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2021年8月30日月曜日

さよならの朝に約束の花をかざろう

さよならの朝に約束の花をかざろう [Blu-ray]

☆☆☆☆
~「悪し」ときちんと書いておきたい~


 ごちゃごちゃと聞こえの良い言葉を並べて、結局雰囲気が残るだけできちんと覚えることは出来ない。

 この、題名に対する感想が、そのまま作品の感想となる。

 2018年の日本アニメーション映画。アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』『心が叫びたがってるんだ。』の脚本家、岡田麿里が初監督を務めた。

 10代半ばの若い姿のまま数百年を生きる不老長寿の一族「イオルフ」は、人里離れた土地で「ヒビオル」とよばれる布を織って静かに暮らしていた。しかし長寿の血を王家に引き入れることで王家の神秘性を高めることを画策するメザーテ国王の命により、軍人イゾルの率いるメザーテ軍が翼をもつ古の巨獣「レナト」に乗って襲来し、イオルフの里は侵略される。<ウィキペディアより> 

 RPG的な中世ヨーロッパ風の世界観の中で、長寿一族の少女と、彼女が拾い育てた普通の男の子の長い関わりを描く。
 一緒に歩める時間と、剥離して元には戻らない時間。開く一方の時間のズレが生み出すドラマ。狙いは分かるが要素、エピソードが散漫で一貫性を感じにくく、後味だけで何とかまとめるような(まとまっていない)作品に。

 この作品は、内容というよりその存在が、自分の「物語作品の受け取り方/評価の仕方」に問いかけてくる。
 
 『罪のない善意の駄作をどう評価するべきなのか』
  
 外から見ても分かる善意を発端とした創作、一生懸命作った誰にも迷惑をかけていない作品に、ネガティブな評価を挙げるのはとても気が重いものだ。
 
 たとえば優しい協調的な子ども達が力を合わせて作った「つたない絵画作品」。
 そして社会から断絶された破綻者が己のパーツをつなぎ合わせるように形作った「名画」。
 
 観衆の目前に引き出されてどちらを選ぶのかと問われたとき、いったいどちらを選べばいいのだろうか――。このやっかいな問題をこの作品は突きつけてくる。

 作品評価には様々な軸があり、状況によってその軸は切り替えられるべきだ。学校教育の一環としての評価ならば、作品自体の質ではなく過程や態度の方が重視されるべきだし、商品としてみれば売れる売れない(売れそう、売れなさそう)になるだろう。それらとは断絶した、個人の感想の場合、結局己は何を基準に作品を評価し、それをしたためるのかと問われることになるのだ。

 これは結構心理的負担の大きいことで、妙な重圧を感じる。世の中の評価と自分の評価が剥離した場合を思うと、とても怖いのだ。
 
 そういった葛藤をそれなりに経た上で、この作品に対する自分の評価は「とても低い」である。
 
 作品を、その作品としてだけで見たとき、どう感じたのか。

 制作者がどのような想いとを込めて、どういった経緯で作ったのかは作品理解の上で重要な要素であることに異論は無いが、それら作品以外の付随情報は内容をよりよく理解する手がかりに過ぎず、それ自体が評価を左右してはならないのだ。
 
 キャラクターデザインの吉田明彦氏はゲームファンにとっては特別の存在だ。『伝説のオウガバトル』『タクティクス・オウガ』といった伝説的なゲームのグラフィッカーである。デフォルメされた人物画と技術に裏打ちされた装飾デザイン、質感表現。簡素と複雑、静謐と躍動が混在した画風は、ともかく見る物にロマンをかき立てる
 彼の作風はキャラクターを自分で操作することで感情移入していく「ゲーム」というジャンルにぴったりである。良い具合に隙間があるのだ。同様の理由で小説の挿絵としても向いているだろう。
 
 ただし、どうやら映像作品のデザインには向いていなかったようだ。決められた(短い)時間でキャラクターを伝える必要のある映像作品、特に全編二時間の映画にとって、曖昧さはキャラクター理解の助けにならずむしろマイナスに。子どもから老人までの長大なスパンを追う物語なので、年代ごとのキャラクター同一性(年月による変化)を一目で理解することが大切なのだが、大して変わらなかったり、突然変わったりする不明瞭さは物語理解の壁になっている。
 音楽や小物演出でキャラを図像学的に表現するといった方法もあったのではと思うが、そういった方向への配慮は無かった。

 背景美術も壮大で緻密であり、一枚絵や挿絵としては強いのだが、人々が生きる世界としてはとんでもなく空虚だ。
 密度のスケール感が合っていない。
 あのような建築物を集積させ、美しい材質で敷き詰めた空間をあの程度の人口で構築維持できるはずがない。過去のオーバーテクノロジーで作られた都市を発見した人々がそこで暮らしているだけ、と聞けば納得できるがもちろんそうでは無いようで。
 
 こういった難は感じても、映像に魅力は十二分にある。各シーンの美しさは特筆できるクオリティであるのだが、かぶせるように残念なのは、そこで演じられる内容が――とても表層的で「演技の為の演技」にしか感じられないという点。

 脚本家という神に都合の良い台詞を言わされているだけだ。

 キャラクターがそこで生活している上で発した言葉ではなく、映画を見ている人間に必要な台詞だけが生成されている映画内で描かれている以外の時間が、キャラクター達には存在していないのだ。舞台役者が役者だと分かった上で大仰にしゃべる台詞。
 キャラクターから発せられたと感じる言葉が最後の最後までない。
 
 行動原理が一定しておらず、誰もが曖昧でふらふらしている。腹をくくって一道を進む人間がいない。
 脚本家という神に言われたからそう動いているだけ。キャラクターがみな、本心を隠してただ言うとおりにしている。口惜しく陰口を叩いていそうだ。
 
 詳細説明は許してもらって、気になった点をメモとして列記。
 
 ・久しぶりの再会なのに逃げ出した意味が分からない
 ・悲劇としても中途半端
 ・若者と年配で存在の立ち位置をくっきり分けるべき
 ・「ヒビオル」という言葉の響きがあまりに短絡過ぎて、それだけで不安
 ・織物で気持ちを伝えるという設定が上手く生かされず、縛りになっている
 ・主人公に生きていく武器がなさ過ぎる
 ・主人公一族がこれまで滅んでいないのが不自然
 ・血の通ったエピソードがまるで足りない
 ・声優に癖がありすぎ、嘘をさらに嘘くさくしている
 
 最後に――。
 
 ラストの万感を伝えるシーンに全ての焦点を合わせて全編を構成しようとしたのだと思われるが、失敗している。
 そのシーンにつながるためだけの退屈な作業を延々見せられた感じで、ドミノを並べる作業にたとえると近いのかも知れない。それらシーンにも、きちんと説得力や楽しみがなければ、物語の積み上げではなくただの作業になってしまうのだということがよく分かる。
 
 同様の一点に焦点する構成として『波の数だけ抱きしめて』と意外なほど類似しているが、完成度には雲泥の差があり、比較してみると今作のつたなさが理解しやすいかも知れない。

 もう結論は出ているのにだらだらと修辞を並べてなかなか終わらない会話のように、最後の最後まで潔くない、できの悪い作品だった。

 強い心で、明記しておく。



夜明け告げるルーのうた

「夜明け告げるルーのうた」 Blu-ray 初回生産限定版

★★★☆☆
~動きの魅力の功罪~


 2017年の日本アニメーション映画。監督は『マインド・ゲーム』『ピンポン THE ANIMATION』の湯浅政明。中学生男子と人魚の女の子の交流を描く。
 

 東京出身の中学三年生である足元カイは、日無町の父の実家で、父・祖父と三人で暮らしていた。日無は人魚の伝承のあるひなびた漁港だった。カイは感情を表に出さず、学校の進路調査には何も書かずに提出した。
 夏休みが近づいた頃、カイは自作の打ち込みを動画投稿サイトにアップする。それがきっかけで、同じクラスでバンド「セイレーン」を組んでいる遊歩と国夫からメンバーに誘われる。<Wikipediaより
 
 思いついたシチュエーション、レイアウト、画面的な喜びにあまりに引きずられ、物語全体としてのまとまりは後回しにされている印象。骨子は押さえられているので破綻した印象は少ないが、もっと丁寧に扱ったほしかったエピソードは多い。その意味でつじつまが合っていない(道理がよく分からない)部分は多く残る。だいたいは綺麗に袋に収まったが、ごつごつといびつな形が残ってしまったな、という感想。

 切れの良い動き、胸が空く映像。アニメーションの気持ちよさを堪能できる。小学校二年生の息子も最初から最後まで飽きることなく見終えることが出来た。107分というのは結構な長さであり、全体的なテンポの良さと適切な間隔で現れる見所がなせる技だろう。ちょっと怖いシーンもあるが、大丈夫だったみたいである。

