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2020年1月21日火曜日

氷の微笑

氷の微笑 [Blu-ray]

評価不能
~そのシーンを削るか!!~
 
 1992年の米映画。「ロボコップ」「スターシップトルーパー」でおなじみポール・バーホーベン監督の劣情サスペンス。
 午後のロードショーで見たが、体感出来る範囲でカットによる欠落が多いので評価できないとした。

 
 ナイトクラブ経営者が自宅ベッドで殺害。情事のあとの殺人のようで、真っ先にその恋人だったキャサリン(シャロン・ストーン)に容疑がかかる。
 担当となった刑事ニック(マイケル・ダグラス)は相棒と共に捜査を開始するが、キャサリンの奔放な言動とその美貌にベテランならではの判断力も影響を受けていく――。

 魅力的な悪女に巻き込まれて自分のスタイルさえの見込まれていく恐怖と快感。
 その必然性に圧倒的な説得力を与えたのがシャロン・ストーンの画面からほとばしるエロさ。
 特に有名なのは尋問にかけられ、男たちの前で質問を受けるキャサリンがゆっくりと、見せつけるように足を組み替えるシーン。男どもは鼻薬ならぬピンクのカーテンを目前に貼られてどぎまぎ状態。
 さすがの午後ローはなんとこのシーンをトリミング! 足を組み替える膝辺りしか見えずに全然エロくない。R-15指定なので該当部分が処理されたのだと思われるが、それならこの映画を放送しなければ良いのにと思わずにいられない。
 
 それを差し引いてもこの映画自体、時流の先端に乗った勢いで見るべきものなので、今見るとキャサリンの時代に合わせた風俗的な魅力は薄まっている。その目隠しが効いていない分、設定や展開のぞんざいさが目についてしまい、バーホーベン監督の野暮ったい演出も気になる。
 昔見た当時は誰が犯人なのか考えたりしたが、今見ると適当な演出の結果良い感じで眩惑が生じていたのだなと感じる。
 これは要素のバランス、その駆け引きによって成立した均衡ではなく、どちらかの推論はもう一方の推論を完全に否定できない情報しか出ていないことと、最後に後先考えないイメージシーンが挿入されているから生まれた眩惑だということ。
 このポール・バーホーベン監督、作品の最後に監督なりの見解(どんでん返し)を入れるのが大好きなのだが、脈絡がないのでどうも一般に理解されがたいという特性を持っている。
 「スターシップトルーパー」では、映画全体が戦意昂揚のためのプロパガンダだったという事になっている。
 「トータル・リコール」では、最後のホワイトアウトが夢からの目覚めを示唆し、冒険すべてが夢だったことになっている。
 本作ではそれがベッド下のピックで、ならばこのあとどうするねん、という当然の疑問は無視した雰囲気シーンだと言える。
 
 ついでに書き上げると、午後ローはともかくシーンカットの量と大胆さがすごい。
 この映画でいうと通常版で123分。このうちスタッフロールが5分とみても118分。2時間のうち7回CMがあるとして、1回に2分とすると正味の放送時間は106分。12分はカットされている計算になる。10%程度。少なく見積もってもこれだ。
 このような放送で★をつけられるのは実に製作者としては不本意だろうと思うが、見る人にとってはそこまで意識は回らず判断するだろう。
 地上波の無料放送で見る映画など、基本無料ゲームの無課金プレイヤーと同じで、本来の楽しみの枠外にあるということなのだろうか。
 
 自分は誰かのチョイスによってかってに放送される映画を見るのが好きだ。
 能動的な選択は自分の趣味に偏ってしまう、それをある程度紛らわしてくれるのがテレビ放送だと捉えている。
 かつてテレビで見てきた放送も、カットされて当たり前の状態だったと思うが、ビデオなりでノーカットを見てシーンが増えていた事に喜ぶことの方が多かったと思う。作品の成り立ちに関わるようなシーンのカットは行わず、意味を通しつつ時間は削るという職人芸が行われていたのだろうか。
 
 今、こういった放送は誰が、どのような覚悟でカッティングしているのか、その辺りの事情をぜひ聞いてみたい物である。
 

2019年10月7日月曜日

バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生

バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 アルティメット・エディション ブルーレイセット(初回仕様/2枚組) [Blu-ray]

