2016年3月15日火曜日

クリード チャンプを継ぐ男


★★★☆☆
~ロッキーシリーズ第七作目!~

題名や宣伝を見てもほとんど分からないが、この作品はシルベスター・スタローンの「ロッキー」シリーズのスピンオフ(といっているが、七作目の続編といって良かろう)である。なぜこの点を強く喧伝しないのが不思議だが、前作(シリーズ六作目)評価が低いと言われていることが原因なのだろうか。

ロッキーシリーズで「クリード」という題名なら、ファンならピンとくるかも知れない。一作目から四作目まで登場し、ある時はライバル、ある時は盟友としてロッキーと深く関わった偉大なチャンピオンがアポロ・クリード。そして彼は四作目でリング上での死を迎えている。――ということは……。

クリードの主人公はアポロの愛人の子供であり、唯一の血族アドニス。出会うこともなかった父の背中を追ってボクシングの世界に入ろうとする彼は近しい者たちからそれを拒絶される。アドニスが最後にたどり着いたのがロッキー・バルモア。
はじめは師事を断るが、その熱意に負け、またボクシングに関わる喜びを思いだしていくロッキー。
アドニスと同じアパートで音楽の夢を追うビアンカとの出会い。ロッキーが立ち向かうリングの外側での戦い。
二人の「いわくつき」師弟のボクシングに世間は好奇の目を向け、やがてとんでもない大きな話が転がり込んでくる――。

物語は一作目をなぞるように進むが、ただ繰り返しているのでもなければ、無理矢理独自性を打ち立てようとしているのでもない。一作目の物語を今もう一度描くとしたらこうなるという答えが示されている感じ。そもそも、それさえ流れればロッキーというあの「ロッキーのテーマ」が流れないのだ。それなのに同じような昂揚を感じる事ができる。
主人公であるアドニスの短絡的な素直さは魅力的で、自然と応援したくなる。ロッキーの後継者としてするっと収まってくれるのも気持ちが良い。ロッキーも年老いながらチャレンジスピリッツを失わず、変わらず戦い続けているのが嬉しい。エイドリアンに対する愛情もそのままなのがまたロッキーらしい。

ロッキー一作目を楽しめた人は、つまり多くの人は、この作品を楽しむことができる。
四作目まで復習してから見るとなおさら楽しめるだろう。
三作目のラストで静止した、あのアポロとの第三戦についても言及があり、さらっと語られるだけだがそれがまた良い。
ただその言及が本当なのかどうかについては、自分は多少の揺らぎを感じる。

キルラキル

★★★☆☆
~絵が動く気持ちよさ~

「天元突破グレンラガン」の今石洋之監督作品。2クールのテレビアニメ。
特別な「糸」で縫製された極制服(ごくせいふく)。それは着る者に強大な力をもたらす。
中でも特別な「意志」を持つ服を身に纏う女子高生、纏流子(まといりゅうこ)は父親の敵を求めて本能字学園へ転校、入学。
学園は生徒会長、鬼龍院皐月(きりゅういんさつき)を頂点とした身分制度で統治されており、極制服を着こなす力こそが全てだった。様々な部活動や彼女を守る四天王との戦いを繰り返し、流子は父の敵、極制服の謎へと近づいていく――。

物語と設定には大きな展開や仕掛けが用意されており最後まで視聴者を牽引する。が、なんといっても今作の魅力は戦闘におけるキャラクターの動く気持ちよさ。タメとツメのきいたメリハリある動きがリミテッドアニメーション――動画枚数の限られたアニメーションのこと。テレビアニメの苦しい台所事情の中で発達した――の健在を宣言する。
このこだわりは演出にも現れており、止め絵やハーモニー処理を多用した、いわゆる出崎演出。文字のみで構成された画面。話数単位での動画メリハリ(戦闘シーンの少ない回と戦闘主体の回)など、TVシリーズで高いクオリティの手書きアニメを作るための努力にあふれている。
これら方針、感触はグレンラガンでも同様だったが、今作はCGをうまく活用することでさらに画面密度を高めている。
特に主人公達の変身シーンはCGと手書きを組み合わせ、どちらか一方では作り上げることが出来ないだろう領域に達している。変身の最後にポーズを決めるシーンでは最後に腰がキュッと入り、欲情してしまいそうになるほど人物が魅力的に見える。