 一曲の歌を中心に据えてまとめたアニメ作品としては新海誠監督の『秒速5センチメートル』が有名で、これなどはクライマックスの映像とあまりに合致するため山崎まさよしの曲「One more time, One more chance 」のプロモだとか言われたりもしている。今作で取り上げられている斉藤和義の「歌うたいのバラッド」は映画全編でまんべんなく使用されており、映画のテーマにもよく合致しているため劇伴(映画の音楽)としてきちんと機能している。実際に出てきたりはしないが、作品世界の中にも「斉藤和義」が存在していて、その曲を主人公がコピーするという立て付けになっている。

 監督の湯浅政明の、観客を引き寄せる握力が非常に強いことを、良くも悪くも再確認させられる。
 動く気持ちよさとは半ば暴力的な引力で視線を引き寄せる。だから観てしまうし、一定の満足を得られるのだが、やはり監督は根本がアニメーターなのだろう。動く気持ちよさに自身も逆らえず、シナリオよりも重視してしまう。ことシナリオとして考えた場合、オリジナル作品に首肯できる作品が少ないのだ。決しておもしろくないわけでもなく、駄作でもないが、まとまりきらないのだ。
 むしろ原作物に対して、元からある基盤に魅力をどんどんふっかけていくことで名作傑作を生み出しており、こちら路線の作品を期待する。

 <原作あり>
  『マインド・ゲーム』『四畳半神話大系』『ピンポン THE ANIMATION』

 <オリジナル>
  『ケモノヅメ』『カイバ』

 ともあれ非常に精力的に数多くの作品に関わり、実際に排出している湯浅監督は本当にすばらしいアニメーション監督だと思う。 

 3DCGではなく、線画をCG補完して滑らかに動かす技術を生かした作画を推し進めているようで、今作でも使用されている。CGというと湯浅監督のテイストとは一見相容れないように感じるが、今作の用法は動画の作成部分についてのCG。アニメーションはキーとなる原画を動画でつないで構成しているのだが、動画作成の部分をCGで行っているため、原画が押さえたアニメーションの肝を活用しつつ、非常に滑らかな動画を生成。結果、質と密度の高いシーンを量産している。

 物語としては自分の殻を破って羽ばたいていこうとする少年の姿を描いており、普遍の共感を多くの人に(うっすら)感じさせるだろう。



波の数だけ抱きしめて

波の数だけ抱きしめて [DVD]

★★★★
~最後の「叫び」にあわされた焦点~


 1991年の日本映画。青春回想映画、とでも言えば良いか。
 「バブルの、バブルによる、バブルのための」と言った雰囲気のあるホイチョイ・プロダクション三部作の最後を飾る一作。「私をスキーに連れてって」「彼女が水着にきがえたら」に続いた作品。1992年はバブルのはじけた年ということでまさに最後の落とし子だが、何かその行く末を予言しているような切なさに満ちた作品になっている。

 高校からの友人である四人の男女。大学生になってもその仲は変わらず、サーフィンで賑わう湘南でのミニFM放送に青春を燃やしていた。
 進展しない男女関係に懊悩する中、五人目の男が突然介入。恋心とミニFMに後戻りの出来ない変化を与えていく――。
 綿密に積み上げられた全編の構成には感心させられる。
 物語はとある結婚式が開かれている教会から始まり、それに集った級友達が過去を回想する形で展開していく。
 まず結婚式のシーンは白黒画面。どう見ても曰くありげな二人の男女が、かたや式の新婦、かたや遅れてきた列席者。ぱっと見て分かるかつての恋の不幸せな結末。ここから不倫関係が始まるといった雰囲気はまるで皆無のカット割りと演出。変に引っ張らずにそのまま列席者同士の車のシーンへ――。

 結末が最初に描かれている。しかも寂しい結末。
 不幸が分かっているのを前提に描かれる物語はある。
 最もなのは『タイタニック』。あの船が沈むことを知らずに見たという人は、何というか事故で映画を見たような人だけだろう。ネタバレというのではなく、来たるべき、約束された悲劇が展開されることを前提としたドラマ。一つの手法だ。

 物語はそうして列席した友人同士が車に乗り込み、懐かしい場所に行ってみるという流れで進んでいく。9年前のあの浜辺に向け、二人の車はトンネルを通る。聞こえていたFMラジオがトンネル半ばで途切れ、出口が近づくとまた聞こえてくる。こういった現象は、自分もよく体験したことがある。本当に長大なトンネルは電波のリレー処理が行われて、どの位置だろうがラジオを聞くことが出来る。(おそらく非常時の避難指示などのために法令か何かで規定されている)

 トンネルを通り抜けると、白黒の画面に色がつき、二人は9年前の学生の姿に――。

 普通白黒で描かれるのは過去のシーンだが、今作では現在が白黒、過去がカラーになっており、もうこれ自体でかなり切ない。予感されるオチの寂しさが際立つという物だ。かといって最後までその雰囲気を全うするのかというとそうでも無い。
 映画の最後にはまた現代のシーンに戻り、廃墟同然になった懐かしの場所の前で二人だべるのだが、そこに他の仲間達が集まってくる。ただし、結婚したヒロインだけは現れない。これはなかなかに潔く、立派な姿勢だ。だからこそそれ以外の者達の会話が時を経て優しく、寂しさの薄まったものとなり、懐かしくはあるけれど、皆きちんと今を向かい合っている証明となる。
 
 そして、ヒロインの結婚をきっかけに集まれたことで、皆があの日を相対化し、これからに戻っていく。最後には現在に色がつき、終わるという形。

 冒頭以外にもトンネル通過シーンは真にクライマックスといえる場面でも使用されており、このシーンのためにこの映画の全てが組み上げられている。その叫びは僕の心にも強く残っており、他の全てを忘れてもこのシーンだけは覚えていた。この映画を初めて見たのは20年以上前の大学時代だが、ハッピーエンドとは言えない結末に、そう、たぶんショックを受けて傷ついてしまった。その傷は彼の叫び声と癒着しており、もう一度観たいのだけれど、怖くて、痛い思いがいやで――何となく避けてしまっていた。それくらい、焼き付いている。

 こうして再度観ると、ショックはショックだが、なるほど見方も違ってきており、部分ではなく全体として飲み込めた気がする。

 記憶していた以上に綺麗に、きちんと組み立てられた佳作である。

 引っかかるのは、映画のまとった雰囲気が「当時ちょっと懐かしい1982年」(1982年を1991年の結婚式から振り返る内容)となっており、何というか、二重に古くさい。年代ががっちり決められているので、その再現は見事なのだろうが、年を経るごとに古びていく気がする。
 特に女性陣の日焼け表現は(本物の日焼けなのかも知れないが)塗料塗った感がひどく、ちょっとしたコメディ感が出てしまっている。
 トレンディ・ドラマ、映画に共通の欠点(もしくはノスタルジーという利点)なのだろうが、アイコンとしての美男美女が直感的に分からないというのは少し寂しいものだ。


 

2021年3月22日月曜日

<テレビドラマ>岸部露伴は動かない

 

★★★☆☆
~三話目だけ違和感が強い~


 2020年に放送されたテレビドラマ。『荒木飛呂彦』氏の人気漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の第四部に出てくる「岸部露伴」というキャラクターのスピンオフ漫画、ならびに小説が原作であり、なかなか深層化している。
 岸部露伴は人気漫画家という設定で、創作活動に身を捧げる奇人変人となっている。多数の特徴的なキャラクターが並び立つジョジョシリーズの中でも際立ってキャラクターが立っており、様々な物語に接続しやすい立場(「漫画の取材」で事足りる)もあって案内役としてぴったりである。

 人気漫画家である岸部露伴は特殊な能力を持っている。ヘブンズドアーと名付けたそれは、人の体を本のように変質させ、ページをめくってその者の歴史、経験を読むことが出来た。
 「リアリティのある漫画」に身命を賭す彼のもとには様々な奇妙な案件が舞い込む。漫画の題材とするため、露伴は奇妙な冒険を繰り返していく――。


 
 荒木氏の漫画は実にファッショナブルであり、キャラクターたちの服装やポーズが非常に「いかれて」いる。たとえば第四部は高校生たちが主軸となる章なのだが、学生服のバリエーションがすさまじい。刺繍や切れ込み、アクセサリーをちりばめ、実用的ではないがファッションショーの衣装のようにきらびやか。漫画の中の決めポーズもモデルのポートレイトのように腕を交差し、体をねじり、躍動感あふれる物となっている。
 実写化と聞いてまず心配になるのはこの特殊なビジュアルがどう再現されるのかということだが、このテレビドラマは非常に上手い塩梅でこれをクリアしている。ファッションもポーズも原作の雰囲気を反映させた上で、動画として、実写として許される範囲にとどめている。さらにヘブンズドアーの能力も実写として違和感のない表現に落とし込んでいる。この時点で賞賛に値する。

