2009年6月30日火曜日

エイリアン4

エイリアン4 [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]

★★☆☆☆
~女達の映画~ 

前作で悲劇的な結末を迎えた主人公、リプリーが再び墓穴から掘り起こされる

一作目から続けざまに見てみると、なにかもう深刻さを越えた喜劇のような気がしてくるから不思議だ。女版ロッキーみたいな感じか。
リプリーが気の毒になるが、そこは飲み込まなければ始まらない。

今作はこれまでのシリーズとあまり関連が無く、単体で鑑賞しても遜色なく楽しむ事が出来ると思う。シリーズ進行に従って、エイリアンの弱体化(人間側の対抗力アップ含む)が進んでいるため、底の知れない恐怖はなくなっているのは残念。
しかし、リプリー自身のエイリアン化、人間の遺伝子を含んだ新エイリアンの登場によって世界観の広がりが生まれている。方向性に好き嫌いはあろうが、前進も後進もしなかった「3」に比べれば評価できる点だ。そこから様々な物語の可能性も膨らむ。 

ただ、こうした追加要素を十分に生かせたとは言い難く、多用の消化不良は残るが、起承転結のとれた物語は無理無くコンパクトにまとまっている
3で下向きになったシリーズの調子に浮力を与えた作品だろうと思うが、その後続編はなく、世の評価は厳しかったということか。

ウェノナ・ライダーの張りつめた美しさが、切ない輝きを発しており、劇場で見た時の鮮烈な印象もいまだ心に残っている。彼女のその後の凋落には胸が痛むが、映画出演もコンスタントに続いているし、たいしたダメージではないのかもしれない。 

見終わって記憶に残るのは、リプリー(シガニー・ウィーバー)、コール(ウェノナ・ライダー)、そしてクイーンエイリアンの見せた母性。 

やはり、エイリアンは女性の戦う映画だ。 

監督ジャン・ピエール・ジュネは日本でヒットした単館系フランス映画「アメリ」の監督であり、接点があるような無いような不思議な印象である。


 一作目『エイリアン』の自分の感想はこちら。

エイリアン [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
★★★★

~遠すぎない未来像~

二作目『エイリアン2』の自分の感想はこちら。

 エイリアン2 [Blu-ray]
★★★★
~相似拡大+α~

三作目『エイリアン3』の自分の感想はこちら。

エイリアン3 [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
☆☆☆☆
~きれいだけど、おもしろくない~ 


 

エイリアン3


 ※Amazonの商品リンクです。

☆☆☆☆
~きれいだけど、おもしろくない~

いまや大御所と言っても差し支えのないデビッド・フィンチャーの映画監督デビュー作。初手でこの有名タイトルの続編。大抜擢と言ってよいと思うし、実際定番の映画監督となった今、その判断は間違ってはいなかっただろう。
ただ、残念なことにこのデビュー作は、佳作とも言い難い残念な出来だ。

 

シリーズの設定に頼っているくせに、シリーズの積み上げてきた要素に対しての尊重を感じない。
2であれほど苦労して生き延びた登場人物達が、着陸時に主人公以外全滅。
過去を断ち切って物語を始めたいという事か。続編までの期間があいているし、精一杯の判断だったのかもしれない。
それにしてもその後の展開が平坦なので、見ている方は特に引き込まれることもなく妙な悪意と残酷だけが吹き荒れる画面を冷静に見つめるしかなくなる。
また、1・2で重要な要素であった、弱者を守るために母性で戦う主人公、という枠組みが無い。(ラストのリプリーの抱擁にそれを求めるのは苦しすぎる) 

 

夜の製鉄所のような炎が美しい風景。
アンドロイドの蘇生。
ぬめぬめとした嫌らしい背景の質感。
宗教に傾倒した囚人の労働施設。 

 

各要素や画面には、監督特有の美学、タブーを軽く越える軽快さがあり、その後のセブン、ファイトクラブ、ゲームといった作品の萌芽を感じる事ができるが、今作では要素が個別に屹立しているだけといった印象。 

 

結果、つぎはぎの印象で、物語る手段の映像ではなく、イメージ映像の羅列となる。
ミュージックPVの監督として頭角を現したフィンチャーが、その殻を破り、孵化するのに必要だったのが、この作品なのかもしれない。 

 

