2014年5月30日金曜日

スパイダーマン(サム・ライミ版)


★★★☆☆
~ピーターの物語~

新シリーズ一作目、二作目を見たあとあらためて見直してみた。

2002年公開だから、12年前の映画となる。
数字としてみるとそんなに昔か、と多少驚く。

12年の差は思ったよりも大きい。

ビルの間を自在に駆け抜けるスパイダーマンを自在なカメラでアクロバティックに描いた映像は、当時大きなインパクトだった。ジェットコースターに乗っているような主観的映像にシネコンの大画面で感激した記憶がある。
あの時点で最高峰だった映像が、今観ると不自然に感じられる。CGで描かれたスパイダーマンの動きは物理法則を乱しすぎており、違う加速度、重力の中で生きる存在を無理矢理この世界に連れてきたような(アメコミという点で実際そうなのだが……)違和感を感じる。比較すると新シリーズの映像は確実に一段高い次元に達している。
だからと言ったこの作品の価値が無くなるわけではない。スパイダーマンの滑空シーンイメージはそのまま新シリーズにも受け継がれているし、物語として非常に綺麗にまとまっている。なにより古き良きヒーローのイメージだったスパイダーマンを現代に完全復活させたという功績は大きいと感じる。

改めて見てみると、スパイダーマンよりもピーターを描くことに注力した作品だったのだと気づく。
さえない男がヒーローの力を手に入れて颯爽と大活躍……、なのだが、いちいちスマートではなくえらい目にあってばかり。それでも強い責任感で役割を果たそうと不器用ながらも努力する姿に親近感を覚えずにいられない。
身近なヒーローというスパイダーマンを、ピーターのキャラクターで描いたのが旧作なのだろう。
新シリーズはピーターではなくスパイダーマンとニューヨーク市民の関係性が身近だということを、スパイダーマンの活躍を通して描いている。

しかし、ヒロインの尻の軽さには久しぶりに見てみても閉口。当時も、今もM・Jのルックスはあまりあこがれの対象ではないように感じる。しかしだからこそ、ピーターは彼女の事が好きなのかも知れない。ピーターのオタク気質は非常にリアルで、内向的な秀才がヤンキー女性に惹かれるというのは、悔しいかな説得力がある。

スターシップ・トルーパーズ3

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 ☆☆☆☆
~神を風刺~ 


スマッシュヒットとなり多くの人の心に残った一作目。
未見だが、テレビ特番として超低予算で作成され、あまりに評判が悪い二作目。
二作目よりはましな予算で、とうとうパワードスーツが登場する三作目

ネタバレありで記述するので、見る予定の方はご注意。
※自分の感想は基本的にネタバレなのですが……。

一作目は軍国主義、国粋主義を揶揄しながら、その枠組みにはまる人々の生き様を切ないような、たくましいような不思議な印象にまとめ上げていた。
今作ではその世界観はそのままに、新たに宗教・神を皮肉っている。
軍国主義に対する強力な存在として宗教が描かれ、これが善かと言えば全くそうではない。むしろ、軍国主義と同じ存在として描かれ、最後には合一を果たす。何しろブレーキをかけない表現が小気味よい。

軍人のトップがより大きな存在に寄りかかるために神を求める。
宗教を軽蔑していたヒロインが地獄絵図の中でとうとう心おれて改宗する。
祈った挙げ句天から神々しく舞い降りる光はパワードスーツの噴射炎。
惑星を破壊する爆弾を打ち放ち、その爆発の光の中で抱き合い、愛を誓う男女。

これらが予算的に微妙な映像で繰り広げられ、視聴者はなにやら良くできた自主制作映画を見ている気分になる。中々良くできているなあ、という感想の。
売りの一つであるパワードスーツも、ためにためた上で出てくるにしては貧弱な映像で活躍シーンも長くない。正直なところ、格好悪い。
このような内容ではあるが、言いたいこと言って良いんだ! という映画の雰囲気。一転二転する展開。予算は映画の出来を決定づけるものではないが、予算がなければ成り立たない映像がほとんどなのだという現実。
人には勧めないまでも、見た時間が無駄と言うことはなく、あれこれ考える題材を提供してくれる一作。