2020年7月2日木曜日

機動戦士ガンダムF91

 ※Amazonの商品リンクです。

※古い感想に追記をした物です。
★★
~素性のよさが惜しまれる単発作品~

 1995年公開の完全新作劇場アニメ。
 情報量が多いので冒頭あらすじは非常に難しいのだが、最も魅力的な部分に着目すると以下のような感じ。

 コロニーの学校に通う17才のシーブックは別の科の学生セシリーと出会い、その魅力に惹かれた。
 貴族政治を復活しようとする勢力がコロニーを急襲。戦火に巻き込まれたシーブック達は博物館のMSを操って脱出を試みるが、セシリーが敵に囚われてしまう。
 避難先で母が開発に関わったモビルスーツF91と遭遇。その頃セシリーは貴族政治の象徴として祭り上げられていた――。

 オリジナルガンダムの主要メンバー、富野由悠季、キャラクターデザイン安彦良和、モビルスーツデザイン大河原邦男が再結集した新シリーズ……のはずだったのだが、この劇場作品単発となってしまった。
 元々はテレビでの連続アニメとして企画された物らしく、なるほど、人物配置の厚み、背景設定の豊かさなど、如何様にも話を膨らませそうな奥行きある世界を感じる。単発となったのにはあれこれあったようだが、あずかり知らぬ一ファンとしては口惜しい限り。

 実際映画は壮大な物語の序章といった位置付けで、ほとんど謎のままのキャラクターや、これから活躍するのだろうという予感のみのキャラクターが沢山存在する。何しろラストに「これは物語の始まりに過ぎない……」などと明示されているのだから淋しさもひとしお。

 驚嘆すべきなのは、このような状況でも、一本の映画としてなんとか成り立っている点。序盤から話はすいすいと進み、意味が分からなくなるギリギリの高速展開を見せる。普通ならただの総集編になってしまうが、エピソードの取捨選択が非常にうまいのか、重みを失うことがない。どうやら、物語に重要なエピソードだけではなく、味のある部位を入れ込んでいるのが功を奏しているようだ。富野監督は、総集編やPVに特異な才能を持っている
 また、描くべき人物を限定したことで、ラストのまとまりが実際以上にキリッとしている。未来に展望を感じさせるエンディングは、富野監督の作品中珍しい部類に入るだろう。

 しかし、残念だ。

 この内容をテレビシリーズで描けていたなら、物語はもっと豊かな物になっただろう。映画の内容に当たる部分も、より情緒を持っただろう。その形が見たくて仕方がない。
 安彦良和の描くキャラクターは骨太で、バラエティーに富み、掛け替えがない。大河原邦男のデザインも、過去に捕われず野心的で、敵MSのデザインラインはザク以来の発明なのではないかと考えている。

 このように基本褒めてきたが、全体の印象として駆け足なのは否めないし、後半の展開は正直むちゃに過ぎる。それらを考慮に入れても、魅力に溢れる作品だと思う。

 今回何回目かの鑑賞だが、ブルーレイでは初めて見た。作画が群を抜いて良いということが無く、いささか古い作品だったので大して期待していなかったが、そのクリアさと精密さはいくつかの事に気づかせてくれた。
 ヒロインであるセシリーの作画について、多くの場合髪とブラウスに黒の描線を用いていない。また、登場シーンの多くにソフトフォーカスフィルターを使用しており、結果、セシリーの存在が画面から美しく浮き上がる効果を生んでいる。これは彼女の魅力を伝えるためでもあるが、他の人物と異なる背景を持っている彼女の立ち位置を象徴するためのエフェクトだとも思われる。
 このような点に気づくことが出来たのはブルーレイのおかげだ。再見する機会を与えてくれたという点においても、そうだろう。

2020年6月15日月曜日

新幹線大爆破

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★★★★
~ラストシーンにしびれる~

 1975年の邦画。自分が生まれた頃の映画だが十二分に楽しむことが出来た。
 監督は「ミスター超大作」こと佐藤純彌。
 「人間の証明」「植村直己物語」「敦煌」といった世界を股にかけた作品多数だが、「北京原人 Who are you?」でとんでも監督の烙印をおされてもいる。まあ北京原人もワールドワイドといえばワールドワイド……。
 

 安全神話を誇る新幹線。爆弾設置の電話といういたずらに困らされていた時節、電話がかかるが、今度は本物である事の証明としてローカル機関車の爆破を予告。実際に爆破事件が発生した。
 時速80キロを切ると爆発する――。有事には緊急停車して安全を確保する新幹線の基本方針を逆手に取ったような犯行。
 東京発福岡行き109号の猶予は福岡到着までの10時間。爆弾の解除を目指して必死の捜査活動と、列車運行が開始される――。

 152分と長い作品だが、犯人側のドラマをきちんと描いたことがその理由である。現に100分ほどに短縮された海外版ではその部分がごっそりと削られているとのこと。これはこれでテンポが良く評価が高いらしい。
 犯人側の事情に時間を取るのは勧善懲悪主流の当時は珍しかったらしいが、それがこの作品を今でも楽しめる傑作にしている。
 この姿勢は犯人役を高倉健が演じていることからも明白。様々な理由から社会と分断された四人(一人はおまけ)で国(相手は国鉄と警察なので)を相手に蟷螂の斧を振り上げる様は、犯罪とは言え感情移入せずにはいられない。「誰も死なない完全犯罪」を目指していたのも大きい。
 反対に腹が立ってくるのが警察の様子。懸命に犯人を追う様子が描かれるが、正義側なら何をやってもいいという傲慢がにじみ出ているように感じる。身代金の受け渡しでは犯人逮捕のチャンスとばかりに気色だって、犯人側の指示を無視して猪突猛進、一味の一人を事故死させてしまう。新幹線が爆破されてもおかしくない状況を生み出して、悪びれずにまた嘘八百を並べ立てて口八丁手八丁。印象としては警察組織の方が悪役に思えてくるくらいである。まあこれも制作者側の意図なのだろうが――。

 この内容で国鉄がよく協力を許したなあと思ってしまうが、実際国鉄との連携は断られたとのこと。
 条件の折衝は行われたらしいが、現場が映画の魅力を損なう改変を拒否。映画会社側もすでに突っ込んだ資金を完成によってまかなうしかなく、結局セットやゲリラ撮影、盗撮などで進めていったらしい。
 客席は精巧なセットで、座席などは本物を納品している会社に注文したとか。その会社、国鉄からこっぴどくしかられたとのこと。
 様々な苦労の甲斐あって、協力なしとは思えない本格的な列車映像を堪能できる。
 
 物語のラストは類を見ない潔さで断ち切られており、抜群にいい雰囲気。
 これを見るためだけでも十分な価値があるだろう。


2020年6月4日木曜日

バトル・ロワイアルII 鎮魂歌

バトル・ロワイアル II 鎮魂歌(レクイエム) スペシャルエディション 限定版 [DVD] 

 ☆☆☆☆
~若手の演技が下手~
※2008年以前の感想に追記したものです。

 2003年邦画。大ヒットとなった1作目「バトル・ロワイアル」の流れを汲んだ続編。
 1作目は中学生の殺し合いを描くセンセーショナルな設定が賛否両論となり、結果大ヒットとなった。
 話題性だけでなく、ヤクザ物や時代劇でバイオレンス映画の巨匠となった深作監督の新境地として海外でも高い評価を得た。
 
 1作目は小説「バトル・ロワイアル」を原作としていたが、続編が執筆されていないため、今作は映画オリジナルとなる。
 中学生のクラスメート同士に国家が殺し合いを強制するという前作のその後、生き残った者たちがテロリストになり、それを殲滅するためにこれまた中学生が投入される。
 設定だけ聞くとなんやこれは、となるが納得行く説明はない。これは前作の殺し合いも同じで、とにかく特定の状況に放り込むことが目的なので、設定自体にはこだわらない方が楽しめる。いわゆるデス・ゲーム物としては丁寧に説明されている方だ。
 
