2020年8月17日月曜日

カンフー・ヨガ

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 ☆☆☆☆
~CG合成が実写の魅力さえ打ち消す~


 2017年の中国とインド合同制作のアクションコメディ。題名の表すとおり、二つの文化の折衷をしようとしたような内容でそれぞれの文化がカンフーと全員ダンスの形でフィーチャーされているが、非常に表層的。

 中国の歴史研究者ジャックのもとにインドの大学教授アスミタが訪れる。貴重な地図を持参し、それが指し示す遺跡を一緒に探して欲しいと言うが――。

 話しはおまけにもなっていない添え物であり、きちんと理解しようとしない方が良い。シチュエーションだけを追い求めるコメディなのだ。貴重な地図を乱雑にカバンに押し込めていることからも、きちんと世界観を表現としようという気はまるでないことがよく分かる。


 冒頭10分ほどがフルCGの大乱戦シーンとなっており、出来はともかく派手。ゲームの無双シリーズみたいな映像が展開される。その後も全編にCGによる背景、合成が行われ、ビビッドな色調に統一された画風は美しいが、アクションもどこからどこまでがCGなのか分からない状況なのでジャッキー・チェンのよって立つところである実写実演の力を大きくそいでしまっている。実写と思えるところもテンポ良くするために容赦なくコマ落としされており、それがまた粗雑なコマ落としでカクカク跳んで見える始末。実写とCGの合成技術レベルは高く、違和感を感じるシーンは少ないが、結果それなりのアクションシーンが展開されるだけですごみがまったく感じられない。逆説的ではあるが、実演による緊張感や迫力というものは確実にフィルムに焼き付くものなのだという証明になっている。


 ジャッキー以外の出演者はミュージシャンやモデルあがりのきれいどころが並び、一見華やかだがこれまた個別の魅力に欠け、ごっこ遊びの域を出られていないように感じる。さらに、どうも全ての登場人物を平等に扱う縛りがあるのかエピソードが分散してキャラクター全員が薄味に。脇役は脇役であるからこそ主役が引き立つのだなと、これも逆説的に明示されている。


 国同士の関係が非常に悪い中国とインドが合同で映画を撮るということはそれだけで価値があることだと思うが、描きたい内容ではなく制作上の条件ばかりが積み重なって全てを満たすために作り上げられた作品という印象。誰もこの作品を本当につくりたくはなかったのではないだろうか。そんな疑念が湧いてくるほど無くても良いシーケンスに満ちあふれている。こういった根本的なコメディをまじめなアクションで進めていくというスタンスはそれこそジャッキーの初期カンフー映画を思い出させるが、実写実演の魅力がバランスをとっていたのだ。その魅力がない本作は底抜けでとりつく島もない脱線コメディになっており、虚無を感じさせる。


 昔からジャッキー・チェンの映画を楽しんできた身としては、さしもの彼でももうアクション映画はきついなあと感じつつ、他の若手と比べても一番魅力的な動きを未だ保持している点が嬉しかった。

ホワイトハウスの陰謀

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★★★☆☆
~信念に基づいた各人の行動~

 1997年の米映画。ホワイトハウスを舞台とした殺人事件解決アクション。
 

 米兵が北朝鮮に拉致され、政府の対応を巡って内外でさまざまなぶつかり合いが生じている緊迫した事態の中、ホワイトハウス内で女性職員が刺殺されるという事件が発生。捜査担当として現場たたき上げのリージス刑事が派遣されるが、シークレットサービスは証拠を故意に隠蔽。状況証拠からルームクリーニングの男性が逮捕されてしまう。真犯人を捕らえるためにリージスの奮闘が開始されるが、誰が味方で敵なのか、ホワイトハウス周辺の権謀術数に巻き込まれていく――。

