2009年7月29日水曜日

トランスフォーマー リベンジ

トランスフォーマー/リベンジ [Blu-ray]

★★★☆☆
~変形シーンの魅力が消えた~

第一作のヒットを受けて、あれもこれも盛り込んだ第二作。
二時間半の時間も気にならない、見所連鎖のジェットコースタームービー。
続編らしい量の増加を基本とし、物語もそれなりにきちんとまとめている。
ともかく見終わった後、チケット代を損をしたとは思わない。誰もが値段分は確実に楽しめる。これこそハリウッドの王道。
冒頭からの圧倒的なつかみですでにある程度満足できてしまうのがすさまじい。

気になる点も多い。
物語に言及するのはそも野暮なのでスルーするが、最も残念だったのが、変形の扱いである。
前作では、変形シーンとそれを取り入れた臨機応変なアクションが最大の魅力だと感じていた。その熱量が今作で低下してしまっている。
変形のなにが素敵かといえば、変形前と変形後、姿が全く異なっているのに、それらは嘘無く可能な変化で、しかもそれぞれが十分に格好いいという点である。変形に説得力と必然性が欲しいのだ。
実際に見かけるオブジェが、とてつもない機構で姿を変えて、人型となる。この驚きが前作の核だった。
今作でも工事現場の建設機器が合体変形して巨大ロボットになったりするが、何というか、変形後の姿がよく分からないのである。うねうねと蠢いて、生物的になったのは分かるが変形前と変形後の共通部分がなさ過ぎて、変形の感動がない。部品をバラバラにして組み直しました、では変形ではなく変態だ。
この変形のがっかりさは、敵側のキャラクター全般に言えるもので、しかも異星人の機械(戦闘機であったり戦闘車両であったり)から変形する。さらに彼らは基本的に銀色ピカピカで、変形前後とも形が理解できず、ただのごちゃごちゃした機械の固まりに見えてしまう。
形が捉えられないから描き分けも理解しにくい。敵は一兵卒とトップでも見分けがつかないくらいだ。 

この無頓着は、何なのだろう。

ひょっとして日本人は輪郭で視覚認識する傾向が強いために混乱してしまうのだろうか。欧米人はボリュームで形状を把握しているため問題とならないのかもしれない。

さらにそもそも、変形シーンが少ない。
今回ほとんどの戦闘が市街以外で行われる。しかも主となるのは砂漠。
つまり、トランスフォーマーの多くがかたどる車両形態の使いどころがないのである。
前作に見られた、変形を織り交ぜた戦闘アクションが、とんと見られない。もしくは、印象に残らない。
高速で疾駆しつつ、人型へ、とか、人型が突然姿を崩して局面を切り抜ける、という一線画したトランスフォーマーならではの戦闘が少ないのだ。
代わりにあるのは、巨大ロボットの殴り合いだけで、これはもう食傷気味。

このように前作のインパクトと比べると物足りない続編だと感じたが、思いついた要素全てぶち込んだ闇鍋のようなボリュームと威圧感は一見の価値あり。
やはり映画館で見るのがふさわしい作品。

とまれ、あれこれ下品なのは閉口だけどね。 

 

GOEMON

★★★★☆
~見るべき価値がある~


本人名より宇多田ヒカルの元配偶者として呼ばれる紀里谷監督。
劇場映画初監督作品「キャシャーン」は、ひどい映画の代名詞のように言われているが、自分にとっては興味深い作品だった。
同じように第二作「GOEMON」も映像表現について考えさせられる作品で、十分に楽しむことが出来たが、一般の評価は芳しくない。

映画の見方は、鑑賞者にゆだねられており、我々が思う以上にその角度は多様なのだ、と改めて思う。
なんについてもそうなのだろうが、評論は自分の意見が絶対ではないことを前提にして語られなければならない。それをきちんと前提に出来る者が「まあ人それぞれだよね」と言う虚無に立ち向かい、共感しあえると信じて語る内容であるべきだ。

GOEMONは実写映画としてではなく、アニメーションとして見るべき作品だ。

人物と背景のなじみや、突拍子もないアクションシーンが「リアルでない」という意見を聞くが、それはおそらく慣れに過ぎない。
あれは、ああゆう表現なのだ。
実写的な素材でアニメーションを作ったらどうなるのか、という表現だと思えばいい。
かの「マトリクス」シリーズもジャパニメーション(日本のリミテッドアニメーション)のイメージを実写化したという要素を含むが、あちらは実写映画の範疇にアニメのイメージを取り込んだ作品で、GOEMONはアニメの範疇に実写要素を持ち込んだ作品だ。似ているが根本相違は大きい。
考えてみて欲しい。
アニメーションは異質だ。
ポスターカラーで描かれた背景の上にムラのないきっちり塗り分けられた人物が乗る。その人物もデフォルメされてけっしてリアルではない。
その違和感を納得した上で、受け取る感触が現実的かどうか、として我々はアニメーションを見ている。
今作も違和感という壁を無視できるなら、ともかく世界観のおもしろさを十二分に味わうことが出来るはずだ。

遊郭での舞踏シーン。
巨大金庫。
西洋デザインが浸食した戦国末期の日本の風景。

どれも豊かなイマジネーションに溢れ、凡百の作品にはない「威容(異様)」を放っている。それらの密度とスケールはキャシャーンを遙かに上回り、紀里谷監督が確かに前進したことを感じさせる。
この絵づくりについては、一定の評価を受けるのが正当だ。

しかし同時につたなさにも溢れている。
物語に、より魅力があれば、違和感払拭のハードルも下がっただろうが、どうにも癖が強くていちいち引っかかる。誰もが自己主張しすぎで、結果物語としてつながることなく孤立。ボーカルばかりのバンドグループという感じ。
画面クオリティの波も気になる。
特に最後の合戦シーンは、描きたいイメージは分かるがどうにも平板で、密度も薄く、クライマックスには物足りない。力つきた感が強い。

物語も相変わらず説教臭く、語る人間に重みがないのでさらに胡散臭い。心に届かない大上段な言説(行動)はどうにも宗教臭くて身構えてしまう。

このように進んだ点、変わらぬ点を引き連れながら、それでも監督の世界観は魅力的だと思う。イマジネーションの可視化という点で、注目に値する才能だろう。
良い点、悪い点を見極めて、それぞれにふさわしい評価をするのが、この作品を楽しむ正しい方法だ。

ところで、キャシャーン、GOEMONは押井監督の作品との比較がおもしろい。
イノセンス、スカイクロラと公開タイミングが同じで、内容的に相似と相反が綺麗だ。
前述のように、監督は実写素材でアニメを作ろうとしている。
対して押井作品はアニメ素材で実写を作ろうとしている。
キャシャーンとイノセンスは二人がすれ違う瞬間でGOEMONとイノセンスはすれ違い、進んだ後だ。
片やケレン味に走りすぎて軽薄だといわれ、片や地味すぎて記憶にも残らない。
次の作品の公開時期もまた重なるのだとしたら、それぞれがどう変化しているのか、単体で考えるよりもコントラスト豊かに示してくれそうだ。

ちなみに自分は、外向きに進む紀里谷監督の方に未来を感じる。