 残念ながら今作は深作欣二監督の絶筆(っていうのかな?)となる。完成を待たず他界されてしまった。
 冒頭の数十分はおもしろいが、それ以降はだらだらとした展開。感情移入できない人々のうっかりちゃっかりを見せられるのみ。
 大人と子供の対立する世界で、子供同士の戦いが強制されるというシチュエーションなので、中高生の出演者が大半。彼らが、如何ともしがたく、演技下手。視聴中常に冷や水をぶっかけられるみたいなもので、心が風邪をひきそう。
 中途半端に馬鹿馬鹿しい展開にあきれていると、限界を越えた阿呆なシーンが突然飛び込んできて、これには驚かされる。嫌みではなく、あそこまで無茶苦茶だと「そういうもの」だと納得させられてしまう。このシーンには心が揺さぶられたが、これだけのために見る映画でも無く――。一通り観ればどこかはすぐに分かると思う。

 撮影半ばで力つきた監督の後を、プロデュースをしていた息子が継いだということだが、おそらくこの息子さんがほとんどの部分をディレクションしたのでは。そう思いたい。たたき上げの熟練監督にしては、つたなすぎる。
 
 特典映像で撮影風景が収められており、みんな一生懸命で真面目にテンション高くがんばっていた。……なのに、こんな作品になってしまう。映画というものは、本当に難しいものなのだな。



Dolls

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 ★★☆☆☆
~バッドエンドのみのアンソロジー~
※2008年以前の感想に追記したものです。

北野武監督の分類不能な作品。
絵画に例えるなら中途半端な抽象画。
何が描いてあるかはわかるが、なぜそのような描き方なのか分からない。
映像によって描こうとしている感情が放射されてはいるのだが、伝わってこない。

貫禄のあるゆったりした間の撮り方。絵になる映像。
北野武は紛れも無く一級の監督だと思うが、その方向がどんどん一般から剥離していく感触。
もちろん、悪い意味で。
抽象表現を緩めて、「あの夏いちばん静かな海」のような観客を選ばない表現に立ち戻ってはくれまいか。

エピソードのそれぞれは素晴らしい切り取り方だと思う。
ただ、やはりやくざがでてきてみんな不幸になるというのは、もう飽きました。

2020年5月1日金曜日

サマータイムマシンブルース

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 ★★★☆☆
~最小で最笑のタイムマシン物語~

 2005年公開の邦画。タイムマシンを題材にしたSF青春物語。
 

 夏。大学の人気のない運動場で五人の男と一匹の犬が野球っぽい競技に躍起になっている。
 それを一眼レフで撮影している女性は、絵にならない被写体の何を撮っているのか。
 彼らはまったくSFを研究しない「SF研究会」の面々であり、一緒の部室を共有しているカメラ部員である。
 野球の後、銭湯に行って汗を流し、またいつものように部室のクーラーのスイッチを入れる。
 何の変哲も無い不毛な夏の日々に、わずかな違和感が積み重なっていく。
 そして、タイムマシンが現れた――。

 人生の夏休みの、さらに夏休みを過ごすバカな男たちとそれを眺める女たち。
 何か普遍的な構成を感じるが、ともかく男たちがバカである。
 バカなのだが、きちんと方向性の異なる個性的なバカが、自分の役どころを持って集会している状態なので強烈なお約束とノリでドンドコ会話が繋がっていく。まるで吉本新喜劇。
 このノリがダメな人にとってはもう耐えられない映画だろうが、楽しめる人にはバカだなあと笑っていられるし、それなりに人情話がおり混ざってきて最後は何となく丸く収まる。感動的でもある。
 
 タイムマシン物の宿命として、この作品にも「下手すると世界や宇宙がやばい!」という展開はあるが、冒険規模はこれまで見た中で最小規模であり、もちろんそれを狙っての作りである。焦点となるのがなんとクーラーのリモコン。これを軸に100年以上にわたる因縁を解きほぐしていくのだからすごい。

 話がややこしくなるのは仕方がないが、なんとか飲みこむことができる。起承転結の「起」にたっぷり時間をかけて準備したからこそだと思うが、それでも全然物語が進まない「起」は長すぎるだろう。タイムマシン物を宣言しているから前準備として許容されるのかな。沈むと分かってるタイタニックのように。

 舞台が限られており、これは演劇に向いているかもと思ったが、実際は2001年の舞台を原作として映画化されたものなのでそりゃそうだった。このややこしい話を舞台で説明するのはまた異なる技術、トリックが必要だろう。一度こちらも見てみたいものだ。

 
 

2020年4月14日火曜日

ドラえもん のび太の魔界大冒険

映画ドラえもん のび太の魔界大冒険【映画ドラえもん30周年記念・期間限定生産商品】 [DVD]

  ★★★★
 ~素直に、美夜子さんが好きだ~
 
 大長編ドラえもんの映画シリーズ第5作目。
 魔界大冒険はのちに新魔界大冒険として再映画化されているが、これは無印の方で監督は22作のドラえもん映画を監督した芝山努。彼にとっては「のび太の海底鬼岩城」に続いて2作目となる。
 

 魔法が使えれば良いのに――。
 のび太の楽したい願望は魔法に向いていた。庭掃除、ホームラン、空を飛ぶ。魔法が出来れば何でも出来るのに。
 出来すぎに魔法という学問が科学に駆逐されたことを説明されてもどうしてもあきらめきれない。
 ドラえもんに「もしもボックス」を出してもらって魔法世界を実現するが、思ったのとは大分違い――。

 自分はF全集(漫画)を揃えて喜んでいる藤子・F・不二雄ファンである。
 藤本先生の漫画を原作とする映画は全て見たが、その中でもこの「のび太の魔界大冒険」は映画として最も優れていると思う。
 原作で最も完成されていると思うのは「のび太の宇宙開拓史」だが、映画の出来はあまり良くない。その点、魔界大冒険は原作に忠実でありながら、真っ直ぐに映像的な魅力が加えられている。結果映画ならではの価値がきちんと生まれている。
 
 魔界大冒険はかなりきわどい、複雑な話である。
 
 タイムマシンを使った時間的な錯綜に加え、もしもボックスによるパラレルワールドも絡んでいる。
 これらをきちんと整理、理解しようとするとかなり根深い考察にはまり込んで行くし、おそらく他のドラえもん作品との矛盾も出てきて正解はない。
 このような複雑な話を、表面的な説明と勢いで分かった気にさせてくれる原作がまずすごいのだが、映像にするのはさらに難しいと思う。説明も「聞く」事になるのでさらに分かりやすさと、はったりが必要なのだ。
 
 いくつかのシーンが焼き付いているが、これらが「はったりのきいている」部分なのだろう。
 
 ◆魔法のほうきのオープニング
  たのまれた庭掃除を、ほうきに魔法をかけて出来ないものかと試すアドバンタイトルから、命を吹き込まれたほうきが動き回るオープニング。
  魔法なんてかかっておらず、コテンと倒れるほうきから本編開始。
  この滑らかな繋ぎの気持ちよさ!

 ◆出来杉の魔法解説
  一本の木が描かれたエッチング画の背景がマーブル模様に迫ってくる画面。
  このインパクトがすごい。
  説明的には「世の中に満ちた人知を越えた力」を表しているが、原作もすごいがこう動かす映画もすごい。
  その後のドクロ画像も合わせておどろおどろしし雰囲気が後の悪魔軍団と繋がっている。

 ◆デマオンとの逃亡劇
  終盤の悪魔軍団からドラえもんたちが魔法のカーペットで必死に逃げるシーン。
  魔法でミサイルのように迫ってくる小惑星たちを魔法やショックガンで撃ち返すシーンも良いが、その背景の流れる星の迫力。
  星が散らばったトンネルを高速で移動するような表現になっており、実際で考えてみればそんな風に見えるバズはないのだが、追走劇に緊迫感を与えている。カーブで逃げて、カーブを追いかけてくる辺り最高。

 ◆「千里千年を見通す予知の目よ!」
  宣伝でも多用されていたので覚えている方も多いと思う。美夜子(ゲストヒロイン)とのびドラが雲の上の月光の下でやり取りするシーン。
  掲げた水晶玉に大魔王を倒す勇者たちを映し出すシーン。
  美夜子は他にもペンダントから小さな剣を取り出し、それを等倍に戻して手に取ったりと小道具がらみのカッコイイシーンが多い!
  
