★★★☆☆
~クリスマスプレゼントのような~
1985年の米映画。少年少女の冒険譚。なんとなくスピルバーグ監督作品のように記憶している人も多いかもしれないが彼は製作総指揮の一人であり、監督はリチャード・ドナー。
とある海辺の町に住む少年四人、マイキー、マウス、チャンク、データ(すべてあだ名)はおマヌケいたずらチーム「グーニーズ」を名乗っていた。マイキーは諦めない強い意志を持つが喘息気味でどこか線が細い。マウスは口が立つが実行が伴わない。チャンクはともかく食い意地がはりすぎ。データはビックリどっきり装備を身につけるがいまいち役に立たない。
そんな彼らの家族は借金を盾に立ち退きを迫られており、期限は今日まで。のっぴきならない状況の中、ガラクタだらけの屋根裏で海賊「片目のウイリー」が隠したとされる宝の地図を見つけた。もしその財宝を手にすることが出来たなら、仲間と離ればなれにならなくて済むかもしれない。
地図を頼り探索を開始するが、凶悪な家族ギャング「フラッテリー一家」に遭遇し――。
1985年といえば自分は12才。まさに自己投影するのにぴったりの年齢だった。得意はあるけど欠点もある、キャラクターの立った等身大の少年達に非常に親近感を覚え、同じような冒険にあこがれたものだ。今回5才の息子と一緒に見たが、分かりやすい内容とテンポの良い展開は未就学児でも充分に楽しむことが出来たようだ。
グーニーズの四人に加えて少し年上のブランド(マイキーの兄)とその女友達二人が同行するのも物語のテンポと広がりに一役買っている。グーニーズよりも常識的な意見や突っ込みを示すことで、ただの子供の世迷い言と現実をうまくつなぎ合わせてくれている。何より女友達二人が年相応の女性の魅力を見せてくれることで、男の子の純真さや異性に対するちぐはぐさが描かれていてなんだか甘酸っぱい気持になる。当時はあこがれの年上女性だったわけだがかるく追い越してしまった。
宝の地図を元にたどる道のりは洞窟の中を進んでいくもので、さまざまな罠のオンパレード。危険は危険なのだが、アトラクションのような分かりやすい内容で底意地が悪くない印象。子供心に見たそれは今も部分焼き付いていてもはや自分にとっての「罠」イメージの原型になっているのかもしれない。
この「底意地が悪くない」雰囲気は全編に浸透しており、悪役フラッテリー一家は殺人など凶悪犯罪お手の物のはずなのに、捕らえたチャンクの昔語りに聞き入ったり、データの施した仕掛けにことごとく引っかかったり、どこか憎めない「ホーム・アローン」の泥棒達のような感じ。他にもマイキーの兄ブランドは口うるさかったりするが、体調を気遣い友達と離ればなれになる悲しみには肩を抱いてやったり。基本的には壮大な足手まといであるチャンクも屈託の無い素直さでフラッテリー一家で虐待される醜い容姿の末っ子「スロース」と友情を結んだり――。
嘘といえばそれまでだが、子供に贈るクリスマスプレゼントのように細部まで気を使った「優しい楽しさ」に満ちあふれている。曰く、世界は楽しく美しいものだよ、と優しい嘘で心に栄養を与えてくれるのだ。
監督のリチャード・ドナーは「スーパーマン」も手がけており、劇中スーパーマンが登場するのはこのためなのだろう。
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