 

2009年6月19日金曜日

スタートレック(2009年)



★★★☆☆
~軽い宇宙~

スタートレックを見るのは初めて。カーク船長とMr.スポックの名前くらいしか知らないので、そういった層の感想として読んで欲しい。

全般にテンポがいいが、何事も軽い。
スケールが大きいといえばいいのか、無頓着といえばいいのか、惑星規模の壊滅もただのワンエピソード。
そこに、情感はない。
登場人物の感情はパキパキときれいに切り替わり、後を引いたり根に持つことがない。皆一様にポジティブで、細かいことを気にもしない。悲しみに捕らわれることもない。
それがバカバカしいかというと、そういうわけではない。
画面クオリティとシーン断ちきりの潔さが、興味を持続させてくれるのだろう。
適度ないい加減さと明るさが、スタートレックというシリーズの特徴なのかもしれない。この感触はどこかで感じたな、と思い起こすと、特攻野郎Aチームであった。

ともかく、あっという間の二時間で、時間がすっ飛ぶ感じを久し振りに味わった。この情報量をこの時間にパッケージする手腕はすばらしい。楽しめる映画であることは疑いなく、娯楽映画として申し分ない。

ただ、感情的な掘り下げは無く、登場人物に感情移入することは難しい。
自分はほとんどスタートレックについての知識はないが、それでも耳の形が異なるスポックの顔は知っていたし、エンタープライズ号の形状も知っている。
この超巨大な知名度の影響を受けない、本当に初見の人の感想はどのようなものになるだろう。興味深い。

思い返してみると、特に何も残っておらず、ストーリーも児童小説のように公明正大すぎて影がない。
この後味こそ、ああ、娯楽映画だ。

サンシャイン2057

サンシャイン2057 [Blu-ray]
★★★★
~恐ろしい宇宙~


最近、宇宙が怖くない。
映画、アニメ、小説……。さまざまなメディアのさまざまな物語が舞台を宇宙にして繰り広げられ、徐々に当たり前の存在になってきた。

「進んだ科学力」の一言で真空、低温、太陽光といった宇宙空間が、ただの物語舞台として固定される。そこには、宇宙が本来持つ底抜けの恐怖、虚無の深淵が無い。

今作は、忘れかけていた宇宙空間の恐ろしさを思い出させてくれる佳作である。

低下した太陽の活動。寒冷化する地球。太陽を再起動させるために、地球のすべてをつぎ込んで作られた限界数の核爆弾。
それを満載して太陽に向かう宇宙船が物語の舞台だ。

地味と言えば、地味である。
別の宇宙に行くわけでもなく、レーザー光線も、ワープもない。
だが、そこで描かれる太陽の恐ろしい事よ。
活動が弱まっているとはいえ、至近の光球は圧倒的なエネルギーで、人類の英知はあまりにもちっぽけで。
鏡面の装甲を傘のように広げて、その陰に隠れて太陽を目指すクルー達。
わずかな事故が数枚の鏡面をずらしてしまうだけで、致命傷なのだ。
数々のトラブルの中、圧倒的な太陽に、宇宙に、精神が飲み込まれていく……。

科学に基づいているのと言えば、怪しい点は多い。宇宙船内に重力が生じているのも、映像化の際の都合だろう。
しかし、ともかく描かれる太陽の恐ろしさに体が焦げそうになる。地上で見上げた太陽でさえ、直視できない存在であることを知っているから、条件反射のように身悶えしそうになるのだ。

それは太陽に飛んだイカロス、神に近づこうとする科学文明の寓話であろう。己の矮小を目の当たりにした人間精神の変遷が、この作品のもう一つの恐怖だ。
圧倒的な存在の前で、人間は、己を省みることを始める。徐々にあぶり出されていくクルー達の深層心理……。

こう書くと何か小難しい印象かもしれないが、むしろこのような意味合いを感じにくいように作られている。直球過ぎないようにうまく重層的に構成して、エンターテイメントのわかりやすさを失わずにまとめている。まとまりすぎて、よくある凡作に数えられても仕方がないほどだ。

例えば、太陽に向かう宇宙船には同型の先行者がいた。初号が謎の失踪を遂げ、再結成された最後の希望が主人公達の乗る船である。
主人公達の精神が、太陽に近づくにつれて変化していく。その変化の予兆を描いておいて、行き着く先としては初号とのコンタクトをえがくのだ。