このように割り切った作りのとんがった作品なので、あきらめた部分が目につくのは確か
戦闘以外のシーン、とくにギャグに偏った部分は動画枚数が極端に抑えられている。というより、動画がない。ポーズを切り替えてみせるだけの紙芝居の風体になっており、タイミング取りが決まっているため小気味良いのだが、なんだか古いフラッシュアニメーションを見ている気分になる。「キッチン戦隊くっくるん」みたいな感じでせわしない。

また、これは監督の持ち味でもあるのだろうが、下品の度が過ぎるとも感じる。
アニメの魅力は動きとエロ! つまり女体を動かすことだ! 的な意気込みが伝わってくる。
これ自体はその通りだと思うが、変身シーン――変身後は非常に露出度の高い、ほぼ丸見えの格好になる――がすでに限界ギリギリ。エロ以外の意味があるとは思えないアングルのカットがサービス過多のように感じられた。
それ以外の下品さも自分にはきつすぎる。下町に住む一家にずいぶん助けられるのだが、彼らの生活様式、発する言葉などを含めたモラルが下品すぎる。物語を進めていくのに気の抜きどころは必要だと思うが、嫌悪感に気を緩めることが出来ない。

どんどん3DCGの範囲が広まってきているアニメーション業界だが、こういった作品を見ると、やはり良く作られた手書きアニメーションには圧倒的な魅力がある。3DCG技術が高まっていけばやがてそういった分野も置き換えられていくだろう、というイメージを何となく持っていたが、手書きの魅力はその先にはないのではないかと感じた。

<漫画>月光条例

★★★★
~描ききったことに敬服~

※漫画作品についても、完結したものに限って感想を書いていきます。

単行本29巻からなる漫画作品。週刊サンデー連載。
うしおととら、からくりサーカスなど熱い物語を描かせたら天下一品の藤田和日郎、三本目の大長編。
狂った月の光を受けたおとぎ話のキャラクターが現世に立ち現れて暴れ回る「ムーントラック(月打)」を鎮める役割を負った主人公の戦いを描く。

赤ずきん、シンデレラ、長靴を履いた猫、桃太郎……。
洋の東西を問わぬ数多くのおとぎ話とそのキャラクター達との対峙。
シンデレラは本当に城の中で安穏と暮らしたかったのか?
浦島太郎は最後の仕打ちに何を思ったのか?
なぜ、悲しい結末の物語が存在するのか?
物語のIFの展開や、読み手の感じる理不尽をたたきつけながら異常事態はどんどんと進行していく。
主人公の出自、ヒロインの正体など、徐々に浮かび上がり、解き明かされていく謎。
架空の世界と現実の世界。それを包むまた大きな別の世界。
スケールは拡大の一途をたどり、果たして納得の行く結末たり得るのかと読者の方が心配になってくる。

とうとう最終巻。
正直、決して最高の物語体験ではなかった。
中盤以降些細な部分や些末な戦闘を延々と描き、進展が遅くなっておもしろみを感じにくくなってくる。
説教臭い上、説明的に過ぎるセリフ。
※藤田氏は読者サービスに過ぎるきらいがあり、キャラクターの細かな心情をなんとか示そうとして台詞が増える印象。
前話の終盤を次話冒頭でなぞる、「ダブり」部分の増加。(これが単行本派には特に辛い)
勿体ぶったわりに大したことのない(納得の行かない)謎解き。

気になる点を挙げればきりがない。
実際、評判も余りよいとは言えないようで、連載時の掲載順も最後尾すれすれとなり、カラーや表紙などの掲載誌による推し具合も明らかに控えめになっていた。
最後の風呂敷たたみも、努力は買うものの首をかしげる切れの悪さ。
だがそれでも、自分は胸を張って言える。

