評価不能
~そのシーンを削るか!!~
1992年の米映画。「ロボコップ」「スターシップトルーパー」でおなじみポール・バーホーベン監督の劣情サスペンス。
午後のロードショーで見たが、体感出来る範囲でカットによる欠落が多いので評価できないとした。
ナイトクラブ経営者が自宅ベッドで殺害。情事のあとの殺人のようで、真っ先にその恋人だったキャサリン(シャロン・ストーン)に容疑がかかる。
担当となった刑事ニック(マイケル・ダグラス)は相棒と共に捜査を開始するが、キャサリンの奔放な言動とその美貌にベテランならではの判断力も影響を受けていく――。
魅力的な悪女に巻き込まれて自分のスタイルさえの見込まれていく恐怖と快感。
その必然性に圧倒的な説得力を与えたのがシャロン・ストーンの画面からほとばしるエロさ。
特に有名なのは尋問にかけられ、男たちの前で質問を受けるキャサリンがゆっくりと、見せつけるように足を組み替えるシーン。男どもは鼻薬ならぬピンクのカーテンを目前に貼られてどぎまぎ状態。
さすがの午後ローはなんとこのシーンをトリミング! 足を組み替える膝辺りしか見えずに全然エロくない。R-15指定なので該当部分が処理されたのだと思われるが、それならこの映画を放送しなければ良いのにと思わずにいられない。
それを差し引いてもこの映画自体、時流の先端に乗った勢いで見るべきものなので、今見るとキャサリンの時代に合わせた風俗的な魅力は薄まっている。その目隠しが効いていない分、設定や展開のぞんざいさが目についてしまい、バーホーベン監督の野暮ったい演出も気になる。
昔見た当時は誰が犯人なのか考えたりしたが、今見ると適当な演出の結果良い感じで眩惑が生じていたのだなと感じる。
これは要素のバランス、その駆け引きによって成立した均衡ではなく、どちらかの推論はもう一方の推論を完全に否定できない情報しか出ていないことと、最後に後先考えないイメージシーンが挿入されているから生まれた眩惑だということ。
このポール・バーホーベン監督、作品の最後に監督なりの見解(どんでん返し)を入れるのが大好きなのだが、脈絡がないのでどうも一般に理解されがたいという特性を持っている。
「スターシップトルーパー」では、映画全体が戦意昂揚のためのプロパガンダだったという事になっている。
「トータル・リコール」では、最後のホワイトアウトが夢からの目覚めを示唆し、冒険すべてが夢だったことになっている。
本作ではそれがベッド下のピックで、ならばこのあとどうするねん、という当然の疑問は無視した雰囲気シーンだと言える。
ついでに書き上げると、午後ローはともかくシーンカットの量と大胆さがすごい。
この映画でいうと通常版で123分。このうちスタッフロールが5分とみても118分。2時間のうち7回CMがあるとして、1回に2分とすると正味の放送時間は106分。12分はカットされている計算になる。10%程度。少なく見積もってもこれだ。
このような放送で★をつけられるのは実に製作者としては不本意だろうと思うが、見る人にとってはそこまで意識は回らず判断するだろう。
地上波の無料放送で見る映画など、基本無料ゲームの無課金プレイヤーと同じで、本来の楽しみの枠外にあるということなのだろうか。
自分は誰かのチョイスによってかってに放送される映画を見るのが好きだ。
能動的な選択は自分の趣味に偏ってしまう、それをある程度紛らわしてくれるのがテレビ放送だと捉えている。
かつてテレビで見てきた放送も、カットされて当たり前の状態だったと思うが、ビデオなりでノーカットを見てシーンが増えていた事に喜ぶことの方が多かったと思う。作品の成り立ちに関わるようなシーンのカットは行わず、意味を通しつつ時間は削るという職人芸が行われていたのだろうか。
今、こういった放送は誰が、どのような覚悟でカッティングしているのか、その辺りの事情をぜひ聞いてみたい物である。
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