ロボコップ(2014)

 
☆☆☆☆
~魂の惨殺~


ポール・バーホーベン監督の金字塔をリメイク。
ミニチュアアニメーションなど旧式特撮技術を多用したオリジナル版と比してCGによる画像完成度は高いのに、どうにも魅力の薄い駄作。
主人公の喪失したものの量が違いすぎる。
前作マーフィが失ったのは、記憶、家族、アイデンティティ。代わりに身につけた圧倒的な頑強。まるで悪魔に魂を売った(売らされた)ようなそのアンバランスな存在。
それに比べて今作の彼のなんと中途半端なことか。覚悟や凄みの無いまま、周囲に踊らされ続けるだけのピエロに成り下がっている。
それに引きずられて物語の陰影も薄くなり、派手な戦闘シーンもただのにぎやかしにしかならない。
偉大なオリジナルに対抗するために、様々な努力をしたのだろう事は感じられる。
鈍重なパワータイプのイメージから、俊敏なスピードタイプへの変更。
乗り物もパトカーから専用バイクに。
はじめは黒塗りにされ、後に……。
だがどれも、変わって良かったね、という要素ではない。
上辺だけで、血肉が通っていない印象。

描写のグロテスク具合はオリジナルの方がひどいと思う。生きたままの身体欠損をさっと見せるのがバーホーベン監督流だと感じる。
今作も中々えぐい描写はあるが、それよりも精神的なスプラッタがひどい
脳をいじって記憶を改ざんしたり、人間の意志をすげ替えてしまう哲学的ゾンビの領域に突入したり。
これに比べれば、オリジナルは人間の精神に対して大きな敬意を払っていたと思う。このような状況のロボコップに家族愛を体現させても、心底寒い。
やはり、ヒーローにはその代償として悲しい過去と取り戻せない喪失があるべきなのだと思う。

ももへの手紙

 

★★★★
~みんなで観たい作品~


 「人狼」で名を馳せた沖浦啓之監督のアニメ映画。しまなみ海道あたりの小さな島を舞台に、父を失った少女の心の再生を描く。
 人の仕草、生活感、架空生物?の気持ちよい動き、アクション、細かな演出の積み重ね……。抑制のきいた落ち着いた雰囲気。
 昨今のジブリ映画にうすくなった(宮崎、高畑監督にしか出せなかった)空気を堪能できる作品。スタッフ的にからみがあるのかどうか分からないが、「ジブリアニメの総決算」と勝手に言いたくなる。
 きちんと後継者が育ち、宮崎、高畑監督が通過して行きすぎてしまった感覚に立ち戻ったアニメ映画がジブリで作られていたなら、このような作品になったのではないだろうか。ジブリは今後どうなっていくんだろうと勝手に心配していたが、こういう作品を見られるならジブリに限ることはないのだなあと思う。

 映画館で鑑賞した際、子供客が多く、笑い声や合いの手? が多く入った。それは決して邪魔ではなく、その場にいる見知らぬ人たちと一緒に笑いながら見ることが楽しい一作。映画館で見るのは、こういう楽しさがある。



2014年4月14日月曜日

エージェント・ライアン

★★☆☆☆
~2014年初頭の符合性~

「ペリカン文書」のトム・クランシー原作。少しずらしたスパイアクション映画。
ウォール街で一線を張れるほど優秀な博士号持ち。しかも元海兵隊で部下を助けるために半身不随になりかけた過去を持つ。ステディはリハビリ時の担当女医。
そして裏の顔はCIA。
書き上げて見るととんでも性能のスーパーヒーローだが、順を追って説明される状況は、彼の波瀾万丈な巻き込まれ人生。不思議と嫌みがない。
そんな彼は旧ソビエト残党がロシアでたくらむ通貨テロを阻止するためにモスクワへ。
ガスの供給にまつわるアメリカとロシアの対立。実際の爆破テロと組み合わせて計画される通貨暴落という経済テロ。
奇跡的なほど、今(2014/3/12)展開されている、クリミアを挟んだ東西対立と重なっている。このタイミングで公開されている最中にセンセーショナルなドル暴落など起こった日には、これはもう予言所と言って良い。もちろんそんなことにならないよう祈るが……。
映画自体は意外なほどコンパクト。アクション、サスペンス、敵との裏のかきあいにラブロマンス。様々な要素がコンパクトに、かつ適量収まっており、幕の内弁当のような安定感と予定調和。しかし大きな求心力や盛り上がりの無いまま幕を閉じる。
殴り合いのシーンに結構な時間を割いたりと、時間配分の意外性があり最後まで飽きずに見ることの出来る佳作。