監督はトレインスポッティング、スラムドッグ$ミリオネアで名を馳せるダニーボイル。今作は低迷期の一本と数えられるが、独特のスピード感とラストの不思議な甘やかさは今作も健在。

自分はダニーボイル監督映画のラストが好きで、どの作品のラストも心に残っている。
どんなに絶望的な状況でも、そばにある小さな希望をつみ取って、掲げるようなエンディングなのだ。
反対に諸手を上げるハッピーエンドも無い。ほろ苦い思い出、といった感触だろう。

あまり過度に期待すると拍子抜けになってしまうと思うが、埋もれてしまうのも惜しい今作。レンタルビデオ屋でふと思い出して、見て欲しい作品。

2009年6月11日木曜日

トランスフォーマー

 

★★★★★

~映像の力ですべてを駆逐~
CMやコピーは「地球はすでに侵略されていた」みたいな感じで、宇宙人の侵略系映画として売ろうとしているが、それは間違い。
正しいコピーは、
「変形(トランスフォーム)かっちょいい!」
もうこれがすべてで、これだけで星五つ。
話はばかばかしく、つじつまも合っていません。人情もばらばらで、どうにもまとまりません。不必要だと思える人物、シーン満載で、適切なカットで30分は短くできます。

このようなダメ要素満載にもかかわらず、それらすべてを覆す力業を披露しているのが、変形シーン、並びにロボットアクションシーンの強烈なインパクトと魅力。
思えば、物体を輪郭ではなく立体でとらえるのが西欧文明だと言われますが、確かにこれまでの洋画に出てくるロボットは基本的に骨格標本のようなタイプばかりです。もしくは油圧パイプが重機をイメージさせる、兵器系。
・ショートサーキット
・ターミネーター
・エイリアン2
・マトリクスレボリューション
この辺りのロボットを想像すれば分かりやすいでしょう。
ひるがえって、日本のロボットといえば、外見のデザインありき。外骨格です。
この違いは、西欧では写実が発展し、日本ではデフォルメした芸術が進展したことと同義です。
ところがトランスフォーマーは元は日本初の玩具とともに生み出されたアニメ。そのデザインを尊重する限り、バリバリのハリウッドなのに「外骨格」の雰囲気をとどめているのです。
もとより、商業主義、ご都合主義によりすぎだと言われるハリウッドですが、最強国家米国の心の拠り所たる文化産業。プロフェッショナルな仕事ぶりは追随を許しません。最先端の技術と最高の人材が作り上げた、日本デザインのロボット映画!
これは今のところ、唯一無二でしょう。
(ガンダムが米国で実写映画化されていましたが、あれはあちらのインディーズみたいなものだと思っています。)

従って、そのコンボイ司令(米国では違う名前になっていますが)の勇姿たるや、心震えずにはいられない、まさにイデアの実写化。
おそらくもうしばらくすれば、この驚異の映像でさえ、相対化され、通常のクオリティとして埋没していくでしょう。だからこそ、陳腐化しない今のうちにみておく一本だと思います。

……ところで、コンボイはフォルムこそ外骨格ですが、その内側には例によって筋骨組み込まれた米国テイストです。それ以外のトランスフォーマー達は、そもそもどちらかと言えば内骨格に近く、米国の趣味嗜好が変わったというわけではないようです。

銀河鉄道999

銀河鉄道999 [Blu-ray]

 ★★★★★ 
~奇跡のラストシーン~

もう何度も見ており、すでに感想も書いている。
以下は2002年の感想文。
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松本零士原作のSFロマンを二時間に凝縮。
詰め込みすぎず、足りなすぎず、適度な分量が良い。

謎の美女メーテル。一途な少女クレア。
銀河を結ぶ蒸気機関車。
天に昇って途切れる軌道。

ロマンあふれる断片が数多く心を掴む。
ラストシーン。
別れの時間を告げる時計越しに二人の姿。
同じシーンを何度も重ねる手法が、気持ちと合致する。
そしてゴダイゴのテーマ曲がかぶって。
あまりに綺麗にまとまっているため、この後出た続編が
蛇足的な扱われ方をするほど。
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今回は五年ぶり。PS3のアップコンバートで、HDテレビにて鑑賞。
DVDの限界で暗部の階調に難があったり、何より劇場では4:3だったのを、無理矢理上下を切って16:9にしてあるため、いくつか不自然なシーンが目につく。
次世代ディスクでの、4:3登場を切望。

