2014年5月30日金曜日

ももへの手紙

 

★★★★
~みんなで観たい作品~


 「人狼」で名を馳せた沖浦啓之監督のアニメ映画。しまなみ海道あたりの小さな島を舞台に、父を失った少女の心の再生を描く。
 人の仕草、生活感、架空生物?の気持ちよい動き、アクション、細かな演出の積み重ね……。抑制のきいた落ち着いた雰囲気。
 昨今のジブリ映画にうすくなった(宮崎、高畑監督にしか出せなかった)空気を堪能できる作品。スタッフ的にからみがあるのかどうか分からないが、「ジブリアニメの総決算」と勝手に言いたくなる。
 きちんと後継者が育ち、宮崎、高畑監督が通過して行きすぎてしまった感覚に立ち戻ったアニメ映画がジブリで作られていたなら、このような作品になったのではないだろうか。ジブリは今後どうなっていくんだろうと勝手に心配していたが、こういう作品を見られるならジブリに限ることはないのだなあと思う。

 映画館で鑑賞した際、子供客が多く、笑い声や合いの手? が多く入った。それは決して邪魔ではなく、その場にいる見知らぬ人たちと一緒に笑いながら見ることが楽しい一作。映画館で見るのは、こういう楽しさがある。



2014年4月14日月曜日

エージェント・ライアン

★★☆☆☆
~2014年初頭の符合性~

「ペリカン文書」のトム・クランシー原作。少しずらしたスパイアクション映画。
ウォール街で一線を張れるほど優秀な博士号持ち。しかも元海兵隊で部下を助けるために半身不随になりかけた過去を持つ。ステディはリハビリ時の担当女医。
そして裏の顔はCIA。
書き上げて見るととんでも性能のスーパーヒーローだが、順を追って説明される状況は、彼の波瀾万丈な巻き込まれ人生。不思議と嫌みがない。
そんな彼は旧ソビエト残党がロシアでたくらむ通貨テロを阻止するためにモスクワへ。
ガスの供給にまつわるアメリカとロシアの対立。実際の爆破テロと組み合わせて計画される通貨暴落という経済テロ。
奇跡的なほど、今(2014/3/12)展開されている、クリミアを挟んだ東西対立と重なっている。このタイミングで公開されている最中にセンセーショナルなドル暴落など起こった日には、これはもう予言所と言って良い。もちろんそんなことにならないよう祈るが……。
映画自体は意外なほどコンパクト。アクション、サスペンス、敵との裏のかきあいにラブロマンス。様々な要素がコンパクトに、かつ適量収まっており、幕の内弁当のような安定感と予定調和。しかし大きな求心力や盛り上がりの無いまま幕を閉じる。
殴り合いのシーンに結構な時間を割いたりと、時間配分の意外性があり最後まで飽きずに見ることの出来る佳作。

2014年4月13日日曜日

グスコーブドリの伝記

 
★★★★★
~希有な映像体験~


宮沢賢治の作品を手練れの職人がかっちりと映像化。
驚くべき映像クオリティと豊かなイマジネーション。
ジブリをはじめとする日本的なアニメーションとは印象を隔し、なおかつピクサーのCGアニメーションとも違う手書きアニメーション。ほかでは観ることの出来ない映像世界が豊穣に実っている。

猫の擬人キャラクターによる宮沢賢治の映像化というと「銀河鉄道の夜」が先鞭だが、それもそのはず、監督、キャラクターデザインなどのスタッフが同じ顔ぶれとなっている。宮沢賢治の透明感溢れる世界と抑えがちな表情の猫達の組み合わせは、もうそれだけで心をときめかせる。思うに、人間ではなく猫の姿を借りることで、不思議な世界とのバランスがぴったり合い、凹凸のない映像として心に迫ってくるのだろう。

物語は未読であるし存在さえ知らなかった。ただ、寒村の貧困を解消したいという熱意と自己犠牲精神の貴さを童話に託したその内容は、自分の知る宮沢賢治の姿そのままであり、見知った作品達と何らぶれのない内容だった。
物語自体は、おそらく銀河鉄道の夜ほどの一般性を持たない。単純にいうと地味でキャッチーではない。しかしそれが映像になったとたん、胸を詰まらせるような一途と切なさに満ちて、忘れられない映像体験となる。