 原題は『Murder at 1600』。1600はホワイトハウスの番地のことで米国人ならパッと分かるのだろうか? そうでもないような気がする。主人公リージスを演じるウェズリー・スナイプスは映画『ブレイド』で有名。今作でも小気味よい体の動きで目を引く。1997年の作品だが今見ても古くささは感じない。というか、北朝鮮との関係は四半世紀たっても大して変わってないのだなあと思う。ホワイトハウスという歴史的建造物を舞台にしていることも古びない一因だろう。すでに古いから、これ以上古びないのだ。こういうレトロ感をあまり感じさせない中にあって、唯一強烈に時代感を押し出すのがVHSのビデオテープ。結構重要な証拠として使用されており、前面に押し出されてくるので目につくというのもあるが、使用したことのない人にはどのように映っているのだろうか。


 本作で印象的なのは敵が誰なのかが判然としない状態での物語進行。リージスは同僚数名しか信頼できる仲間がおらず彼らも途中で脱落していく。周囲の全てが敵の状況なのだが、敵全体が一枚岩なのか、複数勢力なのか、どこで切り分けられているのかがなかなか分からないのが面白い。追っても追ってもたどり着かない蜃気楼のような敵に対して諦めることなく突き進む姿は、分かりやすく魅力的だ。
 テンポ良く状況が移り変わり、その中で緩急も適切に。決まり切ったロマンスは香り程度に止めて、あくまで自分の信念を貫いていく。主人公以外もおのおのの信念を持って行動している事が感じられ、敵にも一定の敬意を払いたくなる。
 バディ刑事物として非常に楽しめるエンターテインメント映画。

2020年7月29日水曜日

ゾンビランド

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★★★☆☆
~ボーイ・ミーツ・ガール ゾンビ映画~

 2009年の米映画。ゾンビ物だが陰鬱にはならないゾンビワールド朗らか珍道中。
 

 狂暴になり人間に対して食欲を湧かせるゾンビ化ウイルスがあっという間に世界に蔓延。わずかな生き残りが各地で孤軍奮闘する状況となった。
 大学生のコロンバス(人物全てが地名の仮名を名乗っている)は引きこもり体質を活かしてテキサスの街で生き残っていたが、実家にもどってみようかと思い立ち旅に出る。徒歩で向かう道中ゾンビハンターとも言える屈強な男タラハシーに拾ってもらい、彼の車に同乗。途中さらにウィチタとリトルロックの姉妹と出会い、姉にコロリと恋に落ちるがゾンビ以上に一筋縄ではいかない相手だった――。

 ゾンビという題材はあれこれと都合が良い。どんなに残虐な表現をしようが人間ではなくモンスターなので、倫理機関の審査を通すに有利だ(これはゲームでもまったく同じ。人間で無ければ良いという解釈で切り抜けることの出来る制限は大きい)。物語としても前提を共有しやすく、理由や救世の展開を用意する必要もない。非常に大きなゾンビ映画という枠の中で、他のゾンビものとの違いを表現することに注力すればよく、ともかく取っつきが良い。これはラノベの異世界転生ものが蔓延したのと同じ理屈だと思う。


 今作の特徴的な部分は映像のスタイリッシュさと、人間関係を非常に狭くとどめて、その中でのやりとりに終始していることだ。主人公は己の決めた「ルール」を守ることで生き延びており、そのルールをテンポ良く言葉と画面で示していくのが冒頭となっている。しかし、この映画はそのルールに絡んだやりとりを主体にしたものでは決してなく、これはつかみに過ぎない。なにせ三十以上のルールが存在するというのに、実際に出てくるのは十にも満たないのだ。本筋は「陰気なオタクが情けないながらもがんばって、高嶺の花をゲットする」という分かりやすい青春映画である。本来なら重ならない、異なるカーストの二人を同行させ、アピールチャンスを与える必然性をつくるのに「ゾンビ」が使用されているという形。彼の付和雷同と無駄に強い女性崇拝の姿勢に自分などは大いに共感できるが、ただただ情けない主人公に腹が立つ観客もいるだろう。そこに当てはまってくるのが短絡的だが即断即決でゾンビをなぎ倒す狂戦士タラハシー。アクションの爽快感を彼が担保することで映画全体のバランスが取られている。
 実際コロンバスは対ゾンビ戦においてあまり活躍しないが、パーティーをまとめる人物としての発言を要所で行い、最後には自分が固辞していたルールを打ち破る。己の殻を破るという成長を見せることで彼は主人公たり得ているのだ。
 