「この作品を読んで良かった」
「この作品が好きだ」

最終巻の三つの点だけで、もうこの評価は確定した。

◆一つ目
主人公の、ヒロインに対する言葉と、それに対する返答。
この上なく意地っ張りで、全ての問題を自分だけで抱えようとする二人が、お互いに寄り掛かり合ったこの問答。
これまでの全てのやりとりで、ずっとずっと越えることの出来なかった壁。
観ているこちらにとっては歯がゆく、無駄に感じ、なぜそんなに頑ななのかと腹が立つくらいだった殻をパリンと割った瞬間。
二人が昂揚に包まれ疾駆していく姿は快哉を叫ばずにはいられない胸のすくものだった。
作家にとっても読者にとっても、むろん登場人物にとっても、この時のために、どれだけの時間が積み上げられてきたのか。29巻にわたる物語は十分すぎる長さと分量で、感激の度合いを大きくしてくれた。

◆二つ目
表紙のギミック。
実は1巻の表紙と29巻の表紙は同じ構図、同じキャラクターを描いている。
わずかな違いが、この物語の結末と相まって目の回るような酩酊感を与えてくれた。
描かれているのは、月光、エンゲキブ、一寸法師、鉢かぶり姫の四人と背景の月。以下のような差異がある。

<一寸法師>
1巻:ふくれっ面
29巻:楽しそうに笑っている
<鉢かぶり姫>
1巻:顔が見えない
29巻:笑顔が覗いている
<月光>
1巻:ニヒルな笑み
29巻:ニヒルな笑み
<エンゲキブ>
1巻:笑顔
29巻:うれし泣き
<月>
1巻:三日月
29巻:満月

大きな事を為し物語を終了させたのだから、皆笑顔なのは妥当だろう。
エンゲキブはいつでも演技出来るので1巻の笑顔は演技なのかも知れない。だけど、29巻の泣き笑いは演技では出来ない表情、本当の笑顔なのだと思う。
※29巻の涙はホワイトの汚れのように見えるが、同じ絵柄は最終話でも描かれており、そちらでは確実に涙が描かれている。
三日月は「ムーントラック」の象徴の形であり、満月はそうではない穏やかな月となる。(もしくは満月は別の世界との通路であるので、月光の帰還を象徴しているのかも知れない)
ただ月光だけ変わりが無い。
彼だけは、はじめから最後まで、同じ方向を向き、同じ信念を貫き通した。だから変わらないのだ。
それならば月光に成長はなかったのか?
いや、彼が望み戦ったのは、周りの人たちを笑顔にするためである。彼以外の全員が笑顔になっていること。これが彼の成し遂げた成果であり、成長なのだ。

◆三つ目
「めいわくな話」という書き出し。
第一話は「とんでもなくめいわくなはなしをしよう」というナレーションから始まる。
それが誰の、どのような思いから発せられた台詞なのかが最終回で描かれる。
これは確実に連載開始時からの仕込みであろう。7年の歳月を経て、きちんと円環が閉じたのだ。

物語の長さに手を出せずにいる人、途中まで読んだが中だるみに耐えられなかった人。そういう人でも「うしおととら」「からくりサーカス」を読み切った人ならば、ぜひ読破してみて欲しい。28巻までの忍耐を29巻はきちんと受けとめてくれる。
一つアドバイスするなら、一気に読んだ方が良い。雑誌掲載や単行本発刊に合わせての読破はこの作品には向いていない。今回あらためて一気に読破してみると、単行本が出る毎に読んでいたのとは大きく印象が異なる。物語の勢いを保ったまま読み切ってしまうこと。熱いものを熱いまで食べるのがこの作品に最適である。

人はなぜ物語を作るのか。
漫画という形で物語を生み出してきた藤田和日郎氏が己に問いかけ続けて得た一つの結論。
それが描かれているこの作品は、全ての創作者が触れておくべき作品なのだと確信する。