評価不能
〜金曜ロードショーではもう駄目だ〜

2016年、ザック・スナイダー監督。
映画館やDISCメディアで見る機会がなかったが、馴染み深いキャラクターの共演なのでどんなものだろうと気にはなっていた。
地上波初放送ということで見てみたが、説明不足な箇所が多いため状況やキャラクターの心情が難解な状態になっていた。

流石に本当にこれを公開したのか疑問に思い調べてみると、公開版が152分。
これでも説明不足だったということで、カットした部分を復活させて全体の編集も整えた「アルティメットエディション」が183分でソフト化されている。

対して金ローは宣伝含めて2時間強。実質100〜110分といったところか。
放送されないスタッフロールを10分としてみても、30~40分は公開版から短くなっており、これはどう考えても無理がある。

天才的な編集者なら異なる価値をその削減の中に表現できるのかもしれないが、見たところそうでは無い。そもそも、公開時は監督含む映画製作者が身を削るように編集して出来上がったものを、素性の知れない何者かが時間合わせのためにカッティングするのが異常といえば異常なわけで、このようなダイジェスト版を視聴してその作品を「見た」ことにするのは冒涜的行為だ。

地上波放送は、キャッチーなチョイスと視聴しやすさ、そして昔からの慣習(ネットもビデオも手の届かない環境ではテレビ放送の映画が全てだった)として、今も変わらず最も敷居の低い映画枠であると思う。少なくとも自分は今もそうであり、親近感が強い。
だが、そうも言っていられない有り様だ。

・勝手な時間削減
放送時間に合わせるための削除。
スポンサー表示の裏で本編を流して時間削減といった手法も

・勝手な画調変換
明滅の激しい部分を中心とする効果の設定。
激しい明滅は転換発作の呼び水となるため、一定の規則に従って修正している模様。
明暗の急激な変化を抑えるために画面全体のコントラストを低下。ブラーをかけて画面を時間的にぼかす。
この方法は時間圧縮の方式と親和性が悪く、テレビ放送程度のビットレートだとマッハバンドが多発。
ましてや録画視聴などだとさらにビットレートが低くなるため、画質が大幅に低下する。

・ネタバレキャプション
CM前後、スポンサー表示時などの画面に入る説明分。
場合によってはオチの示唆などトンでもレベルの情報を開示する。

今作は時間削減はもとより、戦闘部分の画調変化による劣化が著しかった
基本的にぼかす方向の調整が入るため、何が映っているのか分かりにくくなり、強い衝撃を表す演出が妙にマイルドになって物足りなくなっている。

あれこれとテレビ放送ならではの改悪が非常に多く、この状態の視聴で「見た」とは言いたくないため評価は不能にしておく。
今後アルティメットエディションを見る機会があれば、その後に再度感想を書こうと思う。

ただ、現時点では頭の硬いおっさん達が陰気な話を繰り広げるだけで気の重い作品だと感じている。
終盤に出てくる華やかなあのキャラクターに一気に全てを持って行かれているが、それも仕方がない。

さて、テレビで映画を見る場合、深夜やBSなど頭から最後まできちんと放送する映画枠を選ぶべきだろう。
そういった枠は地味な映画が多い気がするが、往年の評価が定まった名作も良くかかるので、効率が良い。
ともかく「本編ノーカット」をうたっていない放送を視聴する際には特に気をつける必要がある。

 

 

2010年5月12日水曜日

シャッターアイランド


測定不能
~配給会社が作品を壊滅させている~

ディカプリオ主演のサイコスリラー。
精神病の重犯罪者のみが収容された孤島の隔離施設で起こった事件を追う捜査官。
目から鱗。精神を病んだ者の中で聞き込みを行うということは、現実をどんどんぼかしていくということなのだ。健常者が多数の中でこそ精神病患者は異常となりきちんと区別されるが、その比率が逆転したとき健常者こそが異常となる。
何が正しく、何が間違っているのか、という単純な対立ではない。各人が心の中に持っているそれぞれの「正しい認識」「正しい判断」「正しい世界」同士がせめぎ合う混沌。「正義」の反対語は「悪」ではなく「別の正義」だという言葉を思い出す。