改めて見てみても、この大冒険の起承転結を、なんとうまく一本の映画にまとめてあるものかと感心せずにはいられない。
取るべき所では間を十分に取り、はしょるべき所は一気にとばす。
原作やTVアニメとは違い、どうしてもエピソードが少なくなるため、旅路の重みを多少軽く感じてしまったり、世界の厚みが微妙に感じられたりといった点もあるが、二時間の制限の中でここまでまとめ上げたことに脱帽。

しかし、ともかく。
この映画のラストシーンは、良すぎる。
何度見ても輝きを失わず、すばらしい。
ただただ感動な訳だが、今回は繰り返し分析的に見てみた。

このラストシーンがすばらしいのは、鉄郎とメーテルの、それぞれの心の動きが見事に表現されているからだろう。
表情だけでなく、行動だけでなく、レイアウトや音楽やシーンのつながり、そのすべてで、二人の別れを表現している。
ホームで二人が語り合うシーンからスタッフロールのバックまで、一つ残らずすべてのカットが、完璧に関連して構成されている。
これは、数多くの名画の中でもまれな、奇跡的なラストシーンなのではないだろうか。

鉄郎の心細い語り。
揺るがない、メーテルの表情、その決意。
こくりとただうなずく、決定的な拒絶。
その凛としたイメージ。
母としてでなく、弁解でもなく、愛を込めた口づけ。
その二人をぽつんと写し、画面のほとんどを埋めて鳴り響く発車のベル。
走り出す列車。
ホームの端まで見送り、一度止まる鉄郎。
しかしもう一度、出来る限りの行動で気持ちを示し、メーテルと別れるために、鉄郎は線路ぎわを走る。
客車に入ったメーテルは鉄郎に気づき、窓を開けた。
メーテルの長い髪が踊り、二人は視線を交わす。
この時点で、お互いが求め合っていても、二人の別れは揺るがない。
二人とも、別れは必然と受けとめながら、それでも精一杯の思いを交わしている。
決定的なのは、メーテルが髪をかき上げるカットが、鉄郎の懸命の疾駆を挟んで三度繰り返される部分。
全く同じカットが、三回。
メーテルが、窓から身を乗り出し、髪をかく。
この瞬間、メーテルは固着された。もう犯されぬ、青春の記念碑となったのだと感じた。
そう。思い出の中では、イメージはぶれのない繰り返しなのだ。新たな情報の追加がない状態で、人は愛しい人の記憶を、繰り返す同じシーンとして思い起こす。
飛び去る999を見送る鉄郎。
涙に合わせて、ゴダイゴの名曲が開始される。
スタッフロールの中、鉄郎はとぼとぼとレールを歩き戻る。
その背中は物淋しく、あまりに切ない。
一枚の紙(スローで確かめてみたらハーロックの手配書でした)が舞い飛び、それを追って鉄郎が、振り返る。
そして、そのままじっとこちらを見つめている。
もちろん、紙切れに導かれた視線がそのまま見やっているのは、もう姿のない999であり、それが連れ去ったメーテルである。
じっと、動かない。
その間、鉄郎はなにを思うのだろう。
もう999も、メーテルも居ないことを確かめているのか。
それに連なる、これまでの旅を、一度に振り返っているのか。
最後に、鉄郎ははじかれたようにまた向こうを向き、一心に走り出す。
メーテルを追ったのと同じ情熱に見える足取り。
とぼとぼ歩き、振り返った後だからこそ、その姿は、逃げるのではなく前に進む決意なのだと感じられる――。

やはり、どうにもすばらしいラストシーンだと思う。
昔、なぜメーテルはまた旅立つのか、分からなかった。姿が変わっても、なぜ戻って来る約束をしないのか。
その不思議は、今回の鑑賞で、自分なりには解けた。
メーテルが、なぜ自分で惑星メーテルの中心に起爆装置を投げ入れることが出来なかったのか。その理由と一緒に考えることで、とても素直に理解することが出来た。

