2020年10月26日月曜日

ブブキ・ブランキ

ブブキ・ブランキ Vol.1 [Blu-ray]
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☆☆☆☆
~まずい脚本とはこういうこと~


 2016年のTVシリーズアニメ。第一期と第二期を半年ほどあけて放送の全24話。オリジナルでこれだけの話数を放送は昨今珍しい。

 「肌に合わない作品」という物は確実にある。理屈を立てて理解する前に、感触としてこれは合わないと感じ、視聴を続けてもその印象が変わらない作品のことだ。自分にとって、この作品はまさにそれ。
 

 いにしえから存在し、人間社会の裏で大きな武力として使役されてきた巨大機械「ブランキ」。それを操るのは一体に付き両手両足と心臓の5つの核を一子相伝するブブキ使いたち。最も重要な心臓の核全てが突然機能不全に陥り、世界中のブランキが起動できなくなり、各国のパワーバランスの崩壊から混迷の時代に突入した。
 その原因とされた「魔女」と呼ばれるブランキ使い一希汀(かずき みぎわ)。その息子である東(あずま)は、幼い頃から過ごしていた浮遊島で起きた事件により地上に落下。魔女の息子と呼ばれながら浮遊島に戻る方法を探し、10年を経て日本に帰国した――。

 
 あらすじを書こうとすると、何が大切で何がどうでも良いのかを取捨選択することになるが、今作はそれがまるで分からない。もちろん全編を視聴したあとなので大筋は理解しているはずなのに、判別出来ないのだ。
 最後まで見た上での物語の説明をすることは出来る。だがそれは一部始終を知った殺人事件において、犯人の動機、犯行手順のみを説明するようなもので物語をなぞったものではない。どうやらこの作品、脚本が致命的に悪いようだ。
 
 自分の勤める会社の社長は元映画畑で働いていた(助監督)経緯を持ち、映画関連に造詣が深い。月一で押しも押されぬ名画を解説付きで視聴する「映画鑑賞会」を主催しており様々な話を聞く機会となっている。その中で「映画が脚本以上になる事はない」という言葉が紹介された。他でも聞いたことがあるので割と有名な言葉なのかも知れない。様々な解釈が出来るだろうが、自分は「良く出来た脚本はその後の作業の土台となり、上につくる建物をきっちりと支える。悪い脚本は天井となって上限を覆ってしまい、その後の作業の邪魔となり、いびつな建物作りを強制する」というように理解している。
 ゲーム作りでも良いアイデアはその他の面白い思いつき、関連するアイデアをどんどん引き込んでくれるが、悪いアイデアは一見面白そうに見えてもその後の広がりを得ることが出来ない。
 上記のような意味で、今作の脚本は作品のいらぬ縛りになっているように感じる。
 良いケースパタンになるのかもしれないので、自分向けのメモとして二つほど挙げてみる。
 
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①導入が重い

 物語冒頭はその作品の入り口となるもので非常に重要である。また、視聴者にとって負担の大きいものだ。
 どういった世界がどのようなルールで展開するのか。
 これが視聴者の中で構築されるまで、情報処理の負荷が非常に高い。枠組みが出来てしまえば新しい情報で見えてきた部分を付け足すだけで済むが、それまでは一生懸命に理解しようとする必要があるのだ。これは新しい人に出会った場合も同じで、見た目やしゃべり方などでひとまずどんな人だと決めてしまう。そうしてから長いやりとりを経てその人物像を更新、最適化していくのだ。
 この負担を減らす方法として「続編」「肩書き」「模倣」などがあるだろう。続編は当然気楽だし、人物において「XX会社の役員」といった肩書きは関わり方を決めるのに大きな助けとなる。模倣は「異世界転生もの」のようにフォーマットを共通化させることで負担を軽減している。(異世界転生ものが素晴らしく流行したのは、導入の気楽さが大きいと考えている)

 反対に、情報が足りなかったり、これまでに出会ったことのないような対象だったりする場合、枠組みの構築が上手く行えない。こういった時は、非常にモヤモヤとして気持ちの悪い状態を継続することになる。
 長くなったが、本作の導入がまさにこれである。
 