作品自体は丁寧に作られており、だいたいの流れを追う分にはさほど難解ではない。小さなギミック、大きなギミックを組み合わせた仕掛けもクオリティが高い。のだろう。
だろうとしか言えないのは、今作を楽しむことを配給会社に台無しにされてしまったからだ。
これまでもいくつかの映画で見かけた手法が今作でも取り入れられている。
「オチを誰にも話すな」
と冒頭に明示するやり方だ。
今作で問題なのは、これがどうも配給会社の宣伝行為、謎解きキャンペーンを告知するために差し込まれたもので、本来の作品原型には含まれていないのではないかと思われることだ。しかもそのレベルがひどい。謎を解くヒントにまで言及してしまっているのである。

♪これこれこういうところがヒントだからしっかりみてね♪

もう、はっきり殺意を覚えた。
「オチを話すな」というだけで、「すごいどんでん返しがあるよ」というネタバレ
だということに、宣伝担当者は気づいているのだろうか。その上にヒントを出されて、自分は冒頭5分で大仕掛けを理解してしまった。
自分がすごいよ、ということではない。
この映画は、そのように作られているのだ。
きちんとつじつまを合わせて作られている。だから、冒頭の細部にも謎の仕組みが演出されている。ただみていたなら、違和感を覚えつつ、可能性をいろいろ考えるだけで済んだだろう。
だが、配給の馬鹿野郎がヒントを冒頭に示したために、違和感は明快な推測となって固まり、残り時間はやっぱりそうか、とそれを確かめるためだけのむなしい時間になってしまった。

売らなければならないのは、分かるよ。
でも、そのために作品をおとしめてどうするのか。
多くの人間が莫大な時間とお金をかけてつくった価値ある作品を、こんな有様にして公開した責任は重い。

その配給会社、パラマウント ピクチャーズ ジャパン。

自分は初めて配給会社を明確に意識し、ここに呪うよ。
同時期に公開された「第九地区」は本編への興味を持たせつつ、コアな内容には一切ふれない見事に自己規律された宣伝だった。今作の宣伝担当者は、爪の垢を飲むべきだ。
パラマウント ピクチャーズ ジャパンは、クズだ。少なくとも、今作の謎解きキャンペーンを企画した者。それを通した者は、業界の末端にいるのもふさわしくない、ただの仕事の出来ないサラリーマンだ。と思う。そう勝手に思って毒を吐き、おとしめられた今作を追悼する。
もはや正当な評価は出来ないので、測定不能とさせていただく。

この作品を見たい人は、映画館ではみるな。
セルビデオにはキャンペーンが無いだろうから冒頭のネタバレは避けれると思う。それを待つべきだ。
どうしてもという場合は、冒頭文章は目を閉じて読まないように注意して欲しい。

2009年8月11日火曜日

妖怪大戦争

測定不能(これは吉本新喜劇)
~北極点到達~

寒いギャグ、寒いシナリオ、寒い映像の三つのCoolそろい踏み。
これを気にせず公開する様は、まさにCoolなBusinessStyle。割り切り良すぎて反吐が出る。

ハリウッドに比べ、残念ながら日本映画のCG要素はつたない。
かつて威容を誇った特撮技術も、技術の世代間伝授に失敗したため、すでに滅んだ。
妖怪が大暴れするという性質上、どうしてもCG、特撮が不可欠な今作。予算も低そうだし、映像クオリティに文句をつけても大人げない。むしろ、この程度のクオリティにはすでに慣れているので、悲しいかな特別に腹が立つわけではない。

見ていて厳しいのは、頭にくるのは、吉本の芸人総出演の安っぽさ。
TV番組のコントなら失笑で済ませることのできるシーケンスを最初から最後まで並び立てる。
これが新喜劇ならば、客は皆大前提として笑いに来ているのだから、相当空気が悪くない限り笑ってくれるだろう。