メーテルにとって、鉄郎は一人ではなかったのだ。
数多くの鉄郎と出会い、旅し、彼らの人生を操ってきた。
だから、去ったのだ。
メーテルの凛とした態度は、紛れもなく、永遠のヒロインにふさわしい輝きで。
僕は、アニメを見る人種に生まれたことを、深く感謝します。

硫黄島からの手紙



~邦画っぽい洋画~
★☆☆☆☆

「父親達の星条旗」と対になる、二次大戦硫黄島の激戦を日本軍視点で描いた映画。

あまり出来が良くない。

同じスタッフで作ったはずの「父親達の星条旗」と比べても、明らかに出来が良くない。
父親達の星条旗の映画資産の残り物で組み立てました、という程度の映画。

渡辺謙、中村獅童といった配役はぴたりとはまって居るのだが、主役の一人である元パン屋の一兵卒がどうにも厳しい。
演技が下手といったこともなく、そつなく演じているが、役柄が風貌とあまりにかけ離れている。
世を斜めから見ながらも、仲間を大切にする男気ある無頼漢なのだが、重みのない若輩者、北の国からの「純」のイメージに重なる顔つき、演技であるため、ただの粋がったヤンキー兄ちゃんに見えてしまっている。
従って、彼が展開する物語の主題、生きることと死ぬことの意味、戦う意義、といったヘビーな要素が、空回りしきり。
特に痛いのが、回想シーンでヒゲ生やして和服着た立ち居振る舞い。もうアイドルドラマかコントの風情で失笑。
おそらく、アメリカ人の視点でキャスティングしたために起こったずれなのだろう。
東洋人の年齢は分からん、とよく言われるみたいですし。

地下壕のセットが安っぽかったり、表情ポン寄りで回想シーンなど、ちょっと待ってくれという、良くいえば基本的、悪く言えばステレオタイプなカットつなぎ。何か、やる気のなささえ感じてしまうほど。
悪い意味で、邦画っぽい。ださいのだ。
ひょっとして、こちらの作品のスタッフのほとんどが日本人だったのだろうか?
監督だけクリント・イーストウッドで。
※スタッフロールではそんなこと無いようなのですが。
台詞ボリュームが小さすぎて聞き取れない点も、非常に気になる。

物語の展開は行き当たりばったりで、ただの説明要素の羅列。
これは、「父親達の星条旗」と同等の存在として作られたのではなく、父親達の星条旗をよりよく楽しむための副読本的な存在なのだろう。日本人ならどこかで聞きかじったような戦時中の日本の様子を、アメリカ人に説明するための、おまけ。
否定したいが、日本人の感情に配慮し、また、日本での興行収益を上げるための壮大な広告戦略だったのかもしれない。

というわけで、二本一組の映画のように言われるが、ほぼ抱き合わせ販売だ。

父親達の星条旗



★★★☆☆
~現実的な戦争映画~

第二次世界大戦で激戦が繰り広げられた硫黄島。
クリント・イーストウッド監督が日米それぞれの視点から描いた映画のアメリカ視点バージョン。
といっても、まるっきり同じ事象を別視点で描いているだけの、マルチカメラ的な作品ではない。
父親達の星条旗は、硫黄島攻略の象徴として立てられた星条旗の写真を軸に、英雄とは何か、何のために戦うのか、と問いかける。

ともかく時系列が複雑に入り組み、構成が分かりにくい。
現在と過去を織り交ぜることで過去と現在のつながりを描こうとしているのは分かるが、つながりが唐突すぎて理解しがたい。難しいのでなく、分かりにくい。
したがって二度三度と見れば問題ないのだろうが、二度三度見たいとは思わない。

これがどの程度史実に基づいているのか不明だが、アメリカも大変だったのかもしれないな、という印象が新鮮だった。
第二次大戦のアメリカは、たいした犠牲を出すこともなく、物量作戦で楽々勝利したというふうに思っていたが、考えてみれば、そんなはずもない。
多くの激戦で、アメリカ側も大きな犠牲を払い、国内も火の車だったと、その点をこの映画に教えられた。

実際、この映画はアメリカの戦争映画にあるまじく、米軍大活躍のシーンがない。
描かれる戦闘シーンは、米軍不利の状態の物ばかりだ。

総体的には米軍が有利になっていったのは事実だが、その各所では、やはり倒れた者が居たのだし、銃撃の恐怖は有利な戦局でも、不利な戦局でも、変わらず強烈なものであるに違いない。

