★★★☆☆
~演出の教科書~
1984年の米映画。グーニーズよりも前だったのか……。
アクション映画だがターミネーターの不気味さと倒しても倒しても生き返る無敵具合はホラーといっても良さそう。
監督は「エイリアン2」「タイタニック」「アバター」などヒット映画を作り続けるジェームズ・キャメロン。
ハンバーガーショップのウェイトレスとして働くサラ・コナー(リンダ・ハミルトン)は恋人に振られて手持ち無沙汰な週末を過ごしていた。町のテレビから流れるニュースは自分と同姓同名の女が被害者となった殺人事件。同じ名前の女性が二人殺された時点でサラも自分の身を案じて警戒を始める。自分を監視するように見え隠れする男の姿にクラブに逃げ込んだサラを突然銃撃してきたのは見知らぬ屈強な男(アーノルド・シュワルツェネッガー)。その襲撃から守ってくれたのはサラが警戒していた謎の男だった。
共に逃げる二人。男は自分をカイルと名乗り、未来からサラを守るために送り込まれた戦士で、襲ってきた男は金属の骨格を持つ人間に擬態した戦闘機械。未来を変えるために人工頭脳が送り込んだ抹殺者(ターミネーター)だという――。
今見るとさすがにチープさはぬぐえない。負傷したターミネーターのはがれた皮膚から見える機械部分。金属の頭蓋骨が露出した作り物感の強い頭部。コマ送りフィギュアアニメのぎこちなさ――。予算も非常に少なかったとのことで描きたいイメージに追いつけていない印象が強い。恨みを晴らすように続編「ターミネーター2」では巨額の予算でイメージを完全に映像化して映画界の金字塔を打ち立てており、今作のイマジネーションが魅力的だったということを改めて証明している。
低予算(640万ドル⇒7億円程度)の制限もあったのだろうが、各シーン、カットは贅肉をそぎ落とされており、それぞれのカットで何を描こうとしているのか、何のために存在しているのかが如実に感じられる。そういった価値あるパーツが積み上げられて構築されていくのが映画なのだと、まるで教科書のように示している映画だと思う。
例えばターミネーターを爆破したと安堵するシーン。不安なサラのアップ⇒バラバラになったターミネーター⇒ホッとするサラのアップ⇒カイルの生死を確かめるピンぼけの向こうで動く気配⇒ターミネーター再起動。サラの気持ちの変遷を視聴者がきちんと追える構成となっている。当たり前だが、こういったことの積み重ねが映像による表現なのだ。
他にもターミネーターは現代に現れた時の方が人間らしい動きをしている。途中で機械だと分かった途端、明らかにロボットらしいぎこちない動きが強調される。これなどは観客の印象を方向付けるための細かい演出の一つだろう。ターミネーターに抹殺されるルームメイトのヘッドホンの演出も面白い。彼女は登場時点から常にヘッドホンで音楽を聴いているのだが、そのため隣の部屋で彼氏がターミネーターと大乱闘していてもまるで気づかない。のんきにサンドイッチなどを作っている彼女の姿とボコボコにやられる彼の姿の対比がコミカルだが、日常的にヘッドホンをしている裏付けがあるからこそ納得できるシチュエーションとなり得る。この場だけなら演出のご都合感がもっとあざとく出ていただろう。
このように見れば見るほど繊細な演出の試みを発見できるのはやはり低予算と時代のせいだろうが、同じ監督が最新技術と大予算で作った後続作品のひな形だと考えればこれ以上分かりやすい解説資料はない。
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◆シリーズ2作目『ターミネーター2』 の自分の感想はこちら。
◆シリーズ4作目『ターミネーター4』 の自分の感想はこちら。
◆シリーズ5作目『ターミネーター:新起動 ジェニシス』 の自分の感想はこちら。
★★★☆☆
~極悪な予告編~
◆シリーズ6作目『ターミネーター:ニュー・フェイト』 の自分の感想はこちら。
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