2014年4月13日日曜日

グスコーブドリの伝記

 
★★★★★
~希有な映像体験~


宮沢賢治の作品を手練れの職人がかっちりと映像化。
驚くべき映像クオリティと豊かなイマジネーション。
ジブリをはじめとする日本的なアニメーションとは印象を隔し、なおかつピクサーのCGアニメーションとも違う手書きアニメーション。ほかでは観ることの出来ない映像世界が豊穣に実っている。

猫の擬人キャラクターによる宮沢賢治の映像化というと「銀河鉄道の夜」が先鞭だが、それもそのはず、監督、キャラクターデザインなどのスタッフが同じ顔ぶれとなっている。宮沢賢治の透明感溢れる世界と抑えがちな表情の猫達の組み合わせは、もうそれだけで心をときめかせる。思うに、人間ではなく猫の姿を借りることで、不思議な世界とのバランスがぴったり合い、凹凸のない映像として心に迫ってくるのだろう。

物語は未読であるし存在さえ知らなかった。ただ、寒村の貧困を解消したいという熱意と自己犠牲精神の貴さを童話に託したその内容は、自分の知る宮沢賢治の姿そのままであり、見知った作品達と何らぶれのない内容だった。
物語自体は、おそらく銀河鉄道の夜ほどの一般性を持たない。単純にいうと地味でキャッチーではない。しかしそれが映像になったとたん、胸を詰まらせるような一途と切なさに満ちて、忘れられない映像体験となる。

言葉ではなく、映像で示すということ。
この映画には、昨今の映像作品で軽視されがちな基本原則が脈々と受け継がれている。近年目に付く映像作品は物語の筋を示すことに汲々とし、言葉にしないと伝わらないと思いこんでいるように、状況も、心情も、肥大化した自意識のままに垂れ流す一方のものが多いように思う。
それは一つの演出、方法論ではあるが、テンポを付けるための変化球だろう。全編それでは効果的ではないし、ただの色物だ。しかし、色物が色物として目立たないほど、奇異なスタイルが蔓延している。
とどのつまり、自信がないのだ。
言葉という明確な情報伝達手段を用いねば、伝えるべき事が伝わったと確信できないのだ。優しい眼差しでほほえむだけでは伝わらぬと、「愛してる」「好きです」と飾りたて、本来の淡い色彩を台無しにしてしまう。
轟音ばかりでコントラストのない音楽。
笑い所まで指定されるテレビキャプション。
わかりやすさ、単純さをこの上ない正義だとお題目のように掲げ持ち、その実、本来のシンプルや元の形が持つ力を失っているのではないか。感じ、理解するという能力を浅くしか耕さず、根の張れない畑を作っているのではないか。

そんな中、今作は急流に屹立した岩のようなものだ。
空気が、映像とともにある。
ブドリの妹が神隠しされる場面には心臓をつぶされる。
探し求める世界の不可思議、一歩先に満ちる不安な予感。
はじめてみる都会の不思議な感触。
目の光る猫に感じる恐怖と安堵。
それらを包み込み、満ちている、なぜか分からないけれど優しい気持ち。
この映画は「観る」のではなく「体験」するものだ。
丁寧に整えられた滑らかな映像の中に吸い込まれ、ブドリと一緒に不思議な体験をする。見終わった後に残る寂しさ、侘びしさ、暖かさ、心強さ。
マイナーとしかいいようのない作品だが、希望ではなく確信として、この作品は後年名声を勝ち得ていく名品だ。観た者の心に根を下ろし、いつか再び花を咲かせる感性の種だ。

あの「銀河鉄道の夜」を一生忘れないのと同じように、「グスコーブドリの伝記」も人生に寄り添って、きっと消えない。