 美夜子はのび太たちより年上の(中学校~高校くらい?)快活なショートカットの女性で、初見から好みだ。
 男勝りな部分があるのだが、それをきちんとした礼節で包んであり、潔く格好良い。
 僕の奥さんみたいだ。とこっそりのろけ。
 
 今作をよくよく考えるとこわい部分を以下にメモしておく。
 
・パラレルワールドの元ののび太はどうなっているのか
  つまりは「もしもボックス」の怖さなのだが、あのベルが鳴り響いた瞬間に新しい世界が作られるのだろうか。
  そうなのだとしたら、のび太が魔法世界に移動した以前の、元々魔法世界にいた者たちが持つのび太の記憶はどのような内容なのだろう。
  いたはずののび太の行動は、誰が生み出したのか。また、のび太が元の世界に帰った後、魔法世界にのび太はいなくなるのだろうか。その記憶を引き継ぐのび太が発生するのだろうか。
  これについてはもしもボックスは数あるパラレルワールドから望みに合致するものを探しだし、そこにいる別世界の同一人物(すごい表現)の魂(人格)をすげ替えるものだという検討がある。これはなかなか条件に合致するが、では突き出された元の魂はどこに行き、どういう形で帰ってくるのかという疑問が続く。記憶喪失のような形がもっともうまく行くかもしれない。

・悪魔とは言え一つの惑星を丸ごと破壊している
  悪魔も、人魚も、鯨も、その他すべての魔界の生物をすべて殺しているという事実。
  おそらく意図的にだが描かれていなかった悪魔の町にくらす女性悪魔や子供悪魔、そこに暮らす悪魔家族の幸せをも消滅させた。
  これは地球を生み出す道具「地球セット」の回(恐竜時代まで育てた地球を火の玉にして破壊)にも言える事だが、数兆に及ぶ命を根こそぎ刈り取っている。
  
・タイムマシンを使えば異なる世界の人間の大移動が可能なのか
  作中魔法世界に転移したのび太はタイムマシンでもしもボックスを使う前の世界に帰ってくる。
  つまりタイムマシンでパラレルワールド間の移動が可能なのだ。
  とすると、ドラえもんがタイムマシンで移動している過去や未来も、じつはどこかでずれたパラレルワールドで、そこにいきなりもう一人ののび太やドラえもんがいてもおかしくないという事になる。
  
  やはり、すごくややこしい話だ――。




 

大人の見る繪本 生れてはみたけれど

あの頃映画 松竹DVDコレクション 「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」

  ★★★★
 ~相似形のからみ行く先~

 1932年の邦画。小津安二郎監督による白黒の無声映画。
 英語の題名が「I Was Born, But...」だけなので「大人の見る繪本」は副題と言って良いだろう。
 

 サラリーマンである健之助は出世のために会社の重役である岩崎の自宅近くに引っ越してきた。
 健之助の二人の息子は早速地元のガキ大将に目をつけられるが、次男の多少汚い方法によりこれを撃退。長男は大将の位置に落ち着いていささか横柄な態度で毎日をそれなりに楽しく過ごしていた。
 健之助は家では厳格な父親であるものの、会社では岩崎の磯巾着として同僚にも侮られていた。
 父のそんな姿を息子達は目撃してしまい――。

 小津映画の特長とされる各要素、「低いカメラアングル」「イマジナリーラインから外れたレイアウト」「動かさないフィックスカメラ」はすでに見て取れる。同じ志を持つ者は同じ方向を見る、といった独特の構成も印象的に使用されておりサイレントの一つの完成型といって良いかもしれない。

 家庭内の最高権力者が会社の階層構造の中では下位に甘んじ、一見自由に見える子供達も親の社会的地位という鎖につながれている。この相似形。社会の中で生きる人間という者の宿命。最初はコメディのようなのんきさで始まった物語は、最終的には人の営みの深いところまで視線を届かせることになる。
 もし大人だけの物語だったら、この題名はあまりに重いだろう。それが子供に同じテーマを輪唱させて絡めていくことで、どこかしら背伸びしたユーモアが全体をやさしく包んでくれる。
 
 特筆すべきは次男の演技。演技を超えた演技で生き生きとした表情を見せて物語の花となっている。
 小津監督はどのようにしてこの自然な演技を幼い子供から引き出したのだろう。
 その表情は色も音も時代も超えて、今も魅力的なままフィルムに焼き付けられている。

2020年2月4日火曜日

十二人の死にたい子どもたち

十二人の死にたい子どもたち (通常版) [Blu-ray]

 ☆☆☆☆
~青春の主張~

 2019年の邦画。サスペンスとミステリー。
 原作は「天地明察」「マルドゥック・スクランブル」を手がけた冲方丁初の長編ミステリー小説。
 監督は一時代の無理矢理おもしろくするフォーマットを確立して見せた堤幸彦。
 

 携帯でメールを見ながら廃病院に続々集まる少年少女たち。
 自殺を決した12名がネットでの呼びかけに応じて死ぬために集合していた。
 全員がそろってみると12のベッドが据えられた自殺決行の部屋で、あり得ない13人目がベッドに横たわっていた。誰がそれを行ったのか、どうして行ったのか。
 自殺の決行は全員の合意がなされるまで行われない。参加者でもある主催者のルールにより、12人は事件の真相を求めて行動を開始する――。

 廃病院に舞台を限定していることで、上手く映像のクオリティを安定させていると感じる。冒頭の空撮から廃病院入り口へ至り、その後病院内の各所を移していく流れなど、非常に期待感をあおるなめらかなつなぎとなっている。少し現実とずらしたイメージカットを挿入したり、象徴的なデザイン(母胎像)を各所に廃したり、雰囲気を上手く盛り上げている。
 12名(13名?)にも及ぶ登場人物に上手く自殺にいたった経緯などを披瀝させ、同時にキャラクター性も視聴者に刻み込んでいく。これなど服装、話し方、キャストなど多くの要素をくみ上げた事による成果であろう。
 
 ただ、話が進んでいくほどに印象は厳しくなる。

 まず一見して「子ども」という言葉に引っかかるだろう。設定では15~18歳の子どもたちとなっているが見た目がとてもその年齢には見えない。実際役者は17~23歳で、全般に苦しい。確かに言葉や思考の浅さには子どもらしさがにじみ出て、中二らしさがあふれているので、これは映画特有のキツさなのかもしれない。あえて大人の外見で中身との剥離を示しているのだろうか。いくら見た目が立派でも、中身が子どもでは仕方がないよ、と。

 次に閉鎖空間で12名がひしめき合う状況で組み上げられたトリックが苦しすぎる。行き当たりばったりの行動が、ただ偶然で事件になっただけなのだ。その偶然は信じてみても良いと思えるようなロマンチックな物ではなく、作者の都合だけの落胆するような物だ。それが映像になることによって、おそらく増幅されている。見るからに嘘っぽく、ご都合主義なのだ。

 最終的には12人の子どもっぽい主張を聞くだけの事を、無理矢理ミステリーに仕立て上げた作品という位置づけ。
 同調圧力に負けるだけに見える最後の展開も、いささかうんざりでエンディングを迎える。

2020年1月16日木曜日

億男

億男 豪華版(特典Blu-ray付Blu-ray2枚組)

 ☆☆☆☆
~逆ナンの宗教勧誘~

 2018年公開の邦画。映画プロデューサーでもある川村元気のヒット小説(2014年)を原作としている。
 

 迂闊にも兄の借金の保証人となり3000万の借金を背負った一男。図書館司書と工場ラインの仕事を掛け持ちして何とか借金を返そうとしているが、道のりは果てしない。
 妻はまだ離婚はしてはいないものの一人娘と共に出ていった。借金さえ無ければ元の幸せな家族に戻れるのに……と一男は信じているが、妻の心持ちはそう単純では無さそうである。
 そんな苦しい生活の渦中で一男は宝くじに当選。3億円を突然手にするが、どう使えば良いか分からない。
 今は没交渉になったが大学時代の親友で大富豪となった九十九(つくも)のことを思い出し、アドバイスを求めるが、何と九十九は3億円を持って姿を消してしまう。彼と、彼の持つ3億円を追って、一男は九十九と繋がりの深いさまざまな億万長者の証言をたどっていく――。

 登場人物の心情や物語のつじつまよりも作者の啓蒙欲求を主体としており、「お金についての私見を述べるための設定としての物語」だと言える。「ソフィーの世界」「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」のようなやり方といえば分かりやすいかも。これ自体は書籍を読む敷居を下げる効果が大きいのであり得ると思うが、これを原作にして映像化した場合、多くの視聴者は物語体験こそを欲求しているのだがらミスマッチが起こる。
 主たる目的が「お金って何やねん」に対する作者の意見発表なので、展開は非常に寓意的で絵本のよう。導入部分などは倒置的演出を使用してそれなりにドラマチックなのでまともなドラマを期待してしまったがどんどん化けの皮がはがれていく感じ。テーマが鼻につく映画というものは多いと思うが、最終的にテーマしか存在しなくなる映画というものはそうそう無いのではないだろうか。物語要素はほとんど無意味に剥落していくのである。
 砂漠に行くのも、落語をするのも、図書館司書なのも、オークションサイト開発も、すべてそれぞれの小ネタに使われるだけで、全体の繋がりのちぐはぐ感がすごい。食材の味が混ざっていない感じ。
 かわいい女の子に逆ナンされて喜んでついていったら宗教の勧誘だったというのが近い。フックに特化しているのはさすが映画プロデューサー。
 
