★★★★☆
~最後の「叫び」にあわされた焦点~
1991年の日本映画。青春回想映画、とでも言えば良いか。
「バブルの、バブルによる、バブルのための」と言った雰囲気のあるホイチョイ・プロダクション三部作の最後を飾る一作。「私をスキーに連れてって」「彼女が水着にきがえたら」に続いた作品。1992年はバブルのはじけた年ということでまさに最後の落とし子だが、何かその行く末を予言しているような切なさに満ちた作品になっている。
高校からの友人である四人の男女。大学生になってもその仲は変わらず、サーフィンで賑わう湘南でのミニFM放送に青春を燃やしていた。綿密に積み上げられた全編の構成には感心させられる。
進展しない男女関係に懊悩する中、五人目の男が突然介入。恋心とミニFMに後戻りの出来ない変化を与えていく――。
物語はとある結婚式が開かれている教会から始まり、それに集った級友達が過去を回想する形で展開していく。
まず結婚式のシーンは白黒画面。どう見ても曰くありげな二人の男女が、かたや式の新婦、かたや遅れてきた列席者。ぱっと見て分かるかつての恋の不幸せな結末。ここから不倫関係が始まるといった雰囲気はまるで皆無のカット割りと演出。変に引っ張らずにそのまま列席者同士の車のシーンへ――。
結末が最初に描かれている。しかも寂しい結末。
不幸が分かっているのを前提に描かれる物語はある。
最もなのは『タイタニック』。あの船が沈むことを知らずに見たという人は、何というか事故で映画を見たような人だけだろう。ネタバレというのではなく、来たるべき、約束された悲劇が展開されることを前提としたドラマ。一つの手法だ。
物語はそうして列席した友人同士が車に乗り込み、懐かしい場所に行ってみるという流れで進んでいく。9年前のあの浜辺に向け、二人の車はトンネルを通る。聞こえていたFMラジオがトンネル半ばで途切れ、出口が近づくとまた聞こえてくる。こういった現象は、自分もよく体験したことがある。本当に長大なトンネルは電波のリレー処理が行われて、どの位置だろうがラジオを聞くことが出来る。(おそらく非常時の避難指示などのために法令か何かで規定されている)
トンネルを通り抜けると、白黒の画面に色がつき、二人は9年前の学生の姿に――。
普通白黒で描かれるのは過去のシーンだが、今作では現在が白黒、過去がカラーになっており、もうこれ自体でかなり切ない。予感されるオチの寂しさが際立つという物だ。かといって最後までその雰囲気を全うするのかというとそうでも無い。
映画の最後にはまた現代のシーンに戻り、廃墟同然になった懐かしの場所の前で二人だべるのだが、そこに他の仲間達が集まってくる。ただし、結婚したヒロインだけは現れない。これはなかなかに潔く、立派な姿勢だ。だからこそそれ以外の者達の会話が時を経て優しく、寂しさの薄まったものとなり、懐かしくはあるけれど、皆きちんと今を向かい合っている証明となる。
そして、ヒロインの結婚をきっかけに集まれたことで、皆があの日を相対化し、これからに戻っていく。最後には現在に色がつき、終わるという形。
冒頭以外にもトンネル通過シーンは真にクライマックスといえる場面でも使用されており、このシーンのためにこの映画の全てが組み上げられている。その叫びは僕の心にも強く残っており、他の全てを忘れてもこのシーンだけは覚えていた。この映画を初めて見たのは20年以上前の大学時代だが、ハッピーエンドとは言えない結末に、そう、たぶんショックを受けて傷ついてしまった。その傷は彼の叫び声と癒着しており、もう一度観たいのだけれど、怖くて、痛い思いがいやで――何となく避けてしまっていた。それくらい、焼き付いている。
こうして再度観ると、ショックはショックだが、なるほど見方も違ってきており、部分ではなく全体として飲み込めた気がする。
記憶していた以上に綺麗に、きちんと組み立てられた佳作である。
引っかかるのは、映画のまとった雰囲気が「当時ちょっと懐かしい1982年」(1982年を1991年の結婚式から振り返る内容)となっており、何というか、二重に古くさい。年代ががっちり決められているので、その再現は見事なのだろうが、年を経るごとに古びていく気がする。
特に女性陣の日焼け表現は(本物の日焼けなのかも知れないが)塗料塗った感がひどく、ちょっとしたコメディ感が出てしまっている。
トレンディ・ドラマ、映画に共通の欠点(もしくはノスタルジーという利点)なのだろうが、アイコンとしての美男美女が直感的に分からないというのは少し寂しいものだ。
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