しかし、全般に冗長で、もっと短くまとめた方が理解しやすくなって良かったと思う。
深い計算なしに即興的にくみ上げられたような全編の構成が、あまりプラスに働いていないと感じる。

2009年6月10日水曜日

ターミネーター4

 ターミネーター4 スペシャル・エディション [Blu-ray] 

★★★☆☆
~大味そして尻すぼみ~

 人間と機械の最終戦争。その勝敗を覆すためにタイムマシンで戦士を過去に送り込む。これが全三作の基本ラインだ。
 今作はこれまで断片のみが描かれた未来の戦争自体を舞台としており、新シリーズといってもいい。事実これを皮切りに三部作が作成されるのだという。

 しかしその基盤となる一作目、このターミネーター4がしっかり出来ているかというと幾分心許ない。そもそもタイムマシンものの常、タイムパラドックスが蜘蛛の糸のようにからみつき、こんがらがらざるを得ない。
 実際ターミネーター3は多くの矛盾が指摘され、正史からはずされているとか。同様にターミネーター2の後を描いたテレビドラマ版ターミネーターも、内外に矛盾をはらみ、結局、直接のつながりはないパラレルワールドのお話ということらしい。いろいろ膨らみすぎて収集つかないのも、アーサー王伝説、三国志のような英雄談がたどる道なのだろうか。

 作品自体は、派手で見せ場の多い、考えずとも楽しめるものだ。
 基本的に細かいことは気にせずぶっ飛ばしちまえ、という単純傾向の作品なのでそういう風に楽しめれば良いのだが、前作までの設定が話を複雑にするのでそうも行かない。なかなか苦しいジレンマである。
 また、序盤の異様な盛り上がり、スケールの大きさからどんどん尻すぼみになっていくのが残念。最初のヘリコプターが爆風に翻弄されるシーンなどは、長尺のワンカットでそれを描き、このCG全盛の現在において、どんな風に撮ったのだろうと考えさせてくれる。

 巨大機械の破壊力。
 バイク型兵器の機動力。
 前作をリスペクトしたシチュエーション。

 見栄えのするシーンも数多く、大作感も十分だが、印象としては標準的な評価となってしまうのが残念だ。 

<追記>
 この4を起点とした三部作は、今作の興業が振るわなかったため取りやめになってしまっ……。

 

◆シリーズ第1作『ターミネーター』 の自分の感想はこちら。

 
★★★☆☆
~演出の教科書~

◆シリーズ2作目『ターミネーター2』 の自分の感想はこちら。

ターミネーター2 4Kレストア版 [Blu-ray]
★★★★
~SFアクションの金字塔~

◆シリーズ5作目『ターミネーター:新起動 ジェニシス』 の自分の感想はこちら。 

 ターミネーター:新起動/ジェニシス ブルーレイ+DVDセット(2枚組) [Blu-ray]
★★★☆☆
~極悪な予告編~

 ◆シリーズ6作目『ターミネーター:ニュー・フェイト』 の自分の感想はこちら。

ターミネーター:ニュー・フェイト [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
★★☆☆☆
~女子会もしくは同窓会~

 

レイン・フォール~雨の牙~

レイン・フォール/雨の牙 [Blu-ray]

★★☆☆☆
~誰が見るのか?~

時々、なぜこの映画が作られたんだろう、という作品がある。
原作が有名なわけでもなく、何か時流を狙ったでもなく、そっと公開されて話題にもならずに過去作へと追いやられていく。

インディーズのような立ち位置の作品ならそれも分かるが、大手配給会社からもそういった作品がポッと配給されることがある。
今作がまさにそれで、配給会社はSPE(ソニーピクチャー)である。

自分は主演の椎名桔平が見たいためだけに映画館に足を運んだが、深夜の回であるにしても、案の定観客は自分ともう一人のみ。
自分も他の映画の開始前予告で知った位なので、存在自体が知られていない作品だろう。

