★★☆☆☆~SFの「眠れる森の美女」~
2016年公開(日本公開は2017年)の米SF映画。
星間航行とコールドスリープが現実となり、他惑星への植民に邁進する時代――。
機械技術者のジムは「部品ユニットの交換」しか仕事のない地球に辟易し、自分の修理技術が役に立つ不便な植民星の暮らしに憧れて5000人の冬眠した移民者をのせたアヴァロン号に乗り込んだ。移民惑星に到着する直前に目覚めるはずが、なぜかジムだけが全行程120年のうちまだ90年も残した時点で起こされる。再びコールドスリープに入る事はできない。
完全自動化した豪華宇宙船の中の何不自由ない暮らし。だが、とてつもない孤独の中、ジムは一人の美しい 乗客に心を奪われる。眠りにつく彼女を眺めるジムの中で一つの考えが形を持ち始めた――。
分かりやすく考えると、これは眠れる森の美女のイフストーリーである。
国中が眠りについた王城に王子は現れず、代わりに下働きの青年がただ一人目を覚ましたら……。
青年は王女だけを起こし、二人だけの国で恋をはぐくもうとするが、嘘はいずればれる。
これは、おとぎ話なのだ。
そう考えれば、宇宙船の設定もざるのようなSF設定や展開も許せるのではないだろうか。
夢のように美しい世界がSFの世界観で構築されている。
巨大宇宙船は螺旋状のアームを美しく延ばし、回転を続けて重力を生み出している。船内は広大な空間を擁し、巨大ショッピングモールや高級ホテルがそのまま収まったような豪奢。機械ではあるが召使いがあらゆる要望を見たし、宇宙を見ながらの水泳も、宇宙遊泳だって可能だ。
そこに、本来なら言葉も交わさなかっただろう二人。
これがちょっと古めの手書きディズニーアニメで描かれていたなら、誰も疑問を挟まなかっただろう。
ただ、この作品、見た目はとてもリアルなのだ。そつないクオリティで実写的である。
なので、視聴者は現実感の線引きを「リアル」よりに理解してしまい、従ってばかばかしい内容だと切り捨てられてしまいがちだろう。
作品内の「嘘」と「リアル」の線引き。
これが見た目のリアルさに引っ張られるのだとしたら、昨今は見た目のリアルさに応じた現実的な、細かな設定の物語しか作れないことになる。これはこれで非常に窮屈だ。
リアルな見た目で、どう「おとぎ話」を宣言すれば良いのか?
答えなど持たないが、一つ心当たりとしては、「リアルな質感」で「リアルではない(見たことのない)」物をえがく手段があるのではないか。例えば今作では人間に見まごうアンドロイドとまるで2000年以前に夢想した分かりやすいロボットが登場するが、それぞれは明らかに人間とロボットである。ここに「マスク」のようにグニャグニャと表情が大袈裟に変わる人間のようなロボットがでてくればどうだろう。アナ雪のオラフみたいな感じの。こいつがおちゃらけ役でも真面目な役でも変わらない。そうすれば、そういう物が許容される作品なのだと理解し、それ前提に物語を楽しむことが出来る。
※星間宇宙船も見たことはないのだが、「リアルな見た目のリアルな景色」なので現実感を固めるようにしか働かない。
――まあ、ほぼ確実に「やつは要らなかった」といわれそうだが、物語に対する突っ込みは薄れ、結果作品を素直に楽しめる人は増えるのではないだろうか。
自分がこれだけは言っておきたいという点、ヒロインが不細工である。
お姫様はジェニファー・ローレンスで「ハンガー・ゲーム」と「Xメン」で有名であるが、Xメンは全身紫のミュータント「ミスティーク」なので言われればそうかも、といったくらいか。
ともかくおとぎ話ならお姫様は確実に公倍数である正当美女にして欲しかった。彼女は気の強いイライラした女上司といった雰囲気を抱えており、とうとう最後まで美しいと思う瞬間がなかった。最大値はコールドスリープしていた時だったが、動き出すと残念というのは物語的に失策だろう。
日本でのコピーは「乗客5000人 目的地まで120年 90年も早く 2人だけが目覚めた 理由は1つ――。」となっているが、見てから振り返ると「そうじゃないだろう」である。二人でもなく一つでもない。気を引く文章としてこの形になるのは分かるが、すっきりせずマイナスの印象を与えている。
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