今でも古びていない。巨大水槽が破壊されてあふれ出す水流。超特急を舞台としたアクション。中でもやはりこれというシーンは天井からつり下げられたイーサンが床すれすれで体を大の字に伸ばすシーン。これなどもうシリーズのアイコンといっていい名シーンだろう。
 
 「最新スパイ道具」「ゴージャスな舞台」「とんでもない映像」をトム・クルーズの包容力でギュッとまとめたこのシリーズ。続編でも着実に時代を取り入れ、各要素に磨きをかけて新規性を保っている。シリーズでも2作目程度で失速する映画がほとんどなのに、6作目まできっちり魅力を保っているのは、この根本部分のクオリティを守り抜いているため。監督がころころ変わっている中プロデューサーを貫徹しているトムの力は大きいのかもしれない。

 冷徹な印象のカット割りと時に現れるねちっこいカットの対比が非常に映画的なのはブライアン・デ・パルマ監督の真骨頂というところか。


 

2019年12月3日火曜日

エンド・オブ・キングダム

エンド・オブ・キングダム [Blu-ray]

★★★★
~テンポと密度で一気に見せる~

 2016年の米映画。テロ事件から合衆国大統領を守るシークレットサービスの奮闘を描いたアクション映画。いやはやその規模の思い切り良さに脱帽。面白い。
 主人公マイク役の「ジェラルド・バトラー」は「300 (スリーハンドレッド)」の主役スパルタ王役を思い出す人が多いだろう。 


 米国大統領ベンジャミンの信頼厚い警護人マイクは妻の出産を間近に控え、危険なシークレットサービスという職を辞すべきか悩んでいた。そんな折イギリス首相が急逝。先進国の首脳達が葬儀出席のためロンドンに会することになった。最後の大仕事として警護任務に当たるマイクだが、テロリストは万全の準備で前例を見ない大規模な攻撃を開始。瞬く間に多くの首脳陣が殺され、ベンジャミンとマイクも敵に囲まれて孤立。二人はアメリカの権威をかけてデスゾーンからの脱出を図る――。

 まずテロ計画の規模に驚かされる。G7の最高首脳をまとめてやっちまおうという目的もすごいが、その規模。そんな馬鹿なとなるのだが警察組織の半分(画面からの印象)がテロ集団として突然攻撃を開始するのである。この黒幕はアメリカに身内を殺された武器商人バルカウィで、数年がかりで傭兵を雇い準備を整えた模様だが、いやいやさすがに無理だろう、と思いつつも911同時テロを思うとあっけらかんと巨大な陰謀の方が成功するのだろうかと説得されそうになる。とにかく敵味方が同じ制服を着ているため防御しようが無く、「舞台に撤退命令を出せ! 残ったのが敵だ!」とするくらいの混乱のさなか、ベンジャミンとマイクはワラワラと湧いてくる敵から逃げまくる。この辺りゾンビ映画の趣もある。

 マイクのベンジャミン大統領への献身、大統領のマイクへの信頼といった立場を越えた繋がりも見所で、ただ守られるだけで無い大統領のたくましさはなるほどアメリカ国民はこういう大統領増を期待しているのだろう。質実剛健で覚悟をもってく国民に奉仕する強靱な意思。自分も一票入れたくなる。

 ヘリの空中戦、ビル全体を爆破する勢いの市街戦など見所も多く、最初から最後まできっちり楽しむことの出来るすぐれた作品。長回しもあってスタッフがノリノリで楽しんで作っている感じ。各国首脳が死んでいく中にきちんと日本総理大臣も含まれています。

 前作である「エンド・オブ・ホワイトハウス」、続編である「エンド・オブ・ステイツ」もぜひ見てみたい。

2019年11月28日木曜日

ターミネーター2

ターミネーター2 4Kレストア版 [Blu-ray]