言葉ではなく、映像で示すということ。
この映画には、昨今の映像作品で軽視されがちな基本原則が脈々と受け継がれている。近年目に付く映像作品は物語の筋を示すことに汲々とし、言葉にしないと伝わらないと思いこんでいるように、状況も、心情も、肥大化した自意識のままに垂れ流す一方のものが多いように思う。
それは一つの演出、方法論ではあるが、テンポを付けるための変化球だろう。全編それでは効果的ではないし、ただの色物だ。しかし、色物が色物として目立たないほど、奇異なスタイルが蔓延している。
とどのつまり、自信がないのだ。
言葉という明確な情報伝達手段を用いねば、伝えるべき事が伝わったと確信できないのだ。優しい眼差しでほほえむだけでは伝わらぬと、「愛してる」「好きです」と飾りたて、本来の淡い色彩を台無しにしてしまう。
轟音ばかりでコントラストのない音楽。
笑い所まで指定されるテレビキャプション。
わかりやすさ、単純さをこの上ない正義だとお題目のように掲げ持ち、その実、本来のシンプルや元の形が持つ力を失っているのではないか。感じ、理解するという能力を浅くしか耕さず、根の張れない畑を作っているのではないか。

そんな中、今作は急流に屹立した岩のようなものだ。
空気が、映像とともにある。
ブドリの妹が神隠しされる場面には心臓をつぶされる。
探し求める世界の不可思議、一歩先に満ちる不安な予感。
はじめてみる都会の不思議な感触。
目の光る猫に感じる恐怖と安堵。
それらを包み込み、満ちている、なぜか分からないけれど優しい気持ち。
この映画は「観る」のではなく「体験」するものだ。
丁寧に整えられた滑らかな映像の中に吸い込まれ、ブドリと一緒に不思議な体験をする。見終わった後に残る寂しさ、侘びしさ、暖かさ、心強さ。
マイナーとしかいいようのない作品だが、希望ではなく確信として、この作品は後年名声を勝ち得ていく名品だ。観た者の心に根を下ろし、いつか再び花を咲かせる感性の種だ。

あの「銀河鉄道の夜」を一生忘れないのと同じように、「グスコーブドリの伝記」も人生に寄り添って、きっと消えない。

2013年6月16日日曜日

華麗なるギャッツビー(2013年版)

★★★☆☆
~男惚れするいい男~

1925年の小説を元にした映画作品であり、これまでに幾度も映画化されている。
自分はそのどれも未見だったので、この映画が初めての「The Great Gatsby」となる。
見ていなくとも、言葉として華麗なるギャッツビーという単語は耳にしていたし、ギャッツビーがどうやらいい男の代名詞的な扱いであることも感じていた。きざな格好つけの男、というネガティブな印象を勝手に持っていたのだが、物語の中のギャッツビーはどうにもこうにも、いい男だった。
前向きで、意志が強く、純粋で、危なっかしい。恋に盲目で愚かとも映るかもしれない。
ギャッツビーは、そういう、男が惚れる男だ。
女性にとっても、理想的な男と宣伝されていたが、自分はそうは思わなかった。彼の想いは、女性の曖昧さを許さないあまりに純粋なものだ。多くの女性にとって、それは正論の暴力になるだろう。

今作は3Dでも上映されており、そちらで鑑賞した。アクション映画ではないし、3Dにする意味があったのかどうかは疑問。3D間を生かすためか、やたらと動き回り、無理矢理気味の画面作り。もっと落ち着いた画面の方が、より物語を楽しめたのではないかと思う。今作以前の映画がどんなものであったのか興味が湧いた。

主人公は狂言回しのニックにトビー・マグワイア。ギャッツビーにレオナルド・ディカプリオ。
トビー・マグワイアの滲み出る人の良さと、正義の心。ディカプリオの苛烈な激情と子供のように純粋な表情。
みごとにはまったキャストだと思う。

この物語の魅力は、すでにこれまで証明されてきている事でもあるが、時代を超える。だから、また未来でリメイクされるだろう。時代時代のセンスを受け入れながら、どのような作品になっていくのか、将来出会える日が楽しみだ。

2012年12月21日金曜日

リンカーン -秘密の書-

★★☆☆☆
~違和感のある強さ~

「ウォンテッド」で鮮烈なイマジネーションを見せた:ティムール・ベクマンベトフ監督作品。
あの、エイブラハム・リンカーンが実はバンパイアと戦うハンターだったというとんでも設定。どう料理されるのかという期待に反してどうも面白味のない作品だった。
リンカーンを筆頭に登場人物に魅力を感じないのがつらい。
時間に比して描きたいエピソードが多すぎるのか、早回しのあらすじを観ている印象で、物語の流れは分かるのだが、それが心に竿をささない。
キャラクターはそれぞれに魅力的な要素を持っていると思うのだが、主要人物が多すぎるのか、各人を描き切れていない。典型としては、リンカーンのヴァンパイアハンターとしての能力。怪力、不死身、透明化。このような力を持つ化け物に立ち向かうリンカーンのハンターとしての能力に全く説得力がない。
ヴァンパイアに恨みを持つただの人間がそれらと互角に戦うには、とてつもない修行が必要だと思うのだが、観る限り極短期間、斧を振り回していただけだ。あれで対抗できるなら誰でも対抗できる。ひょろりと背の高い印象もハンターの印象としては良くない。ぶっちゃけていうと、全く強そうに見えず、戦っているときでさえ違和感の方が強いのだ。