 それでも序盤は失踪した人物を追い求める展開が魅力的で、またそこで出てくる人物たちのアクがすごい。これは原作によるものなのか、演者によるものなのか、北村一輝の演じる超優秀な元プログラマ。セミナーを開催し、教祖然とさえしている元CEOを演じる藤原竜也。この二人の演技を見るだけで中盤までは充分楽しい。

 映像化の折に物語り部分もきっちりと詰める努力をすべきだったのではないかと強く感じる。

 あと、ともかく3億当たって使い道に迷う前に、借金の三千万円はまず返してから考えると思う。いわゆる「どん判金ドブ」過ぎ。

2019年11月28日木曜日

ターミネーター2

ターミネーター2 4Kレストア版 [Blu-ray]

★★★★
~SFアクションの金字塔~

 1991年の米映画。1984年公開のターミネーターの続編となる。監督は引き続きジェームズ・キャメロン。

 前作の事件から10年後のカルフォルニアに再びターミネーター(アーノルド・シュワルツェネッガー)が送り込まれてくる。前作で標的とされたサラは息子ジョンに機械との戦いに備えた英才教育を施していたが行きすぎた行動から精神病院に収監。ジョンは里子に出されてハングレ状態。ターミネーターはジョン捜索を開始するが、それとは別にもう一人のターミネーターが送り込まれてくる。流体金属の体を自在に操り、姿形を変えながらこちらもジョンを目指して行動を開始。ハッキングで手に入れたお金でゲームセンターで遊ぶジョンの元に二人のターミネーターが到着した――。


 ヒット映画の2作目というものは非常に受け容れられるのが難しいものだが、ジェームズキャメロンは実にエイリアン2」と今作で輝かしい続編成功を収めており、この点だけでも特筆に値する。二つに共通して言えることは1作目で登場した要素の位置づけをうまくスライドさせて異なる関係性を作り出す事と、規模の圧倒的な拡大によるお祭感の演出であろう。
 エイリアン2では1作目では一体しか登場しなかったエイリアンを大量に登場させて「群れ」にし、さらに女王蟻ならぬ女王エイリアンを設定。海兵隊とエイリアン軍団の激突を構図として「今度は戦争だ!」のコピー。
 ターミネーター2では1作目の宿敵をあろう事か味方に据えて新型のターミネーターを追加。「ターミネーターvs人間」から「ターミネーターvsターミネーター」とした上に旧型と新型、剛と柔の対決をプロデュース。
 何かもう設定だけでときめくのである。
 
 流体金属の新型ターミネーターは当時としては出色のVFXで描かれており、イマジネーション含めて強烈なインパクトを残した。水銀のように銀色に流れる金属が人型になり質感を得て完全な擬態を行い、また体の一部を槍や剣のように変えて戦闘を行う。現在ではこれくらいの映像はテレビドラマでも実現されているが、当時は本当に驚いたものだ。あまりに気持ち良かったので劇場に二度も見に行った。
 映像だけで無く物語としても見所が多く、特にジョンとその保護者となったターミネーターの関係は父親を知らないジョンにとって父と触れ合うような形で描かれており感情移入させられる。タイムパラドックスにはあまり触れず、現在でのやり取りのみに集中しているのも安っぽくならなくて良い。
 改めて1と間を置かずに見てみると、1を踏襲している演出が数多くある事に気づく。有名なターミネーターのセリフ「I'll be back」であるが、1ではこれを受付に告げた後すぐに車で突入してくるというちょっとコメディーぽい使われ方をされている。2では緊迫したシーンで使われているが、このセリフの後車で突入してくる展開になっているのは同様。他にも1の最後で這いずりながら迫ってくるターミネーターの姿が2の最後でも同様に再現されており、ファンに嬉しいパーツが沢山ありそうである。

 この後「3」「4」「ジェネシス」とシリーズが続いたが2を最高潮として評価は下がっている。どれも楽しめる内容だが、確かに1と2程の親密感は無く、特別な作品にはなり得ていない。2の直系続編と銘打っていよいよキャメロン関与の高い「ニューフェイト」が公開されているが、いかな評価に落ち着くであろうか。

 関連作のリンク。3だけ感想ないんだ……。

◆シリーズ第1作『ターミネーター』 の自分の感想はこちら。

 
★★★☆☆
~演出の教科書~

◆シリーズ4作目『ターミネーター4』 の自分の感想はこちら。

ターミネーター4 スペシャル・エディション [Blu-ray]
★★☆☆☆
~ジョン・コナ―しっかりしてくれ~

◆シリーズ5作目『ターミネーター:新起動 ジェニシス』 の自分の感想はこちら。 

 ターミネーター:新起動/ジェニシス ブルーレイ+DVDセット(2枚組) [Blu-ray]
★★★☆☆
~極悪な予告編~

 ◆シリーズ6作目『ターミネーター:ニュー・フェイト』 の自分の感想はこちら。

ターミネーター:ニュー・フェイト [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
★★☆☆☆
~女子会もしくは同窓会~

◆同監督の傑作『エイリアン2』 の自分の感想はこちら。

エイリアン2 [Blu-ray]
★★★★
~相似拡大+α~

 

 

 

2019年11月27日水曜日

三度目の殺人

 三度目の殺人 Blu-rayスペシャルエディション

★★★★
~驚異のバランス~

 2017年の邦画。「そして父になる」「万引き家族」で知られる是枝裕和による法廷サスペンス。福山雅治と役所広司が主役を務める。

 弁護士の重盛(福山雅治)は同僚弁護士からとある殺人事件の国選弁護の担当を頼まれる。依頼人の三隅(役所広司)は30年前にも北海道で殺人事件を起こしており、服役の後勤めていた会社の社長を川辺で殺した容疑での裁判だった。殺人についてはすでに自認しており、見込まれる死刑から無期懲役への減刑を目指すのが重盛に依頼された内容となる。
 真実の解明ではなく被告の最大利益を目指すのがポリシーである重盛は減刑へのとっかかりを求めて三隅の過去から現在に至る流れを再調査するが、突破口を見出す度に三隅の供述はふらふらと変遷し、つかみ所がない。やがて一転二転する供述は裁判の前提とされている範囲まで立ち戻り、裁判官、検察と足並みを揃えて有利な判決を得ようとしていた重森の思惑を崩しさる。三隅との対話、見えてくる事実との対峙により、重盛は事実と真実、裁判で裁かれることと裁かれないことといった領域に踏み込まざるを得なくなった――。

 初めは単純に見えた事件が情報を集めるほど複雑になる流れはスリリングで先が読めず面白い。特に役所による三隅の演技は素晴らしく、人格が複数宿っているかのようなつかみ所のない不気味さの中に、何か超越者めいた雰囲気を感じさせてくれる。それと対峙する重盛を演じる福山雅治も負けてはおらず、二人の存在感が拮抗。このバランス感は作品上非常に重要で、どちらかが明らかに勝ってしまうとまずい構成になっている。
 というのは、この物語で最も重要な焦点は「なぜ三隅は殺人を犯したのか」であり、その結論は作品の中で明示されていない。重要そうな断片は数多く示され、それぞれが関連をもって方向性を示してはいるのだが、複数のストーリーラインが絶妙のバランスで併存しているのである。重盛と三隅のバランスもその中にある。この、「結論を出さない」という姿勢はそんじょそこらの「結末は視聴者にゆだねます」のエピローグや今後の展開を描かないといったものでは無く、三隅をどのような人物として理解するかという映画全編をそのまま差し出している。この葛藤は重盛の葛藤と同値であり、他人には差しはかれない部分を裁かなければならない裁判という存在の限界を突きつけてくるのだ。
 「裁判は真実を明らかにするものでは無い」と断言していた重盛は、自分が求刑をいかに軽減するかというプラスの方向しか見ていなかった事に気づき、反対に真実と関係なく死を宣告される事もあるという状況を目の当たりにする。そしてそれに自分も加担した事で人が人を裁くことの恐れと罪を自覚して物語を終える。重盛が最終カットで物語を象徴する十字架にたたずんでいるのはこのためだと思う。

 この結論しないというバランス感覚は凄まじいもので、よくぞ最後まで綱渡りから落ちずに完走したものだと思うが、架空のイメージカットを現実と混在させて視聴者を混乱させたりミスリードを誘うのはちょっと卑怯かなと感じる。またこれもバランスを取るためだろうが警察組織があまりに無能で役に立たない。いくら自供しているからといってその裏付けを行わなかったり、少し調べれば分かる周囲の状況に全く無関心というのは実際はともかく物語として引っかかりが大きい。

