★★☆☆☆
~空振りリリー~
SF小説家として高く評価されながらも、数作を残して30代で夭折した伊藤計劃の小説を元にしたアニメ映画。
原作とアニメは各所に違いがあるようだが原作未読の感想となる。
多くの人間が体調管理をシステムにゆだね、投薬により長寿と健康を約束された世界。
その管理状態に異議を唱える少女三人は自殺を試みるが、二人は生き残ってしまった。
罪悪感と喪失感を抱えて大人になった二人が久しぶりに再会した時、管理システムを使った「強制自殺テロ」が発生。
その首謀者のメッセージに、死んだはずの一人の影が――。
世界設定が提起する問題を角度を変えながら検討するために物語が存在する印象。
検討については会話こそが主体となっており、当然だが本来の小説という媒体に最適化した作品なのだろう。
映画としては会話シーンが非常に多く、きちんと意味を理解出来ているのか不安になりながらの視聴となった。
3Dモデルによる表現と通常の作画による表現がおり混ざっているが、両者の足並みを揃えることで違和感は少なくなっている。
だが、合わせた足並みが事キャラクターに関していえば――低い。
3Dモデルの緻密さを薄め、通常作画の活き活きした描線を無くす。両者の利点を削る形で二つを合わせている。
会話シーンの退屈さを埋めるためにカメラをがんばって動かしているが、意味のなさが透けて違和感が強く、拙い。
上記の様な苦しさはあるが、意図を持った演出と一定の画面クオリティを保持しているので、マイナス評価に直行するものでは無い。
健全と不健全の印象が入り交じる奇妙な町並み、飛行機。美しい風力発電機。
小説の風景を映像に落とす部分では、十二分の努力をし、それに見合った成果を得ている。
この作品が扱うテーマは「人間には意識が必要なのか」だと思う。
作中に言及されてはいないが、「哲学的ゾンビ」を知っているとイメージしやすい。
――特定の反応を無限に定義することで、人間と全く同じ反応を示す存在を作ったとする。
この反応の集積である、魂、意識という物が無い存在を、人は区別できるのか――。
テロリストは体調管理システムを利用する事で、大多数の人類を強制的に「擬似哲学的ゾンビ」に陥れ、世界平和と人々の心の安寧を実現しようとする。
擬似としたのは、どうやら本人の個性を保ったまま意識を消滅させる(これが哲学的ゾンビ)のでは無く、皆が画一的に平和的な行動を選択するようになるだけだから。
この擬似哲学的ゾンビ状態を、作中で「harmony」と呼んでいる。
このハーモニー状態、意識は再度戻すことが可能な模様。
テロリストは、自分が実証実験でハーモニーになった経験を元に、意識が戻った後このテロを思いついている。
さらにその間、非常に幸せだったとも語る。ハーモニー感の間記憶は無く、ただただ幸せ。
つまり、テロリストはみんなを薬物トリップ状態にするスイッチを押そうとした、ということ。
この設定には、まるで恐怖が無い。
ただの気持ちよくなるポーズスイッチを押すだけで、すごく規模の大きな趣味の悪いいたずらにすぎないからだ。
誰も何も喪失しない(年齢でさえ長寿が喪失を薄める)し、結構取り返しが効きそうだ。
到達するのが本来の哲学的ゾンビでそれが立ち戻りの出来ないものならば、これは恐怖である。
「個性も保持したまま意識が無いだけで、全く変わらない世界」は合わせ鏡を覗くような精神的な不安定、恐怖に繋がる。
さらに意識が二度と戻らないのであれば、それはもう、見る者の居ない演劇を延々続ける世界だ。
真にぞっとするが、そうなったとしても演劇が上映されていることに価値がある、というテロリストの主張も恐い。
全員がハーモニーになったら、「戻る」ボタンを押せないから永遠にそのままなのでは?
これについてもきっちり抜け穴がある。人類全体では無いのだ。
システムに依存しない人々が、大量にいることをわざわざ作中で語っている。
したがって、彼らの活躍次第でいくらでも戻ってこられるのだ。
さらに挙げるなら、人々をハーモニーにするスイッチは、テロリストでは無い為政者が持っていた。
テロリストは世界中に暴動を発生させることで、為政者に自らそのスイッチを押させようとする。
果たして押すわけであるが、為政者が自分も意識を失うようなスイッチを入れるだろうか。
そんなはずは無く、自分たちは意識を保ったまま、ハーモニーとなった人々の様子をうかがうだろう。
それは別の形の管理が開始されるだけで、テロリストの望むものでは無い。
こうしてみると、テロリストはずさんな勘違いをした小物、もしくは理想の低い俗物だし、主人公はそれに振り回された愚か者だ。
全編を通した印象で整理すると、
・テロリストは中二病を治せなかったお嬢様
・主人公は彼女に恋して盲目になった同性愛者
二人のごっこ遊びに世界が巻き込まれた、という事になる。
まさか原作小説はこのような形になっていないと思う。
どうやらアニメ化時の改変が致命的な穴を作って、物語の意味を喪失させてしまったようだ。
この作品の題名は「 <harmony/>」である。
ハーモニーという単語が記号にはさまれている。これはHTMLといった言語に良くある文法で、単語に色々な意味を設定する記述である。
冒頭、最後にはこのような文面が多く出てくるが、理解すべきは、「これら文面は機械が書いている」と言う雰囲気である。
つまり、この物語自体、ハーモニーとなった後の主人公が意識無く記録している内容だ、と言うこと。
それって、意識じゃ無いの? という入れ子構造で物語を閉じたのか。
はたまた意識のない者が語る物語を、我々は意識ある者の言葉として2時間聞いていた、という哲学的ゾンビに対しての回答と恐怖なのか。
どちらにしても、設定の不備が壮大な空振りとなって、狙ったのと違う意味で虚無を作り出している。
思考実験の素材として、とてもとっつきやすい作品にはなっている。
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