2012年12月21日金曜日

リンカーン -秘密の書-

★★☆☆☆
~違和感のある強さ~

「ウォンテッド」で鮮烈なイマジネーションを見せた:ティムール・ベクマンベトフ監督作品。
あの、エイブラハム・リンカーンが実はバンパイアと戦うハンターだったというとんでも設定。どう料理されるのかという期待に反してどうも面白味のない作品だった。
リンカーンを筆頭に登場人物に魅力を感じないのがつらい。
時間に比して描きたいエピソードが多すぎるのか、早回しのあらすじを観ている印象で、物語の流れは分かるのだが、それが心に竿をささない。
キャラクターはそれぞれに魅力的な要素を持っていると思うのだが、主要人物が多すぎるのか、各人を描き切れていない。典型としては、リンカーンのヴァンパイアハンターとしての能力。怪力、不死身、透明化。このような力を持つ化け物に立ち向かうリンカーンのハンターとしての能力に全く説得力がない。
ヴァンパイアに恨みを持つただの人間がそれらと互角に戦うには、とてつもない修行が必要だと思うのだが、観る限り極短期間、斧を振り回していただけだ。あれで対抗できるなら誰でも対抗できる。ひょろりと背の高い印象もハンターの印象としては良くない。ぶっちゃけていうと、全く強そうに見えず、戦っているときでさえ違和感の方が強いのだ。

これら不満点は同じ原因からの問題だと思う。
リンカーンは余りに有名で、すでにエピソードが多すぎるのだ。
友人や妻子の構成。アメリカ南北戦争。政治家のリンカーンを描くだけでてんこ盛りなのに、ヴァンパイアとの暗闘まで背負わさせるのは酷すぎる。
なまじ有名人物が周囲にいるため、人物の配置にも制限が生じているようで物語としての役割がかぶっている。

最後の頼りは絵の力だが、馬群に紛れての戦闘や、ヴァンパイア達との乱闘など、ストップモーションを織り交ぜた映像は迫力ある。が、今一つ独創性を感じることもなかった。

上映時間は100分台と、比較的短めだ。多少延長してその時間を特訓や人物の彫り込みに当てていれば全体の印象がずいぶん変わったと思うが、そうできない諸処の事情があったのだろう。ウォンテッドを気に入っていただけに残念だ。

2012年12月19日水曜日

ゴティックメイド ー花の詩女ー


※本編の発売はされていないのでサントラへのリンクです。

★★★★
~ファンに捧げられた作品~


 エルガイム、Zガンダムなどのデザイン、漫画ファイブスターストーリーで多くの支持を受けるクリエイター永野護。彼が画面レイアウトや多くの原画までもを手がけて完成させた70分のアニメ映画。

 映画として観た場合、粗を探すのに事欠かない。
 起承転結のバランスが悪く、一作でまとまっていない。壮大な物語の風呂敷を広げるだけ広げて、後は文面フォローという投げやりさ。少人数で作成している事からくるのだろう、動画の少なさ。戦闘機を増やすのにコピーペーストしたことで狂ったパース。潔くないカット尻。フェードアウトの行きすぎた多用――。

 ところが、永野護のイマジネーションを高精度で映像化したものとしてみると病みつきになる魅力に溢れている。
 原画の多くを自身で手がけたという言葉に偽り無く、彼自身の絵がアニメーションになっているという感触が確かにある。氏の描く画の特徴は繊細な線と優雅さを失わない殺戮ロボット、そして人物画のつたなさにあると思う。指や、腕、全体のバランスが安定せず、特に顔のかき分けは微妙で、漫画でも流れを汲んで読まないと分からなくなる。

 おそらく、彼は人体の正しいバランス、デッサンを体得していない。しかしそれは欠点になるどころか大きな魅力になっている。デッサンにとらわれることなく、描きたいイメージをこそきっちりと画面に焼き付けてくるからだ。デッサンという階段を使うことなく、イメージを直接つかみ取る行為は、まさに彼の天才だろう。

 この能力が最も発揮されているのがロボットのデザインと描写だと思う。
 氏のデザインするロボットはほかのデザイナーのそれとは明らかに異なる。気品と美しさがあり、ミリタリー趣味とは違う意味での実在感に満ちている。複雑で緻密なデザインはアニメーションには向かないため、これまで彼がデザインしてアニメーションとなったロボットたちは、デザイン段階からアニメーション向けに簡略化されていたり、リデザインされていた。

 今作では、氏のデザインが生のまま、リミット解除されたフルスロットルで現出している。時間にして五分無いだろうあっという間のロボット戦闘シーンが、焼き付いたように頭から消えない。それは、これまで観たことの無かった映像だったのと同時に、とてもよく見知っていた映像でもあった。氏の書いたマンガの戦闘シーンを読んだときに脳内で再現されたイマジネーションと感応しあうイメージが展開されていたからだ。この不思議な感触にも納得である。
 それは長年の宿題の答え合わせをしてもらうようなものだ。漫画を読んではしびれてきたイマジネーションに実体が与えられたのだから。
 単純明快なベースの物語を補う要素として、氏の他の作品との複雑な連関がある。登場人物やロボットの位置づけなどは、なるほど、新しい情報として氏の描く世界観を補強し、新たな期待感を与えてくれる。だがこの楽しみは、観る者の前知識の量によってあまりに価値の異なるものだ。もとよりこの作品は一定の前知識のあるファンのみが見に行く映画だろう事は確かだが、その分新たなファンへの広がりが非常に苦しい作品であるとも言える。

 このような作品の前にあって、感じるのは不思議なことに感謝だ。幾多の困難があっただろうにそれを乗り越え、このような形で届けてくれた。そしてそれはファンが最も楽しむことの出来る特別な内容だったのだ。