 
 行きすぎたスプラッタはギャグに繋がることはゾンビ映画「死霊のはらわた」(サム・ライミ)や「ブレインデッド」(ピーター・ジャクソン)を見るとよく分かるが、今作はスプラッタの方向ではなく、ゾンビ達の単純で懸命な行動の様子と、それに対する人間達の合理的で割り切った態度がコントラストとなって笑いを誘う。単純に追いかけてくるゾンビと距離を取るために延々駐車場をグルグル走ったりするのだ。引いた視点での滑稽さを押し出したコメディだと言える。
 「ゴーストバスターズ」主演のビル・マーレイが本人役で出ており、上滑りしがちなこの手の「本人役出演」の中ではかなり楽しいシーンを見せてくれる。ゾンビ映画をあれこれ見るのであれば、これもそれに加えておいて損はない。

2020年7月21日火曜日

博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか

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★★★★
~コメディのような本物の世界で~

 1963年の米映画。巨匠スタンリー・キューブリック監督による世界滅亡シミュレーションコメディ。
 本作は白黒であり頻出する戦略攻撃機のシーンは背景の合成クオリティが低いが、これは時代の限界といって良いだろう。作戦司令室や戦闘機内部といったセットを組んだシーンは高いクオリティとなっている。
 原題は「Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb」で、直訳すると「ストレンジラブ博士 または~」になる。なので「博士の異常な愛情」はトンチンカンな訳だが配給会社がわざとこのような題名にしたようである。確かに「Dr.ストレンジラブ」という題名よりはインパクトがある。珍奇な題名の映画であるが、その内容はリアルな着想に基づく冗談に出来ないブラックジョークである。


 東西冷戦が極限まで高まった1960年代。とどまることのない核開発が続く中、24時間体勢で核攻撃に備える米軍戦略爆撃機B52にソ連の核ミサイル基地への核攻撃の命令が下る。しかもそれは本土が攻撃された際に発動する報復攻撃の計画であり、それぞれの爆撃機は特定の暗号通信にしか反応しない自閉症モードへ入った。ソ連は核攻撃を受けた際、地球全体に100年の核の冬をもたらす最終報復設備を整えたところであった。もはや核攻撃を止める手段は限られる。滅亡の危機を迎えた人類を救うべく最高司令室での会議は続く――。


 なんだかんだいって映画は作られた時代の状況を反映する。映画のフォーマットや合成精度といった技術的、基材的なものもそうだが、社会状況の影響を受けないわけには行けない。最近なら人種や性別が偏らないように病的な圧力が高まっている。この作品がつくられた当時最大の背景はアメリカ、ソ連を中心とした東西冷戦であり、核の抑止力の倍々ゲームである。お互い止まるきっかけをもてぬまま進んだチキンゲームはちょっとしたことで破裂する風船のような脅威で世界を包んでいた。その際には世界全体が不毛の地と化すのだ。
 当時の観客は我々よりも切迫した気持ちでこの作品を見ただろう。日常と紙一重に存在する破滅の日。登場人物達は最後の最後まで人間らしい愚かなやりとりを繰り広げる。この期に及んで秘書との逢瀬が気になって仕方がない俗物司令官。常識的だが非常事態の非常識にどうにもついて行けない大統領。ドイツから帰化した敬礼と総統呼びが抜けない科学者(これがDr.ストレンジラブ)。司令室の喜劇と対を為すのが決死の覚悟で敵地に向かうB52の乗組員。戦争映画の英雄嘆よろしく破損した機体を操って目的地に飛んでいく。破損によって爆撃地点を変更したり、肝心の爆弾ハッチが開かないのを機長が格納庫まで行って直結したり、戦争映画のような手に汗握るシーンが続くが、これは人類滅亡のための奮闘に他ならない。ついには機長が弾にまたがったまま投下され、カウボーイよろしく歓喜しながら落下するシーンなど、愚かさに笑いが漏れてしまう。既存の英雄物語をひっくるめて喜劇にしてしまうこのシーン、全方位に喧嘩を売っている。