内容も、実に安っぽかった。
見るからに安上がりな撮り方ばかりで、予算の制限が厳しいのだろうとひしひし感じる。ラストのシークエンスでさえ主役二人が別撮りなのが丸分かりなのがつらい。
テレビの二時間ドラマの雰囲気、というのがわかりやすいが、例えば「踊る大捜査線」の映画が予算の増えたテレビドラマだとすれば、今作の予算規模は下手をすれば通常の二時間ドラマよりも少ないのではないかという印象である。(まあさすがにそんなことはないのだろうが……。)

かといって見る価値のない、存在を忌避する作品かといえば、そんなことはない。
椎名桔平に対するひいきを差し引いても、自分は学ぶところ大きかった。
少ない予算で、映画としての雰囲気を出す創意工夫を感じたからだ。

ともかく画面の部分ぼかしが多用されている。

画面手前の事物を大きくピンぼけにして、ピントの合わせた奥の被写体をとる、というのはよく行われる画面づくりだ。立体感が強調され、なおかつ主体を引き立てる事が出来る。ぼけた部分がソフトフォーカスの要素ともなり、全体にふんわりした情感も生まれる。
この映画では、普通に取った画面の一部を後からピンぼけにするような手法で、同様の効果を遠近に関係なく発生させていた。
※上記はおそらく、でひょっとすると撮影時のレンズフィルターにそういった加工を施していたのかもしれない。

きちんと絵づくりしようと持ちこたえている人が、画面の向こうにいる。
どんな映画でも多くの人が関わり、情熱を持って関わる人は当然いるはずだ。
この映画は、シンプルな凡作であるが故に、その当たり前のことを如実に感じさせてくれる作品だった。

画面ぼかしによる画面作りは今後の参考になるし、椎名桔平はやはりいかす。
僕には後悔のない見て良かった映画で、自分のような人間が見る映画なのかと思い至るが、それでは売れないのも自明。

2009年6月4日木曜日

レッドクリフ パート2~未来への最終決戦~

★★☆☆☆
~ジョン・ウーのお笑い三国志♪~

まず言い訳させてもらえれば、この映画は本来見る予定の物ではなかった。
父がテレビでパート1を見て、続きを見たいと誘ってくれたのである。
見事に術中にはまっている。

大層な副題も、各種CMも、もうそれだけで腹一杯という後編。
希望があるとすれば、前編でため込んだ分後編ではスペクタクルの連続だろうという期待のみだが、まるで裏切られた。

素人目にも「これいらないんじゃないの?」というシーンが前編と同様に出てくる出てくる。
なにより初っぱなから目と耳を疑う失笑シーンである。
何というか、音と映像を完全に無視して、この映画のルールばかり押しつけてくる。
これはこれで昨今まれにみる貴重な種類の驚きなので一応伏せておくが、本当に気持ちの悪い導入だ。狂っておる。

この冒頭ですっころぶ展開も、その後の展開への布石なのかもしれない。
「この映画は、そういう映画なんですよ」
「いちいちつっこむのは野暮な、お笑い映画なんですよ」
そういう宣言ではなかったか?

そう飲み込んでしまえば、この作品はとたんにクオリティの高いバラエティに変質する。
最盛期のダウンタウン、そのシュールなコントに匹敵する破壊力をもった「ジョン・ウーのお笑い三国志」なのである。
何しろ本気なオーラを放射しつつ、世界全体がおかしな事を大まじめで行っているのである。多少引き込まれそうな展開があったとて、そのようなシリアスは数分も続かず台無しにされる。
一瞬後になにが起こるか分からない緊張感は、すごい。

このお笑い三国志の主要人物をその線で解釈すれば以下となろうか。

  • 乗りつっこみの名手 曹操
    相手の下手なボケにつきあってつきあって、最後に全力で憤怒。そのつっこみは中国全土を戦渦に巻き込むほど。
    負け惜しみや逃げ口上から下ネタまで、細かい芸までこなせるオールラウンドプレイヤー。
  • 最強の天然ボケ 周瑜
    決断力のないボンボン天然キャラを周囲の全員でいじりまくるという構図が美しい。
    どんな状況も微笑と演舞でクリアするというお約束を生かし、どんなにいじられても品位を守り抜く。
    大量の団子を頬張って気勢を上げる姿は今作中屈指の名シーン。
  • 口はいっちょ前のトッチャンボウヤ 関羽
    偉丈夫の英雄をまさかの解釈で小柄に。
    どんなに良い台詞を発しても、強がりに聞こえる不思議!

