★★★★☆
~驚異のバランス~
2017年の邦画。「そして父になる」「万引き家族」で知られる是枝裕和による法廷サスペンス。福山雅治と役所広司が主役を務める。
弁護士の重盛(福山雅治)は同僚弁護士からとある殺人事件の国選弁護の担当を頼まれる。依頼人の三隅(役所広司)は30年前にも北海道で殺人事件を起こしており、服役の後勤めていた会社の社長を川辺で殺した容疑での裁判だった。殺人についてはすでに自認しており、見込まれる死刑から無期懲役への減刑を目指すのが重盛に依頼された内容となる。
真実の解明ではなく被告の最大利益を目指すのがポリシーである重盛は減刑へのとっかかりを求めて三隅の過去から現在に至る流れを再調査するが、突破口を見出す度に三隅の供述はふらふらと変遷し、つかみ所がない。やがて一転二転する供述は裁判の前提とされている範囲まで立ち戻り、裁判官、検察と足並みを揃えて有利な判決を得ようとしていた重森の思惑を崩しさる。三隅との対話、見えてくる事実との対峙により、重盛は事実と真実、裁判で裁かれることと裁かれないことといった領域に踏み込まざるを得なくなった――。
初めは単純に見えた事件が情報を集めるほど複雑になる流れはスリリングで先が読めず面白い。特に役所による三隅の演技は素晴らしく、人格が複数宿っているかのようなつかみ所のない不気味さの中に、何か超越者めいた雰囲気を感じさせてくれる。それと対峙する重盛を演じる福山雅治も負けてはおらず、二人の存在感が拮抗。このバランス感は作品上非常に重要で、どちらかが明らかに勝ってしまうとまずい構成になっている。
というのは、この物語で最も重要な焦点は「なぜ三隅は殺人を犯したのか」であり、その結論は作品の中で明示されていない。重要そうな断片は数多く示され、それぞれが関連をもって方向性を示してはいるのだが、複数のストーリーラインが絶妙のバランスで併存しているのである。重盛と三隅のバランスもその中にある。この、「結論を出さない」という姿勢はそんじょそこらの「結末は視聴者にゆだねます」のエピローグや今後の展開を描かないといったものでは無く、三隅をどのような人物として理解するかという映画全編をそのまま差し出している。この葛藤は重盛の葛藤と同値であり、他人には差しはかれない部分を裁かなければならない裁判という存在の限界を突きつけてくるのだ。
「裁判は真実を明らかにするものでは無い」と断言していた重盛は、自分が求刑をいかに軽減するかというプラスの方向しか見ていなかった事に気づき、反対に真実と関係なく死を宣告される事もあるという状況を目の当たりにする。そしてそれに自分も加担した事で人が人を裁くことの恐れと罪を自覚して物語を終える。重盛が最終カットで物語を象徴する十字架にたたずんでいるのはこのためだと思う。
この結論しないというバランス感覚は凄まじいもので、よくぞ最後まで綱渡りから落ちずに完走したものだと思うが、架空のイメージカットを現実と混在させて視聴者を混乱させたりミスリードを誘うのはちょっと卑怯かなと感じる。またこれもバランスを取るためだろうが警察組織があまりに無能で役に立たない。いくら自供しているからといってその裏付けを行わなかったり、少し調べれば分かる周囲の状況に全く無関心というのは実際はともかく物語として引っかかりが大きい。
見終わった後すっきりしない感覚に陥ると思うが、今作はそのために作られているので正しい反応だと思う。
何だったんだろうと考える際は、「三度目の殺人」というタイトルが示す殺人が誰が誰を殺したものかというところからとっかかってみると全体を見わたしやすくなるだろう。
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