この映画はそれと知らずに入ったお笑い会場だ。
世界に入れない限り、常に忍耐をしいられる一種の修行に取り組むことになる。

たとえば……、
興味もないのに、女性に誘われてほいほいついて行ったアイドル映画とか、
演劇を見慣れてないのに突然見たライオンキングとか、
ちょっと企画説明して、と行ってみたら重役そろいぶみのマジ企画会議だったとか。

そんなの聞いてないよ~という絶叫が響くばかり。
その絶叫はある意味悲壮で、恐怖で、ああ、この映画自体が妖怪だったよ、と思えば納得できる。

ともかくこれは吉本新喜劇であって、映画の範疇で判断するのは難しい。測定不能とさせてください。

2009年8月5日水曜日

ハッピーフィート

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 測定不能(見ていて気持ちが悪くなった)
~素直に気持ち悪い~


今やハリウッドの一翼、CGアニメーション映画。
歌で愛を語る皇帝ペンギン。それなのに歌が歌えない主人公は、タップダンスだけが得意だった……。

……と聞いてもピンと来ない事と思う。そしてその気分は終劇まで続く。
何が致命的なのだろうと考えると、売りであるべきCGアニメーションが厳しいのだと言わざるをえない。
今やCG技術は成熟し、どのようなイメージでも描き出すことが出来る。その中でアニメーションの場合は得に、どの程度デフォルメし、擬人化するのかを決断しなければならない。
この作品は、その着地点を見誤った。

ペンギンの子供のフワフワ柔らかそうな体毛。氷ばかりなのに見飽きることのない様々な表情の世界。歌に合わせて踊る大量のペンギン達……。
それぞれについては素晴らしいCGクオリティだ。それなのに気持ち悪いのは、ペンギンのリアルとデフォルメのバランスが良くないからだろう。

「不気味の谷」という言葉がある。
CGグラフィック技術の進歩に合わせて生まれた言葉で、中途半端なリアリスティックが、見た人に嫌悪感を生むというものである。
つまり、見た目は完全に人間であるのに、動きがぎこちなかったり、瞳に感情や魂がこもっていなかったり……。蝋人形館の人形達が動き出した感じだろうか。
この映画はまさにそれで、不気味の谷の大行進になってしまっている

特に気になるのがキャラクターの動き。半端にペンギンらしすぎるのだ。
ヨチヨチと不器用に歩くペンギンの姿は特徴的でかわいいが、ミュージカルシーンの地味さにつながっている。可動範囲の少ない、ペンギン的な動きのまま、踊っているのだから、どうにも見栄えが悪い。アラジンのジーニー並とは言わないが、もっとアニメーションらしく動かせば良かったのではないだろうか。

ここまで来ると、視覚から来る先入観も手伝って、人物像や物語まで気味悪く感じられてしまう。
主人公は子供心(夢?)を捨てない象徴として、最後まで産毛に覆われたままだ。体格良く、色気づいているのに子供の姿。これはもう薄気味悪い怪物だ。冒険を果たして毛が生え変わり、大人になりましたというなら分かるがエンディングもそのままとはどういう事か
主人公が人間に捕獲され、動物園で壁を向いてぶつぶつしゃべるシーンは、絶望の表現としも病的過ぎるのではないか。(なお、このシーンでは人間が実写映像で扱われており、これまた気持ち悪い。)

結局各種問題は主人公のタップダンスで解決してしまうが、正直うまいのかどうかさえ分からない。足元をセコセコ動かして、外れたようなリズムを演じられても、直感的にすごさは伝わらない。絵としても、これまた地味に過ぎる。
一般常識や、伝統文化になじもうとしない視野の狭い若者が、自分ではすごいと思っているタップダンスを周囲に振り撒きながら、人間との意志疎通を果たして成長もないまま故郷に帰る。思い人は何故か彼を待ち、一族は彼を英雄に祭り上げ、大団円……。
夢落ちで、目覚めたら一族のつまはじきでした、というならまだしも、一貫して気分の悪くなる作品だった。
嫌悪の一念を込めて、測定不能とさせて頂く。

2009年2月4日水曜日

ファイナルファンタジーVII アドベントチルドレン

FINAL FANTASY VII ADVENT CHILDREN COMPLETE [Blu-ray]