 見終わった後すっきりしない感覚に陥ると思うが、今作はそのために作られているので正しい反応だと思う。
 何だったんだろうと考える際は、「三度目の殺人」というタイトルが示す殺人が誰が誰を殺したものかというところからとっかかってみると全体を見わたしやすくなるだろう。



2019年11月13日水曜日

極道めし

極道めし [DVD]

★★☆☆☆
~約束された悲劇~

 2011年の邦画。バカ食い漫画で名を馳せる漫画家、土山しげるの漫画を原作としたハートウォーミングドラマ。

 とある刑務所のとある独房では年の瀬が近くなると毎年「おせち料理争奪戦」が開催される。
 部屋のメンバーが一人ずつ己の人生のなかで最も美味しかった料理を語りあげ、のどを鳴らした人数が多い者が優勝。年に一度の豪華メニューの中から一品ずつ奪うことが出来るというもの。
 今年も開催されるが新人だけは参加拒否。料理話は身の上話となるため各人にとって大切な瞬間を差し出していくことになるが、これに茶々を入れた新人とベテラン陣が衝突。独房にぶち込まれたあげく、ようやく新人も自分の「料理」を語り始める――。


 話の立て付けが分かりやすく、あとはいかなるエピソード、料理が飛び出すかに興味が集中される。そういう意味ではオムニバス映画と捉えることも出来る。エピソードは全て人情話であり、これを囚人が語るのだから後悔、喜び、失望、希望、不安といったさまざまな感情が込められることになる。どの話も「実刑くらって刑務所」が前提になっているため、沈むのが分かっている船の恋愛話のように常に切なさがつきまとうのだ。美味しい御飯はつまり幸せの象徴なので、そのコントラストが胸に迫る。

 新人以外のエピソードはほとんど簡易劇のような体で映像化されている。舞台で演じているのをそのまま撮ったような感じで、例えば海辺のバーベキューにおける海の表現は背後で波打つビニールだったり。安っぽいことこの上ないが、昨今見られない演出なので懐かしい気持も。
 致命的なのは料理の映像。イメージで逃げるでも無くしっかり映しているが、色気が無い。この作品における官能的存在、真のヒロインであるべき存在なのに、安っぽい蛍光灯の下でただ撮っただけといった風情。ストリップのように豪奢なライトで汗を光らせながら、七色に染めて欲しかった……。その辺のテレビの情報番組でももっと気の利いた料理映像を流していると思う。フードコーディネーターとか専門の写真家の協力を得るだけで、この映画は一段も二段も評価が上がったのでは無いか。

 新人のエピソードは落語における真打ち的な位置づけで、山田洋次の人間ドラマのように重く切なく見せる。ヒロイン木村文乃がとても可愛い。あんなラーメン屋店員いたら通うわ。
 出所後、このエピソードの結末が描かれるわけだが、悪くない。
 
 自分の人生一番の料理は何だったろう。そんなことを考えてしまう身近な映画だ。


 

2019年11月1日金曜日

鍵泥棒のメソッド


 ※Amazonの商品リンクです。

★★★★
~伏線が編み上げる物語~
 
 2012年の邦画。監督は「アフタースクール」で映像の叙述トリックを見事に決めた内田けんじ。
 

 完全無欠の暗殺者コンドウ(香川照之)とひょんな事から立場が入れ替わってしまった売れない役者桜井(堺雅人)。
 記憶を失い貧乏生活で己を探すコンドウ。お金を手にしたが暗殺者としての役割を強要される桜井。
 これに、結婚することを周囲に宣言してから婚活に突入する脅威の計画魔キャリアウーマン水嶋(広末涼子)がからんできて――。

 もうこの設定と役者陣だけで面白そう感がすごい。
 さらに映画を観ていて「脚本がすごいなあ」と思う事はほぼ無いが、この作品ではそれがひしひしと感じられた。情報の出し方とその分量が非常に的確なのである。監督脚本が共に内田氏なので、脚本と演出が一直線に繋がっていることもそう感じさせる理由だろう。
 画面の端で写っている物や行動が、絶妙な違和感で記憶に残り、それがテンポ良くこまかく回収される。伏線というには物語に絡まないような情報が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、登場人物の人柄、これまでの人生が手触りのように伝わってくるのだ。
 小さな伏線が寄り集まり、大きな伏線となって物語に驚きと発見を絶えず注ぎ込んでいく。そうこうしているうちにきれいなエンディングに至り、本当に気持ち良く手のひらで転がしてくれる。
 
 欠陥なのか優位点なのか分からない特徴を持つ特徴的な人物達が、己に誠実に動き回った結果巻き起こった騒動。主要キャラも脇役も、全員が丁寧に描かれ、愛すべき存在となっている。
 面白い映画を観たなあという清々しい達成感。幸せな気持ちになれるオススメの一作。


2019年10月11日金曜日

<テレビドラマ>ノーサイド・ゲーム

ノーサイド・ゲーム Blu-ray 

★★★★
~栄養満点の美味しいスープ~


 池井戸潤の書き下ろし小説を原作とした、社会人ラグビー&社内政治を題材にしたテレビドラマ。
 ガッツリ安定感ある日曜劇場枠の作品なのでなんの不安もなく楽しむことができる。池井戸潤原作は同枠でも倍返しだ! でおなじみ「半沢直樹」を筆頭に「下町ロケット」「集団左遷!!」「陸王」など多くがドラマ化されてきている。
 どの作品も確実に及第点を超えたエンタテインメントという打率の高さだが、難を言うなら銀行業務であったり、部品工場であったり、その凄さがなかなか分かりづらい内容が多かった。それをあの手この手で説明しながら物語を進めていくのがこれまたすごいのだが……。
 今作はその点が強い。ラグビーである。
 前に投げたら駄目とか、ややこしいオフサイドとか、ルールが分かりにくいとされるラグビーだが、敵とぶつかり、ボールを奪い、タックルをよけて駆け抜ける姿は、燃料バルブより遥かに凄さが直観的である。
 ラグビーシーンの迫力がまた素晴らしい。実際のラグビープレイヤーと役者の混在だそうだが、うまく代役シーンを盛り込んでいるのか、カットつなぎの妙なのか、素人プレイで興ざめすることがない。際どいプレイのシーンもきっちり映像化しており、何度も何度も撮りなおしたのだろう。
 その甲斐あって今作のテーマである、家族や仲間のために恐怖に立ち向かう勇気に大きな説得力が生まれている。

 自分も大学時代にラグビーをやっていた。人数不足で素人が入部して即レギュラーという状況だったが、ドラマで描かれていた内容について実体験に基づく共感を覚えた。
 ともかくぶつかる恐怖とその克服。
 どんなポジションであっても、ラグビーをする限りタックルはしなければならない。ぶつかることが当たり前、基本の基本なのだ。
 その上、自分が立ち向かわねばならないという責任感。仲間からの信頼(もしくはプレッシャー)。そういったものが恐怖と入り混じり、敵はどんどん近づいて考えあぐねる時間もない。
 半ば練習で染み込んだ反射反応のようにタックルに飛び込む時、とんでもない高揚感と開放感がある。

 自分はバックスではなくフォワードだったので、一対一の状況にはそうそうならなかった。敵にぶつかったりぶつかられたりしてラックやモールを作る事が多かった。
 固くむさ苦しいおっさんに肌を密着させて押し合いへし合いするのは、満員電車の中で皆でおしくらまんじゅうするようなもので、結構楽しそうでしょ?
 あと、スクラムは肩こりを治すのにめちゃめちゃ効く。全力かけた肩マッサージになる。
 
 ドラマの展開は水戸黄門的なお約束を踏襲しているが、幾つものドラマ、状況を上手く重ね合わせることで複雑なリズムが作られておりやめ時が無い。

 大手自動車会社の君島隼人は己の信念に基づいて確実な業績を残す切れ者社員である。その信念に忠実なあまり、次期社長を狙う滝川に反対する立場をとってしまい報復人事として工場に左遷。しかも負けが込んで廃部の危機を迎えている社会人ラグビー部のゼネラルマネージャーを兼務させられる。

全く門外漢のラグビー。会社がなぜスポーツチームを持つ必要があるのか。
これまで触れてこなかった会社の側面に触れ、君島隼人はチームの立て直しのために立ち上がる。

色恋沙汰と無縁なのも他のドラマと差別化が効いており、親子、夫婦、同僚、友人といった他の関係は網羅しているので、これはわざとだろう。
 思うに恋愛要素はドラマのパーツとして目立ちすぎ全体のバランスを崩してしまう。スクラムに無駄な力が働くようなものだ。
 