このようなお笑い英雄を軸に、名も知れぬ端役がとばすギャグの連発。
劉備、孔明、張飛などは意外なほど地味に目立たないが、舞台の下支えとして映画の崩壊を支える。

見終わって思うのは、これは三国志じゃなくても良かった、もしくはそうではない方が認められる作品だったのではないかという事。
この題材はジョン・ウー監督の悲願だったという事なので、当人は満足なのだろうか。おそらく彼が惚れ込んでいたのは、三国志ではなく、赤壁の戦いだったのではないか。そう思えるほど、「三国志」に無頓着な赤壁だった。

それにしても前編後編に分けた意味不明よ。
海外では分けることなく公開したとのこと。おそらく不要なシーンを削りに削って、短くまとめたのだろう。
監督としては不本意だったのかもしれないが、客観的に見てそれが正解だったと思う。監督の固定ファン以外、かったるいスローモーションと古くさい演出を見たい奇特な人はそうはいない。
前後編を適切に合わせることが出来ていたなら、見所満載の大作映画として、お笑い三国志などという非難を跳ね返すだけの密度を備えることが出来ただろうに。

一つの映画となるはずの物を、水増しして二つに分けたその詐欺的な行為。
評価も半分に扱うのが適切な対応というものだ。

レッドクリフ パート1

★★☆☆☆
~狼の皮をかぶった羊~

男の生き様を真ん中に据えた、暑苦しい映画に定評のあるジョン・ウーが満を持して放つ三国志!

こう聞くだけでわくわくするファンは多いだろうし、実際冒頭の合戦シーンでは名作ではないかという予感を感じさせてくれたが、すべてはそこまで。結局、CMや予告編から受けるイメージに比して貧弱な映画として終わった。

大スクリーンで見たいと思い映画館に足を運んだが、その時点でようやく二部構成の前半なのだと知った。
肝心の赤壁は含まれないのである。
意図的にこの情報を隠蔽していたのは明らかで、自分の見た予告編にパート1といった表記はなかった。直前の予告編から差し込み始めた印象だ。

まあ確かに二部構成と知っていれば足が重くなったのも確かであろうし、プロモーションとしては正解なのだろうが、どうも腑に落ちない。が、エーベックスが関わっているからなのだろうと考えると、不思議に納得できた。
「長い物語だから、ボリュームとして致し方ないのだろう」と最大限の好意的解釈で挑むも、差し出した手は無碍に叩かれる。

無駄としか思えないシーン、完成度の低いシーンのオンパレード。

虎狩りは、人物と別撮りの違和感を隠そうともしない、安っぽいイメージシーン。
孔明が馬の産婆するシーンでどんな感想をもてというのか。
教練のエキストラはやる気なく、役者とのテンションの違いがこれでもかと際だつ。

演出の古くささも強烈だ。
手法が古くても、感性が古びていなければ良いのだが、今作は……。

矢を放つシーンで、飛ぶ矢をアップで捉えて背景が流れる画面など、昨今どこを探しても見つからない手法を平気で使う。

スローモーションも余りに多用されすぎで、また来たかと面倒に感じるほど。
だらだらした映像を、悠長なオーバーラップでつなげているだけといった印象で、ただただテンポを崩す効果に堕している。

亀のアップから戦場シーンへつなげる部分など、意味合い的なカメラつなぎだと分かっても、間抜けさに失笑せざるを得ない。

このように不満は多くあるが、映画としてはありだと思う。
監督はじめスタッフが本気で作っている、その気持ちは伝わってくるし、バカバカしくも懸命さを感じるのだ。
おじいちゃんが、旧仮名遣いの講談調で、漫画を書きました、というのが近い。
その時代錯誤や頑固に辟易もするが、どこか愛しさもこみ上げてくる。

だが、自分はこの映画が嫌いだ。
本来好きな人が見ればいいだけの、マニアックな映画なのに、このように風呂敷を広げて広報宣伝し、その結果非常に多くの人が映画館に足を運んでしまった。
青色吐息の業界には救いの糸だったかもしれないが、根本的には映画産業を傷つけていると考えるからだ。
今作の成功をたどって、また同じような作品が、同じような手法で再生産されるのが、怖い。

その意味で、後編を見に行くことは無いだろう。