 まず10年前、浮遊島で起こった事件が描かれ、その後現在の物語が開始される。こういった二段階に分けた導入は良くある手法で、たとえばクライマックスからはじまり、それが夢でしたと本来の物語が始まる。この場合冒頭クライマックスはフックの役割を果たし、本来重いはずの導入の手助けとなり物語に導いてくれる。
 今作では第一段階が牧歌的な雰囲気からはじまり、それから第一のクライマックスに至るためフックの役割を果たさない。一生懸命構築しようとした作品感をクライマックスがぶちこわすのである。そして10年がたち第二段階である本来の物語が開始されるが、第一段階の情報がまったく役に立たないどころか意外な展開(優しい母が魔女呼ばわりされているなど)に持って行こうとして逆に理解の妨げになっている。つまり「構築①」⇒「破壊」⇒「構築①によって困難になっている構築②」となっている。そのため置いてけぼりになった感じが強く、それが継続する。

 プロが作り上げた作品に対して事情を知らない外部が「こうすれば良いのに」というのは非常に失礼で傲慢な事だと思うのだが、どうしても一言申し上げたい。
 
 10年前の下りは無い方が良い!
 
 実際これを切り落としてもすっきり感が高まるだけで物語への影響がない。その後に何の変更を加えなくても、おそらく大丈夫だ。
 無駄な物を残して物語を分かりにくくしているという点でこの脚本は良くない制限になっている。どんなに演出や作画が気を吐こうと、カバーできる難点ではないのだ。


②状況が解決する前に別の状況をかぶせすぎる

 大雑把に説明すると本作は色々なシチュエーション、組み合わせのバトルをどんどんつなげていくという展開になっている。
 これ自体はロボットバトルを主軸に据えた物語なので妥当だと言えるが、問題は「バトルの決着がつかないまま次のバトルになだれ込む」事が非常に多い点である。AとBの戦闘中にCが乱入し、BとCの戦いがメインになってAとBの戦う原因は放置状態で物語が続き、BとCも特に決着がつかないまま閑話休題を開始――といった具合。句読点のない延々長い文章を読ませられるのと感じがとても似ている。すべてにおいて決着をつけないので、フワフワと気持ちが悪いのだ。

 なぜこういう構成にしたのか、ちょっと理解できない。どんどん状況を切り替えて興味を引こうとしているのだとすると、うまく働いてはいない。被さってくる状況が前の状況より魅力があるというわけでもないので、途中で無理矢理チャンネルを切り替えられた感じになる。


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 このように脚本が縛りとなってどうにもならない不愉快を確定させている部分が多く、これほど脚本がダメだなあと思うのも希だ。
 全体に思いついた言葉とシチュエーションを無理矢理つなぎ合わせて物語に使用とした、統一感のない出来の悪いパッチワークである。
 
 脚本云々いうのは、他のパートががんばっているなと感じるところが多いため。
 キャラクター、ロボットは3DCGで作画されており、静止画としてのクオリティが高い。特にキャラクターの輪郭描画は一定の太さではなく適度に入り抜きが表現されており、平板さを感じさせない。アニメーションもセルアニメの良さ、キーフレームを自動補完するだけでは出てこない溜め詰めの気持ちよさを再現。レイアウトも3Dとしての正確さではなく、ゆがみによる見栄えを考慮している。
 この辺り、一期と二期ではまるで出来が異なると感じる。
 一期は上記の様な魂の入れ込みが無く、正確だけどつまらない画面が非常に多い。
 列車の荷台で戦闘するシーンがあるのだが、嘘がないため狭い舞台に感じたり、キャラクターの位置関係がまるで絵になっていない。カットによって広さも、位置関係も変えてしまえば良いのに、カメラの位置を苦労して変えることに終始して苦しんでいる。
 二期はこの手の3D慣れしていないシーンが少なく、一期の様々な経験をきちんとフィードバックしているなと感じる点が多い。
 
 今作は、作品としてはがっかりな物になっているが、スタッフの力量を底上げするという意味では大いに価値があったのだと思う。
 
 ところで「ブブキ・ブランキ」と自分が以前酷評した「文豪とアルケミスト~審判ノ歯車~」のスタッフを見ていると、イシイジロウ氏が重なっている。ゲーム開発を主戦場とするクリエイターのようだが、いくつかの記事をあわせて考えるとどうやら自分はこの人の感性が苦手なのではと思われる。好きな作品で共通のスタッフが居るように、がっかりと感じる作品で共通してくるスタッフも居るのだなあ。多分、避けるべきなのだろう。

 

 

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