2021年1月27日水曜日

プリデスティネーション

プリデスティネーション [DVD]

★★★★
~壮絶壮大なタイムパラドックス~


 2014年(日本公開は2015年)。SF小説の巨匠ロバート・A・ハインラインの小説『輪廻の蛇』を原作としたオーストラリア映画。
 タイムマシンによる壮大なパラドックスを描ききった作品。
 

 町の片隅のバーに男が訪れる。バーテンダーは男の「女心はお手の物」という言葉に興味を覚え、ぜひその理由を知りたいとせがむみ、ボトルを1本賭けることで男は今に至る境遇を話し始める。それは冒頭から壮絶だった。
 「私が女だった頃――」

 
 ネタバレを気にしない前提のこのブログだが、今作についてはネタバレを避けて記述している。未見の方も安心して読んで頂けるが、本作は前情報を仕入れる前に鑑賞してもらいたい作品だ。その方が作品上でコロコロ転がされる自分の認識を楽しむことが出来る。
 以下、感じた内容を五月雨に列記。
 
 原作小説が1959年に発表されたもので、物語の舞台は1970年あたりがが中心になっている。執筆当時からの未来を描いている形であるため、その世界観は現在我々が持つ過去についての認識とは奇妙に食い違っている。映画でもこの時代設定、世界設定はそのままになっており、不思議な雰囲気を醸し出している。良い塩梅の異世界感。

 時間転移の表現について、大仰な演出をしないのはすっきりしていて良いのだが、やたらレトロな雰囲気の効果音とカット切りかえするだけというのはあまりに安っぽい。全編が丁寧に作られているのにこの部分だけぞんざいに感じてしまう。良くある手法に逃げない姿勢には好感を覚えるが、少し自意識過剰かも。

 連続爆弾魔に関する要素は原作小説にはなく映画で新たに加えられている。全編を通して考えると明らかにこの部分のみテイストが異なる。
 そもそも冒頭が爆弾魔と時間移動のシーンで始まっているが、これは下策だろう。バーのシーンから始めた方が、物語展開のダイナミックさを確保出来るし、美しく連環したシナリオになったはずだ。
 
 だがこの改変、脚本が色気を出してしまったというのではなく、映画の商品価値のための決断だったのかと想像する。爆弾魔に関する部分がないと本作は非常に地味なのである。地味でも見ればおもしろい作品なのに違いは無いが、宣伝しようが無いのだ。上述した冒頭あらすじは爆弾魔を省いたところを記載したが、これを読んで視聴に心が動くだろうか? 動くなら、僕の文章もまんざらではないが文芸作品といったおもむきとなり、タイムマシンやパラドックスといった要素を提示するには随分先まで説明しなければならない。これは作品のネタ的にも非常に不利だ。そのため、冒頭に入れざるを得なかったのでは。
 また、爆弾魔要素はある範囲のネタバレとなってしまってはいるが、同時に新たな伏線の提示と回収を生み出してもいる。本来の壮絶なタイムパラドックス要素をうまく隠す陽動にもなっている。
 実際どのようなやり取りと構想から生まれた「爆弾魔要素」なのかは不明だが、そこにはきちんと検討と努力の跡が見て取れる。
 
 それでもやはり爆弾魔要素は要らなかったと思う。
 本作を見た後に感じる後味と、もし爆弾魔要素がなかったら、という夢想で感じる後味。
 自分は後者の方が好みなのだ。

 

 

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