測定不能(★評価不可能)
~実は映像が一番ひどい~


 PS黎明期に登場し、ゲーム業界の勢力図を変えたFFⅦ。その後日談をCGムービーという枠で作成した作品。
F FⅦの物語を既知していることが必須であるため、パッケージにあらすじが含められており、懐かしいPSレベルのグラフィックを久しぶりに見ることが出来る。
 その後本編を見ると、暗闇から日差しの下に出た時のよう。あまりのクオリティの違いが眩しく、目眩すら覚える。特に同一カット、同一イメージを現在の技術でレンダリングした映像は、隔世の感を覚えずにはいられない。

 そうして数分見てそのクオリティに慣れてくると、それらが映像として何の意味も持っていないということに気付き始める。
 一枚絵としての、ワンカットとしての映像としては、リアル系のCGとして一つの到達点に達していると思われるが、それは本来手段であって目的ではない。
 カットが組み合わさって、物語や登場人物の感情が描き出されるのが映画という物だが、この作品はその部分をまるで気にも留めていない。
 そもそも、いったいどういう状況なのかを説明するという、最低限の責務さえ放棄しており、画面の中で何が起こっているのかを理解しづらい事この上ない。

 本当に、なぜこのような作品が出来たのだろうか。

 当然だがカメラアングルや、カメラの動き、人物や事物のレイアウトは、物語の中で意味を持っている。たとえばあるキャラクターの顔を撮る場合、上から見下ろして撮る場合と、見上げて撮る場合、正面から撮る場合、横から撮る場合、すべて観客の感じる意味が違う。複雑に絡み合う要素を画面の中で物語にのっとって構築し、連続させていくのが映画である。
 この作品は、潔いほどこの観点が抜け落ちている。
 その場その場で一番格好の良いカメラを置こうという努力は感じる。
 同じようなカメラをさけ、不意をつくような、トリッキーなアングルを探している。また、カメラの動きもあれこれ凝った動きをさせているが、ただ節操がないだけで、「かっこいい雰囲気にしたい」という幼稚な欲求を露骨に感じさせる。
 実はこのようなニュアンスの映像には、非常に親近感を持っている。PS以降のゲーム内映像、黎明期のそれらが、至ってこういった節操ないものだったからだ。
 それまでの2Dの世界から3D空間の演出へと業務の拡大を余儀なくされたゲーム会社。特にその中のグラフィック部門は、与えられた「自由」におぼれて、際限無くカメラを自由に動かした。

 意図のないまま、意味無く、動かしてしまった。

 よかれと思った努力は芯を持たない装飾的な物に過ぎず、何を物語るでもないカメラしか我々にはつけることが出来なかった。
 いまや3Dが当たり前に浸透し、ゲーム会社の各ソフトの映像演出も、随分と意味を持った物になってきている。それが事もあろうにこの作品は、数年前のつたなさを温存し、それをそのまま最高峰の映像に適用してしまったのである。
 つまり、この作品を作った、個々のアーティストの才能を疑う余地はないが、映像をとりまとめ、方針を授けるディレクターが、幼稚な素人だったということだ。
 それを止めることの出来る立場にあった者も、同様に、映画に対してあまりに素人だったのだろう。

 すごい同人作品。

 それがこの作品の本質であり、
 これを最高だと褒め称えるマスメディアは恥を知るべきだし、
 これをシナリオ以外は凄いと言うにわか評論家も同様に恥を知るべきだ。

 これは映画ではない。

 そこに至ることも出来ない、金で出来たがらくただ。
 何よりこれを世に出し、一気に売りさばいたスクウェアエニックスは、非常に優秀な商売人であることと同時に、己の厚顔無恥を証明した。
 そして、一般人の映像に対する無知、鈍感さを浮き彫りにした。

 もはや罪だ。

 このソフトが数十万本売れたというニュースは、
 日本人はろくに映像評価できない豚の集まりだという、
 そういうアドワードを発信しているのだ。

 もはや恥部以外の何物でもない。
 破綻した映像という反面教師として視聴する以外の目的なら、積極的に視聴を避けた方がよい。
 買わないことが、見ないことが、この作品への正当な関わり方だ。

ファイナルファンタジーVIIアドベントチルドレンコンプリート[Blu-ray]