★★★★
~SFアクションの金字塔~

 1991年の米映画。1984年公開のターミネーターの続編となる。監督は引き続きジェームズ・キャメロン。

 前作の事件から10年後のカルフォルニアに再びターミネーター(アーノルド・シュワルツェネッガー)が送り込まれてくる。前作で標的とされたサラは息子ジョンに機械との戦いに備えた英才教育を施していたが行きすぎた行動から精神病院に収監。ジョンは里子に出されてハングレ状態。ターミネーターはジョン捜索を開始するが、それとは別にもう一人のターミネーターが送り込まれてくる。流体金属の体を自在に操り、姿形を変えながらこちらもジョンを目指して行動を開始。ハッキングで手に入れたお金でゲームセンターで遊ぶジョンの元に二人のターミネーターが到着した――。


 ヒット映画の2作目というものは非常に受け容れられるのが難しいものだが、ジェームズキャメロンは実にエイリアン2」と今作で輝かしい続編成功を収めており、この点だけでも特筆に値する。二つに共通して言えることは1作目で登場した要素の位置づけをうまくスライドさせて異なる関係性を作り出す事と、規模の圧倒的な拡大によるお祭感の演出であろう。
 エイリアン2では1作目では一体しか登場しなかったエイリアンを大量に登場させて「群れ」にし、さらに女王蟻ならぬ女王エイリアンを設定。海兵隊とエイリアン軍団の激突を構図として「今度は戦争だ!」のコピー。
 ターミネーター2では1作目の宿敵をあろう事か味方に据えて新型のターミネーターを追加。「ターミネーターvs人間」から「ターミネーターvsターミネーター」とした上に旧型と新型、剛と柔の対決をプロデュース。
 何かもう設定だけでときめくのである。
 
 流体金属の新型ターミネーターは当時としては出色のVFXで描かれており、イマジネーション含めて強烈なインパクトを残した。水銀のように銀色に流れる金属が人型になり質感を得て完全な擬態を行い、また体の一部を槍や剣のように変えて戦闘を行う。現在ではこれくらいの映像はテレビドラマでも実現されているが、当時は本当に驚いたものだ。あまりに気持ち良かったので劇場に二度も見に行った。
 映像だけで無く物語としても見所が多く、特にジョンとその保護者となったターミネーターの関係は父親を知らないジョンにとって父と触れ合うような形で描かれており感情移入させられる。タイムパラドックスにはあまり触れず、現在でのやり取りのみに集中しているのも安っぽくならなくて良い。
 改めて1と間を置かずに見てみると、1を踏襲している演出が数多くある事に気づく。有名なターミネーターのセリフ「I'll be back」であるが、1ではこれを受付に告げた後すぐに車で突入してくるというちょっとコメディーぽい使われ方をされている。2では緊迫したシーンで使われているが、このセリフの後車で突入してくる展開になっているのは同様。他にも1の最後で這いずりながら迫ってくるターミネーターの姿が2の最後でも同様に再現されており、ファンに嬉しいパーツが沢山ありそうである。

 この後「3」「4」「ジェネシス」とシリーズが続いたが2を最高潮として評価は下がっている。どれも楽しめる内容だが、確かに1と2程の親密感は無く、特別な作品にはなり得ていない。2の直系続編と銘打っていよいよキャメロン関与の高い「ニューフェイト」が公開されているが、いかな評価に落ち着くであろうか。

 関連作のリンク。3だけ感想ないんだ……。

◆シリーズ第1作『ターミネーター』 の自分の感想はこちら。

 
★★★☆☆
~演出の教科書~

◆シリーズ4作目『ターミネーター4』 の自分の感想はこちら。

ターミネーター4 スペシャル・エディション [Blu-ray]
★★☆☆☆
~ジョン・コナ―しっかりしてくれ~

◆シリーズ5作目『ターミネーター:新起動 ジェニシス』 の自分の感想はこちら。 

 ターミネーター:新起動/ジェニシス ブルーレイ+DVDセット(2枚組) [Blu-ray]
★★★☆☆
~極悪な予告編~

 ◆シリーズ6作目『ターミネーター:ニュー・フェイト』 の自分の感想はこちら。

ターミネーター:ニュー・フェイト [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
★★☆☆☆
~女子会もしくは同窓会~

◆同監督の傑作『エイリアン2』 の自分の感想はこちら。

エイリアン2 [Blu-ray]
★★★★
~相似拡大+α~