 
 ラストでは巨大な破壊力が生む圧倒的な時間芸術を背景にムードたっぷりのボーカル曲「またあいましょう」が流れる。まったくもってはまりすぎで、人間の営みとその愚かさが愛しく感じられてきてしまう。我々はしょうがない生き物だなあ――。それがコメディの力なのかも知れないが、苦しい状況を他人事のように笑ってしまうことで何か元気が出て来る不思議な映画である。


2020年7月20日月曜日

<小説>カズムシティ

※小説の感想です。 

 ★★☆☆☆
~しっかりしたSF設定に基づく大雑把な探偵物語~


 アレステア・プレストン・レナルズによるSF小説。
 「科学的知識と設定にもとづいたスペースオペラ」と訳者に評されているがなるほど、緻密な設定とそれをあまり気にしないざっくばらんな物語となっている。
 

 微細機械を内包することにより自在に変幻する都市や非常に延長された命を持つに至った人類文明究極の楽園『カズムシティ』。そこを襲った『融合疫』は微細機械を狂わせ、都市をねじくれた奇怪な都市に変えた。人類も微細機械を削除し永遠の命をあきらめるか、病原体から完全隔離された世界に逃げ出すのかを迫られ、さまざまな人間が入り乱れた混沌の様相を呈する。
 別の惑星で愛する女を喪失した主人公は復讐のためカズムシティに辿り着く。街のすさんだ様子と独特のルールを理解しながら、核心へと突き進んでいく――。

 非常に読みにくいSF小説「反逆航路」を読んだ後だったので、サクサク読めてそれだけで気持ちが良い。読書体験という物は読むテンポや気持ちよさも大切なのだなあと痛感する。
 この物語自体大きく3つの時系列がシャッフルされて展開されており、それぞれが行開けのみで切り替わるので混乱する部分も多いが、反逆航路で鍛えられた身としては全く問題がない。閉鎖世界の中で行われる主人公のとんでも悪事に胸が悪くなるホラーテイストの「移民船」編。特異な生命体ハマドライアドの描写が楽しい、復讐の理由が明かされる「ボディガード」編。前者二つを過去の出来事として、それぞれの意味を解き明かしていくハードボイルド「カズムシティ復讐」編。三者三様の楽しさを交互に楽しめるといえば聞こえは良いが、盛り上がってきたところでチャンネルを切り替えられるような不快感の方が強い。好みの問題かとも思うが、せめて章で切り替えるなどしてくれた方が気持ちを切り替えやすい。



 SF的な装置としてはやはり『融合疫』がおもしろい。最先端の科学世界が天から地へ落ちる理屈づけとしても良いし、その後の世界の狂った様子の原因としても魅力的。コロナで世界が一変するのを目の当たりにしている最中(現在2020-07)なので、その説得力もひとしおである。他にもレーザーパルス銃や単分子ワイヤーといった中二ワクワクな武器も数多くでてくるので堅苦しさはまるで無い。むしろ、SFと名のついた探偵小説であり、残念ながら探偵物語としては中の下といった所。困ったら美人が助けてくれるし、特に理由もなく好意を寄せられる。主人公は基本何をしてもうまく出来ない中途半端な存在で、周囲の手助けと幸運の一点で現状を突破していく。あれこれでてくる登場人物や設定もその多くは雰囲気を散らすだけのふりかけで、中まで味が染み込むことなく自然とフェードアウト。何より狂気のように分厚い(1100ページ以上!)物語の果てに、実は誰も幸せになっていないという虚無が後味悪い。


