★★★☆☆
~幼女として転生する理由~
カルロ・ゼン(ペンネーム)による小説を原作としたテレビシリーズアニメーションの続編として制作されたアニメ映画。2019年公開。
異世界転生物と言えば、現世では落ちこぼれだった主人公が転生時に与えられた能力により新世界で無双するというのが定番だが、今作はその流れに逆らおうとしている。もともと超利己的なエリートサラリーマンがリストラした相手の復讐によって命を落とし、死後の至高存在とのやり取りに於いても不遜な態度を改めなかったため、異世界でえらい目にあって信心改めろ! という次第。
転生したのは女児ターニャ。一才から自我をもって前世の記憶も保持という事だが、これでまともに育つはずもない。
放り込まれた世界は世界大戦直前の世界。一次と二次が混ざったような兵器レベルだが、大きく異なるのが魔力が動力の一つとして確立しているという点。魔力を使用した飛行能力と魔力強化による超威力の銃撃(もはや爆雷)が戦力として重要な地位を占めている。ターニャは自己保身の最適解として早熟の魔導師となり、所属する帝国軍内で栄達を遂げて安全な内地で勤務することを夢見るが、開始された大戦において合理的判断と大胆な決断により一躍英雄として扱われることとなる。ターニャの思惑とは逆の方向へ事態は進展していくのだ。
ここまで来ると誰もが思う。異世界転生という導入は必要ないのではないか?
いや、実はこの作品こそこの設定が上手く使われていると言える。
ターニャは少女の姿でとんでもない毒舌を披露して部下を焚き付けていくのだが、中身がおっさんだからこそこの行動に説得力が出てくる。中身も少女だった場合、なぜそのような言葉を操るに至ったのかの説明をするのに、彼女のそれまでの尋常ならざる人生を描く必要が出てくる。少女でなかった場合、大人の女(もしくは男)ということになりなり、少女の半生を描くよりは期間が長いので多少楽だろうが、それでも異世界における成長過程を描く必要が出てくる。
それを「殺されるほどいけ好かないエリートサラリーマン」の一言でかっちりイメージを固め、異世界選定という設定で戦場につなげてしまっている。
少女でなくとも良かったのではないか?
いやいやこれも少女でなければならなかった。
エキセントリックな狂人じみたオルグ(昂揚そそのかし演説)はそのまま聞くとまさにいかれている。主人公として許容するにはぶっ飛びすぎているのだが、ここに少女というイメージをぶつけることで、戦場まっただ中の幼女上司という異常を先に打ち立ててしまっている。それが許容されるなら、あのような弁舌もあり得ることとしてするりと受け入れてしまうのだ。
ただただあざといと感じられた幼女と戦場の組み合わせは、考えを進めるほど理にかなっている。物語がいかに凄惨なものだとしても、彼女の存在一つでフィクションの香りが陰鬱になるのを妨げてくれるのだ。(もちろん作り話なのだが)現実ではないものとして、適度な距離感で物語に対することが出来る。異世界ものにありがちな異性からモテモテのハーレム状態に移行しない(出来ない)のも幼女効果だろう。女児に懸想するのは一般的ではないし、しかも中身がおっさんだ。視聴者(読者)もその展開を期待しない
※小説『皇国の守護者』は同じように性格破綻した有能指揮官の戦記物であり、主人公は男で青年、転生はしていない。対照として面白い作品だ。
かくして頭のおかしい狂人英雄が主人公として立つことが可能となっているのだ。
映像作品としてみてみると一定水準を超えた演出と画面クオリティを保持した良作だ。扇動演説の表情描写も強烈なアクのある作画で、それに答える声の演技も耳をつくような金切り声が実に合っている。戦闘描写も迫力と見やすさ、映画的なレイアウトがバランス良く構成されていて特に難をつけるところがない。むやみに残酷な描写が挟まれることはないが、老若男女に分け隔て無く不幸が襲いかかるため、ターニャや女性兵士もえらい目にあう。今作では特に肉弾戦が多いため殴り合って顔がボコボコになっていくのだが、女性キャラが過度に守られることが多い創作物の中、どこか胸が空く部分がある。
原作小説は未読だが、時系列を行き来する章構成になっているらしく、アニメ化に当たって分かりやすく並び替えたり省いたりしているとのこと。勢力毎の軍服や兵器のデザインも差別化されており、数々の留意の甲斐あって全体の進行、特に戦況の変転も混乱することなく理解できる。だがそれでも様々な国、勢力が入り乱れる「世界大戦」であるため、定期的な勢力状況の解説などがあればさらに分かりやすかっただろうか。現実の大戦を模している要素が多いため、そちらの知識が厚い人には理解もしやすく、元ネタと感応する楽しみ方が増えるだろう。
問題は全編に感じる悪趣味だろう。かわいい顔をした幼女が毒舌を振るい、敵を屠って狂喜の大笑いをする姿は露悪趣味と言わざるを得ない。負けることが確定している(歴史として冒頭に語られる)大戦においての様々な戦いというのもやるせない。沈むことが分かっている『タイタニック』は待ち構える悲劇が特別な感触を全編に投げかけているが、今作の場合思いがけない悲劇ではないため、崖に向かって邁進していく人類の姿を夢も希望もなく見ることになる。それによって生まれる無力感や諦観は心に残るものではあるが、自分には少し重すぎるなというのが正直な感想だ。
2020年12月7日月曜日
劇場版 幼女戦記
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