ところで主人公月光の正体について、連載途中までは別の設定で進められていたのではないかと言われている。
ネットを検索するとすぐに行き当たる割と有名な話のようだが、確かにその設定の方がしっくりくる気がするのだ。
言われているにはその作品の著作権関連の処理がうまくいかず設定を変更せざるを得なかったのだとか。
これが本当なのだとしたら、大筋に変化はなかったとしてもそのプロットくらい読んでみたいなという気になる。

2015年11月25日水曜日

残響のテロル

★★★☆☆
~ぼくらは爆破珍走団~

監督は「カウボーイビバップ」の渡辺信一郎。音楽も菅野よう子でカウボーイビバップ再び、の趣。
11話からなるオリジナルアニメーション。

17歳の少年二人が自分や仲間達の復讐、存在証明のために大規模なテロを巻き起こす。
超人的知能で実行される都庁爆破、警察署爆破――しかし死者は出さない。日本中は二人に釘付けになっていく。
その渦中、同年齢の少女が二人組と行動を共にするようになり……。

デリケートな題材である「爆破テロ」「プルトニウム強奪」をど真ん中に据えて物語を展開。
映像クオリティは非常に高く、劇場アニメといっても十分――というか凌駕している。
特に物語の象徴でもある爆発エフェクト(手書きと思われる)は「オネアミスの翼」を彷彿とさせるクオリティ、密度。

音楽演出について、自分はやりすぎ、先鋭すぎと感じた。もう少しキャッチーで良いのではないか。
OP、EDは印象的だが変則的な展開で落ち着かない。
BGMもやたらピコピコ音が耳について、アニメ版「寄生獣」を思い起こさせる。
寄生獣と違ってギリギリのラインで踏ん張っている感じではあるが……。これで売る気はないのだろう。

サブタイトルのセンス、語りすぎない台詞など、脚本演出も平均を上回っており、きっちりと11話で完結。
ただ手間暇かけて描かれているのに、物語の印象としては薄味
最も根本的な物語の意味づけ、「なぜ二人はテロを行うのか」がどうも納得できない。軽い。
わりと個人的な目的のために大多数の無関係な者に迷惑をかけている、という構図になっており珍走団のエンジン音と同様なのだ。
少女の存在もふわふわとして蛇足に感じる。筋書きとしてだけで無く、構成として邪魔になっている印象。

思うに各人の掘り下げが足りないのではないか。
少年達の生い立ち、世界を破壊したいと思いつつ、人を傷つけたくないという矛盾した心境にいたった契機は無いのだろうか。
仲間を大切にする気持ちを描くエピソードが必要ではなかったか。
少年達が少女を受け容れるには、同じ境遇、感情を持つ仲間なのだと納得するシーケンスが足りないのでは無いか。

根っこのところが不安定なため、その上に積み上げた世界が以下にもか弱く貧相に感じられてしまうのだ。

最後の爆発そ。それが引き起こす特殊な状況は、人と人とのつながりを象徴的に見せるこの上ない舞台設定だったと思う。
これをただの副次的効果にしてしまったのがとてももったいないと感じた。

2015年11月24日火曜日

カールじいさんの空飛ぶ家

カールじいさんの空飛ぶ家 ブルーレイ+DVDセット [Blu-ray]

★★☆☆☆
~思ってたよりも~

幼いカールが夢見た南アメリカの秘境にある天空から降り注ぐ滝――パラダイスフォール。
同じ場所への冒険心を持つ少年と少女が出会い、結ばれ、あっという間に時は過ぎ……おじいさんになったカール。
残酷な時の流れに翻弄されながらも再び冒険心を取り戻したカールは我が家に無数の風船を結びつけて空へ飛び立つ!

