★★★☆☆
~創作という呪われた性(さが)~
2013年公開のアニメーション映画。監督は宮崎駿。
子供の頃から飛行機を作ることを夢見る堀越二郎は第二次世界大戦に向けて緊張の高まる中、飛行機の設計者として才能を開花させていく――。
まず、ここまで宮崎駿がパンツを脱ぎ去って自身をさらけ出した作品は、「未来少年コナン」以来初めてではないかと思う。
コナンの時(宮崎氏37才。既婚)は、それまで自由に創作できず鬱屈、堆積したオタク願望を脅威の熱量と圧力でダイヤモンドに変質させた。その鮮やかさ、さわやかさに目を奪われるが、やりたいシチュエーションを出し切り、行きすぎて変態的な領域に突っ込んでいる箇所も多い。もちろんそれが良い!
未来少年コナンは「原作あり」だが、初の宮崎駿が好き勝手につくったオリジナルアニメーションだと思っている。
その後彼はたくさんの作品を生んでくれたが、確実におもしろい作品でありながら、「ナウシカ」や「もののけ姫」でさえどこかきれい事と感じていた。最大の理由は自分が年を取ったことだろうと思うが、何らかの窮屈さが宮崎氏にもあったのでは無いだろうか。
何のために、誰に向けて作品を作るのか。
彼は常にそれを大前提に物を作っているのではないかと思う。作品は自分の思いをただ叫ぶものではなく、社会に接続され時代の中で立ち位置を獲得するものだという意識。これは盟友、高畑勲監督から薫陶されたものかも知れないが、そういう作家なのだと思う。
どんなに気楽に作ろうとしても、彼の作る作品はただのエンターテイメントではいられないのだ。良くも悪くも。
そんな彼が、久々にとうとう好き勝手につくったのが、この「風立ちぬ」なのではないか。
これまで積もりに積もったたくさんの思いを、コナン同様周囲に斟酌せずに一息に吐き出そうとした作品に思える。
「風立ちぬ」は、物作りに取り付かれた男の、どうしようもない性(さが)を描く物語で、宮崎監督の私小説のようなものだ。
失敗したり、恋に揺れたりしながら、それでも結局物作りにしか魂を捧げることができない。
物作りのために、たくさんの人をないがしろにして、それでも価値があるのだと信じたり自分を丸め込んだり。
結果たくさんの後悔と、先達たちとの共感、すがすがしさに救われたり、絶望したり。
作った物の価値は時代に呑まれて転倒していき、それを目の当たりにしながらも、のめり込んでいく。
飛行機づくり以外について、二郎は結構場当たり的だ。
分かりやすいのが恋。
宮崎駿の演出は登場人物の感情に伴って具体的に容姿を変化させる。ナウシカやラピュタでお馴染みなのが、髪が逆立つ演出。まさに怒髪天を突く。
今作で注意すると興味深いのが、瞳の輝き。人物の心がときめいたときに、目がウルウルと輝いている。
二郎が奈穂子と出会うシーンで、奈穂子は一目で二郎に憧れている。反して二郎が奈穂子にきちんと恋するシーンはどこなのか。それが、二郎の証言と合致しているのかどうか――。
終盤、二郎の元を去った奈穂子を二郎は追わない。飛行機についてはあんなにも必死に食らいついた二郎が、奈穂子には冷静なものだ。
だから奈穂子は、そういう男と知りながら惚れてしまった女は、一心に愛し尽くしても自分のものにならなかった男の魂に、呪いをかけるのだ。
最後の彼女の台詞「生きて」は、絵コンテの段階では「来て」だったのだという。このシーン、二郎の心象風景であるのだから、結局彼自身の言葉といっていい。
好きなことをやりきった男に女が優しく「来て」なんて、なんて甘ったるい結末だろう。完成した映画は「生きて」となり、続く二郎の「ありがとう」は「甘やかさないでくれてありがとう」なのだろう。
自分は「来て」の方が好きだ。こちらの方が宮崎監督の全裸だと思うから。
ふと目をあげれば廃墟であり、夢の跡形であり、愛していた(と思っていた)人の残像――。
物作りに関わり、狂ったように専心した経験を持つ者にとって、この映画は大筋として理解しやすい内容ではないか。
熱中するときの幸福感。世界と歯車ががっちりかみ合ったと感じる自身の拡張感――。
そして、そのために二の次になっていった愛する人や物。それに対する反省を含まない悔恨の思い――。
理屈で理解というより、心当たりがあるのだ。
劇中最初から最後まで登場するカプローニとの異世界対話についても、心当たりがある。
創作活動を続けていると、他の作品に強い共感を感じる事があるのだ。
なぜそういう形になっているのか。なぜその選択をしたのか。
そういうことが分かる作品がある。まさしく作品を通じた創作者との対話だ。
作中の描かれ方では、二郎はカプローニと終生共感を保持しているが、これは幸せなことだろう。
二郎の思いはずっと同じ方向を向いており、一途だったということだ。
カプローニは、夢の中で語る。
「飛行機は美しい夢だ。設計家は夢に形を与えるのだ」
この言葉は創作全てに当てはまるだろう。
映画も、小説も、音楽も、ゲームも――。
素晴らしい輝きを感じる方向に、手を伸ばし、具体化して手元に引き寄せようとする行為だから。
この映画も、無論。
美しい夢だ。
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