★★☆☆☆
~「カンフー抜き香港映画」+「ゴジラ」~
1985年の朝鮮民主主義人民共和国の映画。いわゆる北朝鮮の映画。
国際関係の影響で完成後10年以上公開が待たされたとか、あの金正日が自らプロデュースしただとか、ゴジラスタッフが予算使い放題とか、すさまじい売り文句のオンパレードでこれは「伝説の映画」といわれるのも理解できる。理解できるが、内容だけ見ると、まあまあ見所のある特撮映画でしかない点は押さえておくべき。日本での公開は1998年となっている。
高麗王朝末期、苛斂誅求による飢饉で民衆は苦しんでいた。あまつさえ王朝は、農民たちの農具をとりあげ、鍛冶屋のタクセに武器を作らせようとする。これに抗議した鍛冶屋タクセは捕らえられ獄死する。しかし獄中でタクセは無念の思いを込めながら飯を練って小さな怪獣「プルガサリ」の像を作っていた。娘のアミは父の遺品として針箱にプルガサリをしまっておくが、ある日裁縫中に指先を傷つける。アミの血を受けたプルガサリには命が宿り、針などの金属を食べることで成長していく。 <Wikipediaより>
あらすじにあるように、なんと獄中に投げ入れられた飯粒でつくられたフィギュアがどんどん成長。始めは手のひらサイズから大怪獣まで大きくなるのだが、その途中の大きさがどうにも一辺倒に大きくなっている感じがしない。シーンごとの見栄えでかなり印象に差異があるように感じる。でかいのか小さいのかよく分からない感じは『大魔神』の感触に近く、あやふやな印象は身近さと不安感につながっており、怪獣らしい気味の悪さという演出とも言えるがおそらく偶然だろう。
物語は分かりやすいが行き当たりばったりで、展開も同様のシーケンスが入れ子になっていると感じる。いつも困ったことは同じおばさんが駆け込んできて報告など、わざとコメディ調にしているのかと疑ってしまう。印象としてジャッキー若かりしころの香港カンフー映画に非常に近い。
最後、民衆の味方である大怪獣が目的を達成した後どうなるのか。海に帰るのではない場合、何らかの破綻、破滅を招くしかないのだが、今作は鉄をむさぼる怪獣。食欲を満たすためには他の国を襲って鉄を奪うしかない! というところで極悪な展開になる前にメロドラマ調にまとまるのも綺麗。
見た人誰もが感じるだろう点は二つ。
<群衆シーンすごい>
さすが社会主義国。動員している村人、軍隊の人数がすごい! これはもう画面から如実に感じられる迫力で、同時代の他の映画と比してもかなりの物だろう。しかもみんな本気。お金で仕方なくやっているとか、気が抜けている印象はまるで無く、必死さを感じる群衆――。これも社会主義独裁国家の効果といえば効果なのか。
群衆以外の一部小道具もすさまじく、山肌から一斉に投げ落とされる材木(製材ではなく木をそのまま引っこ抜いて乾かした感じのもの)はその物量に驚く。CGや特撮のすごさを知っていても、実物だけが持つ迫力という物は、確かにあるのだ。
<特撮シーンすごい>
脂ののった特撮スタッフが金に糸目をつけずに制作したというのだ。すごくないはずがない。
といっても当代の最高水準、ということなので今みるとちゃちく感じるところは多い。そんな中で際だって目を引くのが、プルガサリのバストアップだけで使用されていると思われるアニマトロニクス。中に人が入っているのではなく、精緻な模型を複数人がかりで操演しているタイプと目されるが、目の動きや口元のりりしさ、撮影時の光源調整具合などが引き出した本物感がすさまじい。
プルガサリ炎上シーン、ミニチュアの王朝群本拠地(すごく派手で大きな正倉院みたいな建物)をぶちこわしていくシーンも目を見張らされる。
反面アクターが入ってギャオギャオ動いているシーンは日本人が慣れ親しんだコメディ感あふれるもので、どちらかというと物語に似つかわしくない。ひょうきんさが必要の無い部分までその要素が漏れ出してしまっているのはムードを壊してしまっている。
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