2020年7月17日金曜日

ミッシングID

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★★☆☆☆
~まるで角川のアイドル青春映画~

 2011年の米映画。彼女と青春逃亡劇。
 

 高校生のネイサンは悪友と悪さをしながらも、裕福な家庭で不自由なく暮らしている。しかし繰り返し見る謎の女性の夢、抑えきれない怒りの衝動など、彼自身はティーン特有の悩みを抱えているようである。
 好意を寄せながら疎遠になってしまっていた向かいに住む同級生のカレンとの共同課題に楽しく取り組んでいた折、インターネット上で行方不明となった子供の情報を呼びかけるサイトを見つける。子供の写真と成長した予測CGが掲載されていたが、その一人がネイサンと非常に似ている。サイトへ連絡を取ってみるが、つながった先はハイテクを操る武装集団だった――。

 主人公を演じるテイラー・ロートナーの顔が気になって仕方がない。冒頭に三人の若者が出てきて、がたいの良い厳ついゴリラ顔は脳筋友情キャラかなーと思ったらまさかの主人公でびっくり。会話の中で自分の子供時代の写真を見て、あごが一緒だ! という下りがあり、突っ込み可能のチャームポイントなのか。テイラーは映画『トワイライト』シリーズの主要キャラとして人気があり、狼男役だというのだが、確かにイメージとしてぴったりである。今作の企画自体が彼の人気を中心に据えたもののようなので彼が主演であることはいかんともしがたい。角川のアイドル青春活劇といったところか。

 主人公の出自を巡る冒険となるが、序盤~中盤にかけては誰が味方で誰が敵なのかが分からないスリリングな展開を楽しむことができる。友人の小遣い稼ぎや主人公の受けるフィジカルトレーニングなど、後に続く伏線も丁寧にちりばめられる。主人公も年相応の不良程度で常識外れに強いわけでなく、ヒロインも足手まといにならない快活さ。細かい点かも知れないがこういったバランスが、何か実際の高校生の身の上に降りかかったことであるような雰囲気を漂わせている。
 終盤状況が見えてくると張りぼての仕掛けが霧から出てきたように、設定の無茶具合が目についていたたまれなくなる。本当の父親の立ち回りには腹が立つというより呆れてしまう。それに全てが振り回されていた構図なので作品自体がどんどん安っぽくなっていき、凡百の映画の一つとして終幕する。

 映画の中でアメリカの高校生の様子というのを見る機会が多々あるのだが、実際はどんな感じなのだろうか。
 今作でも親が留守の生徒が家を開放しそこで大パーティーが開かれるという導入から始まる。そこには大学生なども訪れお酒を飲んでプールに飛び込み大騒ぎであるが、本当にこんなパーティーが普通の高校生の体験に含まれるのだろうか? 反対に鬱々としたオタク高校生の様子を描いた映画も多い。一体普通とはどのくらいのラインなのだろう。勝手にこの辺りかなと思うのはサム・ライミの『スパイダーマン』シリーズのピーターの感じ。自分の居場所を守って、その中で好きなことを楽しんでいる感じ。学校カーストの上にあこがれはあるが、それほど重要とも思っていない。良く描かれるダンスパーティなどには無縁。
 邦画の中で普通の高校生の姿が描かれているかというと、確かにそうではない。文化祭の後夜祭なんてイベントもなかったし、本当の姿は洋の東西を問わず基本的にひどく地味なのだろう。それでは映画になりにくいので両極端によるのだと思われ、確かにそうならざるを得ない。
 なんだか寂しい気分になってきたが、自分の高校時代を思い起こせば、一人称で見る全ては圧倒的な臨場感でなかなかドラマチックだったと思うし、同じクラスで間近に見る女子はこの世でもっとも魅力的な存在達だったよ。