手慣れた語り口で一気に物語の土台を固めていく、さすがは傑作名作当たり前! のピクサー。抜群の安定感
最低限のセリフで長い時間の流れを情感込めて描く序盤のすばらしさ。
ところがそれ以降はまあいつものディズニー冒険アニメだね、というお定まりの展開。
冒頭とそれ以降の差異が大きすぎて取り残される。
最後に小技を効かせてほろりとさせるものの、どうにもとっ散らかったままの印象で幕を閉じる。

思うに、文化の差異がノスタルジイの効果、人物への好感度を減衰させているのではないか。
作品の中でちりばめられたカールの思い出を飾るディテールが、日本人の自分には通用しない。
カールじいさんをはじめとした登場人物全般に好感度が足りない。結果のめり込めない。
序盤の雰囲気のまま(エリーのいるまま)の物語を見てみたかった。

CMで受けた期待が大きすぎたのか、それ越えることなく物語が終わってしまった残念感。
これは「ウォーリー」でも感じた事で、ピクサー映画は題材の決定と雰囲気の盛り上げがとても上手なのだと思う。
もしくは単純に、CMが上手い、ということか。

一週間フレンズ。

一週間フレンズ。 vol.1 Blu-ray【初回生産限定版】

★★★☆☆
~フェアリーテイル~

漫画原作のワンクールアニメ
原作完結よりも先にアニメは終了したが、尻切れトンボな形ではなく原作と同じまとめ方がなされた模様。きちんと終わっていて気持ち良い。

原作未完状態のアニメ化は昨今非常に多く、オリジナル展開にしてきちんとまとめるか、バッツリと断ち切って終わるかの二者択一。
もちろん程度には差があるが。

二期への期待をつないだり制作の安全性で考えると「断ち切り」の方が有力になっても仕方がない。
オリジナルの展開でまとめる労力は甚大であろうし、そのあげくファンに批判を浴びる可能性も高い。
ただやはり、原作ありのアニメが一つの作品としてきちんと残っていくことを目指すなら挑戦すべき困難であるだろうと思う。
今作はこの点絶妙のタイミングで切り抜けた形。ほぼ同時進行形でクライマックスというのは最も良い形の一つだろう。

物語はかなり強引な設定で違和感は無視したまま進行する。毛色は全く違うが突然理不尽な世界に叩き込まれて説明もなく戦いに巻き込まれる「デスゲーム」物に近い。
なぜか一週間ごとに友達の記憶だけがリセットされてしまう女子高生。人間関係の構築が不可能となった彼女はクラスの誰とも関わらずに過ごしていた。そんな彼女に惹かれた主人公は友達になって欲しいと声をかける……。

状況設定がおもしろく、そこから二人の関係が少しずつ動いていく様子も緊張感をもって見守ることが出来る。
なぜなら一つ間違えばすぐに関係は忘却され、リセットされるのだから。
積み上げてきたはずの人間関係が、ふとしたことから崩れ去って他人になる。特に恋愛関係において多くの人が実感したことのある悲劇ではないだろうか。今作の一週間でリセットの仕組みは、常に関係のはかなさ、断絶を予感させる装置として有効に働いている。

反対に考えると、設定も人物の反応も現実離れしている。それなのに感情としてはリアル。まともに取り合うとつっこみどころの多さに疲れてしまうかもしれない。意識して一歩引いた方が楽しみやすいだろう。
してみるとこの物語はおとぎ話として視聴したほうがしっくり来るかもしれない。

その一助となってくれるのが画面の現実離れした美しさ。特に放課後のやりとりが多いためか夕日のシーンが多い。実はそんなに多くはないのかもしれないが、印象が強い。
赤く染まる画面と射し込む光の美しい処理。中でも海のシーンは波の表現と相まって非常に美しく、幻想的な優しい空気で作品を包み込んでいる。
背景の美しさが世界観を強く打ち立てるという構成は新海誠監督の諸作品と通じるかもしれない。雰囲気で持って行ってしまうのである。

今作はキャラクター描画のクオリティも高く、作画、演技ともに申し分ないが、驚くほどステレオタイプである。純真無垢で素直すぎる反応を見せる主人公とヒロイン。視聴者としてはこれも反発せず、おとぎ話だからとふっくら受け止めた方が世界の幸せが増えるだろう。

まじめに作られた、誠意ある作品だと思う。