 SNS栄えする飛び道具のような設定を用いず、地に足のついた素材をきちんと調理し、全体の味を調え、一つの料理とする。
 一件地味かもしれないが、滋味にあふれて栄養満点。元気になれる、体が丈夫になる。
 そんな、健康優良定番ドラマである。

 

 

2019年10月8日火曜日

幸せの黄色いハンカチ

あの頃映画 the BEST 松竹ブルーレイ・コレクション 幸福の黄色いハンカチ [Blu-ray]

★★★☆☆
〜記憶に残る映像〜


山田洋次監督、高倉健主演の1977年の邦画。
古い映画だとはいえ、大ヒット、心に残る情景、俳優陣のその後の活躍の契機となった、など知名度は非常に高い。
金八先生でおなじみ武田鉄矢が魅力的な三枚目として出演。
彼はもともと音楽活動(「母に捧げるバラード」)で芸能歴をスタート。
この作品で俳優としてデビューとなり、好評を博して役者としての知名度を上げた。

傷心旅行で新車の赤いファミリアで北海道に渡った花田鉄也(武田鉄矢)。
道中ナンパした朱美(桃井かおり)とともに網走刑務所から出所したばかりの島勇作(高倉健)と出会い、相乗り旅をすることになった。
元炭鉱夫で男気のある勇作と、良くも悪くも今風(といっても1977年)の鉄也と朱美。
トラブル続きの旅の中で、勇作が夕張に向かう理由が分かってくる――。

  
当時の風俗、雰囲気を強く感じさせる風景は確かに古くさい。
だがそれを背景に描かれるドラマは、若者と壮年のすれ違いや夫婦間のつながりなど人間の営みに根ざしており、時が立ってもは変わらない普遍性を持っている
終盤、勇作の案内に沿って夕張を車で疾走するのだが、ここが一人称視点(運転者視点)となっており、臨場感を伴って視聴者をドキドキさせる。
黄色いハンカチはあるのだろうか、無いのだろうか。
すでにパッケージなどでバレていたりするが、それでもやはり引きつけられる表現は時を超えたものだと思う。

世紀の傑作かと言えばそうでは無いだろう。実際世界の映画評価で上位に来ることは無い。
が、同監督の「男はつらいよ」シリーズ同様、日本人の文化、人間性に基づいているのか、幅広い年代に人気のある映画であることは確かである。

これこそが人々の記憶に残っていく名作である証左なのだろう。

本作は作品周りのトリビアに面白い物が多く、Wikipediaで作品ページを見てみると、さらに楽しむことができると思うので、ぜひ合わせて読んでみて欲しい。

 

 

2018年9月19日水曜日

ハーモニー

 ※Amazonの商品リンクです。

★★☆☆☆
~空振りリリー~

SF小説家として高く評価されながらも、数作を残して30代で夭折した伊藤計劃の小説を元にしたアニメ映画。
原作とアニメは各所に違いがあるようだが原作未読の感想となる

多くの人間が体調管理をシステムにゆだね、投薬により長寿と健康を約束された世界。
その管理状態に異議を唱える少女三人は自殺を試みるが、二人は生き残ってしまった。
罪悪感と喪失感を抱えて大人になった二人が久しぶりに再会した時、管理システムを使った「強制自殺テロ」が発生。
その首謀者のメッセージに、死んだはずの一人の影が――。

世界設定が提起する問題を角度を変えながら検討するために物語が存在する印象。
検討については会話こそが主体となっており、当然だが本来の小説という媒体に最適化した作品なのだろう。
映画としては会話シーンが非常に多く、きちんと意味を理解出来ているのか不安になりながらの視聴となった。
3Dモデルによる表現と通常の作画による表現がおり混ざっているが、両者の足並みを揃えることで違和感は少なくなっている。
だが、合わせた足並みが事キャラクターに関していえば――低い。
3Dモデルの緻密さを薄め、通常作画の活き活きした描線を無くす。両者の利点を削る形で二つを合わせている。
会話シーンの退屈さを埋めるためにカメラをがんばって動かしているが、意味のなさが透けて違和感が強く、拙い。
上記の様な苦しさはあるが、意図を持った演出と一定の画面クオリティを保持しているので、マイナス評価に直行するものでは無い。
健全と不健全の印象が入り交じる奇妙な町並み、飛行機。美しい風力発電機。
小説の風景を映像に落とす部分では、十二分の努力をし、それに見合った成果を得ている。

この作品が扱うテーマは「人間には意識が必要なのか」だと思う。

作中に言及されてはいないが、「哲学的ゾンビ」を知っているとイメージしやすい。
――特定の反応を無限に定義することで、人間と全く同じ反応を示す存在を作ったとする。
この反応の集積である、魂、意識という物が無い存在を、人は区別できるのか――。

テロリストは体調管理システムを利用する事で、大多数の人類を強制的に「擬似哲学的ゾンビ」に陥れ、世界平和と人々の心の安寧を実現しようとする。
擬似としたのは、どうやら本人の個性を保ったまま意識を消滅させる(これが哲学的ゾンビ)のでは無く、皆が画一的に平和的な行動を選択するようになるだけだから。
この擬似哲学的ゾンビ状態を、作中で「harmony」と呼んでいる
このハーモニー状態、意識は再度戻すことが可能な模様。
テロリストは、自分が実証実験でハーモニーになった経験を元に、意識が戻った後このテロを思いついている。
さらにその間、非常に幸せだったとも語る。ハーモニー感の間記憶は無く、ただただ幸せ。

つまり、テロリストはみんなを薬物トリップ状態にするスイッチを押そうとした、ということ。

この設定には、まるで恐怖が無い。
ただの気持ちよくなるポーズスイッチを押すだけで、すごく規模の大きな趣味の悪いいたずらにすぎないからだ。
誰も何も喪失しない(年齢でさえ長寿が喪失を薄める)し、結構取り返しが効きそうだ。

到達するのが本来の哲学的ゾンビでそれが立ち戻りの出来ないものならば、これは恐怖である。
「個性も保持したまま意識が無いだけで、全く変わらない世界」は合わせ鏡を覗くような精神的な不安定、恐怖に繋がる。
さらに意識が二度と戻らないのであれば、それはもう、見る者の居ない演劇を延々続ける世界だ。
真にぞっとするが、そうなったとしても演劇が上映されていることに価値がある、というテロリストの主張も恐い。

全員がハーモニーになったら、「戻る」ボタンを押せないから永遠にそのままなのでは?

これについてもきっちり抜け穴がある。人類全体では無いのだ。
システムに依存しない人々が、大量にいることをわざわざ作中で語っている。
したがって、彼らの活躍次第でいくらでも戻ってこられるのだ。

さらに挙げるなら、人々をハーモニーにするスイッチは、テロリストでは無い為政者が持っていた。
テロリストは世界中に暴動を発生させることで、為政者に自らそのスイッチを押させようとする。
果たして押すわけであるが、為政者が自分も意識を失うようなスイッチを入れるだろうか。
そんなはずは無く、自分たちは意識を保ったまま、ハーモニーとなった人々の様子をうかがうだろう。
それは別の形の管理が開始されるだけで、テロリストの望むものでは無い。

こうしてみると、テロリストはずさんな勘違いをした小物、もしくは理想の低い俗物だし、主人公はそれに振り回された愚か者だ。
全編を通した印象で整理すると、

・テロリストは中二病を治せなかったお嬢様
・主人公は彼女に恋して盲目になった同性愛者

二人のごっこ遊びに世界が巻き込まれた、という事になる。

まさか原作小説はこのような形になっていないと思う。
どうやらアニメ化時の改変が致命的な穴を作って、物語の意味を喪失させてしまったようだ。

この作品の題名は「 <harmony/>」である。
ハーモニーという単語が記号にはさまれている。これはHTMLといった言語に良くある文法で、単語に色々な意味を設定する記述である。
冒頭、最後にはこのような文面が多く出てくるが、理解すべきは、「これら文面は機械が書いている」と言う雰囲気である。
つまり、この物語自体、ハーモニーとなった後の主人公が意識無く記録している内容だ、と言うこと。

それって、意識じゃ無いの? という入れ子構造で物語を閉じたのか。
はたまた意識のない者が語る物語を、我々は意識ある者の言葉として2時間聞いていた、という哲学的ゾンビに対しての回答と恐怖なのか。

どちらにしても、設定の不備が壮大な空振りとなって、狙ったのと違う意味で虚無を作り出している。
思考実験の素材として、とてもとっつきやすい作品にはなっている。