2019年11月14日木曜日

ファイナル・カット

Final Cut

☆☆☆☆
~懺悔のシステム~

 2004年の米映画。ロビン・ウィリアムズ主演のSFサスペンス。
 

 近未来、脳にチップを埋め込んで見聞きした情報を全て保存する技術が確立。死後それを抜粋編集して追悼上映会を開くことが上流階級の人々の中で流行していた。記憶編集者アラン(ロビン・ウィリアムズ)は多くの人々の生涯を神のように見渡し、冷静にそれを編集。顧客ニーズに合わせた編集で売れっ子となっていた。
 とある大物の編集を依頼されたアランだったが、その記憶に犯罪の証拠が含まれており、暴く側と隠す側の抗争に巻き込まれることになる。アラン自身も過去のトラウマにつながる人物をその記憶から見つけてしまい、渦中に飛び込まざるを得なくなり――。


 これはどうやら宗教的なテーマを持った映画のようで、記憶編集者は懺悔を受ける牧師の位置づけであろう。記憶編集者自身は脳にチップを入れることを許されない。これは編集時の記憶が残ることで元の記憶が伝搬、拡散されていくことを抑制するルールであるが、つまりは懺悔の内容の秘匿、懺悔を受けた牧師の守秘義務である。また、死後覗かれることを確約する脳チップは第三者の視点を常に設定することであり、日々の生活を神の視線とともに過ごす信者と重なる。
 もう一歩考えを進めると、脳チップを頂かない編集者は神そのものの寓意なのかも知れない。だれにとがめられることもなく他人の人生を好きに視察しては、それを取捨選択して切り貼りする。まるで天国と地獄を判定する審判者のようだ。ロビン・ウィリアムズの演技はまさしくそういった空気を感じさせる。柔らかく微笑んでいてもその実何事にも興味がないような超越した雰囲気。善とも悪とも取れない不思議な存在感を放っている。

 そんなアランが過去のトラウマと向き合う機会を得、超越した立場から下界に降りてばたばたと苦しむことになるという物語であるが、同様に宗教的に解釈するなら、アランは自分自身の中の神に問いかけて平穏を得るという事になる。この作品、寓意のために物語が存在しているようなものなので、エンターテインメントではないし面白い映画とは決して言えないだろう。

 脳チップを埋め込むのは上流階級のみで、その他の階級の人たちは反対運動を行ったり、脳チップに干渉するという入れ墨を入れたりしている。いつも見張られているという状況を生む以外なんの利点も無い脳チップを進んで受け容れようとする人々と、それに反対する下層の暴力的な人々。そして、脳チップを埋めている人でさえ、償うべき大きな罪を犯しているという物語。
 神を信じても信じなくても、人はことごとく罪人でしょうか。



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