★☆☆☆☆
~映画で見る意味がない~
まず、最初の一分でこれはだめなんじゃないかと気づく。
ライトの字が下手なのだ。
本人の映像が出てくる前に、文字だけで萎えてしまう。
リュークのCGクオリティが、ハリウッド慣れしてる目には厳しいものであるとか、
路上撮影のためか、ライティングがしっかりされていないところが目立つとか、
役者が下手とか、
そういった点は、色々な都合で致し方なかったのかと思える。
しかし、汚い字をそのまま採用した無神経(原作を一度でも読んでいれば、ライトの字は完全無欠なものであろうと考えるだろう)は、作品への気配り一つで対処できたはずで、制作者の怠惰、もしくはノーセンスを感じる。
それは全編に等質で、「まあいいか」という投げやりなOKがそこかしこに見える。
ちょっとろれつ回らなくても、そのまま流しているし、同録音声でどこもかしこも回しているし。(台詞の時のホワイトノイズが気になって仕方ない)
なんかね、この映画は、映画畑の人ではなく、TVドラマのスタッフが、そのままの意識で作ったような気がしてなりません。
うまい下手以前に、どこまでがんばるかの線引きが違う。
従って、TVドラマに1000円(映画の日でした)払ったと、それだけでがっくりくる。
同時に確信されたのは、「漫画」は、イマジネーション伝達という点において、映画に一歩も譲らない、完成されたメディアなのだということ。
原作と同じことが説明されているのに、まるで説得力が違う。原作漫画は、漫画という表現の利点欠点を把握し、その上でイマジネーションを展開させていたのだと、改めて気づく。
そのまま映像にするとこんなにも極寒なものか――。
原作の良さを再確認できる点だけが、この映画の意味なのだろうと思う。
後編は見ていません。
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