これら不満点は同じ原因からの問題だと思う。
リンカーンは余りに有名で、すでにエピソードが多すぎるのだ。
友人や妻子の構成。アメリカ南北戦争。政治家のリンカーンを描くだけでてんこ盛りなのに、ヴァンパイアとの暗闘まで背負わさせるのは酷すぎる。
なまじ有名人物が周囲にいるため、人物の配置にも制限が生じているようで物語としての役割がかぶっている。

最後の頼りは絵の力だが、馬群に紛れての戦闘や、ヴァンパイア達との乱闘など、ストップモーションを織り交ぜた映像は迫力ある。が、今一つ独創性を感じることもなかった。

上映時間は100分台と、比較的短めだ。多少延長してその時間を特訓や人物の彫り込みに当てていれば全体の印象がずいぶん変わったと思うが、そうできない諸処の事情があったのだろう。ウォンテッドを気に入っていただけに残念だ。

2012年12月19日水曜日

ゴティックメイド ー花の詩女ー


※本編の発売はされていないのでサントラへのリンクです。

★★★★
~ファンに捧げられた作品~


 エルガイム、Zガンダムなどのデザイン、漫画ファイブスターストーリーで多くの支持を受けるクリエイター永野護。彼が画面レイアウトや多くの原画までもを手がけて完成させた70分のアニメ映画。

 映画として観た場合、粗を探すのに事欠かない。
 起承転結のバランスが悪く、一作でまとまっていない。壮大な物語の風呂敷を広げるだけ広げて、後は文面フォローという投げやりさ。少人数で作成している事からくるのだろう、動画の少なさ。戦闘機を増やすのにコピーペーストしたことで狂ったパース。潔くないカット尻。フェードアウトの行きすぎた多用――。

 ところが、永野護のイマジネーションを高精度で映像化したものとしてみると病みつきになる魅力に溢れている。
 原画の多くを自身で手がけたという言葉に偽り無く、彼自身の絵がアニメーションになっているという感触が確かにある。氏の描く画の特徴は繊細な線と優雅さを失わない殺戮ロボット、そして人物画のつたなさにあると思う。指や、腕、全体のバランスが安定せず、特に顔のかき分けは微妙で、漫画でも流れを汲んで読まないと分からなくなる。

 おそらく、彼は人体の正しいバランス、デッサンを体得していない。しかしそれは欠点になるどころか大きな魅力になっている。デッサンにとらわれることなく、描きたいイメージをこそきっちりと画面に焼き付けてくるからだ。デッサンという階段を使うことなく、イメージを直接つかみ取る行為は、まさに彼の天才だろう。

 この能力が最も発揮されているのがロボットのデザインと描写だと思う。
 氏のデザインするロボットはほかのデザイナーのそれとは明らかに異なる。気品と美しさがあり、ミリタリー趣味とは違う意味での実在感に満ちている。複雑で緻密なデザインはアニメーションには向かないため、これまで彼がデザインしてアニメーションとなったロボットたちは、デザイン段階からアニメーション向けに簡略化されていたり、リデザインされていた。

 今作では、氏のデザインが生のまま、リミット解除されたフルスロットルで現出している。時間にして五分無いだろうあっという間のロボット戦闘シーンが、焼き付いたように頭から消えない。それは、これまで観たことの無かった映像だったのと同時に、とてもよく見知っていた映像でもあった。氏の書いたマンガの戦闘シーンを読んだときに脳内で再現されたイマジネーションと感応しあうイメージが展開されていたからだ。この不思議な感触にも納得である。
 それは長年の宿題の答え合わせをしてもらうようなものだ。漫画を読んではしびれてきたイマジネーションに実体が与えられたのだから。
 単純明快なベースの物語を補う要素として、氏の他の作品との複雑な連関がある。登場人物やロボットの位置づけなどは、なるほど、新しい情報として氏の描く世界観を補強し、新たな期待感を与えてくれる。だがこの楽しみは、観る者の前知識の量によってあまりに価値の異なるものだ。もとよりこの作品は一定の前知識のあるファンのみが見に行く映画だろう事は確かだが、その分新たなファンへの広がりが非常に苦しい作品であるとも言える。

 このような作品の前にあって、感じるのは不思議なことに感謝だ。幾多の困難があっただろうにそれを乗り越え、このような形で届けてくれた。そしてそれはファンが最も楽しむことの出来る特別な内容だったのだ。